日本民族のカルマ解放 1 渡来民族とは?
まず前提として、これからシリーズでお伝えする「日本民族のカルマ解放」の歴史調査の内容を読むと、あなたが生まれた土地や住む土地によって「違う!」と感じる方がいるはずです。
大事な事を守る為に、真実では無い情報を流して民衆に信じさせるのも、昔からある守りの術だからです。
だからこそ、ひとつひとつの正誤を問うのではなく、大切なことを生かす為に犠牲になった人たちの思いが隠れているという理解で読み進めて下さい。
(事前情報1)歴史認識のあらましを報告します。
難波宮メッセージ1
十二神官(人)は全て男であり、一人一人が干支の役目を持つ守り方をしていた。
宇意天番(宇宙に繋がる魂の意思を持つ人)に繋がるあなたは、いつも大いなる存在たちと対話する事で、大神の意思を伝えてくれているからこそ、私たちもあなた働きに力を貸そう。
天軸・地軸・中軸の繋がりは、いつの時代も最も大切な神祈りの方法だからこそ、それぞれの守りの役目の方たちは力を合わせて新しい統合・調和・産み出しをして欲しい。
それが私の唯一の願いです、どうぞ宜しくお願いします。
難波宮 メッセージ2
誰もがその名を呼べば震え上がるほどの力をもつ神がおられるが、その名を口にすることは代々、禁じられている。
天皇口上の中にある一人神事では、その神の名を呼び祈りを捧げる事が許されているが、伝承は全て口述のみであり、記述はない。
本来、神役目の大役を果たす者には必要な神が守り入り、導きをいたすが、必要な役目が終われば神は離れる。
こと新たに物事を始める時、その神の争いを起こさないように禊があるのだ。
身につまる神の思いをどうぞ感じてくれなまし。
(吉岡学 補足)
神の御心を大切に思う皆様はどうぞ自らの神を尊び、神に与えられた肉についた過去の思いの禊と共に、渾身なる思いで守っておられる土地の神々様をご鎮魂下さいませ。
(事前情報3) ※難波宮から移動した天皇の意思を確認する必要性
【平城京】
中国の長安城をコピーしたもの。大きさは1/4の大きさだけど、それを90度回転させて縦長にした形。縦長にしたのは大きく見せるため(権力とかも。海外から来た人にも大きく見せて力があるように見せる為)。場所は、陰陽道からで3方を山で囲んでる所。(矢田丘陵、奈良山、長田山)。
【藤原京】
日本で最初に出来た中国式の都城。ここでは宮殿を真中に置いた。完璧なコピーではない。
16年で放棄される。理由・・・遣唐使が30年ぶりに復活→長安城の素晴らしさ報告され、遷都を考える→平城京の藤原不比等(平城京のプロデュース)平城京作りに100万人の人が関わってる(当時日本の人口500万)近代化と権力を強めるため、強い国作りのため造られた。
技術は、長安城よりすごかったらしい。道のまっすぐさも素晴らしいく、長安城は1000年かけて造られた、平城京は50年で造られた。すでに造られてたものを藤原京から運んできたから短期間で出来た。
◆この頃、お金が出来る。「和同開珎」
◆乙巳の変(いっしのへん)・・・板蓋宮(いたぶきのみや)で蘇我入鹿が暗殺される。
○中臣鎌足(のちの藤原鎌足)・・・神社の神族の役割の一族。身分はそんなに高くない。
○蘇我氏・・・仏教で権力を広げる。天皇化をしのぐ力。蘇我蝦夷が息子の入鹿に紫色の冠をかぶらせる。紫は一番尊い色。天皇に関連している高貴な色。それをかぶせると言うことは、天皇を侮辱している。
だが、入鹿は女帝・皇極天皇と特別な関係となる。皇極天皇の息子中大兄皇子は怒る。この事に対して好機と思っていたのは中臣鎌足。彼は皇族と話す機会がなかったが、蘇我氏の横暴ぶりを話すチャンスが訪れる。
〜飛鳥寺で蹴鞠の儀式があった時に客席の方に蹴鞠が飛んでいき、その時に鎌足がひらい話した。その後談山神社の裏山で密談した。645年6月12日
三韓の朝の日…入鹿が履こうとした靴が何回も転がり、周りからも不吉な事が起こるのでは?と周りからも言われていた。そして鎌足は入鹿の機嫌を取り、入鹿の刀をあずかる。佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田に刀を切らせるが怖くて刀が取れず、中大兄皇子が入鹿を切る。
これが『大化の改新』やと思います。12月の勉強会で吉岡さんが言っておられた『仏教(人の道を教える)が政治的に力を持ってしまう=(イコール)神争いが起き→人争いになる。の、ひとつだと思いました。
早い話が蘇我一族の権力を落とすために藤原一族が汚い手を使って、のし上がった。今までの歴史は、ねつ造されてるみたいで、全ては藤原不比等が歴史書を改ざんしたみたいです。
最終的には、藤原家という血を皇族の中に入れたいと言う感じです。
藤原不比等(鎌足の次男)の娘が、文武天皇(25歳で亡くなる)と結婚。文武天皇がなくなるとその子供首皇子を天皇に即位させようとする。のちの聖武天皇となる。藤原京は、天武天皇の舞台。平城京は、藤原氏の舞台。平城京遷都は、藤原氏の藤原氏による藤原氏のための遷都だったと言うことです。
不比等の野望は、天皇家を権威あるもの神格化(権威あるもの)にして、そこに自分の子供を嫁がせたら、自分の子孫は神の子になるって言うプランがあったようです。
藤原京の場所は、今でも大和三山(やまとさんざん)と呼ばれる畝傍山(うねびやま)、耳成山(耳成山)、香久山(かぐやま)の、地図上で結べば正三角形になるところの、ちょうど真ん中に位置します。いずれも三方を山に囲まれた場所に都が位置されたのが共通です。
しかし、藤原京は、現在は平城京のように観光地化されてなく、大極殿の土壇が残っているだけで、周辺は芝生の史跡公園になっているだけです。
藤原京を囲む大和三山の畝傍山:東南に橿原神宮があります。、(かしはらじんぐう・初代天皇とされる神武天皇をお祀りしているが、明治天皇による創建なので比較的新しい。)橿原神宮の社殿のうしろに、山があります。
耳成山:北東麓に天神社(耳成山口神社)が鎮座○香久山:大和三山の中で最も神聖視され、山頂の国常立(くにとこたち)神社には、国常立神と竜神が祀られ、山麓には天の岩戸神社や天香山神社が鎮座で、いずれも200m満たない低い山です。
『なぜ藤原京がわずか16年で見捨てられたのか?』についてシェアします。
理由・・・遣唐使が30年ぶりに復活→長安城の報告→平城京遷都。これをもう少しわかりやすく言うと、藤原京完成後、自信満々で中国へ向かった朝廷使節は、中国の都の構造が藤原京と違い、コンプレックスに感じた。藤原京は、中心に宮廷があるけど、その構造はすでに時代遅れで、当時中国の都は、宮廷が一番北辺の中心にあった。都市自体が身分を示しているので、律令国家に生まれ変わったつもりの使節はショックをうけ、中国にならった平城京を急遽建てた。
また、現実的な原因としては、生活必需品の『水』の不足。天皇家と藤原家の対立。渡来人である天皇家に対して、藤原家は在地豪族。天皇家よりも古い物部家・卜部家との確執・怨霊・祟りなどの要因から、歴代天皇は、即位すると都を移すことが一般的だったようです。
(事前情報4) 吉岡学より
大阪 難波宮で祈ってわかったことは、海からやってきた渡来民族(海人族)と土地に住んでいた豪族との関わりが大きく日本人の精神性に影響を与えているうえに、時代ごとに何度も新しい民族が入り、新しい集団的思想と文化を持っていた為、それまでの神の名前や場所を移して民衆の思想を統一してきましたが、それは現在の日本神道の存在理由も同じです。
関西の土地に住み着いた様々な集団は独自の思想を持ち、今でもその確執カルマは消えていないと感じますが、民の心を導くのは神だからこそ天皇の存在意味は大きく日本人の思想に関わり続けています。
その為にはどうしても神武天皇の御陵に挨拶し、神儀を問い、神の化身となって心を合わせる人たちが足を運ぶ必要に気づきました。
過去の人間が意図した愚かな物だけを見るのではなく、その人間を常に守り導き続けた大神の心を知り、日本民族として本当の思想統一が必要な時期に入ったのです。
「他を問わず自らを問わず、神の御心に生きる人間」は、常に完全を目指しながら不完全を許し続ける事で成長していきます。
神事に参加される皆様の魂レベルがひとつでも上がる気づきになります事を心から願い、神事を行いますのでご協力をお願いします。
(事前情報5) 歴史の追加報告
日本には紀元前にキリストが生まれる前のイスラエル 10支族のユダヤ人の秦氏がやって来ました。 この人たちはお祈りをするときに、動物の生け贄を捧げていました。
後に原始キリスト教のユダヤ人が来て、お祈りの時に生け贄の血に触れると言うことで、最初に来たユダヤ人を迫害した。
この人たちが 現在 大阪 奈良に多い非差別部落で、日本人のカルマとして残っていると思われます。彼らは沖縄 北海道に追いやられました。追いやられる時に、現地の人と結婚し布教が全国的に広がったと思われます。
また次に 南北朝時代 587年 用明天皇が崩御すると、親仏派の 蘇我 馬子 と 排仏派の物部守屋との間で武力衝突が起こり、守屋側が敗れると 大神神社 大和神社 石上神社の神威も 次第に衰えていった。
第41代 持統天皇と渡来系氏族の藤原(中臣)不比等 が共謀して、国津神の業績と歴史を切り捨て、天孫族の都合の良いように改ざんした。
