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レーネン山中の魔物

 秋も半ば過ぎの、ある日。少年が一人、急な山道を登っていた。
 レーネン山越え道沿いに魔物が出て人を食らうという噂が、麓の町では囁かれるようになっていた。
 今、少年が登っている道は山越え道の裏道で、魔物が出るといわれているあたりへと出る最短の経路である。

 少年の行動の発端は、昨夜、父に就寝の挨拶をするために執務室へ行った時にある。
 その時、父と大叔父が会話していた。
「確かに、町の維持のためには、街道に魔物が出てもらっては困る。とはいえ、あの青年に魔物が討てるのか? そもそも、あれは、本当に魔道士なのか?」
「修行中の身かもしれませんが、あのフードを着けているからには、彼もれっきとした魔道士会の魔道士です。それに、魔物を討ち果たしてもらう必要はないので。魔物と出遭って、どの程度の魔物であるか分かる結果を出してくれるだけでよいのですから。討伐の方策については、それから考えればよろしいのです」
「それもそうだな。しかし、彼が魔物に出遭うという保証はあるまい」
「それについては、手立てが。魔物寄せの術をかけた物を持たせて出立させればよいのです。彼は、あの程度の者。それに気づくことはありますまい」
 それを耳にしてしまった少年は、その行為は人の道に反する行為ではないかと思った。しかしその場で、その思いを父親達に向け、口にすることができなかった。なぜならば、未だ若輩の身で町の維持に関するような政治向きのことに口を差し挟むのは、憚られることのように感じられたからである。
 少年は夕刻、青年を玄関広間で見かけていた。くるくるとカールした長い髪が印象的だったのでよく覚えている。彼の装いは、一応、魔道士。背は低く、体格には不似合いなほど大きな頭陀袋を肩からかけていた。その格好はどう見ても、魔法使いの助手。ところが、背中には、魔道士会の正式な魔道士であることを示すフードがだらしなく下がっていた。
 自室に下がった少年の胸には、青年を騙して利用するということに対して罪悪感が湧き上がっていた。
 少年は、どうしたらよいものかと頭を悩ます。そして、青年が出発した直後に、魔物寄せのことを教えればよいのだと思い至った。
 次に少年は、どうやって伝えたらいいのかとか、父上や大叔父様に気取られないようにするにはどうしたらいいのかとか、具体的な方法に考えを廻らせる。すると、興奮を催し、なかなか寝つかれなかった。そうして、やっとうとうとし、目覚めた時には日が昇っていて、青年はかなり前に出発してしまっていたのである。

 少年は、青年が魔物に出遭う前に追いつこうと急ぐ。
 魔物は人を食らう。よって、人が生きて行くためには魔物を倒さなければならない。そして、町には守護魔道士がいて魔物から町を護らなければ、人は安心して生きて行けない。
 それは、少年にもよく分かっていた。しかしながら、町を護るために見ず知らずの旅人を危険にさらすということは、容認できなかった。その理由は以前、交易街道の宿場町の守護魔道士はその町の人々だけではなく、そこを通る旅人の安寧も護るのが務めと、町の守護魔道士である大叔父自身に教えられていたからである。
 町の近辺に出没する魔物は、絶対、倒さなければならない。だが、そのために、旅人を利用していいという理由にはならない。それでも、魔物は倒さなければならない。しかし……といった、相反する思いが、少年の胸の内で何度も何度も堂々巡りのように巡り続ける。
 そうして、青年が魔物と出遭う前に追いつけるだろうかという不安が増大し、寝過ごしてしまったことへの後悔が疼く。

