閉じる


フォルトナはきみに微笑む -For/tuna in Dice-Kingdom-

[1]城の外

 右手にダイス。
 左手に薬。
 そうしていつも、わたしは振っていた。
 コロコロと転がるダイスは、とまった数字を確認したとたん、消え失せる。
 残るのは、冷たい結果だけ。毎日わたしの目に焼きつく、【0】の数字。
「――ごめんね、おじいちゃん。わたし、今日もお薬をあげられないの……」
 もう涙も出なかった。
 日に日に弱ってゆくおじいちゃんを見ても。
 それでも微笑む、おじいちゃんを見ても。
 泣けなかった。
「トナ……運命を、恨むんじゃないぞ」
 そう言い残し、とうとう死んでしまった、おじいちゃんを見ても。
 ――わたしは、泣けなかった。
 ただ哀しみと、なにもできなかった悔しさと――憎しみが、募るだけで。

 だからわたしは、旅に出た。
 もう一度――泣くために。

        ■

「なんてきれいな空なの……!」
 ガタゴトと荷馬車に揺られながら、青く澄み渡った空を見あげた。わたしがどんな想いを抱えていても、瞳に映る空は変わらずに、はるか高みからわたしを見守ってくれている。
 今は、そんなあたりまえのことがなんだかうれしい。
(まるでおじいちゃんみたいね)
 普通の人ならきっと、ここで「フォルトナさまみたい」なんて思うのだろうけれど、わたしにはとても無理だった。なぜなら、わたしが普通じゃないからだ。
 普通の人なら、思いつくはずがない。自分でもそう思うようなことを、これからやろうとしている。
「――おや、どうしたんだい? お嬢ちゃん。ひとりで含み笑いなんかして」
 不意に、となりで綱を操るおじさんに指摘され、口もとがゆるんでいたことに初めて気づくわたし。そんなつもりはなかったのに、まるで悪巧みでもしていたみたいだと、今度は声に出して笑う。
「わたし、うれしいんです。都会って、わたしが想像していた以上に、とってもきれいでにぎやかな場所なんですもの!」
 ごまかすための言葉でも、内容は本心だ。
 藁を運ぶ荷馬車に乗せてもらい、生まれ育った田舎を出て初めてやってきたこの都会。聞きかじった噂話から、あれこれと勝手に想像をめぐらせていたけれど、実物はそれよりもはるかにすばらしいものだった。
 きちんと整備された道路の両側には立派な建物が並び、大勢の人々が行き交っている。
「都会は初めてなのかい? それじゃあ人の多さに驚いただろう」
 わたしの反応が面白かったのか、おじさんも笑いながら訊いてくる。
「ええ! この通りを歩く人だけでも、こんなにいるなんて……わたしが住んでいた村の住人全員合わせても、全然足りないくらいだわ」
「まあしかし、その分悪い人も多いからね。お嬢ちゃんみたいに可愛い子は、攫われないように気をつけないといけないよ」
「え……やっぱり本当に、そういうことがあるんですかっ?」
 おじさんの脅しのような言葉に、わたしは眉をひそめて横を見た――そのときだった。
「わ……っ!?」
 急に強い風が吹き、頭の上の麦藁帽子を飛ばされそうになったのだ。さいわい、あごにゴムをかけていたおかげで大丈夫だったけれど。
(飛ばされたら、困るのだわ)
 この麦藁帽子は、おじいちゃんが亡くなる前に編んでくれたもの。目が悪くなってよく見えなくても、震える指先をとめることができなくても。わたしを強い日差しから守るために、一生懸命つくってくれたのだ。
 絶対に失くしたくはないと、両手を帽子に残したまま、警戒してあたりを見まわすわたし。
 その様子を見たおじさんは、目を細めて笑った。
「ハハ。ここいらは特に風が強いからな、そんなツバの広い帽子じゃあ大変だろう?」
「ええ、ゴムがあっても怖いわ。押さえていても身体ごと飛ばされそうだもの。都会はどうしてこんなに風が強いの?」
 そのせいで、おじさんが言ったように、ツバの広い帽子をかぶりにくくなっているのだ。道行くたくさんの着飾った女性たちを見ても、わたしのようにツバの広い帽子をかぶっている人はひとりもいなかった。
(わたし、とても場違いだわ)
 思わず心のなかでつぶやいた。
 着飾れない田舎娘のわたしは、せめてこの鼻ぺちゃな田舎顔だけでも隠そうという気持ちもあって、この帽子をかぶってきたのに。それで逆に目立ってしまうなんて……。
 ただ、だからって帽子を脱ぐ度胸もないのが、わたしが田舎娘な証拠なのかもしれない。
 おじさんは、そんなわたしの揺れる乙女心になんて気づかず、問いの答えだけをくれる。
「都会は――と言うよりも、問題はこのあたりの地形にあるのさ。実はこの道の先に、高い山があってね。その山の存在と、山から海へ向かってゆるやかに傾斜していることが、この強風の原因らしいんだ」
 言われてみれば、今通っている道もゆるやかなのぼりになっているようだった。
 おじさんは続ける。
「特にここは風の通り道になっていて、建物で挟まれた道路を人だけでなく風も歩くというわけだ。――いや、歩くというより走るといったほうがいいかな」
「まあ……じゃあこれは、風の団体さんなのね!」
 わたしは思わず手を叩く。
 風は掴めない。だから寄せ集めるなんて、一見不可能なことのように思えるけれど、こうやって通り道を限定してしまえば、風をうまく集めることができるのだ。
 わたしにはそれが、なんだかとてもすてきなことのように思えた。見えないものを、手も触れずに動かす魔法みたいで。
「ハハ、まあそういうことだ。――おっと」
 そんな会話のあいだにも、強い風が吹きつけてくる。前で荷馬車を牽く馬たちも、心なしか走りにくそうだった。わたしだって、本当なら目を見開いてもっと景色を見たいのに――すてきだけれど、やっぱりこの風は強すぎると、わたしはひとり苦笑した。それから風を避けるようにして、顔を動かす。
 すると目に入ったのは、後ろに積んである藁だ。飛ばされないよう大きな布をかぶせ縄でとめてあるのに、それでも隙間から抜け出した藁の一部が、風に乗って飛んでいた。そして、この風を生み出している景色のなかに、スッと溶けこんでゆく。
 わたしはおじさんに気づかれぬよう、こっそりと肩をすくめた。
(――嫌だわ。場違いなのは、わたしだけじゃないみたい)
 藁を運ぶ荷馬車とこの景色は、まるで合っていないのだ。
「おじさん、この藁はなにに使うの?」
 ふと気になって尋ねると、となりで巧みに綱を操るおじさんは、小さく苦笑する。
「燃やして動力にするのさ。燃えるものならなんでもいいが、藁がいちばん安いからね」
「そっか……すぐ灰になっちゃうのね」
 おじさんが苦笑した理由がわかって、わたしは切なくなった。どんなに心をこめてつくっても、一瞬にして燃えてしまう命なのだ。
(まるで、運命、みたいだわ)
 ダイスの決める一瞬で、命を奪われたおじいちゃんのことを思い出す。どうしても逆らえなかった、自分の弱さを思い出す。
 ダイスの結果は、絶対だ。従わない者は、その後の運命を全部捨てたと見なされ、その人が存在した事実ごと世界から消される――と、言われている。だから、あとにはなにも残らないのだ。あのときもし、そんなふうにわたしが消えてしまっていたら、おじいちゃんを看病することもできなかっただろう。
(だから、わたしは――)
 ひざの上の両手を、ぎゅっと握りしめる。
「……おじいちゃん……」
 運命を恨むなと言った。
 でもそれは――無理だ。
「え? なにか言ったかい?」
 つぶやいたわたしの声は、風に邪魔されおじさんには届かなかったようだ。心配させまいと、わたしは首を左右に振る。
「ううん、なんでもないの。それより、お城が近づいてきたわ」
 遠くからでもとんがった頭は見えていたのだけれど、今はもう少し、首まで見えている。
「そうだな。わしは途中から城とは別の方向に行くんだ。降りるかどうか、ダイスを振ってみなさい」
「はーい」
 わたしがそう返事をした瞬間、右手に現れるダイス。【0】と【1】しかないそれは、わたしがまだ子どもな証拠だった。【0】は『否定』、【1】は『肯定』。わたしは出た目に、従わなければならない。
 右手を傾けて、ダイスを宙に放つ。わたしの足もとにコロコロと転がった、それは――
「【1】よ」
 つまり『降りろ』という合図だった。
「こっちは【6】だ。えーっと……」
 おじさんも同じように自分のダイスを転がしていたようで、右手で綱を操る一方、左手では『運命手帖』を開いていた。【1】から【6】までのダイスと運命手帖は、おじさんが大人な証拠だ。ダイスが六面以上になると、もう『否定』『肯定』だけでは判断できなくなるから、ダイスから【0】が消える。そして、ダイスと一緒に詳しい内容が書かれた手帖が現れるようになるのだ。
 その手帖に書かれている内容を確認しようと、おじさんは前を見ながら手帖も見る。荷馬車は変わらず前に進んでいるから、交互に、素早く。そして何度も。
 その様子がとってもおかしくて、わたしはこらえきれずに肩を揺らした。
「こら、笑うな。えーっと、【6】は……『そこの角でトナちゃんを降ろす』だな」
「あら、よかった」
「本当にな。【1】でも出ていたら、わし自身が『悪い人』になるところだった」
 にやりと笑ったおじさんが気になって、わたしはその先を問いかけてみる。
「【1】は……なんだったの?」
「『トナちゃんを降ろさず連れて帰る』」
「まあ!」
 それでは完全に誘拐犯だ。わたしのダイスで【1】が出た以上、『降りようとするわたしを降ろさない』という展開になってしまうのだから。
 ふたりして、声を立てて笑った。
 そうしてひとしきり笑ったあと、
「まああれだ、やっぱり運命ってのは、それなりにうまくできているもんだな」
 おじさんが告げた言葉に、顔ではまだ笑いながらも、ズキンと心が痛んだ。
「……うん、そうなのだわ」
 今は、そんな答えしか持てない。ここまで楽しく送ってくれたおじさんの、機嫌を損ねるようなことは言いたくないから。
 ダイスによって定められた『角』まで来ると、わたしは馬車からピョンと飛び降りた。それから何度もお礼を言って頭をさげ、走り去る荷馬車の後ろ姿に手を振り、次に現れるのは――手のなかの、ダイス。
 ごく自然になにかをするときには必要ない。
 頭をさげるとか、手を振るとか、無意識のうちにとってしまう行動は自由だ。
 けれど「しよう」と思うと、それは現れる。
 振らなければどこへも進めない。
 なにもできない。
 それは、運命を決めるもの。
 わたしは地面に投げつけた。
 少し弾みながら転がったそれは、小さな石ころにぶつかってとまる。
 ――【1】だ。
「お城に、行かなきゃ……」
 つぶやいたわたしは、顔をあげ前を向いた。
 消えたダイスなんか、確認してあげない。
 わたしはわたしの意思でお城に行くのだと、歩き出す一歩一歩に自然と力がこもる。
 お城で悠々と暮らしているだろうダイス・キングに、一瞬でも早くわたしの怒りを聞かせたかった。
 気がつくと、走り出していた。