この事が 南北朝時代から江戸時代末期まで、天皇の祭儀は全て仏式で行われていたわけです。明治時代になって、伊勢神宮が日本の皇室の祖神として復活するのです。
南朝の末裔に、後醍醐天皇の孫にあたる大室虎之祐を伊藤博文や桂小五郎らが、本来の天皇の血脈に帰る計略をした。
南朝の末裔の虎之祐は、南朝に仕えていた毛利家長州藩の武士たちにかくまわれて、ぼそぼそと生き延びていた。
北畠親房の尊皇思想に目覚めた勝海舟・坂本龍馬・西郷隆盛の本家の菊池家が、南朝側にあったことから薩摩と長州が同盟を結び、幕府側に勝ち、徳川慶喜の大政奉還に繋がった。
北朝の天皇家には足利義満以来、天皇の血脈が流れていない為に、明治維新の時に 北朝の睦仁親王を殺めて、南朝の虎之助と入れ替えて 即位した。 この天皇家のカルマもあると思われます。
(事前情報6) 神降りしたサニワ情報
私たちに大神が気づかせたい事は、この時の天皇家のひっくり返しの因縁の清算がひとつあります。
「北斗七星の祈り」はエジプト時代からある重要な神事ですが、日本では神仏両方にその祈りは実在します。
ただこの神事は、宇宙の星の記憶も蘇りますし、日本に入った渡来民族の魂の星の目的(12支族)にまで繋がる意味があります。北極星も同じです。
皆さんの守護存在も、どちらかに強く影響を受けているからこそ、感情が動かされないように注意しながら互いの気持ちを理解し合い、和合する為にここに参加していることを考えて下さいね。
天皇家の血筋を何度も変えた人たちの背後には、この五芒星と六芒星の守護の力が働いています。
わかりますか?これが渡来民族が日本にやってきた目的ですし、その争いが今も起きているのです。
最後に、竹生島には行かなくてはいけない感じています。
このやり取りを受けて行った神事の内容はこちらです。
・奈良県 平城京神事 2011.2.8
・奈良県 藤原京神事 2011.2.8
・奈良県 橿原神宮・神武天皇 2011.2.8
・奈良県 飛鳥京・葦原中国・八咫烏 2011.4.22
・滋賀県 大津京・佐久奈度神社 2011.4.23
・滋賀県 鏡神社・鏡山(竜王山) 2011.4.23
・滋賀県 白髭神社・竹生島 2011.4.24
それは、皆さんが生まれた土地の先人や守護存在が「違う!」とあなたに感じさせるからですが、これからシリーズでお伝えする内容は、本州、特に関西方面までやってきた渡来民族たちの最後の思いを和合する目的でお伝えしますので、その途中に住んだ場所の思いとは変わっている事をご理解下さい。
もし、あなたの中で何か違うと感じた部分があるなら、それは自分の生まれた(住む)土地に残っている思いであり、実はそれが、土地のカルマになっている事にも気づいて下さい。
なぜ、同じ民族の思いが土地によって違うかというと、日本にやってきた全ての渡来民族は、最終的に、天の宣託を受けて「関西の地に神を治めよ」と言われて移動しましたが、移動途中で住み着いた土地には、それまでの思いと祀った神様が残っているからです。
関西を目指した全ての民族は最終的に、「天皇」という存在を天子と決めて、民族の和合の象徴として日本民族が祀る神を「天照大神」と決めました。
しかし、こういう大切な物事が決まる時ほど裏には様々な思いがあり、「無念ではあるが、大神の本位ならば」と、グッとこらえた民族の思いが、それぞれの土地には残っています。
そういう、裏でこらえた人たちがいたおかげで「表の世界」がある事を考えると、何が正しいかを問うこと自体が、争いを産むエネルギーになると学んで下さい。
これからお伝えする内容は、関西神事に関わった一人一人が調べた情報やサニワして出てきた情報をお伝えしますが、それぞれの情報源は書物に残らない情報や間違った情報も出てくると思いますが、実は、関西生まれの方たちは守護存在を通して必要な情報を調べさせられている事を気づいて下さい。
生まれた土地の方たちは、守護存在を通して伝えたい事や隠したい事があるからこそ、あえてひとつひとつの情報の正誤を問わず、全ての情報を素直に受け止め続けた訳ですが、それぞれの視点によって物事や情報の見方が違うことを学んで下さい。
大事な事を守る為に、真実では無い情報を流して民衆に信じさせるのも、昔からある守りの術だからです。
だからこそ、ひとつひとつの正誤を問うのではなく、大切なことを生かす為に犠牲になった人たちの思いが隠れているという理解で読み進めて下さい。
ではまず、事前情報を順番に公開します。
(事前情報1)歴史認識のあらましを報告します。
紀元前1世紀頃には、加茂氏(葛城王朝=神武天皇)や三輪氏(三輪王朝=崇神天皇)の銅鐸文化が西日本を中心に栄えていたと思われます。彼らは、出雲神族で国津神に当たる。
その後、北九州から武装集団である物部集団(海洋民族)が、四国から淡路を経由して紀伊→大和に入った。彼らは銅剣 銅ほこを大陸から輸入して大量に使用していた。
その後、北九州から武装集団である物部集団(海洋民族)が、四国から淡路を経由して紀伊→大和に入った。彼らは銅剣 銅ほこを大陸から輸入して大量に使用していた。
しかし、文献からは銅鐸も使用していた事から、加茂三輪政権を大和で併合したと思われます。
また、旧事本紀(くじほんぎ)という書物には、「天照国照彦・天火明櫛玉・ニギハヤヒノミコト(=ニニギの兄)という神名を使っていることから物部、尾張、度会(ホアカリ系)、海部(海人族=ホアカリの命)、加茂、三輪、多治比氏らは全て同族で和合していて、物部氏が他の古氏族や先住民族をまとめあげ平定していたと思われます。
この政権が邪馬台国で、太陽神(アマ)と化身である地の神(クニ)である蛇を信仰しアマテルクニテルをその名に冠するようになった。
この政権を三世紀半ば南朝鮮の任那(みまな)からやってきた崇神天皇が外国人である為にオオモノネシを祭ることができなかった。
だから、銅鐸文化を破壊し痕跡を消した。それでも物部氏の力は衰えなかった。
だから、銅鐸文化を破壊し痕跡を消した。それでも物部氏の力は衰えなかった。
しかし、崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏が対立し、物部氏が負け大神神社等が廃り持統天皇と藤原不比等が、天孫族に都合の良いように改ざんした。
つまり、天照国照であった国祖神を天照大神の女性にすり替え皇祖神とした。
三輪の神(天神・地祇・天皇霊)の3の和合を天神と天皇霊を取りだし、最終的に伊勢に移した。
この事が記紀を改ざんし、日本の歴史認識を変えたターニングポイントになったと思われます。
また、その後、イスラエルの民である原始キリスト教の秦氏(秦の始皇帝)のハイテク集団が大和朝廷を愛の助け合いで取り込み、今の天皇家に血筋を入れ込んだと思われます。
流れとしまして、北九州から河内国(大阪東部)へ、さらに大和国(奈良県)に入って、山城国(京都南部)に都を移したと思われます。
秦氏が、今の神道(原始キリスト教)を布教したと思われます。
八幡信仰や稲荷信仰や籠神社・真名井神社(豊受大神)、志摩の一宮伊雑宮(天照大神)等からダビデの星が隠れています。
住吉大社は、ホアカリ系だと思われます。※イワレビコ(後の神武天皇)が東征し、それに抵抗したナガスネヒコが敗れた後、イワレビコがアマテラスの子孫であることを知り、イワレビコのもとに下った。
(事前情報2) 難波宮メッセージ
(事前情報2) 難波宮メッセージ
難波宮メッセージ1
天光(日)を降ろす神立ての剣があった場所は、その昔、太古の人々がこの地を訪れた証であり、宇宙意思を繋ぐ大切なものであった。
その剣は必要な時に、必要な場所へ移動されたが、その剣を守る為にたくさんの巫女が命をかけて守り続けた歴史がある。
形なきあと、繋ぎ守る天の意思は私たち(御霊)そのものだからこそ、この地が荒れぬようにたくさんの者たちが守っている。
十二神官(人)は全て男であり、一人一人が干支の役目を持つ守り方をしていた。
その中心に座る陰陽の中心が私(天皇)の役目だからこそ、今もこの地を守っている。
宇意天番(宇宙に繋がる魂の意思を持つ人)に繋がるあなたは、いつも大いなる存在たちと対話する事で、大神の意思を伝えてくれているからこそ、私たちもあなた働きに力を貸そう。
天軸・地軸・中軸の繋がりは、いつの時代も最も大切な神祈りの方法だからこそ、それぞれの守りの役目の方たちは力を合わせて新しい統合・調和・産み出しをして欲しい。
それが私の唯一の願いです、どうぞ宜しくお願いします。
難波宮 メッセージ2
誰もがその名を呼べば震え上がるほどの力をもつ神がおられるが、その名を口にすることは代々、禁じられている。
天皇口上の中にある一人神事では、その神の名を呼び祈りを捧げる事が許されているが、伝承は全て口述のみであり、記述はない。
本来、神役目の大役を果たす者には必要な神が守り入り、導きをいたすが、必要な役目が終われば神は離れる。
こと新たに物事を始める時、その神の争いを起こさないように禊があるのだ。
身につまる神の思いをどうぞ感じてくれなまし。
(吉岡学 補足)
神の御心を大切に思う皆様はどうぞ自らの神を尊び、神に与えられた肉についた過去の思いの禊と共に、渾身なる思いで守っておられる土地の神々様をご鎮魂下さいませ。
(事前情報3) ※難波宮から移動した天皇の意思を確認する必要性
【平城京】