 突然、少年は瘴気に襲われた。それは、魔物の瘴気だった。
 少年は防御結界を張る。結界の周囲で、瘴気の渦が荒れ狂う。
 少年は、幼い頃から魔道に関する才能を現していた。一族の者達からは次代の守護魔道士にと期待され、大叔父の手解きで魔法を習い始め、中級の魔法もほとんど使いこなせた。
 しかし、瘴気の渦は、少年が魔物の魔力として漠と抱いていたものを遥かに超えていた。
 少年は、恐怖に竦み上がる。恐怖心を必死に押さえこんで、大叔父から教えられた魔物退治の基本を思い起こす。魔物の本体を探し出して、それを撃ち砕くこと、と。
 少年は印を組み、神経を集中して呪文を唱え、周囲を探査する。だが、瘴気の渦の激しさに乱され、魔物本体の気配すら探り出せない。少年は、焦りと自分の非力さを強く感じた。
 少年は頭が真っ白になりそうだった。それでも奥歯を食いしばり、探査に集中する。
 朧ではあったが、魔物の本体の位置を捉えた。少年はそれに向け、炸裂閃光槍を放つ。
 が、しかし、炸裂閃光槍は瘴気の渦腕の一つに当たり、一瞬で消え失せた。


 少年は、渦巻く瘴気の只中に投げ出されていた。全身に痺れを感じる。
 いつしか、少年の総ての感覚が失せていた。そうして、意識も。
 と、唐突に、少年は横から激しい衝突の痛みに襲われた。それと同時に、消え去りかけていた少年の意識が、一気にもどる。
「済みません! 大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
 慌てている様子だが、どことなく間の抜けた口調の声がする。
 少年の真横に、青年がいた。更に、ついさっきまであたりを覆い尽くしていた瘴気は、消え去っている。
 少年は呆然として、周囲を見回す。
 周りにある物は、弁当の包みと青年の頭陀袋。それに加え、その中から撥ね出たと思われる多数の物品のみだった。
「御免なさい。道を間違えた上に、路肩を踏み外し、斜面をころころと転がり、止まらなくなりまして……。それで、君にぶつかってしまいました。本当に、済みませんでした。どこか、具合が悪いところはございませんか?」
 青年は少年をだきおこし、服についた土や枯れ葉を叩き落としながら、体を上から下まで、隅から隅まで、しげしげと見回す。
 青年のあまりな心配ぶりに、少年は呆れる。そして、急激かつ不可解な状況変化への疑問も忘れて答えていた。
「いえ、大丈夫です」
「そうですか。よかったです」
 青年は安堵の溜息をついた。それから、首を傾げて下から少年の顔を覗きこんできた。
「ところで、君……。君とは、どこかで、会ったことがあるような……」
「あ、はい。私は、麓の町の町長の息子で、カーネンと申します」
「ああ! 昨夜お世話になった! それで、ですね。さりながら、なにゆえ町長様の御子息様がたったお一人で、こんなところにいらっしゃるのですか?」
 青年の問いに、少年はついさっき自分が陥っていた状況と、その後の激変を思い出す。
 少年は印を組み呪文を唱え、改めて周囲を探査する。
 探査は、左手前方に強力な邪気を捉えた。
 邪気は、探査に触れた途端、増大する。
「ま、魔物が……」
「カメちゃん!? それも、海亀さん! でも、こんな山中に、なぜ? それも、大きな樹の股にひっかかって! 可哀相に……。今、降ろしてあげるからね」
 少年がゆびさすかたを見やった青年は、魔物へ向け歩き出す。
 青年が近づくにつれ、邪気が凝集している空間に物体が現れた。
 物体は、青年がいったように樹の股にひっかかっている巨大な海亀と化す。
 更に青年が近寄り、樹の股へ手を伸ばした時には、巨大な海亀は、掌へ載るほどの小さな海亀へと変じていた。が、強烈な魔物の気を放ち続けている。
「そ、それは、魔物! そんな物を……」
「魔物? この、可愛いカメちゃんが!?」
 掌の上に魔物海亀を載せた青年は、少年の方へ振り返る。
「そんな顔することないと思うんですけどねぇ、僕は。このカメちゃんだって、生物の構成員。人間と同じ生き物。この世界に一緒に住んでいる仲間ですよ」
 青年は掌上の魔亀へと視線を転じ、甲羅を指先で優しく撫でつつ話しかけ始めた。
 青年の行いは、信じられない行為だった。使い魔ですらない野の魔物を愛玩動物のように愛撫するなどという行為は、まったく想像すらできない行為である。
 少年は呆然と見やる。が、この状態をずっと続けているわけにはゆかない。
「ま、魔道士猊下……、お救い頂き……」
掌上の魔亀に向かって語りかけている青年へ、少年は声をかけた。
「はあ? 魔道士猊下? ……いやですねぇ! そんな呼び方しないでくださいよ」
 青年は掌上に魔亀を載せたまま、少年の方へ向けもどってくる。
「申し遅れてしまいまして、僕の名前はメルといいます。それから、僕は、錬金術師ですよ」
「錬金術師!?」
 少年は大きく目を剥く。
「でも、そのフードは、正式な魔道士会の魔道士であることを示す……」
 少年は、青年の背に下がっているフードをさす。
「あ、これ? これは、卒業の時にもらった……。そうか! これが、トラブルの元だったんですね!」
 青年は合点したように頷く。そして、魔亀を無造作に懐へ入れると、フードを取り外した。それからあたりを見回し、転がっていた頭陀袋を拾い上げて肩にかけると、頭陀袋の中へフードをつっこむ。
「僕は、一応、魔道士学校を卒業しているんですけど、それは、卒業したというよりも、追い出されたといった方が、正解なんですよねぇ。何せ僕は、極簡単な魔法文字さえ読めないんですから」
 青年の言葉に、少年は言葉を失った。


