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プロローグ

第二話 「怪人二十面相」 
 
 その日、わたしと先生は、戸山ヶ原に来ていた。
 遠くに巨大なカマボコを並べたような建物が見える。
 うっそうとした杉林の中を進んでいくと、ボロボロの洋館が忽然と現れた。
 昼間だというのに辺りは薄暗く、ただカラスの不気味な鳴き声だけが静寂の中に響き渡っている。人の住む世界から隔絶された、まさしくお化けでも出てきそうな場所だ。
「ほ、本当にここにいるんでしょうか……?」
「私の勘が正しければね」
 先生はピストルを構える。
「行くぞッ」
「は、はい!」
「ピッポー!」
 扉に向かい走っていく先生。わたしもピッポちゃんを連れて追う。
 先生は玄関のドアを静かに開く。鍵も壊れたままになっているようだ。
 わたしたちは警戒しながら屋敷の中に入る。
 中も薄暗いけど、人が生活できる程度には片付けられているように見える。
「そろそろ来る頃だと思っていたよ」
「!」
 どこからともなく、誰かの声が響く。
 そしてわたしたちの目の前に、黒い影が降り立った。
「に、二十面相……!」
 前に会ったときと同様に、人の顔のような模様の、悪趣味なドレスを着ている。
 間違いない、怪人二十面相本人だ。
「我が館にようこそ、明智君、小林君」
 彼女はまったく焦った様子もなく、丁寧にお辞儀する。
「しかし、よくこの場所がわかったねえ?」
 先生は二十面相に銃口を向けたまま答える。
「君に怪人にされた者の手記に、この辺りで君と契約したという記述があってね。ここから見えるあの施設は、陸軍の射撃場だ。確かにここなら人は寄り付かないな」
「そうなんだよ。残念だなあ、ここは結構気に入っていたんだぜ」
 口では残念といいながら、ニヤニヤ笑っている二十面相からは余裕が感じられる。
 彼女はパチンと指を鳴らすと、どこからともなくガラスを引っ掻いたような音が聞こえてきた。
「な、何の音!?」
 わたしは先生に隠れて周囲をうかがう。
「仕方ない、新しいお家を探すとするよ……」
 二十面相はフワッと浮かび上がる。
「待て、二十面相!」
 先生は二十面相に発砲したが、弾丸は彼女の身体をすり抜けていってしまった。やっぱり、変幻自在の彼女の身体には銃なんて効かないんだ。
「ハハハ……まあ、せっかくこんなところまで来たんだ。ボクのペットと遊んでいきなよ」
 そして、何かが勢いよく、窓を突き破って入ってきた。
「きゃあああ!?」
 それはどんな鳥よりも大きい、巨大な翼を持つ怪物だった。全身が鱗で覆われ、頭は馬のように長い。二本の足の先で鋭いかぎ爪が光る。
「ちっ、シャンタク鳥か」
「と、鳥!?」
 それよりは、翼竜に近いような気がするけど──とにかく怪鳥は牙を向いて、わたしたちに飛び掛かってきた!
「やれやれ。手伝いたまえ、小林君」
 先生の右腕が輝く。
「は、はい! いくよ、ピッポちゃん!」
「ピッポー!」
 ピッポちゃんも相手の真似をしたように牙を生やし、回転しながらシャンタク鳥に突っ込んでいった。
 
 わたしたちがシャンタク鳥を倒す間に、二十面相は姿を消してしまっていた。
 ピッポちゃんは先生にバラバラにされた怪鳥の死体を、ガツガツと食べている。
「なんでこの子はゲテモノばかり食べるかなあ……?」
 普通の食べ物は食べようとしないから、これが唯一の食事。止めようにも止められないんだけど……。
 わたしたちはしばらく屋敷の中を調べてみたけど、一般的な日用品ばかりで、特別なものは何もなかった。怪人にされた人に関する情報さえあれば、前もって調査できるのに。
「……一体、何者なんでしょうね、二十面相って……」
 蜘蛛男事件で彼女と会ったとき、わたしのことを「素晴らしい成長ぶり」と言っていた。
「どうして二十面相は、わたしのことを知っていたんでしょうか……?」
 あのとき初めて彼女と会ったはずなのに、どうして?
「……ふむ、そうだね……」
 先生はその場にあった椅子に腰を下ろした。
「怪人二十面相……。奴に関しては、私も全部把握できているわけではないが……ここらで一度整理してみようか」
「は、はい……」
 わたしもベッドに腰掛け、先生の言葉を待った。
「あれは……私と君が初めて会った、『黒い魔物』の事件のときだ………」