中国の長安城をコピーしたもの。大きさは1/4の大きさだけど、それを90度回転させて縦長にした形。縦長にしたのは大きく見せるため(権力とかも。海外から来た人にも大きく見せて力があるように見せる為)。場所は、陰陽道からで3方を山で囲んでる所。(矢田丘陵、奈良山、長田山)。
【藤原京】
日本で最初に出来た中国式の都城。ここでは宮殿を真中に置いた。完璧なコピーではない。
16年で放棄される。理由・・・遣唐使が30年ぶりに復活→長安城の素晴らしさ報告され、遷都を考える→平城京の藤原不比等(平城京のプロデュース)平城京作りに100万人の人が関わってる(当時日本の人口500万)近代化と権力を強めるため、強い国作りのため造られた。
技術は、長安城よりすごかったらしい。道のまっすぐさも素晴らしいく、長安城は1000年かけて造られた、平城京は50年で造られた。すでに造られてたものを藤原京から運んできたから短期間で出来た。
◆この頃、お金が出来る。「和同開珎」
◆乙巳の変(いっしのへん)・・・板蓋宮(いたぶきのみや)で蘇我入鹿が暗殺される。
○中臣鎌足(のちの藤原鎌足)・・・神社の神族の役割の一族。身分はそんなに高くない。
○蘇我氏・・・仏教で権力を広げる。天皇化をしのぐ力。蘇我蝦夷が息子の入鹿に紫色の冠をかぶらせる。紫は一番尊い色。天皇に関連している高貴な色。それをかぶせると言うことは、天皇を侮辱している。
だが、入鹿は女帝・皇極天皇と特別な関係となる。皇極天皇の息子中大兄皇子は怒る。この事に対して好機と思っていたのは中臣鎌足。彼は皇族と話す機会がなかったが、蘇我氏の横暴ぶりを話すチャンスが訪れる。
〜飛鳥寺で蹴鞠の儀式があった時に客席の方に蹴鞠が飛んでいき、その時に鎌足がひらい話した。その後談山神社の裏山で密談した。645年6月12日
三韓の朝の日…入鹿が履こうとした靴が何回も転がり、周りからも不吉な事が起こるのでは?と周りからも言われていた。そして鎌足は入鹿の機嫌を取り、入鹿の刀をあずかる。佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田に刀を切らせるが怖くて刀が取れず、中大兄皇子が入鹿を切る。
これが『大化の改新』やと思います。12月の勉強会で吉岡さんが言っておられた『仏教(人の道を教える)が政治的に力を持ってしまう=(イコール)神争いが起き→人争いになる。の、ひとつだと思いました。
早い話が蘇我一族の権力を落とすために藤原一族が汚い手を使って、のし上がった。今までの歴史は、ねつ造されてるみたいで、全ては藤原不比等が歴史書を改ざんしたみたいです。
最終的には、藤原家という血を皇族の中に入れたいと言う感じです。
藤原不比等(鎌足の次男)の娘が、文武天皇(25歳で亡くなる)と結婚。文武天皇がなくなるとその子供首皇子を天皇に即位させようとする。のちの聖武天皇となる。藤原京は、天武天皇の舞台。平城京は、藤原氏の舞台。平城京遷都は、藤原氏の藤原氏による藤原氏のための遷都だったと言うことです。
不比等の野望は、天皇家を権威あるもの神格化(権威あるもの)にして、そこに自分の子供を嫁がせたら、自分の子孫は神の子になるって言うプランがあったようです。
藤原京の場所は、今でも大和三山(やまとさんざん)と呼ばれる畝傍山(うねびやま)、耳成山(耳成山)、香久山(かぐやま)の、地図上で結べば正三角形になるところの、ちょうど真ん中に位置します。いずれも三方を山に囲まれた場所に都が位置されたのが共通です。
しかし、藤原京は、現在は平城京のように観光地化されてなく、大極殿の土壇が残っているだけで、周辺は芝生の史跡公園になっているだけです。
藤原京を囲む大和三山の畝傍山:東南に橿原神宮があります。、(かしはらじんぐう・初代天皇とされる神武天皇をお祀りしているが、明治天皇による創建なので比較的新しい。)橿原神宮の社殿のうしろに、山があります。
耳成山:北東麓に天神社(耳成山口神社)が鎮座○香久山:大和三山の中で最も神聖視され、山頂の国常立(くにとこたち)神社には、国常立神と竜神が祀られ、山麓には天の岩戸神社や天香山神社が鎮座で、いずれも200m満たない低い山です。
『なぜ藤原京がわずか16年で見捨てられたのか?』についてシェアします。
理由・・・遣唐使が30年ぶりに復活→長安城の報告→平城京遷都。これをもう少しわかりやすく言うと、藤原京完成後、自信満々で中国へ向かった朝廷使節は、中国の都の構造が藤原京と違い、コンプレックスに感じた。藤原京は、中心に宮廷があるけど、その構造はすでに時代遅れで、当時中国の都は、宮廷が一番北辺の中心にあった。都市自体が身分を示しているので、律令国家に生まれ変わったつもりの使節はショックをうけ、中国にならった平城京を急遽建てた。
また、現実的な原因としては、生活必需品の『水』の不足。天皇家と藤原家の対立。渡来人である天皇家に対して、藤原家は在地豪族。天皇家よりも古い物部家・卜部家との確執・怨霊・祟りなどの要因から、歴代天皇は、即位すると都を移すことが一般的だったようです。
(事前情報4) 吉岡学より
大阪 難波宮で祈ってわかったことは、海からやってきた渡来民族(海人族)と土地に住んでいた豪族との関わりが大きく日本人の精神性に影響を与えているうえに、時代ごとに何度も新しい民族が入り、新しい集団的思想と文化を持っていた為、それまでの神の名前や場所を移して民衆の思想を統一してきましたが、それは現在の日本神道の存在理由も同じです。
関西の土地に住み着いた様々な集団は独自の思想を持ち、今でもその確執カルマは消えていないと感じますが、民の心を導くのは神だからこそ天皇の存在意味は大きく日本人の思想に関わり続けています。
その為にはどうしても神武天皇の御陵に挨拶し、神儀を問い、神の化身となって心を合わせる人たちが足を運ぶ必要に気づきました。
過去の人間が意図した愚かな物だけを見るのではなく、その人間を常に守り導き続けた大神の心を知り、日本民族として本当の思想統一が必要な時期に入ったのです。
「他を問わず自らを問わず、神の御心に生きる人間」は、常に完全を目指しながら不完全を許し続ける事で成長していきます。
神事に参加される皆様の魂レベルがひとつでも上がる気づきになります事を心から願い、神事を行いますのでご協力をお願いします。
(事前情報5) 歴史の追加報告
日本には紀元前にキリストが生まれる前のイスラエル 10支族のユダヤ人の秦氏がやって来ました。 この人たちはお祈りをするときに、動物の生け贄を捧げていました。
後に原始キリスト教のユダヤ人が来て、お祈りの時に生け贄の血に触れると言うことで、最初に来たユダヤ人を迫害した。
この人たちが 現在 大阪 奈良に多い非差別部落で、日本人のカルマとして残っていると思われます。彼らは沖縄 北海道に追いやられました。追いやられる時に、現地の人と結婚し布教が全国的に広がったと思われます。
また次に 南北朝時代 587年 用明天皇が崩御すると、親仏派の 蘇我 馬子 と 排仏派の物部守屋との間で武力衝突が起こり、守屋側が敗れると 大神神社 大和神社 石上神社の神威も 次第に衰えていった。
第41代 持統天皇と渡来系氏族の藤原(中臣)不比等 が共謀して、国津神の業績と歴史を切り捨て、天孫族の都合の良いように改ざんした。
この事が 南北朝時代から江戸時代末期まで、天皇の祭儀は全て仏式で行われていたわけです。明治時代になって、伊勢神宮が日本の皇室の祖神として復活するのです。
南朝の末裔に、後醍醐天皇の孫にあたる大室虎之祐を伊藤博文や桂小五郎らが、本来の天皇の血脈に帰る計略をした。
南朝の末裔の虎之祐は、南朝に仕えていた毛利家長州藩の武士たちにかくまわれて、ぼそぼそと生き延びていた。
北畠親房の尊皇思想に目覚めた勝海舟・坂本龍馬・西郷隆盛の本家の菊池家が、南朝側にあったことから薩摩と長州が同盟を結び、幕府側に勝ち、徳川慶喜の大政奉還に繋がった。
北朝の天皇家には足利義満以来、天皇の血脈が流れていない為に、明治維新の時に 北朝の睦仁親王を殺めて、南朝の虎之助と入れ替えて 即位した。 この天皇家のカルマもあると思われます。
(事前情報6) 神降りしたサニワ情報
私たちに大神が気づかせたい事は、この時の天皇家のひっくり返しの因縁の清算がひとつあります。
平安京に永く居座った藤原家の問題は、神仏の扱いを変えたり、それまでの天皇家を守った守護存在の意思をないがしろにした意味があり、大神たちはこの事を正せと言っているのです。
もうひとつの意味は、イノシシは山の神の使いですから地の神・伊吹山の神と取るのはOKですが、では鹿の意味となると「天の使い」という意味と、山々を繋ぐ神という意味になりますかね。
猪と鹿では行動半径も違いますので、守っている範囲と役割が違うからです。
猪と鹿では行動半径も違いますので、守っている範囲と役割が違うからです。
「北斗七星の祈り」はエジプト時代からある重要な神事ですが、日本では神仏両方にその祈りは実在します。
ただこの神事は、宇宙の星の記憶も蘇りますし、日本に入った渡来民族の魂の星の目的(12支族)にまで繋がる意味があります。北極星も同じです。
北半球の全民族は、この北極星と北斗七星の力を使ってあらゆる霊力や知恵を降ろし、宇宙と更新していました。さあー、ここまでの話についてこれてますか?
天皇家の問題を触る時、宇宙と交信していた高度な知恵や繋がりに触る神事だからこそ、一般公開は、まだできないのです。
