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本がよくわからない小学生

私が本を読むきっかけを書こうと思う。

「本を読む人って不思議」
そう思っていたのが小学生の頃。
小学生といえば夏休みなどに、図書の本を何冊か借りていかないといけなかったが、その時選んでいた本は大体かわいい動物の写真の入った本だった。たまにタイトルに惹かれて読む本を借りた所で、ページをめくらず返すのが当たり前で、なんで本を借りなきゃいけないのかわからなかった。
同級生の何人かは本当に本を読んでいて、夏休み中に借りる本を選ぶのに真剣な姿を見ていては「みんなエライなー。」なんて程度に思っていた。本は面白くない。読書なんて根暗だ。何となくそう思っていた。

手塚ワールドの高校生

読書家になるにはまだまだ先だが、とても印象的な本に出会ったのはこの頃で、多分今でも私の感性に何かしら作用している。それは手塚治虫の本だった。

「火の鳥」
「ブラック・ジャック」

漫画だから読み始めたのだけど、内容は皆さんご存知の通り、内容が深い。
「手塚の世界に一度引き込まれると、なかなか抜け出せない」と誰かが言ってた言葉が、頭が痛い程良くわかった。というか、これらの本を読んでいるときは本当に頭が痛くなった。特に「火の鳥」は高校生という年齢で、理解しきれないものが多かったと思う。それとも多感な時期に読んだから、衝撃が大きすぎたのか。ともかく引き込まれるように読んで、なんだか心が重くなって、よく説明できない手塚ワールドの中でグルグルしたまま高校生活は終わってしまった。
というよりも、高校時代にまともに読んだ本はコレぐらいしかなかったというのが実情だった。

ちょっと芽が出始めた大学時代

さて大学時代になると、本を少し読むようになった。
そうゆうも、実際本を触れるようになるのは大学3年あたりから。私の読書年齢はだいぶ遅咲きだと思う。それでも「その子なりの時期が来たら、本ぐらい読むようになるよ」と伝えたくてコレを書いている。

大学の図書館はとっても大きい。本当に。
小学校や中学・高校の図書館はなんだったんだ!というぐらい蔵書数も多いし、なんせ規模が違う。こうゆうところはお金の集まる大学のいいところだと思う。それで手にとって本は、メジャーな小説とかじゃなくって、単行本で社会学やらレファ本、情報本といった部類で、後から思うとビジネスマンが買ってそうなものばかり好んだ。
図書館のいいところは、言わずもがな、お金のかからないことだけど、それを利用して航空写真集やグッドデザイン賞歴代の写真集なんかも借りては堪能していた。そうして図書館を通して本を読む癖がついてきた頃、お金を出して本を買うようにもなってきた。

大型の本屋に行って、一番先に足を運んだ分野は「ビジネス」。
別にバイトを頑張っていたわけでも、社会人になって儲けてやろうとかそんなのちっとも思っていもいないのに、そんな本を読むのが好きだった。たまにその近くにある教育論やグーグル論のたぐいも手にとったりして、買っていたけど、大学の学部にも全く関係のないこの分野に、何を思ったか興味を惹かれた。お陰で当時流行っていたサブプライム問題も本を通じて理解することができたが、それが現実的に役に立ったことは未だに無い。

そう、本を読んで役に立つことがあまりない。未だに。でも、読んだ本を役に立つときって「あ、読んでてよかった」ってわかることも少ないと思うから、あまり気にしない。ともかく心引かれるままに読んで、そして飽きた。
あんなに一生懸命本を読んでいたのに、突然飽きた。そうしたらしばらくは読まない。あの本の情熱はなんだったんだ、と自分でも感じながらしばらく飽きては、また読みだしてを繰り返していた。

そうして読んだ本は、そう多くない。なんせ大学の授業もなかなか忙しかった。資格学科だったので、卒業間近にある国家試験に余念がなかった。そうして受験モードに入ると、何も手につかず、そのまま卒業を迎えた。
読んだ本は多分40冊あるか、ないか。それでもお気に入りの本棚がいっぱいになったので、私自身なんだか満足であった。

勧められた社会人

社会人になると忙しくなった。勿論本なんて考えもしなかった。
本を再び手にとったきっかけは当時の彼氏であるが、なんと苫米地英人さんのファンで、その人の本を買って読ませてくれた。
今でこそレファ本的な本が多かった著者だけど、当時発売された「お釈迦様の脳科学」や「脳はなぜ神を創ったか」などは目から鱗だった。それから目から鱗ものが欲しくなって、少し買いあさった。