怪少女

 教室の窓から入る夕日の光が、並んでいる机に長い影を落とす。
 わたしはその日の放課後、遅くまで友達と賑やかに過ごしていた。家で宿題をやろうとしても、ついつい小説や雑誌を読んでしまってはかどらないから、学校で友達と片付けてしまおうと思ったのだ。でも、それはそれでおしゃべりに夢中になってしまい、結局宿題はあまり進まなかった。
 わたしは地元の小学校を卒業後、なんとかこの「茗渓高等女学校(めいけいこうとうじょがっこう)」に入学することができた。
 帝都の中心部にあるんだけど、わたしの家からは少し遠いので、寄宿舎通いの子よりも早めに帰宅しなければならない。
 友達と別れて、校門を出た頃には、もうだいぶ日は落ちていた。
 駅への道を急いでいるとき、前から小柄な影がこちらに近づいてくるのが見えた。
 子供……? こんな時間に一人で歩いているなんて、この辺りの子だろうか。洒落た帽子を被り、黒いコートを着ている、奇妙な格好をした女の子だった。
 彼女はなぜかわたしの正面で立ち止まった。背からして小学校五年生くらいかな?
 そして、わたしをじっと見つめる。子供とは思えないその鋭い眼差しに、わたしは思わずたじろいだ。
「え、えっと……ど、どうしたの……?」
 わたしに何か用……?
「あ、ああそっか! 迷子になったんだね!?」
 少女はムッと眉間にしわを寄せて、不機嫌そうな顔になった。
 そして突然右手を上げ、何かを私の眼前に突きつける。
「え……?」
 それが何だかわかるまで、少し時間がかかった。
 ピストルだ。オモチャみたいに小さいピストル。実際オモチャなんだろうけど。
「こ、こらあ。そんなもの人に向けちゃダメでしょっ」
 わたしは彼女の小さい手をピストルごと両手で包み、ゆっくりと下ろす。
「…………」
 少女はわたしの手を振りほどき、ピストルをコートのポケットにしまう。
「……やれやれ。思い過ごしだったか」
 何やら独り言を言うと、彼女はわたしに背を向け、去っていった。
 へ、変な子……。わたしはしばらく呆然としてその背を眺めていた。
 彼女が道を曲がって消えると我に返り、慌てて後を追う。
「あ、ちょ、ちょっと!」
 ひとりでお家に帰るつもりなのかな? 危ないから近くなら送ってあげなきゃ。最近は怪人も出るっていうし、危なくて仕方ないよ。
 わたしは少女が曲がった方へ走っていった。
「あれ……?」
 しかし、その道に彼女の姿はなかった。ただ遠くにおじいさんが歩いているのが見えるだけだ。
「あの子……なんだったんだろう……」
 普通に考えれば、活動写真か何かのマネをしていただけなんだろうけど。
 あの大人びた眼差しが、しばらく脳裏に焼きついて離れなかった。

呪いの宝石

 翌日、校門をくぐると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「芳乃さん!」
 ひとりの小柄な少女が、わたしの後ろから走り寄る。
「おはよう、早苗ちゃん!」
「お、おはようございます!」
 彼女は息を切らしながら挨拶する。わざわざわたしに挨拶するために走ってくれたんだ。
 彼女──羽柴早苗(はしばさなえ)ちゃんは、私より二学年下の後輩。
 肩の辺りで揃えられた柔らかい髪に、赤いリボンが付いたカチューシャが似合っている。上目遣いの大きい瞳と、小さく華奢な体が、小動物のように愛くるしい。
 「あはは。じゃあ校舎までいっしょに行こうか?」
「は、はい!」
 彼女は嬉しそうに答えた。
 早苗ちゃんと知り合ったのは、彼女がまだ一年生の頃。校舎内で迷っていたところを、わたしが助けたことがきっかけだった。それ以来、わたしに懐いてくれている。
 わたしたちは学校のことや、家での出来事を話しながら校舎に入った。わたしは四年生、彼女は二年生なので教室の階が異なる。
「じゃあ、がんばってね!」
「あ! ま、待ってください……」
 別れ際、彼女は急いで鞄から何かを取り出す。
 
 
「あの……こ、これ……」
 彼女は恥ずかしそうに俯いて、一通の手紙を差し出した。
「ありがとう!」
 手紙を受け取ると、彼女は頬を赤らめて微笑んだ。
 
 退屈な裁縫の授業中、わたしはこっそり早苗ちゃんの手紙を開ける。
 学年も違うので話す機会も限られているわたしたちは、必然的に手紙の中で話すことが多くなる。
 今日はどんなことが書いてあるのだろう。わくわくしながら開く。
 華宵先生の優雅な絵の便箋に、丁寧に字が綴られていた。
 