 このダイス・キングダムには、国を動かしているダイス・キングがいる。逆に言えば、ダイス・キングがいるからこそ、ダイス・キングダムと呼ばれているのだろう。
 わたしはそのダイス・キングにひとつの『お願い』を伝えるために、お城を目指していた。そのためだけに、たったひとりで田舎からやってきた。
 その願いとは――
「ダイスによって運命を決めるという仕組みを、やめてほしい」
 そんな、切望。
(だって、ダイスなんかで行動を決められていなければ、おじいちゃんに薬をあげることも、自由にできたのに)
 そしてもし、一度でも与えることができていたら、おじいちゃんはこんなにも早く死ななかったかもしれない。
 恨まないなんて、無理だ。いくら大好きなおじいちゃんの言うことでも、聞けない。わたしはダイスも運命も――運命の女神・フォルトナも憎かった。
「おまえの名前は、フォルトナさまから取ったんだよ」
 そう言われても、今はうれしくない。
 その女神さまが、どんなに美人でも。
 人に慕われていても。
 わたしにとっては――
(でも、ダイス・キングならなんとかしてくれるかもしれないわ!)
 それが、おじいちゃんを失ってひとりぼっちになったわたしの、唯一の希望だった。
 そもそも運命を決めているのは、ダイス・キングではなくフォルトナさまなのだ。そのふたりにどんな縁があるのかはわからないけれど、ダイス・キングがフォルトナさまと手を切ってくれさえしたら。ダイスで運命を決められることも、なくなるかもしれない。
 そうしたらダイス・キングはダイス・キングでなくなってしまうけれど……『王』に変わりはないのだから、きっと国はそのまま動いてゆけるだろう。平和なまま、もっと幸せに暮らせるだろう。
 わたしはそう思っていた。
 お城のなかでどんなことが起こっているのか――知りもせずに。



[2]城の中

 室内は、闇に覆われている。
 自分の部屋にいるとき、私は何も見ないし、何もしないから、それで問題なかった。理由もなく灯りをつけるなど、燃料が勿体なくて出来ない。
 部屋の最奥、更に暗い場所で椅子に腰掛け、私は目を瞑っていた。だが、寝ているのではない。ただ、時間が過ぎるのを、待っている。
「――トゥエン、今日も食べないのか?」
 ふと、遠くから人の声が聞こえた。すっかり聞き慣れた距離と台詞。それがくぐもった音なのは、分厚い扉を挟んでいるからだ。
「食べないよ」
 いつもの事だから反射的に、私は大きめの音量で返した。そうしなければ、向こうまで届かない。
 そして、声を掛けて来た相手であるユールも、いつも通り大袈裟なため息を吐く。扉越しでもそれがわかるくらいだ、余程盛大に吐いたのだろう。
(そのまま酸欠で倒れてしまえばいいのに)
 と物騒な事を考える私を余所に、ユールは『いつも通り』を続ける。
「ダイスを振るからな。――【1】だ。入るぞ」
 前置きをしてから、鍵のない扉を開けた。
 それは私にとって、許しがたい侵入だ。男が女の部屋に押し入る事自体がそもそも信じられないし、相手が大嫌いなユールというだけで、吐き気がする。
「フォルトナ!」
 だから私は、ユールに対抗して叫んだ。傍らに控える、運命の女神の名を。
 ――そう、私はこの部屋の中にひとりきりでいたのではなかった。フォルトナが傍に立っていたのだ。だが、この美しい彼女を目視する事が出来るのは、この城内でも私だけ。よって、私以外の人間がこの部屋を覗いたら、やはり私しかいないと証言する事だろう。
 私に名を呼ばれたフォルトナは、私の目前まで移動して来ると、何も言わずに掌を傾けた。そこからぽろりと、小さなダイスが落ちる。そして少し床を転がった後、【6】を上にして止まった。
 どんなに暗くても、ダイスは光って見えるので目を見間違える事はない。もちろん運命手帖も同様で、左手に現れていたそれを確認すると、『ユールを無視して部屋を出て行く』という内容が示されていた。ユールを部屋から追い出すのではなく、私が出て行った方が早いという判断だ。
 納得した私は、棺桶のように静かで心地いい椅子から立ち上がる。同時に私の長い黒髪も、椅子の背もたれからはらりと落ちた。
 そして私と同化する。
 私は闇を背負ったまま歩き出す。
「お? なんだ、やる気か?」
 既に部屋の中央辺りまで入って来ていたユールは、何故か嬉しそうに拳を構えた。
 短い金髪を全て後ろへと撫でつけているユールの髪型は、正直あまり似合ってはいない。私がユールを嫌いなのは、その髪型のせいもあった。
(真似をするには、まだ早いのよ)
 一瞥しただけで、ダイスの結果通りユールを無視し、その横を通り過ぎる。
 しかしユールも黙ってはいなくて、
「ちょっと待てよ!」
 掴まれた腕を咄嗟に振り払うと、その手がユールの顔に当たってしまった。
 だがそれも無視して――ただ、歩いた。
 脚にまとわりつく布を蹴りながら。
 開いたままの、扉へと向かって。
「おい、トゥエンっ?」
 何も聞こえない。
 もし聞こえていたとしても。
 それを認めても。
 私はトゥエンという名前が嫌いだ。
 だから返事をする義務はない。
 その名前どころか、私は私の本当の名前でない物は、全部嫌いだった。
 だが困った事に、私は自分の本当の名前を知らなかった。
「聞こえてるんだろ? トゥエンっ!」
 だから聞こえない。
 何も、聞こえない。
「っ……フォルトナ! いるならなんで、トゥエンの身体を気遣わないんだよっ」
 堪えきれなくなったように、ユールが私の背中に叫んだ。
(反応なんか、してあげない)
 それでもフォルトナが、後ろを振り返った気配がしたから。
「――気にしなくていい」
 呟いて、私は歩き続ける。
(貴女は悪くないよ、フォルトナ)
 間違えているのは、いつでも人間の方。
 何故ならフォルトナは、ダイス・キングダムに住む全ての人のためを想って、私を自由にさせてくれているのだ。それなのに、ユールはどうしてフォルトナを責めるのか、私にはまるで理解出来なかった。
 だからこそ、声は私をすり抜ける。
 長い回廊は、前にだけ続いていた。
「どこへ、行こうか?」
 フォルトナを安心させるために、私は少し笑ってみる。
 向かう場所などない事を知っていながら。
 歩いた。
 自分のためではない理由を求めて。



(食事なんてくだらない)
 私はそう思っていた。
 とりあえず生きていける量さえとっていれば、問題ないと。
 だから私はあまり食事をとらなかったし、そのためたまに倒れていた。ユールが私の食事を気にしているのは、そのせいだ。
「いい加減、ちゃんと食べろよ!」
 他の人は誰ひとり口を挟まないのに、ユールだけはいつもしつこく絡んできた。「自分は唯一の幼なじみなんだから、ちゃんとしなきゃ」などと、勝手に思っているのかもしれない。
 実際、私とユールはこの城へ来る前から一緒にいたし、城内に他の知り合いがいないのも確かだった。だからこそ私も、面倒だとは思いつつも、無視は二回に一回程度にとどめていたのだ。
「食べてるよ? 倒れたときに」
「それじゃあ遅いんだよっ」
「そんな事言われても――」
(私に食欲なんて、ないんだから)
 口にすれば、ユールはますますしつこくなるだろう。わかっていたから言わなかった。
 それに、食欲だけではない。私には睡眠欲もなかった。だから倒れるまで寝ない。睡眠なんて、くだらない。
 自分の中に本来あるべき欲は、大抵そんな風に「○○なんて」と簡単に言い捨てられる程度の、些細な存在だった。
 時間をやり過ごすためだけに歩き続ける私は、先程聞いたばかりの台詞を思い返す。
『っ……フォルトナ! いるならなんで、トゥエンの身体を気遣わないんだよっ』
 馬鹿な事を言うユールに、私の口元は歪む。
 そもそもフォルトナは、そんな私だからこそ、私だけに姿を見せたのだ。私を気遣っていないのではなく、私の意思を誰よりも尊重してくれている。ただそれだけの事。
「フォルトナは、悪くないからね」
 城内を徘徊しながら、私はもう一度、フォルトナにのみ聞こえるように呟いた。心配そうに私を見てくれていたからだ。
(……変なの)
 フォルトナに心配されるのはくすぐったくて嬉しいのに、ユールに心配されるのはウザったくて仕方がない。だから嫌いなのだ。
「――お、トゥエン! 丁度いい所に」
 呼ばれた一瞬、私はついびくりと反応してしまった。だが、聞こえた声はユールの物ではなかったから、安心して立ち止まると目を向ける。
 廊下の向こうから私を呼んだのは、ダイス・キング直属委員会の人だった。名前は知らない。
 どう反応しようかと私が決める前に、素早く近づいて来たその人は先を続けた。
「キングが、これからダイスを振って欲しいと」
 だから、大嫌いなのだ。ユールは少しも私を放っておいてくれないから。
 私は『ただのユール』を無視出来ても、『キングのユール』を無視する事は出来ない。
「あ、あの……?」
 私があからさまに顔を顰めたからか、直属委員会の人は戸惑った様子で一歩退いた。
 「仕方ない」と一つ息を吐いてから、私は視線でフォルトナにダイスを振らせる。
 結果は、わかっている。見るまでもなく、私にはわかる。だが目が出ないと、先へは進めないから。
 ――【12】が出た。
 私は手帖を、確認しなかった。
「行きましょう」
 唖然とするその人に言葉を投げて、再び歩き出す。
 無言で後ろをついて来るフォルトナが、私の行動が『当たり』である事を示していた。

