閉じる


<<最初から読む

3 / 3ページ

 ぱっとしない日々の延長線上でぼくは高校三年生になり、気がつくと受験の話題に包囲されていた。
 ある雨の日、かつての恋人に学校の廊下で呼び止められた。G・Gがまた粛正を実施したのだという。へえ、とぼくは返した。
「おじさんからは連絡あった?」
「無いよ、つうか関係ないし」
「あんなに好きだったのに」
「昔の話だって。だいたいあんなの嘘ばっかだよ。せいぜいただの偶然。ネットで調べりゃ同じ誕生日なんてゴマンといるし、そもそもあの人のことは本人の証言しかないわけだしさ」
 夏が来て、秋になった。成績はなんとか持ち直し、その努力を認めてくれたのか、担任に推薦入学の話を持ちかけられた。ぼくは飛びついた。東京の大学で、一応の試験は受けたものの楽勝で、十一月の半ばには進路が決定した。
 不意に受験勉強から解放されると、卒業までの暇な数ヶ月をどう過ごすかが新たな問題となった。
 なにもしないうちに、季節は冬になった。寒いし、目的も無いから、外へ出ることもない。
 ゆるみきった暮らしぶりを見かねた母にアルバイトを勧められ、近所のコンビニで働くことになった。昼間は学校があるので平日は深夜シフトにしか入れない。深夜の主要業務は暇つぶしで、母の目論見もむなしく、ぼくの毎日は余計に精彩を欠いていった。棚に並ぶ雑誌類が毎日のように新しくなっていくのが救いだった。漫画誌や男性誌はもちろん、父の鞄に見かける週刊誌も読んだし、レディスコミックにも手を出した。
 G・Gの訃報にぶつかったのも、バイト中のこと。店内の清掃を終えたあとで総合誌の「世界のニュース」のページで「独裁者G・G自殺」という見出しを発見した。短い記事なのに、そこから先を読むことができなかった。レジ前の壁に背をあて、雑誌を手に持ったまま、店の入口へ視線を飛ばした。車の一台も通らない、真っ暗な道路。誰か、誰でもいいから誰か。しかし、客はひとりも現れないまま、入口のガラスには自分が映り込んでいるだけだった。
 ぼくは再び機械式の糞重たいモップをバックヤードから引っ張り出してきて、二度目の清掃を始めた。念入りに床を磨きあげていく。普段の倍、三十分以上もかかった。それでもなお客はひとりも現れず、入口付近を掃除していると、ぼくを客と取り違えたセンサーが何度もチャイムを鳴らした。
 午前四時をまわった。ぼくは再びレジの前に陣取り、さっきのページを開いた。
 自宅マンションの屋上からG・Gは飛び降りた。夜明けのころ、車寄せに降ってきたG・Gはベンツの屋根の上で即死。国民は歓びに沸き返っているそうだ。ぼくが興味を失っているあいだにG・Gは大統領の座を追われていた。その死に不審点は残るものの、自殺として片付けられるだろうと記事は結んでいた。
 午前六時にバイトを終えて自宅に戻ると、リビングに置かれたパソコンをたちあげて情報を捜しまくった。相変わらず、G・Gについて日本語の情報は少ない。おじさんの名前も検索してみたが、大阪のラジオ局や議員時代の資料が引っ掛かるばかりだった。出勤の支度で慌ただしい母が今日の天気はどうかと訊ねてきた。「晴れ」とぼくは即答した。
 まるで落ち着かなかった。学校へ行くことさえ忘れていた。気がつくと正午で、外は雨が降り出していた。G・Gの死は、そのままおじさんの死を意味するのか。まさか。ぼくは頑張って笑ってみたが、乾いた声が漏れるだけだった。どれほど悩んだところで答えの出る問題でもない。掃除でもしよう。次の春には東京で一人暮らしを始めるのだから、本格的に片付けておこう。そう決意して押入を整理していると、宝の地図が出てきた。方眼紙一枚に手描きで記された地図が。
 簡単な書き置きを残してリュックひとつで家を出た。郵便局で貯金をおろし、空港に向かう。北海道に初めて降り立ったぼくは真っ先にインフォメーションカウンターへ行き、道順を訊いた。駅まで移動し、そこから特急列車に乗るのがいちばんいいと教えられ、指示通りに動いた。特急の出発までの時間に駅ビルの雑貨屋でマグライトとガーデニング用のスコップを買った。列車に乗る前に自宅へ電話をかけた。母が出て、今夜は友達の家から直接バイトに行くから、と書き置きと同じことを伝えた。それより雨が降ったじゃない、と叱られた。