「親愛なる芳乃様へ
 御渡ししたい物が御座いますので、どうか放課後、庭園に来て戴けないでせうか。
 心より御待ちして居ります。
早苗」
 
 う~ん、渡したいものってなんだろ?
 手紙を見ながら考えていると、友達が興味津々に盗み見しようとしてきたので、慌てて隠してしまった。
 
 お昼の休み時間、お手洗いから教室に戻る途中の廊下。
「待ちなさい」
 ふいに、後ろから声をかけられた。
 振り向くと、見慣れない人が立っている。
 背は高く、長い髪を両側で三つ編みにしている。上級生かな?
 彼女は険しい目でわたしを見つめる。
「な、なんでしょうか?」
 その気迫にわたしはうろたえてしまう。わたし、何か悪いことした……?
「私は五年生の赤井よ。あなたは四年生の小林芳乃さんね」
「は、はい……」
「あの子……羽柴早苗さんとは会わないほうがいいわ」
「え!?」
 いきなり何を言うのだろう。
「な、なんでですか?」
「……あなたのことを思って言ってあげてるのよ。貴女が、貴女でいたいのなら。今日は彼女とは会わないこと。会ったとしても何も受け取らないこと」
「──!」
 こ、この人、どこまで知って……!?
「……忠告はしたわよ」
 そう言うと、彼女は去ってしまった。
「……な、なんなの、あの人……」
 初対面のわたしに、いきなり早苗ちゃんと会うことを禁止するなんて……。
「あ!」
 そうか! あの人、早苗ちゃんを狙ってるんだ! だからわたしが早苗ちゃんと会うのを妨げようとしてたんだ。
 考えてみれば簡単なことだった。早苗ちゃんのような可愛い子なら、姉になりたい人もいて当然。
「うひゃ~」
 わたしはその場で一人身悶えする。
 特に他意もなく、早苗ちゃんと仲良くしてただけだったけど、気付かぬうちに目の敵にされていたとは。
 いっそきっぱり姉宣言してしまえばいい気もするけど……わたしは勉強もあまりできないし、せいぜい教えてあげられるのは調理くらい。ドジや失敗も日常茶飯事だし、誰かの姉になれるほどしっかりしていない。わたしなんかが早苗ちゃんの姉になっちゃったら、なんか申し訳ないような……。
 でも、だからといって赤井さんに譲ったら、今度は早苗ちゃんと会いにくくなるだろうし……。
 やがてチャイムが鳴り教室に戻ったけど、午後の授業はそのことで頭がいっぱいで、授業もまるで頭に入らなかった。
 
 そして、放課後。
 赤井さんには悪いけど、わたしのことを待っている健気な彼女を、放っておけるわけがない。
 わたしは少しそわそわしながら庭園へ向かった。
 校舎の裏手には、ちょっと本格的な日本庭園があるのだ。
 池の周りに配置された築山や石灯籠が、美しい景観を形作っている。
 早苗ちゃんは東屋の椅子に腰をかけて待っていた。
 わたしの足音に気付くと、彼女は慌てて立ち上がる。
「ごめん、待った?」
「い、いえっ。わたしの方こそ、突然呼び出したりして……」
 早苗ちゃんは何度も頭を下げる。
「いいのいいの……」
 きょろきょろ。
「どうかしたんですか?」
「え!?」
 わたしは無意識に周りを見回し、他の人(主に赤井さん)がいないか確認していたようだ。
「う、ううん、なんでもないよ。それより渡したいものって?」
「あ、はい……」
 彼女は鞄から、桃色の小さな包みを取り出した。
 そして震える両手で包みを差し出すと、息を吸い込んで、
「よ、芳乃さん──いえ、お姉さま! どうか早苗を妹にしてください!」
 ……え?
「え……ええっ!?」
 まさか彼女の方から言ってくるなんて! 予想外の展開。
「こ、これはその、わたしからの親愛の証です! 受け取ってください!」
「う、うん……」
 勢いに押され、わたしは包みを受け取ってしまった。けっこう重たいけど、なんだろう?
 開いてみると、なんと大きな宝石だった。
「こ、これって……!?」
 大人の握りこぶしくらいある、黒いダイヤモンド。黒曜石よりも透き通っていて、上品に輝いている。
「だ、だめだよ、こんな高そうなもの受け取れないよ! というかどうしたのこれ!?」
「そ、それは……」
 彼女はなぜか目を逸らす。
 こんな大きな宝石、いったいいくらになるのか想像もつかない。確かに早苗ちゃんの家は裕福だけど、いくらなんでもこれは……。
 そのとき、突然手の中で宝石が震え、ピシッと赤い亀裂が入った。
「え──」
 そこから一気に黒い煙が噴出し、その勢いで宝石は粉々に砕け散った。
「きゃあああ!」
 煙は目の前で固まって、太く黒い縄のようなものになり、わたしの身体にグルグルまとわりついてくる。
「な、なに!? なんなのこれ!?」
 そのうち縄の先端が、わたしの口の中に入ってきた。
「ん、んぐっ」
 わたしは息ができなくなり、苦しくなってその場でもんどりうって倒れる。
 そして、胸の内側から、おぞましい何かがわたしの身体に浸透していく。
「にゃる・しゅたん! にゃる・がしゃんな! にゃる・しゅたん! にゃる・がしゃんな!」
 早苗ちゃんの叫びが聞こえるけど、わたしの耳がおかしくなったのか、何を言っているのかわからない。
 激しい熱さと激しい寒さが同時に襲ってくるような感覚に、手足は痺れ、目はぐるぐる回る。
「ア、ア、ア──」
 だめ、気持ち、悪い。
 出さなきゃ、吐き出さなきゃ。
「う、え、えええっっ」
 わたしは全身を痙攣させながら、不快な何かを体外へ押しやるため、無我夢中で口を開いた。
 自分の内臓の味が広がる。黒いどろどろした何かが吐き出される。とめどなく吐き出される。
 なんなの、これ、きりがない。
 息が、できない──
 し──
 死ぬ──
 