        ■

 皆のために。
 世界のために。
 『私』という存在を目視してくれる、沢山の存在のために。
 私はダイスを振る。
 私以外誰も持ちえない、二十面体のダイス。
 そうして振られたそれは、必ず、あらかじめ決められた数字を示した。
 それが私の存在理由。
 他には何もない。
 だから私は、『自分』には拘らなかった。
 それにより、どんなに疲れても、仕方がない事だから――。
 仕事を終えた後、鈍い足取りで戻る自分の部屋。心配したユールが追って来ても、フォルトナの振るダイスで無視をするだけ。
(するだけ――だったのに)
 城外が騒がしかったから、私は思わず窓の外に視線を投げた。
 すると、私よりも小さな女の子がひとり、城を守る警護隊と怒鳴り合っているのが見えたのだ。その子はかなりの田舎から来たのか、この辺ではまず見ないような大きなツバの麦藁帽子を被っていた。
「なんだ、あれ……」
 ユールは私のすぐ傍まで追いつくと、その視線まで追って呟く。
 私達は足を止めて、しばらく見入って――聞き入っていた。どうやら女の子は、ダイス・キングに会いに来たようだった。
「会って、言いたいことがあるのですっ。どうして会わせてもらえないのですか!?」
 そんな必死な声が、こちらまで届いていた。
 『ダイス・キングに会いたい』――それはかなり珍しい願いだ。
 大抵の国民は、ダイスによって運命を司っているのはフォルトナだと信じている。ダイス・キングはただの象徴であり、運命には直接関与していないというのが、一般的な考え方だった。だから、フォルトナに祈りを捧げはしても、ダイス・キングに会いたいなどという者はほとんどいなかったのだ。
 しかもわざわざお城にまで押し掛けるとは、余程キングに会いたいのだろう。
「あんたのファンなんじゃない?」
 隣のユールをからかうように言ってやると、
「おまえ以外の、ファンはいらないよ」
 ユールは大真面目な顔で答えた。
「あんたって――」
 私はそこで精一杯ためてから、
「ほんっっっとーーーに、馬鹿よね」
 全力で言い切ってやる。
 生まれてから今に至るまで、私はユールのファンになった事などない。キングのユールでもそれは変わらないし、これからもない。それは確実な事だ。
 ユールは面白くなさそうに眉を寄せる。
「トゥエン。おまえ俺より二つも年下なんだから、いい加減『あんた』はやめろよっ」
「たった二つでしょ? それとも何? 『ダイス・キング様』と呼んで欲しい?」
 私がそれを口にすると、今度は下唇を噛んで露骨に傷ついた顔を作った。
「――俺が何故ダイス・キングに立候補したのか、わかってるんだろ? それでよくそんな事が言えるな」
(あんただって、私のこの性格を知ってて、よくそんな事が言えるよ)
 思いはしたが、あえて口には出さなかった。一度言い争いになると、止まらない事を知っていたからだ。
 代わりに、名前を呼ぶ。
「フォルトナ」
 するとフォルトナは、自主的にダイスを振り、私がユールから離れるための運命を引き寄せてくれる。
 フォルトナは、わかってくれているのだ。ユールが傍にいると、苛々してしまう私を。だからこそいつも、私が直接望まなくても、そういう選択肢を選んでくれる。私の苛々が国のためにならない事も、知っているからだ。
 私がフォルトナを呼んだ事で、ダイスを振らせた事に気づいたのだろう。ユールはまだ沈んだ顔をしたまま、訊いてくる。
「……なんの目が出た?」
「【20】よ。あんたを無視するわ、ユール」
 これ以上追い掛けて来ないように断ってから、私は部屋へと向かって歩き出した。また手帖を確認しなかったが、フォルトナは何も言わない。
(合ってるのね)
 ――そう思ったのは、半分間違いだった。
 部屋に戻ってから、フォルトナに袖を引かれてそれに気づいた。そうして確認した手帖の、【20】の項目には――私の想像を遥かに超える続きがあったのだ。



[3]城の外

 ――【1】。
 出た目に従って、わたしは必死に警護隊のお兄さんと交渉を続けていた。けれど、お兄さんのダイスの目はわたしを否定しているらしく、まったく話にならない。
「だからっ、ダイス・キングに会わせてくださいって、言っているのです!」
「だから、無理だって言っているだろう!?」
 さっきから同じことを叫びあっている。
(どうしよう……)
 わたしもいい加減疲れてきた。空の色も、だんだんとオレンジがかってきている。早めに街のほうへ行って宿を探さないと、本当に暗くなってしまいそうだ。泊まるところを決めてから来ればよかったと、今さら後悔した。
 うつむくように、自分の手に目を落とす。
「……もう一度、ダイスを振ってみます」
 まだ交渉を続けるか、やめるか。
 わたしの振る意思を嗅ぎつけて現れたダイスを、高く放り投げた。ダイスはお兄さんの足もとでとまり――【0】。
(ああ、やっぱり戻ろう)
 わたしはやっと決心した。
「今日は、あきらめます。でもまた明日、来ますから!」
「何度来ても同じだっ。民間人は城のなかには入れられない!」
(こっちは帰るって言っているのに……っ)
 相変わらず態度をゆるめないお兄さんに、無性に腹が立ったわたしは、言ってやった。
「でも運命は、ときとしてあなたを裏切りますよ!」
「なんだとォ、このガキっ」
 それからわたしは、逃げるように走った。宿のある街のほうへと向かって。
 明日、本当にあのお兄さんの運命が変わることを、祈りながら。