 列車のなかでおじさんの地図を開いた。その公園には小さな博物館と天文台が並んで建ち、建物の裏には広大な林が広がっている。おじさんは、林のちょうど中心あたりに「×」の印を書き込んでいた。
 駅を出ると薄く雪が積もっていた。ちらちら、雪が降っていた。午後八時。タクシーに乗り、行き先を告げる。明るいのは駅の周辺だけで、店の類はほとんど見当たらず、民家やアパートが互いに距離をおいて、ほのかなあかりを灯していた。十分ほど走ったところで車は停まり、料金を払って降りた。
 雪はやんでいたが、公園の入口にも薄く積もっていた。外灯がところどころに設置してはあるものの、平坦な芝生がどこまで続いているのかわからないまま、ぼくは歩き出した。やがて案内図を見つけ、おじさんの地図を取り出し、博物館と天文台、その背後にある林の位置関係を確かめた。冷気にさらされた指が、錆びた機械みたいにぎしぎしと音をたてる。公園内の道はレンガが敷き詰められていて、ぼくは視線を落としたまま、ポケットに両手を突っ込んで歩いていった。吸い込む空気がいちいち氷のようで、耳の縁は強い痺れにちぎれてしまいそうだった。
 博物館の入口に続くレンガ道をはずれ、建物を左にまわりこんだ。ドーム状の屋根が見えるとそこで足を止め、マグライトと地図を取り出した。ドーム状の屋根は天文台併設のプラネタリウム室のものだろう。外壁には星図が描かれている。おじさんの地図には「スピカから始めろ」と指示があった。壁からすこし離れ、光をあてた。乙女座の持つ穂の先っぽを照らしてその前に移動し、向きを変えて歩き出した。林の始まり、一本の木に黄色のリボンが結ばれていた。近づいて光に照らして見ると、まだ新しいものだった。おじさんと無関係のものだろうか。推測しながら周囲を照らしていくと、奥の木にまた同じリボンが結ばれているのを見つけた。そうしてリボンの印をいくつ進んだろうか。林の奥で、背の高い木々の中に一本だけ、背丈一メートルばかりの細長い板が地面に突き刺してあるのを見つけた。そいつを抜き取り、スコップで土を掘り返すと、思いのほかやわらかく、素手で掘れそうなほどだった。誰かが最近掘り返したのだろうことはすぐに見当がついた。
 スコップの先端が何か探り当てた。残りの土を素手でかきわけ掘り返した。
 出てきたのは、蔦植物の装飾を表面に施した木箱だった。一辺が三十センチ、深さが十センチほどの箱で、持ち上げてみると馬鹿に軽い。土を払いのけ、すぐにでも中を確かめたいのに、そうはしなかった。掘り返した土で穴を埋め、林を出て、星図の描かれた壁にもたれて腰をおろし、足の上に箱を置いた。蓋の留め金に、かじかんだ指先を添えて目を閉じる。留め金のはずれる音。冷えきった皮膚に、硬い痺れが刺さる。勢いを殺がれないうちに蓋を持ち上げた。中には一冊のノートと、黄色のゴムボールがひとつ。ノートは汚れていた。ボールのほうは、たったいま入れたばかりというふうに真新しかった。
 駅前のビジネスホテルでぼくはまずシャワーを浴びた。着替えを持ってきていなかったので、備え付けのバスローブを羽織ったあとに、エアコンの温度を目一杯あげた。なかなか震えが去ってくれず、毛布で全身をくるんでから、ようやく、ノートを開いた。
 真ん中に線が引かれ、左におじさんの、右にG・Gの出来事が記されている。僕が見たのとは別の一冊。おじさんが貰い物の白桃ゼリーを食べた日、G・Gは友国を訪ねて特産品の桃を食べていた。おじさんが財布を失くした日、G・Gの腹心だった経済学者が心臓発作で息を引き取っていた。
 最後の記録は、その年の六月の出来事だった。G・Gは三度目となる、大規模な粛正を実行していた。
 左側は、空白だった。