 そのとき。
「だから言ったのよ」
 誰かの、凛とした声。そして、目の前にまばゆい火花が走った。
 何か強い力にわたしは弾き飛ばされ、仰向けに倒れた。
 誰かの手が、わたしのこめかみに何かを乗せる。
 現実か、幻覚か。わたしは柔らかい光に包まれた気がした。
「あ……」
 なんて心地よく、温かいのだろう。
 瞬く間に動悸と悪寒が治まり、わたしの混濁した身体と意識が元に戻っていく。
 目を開けると、見覚えのある顔がわたしを覗きこんでいた。
 この人は……確か……お昼に会った……。
「あ……あなたは……」
「私は忠告したはずよ。あの子には会うな、とね。見なさい」
 わたしはなんとか上半身を起こし、赤井さんの視線の先を見る。そこには当然早苗ちゃんが立っていたのだが、
「ハハ、アハハ、キャハハハッ!」
 なぜか笑っている。その場でクルクル踊りながら、狂ったように笑っている。
 いつもの彼女とはまるで別人のようだ。気でも違ってしまったのだろうか?
 しかもその足元には、わたしが吐き出した黒い塊がぐちゃぐちゃと波うっている。
「な、な……」
 何が、どうなっているの?
「テケリ・リ! テケリ・リ!」
 黒い塊は奇怪な声で鳴きながら、ぐんぐん縦に伸びていき、何かの形になっていく。
 やがてそれは真っ黒な人の影のような姿になり、早苗ちゃんの傍らに立った。大人くらいの背丈があり、顔には目も髪も耳もなく、ただ不気味に笑った白い歯だけが光る。
 にやにや笑いだけが残っている──と言うと、どこかの童話の一節のようだ。
 早苗ちゃんはうっとりとした表情で、その怪物を見上げている。
「ウフフ……ちょっとジャマが入ったけど、まあいいですう。予定では芳乃さんを丸ごと魔物にするつもりでしたけど、芳乃さんを媒介にして生み出すことができましたからねえ。さっきの石は、インドに伝わる呪いの宝石なんですよお。イギリスに侵略されたインドでは、多くのインド人が犠牲になりましたあ。彼らの怨念が、仏像に埋め込まれていた宝石に集まったんですう。その石を手にした人は、呪いでインド人のように真っ黒な魔物になっちゃうんですう。早苗は魔物を操る術を知っていますからあ、せいぜい役に立ってもらいますう!」
 早苗ちゃんの話は、ほとんど耳に入らなかった。
 ただ、彼女がおかしくなってしまった。そのことに愕然としていた。
 わたしは早苗ちゃんと何度も会ったし、彼女のことはよく知っている。こんな演技ができるような子じゃないのに……。
「さ……早苗ちゃん……」
 わたしはふらつきながらもなんとか立ち上がろうとする。倒れそうになったけど、赤井さんが支えてくれた。
 早苗ちゃんは赤井さんを見ると、首を傾げる。
「それで、あなたは誰なんですかあ? どこかで会ったような気がするんですけどお~」
「……奇遇ね。私もよ」
 早苗ちゃんをねめつける先輩。
 しばし、二人は無言で睨み合った。辺りの空気が張り詰める。
 その緊張を破るように早苗ちゃんはクスッと笑い、
「まあ誰でもいいですけどお。どのみちあなたなんかに、早苗を止めることはできないですう」
 傍らの魔物が、彼女を肩の上にひょいと抱きかかえる。
「それでは皆様、ごきげんよう~」
 早苗ちゃんはわたしたちを見下しながら言い残すと、魔物は彼女を抱えたまま跳ぶように走り去り、庭園の森の中へ消えていった。
 わたしは力なく、その場に崩れ落ちた。
「一体……なんで……。早苗……ちゃん……」
 もうわけがわからない……。どうしてこんなことに……。
「危ないところだったわね。この『印』がなければ、あなたは魔物に成り果てていたところよ」
 印……?
 赤井さんは、何か星型の銀色のものを手に持っている。あれをさっき頭に乗せてくれたんだ。不思議な力を持った、お守りみたいなものなのかな。
 彼女が助けに来てくれなかったら、今頃わたしは……。考えただけで身震いがする。
「ありがとうございます……。すみません、わたし、赤井さんの言うことも聞かないで……」
「済んでしまったことは仕方がないわ。後のことは私に任せなさい」
 彼女が何者なのかわからないけど、不思議な力があるのは確かだ。わたしにはそんな力もないし、ほんとに赤井さんに任せるしかないんだけど……。
 去っていく彼女の背に、声をかけた。
「あ、あの! さ、早苗ちゃんは……も、元に戻せるんですか」
 彼女は歩みを止め、振り向かずに言う。
「……明日、本人に会えばわかるわ」
 その言葉が気になって、その夜はなかなか寝付けなかった。