        ■

 宿も、ダイスで決めた。
「泊まる? 泊まらない?」
 一軒一軒宿の前で振っていって、【1】が出た宿に泊まることにしたのだ。都会には悪い人も多いと、荷馬車のおじさんが言っていた。だけどわたしには、宿の良し悪しを判断できる目がない。だからダイスの目に賭けた。
 ダイスで決めて、もし嫌な目にあっても。
 ダイスの――運命のせいにできるから。
「わたし、ずるいのだわ……」
 そうやって決めた宿の一階にある酒場で、わたしは夕食をとっていた。そんななか、つい愚痴がこぼれてしまったのは、ひとりで泊まりに来たわたしを心配した宿のマスターが、親身になって話を聞いてくれたからだ。
「ずるいって、なにがだい?」
 わたしのつぶやきに反応して、マスターはひょいとわたしに顔を近づけた。周りのお客さんたちがお酒を飲みながら騒いでいるから、そうしなければ声がちゃんと届きそうになかったのだ。
 もっとも、ここは酒場なのだから、場違いなのはわたしのほう。わかっていたから、わたしもマスターに顔を近づけて答えた。
「だってね、ダイスで全部決められるのは嫌だと思って、ダイス・キングに話をつけにきたくせに、結局はわたしもダイスに頼っているのですもの」
 そうしなければ、動けないから――だけじゃない。そうしなければ、責任のすべてが自分にのしかかってくるからだ。
 言葉は無事にマスターまで届いたようで、苦笑するように眉の端をさげると、
「トナちゃん、まだ十四歳だろ? ずいぶんと難しいことを考えているんだねぇ」
 きょとんとした顔で、そう口にした。
 だからわたしは、わたしがそう考えるに至った理由を説明する。
 ――別にわたしが賢いからじゃない。
 ただ運命に、操作されただけ。
 わたしの希望を、裏切りつづけたダイスを。
 ダイスに従いつづけたわたしを。
 そして、運命を恨む、わたしを――。
 わたしはおじいちゃんを失ってから初めて、他人に明かした。
 するとマスターは、目を細めて告げる。
「でもトナちゃん。誰かを裏切った運命が、誰かを助けることもあるんだよ?」
「え?」
 次にきょとんとした顔をつくったのは、わたしのほうだった。
「私は子どもの君を、正直宿には泊めたくないと思った。子どもひとりなんてまず来ないけど、お金を持っていないことが多いし、家出人もいるからね。あとで面倒な事態になることが多いんだ。でもダイスを振ってみたら、運命の女神は君を泊めろと言う。だから私はそれに従って君を泊めたし、こうして夕飯もふるまっているんだよ」
「あ……」
 言われて納得する。
 確かに普通は子どもだけで来たら、どの宿だって断るだろう。それでもわたしがこうして泊めてもらえたのは、おじいちゃんが遺してくれたお金を持っていたから――だけじゃない。
「ありがとう、ございます……」
 わたしは改めて頭をさげた。フォルトナさまにも、頭をさげたい気分だった。
 おじいちゃんを見殺しにした憎しみと、わたしを助けてくれた感謝が、織り交ぜになってわたしの心を強く揺さぶる。
「わたし――」
 どれを信じればいいの?
(なにを)
 この憎しみが正しかったのかどうかさえ、今はもうわからない。
 あんなに嫌いだったのに。
 あんなに憎んでいたのに。
(これはフォルトナさまの罪滅ぼし?)
 わからない。
(気まぐれ?)
 わからない。
(また、裏切られる?)
 ――わからない。
 わかるわけがない。
 ただ、今無心でダイスを振ったら、容赦なく【0】が出るような気がして。
 【1】を出したかった。
(あのときのように)
 すべてを否定されるような気がして。
「――わたし、怖い……」
 つぶやくと、その恐怖を振り払うように、わたしは近くにあったコップを掴んだ。
「ちょっ、トナちゃんそれ……っ」
 勢いに任せて、一気に飲みこむ。
「それお酒だよ!?」
 初めての味と匂いに、くらくらする頭。それでも不味いことだけは、認識できていた。
(なあに、これ……)
「がっはっは、小さいのに酒をたしなむなんて、いい教育されてるな、お嬢ちゃん」
「ほーら、もっと飲めもっとー!」
 周りの酔っぱらいおじさんたちが、陽気に絡んでくる。
(もっと、飲む?)
 深く考えず、頭に浮かんだ問い。深く考えず、現れ手からこぼれ落ちたダイスは――
「――【0】だ。ほら、部屋に戻るよ?」
 不意に頭の上のほうからそんな声が聞こえて、誰かがわたしの腕を掴んだ。
「なんだぁ? 坊主。お嬢ちゃんが振ったダイスの目でも、見えてるってぇのか?」
 水を差された酔っぱらいおじさんたちが、今度はその声の主に絡んでいく。
(誰……?)
 覚えのない声と手に、すでにズキズキと痛みはじめている頭を、それでも無理やり動かして確認した。わたしの目に飛びこんできたのは、ハンチング帽を目深にかぶった男の子。歳はわたしより少し上くらいだろうか? 帽子のせいで顔はよく見えないけれど、知らない子であることは確かだった。同時に、酒場にいること自体が不自然であることも確かだ。――ここに泊まる予定のわたしはともかく。
 でも彼は慣れているのか、酔っぱらいおじさんの絡みにも動じずに、
「うん、僕にはちゃんと見えるよ」
 しっかりとそう答えてから、こちらを見た。
「違ってた?」
(ダイスの目?)
 そんなの、こんなわたしのくらくら頭でも見ればわかる。
 視線を下に落とすと、足もとでわたしに目視されるのを待っていたダイスは、確かに【0】を示していた。
「違って……ないです」
「じゃあ部屋に戻ろう」
「えっ? あ――」
 もう一度促され、わたしはやっと我に返る。
 そう、このままここにいても、きっと酔っぱらいおじさんたちのおもちゃにされるだけなのだ。親切なマスターにも迷惑をかけてしまうかもしれない。そんなことになるくらいなら、彼の手を借りて部屋に戻ったほうが、正しい選択だろう。
 どうせダイスの目には逆らえもしないくせに、一丁前にそこまで考えてから、わたしはうなずく。
 彼はそれをちゃんと確認してから、
「よし、じゃあ立って」
 と、わたしの身体を支えながら腕を引いてくれた。おかげでわたしは、ねずみ取りのような椅子から立ちあがることができた。
 そうして、そのまま酒場をあとにしようとしたのだけれど――
「待ちなさい。君、食事だけのお客さんだろう?」
 わたしを案じてくれているのだろう、マスターが鋭い瞳で彼に問いかけた。
 それでも彼はやっぱり動じることなく、足をとめると変わらない声音で答える。
「ああ、だからこの子を部屋まで送ったら帰るよ。心配しなくても」
 その様子があまりにも堂々としていたからか、マスターは一瞬次の言葉を忘れたようで、声を出さないまま口をぱくぱくさせていた。それからわざとらしい咳をふたつして、
「そ、それじゃあ頼もうかな。こっちの酔っぱらいたちは私が静めておこう――あ、その子の部屋は、二階のいちばん奥だよ」
 どうやら信じる気になったようだ。きっと彼がわたしと同じ『子ども』だからだろう。
 これがもし大人だったら、わたしだってもう少し警戒する。けれどこの彼では、正直警戒のしようがないのだ。背はわたしより頭ひとつ分高いけれど、全体的にひょろりとしていて、わたしをさらって逃げるなんてとても無理なように思えた。
 ふと、彼の顔をよく見ておこうと思い立ったわたしは、頭をあげる。あとで会ったときに改めてお礼を言おうとしたって、顔を忘れていたのでは話にならない。でもそうしているうちに、彼とばっちり目が合ってしまった。
「歩ける?」
 いたずらっぽい瞳で問われ、意地で答える。
「……歩く」
「上等」
 それでもやっぱり肩は借りて、わたしはヨロヨロと歩き出した。
「坊主! 送り狼になるなよ~」
 後ろから、そんな声が飛んでくる。
「まったく、これだから大人は……」
 彼のつぶやきが聞こえた。その言いかたが妙に大人びていておかしくて、わたしは思わず声をもらす。
「笑うなよ。誰のせいで言われてると思ってるんだ」
「ご、ごめんなさい……」
「そう真面目に謝られても困るけどさ」
「ご――」
 また謝りそうになって、わたしは自分の口もとを抑えた。
「何だ? 吐きたいのか?」
「違いますっ」
「アハハ」
 今度は思い切り笑われた。
(ああ……違う意味でも頭が痛いのだわ)
「ほら、階段だよ。大丈夫か? 僕に力があれば、抱き上げたいくらいだけど」
 まだ笑い顔のまま、告げた彼。
「大丈夫です……っ!」
 わたしの顔が熱いのは、確実にお酒のせいだけじゃなかった。
 彼と手すりの助けを借りて、一歩一歩ゆっくりとあがるわたし。それに呆れずつきあってくれた彼は、やっぱりやさしいのだろう。
 考えてみれば、そもそも彼はただ単に、わたしの近くの席で食事をとっていただけなのだ。それなのに、わざわざ自分から声を発し、わたしがお酒を飲まされるのをとめてくれた。
 もしあのままだったら、自分では『飲まない』と決めていても、周りから強制的に飲まされていたことだろう。ダイスで決まるのは自分の行動だけであって、他人から強制される行動までは決められないのだ。
 ただ、そんなふうに不可抗力でダイスの決めた運命から外れてしまった場合は、そこから新たな運命が紡がれるだけで、罰はない。それは、運命に従わず消えてしまった場合と違って、証言者がいるから確実なことだった。
(でも、できるだけ裏切りたくはないの)
 そのほうが、いざというときに、今度こそ望み通りの結果を出してもらえるかもしれない。――やっぱりわたしは、ずるいのだ。
 階段をのぼりながらそんなことを考えていたわたしは、あてがわれた部屋の前につくと、すぐに深々と頭をさげた。
「なんだか巻きこんでしまったみたいで、ごめんなさい。送ってくださってありがとう」
 すると彼は、わたしの素直な言葉に照れたのか、ひょいと視線を外した。
「いや……面白い話、聞かせて貰ったし」
「え?」
 それからわたしと目を合わせなおして、にっこりと笑う。悪巧みをするような表情だ。
 と、そう感じたのは、あながち間違いではなかったらしい。
「明日、ダイス・キングに会わせてやろうか?」
「本当っ!?」
 次に彼から飛び出したのは、そんな誘いだった。きっと、わたしとマスターの話を盗み聞きしていたのだろう。
(面白い話って、あのことだったのね)
 一拍遅れた納得をして、言葉を繋ぐ。
「あなた、お城のかたなのですか?」
「ああ、ダイス・キングとは知り合いだ」
「まあ!」
 なんという偶然。まるでできすぎた物語のようだったけれど、わたしは自然と信じていた。わたしを助けてくれたこの人を、信じずにはいられなかった。
 ――けれど。
「信じるかどうか、ダイスを振ってみてもいいよ?」
「え?」
 そう告げられて、一瞬考えてしまったから。
 わたしの右手に、出現するダイス。
(どうする?)
 もし【0】が出てしまったら。
 わたしは、信じることができなくなる。
 強制的に、彼を疑わなければならないのだ。
 手が、震えた。
「大丈夫だよ。僕は信じてる」
 笑う彼の言葉を、わたしも信じたかった。
 手からこぼれ落ちるダイスは――
「ほら、【1】だ」
「どうして見えるのっ?」
 さっきも言い当てていた。普通自分以外のダイスの目は、見えないはずなのに。ダイスの輪郭は見えていても、数字を判別することはできないのだ。それは運命手帖も同じ。
 彼はまた笑うと、その問いには答えずに、
「――明日の朝、迎えに来るよ」
 それだけ告げ、まわれ右をして走っていってしまった。
「待って! 名前はっ?」
 本当は追いかけたかった。けれど、お酒のせいでフラフラのわたしにはとても無理で。それだけ尋ねるので精一杯だったのだ。
 それでも階段の前で、彼はこちらを振り返る。
「『フォル』っていうんだ。おやすみ、トナ!」
 そう告げて手を振ると、帰っていった。
 わたしはすぐに部屋のなかへと入り、窓から顔を出す。
「おやすみなさいフォル! ありがとうっ」
 玄関から出てきたフォルの後ろ姿に、わたしも手を振った。フォルは振り返らなかったけれど、きっと届いただろう。
 そのあとのわたしは、明日のことを考える余裕もないほどすぐに、深い眠りへと落ちた。
 初めての都会は、わたしが感じていたよりもずっと、わたしを疲れさせたようだった。