「なるほど、世の中こうなっているんだ。こう考えればいいんだ。」
そう感じるのが楽しくて仕方なかった。この頃は平積みに流されて、話題の本とか成功者本(ビジネスの類好きは治らず)を中心によく本を買った。ただ単行本を中心に買っていたので1冊数千円の出費は痛かったが、それを痛いとも何も思わず「必要経費」と考えていたので、本がどんどん増えていった。
増えたといっても月に数冊増えたら多い方だったので、そんなに本も読書も多くなかった。いつものように気になっては読み、飽きてはやめて、また気になって読んで・・・を繰り返していた。

通勤スタイルも多少関係していた。1時間超えて電車通勤していたので、これまた当時の彼が「電車の時間をどううまく使うかが、苦痛になるかならないか左右するよ。だから読書なんてどうかな。」と進めてくれた。結果、電車の中で本を読むときもあれば、音楽を聞くこともあり、携帯をいじることもあり。何パターンか作った電車スタイルをグルグル回し、読みたい本があった時だけ、電車スタイルは本モードになっていた。

きっかけは本の最後

皆さんそれぞれに本を読むきっかけというのがあったと思う。私は今まで書いたとおり、本を読む時もあるんだけど、趣味をはいかない読書を続けていた。「趣味とはいかない」と書いたが、実際就活中の趣味の欄にはバッチリ”読書”と書いた。だって、それしかなかったから(笑)

読書が晴れやかに”趣味”にランクアップしたのは社会人4年目を迎えようとしていた正月。ぷらぷらと本屋に向かった。
その本屋はこの地域一帯の一番の大型書店で、ともかくいろんな種類の本があったし、なによりちょっとおしゃれな雰囲気や、ところどころに椅子があってゆったり本が選べた。そうゆう本屋は結構当たり前だけど、この地域にはここにしか無い。その雰囲気につられて、その日も出かけた。

手にとった本はいわゆる新書。売れ筋の棚から手にとった。なんと帯びには何重万部突破と輝かしいことが書かれていた。
「売れてるから、面白いに違いない」
まんまと出版社の鴨になり、そして買って、いつものように電車で読んだ。

その本は本当に面白かった。いわゆる宗教学の本なんだけれども、自分が今までかじりたかたけど、触れられなかった分野であること、わかりやすかったこと、目から鱗であること。この3拍子が揃ったその本に出会えて良かったと、何かに感謝した。そしてその余韻に浸っているときにふと最後のページを開いた。その本は講談社現代新書だったが、この最後のページこそ、私を読書家にしたきっかでである。

皆さんご存知の『「講談社現代新書」の刊行にあたって』は「教養は万人が身をもって養い創造すべきものであって~」から始まる。その一文は私の中に「教養」という分野を作った。また「講壇からの天下りでもなく、単なる解説書でもない、もっぱら万人の魂に生ずる初発的かつ根本的な問題をとらえ~」あたりで胸が熱くなり、講談社現代新書さんのファンになると共に、教養という分野を手に入れた私は、そこに詰め込むために読書を積極的に選ぶようになった。

そこから読書生活の始まり。本屋に足をのばすだけではなく、アマゾンを使ったネットショッピングの金額も大幅にアップ。アマゾンで本を買うことのメリットは、まずレビューを参考にできること、自分の興味を持った本から関連した本が探しやすいこと、中古で買うと安くすむことがあり、積極的に本を増やし、読んで、いつのまにやら月10冊以上読書するようになり、趣味となった。

先に講談社現代新書のファンになったといったが、選ぶ本は出版社を選ばず読んで、興味が湧いたから読書ではなく、教養を身につけるための読書となってから、本の幅も一気に広がった。経済・哲学・政治学など新書を中心に読み進め、何かの本のススメで古典に手を出し始め、こうなると読む分野は広がるばかり。
そうして今は、視野を広げるための目的のもと、いろんな本を読むようになっっている。ある本が思想分野へのきっかけになったりというように、きっかけがきっかけをよんで、1ヶ月前の自分が違ったように感じる日々です。

読書のきっかけ、何かのきっかけ、そうして新しい自分に出会えるように。
これからも素敵な自分に出会えますように。


この本の内容は以上です。


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