黒い魔物

 翌朝、わたしはいつもより早めに学校に向かった。早く早苗ちゃんのことを確かめたくて、落ち着かなかったのだ。
 わたしは二年生の教室に向かう。
 そのとき、廊下で後ろから声がかかった。
「あれ、芳乃さん?」
 振り向くと、ちょうど登校してきた早苗ちゃんがいた。
「さ、早苗ちゃん!」
「おはようございます、芳乃さん」
 彼女はにっこり微笑んでお辞儀した。何事もなかったようにいつも通りの態度で、わたしは戸惑う。
「お、おはよう……。そ、その……昨日のことなんだけど……」
「え? ああ、昨日はちょっと体調が悪くて、登校できなかったんです」
「……え?」
 早苗ちゃんは昨日、登校してない……?
「う、うそ!? だ、だって昨日の朝、わたしと校門で会って、手紙くれたでしょ!?」
 わたしは思わず彼女の肩を掴んで揺さぶっていた。
「え、え? い、いえ、ですから昨日は学校に来ていませんって……」
「そ、そんな……」
 じゃあ、昨日わたしと会ったのは。
 わたしを魔物にしようとしたのは……一体、誰……?
 わたしは昨日一日、夢でも見ていたのだろうか。
 それとも、昨日一日が夢だったのか。
 考えてみれば、謎の上級生とか、黒い魔物とか、非常識なことばかりだったし……。
「あの、芳乃さん……? どうかしたんですか……?」
 早苗ちゃんが、心配そうにわたしの顔を覗きこむ。我ながら怖い顔をしてたかもしれない。
「あ、う、ううん、な、なんでもないよ、あはは……」
 無邪気な早苗ちゃんの顔を見たら、なんだかほっとした。
 そうだね、あれは悪い夢だったんだ。夢と現実がごっちゃになってるんだ。
 だいたい、あんなこと起きるわけないもんね。
 目の前の早苗ちゃんも、おかしくなったりなんかしてない。
 気がついたら、わたしは早苗ちゃんを抱きしめていた。
「よ、芳乃さん……!?」
「良かった……早苗ちゃんが無事で……」
「え、え……?」
 目を閉じて、彼女の温もりを確かめる。
「よ、芳乃さん……! あ、あの……!」
「ん? なあに?」
「は、恥ずかしいです……」
「え?」
 見ると、早苗ちゃんは真っ赤になって俯いていた。
 周りの子がみんなこっちを見て、ひそひそ話したりしている。
「わあ! ご、ごめん!」
 わたしは慌てて腕を放す。
「い、いえ……で、では……」
 早苗ちゃんは顔を鞄で隠して、急いで自分の教室へ走り去ってしまった。
 残されたわたしも、周囲の視線から逃げるように階段に向かった。
 わたしは早苗ちゃんが無事だったことが嬉しくて、つい抱きしめちゃったけど。
 事情を知らない彼女には、別の意味に勘違いさせちゃったかも知れない……。
「ひゃあ~」
 改めて思い返すと、顔から火が出そう。
 わたしったら公衆の面前でなんてことを!
 こういうことは瞬く間に噂になって、学校中に広まってしまうのだ。
 わたしは構わないけど、早苗ちゃんに迷惑をかけてしまう。
 どうやって責任を取るべきか、公式に姉妹を宣言するべきか……そんなことばかり考えて、やっぱり授業は上の空だった。
 