 少年は、呆けたように青年を見つめ続けていた。が、今ここにいる理由を思い出し、ことの次第を青年へ向けて告げた。
「そうだったんですか! そんな落ち込んだ顔しないでくださいよね! 僕も、あの歓待は何かしら妙だなあとは、思っていたんですよ。本当に昨夜は大変御馳走になりましたからねぇ。ですけど、僕って、お腹がいっぱいになればそれで幸せってたちですから。わけが分からないまま、君のお屋敷で一夜を過ごさせて頂きました。でもねぇ、空腹だと何にだって、腹が立ちますよね」
 青年は、肩から下がった頭陀袋の上へ向け声をかける。
 頭陀袋の上には、いつの間にか、小さな海亀が乗っていた。
「ケロンちゃんも、お腹が空いていたんでしょう。こんな山中で身動き取れなくなっていたんですものね」
 青年はそのまま、頭陀袋の上へ向けしゃべり続ける。
「お昼ご飯には少し早いけど、僕もお腹空きましたし、一緒に食べましょう! ケロンちゃん。僕、お弁当、持ってるんですよ。ええっとねぇ、お弁当……。どこ? お弁当は……。あっ、あそこに!」
 青年は転がっていた弁当包みを取り上げ、周りを見回して手近な大樹の根元に座りこむ。それから、海亀が乗った頭陀袋を足元に置き、手にしている弁当の包みを解いた。
「このお弁当、とっても美味しそう! それに、沢山あるし。カーネン様も食べませんか?」
 いわれて少年は、急に空腹を覚えた。考えてみれば、朝食を食べていなかったのだ。
「あの、いいんですか?」
「いいですよ! 食事って、大勢でする方が楽しくって美味しいものですからね。特に、外でのお弁当はね! ケロンちゃんも、そう思うでしょ?」
 青年は、頭陀袋上の海亀へ同意を求める。
 海亀は首を伸ばし、大きく頷いた。
「ほらほら! ケロンちゃんもその方がいいっていっていますよ」
「はい、魔道……。あ! いや、その……、メル……様」
「そこへ座ってください、カーネン様。それから、僕のことは、メルでいいですよ。『様』なんて要らないですからね」
「あの、メル。その、私は、カーネンと……」
 少年は青年の傍へと歩み寄り、腰を下ろした。
「じゃ、カーネンは、この蓋をお皿代わりにしてくださいね」
 少年は、差し出された弁当の蓋を受け取る。
「で、何が食べたいですか? どれも美味しそうですからねぇ。迷いますよねぇ! 先ずは、パンを分けましょうかね。はい、これ」
 青年はパンを大きく三つに割り、一つを蓋の上へ置く。
「これ、ケロンちゃんのね!」
 青年は、もう一つを頭陀袋の上へ置く。
「で、次は……、これ! ケロンちゃんのところは狭いから、一先ず僕のところへ置いておきますよ。食べながら、順番に出すからね。で、今度は……」
 次々と分けて行く青年の様子はまるで、少年も頭陀袋の上の海亀も旧知の友人とでもいうような気さくさである。
 青年の親しげな雰囲気に巻きこまれるように少年は、訊いていた。
「それは、さっきの魔物。魔物海亀……ですよね? それで、『ケロン』というのは、その魔亀の真名なのですか?」
「さっきのカメちゃんですよ。『ケロン』というのは、真名ではありません。僕が、勝手にそう呼んでいるだけです。このカメちゃんを見た途端、太古の本の挿絵で見たアーケロンを連想しまして。ですから、アーケロンのケロンちゃん、と」
 少年は、青年の答えに驚く。
 名付けをして捕獲したのならば、魔物の完璧な捕獲制御ということになる。それも、極短時間――魔物へと近づいて行った間という驚異的な短い時間――で、なしえたことになる。
 だがその間、青年は呪文を唱えていた様子はなく、印も組んでいなかった。
 更に、使い魔にした魔物を「ちゃん付け」にして呼ぶという話を聞いたことがない。
 それ以上に、魔道士のローブを着た錬金術師という例など、聞いたことが無いどころか、論外だった。そして、太古の本というものも、一般的というにはほど遠い。
 少年は、青年を困惑の面持ちで窺い見る。
「さっ、食べましょう。頂きます」
 青年は少年の視線に気づいた様子もなく、食べ始めた。
 青年の食事を促す言葉を待っていたかのように、頭陀袋上の魔亀が目の前のパンに噛りつく。
「頂きます」
 一瞬遅れたが、少年も呟いて食べ始めた。