陰陽師の五芒星とユダヤの六芒星の意味が、ここに隠されているからです。
陰陽師の五芒星とユダヤの六芒星の意味が、ここに隠されているからです。
皆さんの守護存在も、どちらかに強く影響を受けているからこそ、感情が動かされないように注意しながら互いの気持ちを理解し合い、和合する為にここに参加していることを考えて下さいね。
天皇家の血筋を何度も変えた人たちの背後には、この五芒星と六芒星の守護の力が働いています。
わかりますか?これが渡来民族が日本にやってきた目的ですし、その争いが今も起きているのです。
なぜ世界の全民族が、ここ日本を目指したのか?
それは日本が、「日(火・陽)の出ずる国」だからです。
それは日本が、「日(火・陽)の出ずる国」だからです。
宇宙と地球を繋ぐ大切な場所として、日本という島が生まれたからです。
私たち日本人は、世界の、そして宇宙の全てのカルマを外す為に、自らの因縁の土地を選び生まれてきました。
そして、今住んでいる土地があなたの役目を果たす場所なのです。
そして、今住んでいる土地があなたの役目を果たす場所なのです。
今まで一度もこの全容を一切公開しなかったのですが、皆さんにここで公開した理由は、ここ関西の土地が最も大切な和合の場所だからこそ、神々が終結しているのです。
皆さん一人一人が、その神々の代表なのです。
だからこそ、私は皆さんから許可と導きを頂きながら、全ての和合をする為に七次元までの守護が入り、役目として神事を行っています。
だからこそ、私は皆さんから許可と導きを頂きながら、全ての和合をする為に七次元までの守護が入り、役目として神事を行っています。
全ての神事が終わればこの情報も公開できますが、取り組む前にこの話をすると大きな混乱が起きますので、他言無用でお願しますね。
あとこのメーリングには、私が必要と思った人を加えますのでご了解下さいね。
最後に、竹生島には行かなくてはいけない感じています。
このやり取りを受けて行った神事の内容はこちらです。
・奈良県 平城京神事 2011.2.8
・奈良県 藤原京神事 2011.2.8
・奈良県 橿原神宮・神武天皇 2011.2.8
・奈良県 飛鳥京・葦原中国・八咫烏 2011.4.22
・滋賀県 大津京・佐久奈度神社 2011.4.23
・滋賀県 鏡神社・鏡山(竜王山) 2011.4.23
・滋賀県 白髭神社・竹生島 2011.4.24
2011.07.25 Mon
日本民族の根底に眠る隠された思い
いつも強烈な思いがある神仏に向き合った後は、家に戻ると意識と現実(肉体)の調整に永く時間がかかります。
それは、いつも神事に参加された皆様も同じだと思います。
今回、京都の「秦氏の解放」で行った場所の思いは、正直、思っていたよりエネルギーが重く体に残っているのも、一切、自分で調べずに地元の方の言われるままに動いた責任が自分にあるからだと気づきました。
これはどういう意味かと言うと、通常、重要な神事を行う場合、現地へ行くまでに永い時間をかけて9割のエネルギーを使うほど、事前の勘取りに十分な時間をかけますが、ふと、誰かに連れていかれた場所だと、相手(神仏)を感じる時間が少ない為に、表面的な部分だけで物事をとらえてしまう時があるからです。
これは、誰かに紹介されて、初めての人に逢うと時と同じですね。
相手を知らずに、突然、誰かに逢わされた場合、情報が少ない分、どうしても相手の言った言葉と印象だけで物事を判断しがちですが、事前に詳しい情報があれば、相手のささいな反応から言葉にしない気持ちまで汲み取ることができますよね。
よくこう言った、こう言わないで、もめる時も同じですが、口にした言葉だけで物事を判断するような愚かな対応をすれば、相手の思いを間違って理解してしまう事になる経験は皆さんもあると思います。
今回もまた、自分の愚かさに気づいた時間になりました。
こういう体験は、ほとんど「人格神」の場所へ行った場合に多く起きますが、「わかって欲しい、もっと知って欲しい、なぜ、そうしたのか?」など、たくさんの思いが、体の痛みを通して伝えられてきます。
見える聞こえるようになった人たちの苦しみは、あまり一般の方に理解されないので、あえて説明しますが、見えない存在たちの思いは、ほとんどの場合が体の痛みを通して伝えられます。
普通なら筋肉痛だと思って、マッサージに行けば治りそうですが、それは痛み止めの薬みたいなもので、原因の治療をしなければ痛みはすぐに戻ってきます。
私たちの体は、歓びを感じる為でもありますが、もうひとつは、痛みを通して見えない存在のメッセージが伝えられるように出来ているからなのです。
体が不調だと、精神もダウンぎみになります。
活力が出ず、気力も薄れ、やる気も失います。
この状態が長く続けば、「うつ」の人と同じように、自分の事ばかりを考えるようになってしまいます。
では、どうすれば良いのか!
自分の体の痛みから、メッセージを聞き取る努力をし続けるしかありません。
自分の本質に向き合う時間を作る、とも言えますが、神事の場合、自分の内在する感情にさらに、過去のカルマもかぶさる為に向き合うのはとてもしんどい作業です。
何をわかってほしいのか、自分は何に気づかなければいけないのか、何かして欲しい事がまだあるのか…
完全に相手のメッセージを受け取りきると、突然、痛みや苦しみは抜けて無くなります。
実は、病気になるのも同じ理由で起きています。
病気や痛みは、自分の内側から出ている黄色信号メッセージみたいなものなので、その原因をわかって心の位置を変えると、突然、治る事がよくありますが、自分を変えずに結果だけを変えようとする人は、どんな治療をしても一時的には良くなっても、必ず、再発します。
だから、体の痛みで伝えられる見えない存在からのメッセージも、同じように気づくまで永遠に続きます。
その痛みが、全て自分のせいではないからこそ、読み取りや向き合う作業は、難しいのです。
私自身も辛い時間を永く過ごす経験を何度もしたからこそ、人間よりエネルギーの高い自然界の良い波動を取り入れた浄化グッツ、クリーニンググッツを販売しているのですが、常に必要な事は、心がリラックスする為の「自分との対話」の時間を取ることなのです。
誰かを鏡にして、自分では気づかない事を気づく方法もありますが、痛みや苦しみから逃れる方法を探すのではなくて、痛みや苦しみの原因が自分にあり、それに、まだ気づいていないだけだと自覚して、素直に過ちや愚かさを認めれば良いのだという事も経験から学びました。
ただ、久しぶりに重いこのエネルギーを感じていると、誰かがミスを犯したレベルのエネルギーではなく、皆さん全員の無意識の繋がりに連動している部分が大きいと感じています。
何を言いたいかと言うと、皆さんの為に関西神事の情報は一切、公開せずに神事を行いましたので、意識が混乱せずに全ての争いの元を収めることができましたが、関西神事で知った裏の裏の思いを公開して、皆さんの認識を変えなければ、秦氏の思い、つまり、渡来民族として日本にやってきた多くの民族の思いが叶えられないという事なのです。
皆さんが大切にしている現実が今こうしてあるのも、過去、裏の裏に隠された人たちの潰された思いが土地に眠り、その上に住んでいるからこそ、土地の因縁を体で感じて意識が影響される人が絶えないのですが、人として自分の住む土地の先人の思いを理解する必要が皆さんにもあると言う意味でお伝えしています。
興味がある方はご自分で土地の歴史や人物の思いを調べるのもいいですが、何かに書かれている情報は半分くらいは真実で、もう半分は、常に時の権力者の支配の力に影響を受けていると思って読んで下さい。
そのことを知っているからこそ、関西神事の内容は一切、非公開で関西の仲間だけで行ってきたのです。
それは、争わず、心苦しまずに出来る限り京都や関西、そして、天皇家に関わる裏に隠された民族の思いを解きほぐし、これから公開することで、日本民族の八割に影響している無意識カルマが外れるのだと思います。
今、こうして書いているだけでも、「やっと、わかってくれたか」と体からエネルギーが、少し抜けていきます。
もう戦いや因縁の元凶である結界を外したからこそ、全てを公開していい時期なのだと思いますので、亡くなった方たちの正直な思いを知って、全てを受け止めて下さる事を皆様にはお願いします。
近年の戦国の世の混乱については、関東・伊豆・中部・東海地方で行った神事の中で相当、公開しましたが、今、お話ししている事は、もっと古く、日本という土地に渡来民族がやってきた時代からの事を書かなければいけないようです。
一切を秘密にして行った関西の仲間たちとのサニワの内容も必要があれば、公開していきますので、日本を守る民族意識の統一の為に命をかけた先人の思いを一緒に学んで下さい。
私自身は、ひとつひとつ、御霊たちが伝えて欲しいことを向き合って皆さんにお伝えする努力をしますので、皆さんもご先祖が住んだ土地やそのルーツの因縁を想い出す時間になると思いますので、読まれる時は他人事ではなく、自分の先祖たちが関わった辛い思いの一部なのだと思ってお読み下さい。
どうぞ、土地の無意識カルマの解放の為に心合わせ、そして、魂合わせを宜しくお願い致します。
2011.07.24 Sun
どん底から世界一!
日本女子サッカーのなでしこJAPANが世界一になりましたが、昨年、初めて日本人が世界一になったスポーツをご存知ですか?