[4]城の中

 部屋に戻ると、ユールが私を捜していた。
「んっ? トゥエン……そんな格好でどこへ行ってたんだ?」
「あんたに答える義務はないでしょ」
 横を通り過ぎようとした。私を、ユールは珍しく言葉で止める。
「『ブルークの抜け穴』を、使ったのか?」
「……!」
 思わず振り返ってしまった。すると、フォルトナまで驚いた顔をしていて、私はつい笑ってしまう。
「なにがおかしい?」
 眉間に皺を寄せたユールに、フォルトナは見えない。
「――そうだよ」
 それだけ答えると、私は部屋からユールを追い出した。
「おい、『そうだよ』ってなんだよっ? トゥ……フォル!」
 扉越しに、ユールが叫ぶ。かつての名前を呼び、叩く。だが前と違ってこじ開けないのは、私が真に拒絶している事をわかっているから、なのかもしれない。
「明日も、使うよ」
「な……っ」
 最後の言葉を告げて、私は部屋の奥へと引っこんだ。これ以上ユールに話す事はない。ユールが本当に私を理解しているのなら、これで通じるだろう。
 そう、思ったから。
 実際はどうかわからないが、扉の向こうは静かになった。これ幸いと、いつもの椅子に深く腰掛ける。
 暗い部屋と同じくらい、暗い私の心。
(本当に、これでよかった?)
 私自身まだはっきりと決めたわけではないのに、目を向けるとフォルトナは微笑むから――逆らえなかった。
 きっとそれが、私の意思なのだろうから。
 更に暗がりへ落ちるために、目を瞑った。やはり眠るためではなく、懐かしい人の顔を思い出すために。
 あの人――エルリスト=ブルークを。

        ■

 私は、ずっと不思議だった。
(ブルークは、どうして生きていけるの?)
 それは目の見えない人だった。
 目が見えないから、常に自分自身の意思だけで運命を切り開いている、凄い人。
 親に捨てられた――その事実だけで、既に生き苦しかった私は。神様に見捨てられた、ブルークに訊いてみたかったのだ。
「どうして、生きていられるの?」
(目が見えないのに、どうして希望を失わないの?)
 ブルークの大好きなフォルトナ像の前で、無邪気に問い掛けた。
 見上げたブルークの顔には、皺の多い穏やかな笑顔が浮かんでいた。茶色い髪を全て後ろに流しているため、ブルークの表情はいつでもよく見えた。まだ幼く、背の小さかった私からでも。
 やがてブルークは、身を屈めて私を抱き締め、ゆっくりと言葉を刻んでいった。
「目が見えなくてもね。周りの皆が私の存在を認めてくれるから、生きていられるんだよ」
「えー? どういう事?」
 首を傾げる私にも理解出来るように、易しく、優しく。
「自分ひとりだけじゃ、存在している事にならないからね。他に誰か人がいて、その人が目視し、そこに人がいるのだと信じてくれなければ、フォル、おまえだって存在出来ないんだ」
「……でも、私ここにいるよ?」
(必要ないかもしれないけど、いちゃってるんだよ?)
 ブルークは目を細めて微笑む。
「うん、そうだね。でも、今おまえの網膜に映っている世界は、本当はおまえが都合よく創り出している世界なのかもしれない。だって、誰もおまえの眼球を通して世界を見る事は出来ないのだから、もしそうであったとしてもわからないだろう?」
(私の眼球は私だけの物だから、他の人は使えないって事?)
「そんな曖昧な世界の中で、おまえという存在を信じ、話し掛け、手を伸ばしてくれる人がいるという事は、本当に素晴らしい事なんだよ」
 ――よく、わからなかった。
 ただ、私という人間が本当に存在するためには、他の皆が必要なんだって事だけは、理解出来た。
 私を捨てた両親ですら、『私』という存在を証明するためには、必要だったという事。
「じゃあ、存在してたから、私は捨てられたんだね。存在しないと捨てられないもんね」
 否定して欲しいような、そうでないような。
 自分でもよくわからない感情で告げたその言葉は、意外にもあっさりと肯定された。
「確かに、おまえの両親はおまえの存在を認めたからこそ捨てたし、フォルトナ様も、それを認めたのだろう」
 告げるブルークの顔に、暗さは微塵もない。
「え……」
(私、フォルトナ様にも捨てられてたの?)
 対する私には、絶望という言葉がぴったりだった。
「どうして、生きていられるの?」
 最も問わねばならないのは、自分自身にだったのかもしれない。
 しかし、泣き出す私の手を、ブルークはしっかりと握り締めて、
「だってね、おまえの両親は、おまえを捨てる前に、絶対ダイスを振ったはずだろう? そうしてその選択肢に従ったんだ。――なぁフォル? そのときフォルトナ様は、確かにおまえを裏切ったのかもしれない。けれど、その分きっとこれからのおまえを助けるよ」
 そう、言い聞かせた。
「だから信じておいで。フォルトナ様を――おまえの存在を信じてくれる皆を」
(この温かさを、くれる人達を?)
 信じていれば、私は生きていけるの?
 難しい事はわからなかった。
 ただ生きていたかったから信じた。
 ――それからの私は、ブルークの言葉通り、確実にフォルトナに救われていった。
 自分を目視してくれる皆のために。
 私の存在を認めてくれる、皆のために。
 そう思ってダイスを振り続ける私の前に、突然現れた『フォルトナ』。
 初めて目にしたとき、私は泣いた。とうとう幽霊に取り憑かれちゃったんだと思って、わんわん泣いていた。
 そんな私を、フォルトナは後ろからただ見守るだけだった。
 やがて泣き止んだ私は、気づいた。何もしない彼女に。そして勇気を出して顔を見て――目が離せなくなった。
 ブルークが大切に祈りを捧げていた、あの美しい石像にそっくりだったから。
「本物の……フォルトナなの?」
 初めて真っ直ぐ前に立ち、私がそう尋ねると、少し困ったように微笑んだまま、ゆっくりと頷いたフォルトナを覚えている。
「私を、助けてくれるの?」
「私を、生かしてくれるの?」
「私を――見ていてくれる?」
 何度も頷いてくれた。
(フォルトナは、私を見捨てたんじゃなかった!)
 それが証明されて、何よりも嬉しかった。
 そうしてフォルトナの存在を認めた私の、ダイスは急速に進化していった。通常大人になるまでは【0】と【1】のダイスしか持てないはずだったが、十歳にも満たない私の手の中に、何と運命手帖が現れたのだ。ダイスも【1】から【6】までになった。
 またそれだけでなく、私は知らないうちに自分の望む目を出せるようになっていたのだ。ブルークに指摘されるまでそれに気づかなかった私は、単に運がいいのだと思っていたが、そうではなかった。
「フォルトナはね、ダイス・キングダムに住む人々全員の味方なんだよ。だからフォルが人のためにダイスを振る限り、フォルトナだってフォルの味方をするだろう」
 ブルークが私にそれを告げたのは、私が城へ向かう日の朝だった。
 ――そう、私は城に呼ばれた。城では丁度、次のダイス・キングを探していたから。
 ダイスによって国の運命を決める、このダイス・キングダム。冗談みたいな話だが、政治に関わる事も全て本当にダイスで決めているのだと、ブルークは教えてくれた。だから危ない橋など、渡れないのだと。
 そのため城では、フォルトナを見る事の出来る、確実にいい目を出す人――国のためだけにダイスを振れる人を連れて来ては、キングに仕立てていたのだった。
 しかし、いざキングになると、自分の出す目一つで国が動いてしまうその重圧に耐えられず、心身を病んでしまう人が多かったという。そのため、常時新しい人材を探し回っているものの、フォルトナを見る事の出来る人がそうそういるわけではない。それに、あまり頻繁に国王が替わっては国民も不安に思うだろうという事で、本来のダイス・キングとは別に、もうひとりのダイス・キングが立てられる事となったのだ。そうして呼び名が分けられた。
 国民の前に立つ不変のキングを『ダイス・キング』とし、実際にダイスを振る本来のキングを、『トゥエン』と呼んだ。二十面体ダイスを操るからというのが、その名前の由来らしい。
 丁度十歳のとき、そのトゥエンとなった私。確かにその頃には、私のダイスも二十面体まで進化していた。出したい目を、外す事はなかった。
 大人の言う通りの目を出し、国内平和に一役買った。その『大人の言う事』自体が間違っていないかなどと、気にする理由もなかった。ブルークが「大丈夫だ」と言ってくれたから、私にはそれで充分だったのだ。
 それに、運命手帖に現れる選択肢の半分には、少しずつだがちゃんと私の意思も含まれていた。私を操る大人達は、私の機嫌を損ねないように、なるべくそちらの目を選んでくれた。
 大切にされていた。本当に平和だった。
 二年後――表のダイス・キングが亡くなるまでは。
 彼を助けるための選択肢は、最初からなかった。病死だった。
 途端に、城内は騒がしくなった。
「次のキングは誰?」
 沢山の大人達が立候補した。その中に、ひとりだけ子供がいた。
「ユール? あんた、何で……」
「ずっと城にいたの、気づかなかったろう? だからだよ」
 厭味くさい顔で微笑んだ、それがユールだった。
 ユールは私と同様にブルークに拾われた子供で、ブルークの家で一緒に育った、言わば幼なじみだった。もっとも、そう仲がいいわけではなかったが。
 どうやらユールは、私がトゥエンになったのと同時期に、ブルークの元を離れて城の警護隊として働いていたらしい。数えてみれば、その頃十二歳。警護隊の試験を受けられる最年少の年齢だった。
(犯人はブルークね)
 ブルークは城に対し、何らかの影響力を持っているようだったのだ。だからユールが受かったのもおそらく、そんなブルークの口添えがあったからだろう。
 ユール自身がそれに気づいていたのかはわからないが、警護隊だけではあきたらず、今度はキングになろうという。しかも、意味不明な理由で。
「若すぎる!」
 当然最初は、そう猛反対された。国民の期待と信頼を一身に背負わねばならないキングだ、子供ではとても務まらないと。それに私とて、ユールがキングになるのは嫌だった。近くにいれば煩わしく感じてしまう事を、わかっていたからだ。
 だが――
「若い方が、その分長く国民を騙せますよ」
 ある日突然城にやってきて、告げたブルークの一声で決まってしまった。ブルークの言葉は、『何らかの影響』などという生易しい物ではなかったのだ。
 後で知った事だが、ブルークはかつて私と同じように、ダイスを振るためだけにこの城の中にいたのだという。といっても、その当時はまだ呼び名が分けられておらず、ブルークはダイス・キングとして国民の前に姿を現していたらしい。
 そんなブルークが、ダイス・キングを降りた理由。それは他のキング達と同様、心身を病んだため――ではないという。
 ――そう、『目』だ。
 原因不明の失明により、フォルトナやダイスを見る事が出来なくなったブルークは、自ら城を出たそうだ。しかし城の人々はまだ、ブルークの傍にフォルトナがいるのだと信じていた。ブルークの、何よりも国民を想う心は、少しも変わっていなかったから。だからブルークが城から出た後でも、その意見は尊重されていたのだった。
 その結果が、『これ』だ。
「ブルーク……貴方は一体何者なの?」
 しかし、まだそんな過去なんて知らなかった私は、あの暗い部屋でブルークに問い掛けた。目の見えないブルークには、暗さなど初めから問題ではないようで、それでもちゃんとその顔は真っ直ぐに私の方を向いていた。
「ユールを選びなさい、フォル」
 私の問いには答えず、ブルークはそう告げた。そして、
「いつか逃げ出したくなったなら――」
 城の中庭にある、秘密の抜け道の事を教えてくれた。
「ブルーク……」
「私はいつでも、おまえたちの幸せを願っているよ」
「ブルーク……っ!」
 ブルークは答えない。
 私の問いには、答えてくれない。
 くるりと背を向けて、まるで世界の全てを味方につけているかのように、何の躊躇いもなく、一歩一歩正確な足取りで私から離れてゆく。
「ブルーク! 私やユールを拾ったのは、こんな風に城に送り込むためじゃないよね!?」
 どうしてもそれだけは、訊きたかった。
 そもそも、城に私の存在を伝えたのはブルークで。そのブルークは今、ユールをキングに仕立て上げようとしている。ただの孤児である私達が、ダイス・キングダムのトップに立とうとしているのだ。私がフォルトナを見る事が出来るようになったのも、きっかけはブルークの言葉だった。
(何故?)
 ブルークの目的が、私にはわからない。
 信じたいから余計に、わかりたくなかった。
 でもそのままでは、前に進めない気がした。
 返事を待って立ち尽くす私に、ブルークは――
「おまえのフォルトナを、信じなさい」
 そんな答えしか、くれなかった。
 私はもやもやを抱えたままキングにユールを選び、今度は城内で一緒に生活するようになったのだった。
 ――その頃は理解出来なかった答えも、今なら納得出来る。
 誰が、どうして、どうなったのかなんて、言ってしまえば『どうでもいい話』なのだ。問題は、私がどう思うかという事。私を信じてくれるフォルトナを、信じられるかという事。
 フォルトナは、優しい。
 だからきっと、ブルークに何か裏があって私達を拾おうとしていたなら、そのときに止めたはず。ブルークがダイスを振ったとき、拾わない選択肢を選んでくれたはずなのだ。
 だがブルークは、私達を拾った。拾って、温かい腕で育ててくれた。
(それが真に私達のためであったのだと、その運命を、信じられなくてどうする?)
 それに、ブルークが教えてくれた抜け道は、確かに私達を支えていた。使うまでもなく、その存在だけで心が落ち着くのだ。
 「いつ逃げてもいいんだ」と。
 「いつも腕を広げて待っているよ」と。
 遠くにいながらも、励まされているような気がして。
 同時に私は、それを使うときが『最期』だとも思っていた。一度使ってしまったら、覚悟を決めなければならないと。ここから逃げる事は、フォルトナやブルークを裏切る事と同意なのだ。
 ユールもどうやら同じように思っていたらしい事は、さっきの反応でわかった。
(さあ、どう出る? ユール)
 そして、私を止めなかった、フォルトナ。
 ――珍しく、明日という日が楽しみでならなかった。