 だけど、その夜。
 のぼせていたわたしの頭に、冷水が浴びせられた。
 怪人が出没したとのニュースが、ラジオで放送されたのだ。
 宝飾品店のショーウインドーを破り、二万円相当の金塊を奪い逃走。
 怪人の事件自体は珍しくもなかったけど、問題はその外見だ。
 全身が真っ黒で、顔には歯だけが光っていたという。
 まさか、これは……昨日、わたしから生まれた、黒い魔物……!?
 じゃあやっぱり、あのことは本当に起きて……でも、それならあのときの早苗ちゃんは……!?
 何もわからないわたしは、ただ不安と恐怖に怯えるしかなかった。
 ……そうだ、赤井さんだ。あの人なら、きっと色々知っているはず。
 会わなきゃ。会って、話をしなきゃ……!
 
 翌日、わたしは赤井さんに会おうと試みたけど、先生に聞いても、五年生にそんな生徒はいないとのことだった。
 どういうこと? うちの制服を着て侵入したってこと? ますます謎は深まるばかり。
 それでもわたしは放課後の学校中を走り回って、赤井さんを探した。
 あの人しか、真相を知っている人はいないんだ。
 走り疲れたわたしは、息を切らせて、壁にもたれかかった。
「赤井……さん……」
 あの人だけが、頼りなのに。
「呼んだかしら?」
 そのとき、澄んだ声が、すぐ側で聞こえた。
「……え?」
 振り向くと、彼女はそこに立っていた。
「あ、赤井さん!」
 わたしは疲れも忘れて駆け寄る。
「も、もう、探したんですよ!? わたし、赤井さんに聞きたいこといっぱいあって──」
「落ち着きなさい。……あの黒い魔物のことね?」
「は、はい。あの、やっぱりラジオで言ってた怪人って……?」
「ご明察。あのとき、あなたから生まれた魔物よ」
「……!」
 予感していたこととはいえ、はっきり答えられると愕然とした。
「……そ、そう……ですか……」
 どうしよう。わたしから生まれた魔物が、街を襲っているなんて。
「わたしは……わたしは一体、どうしたら……」
「そうね、あなたにも責任はあるわ。私の忠告を無視したせいでこうなったのだから」
「あ……」
 赤井さんは冷たく言い放った。だけどそれは紛れもない事実だ。
「責任を感じているのなら、ついてきなさい。あなたにも手伝ってもらうわ」
 そう言って背を向け、歩き始めた。
 わたしは少し緊張しながら、彼女の後に従った。
 彼女は一体、何者なんだろう……?