それは、激流を数名のボートが下る世界競技の「ラフティング」というスポーツです。
日本に、ラフティングのプロチームがある事を知らない方もいるかもしれませんが、
そのチームテイケイを率いる若きリーダー浅野重人監督は、自分自身の体験と人の出会いから多くを学び、どん底まで落ちたチームを立て直して世界一に引き上げた最高のリーダーです。
スポーツ選手としても、サラリーマンとしても、自営業者として最も大切なことは、その人自身の考え方であり、見えない心のメンタルマネージメントだからこそ、彼はその為に必要な本を出版しました。
50年遅れた日本のラフティングというマイナーなスポーツを、世界のステージへ引き上げた男のメンタルマネージメントは、これからの日本人にとって、とても必要な気づきの要素がたくさんあるからこそ、ぜひ、あなたも読んで頂きたい一冊だとお勧めします。
☆私はこういう方たちに、ぜひ読んで欲しいです!!!
・男の子を持つお母さんは、ぜひ、息子にプレゼントしてあげて下さい!
・お仕事や人生で今、何か壁にぶつかっている方
・スポーツでもビジネスでも、共通の日本人特有のメンタルマネージメントを知りたい方
・弱い自分の心を強く変えたい方
・チームワークで何かを成し遂げたいと思っている方
・純粋に、世界一になりたい目標がある方