[5]城の外

 わたしは小さい頃、あの【1】から【6】までのダイスと、運命手帖がとてもうらやましかった。
 わたしたち子どものダイスは、【1】と【0】しかない、二択。
 『やる』か『やらない』か。
 『肯定』か『否定』か。
 それしかないから、手帖はいらなかった。
「早く、大人になりたいなぁ」
 いつもそう、おじいちゃんに言っていた。言っていたのに、ダイスも手帖も貸してくれないおじいちゃんを、「ちょっといじわるだな」と思ってさえいた。
 貸せないことも知らないわたしに、
「ダイスの本当の意味を理解しないと、大人になっても手帖を持つことはできないよ」
 と、笑って教えてくれたおじいちゃん。
 ――そう、大人になればみんな、【6】までのダイスや手帖を持てるという決まりはない。大体十八歳から二十歳くらいまでのあいだに、ダイスが進化して手帖が現れるようになると言われているけれど、それまでに持てない人は一生持つことができないそうなのだ。逆に、それ以前でもダイスの意味を理解できれば、ダイスはいくらでも進化するという。
 だからわたしは、ダイスの意味を必死になって考えていた。
 どうしてダイスは、わたしたちに応えてくれるのか。
 ただの運試しじゃない。
 確実にわたしたちの運命を、左右している。
「きっとフォルトナさまが、わたしたちを正しい道へと導くために、教えてくれているのね!」
 そういう結論に達したわたしを、嘲笑うかのように。
 病気で倒れたおじいちゃん。
 薬をあげようとするわたし。
 【0】しか出ない、ダイス――。



 ドンドンとドアを叩かれて、わたしは目を覚ました。すぐに枕が濡れていることに気づき、あわてて顔をぬぐう。
「は、はいっ!?」
 時間を確認する余裕もなく返事をすると、聞こえてきた声は、
「トナ? フォルだけど……もしかしてまだ寝てた?」
(フォル? もうそんな時間なんだっ)
「い、今準備するからっ、ちょっと待ってて!」
 焦ってベッドから降りようとしたわたしは、シーツに足をとられて転げ落ちそうになる。
(うわぁ……っ)
 でも声はあげなかった。今あげたらきっと、フォルが部屋のなかを覗いてしまうだろうから。寝起きのわたしの髪の毛は、クモの巣みたいに四方八方に広がっていて、とても見られたものじゃないのだ。
 必死に手でシーツを掴み、床に落ちないように踏ん張る。
 すると、フォルがさらに声をかけてきた。
「宿の主人が朝ご飯を用意してくれたっていうから、下の酒場で待ってる」
「う、うん、わかった!」
 わたしの返事に、フォルの足音がゆっくりと遠ざかってゆく。それからやっと、わたしは手の力をゆるめ床に身体を預けた。少し音は出たけれど、ドアの前にいなければきっと聞こえないだろう。
(……はぁ、びっくりした……)
 昨夜の酔いがよほど響いたようだ。おじいちゃんと暮らしていて早起きに慣れていたわたしは、ひとりになってからもずっと早起きを通していたのに。時計を確認してみると、今はもう全然早くない時間だった。
 せっかくダイス・キングに会える日なのにと、朝から自己嫌悪に陥りそうになる。それでもすぐに、目を覚ますよう激しく首を振って、気持ちを切り替えた。
「――よぅし! 準備するぞーっ」
 そうだ、『せっかく』なのだ。
 せっかくだからこそ、伝えなくちゃ。
 わたしは昨日、迷っていた。
 フォルトナさまをこのまま恨んでいいのか、憎んでいいのか、迷っていた。
 でも、今見ていた夢の気持ちも、本当。
 わたしはずっとつらかった。
 泣きたかった。
 でも泣けなかったから、旅に出たのだ。
(とにかく、気持ちを伝えなきゃ!)
 そのあとどうするかは、そのときになってから決めればいい。
 ダイスを、振ればいいのだ。
 改めて決意したわたしは、急いで身支度を整えた。それからおじいちゃんの形見の麦藁帽子をかぶろうか迷って――結局はゴムに首を通し、帽子はかぶらずに頭の後ろに引っかけた。
(置いていくなんて、できないものね)
 鏡の前で軽く確認をしてから、フォルが待っている下の酒場へと急ぐ。
「お待たせフォル! ごめんなさい、遅くなって」
 わたしが行くと、そこには昨日と同じハンチング帽をかぶったフォルと、マスターのふたりしかいなかった。昨夜は騒がしかった店内もずいぶんと静かで、テーブルや椅子も整然と並べ直されていた。こうして見ると、酒場じゃなくて普通の食堂みたいだ。
 後ろ向きに座っていたフォルが、振り返ってわたしを促す。
「いや、僕もちょっと早く来すぎたかもと思ってたから。さあほら、席に着いてよ」
「うん、ありがとう」
 うなずきながら椅子に座ったわたしは、テーブルの上の料理がまったく減っていないことに気づいた。食べずに待っていてくれたのだろう。わたしはますます申しわけなくなる。
「じゃあマスター、いただきます」
 告げたフォルにならって、せめてもの気持ちをこめてわたしも声をあげた。
「いただきますっ!」
「ハハ、朝から元気だねトナちゃん」
「それだけがとりえですからっ」
「――ぷ」
 わたしは真面目に答えたつもりだったのに、ふたりには壮大に笑われてしまった。