旧神の印

 わたしたちは学校を出て、そのまま水道橋方面に歩いていった。
 神田川に沿って進んでいくと、左右の翼棟が前に突き出ている、特徴的な建物が見えてきた。
 彼女の学校かと思ったけど、どうやらアパートのようだ。エレベーターまであるし、なんだか高級そうな所だけど、わたしなんかが入っていいんだろうか?
 赤井さんについておずおず進むと、やがて彼女は一室のドアの前で止まった。
 表札に「明智探偵事務所」と書いてある。
「え──!?」
 探偵事務所って……あの事件のことを、探偵さんに依頼する気なの!?
 と思ったら、彼女はドアを手持ちの鍵で開けてしまった。
「入って」
「え、え? お、おじゃまします……」
 なんで赤井さんが、探偵事務所の鍵を持ってるの?
 わたしは西洋風の調度品に囲まれた、立派な客間に案内された。
「座っていいわよ」
「は、はい……」
 彼女はコーヒーを淹れてくれているようだ。
 わたしはどっしりとしたソファーに、そわそわしながら座って待った。
 やがて彼女は、二人分のコーヒーを持ってきて、テーブルに置いた。香ばしい香りが、クラシックな空間に広がる。
「あ、あの……赤井さんのお父さんって、探偵さんなんですか?」
「ちがうわ」
 彼女はわたしに向き直り、真顔で言った。
「私が探偵なのよ」
「へっ……?」
 彼女は冗談を言ったのだろうか?
 わたしが聞き返そうとすると、突然強い光が視界を覆った。
「きゃ──!?」
 一瞬、何が起こったのかわからなかった。
 目を凝らすと、服を含めた彼女の全身が銀色に輝いている。そしてその輝いた身体が……縮んでいく!?
「え……」
 そこに現れたのは──黒い帽子とコートの、小さい女の子。あの夜、わたしにピストルを向けたあの子の姿だった。
「ええええ!?」
 わたしはソファーがひっくり返りそうになるほど驚いた。目の前で人が変身してしまったことにも、赤井さんがあの子になってしまったことにも。
「あ、あ、赤井さんが……」
 彼女は帽子とコートを脱ぐと、わたしの向かいのソファに腰を下ろした。
 子供なのに堂々とコーヒーを飲み始めたけど、落ち着いた態度のせいか、なぜか違和感がない。
「あれは私の変装だよ。校内で君に近づくためのね」
「で、でも今の、どうやったの……!?」
「私は魔法使いなんだよ」
 一言で説明された。
 手品って意味じゃないんだろうな……。なんというか、科学や常識では説明できないような、不思議な力だろうか。
「表札の通り、私はこの事務所の所長、明智サトリだ。改めてよろしく、小林芳乃君」
「は、はあ……」
 わたしはまだ開いた口が塞がらない。
「な、何であなたみたいな子供が、探偵なんか……? 魔法使いだから……?」
「まあ、そういうことになるな。魔法使いでもなければ、怪人に対抗できないからね」
 そしてなにやら彼女は不機嫌そうにわたしを睨む。
「それと言っておくが、私はこれでも大人だ。少なくとも君よりは長く生きているつもりなんだが」
「う、うそお!?」
 確かに喋り方とかは、その年齢の子供とは思えないけど……。むしろ、女性ですらないんですけど。
「そういえば、なんでサトリちゃんは放課後に、学校の外にいたの?」
 まるでわたしのことを待っていたようだった。
 彼女はコーヒーを置いて、ため息をつく。
「君より年上と言ったはずだが……まあいい。詳しい説明は省くが、つまり……君は生まれつき怪人になりやすい体質なんだ」
「な、なにそれえ!?」
 これまでの16年間、特に重い病気にもかからず、健康に育ってきたはずなのに……。
「まあこればっかりは運が悪いとしか言いようがないね」
 神様、あんまりです。
「わたしは君が危険な存在かどうか確かめたが、無害そうなので放っておくことにしたんだ。ところが……翌日、ある怪人を追っていたところ、女学生に変装して君の学校に向かっていくではないか」
「ええっ!?」
「だから私も女学生に変装して、後を追った。すると怪人は、君に接触し、何かを渡していた」
「! そ、それって、早苗ちゃん!?」
「君も翌日にわかったと思うが、あの日羽柴早苗は学校を休んでいた。あれは怪人の変装した偽者だったというわけさ」
「そ、そうだったんだ……」
 どうりで、彼女の言動が別人のようだったわけだ。
「私は赤井と名乗って君に忠告したが、君はあっさり無視した。その結果がこれだよ」
「……うう……」
 わたしは言い返せない。せっかくのサトリちゃんの行為を無駄にしてしまったのだから、怒られて当然だ。
「私は奴を追ったが、奴も私に気付いていたらしく、巧みに逃げ回った。放課後、庭園でようやく君達を見つけ、君と魔物を分断したというわけさ。ただ結局君の体質を利用して、奴は黒い魔物を生み出してしまった」
「なんであんなものが、わたしの中から……?」
 わたしは思い返しただけでも身震いがする。
「あの魔物は、正式名称を『ショゴス』という。地球上のあらゆる生物のもとになったという古代生物だよ。君の細胞に眠る太古の記憶が呼び起こされたとでも言うべきかな」
「は、はあ……?」
 そんな生き物、図鑑でも見たことないんですけど……。
「それより、また街で暴れるかもしれないよ? サトリちゃんの魔法でなんとかできないの?」
 彼女はかぶりを振った。
「見つけられさえすれば退治もできようものだが……そもそもこの帝都のどこに隠れているか、どこに現れるか、いつ現れるか。まったくわからないので捜査のしようがないんだよ」
「そ、そんな……」
「しかし、君が協力してくれれば話は別だ」
 サトリちゃんは立ち上がり、わたしを指差す。
「え?」
「君から生まれ出たあのショゴスは、君とはいわば親子の関係にあるんだ」
「な、なんかやだなあそれ……」
 あんな不気味な怪物と親子だなんて、考えただけでも鳥肌が立つ。
「従って、君が感を研ぎ澄ませば、居場所くらいはわかるかもしれない」
「そ、そんな簡単に……?」
「目を閉じて、しばらく精神を集中してみたまえ」
「う、うーんと、こうかなあ……」
 半信半疑で、言われた通りにしてみる。
 …………。
 ………。
 ……。
 一分後、わたしの意識は闇に落ちていた。
「ぐう……」
 パシン!
「い、いた~い!」
 サトリちゃんは容赦なく、わたしの頬を平手打ちしたようだ。
「君には本当に手伝う気があるのかね……?」
 うっ、殺気が……。
「だ、だって、わたし最近色々あったから寝てなくって……」
「……ふむ。まあ、その方が好都合かもしれないね」
「え?」
「寝室のベッドでしばらく休んでいたまえ。その間に君専用の『印』を作っておくよ」
「う、うん……」
 怪人とか、魔法とか、小さな探偵さんとか……常識から外れたことが立て続けに起こって、結構疲れているのかもしれない。
 とにかく今はサトリちゃんだけが頼りだし、彼女に任せるしかないよね……。
 普段彼女が使っていると思われるベッドは、大人用のものだから狭くもなく、ふかふかで快適だった。
 電灯を消し、横になって目を閉じると、すぐにまた、わたしの意識は闇に沈んでいった。
 