2011.07.23 Sat
秦氏の解放ともうひとつの京都
さて、7/19に関西の仲間たちと廻った京都の場所を詳しくお伝えしましょう。
京都 鴨川の源流を守る「志明院」京都 鴨川の源流を守る「志明院」テーマは、京都・関西にゆかりの古い「秦氏」の重要な場所です。
まず、通称:蚕の社(かいこのやしろ)、木嶋神社と呼ばれている「木嶋座天照御御魂神社」。




本殿に向かう道の左側に、小さなお社と祠が見えます。
「ここが気になるんです」と言った女性は、魂が秦氏の関係者です。


まず祠の右側に、「白塚」があります。
もともと、ここは古墳、つまり、お墓だった場所なのが、見ればすぐにわかります。

祈りを始めると、数名の遺体が横たわっている映像が見えてきて、魂が動けなくなっているのがわかりました。
すると、後ろ側で、ここが気になると言いだした女性が泣き始めました。
すぐに、何かがあったとわかったので隣の祠に入ろうとしましたが、何か中に入りづらい感じがします。
「白塚」の横にも小さな守りのお社がありますので、そこの神様に何があったのかを聞きました。
すると、「数名の男たちが呪文をかけて、魂を縛り付けた」と教えてくれました。
よし!っとばかりにもう一度、祠に戻って、今度は、過去にかけた呪文を外す呪文を唱えました。
人間がかけた呪いや呪文なら、どんなものでも外すことはできますが、それは私が何かを勉強したからではなく、魂が大神から教えてもらえるからできることです。
祈り始めると、5〜6名ほどの男性たちが一斉にこの場所の前で呪文を唱えている姿が見えましたが、もう時代は変わりましたので、全ての御霊を解放しますと告げました。
ガードを外した後、頭を下げて祠の中に入ると、中にはものすごい霊気が漂っていました。
祈りを終えてから写真を撮ると、その霊気が写っていました。
わかりますか?
白い光や影が、この場所の霊気ですよ。
霊能者が見ると、ちょっと感じすぎるかもしれませんが、修行だと思って下さいね。
あとで仲間から「この場所は霊能者はまず近付かない」と言われました。
いつも、そんな場所ばかりに連れて行かれる私は何なの???(^^;
秦氏の御霊たちとは、これから新しい世の安定の為に力を貸してくれる約束をしました。

本殿の神様は、「私は何もできなかった」と、少しだけいい訳してましたが、それも仕方がないと思います。
いつの時代も権力者たちは、自分たちの損得だけで神仏の意味を変え、色々な封印をしてきましたからね〜。
次の場所は、数日前に、この近くの公園で石碑を見つけた女性が、彫られている内容を知りたいと言うのでその場所へ行きました。
見てわかるとおり、明治天皇が、秦氏の功労に感謝する石碑ですが、隣に詳しい内容が書いてありました。


戦国の世は、互いの国の争いを大きくしない為に、大型船を造ることを禁止した時期がありましたが、当時、中国からやってきた秦氏たちは大きな船でこの地にやってき来たので、その船を借りて北海道まで行き、食料や動物の毛皮などを運んだことが記されています。
北海道のアイヌは、とても和平を好み、知恵のある民族ですから物々交換をして色々な物を交換する知恵を持っていました。
アイヌの歴史を調べた事がありますが、相当、古い時代から諸外国の人たちと物資の交換をしていた歴史が残っています。
当時、この地は多くの物資が行き来する商業地として栄え、天皇家や公家たちに献上する物資を運べたのも秦氏の大きな船のおかげだと、秦氏の功績を認めた石碑でした。
続いて行った場所は、「稲荷教」が守っている「天塚古墳」です。