        ■

 朝食を終えたわたしたちは、ふたりでお城へと向かっていた。そのあいだにも、すっかり仲良くなったわたしたちの会話は尽きない。
「ねぇトナ、どうしてその麦藁帽子を被らないの?」
 頭の後ろにあるのが気になるのか、となりを歩くフォルが不思議そうに問いかけてきた。
「さっきまでは、建物の中だったから被らないのかと思ってたけど」
「だって、都会にはこんなツバの広い帽子をかぶっている人がいないのだもの。でも、おじいちゃんがつくってくれた大切なものだから、置いていくこともできなくって……」
「ふーん」
 口ではそんな返事をしながらも、フォルは麦藁帽子を掴み上のほうに持ちあげると、ちょこんとわたしの頭にかぶせてくれた。
「じゃあ気にしないで、被ってればいいよ。大丈夫、トナには似合ってるから。他の人が被ってないのはさ、自分には似合わない事をちゃんと知ってるからじゃないのかな」
「そ、そうかな?」
(だったら、うれしいのだけど)
「あ! フォルもその帽子似合ってるから、大丈夫だよ?」
「アハハ、そりゃどうも」
 わりと本気で言ったのに、また笑われてしまった。
 しかし、不意に表情を戻したフォルは、
「――トナ、そのおじいさんの事で、まだフォルトナを憎んでる?」
「……今は、わからないわ。でもそのときはね、ひどくつらかったの。とても憎かった。どうしてわたしのダイスは二択しかないのって、嘆いたわ。だって薬をあげたくてもあげられないなんて――絶望、するでしょう?」
 わたしが言葉を選びながら答えると、今度は苦笑したフォルが、
「同情は、するかな」
 それだけ答えた。表情は、少し暗い。
(あれ……?)
 わたしなにか、彼が傷つくようなことを言ったかしら?
 わからなかったから、とりあえず――
「でもわたし、最近考えを改めたの」
「え?」
 その表情を明るく変えたくて、言葉を繋いだ。
「【1】と【0】のままでもいいかなって」
「そりゃあまた、どうして?」
「だって、細かい選択肢のせいで、誘拐されかけたんですもの!」
 そうして、わたしをこの都会へと連れてきてくれたおじさんの選択肢のなかに、わたしを連れて帰るというものがあったことを話した。
「六つの選択肢って、半分は自分の意思が含まれるのでしょう?」
「そうだね……君があんまり可愛いから、そのおじさんは君を連れて帰りたかったのかもしれないなぁ」
「そっ、それはわからないけれど。だからわたし、大雑把なままでもいいかなって」
 ときどき、フォルはこちらが「どきっ」とする言葉を平気で口にする。今の話題で明るくなったのは、どちらかといえばわたしのほうかもしれなかった。
「――ところでフォル」
「ん?」
「わたしたち、どうしてお城の裏のほうにまわっているの?」
 そう、お城を囲む塀づたいに、道なき道を植物に邪魔されながら進んでいた。身を低く隠して、今は一列になっている。これじゃあまるで、悪いことでもするみたいだ。
 そんなわたしの心配をよそに、フォルはけろりと口にする。
「そりゃあ、忍びこむためだよ」
「えっ!? だってフォル、ダイス・キングと知りあいなんでしょ?」
(知りあいだったら、普通に約束を取りつけられるんじゃ……?)
「知り合いだからって、簡単に会わせて貰える人じゃないんだよ。ダイス・キングっていったら、この王国の全ての事を、ダイス一つで決定してる凄い人なんだから」
「うわっ……本当にそうだったのね」
「『うわっ』って何だよ」
「だって――」
 ダイス・キングというからには、きっとキングもダイスを使っているのだろうことは、予想していた。でもまさか、自分のことだけではなく、国のすべてを本当にダイスで決定しているなんて。
(思わないじゃない……!)
「もし変な目が出ちゃったら、どうするの?」
 先を歩いていた、フォルの足がとまった。
「ごめんなさいっ、わたしまた変なことを言った?」
「いや……」
 それからフォルは、ゆっくりとこちらを振り返る。
「心配しなくても、そんな事はあり得ないよ。ダイス・キングは慎重に選ばれてるからね」
「あら、代々王家が継いでいるのではないの?」
「君……田舎者だろうとは思ってたけど、相当だね」
「…………」
 言われて、今度はわたしの動きがとまってしまった。
(さすがにへこむわ……)
「だってわたし、おじいちゃんが教えてくれたことしか、知らないのだもの……」
 早くに両親を事故で亡くしたわたしは、親がいないなら学校に通う権利はないと、通わせてもらえなかったのだ。だから、わたしの世界はおじいちゃんがすべて。読み書きも全部おじいちゃんが教えてくれたし、その他生活に必要なことは全部、教えてくれた。
 ただ逆に言えば、直接わたしの生活に関係のないことは、あまり教えてもらえなかった。ダイス・キングがどんなふうに決められているかなんて、わたしが知らなくても生活には困らないから、知らなかったのだ。
 わたしが沈みこむと、フォルは不意に頭をさげてきて、
「ごめん、言い過ぎたよ。フォルトナから取ったありきたりな名前同士、仲良く行こう」
 右手を差し出してきた。
 わたしは自然にその手を取り――迷わなかった今は、ダイスなんて現れない。
「本当、よく聞く名前同士なのだわ」
 一度沈んだことも忘れて、笑った。
 国中の人々から信頼される、運命の女神・フォルトナ。だからこの王国には、その名前から取った『フォル』や『トナ』といった名前の人々が、とても多かったのだ。
 わたしは繋いだ右手を、上下に揺らす。
「改めて、よろしくお願いしますっ」
「ああ、こちらこそ! ――で」
「えっ?」
 フォルはその手を強引に、右のほうへと引っ張った。おかげで、わたしたちの手は当然そびえ立つレンガの塀にぶつかり――沈む。
「えぇえっ?」
 そしてぽっかりと、開いた。
「ここが秘密の入り口なんだ」
「すごいわ、フォル!」
 思わず抱きつく。勢いで、そのまま穴のなかへとなだれこみ――
「わわわっ」
 ふたりして倒れこんだ、塀の内側には。
「――!」
 人の足が、見えた。
(やばっ)
 ゆっくりと顔をあげていくと、先に声が降ってくる。
「フォル……と、昨日の女の子か。もしやと思って来てみれば。一体なにをしているんだ?」
 あまり怒った様子ではなく、その人は口にした。フォルよりも、もちろんわたしよりも年上らしいその人を見ると、フォルは身体を起こして、
「ほらトナ。こいつがダイス・キングだよ」
 そんな乱暴な紹介をしながら、思い切り指を差した。
「えぇえっ?」
 わたしはさっきとまったく同じ、間抜けな声を出してしまう。
(ダイス・キングって、こんなに若いの!?)
 てっきり大人がやっているものとばかり思っていたのに。目の前に立っているのは、わたしたちより年上といっても『子ども』には違いなかった。
 そのダイス・キングの目には、わたしのことなど入っていないようで、まっすぐにフォルを見て問いかける。
「……どういうつもりだ?」
 訊かれたフォルは、かすかに首を傾げて、
「トナをキングに会わせたかったから。だから連れて来たんだ」
 「なにか文句ある?」とでも言うように答えた。とてもキングに対するものとは思えない態度だ。
(知りあいというか、ケンカ友だちなのかしら?)
 わたしがそう考えたときだった。
 ダイス・キングの口から、とんでもない言葉が飛び出したのは。
「フォル――いや、トゥエン。おまえ、ダイス・キングを辞めるつもりなのか?」