 それからどれだけの時間が経ったのだろう。
「ん……」
 わたしはうっすらと目を開けた。十分眠った感じがする。
 この部屋には窓がなかったのでわからないけど、時間からしてもうとっくに日は暮れているはず。一応、家に連絡しないと……。
 身体を起こし、電灯を点ける。
 その場でぼーっとしていると、誰かがパタパタと走ってくる音。
「あ、起きた!」
 弾んだ声の持ち主が、寝室に入ってくる。
「どう? 疲れは取れた?」
「え──」
 そこには、わたしがいた。
 制服を着たわたしが、わたしを見て微笑んでいる。
 …………。
 ええと、わたし、まだ寝ぼけてるのかな?
 目を擦って、もう一度見てみる。
 やっぱり、わたしがいる。
 彼女の腕を掴んでみる。
 ちゃんと感触がある。
「ひ……き……きゃああああ!」
 わたしは思わず後ずさった。
 な、なんなの、なんなのこれ!?
「あはは、もう芳乃ちゃんったら、そんなに怖がらなくてもいいじゃない♪」
 もう一人のわたしはわたしを見てクスクス笑い、わたしに近づいてくる。
「い、いや、こ、来ないで……!」
「あはは、あははは……!」
 彼女は無邪気に笑いながら、わたしに手を伸ばす。
「いやあああ!」
 すると、彼女は急に咳払いをし、冷めた表情になる。
「やれやれ、まだ気付かないのか、小林君」
「え……?」
 彼女の身体が銀色に光る。
 そして、サトリちゃんが現れた。
「あ……」
 そ、そうか。サトリちゃんがわたしに変装してただけだったんだ。
 寝起きでそこまで頭が回らなかった。
「も、もう! お、おどかさないでよ!」
 さすがに私は怒る。まったく、いたずらにしてはたちが悪すぎるよ。
「ハハハ、なかなか面白い反応だったよ」
 彼女は満足そうに笑って寝室を出て行く。
 こ、この子、人をからかうなんて……。
 でも今ので、すっかり目が覚めてしまった。
 わたしは客間に戻ると、サトリちゃんから『印』を受け取った。
 見た感じはそんなに奇妙でもない、銀色に輝く星型の髪飾りだった。
「このお守りも、やっぱり魔法がかかってるの?」
「そうだ。君を怪人にならないようにしておく魔除け──私の魔力を込めて作った、『旧神の印』だよ」
 魔力って……どういうことだろう?
「頭に付けて、目を閉じ、精神を集中したまえ」
「う、うん……」
 わたしはとりあえず言われたとおりにしてみる。
「あの黒い魔物──ショゴスは、どこにいる?」
「え? そ、そんなのわかるわけ──」
 そのとき、何かの音が聞こえた。
「あっ!?」
 微かだけど、確かに音が聞こえる。ずるずると這うような音。後頭部右の方向。
 わたしは目を開けてその方向を確認したけど、当然視界には何もいない。
「こ、こっちの方向に何か音が聞こえたよ!?」
「ふむ、上出来だ。これで君をコンパスにしてショゴスの居場所を掴める」
 彼女は玄関に向かうと、掛けてあった帽子とコートを取った。
「それでは、行くぞ」
「え!? ま、待って!」
 わたしも慌てて準備をする。
 家にも電話をしておかなきゃ。今夜は……友達の家に泊まるって。


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