古墳の山の上に祀られた数々のものは、ほとんど壊れていますが、山の下にある穴の中には、しっかりと、今も何かが守っていますが、すぐには入れない状態でした。
見るからに薄暗い穴なので、浮遊霊たちの住処になっていたからです。
150体くらいはいたと思いますが、一度、出てもらいました(^^)おほほ・・
中に入って祈りを始めると、とても無念な気持ちが伝わってきました。
ここにどういう御霊たちが祀られていたかというと、実は、秦氏の側近たちが眠っています。
無念な気持ちの理由は、蚕の社(かいこのやしろ)の親分御霊と繋がりが切れている事や、過去の功労が正しく伝わらず、一生懸命に働いた事が正しく伝わっていない無念な思いをしている御霊たちが眠っていました。
これまでの人間の扱いにお詫びをしたあと、秦氏一族の繋がりを復活させて、大きな土地守りの働きができるようにしました。
祈りが終わって写真を撮ると、ま〜、すごいこと!
御霊たちが、光のエネルギーで歓びを見せてくれました。
白い線が何本もあるのは、御霊が動いた証ですし、二枚目の白っぽいもの全てが、ここの御霊たちです。
たくさんの御霊たちが、お礼を言ってくれました。




でも、皆さんは、この穴の中には入らない方がいいですよ〜(^^)
だって、数日前にこの穴に入った男女二人は、ここの霊たちに乗られて、意識と体がおかしくなっていたのに気づかないでいましたからね〜。
勉強会で会った時に、変だと思いましたので、飲み会の場で霊たちを外しましたが、永い時間、強い霊に乗られていると、感情は不安的になり体も必ず変になります。
霊障には、色々ありますが、まずは普通の方は近付かないのが、一番ですよ〜(^^!
次は、今は無くなってしまった「西寺跡」の隣にある、「鎌達稲荷神社(けんたついなりじんじゃ)」です。




お社の神様は、余計な事は何も言いませんが、何かを守らされているのはわかりましたので、隣の公園にある「西寺跡」へ行きました。






この石を見て、すぐに何をしたかがわかりましたので、過去の妖術外しを皆で行いました。
この石に立った女性は、過去に妖術をかけた側の関係者でした。
「かごめの歌」の裏バージョンと同じ呪いが掛かっていましたが、全て外しました。
この場所にあった西寺を壊して「東寺」だけにしたのには理由がありますが、あまり詳しい事は知らない方がいいと思うので公開しません。
ただ、先ほどの「鎌達稲荷神社」が、この守りになっているのは確かです。
最後は、「白峰神社」ですが、一般に公開されている内容とは全く別のエネルギーが繋がっていました。






ここは、石川県の白山に繋がっています。
富士山信仰の以前、白山が最高の霊山だったことから修験者たちが白山の霊力を借りて、法力でここに眠る御霊を山神に繋いでいます。
山岳信仰に詳しい人なら分かると思いますが、天皇の表守りをしていた陰陽師や坊主たちの力に合わせて、裏の法力使いで有名な修験者たちがたくさん動いていたことも祈りでわかりました。
全ては、世の安定を願って行った事なので、現在も、問題なくその繋がりは残っています。
関西勉強会を終えた二日後の7/21も、また京都へ来る事になってしまいました。
当初の目的は、下鴨神社で年に一度、行われる「御手洗祭(みたらしまつり)に一緒に行きませんかと誘われたからです。
ハードな京都神事をした後なので、何か禊をしなければいけない事があるのかと思ったので、仲間の誘いを受けました。でも、行ってみると、本当の理由がわかりました。


下鴨神社の本殿で祈りを始めると、また、いつもの女性が震え始めました。
観光客もたくさんいるので、二人が必死に体を支えています。
私はすぐに何をして欲しいのか神様に聞きましたが、白装束の巫女が、脇を刀で後ろから刺されたあと、背中をバッサリ切らるシーンを見せられました。
神様から話を聞くと、この下鴨神社は、時の勢力者によって管理者が変わった時期があったようで、それまでの神降ろしの代表巫女を殺す事で、神社関係者を言いなりにした事件があったようです。
殺された巫女は、2〜3名いました。他の神官、巫女たちの見せしめとして殺したようです。
殺された巫女たちの御霊を同行した男性に「運び役」として任命し、運んでもらいました。
皆さんは、「御手洗祭」は、自分の汚れを洗い流すのが目的だと思っていますが、実は、先祖を含めた「精霊流し」の意味もある日だと思ってご参加下さい。
御霊を運んだまま、冷たい水に足を付け、途中でローソクに火を灯して、大祓いの瀬織津姫が祀られている社の前で祈りを行いました。
ようやく、過去の苦しい思いが外れたようです。
思い返せは、どうりで京都神事の時に、ここだけ厳しい言葉が出たはずです。
本当は、その事を分かって欲しかった様ですが、目的が違うので私も聞こうとしなかったですし、御霊たちも封印されていた為に、言う事ができなかったのです。
こういう流れは良くある事ですが、神事で一緒に動く人たちは、自分の意識に関係なく、色々な言葉を私に言ってくれますが、その中で、神の御心を感じた時に私は全てを委して素直に動きます。
でも、そういう大事な事を言っている人ほど、本人に意識はありません。
ここを誘ってくれた人も、ただ一緒に行きましょう!とだけ言いました。
これとは反対に、「吉岡さんはこうしたほうがいいと神様が言ってます」という時ほど、実は、本人も気づかずに、自我や後ろの守護存在が言葉を発している場合が多くあります。
だからこそ、自分の言っている言葉が大神の思いか、自我や近い先祖の思いかをチェックする方法を教えてきたのですが、その勘取りはとても難しいので、やっぱり神様に向き合う経験しかないと思います。
だからこそ、神仏でも朝日でも何でもいいので、毎日毎日、自分より大きな存在に向き合う習慣を作って下さいとお願いしているのです。
7月21日の最後の場所は、京都を流れる鴨川の源流を守っている「志明院」ですが、とても素晴らしい場所でした。




西暦650年に弘法大師が開いたようですが、お寺なのに檀家さんがいない為、お墓も納骨堂もありませんので、とても貧乏なお寺です。
当時は、お坊さんたちの修行の場所だったと思います。
きれいな川の両側に色々祀られているのは、お不動さんに守られた八大龍王や龍に関わるものが多くありましたが、とても精気が清らかで、素晴らしい自然神を守っている場所でした。