[6]城の――

 ユールの言葉にかなり驚いた顔をして、トナがこちらを振り返った。
「トゥエン? それも、フォルの名前なの? それに、ダイス・キングって……」
(そろそろ潮時ね)
 私は苦笑しながら、被っていたハンチング帽を取り払う。抑えつけられていた長い黒髪は自由を取り戻し、風に揺れた。
「フォル……?」
 口に手を当てたトナの代わりに、私が発する。
「『フォル』も『トゥエン』も、確かに私の名前よ。どちらも――私の本当の名前ではないけど」
「え……っ?」
 捨てられる前の名前を、私は知らないから。
 唖然とした表情のトナに、私は微笑む事しか出来ない。
「ごめんね、トナ。騙したかったわけじゃないんだ。ただ、貴女に会って、話を聞いてみたかったから。男装すれば、城内でも私に気づける人はほとんどいない。だから抜け出すには楽だったんだよ。男の姿でいた方が、どこへ行くにしても絡まれにくいしね」
「…………」
 動かないトナの体温が心配で、思わずトナの頬に手を伸ばした。私がその温かさを確認した瞬間、トナは我に返ったようだ。
「――あの、こんなことを言うと失礼かもしれないけれど……」
「ん?」
 今度は何故か、トナが苦笑する。
「わたし……フォルが女の子で、よかったわ!」
 そうして私に、抱きついて来る。トナの麦藁帽子が、また頭の後ろへと戻った。
「だって男の子だったら、こうはできないのですものっ」
「トナ……」
 全身に感じる、トナの温かさ。
 これまで一度も、感じた事のなかった想い。
(ああ――だからフォルトナは、許したのね)
 私がそこへ行く事を。
 そしてそれなら私は、真実を告げなければならない。腕の中のトナと、口を挟めずに佇んでいるユールに。
 前へ、進むために。
「――私ね、城内からトナを見掛けたとき、自分でも気づかないうちに、トナに会いたいと思っていたんだ。どうしてあんなにもダイス・キングに会いたがっているのか、気になった」
 その些細な感情が、選択肢に現れていたのだ。トナを見掛けて部屋へ戻った後、フォルトナに促され確認した手帖。その選択肢の半分以上が、トナに会う内容であり、フォルトナが選んだ【20】は、『ユールを無視して部屋へ戻り、あの女の子に会いに行く。必要があれば助けよ』だった。
 私は笑った。すぐに城内にある衣装部屋に忍びこむと、男の子用の服を拝借した。着替えて、髪をまとめて、ハンチング帽を被った。
 そして部屋を出る前に、確認した。
「いいのね、フォルトナ」
 フォルトナはいつもの表情で、私を見返した――
「でもそれは、その子のためだったんだろう? 実際はおまえ自身が、『ダイス・キング』であるのだし」
「えぇえっ?」
 ユールのその言葉を聞いて、トナは奇声をあげながら私から離れた。物凄いスピードで。
(あらまあ)
 さっきユールがちらりと口にした事を、もう忘れていたらしい。もしくは、ちゃんと理解出来ていなかったのか。
 私は笑いながら、
「違うよ、ユール。私は『ダイス・キングのダイス』なんだ。ダイス・キングはやっぱりあんただよ。だから私は、ダイス・キングに会わせてあげようと思って行ったんじゃない。単に、そうまでしてダイス・キングに会いたいと思うトナの理由が、気になったんだ」
 私が、それを、知りたかったから。
 その感情は、『自分のため』以外の何物でもなかった。それを知った所で、『国のため』になる事は一つたりともない。私はそれに気づいていて、だからこそフォルトナに確認したのだ。「本当にいいのか」と。
 自分の願いのためだけに、ダイスを振るとき――それが『ダイス・キングのダイス』としての最期である事を、知っていたから。
 そのとききっと、フォルトナも見えなくなると、気づいていたから。
 自分の願いを叶える、たった一度きりのチャンスは、そこから先の運命と引き替え。
 私は『皆』と同じになるのだ。
(ダイスに従わなかったときみたいに、存在ごと消えないだけ、まだマシなのかもしれないけど)
 私の口元は、自然と笑った。
「でもさっき、『キングに会わせたかったから』って、言ったじゃないか!」
 しかしユールは、私のその理由に納得がいかないらしく、さっきまでトナがいた抱きつける程の位置まで来ると、私の胸倉を掴んだ。そして強く睨んでくる。一体何をそんなに腹立てているのか、私にはよくわからない。
 私はダイスでなくなる事に、少しの未練もないのに。
 ダイスがなくなる事に、少しの未練もないのに。
 そんなユールに対し、どう動こうか考えていると、
「やめてっ、フォルに乱暴なことをしないで!」
 私がダイスを振る前に、何とトナが彼の腕を外してくれた。支えを失った私は、よろりとその場に崩れる。
「なんだおまえ……わかってるだろ? おまえ、フォルに騙されてたんだぞっ」
 ユールは容赦なく吐き捨てるが、しかしトナも負けてはいなかった。私をユールの視線から遮るように、両手を伸ばして。
「フォルが女の子でもっ、キングでもっ、わたしにとっては恩人で、大事なお友だちだもの!」
「お友だちって、おまえなぁ……」
 呆れた様子のユールにも、トナは怯まない。
「あなたがなにに怒っているのかは、わからないけれど……今もしあなたがダイスを振ったら、きっとあなたの希望を裏切る目が出るわ。でもね、フォルはそれで幸せになれると思うのっ。わたしは昨日酒場で、それを教えてもらったの!」
「トナ……」
 フォルトナが憎いと言っていたトナは。
 哀しい思い出に、優しい想いを囚われていたトナは。
 ちゃんと真実を、取り戻していた。
「なに言ってんだよ、おまえ……」
 鼻で笑うユールの、前に私は出る。
「フォル?」
 心配そうなトナの声が、くすぐったい。
「大丈夫よ」
 少し振り返って、笑顔を作ってみた。反射したそれは、私に勇気をくれる。
「ユール。私は昨日、トナの話を聞いて、あんたとトナを会わせたいと思ったんだ。正確に言えば、ダイス・キングと、だけどね。そのために、あんたもここに来るように仕向けた」
「だから、何故?」
「……あんたの口から、言って欲しかったんだよ。さっきトナの口から出たような事を、ね。そうしたらトナも、きっと信じると思って。でも、そんな必要なかったみたい」
 それから私は、もう一度トナを振り返った。
「ねぇトナ。貴女がおじいさんにあげようとしていた薬、人から貰った物だったんでしょ?」
「え、ええ……お金がなくて、お医者さんに診せられなかったの。そうしたらおじいちゃんの親戚だっていう人が、薬をくれて……」
「その薬ね、おじいさんの病気に対しては毒だったんだって」
「――え……?」
 トナの動きが凍った。
「私、人のダイスの目が見えるって、言ったでしょ? 本当は私が見えるんじゃない。私が見えてるフォルトナが、見てるの。私はそれを教えて貰ってるだけ」
「じゃあ、フォルトナさまが、そう言ったの……?」
 今度は私が、容赦なく頷く。
「『誰かを裏切った運命が、誰かを助ける事もある』って、そういう事よ。――ねぇトナ。【0】しか出なかったダイスは、確かに貴女を裏切った。でもおじいさんは、それで幸せだったんだよ。孫に殺される事もなく、可能な限り永く、孫と一緒に過ごす事が出来たんだから」
「あ……」
 トナの大きな瞳から、小さな涙が溢れ落ちる。
「……そうやって、フォルトナも泣いてた。誰かの気持ちを裏切っても、憎まれても。それ以上に、ひとりでも多くの人を助けたいから」
 トナの話を聞いて、「同情する」と言った私の言葉は。本当はトナではなく、フォルトナに向いていたのだ。
 手を伸ばして、トナの涙を受け取る。
「そのフォルトナの涙がね――ダイスになって、こうして人の手の中に現れるの」
「……っ!?」
 それは、フォルトナを見る者にしかわからない、真実。フォルトナは滅多に表情を変えない。だが確かにその瞳から、ダイスは生まれていた。人の運命を決める、ダイスが。
「わたし……わたしねっ、ずっと、泣けなかったの……っ」
 嗚咽の混じる声で、トナは私にすがった。
「その理由をっ……知りたくて、旅に出たわ……」
 そんなトナを、私は抱き締める。
 フォルトナを、抱き締めた事はない。
 子供の頃からずっと傍にいても。
 触れる事の出来ない存在。
 触れようとしても、すり抜ける存在。
 それが、フォルトナだったから。
 母親代わりにはなれても、温もりは与えて貰えなかった。
 ――こんな風には。
「知らなかった……フォルトナさまが、代わりに泣いてくれていたなんて……っ」
「トナ……」
 トナの温もり、トナの涙。
(何て温かいんだろう)
 フォルトナは、これを私に、与えたかったのだ。
 顔を上げて振り返った私の目に映るフォルトナは、既に大分透けていた。
 ――うん、私はもう、大丈夫。
 今度はトナと、トナが心配してくれる私のために、生きてみようと思う。
「トナ……自分を責めないでね? トナは悪くない。誤解されやすいフォルトナの方に問題があるんだから」
「フォルったら……」
 泣き声で笑った。
 トナは充分に、強い。
「――フォル、おまえ、城を出て行くのか? どうするんだ、これから……」
「ユール……」
 傍で全てを聞いていたユールは、唖然とした表情で呟いた。未練などない私をやっと理解してくれたのか、もう怒っている様子はない。
(これから?)
 問われて――困る。
 今まで一度も考えた事がなかった。そもそも、自分のために生きようとした事がないから。どうしていいのか、さっぱりわからないのだ。
「――トナは? トナはこれからどうするの?」
 ふと、腕の中にいるトナに振ってみる。
 やっと泣き止んできたトナは、少し首を傾げて、
「ダイス・キングには会えたし、泣けなかった理由もわかったし、ちゃんと泣けたし……そうね、今度はわたしのように、フォルトナさまを信じきれずに悩んでいる人たちを、救えたらと思うわ。わたしには帰る家も待っている人もいないし……」
 それを聞いて、私の目標も決まった。
「じゃあ私も、それについてく事にする!」
「なにぃっ?」
「本当っ!?」
 嫌そうな声をあげたのはユール。嬉しそうな声をあげたのはトナだ。
「私も、帰る家なんてないから」
 ブルークが教えてくれたフォルトナを手放してしまった私は――もう、あそこには帰れない。
「それならトナと一緒に旅をした方が、面白そうでしょ?」
「うれしい! フォルっ」
「…………」
 また抱きついて来るトナとは対照的に、ユールはこちらを強く睨んでいた。
「じゃあおまえ――トナ! ダイスを振ってみろ。きっと【0】が出て、おまえは残念、俺は万歳だからなっ」
「何でそんな事を言うんだ……」
 呆れる私を余所に、トナは素直にダイスを振っていた。私にはもう、出た目がわからない。だがその明るい表情から、答えは明らかだった。
「あんたが残念、トナが万歳だってさ」
「わーい♪」
「くっそー!」
「そもそもさ、何で私が残ると、あんたが万歳なんだ?」
「だから、俺のファンはおまえひとりで充分だって、言ってるだろーっ」
「だから、私はあんたのファンじゃないとも、言ってるよね?」
「……っ、わかった、俺も一緒に行く! これで俺も万歳だ!」
「待って、それじゃあ私が万歳じゃなくなるっ」
 そう考えた瞬間、私の右手にもダイス、左手には手帖が。
(おっ)
 フォルトナが見えなくなっても、まだ手帖は使えるらしい。ダイスは――六面体。だが今の私には、これで充分だ。
「フォル、一緒に振ってみましょ?」
 そう促され、トナを見る。トナの手にも再び、ダイスの輪郭が現れていた。
「そうね」
「俺も振るぞ。絶対【1】を出すっっ!」
 私達は顔を合わせて笑い、そして同時に――大切なフォルトナの涙を、優しく地面へと返した。



(ちゃんとわかってるよ、フォルトナ)
 貴女が私のために、トナと出逢わせた事。
 これまでの私は、あまりに自分を見ていなかったから。
 本当はユールの言う通りに、心配してくれていたんでしょう?
 ときには私を、叱りたかったんでしょう?
(でも、出来なかったんだね)
 私があまりにも、周りに一生懸命だったから。
 皆のために、尽くしていたから。
(でも、見てられなかったんだね)
 我慢して、我慢して。
 いつも代わりに泣いてくれていた貴女は。
 私を手放す事を、決意した貴女は。
 ――それでも、笑っている。
 涙を流しながらも、私に微笑んでいる。
 いつもそれに支えられてきた私は、これから、貴女にそれを返そう。
 幸せなときを刻み、誰よりも笑う事で。
 貴女を幸せにしてあげるよ。
 私ひとりでは、きっと無理だけど。
 『私達』なら、やれる。
 私はこの名前を、好きになれる。
 貴女はそれを、わかっていたんだね。
 さよなら、フォルトナ。
 心の中で、また逢いましょう――。

[了]

文・楽山やくら(らくやま・やくら)
  斜め上好きな雑食です。異世界や現代を舞台に、コメディやミステリを書いています。よろしくお願いいたします。

絵・重森まさみ(しげもり・まさみ) - イラスト特別提供 -
  このたびは参加させて頂きまして、ありがとうございました。
  この拙い絵で楽山やくらさんの世界を壊していないことを祈りつつ、絵の方も少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。