 翌朝、早くに空港へ向かって始発便に乗った。黄色の、真新しいボールをずっと握りしめていた。それは、失敗の証だ。僕がお祝いの十万円を宝探しに使っていたら、箱の中に何を見つけたのだろう。今となってはおじさんしか知らないこと。ぼくは、完全に出遅れた。
 飛行機では、座席の前方に設えられたスクリーンにNHKの映像が流れていた。朝のニュースを録画したもので、いくつかの国内ニュースに続けて海外の祭の様子が映し出された。石造りの街の一角で派手な衣装をまとった一群がパレードを繰り広げ、左右の建物の窓という窓から人々が顔を、腕を出し、原色の紙吹雪をばらまいている。イヤホンをつけていなかったので、どこの国のなんの催しかも判然としなかった。始発便は客も少なく、ぼくの周りは空席ばかりだった。機体が滑走路へ向けて動き出すと、乗務員も各々の席に座った。それでようやくぼくは泣いた。離陸して、頭上のランプが消えるまでの短いあいだ、泣けるだけ泣いた。

 それからの数日、ぼくは家から出なかった。風邪をこじらせたと嘘をつき、学校もバイトも休んだ。何度か、母に伝えようと思った。おじさんはもういないのだと。悲しむだろうか。それともぼくがおじさんの影響を受けすぎだと言って叱るだろうか。
 家にひとりだった昼下がり、かつての恋人から電話がかかってきて、会いに行ってもいいかと訊かれた。
 部屋に迎え入れると、彼女はトートバッグからクリアファイルをひとつ取り出した。ネットのページを印刷したものが何枚か挟まれていた。
「死んだね」と彼女は言った。「おじさんから連絡あった?」
「ないよ」
「じゃあ、やっぱりおじさんが背負ったのかな。ねえ、いまからでも捜索したほうがいいんじゃない?」
「は? なにそれ。つうかそもそもなんで信じてんの? ただの与太話だよ。真に受けたりして、どうかしてるって」
「違う、そうじゃないよ。わたしが信じてるのは二人の間の関係とかじゃなくて、おじさんがそれを信じてるんだろうってことだから。こんなこと言うべきじゃないかもしれないけど、G・Gが何をやったのか知ったあとで真似するのは難しいことじゃないし、ノートに書くなんて幾らでも細工できる。最初のひとつかふたつは本当に偶然が重なったのかもしれないけど、誕生日とか、名前とか。でも、そこから先は」
「どうでもいいよ、そんな話」
「でも、そのためにおじさんが敢えて音信不通にしたって考えるのは理に適ったことだと思う。G・Gの暴虐は長いこと続いてた。止められるのが自分だけだと信じてたら、なにをするか……」
「違うよ」
「え?」
「あの人は、そんなんじゃない、あの人は……」
 言葉がつかえた。
「なに? やめないで、ちゃんと話してよ」
「嘘つきだよ。ただの、嘘つきだ」
「そんなの、自分だって信じてないくせに」
 彼女が帰ったあと、置き去られた資料に目を通したが、桃の話も学者の話も見当たらなかった。
 英字新聞の隅に掲載された、G・Gの甥が泣いている写真を見ながら、ぼくは考えた。いつか会ってみたいが、そんな日は来ないだろう。なにしろここに行くことさえできないのだ。
 そのとき、不意にひらめいた。国交を開けばいいのだ。ぼくが、自分で。
 子どもじみた、考えるまでもなく無理な道のりだが、またしてもぼくは、おじさんの言葉を信じることにした。

ー了ー

この本の内容は以上です。


読者登録

中山智幸さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について