何よりも驚いたのは、大きな岩の裂け目に祀られている存在ですが、普通なら、その中には入らない方がいいと思えるほど、とても大きな存在がいらっしゃいました。


中に入って祈りを始めると・・・
ここは、「脳の中だ!」と教えてくれます。
初めて脳の中に入ったので驚きましたが、ここ一体の山々の神々の頭脳であり、京都を守る大切な自然界の脳の神様が、ここにはいます。
68歳になるご住職の奥様に、後から話を聞くとやはりそうでした。
脳の病気や精神的な病いの方が、色々探し求めてここへ来ているようです。
奥様もご住職も同じ意見だったので言いますが、ここはいずれ守る人が居なくなると思います。
そのほうが、本来の自然の循環に任せた良い状態が保たれると思いますが、40年間守ってくれる人がいたおかげで、今は、坂道も安全に登れる階段があります。
京都のお坊さんの多くがお金儲けに走りすぎて、修行僧たちさえ嫌になるという話を聞くほど、坊主も神主も堕落した理由も、神仏の後利益主義に依存した私たちの責任があると思います。
心清らかなあなたは、ぜひ、京都へ来た時にこのお寺へ立ち寄って、岩の間から染み出る一滴のお水を飲んでみて下さい。
入館料は、たったの200円。
お水の持ち帰りも、500mlのペットボトル2本まで無料です。
販売しているのは、護摩焚きの木ときれいな水の音がするキーホルダーだけです。
もっともっと、お客さんにお金を落としてもらえる工夫はあると思いますが、そういう坊主の堕落した姿が嫌になったからこそ宗派を離脱して、40年前に家族でここに移り住んだ話を教えて下さいました。
どうぞ、あなたも足を運んで、お水を頂いた後、純粋な気持ちでお暮らしになっている神守りをしている方のお話を聞いてみて下さい。
神仏に向き合う本当の心を学べる場所だと思いますよ!
2011.07.22 Fri
人を傷付けない為に・・・
昨日、笑顔のステキな方と食事をしましたが、その会話の中で出てきた言葉は、
私はもう誰かを傷つけたくないので、自分の自我や欲望を出すことをやめました。
最近は、自分さえ、消滅してしまえばいいのかなと思ったりすることがあります。
このアホな言葉を聞いた時、私は怒りながら、こう伝えました。
大神様は、この地球に人間を作られた時、全ての「欲望と愛」を与えてくれたのに、どうしてあなたは、その欲望を「悪」だと決めつけるのですか?
あなたが自分自身の存在を否定するという事は、大神様が作られた人間として、まだ生かされている愛を踏みにじることだと気づきませんか?
自己犠牲は、最高の罪なのですよ!
「自分を傷つける」、「自分を否定する」ことこそ、自分を生み出してくれた両親や神様を冒涜する最悪の罪だとは気づきませんか?
久しぶりに、とんでもないアホな人にあってしまったと思いました(^^;
確かに、私たちは社会や誰かの言うの善悪ルールに囚われていつも苦しみますが、その「善悪というルール」を作りだしたのは人間です。
ルールや善悪や罪と罰を作り出した最初の人間は、実は、誰かを支配しようとして「罪と罰」を作った事を大神様は相当前に私に教えて下さいました。
だから大神様は、一切、物事の善悪も、ルールも作り出してはいません。
作り出したのは、「摂理と道理」だけだと言ってもいいでしょう。
人間を作った大神様は、生きる上で必要だからこそ、全ての「欲望」を与えて下さいました。
ただ欲望は、時として他人を苦しめる場合もありますが、誰かが喜んでくれる事もある事をどうして見ようとしないのでしょうね?
何もしないこと、誰も傷つけないことが、本当に愛なのでしょうか?
この人の思いは、どこかの宗教家が言うように、「欲望を全て悪」と思い込んで自分を守っているマイナスの思いだと気づいていません。
子供もそうですが、よく純粋な方ほど、こういう思考になりやすいのですが、この考えが「エゴ」だとは気付いて欲しくて熱く語ってしまいました。
一番アホなのは、自分の欲望さえ抑え込めば、誰も傷つけないと思い込んでいることです。
とても大きな間違いを犯していることに、気づいていませんね。
でも、こういう思考パターンになっている人が多くいる事も知っていますので言いますが、これが、人間が作り出した呪縛のようなカルマだと気づいて下さい。
何度もいいますが、人間を作った大神様は、必要で「欲」を与えて下さいました。
ただ、欲を使う心によって、苦しむ人も、喜ぶ人もいるだけなのです。
だから、間違わないでくださいね。
人間が持っている全ての欲望は、悪ではありません。
その欲を善に使うかどうかも、自分と相手の思い次第ですから、常に、互いの心を確認しながら欲望を歓びに使う努力をするべきなのです。
全ての欲望は同じ摂理なので、食欲という視点からお話ししますが、私たちは生きている限り、最高の欲望である「食欲」をやめることはありません。
人間が生きるということは、野菜や植物や魚や動物の命を奪い続ける殺生な動物なのです。
食欲という欲望を否定するという事は、奪った命を犠牲にしていることになりますし、植物の、海の命の、大地のや動物の命を奪いながら生き続けるしかない愚かな動物なのです。
そうまでして生きる中で誰かを傷つける経験をしたと苦しむ時期はあると思いますが、自分の欲望を否定することなど決してしてはいけないことなのです。
全ての欲望は、必要で与えられています。
「一日でも生きたい、生き延びたい」、これも欲望です。
食べたい、眠たい、セックスしたい、夢を叶えたい、有名になりたい、お金持ちになりたい・・・
これも全て、普通の必要な欲望です。
そして、起きる結果の全ては、罪でも罰でもありません。
ただ、お互いが学びの過程なのです。
ただ、あなたの選択によって傷つく人と、喜ぶ人がいるだけなのです。
この人生の中で私たちは、「生きるステージ」をあげるために、今世、生まれ変わりました。
それは、過去の罪滅ぼしの為に生まれたのではありません。
全ての苦しみを愛に、全ての苦しみを喜びに変えるために、生まれてきたのです。
何度、倒れても、何度、人を傷つけても、また、誰かを救うために歩き出す為に、欲望は必要なのです。
まだ、そのことに気づかず、他人を批判する愚かな人がいる事だけは覚えておいて下さい。
私たち人間は、これまでの人生を罪意識で見れば全てが罪人となりますし、全員が愛の人だと気づけば、全ての人の行いも愛を気づく為の経験だと気づくはずです。
そんなことにも気付かないあなたは、また大切な人を失わなければ愛がわからないのですか?
こんな愚かな、そして、他人を傷つける最低の人間を生かし続けてくれている大神の意志に気づかなければ、生かされている意味さえわからないと思います。
この世で最高の罪は、自分を殺すことです。
それは自虐的な自分であり、また、自己犠牲の自分です。
どちらも、最高の神の愛を否定するように、自分を否定する行為だからです。
どうぞ、気づいて下さい!
私たちは、まだ生かされているのです!
だからこそ、自分を殺している場合ではないですし、他人を否定している場合でもありません。
あなたの思う好き嫌いがあったとしても、その両者を認め、生かす方法に気づかなければ、この世で経験する全ての事が罪になってしまいます。
今、自分を殺して、善人のふりをしているあなたこそ、最悪の罪人なのですよ!
そう考えるならば、私たちは全員が罪人だからこそ、大きなステージをあげるために生まれてきたのだと気づいて下さい。
あなたは、一人ではないことを。
そして、愛を、許しを、一番必要なのは自分自身であるということを認めて下さい。
このことに気づいた人は、まず自分を許し、他人を許しましょう。
一切の否定なく、人生で起きる全ての結果を自分の結果として認めて下さい。
私たちは、同じ人間です。
貧乏も、金持ちも関係ありません。
成功も、失敗も関係ありません。
ただの、経験という過程にすぎないのです。
大切なことは、経験からひとつでも学ぶことです。
まだ、生かされているのですから。
愛を与えましょう、自分に!
許しを与えましょう、自分に!
そして、その自分が一歩、歩みだす為に、勇気をもって進もうとしている人に出会う努力をして下さい。
99%失敗の人生でも、最後の1%で成功すれば、人生は成功なのです。
人生の評価は、他人が下すものではありません。
人間を産んだ神であり、そして、自分が下すべき人生を楽しんで生きることです。
神様は、外にはいません。
あなたの中にいます。
だから、誰かを救うよりも、まず先に、自分を救ってください。
弱い自分も、大嫌いな自分も、言い訳したい自分も・・・みんな同じです。
私たち人間は、弱いからこそ、たくさん生まれ、過去の思いを置き換えあい、支えあうために出会っています。
そのことに気づいた人は、今、自分の相手をしくれている人に「ありがとう」を言いましょう。
今、あなたの思いを置き換えてくれた、目の前の人に・・・。
2011.07.21 Thu