 青年は黙々と食べていた。が、残りが半分ばかりになった時、問わず語りを始めた。
「僕の国ではね。長男が家を継いで、下の子は、自由に職業を選べるんですよね。それで、僕は長男ではありませんでしたので、錬金術師にしました」
「どうして、そんな変な職種を選んだんですか? 錬金術って、禍々しい太古文明の系譜を引く、とても怖い術なんでしょう?」
「そうですね。こちらの大陸では、そういった感覚が一般的ですよね。ですが、錬金術は面白いですし、その理論は結構、役に立つんですよ。ですから、僕の国では、錬金術研究もされているんです。というか、太古の研究というべきでしょうかねぇ」
「研究……。太古の……ですか……」
 食事の手を止め、少年は首を傾げる。そして、小さく溜息をつき、動かした視線の先に、頭陀袋上の魔亀が見えた。
 魔亀は、青年が手に持って差し伸べている骨つき焼き肉に噛りついていた。首を引っ繰り返すように横に向け、噛みついている。
「何だか、館で飼っている猫みたいな……」
 少年は微笑んでいた。
「そうでしょう。可愛いですよね。カーネンもケロンちゃんに何か食べさせてみます?」
 青年は自分の弁当の中から、揚げ芋を一つ差し出してくる。
「あ! えっ……。はい」
 少年は受け取っていた。ためらいつつ、魔亀の顔の前へ揚げ芋を近づける。魔亀は即座に食いつき、一口で飲み下す。次いで、少年へ向けて首を上げてきた。
 少年は、身をすくめる。
 一方、魔亀は目を瞬かせ、鼻の穴を大きく膨らませて少年をじっと見つめてきた。
 その顔に可笑しみを催し、少年は小さな鼻息音を立てて笑う。
 魔亀も鼻息を小さく鳴らし、芋をつまんでいた少年の指へ鼻面から首横をすりつけて来た。
「本当に、何だか、猫と一緒みたい。魔物のはずなのに、可愛い!」
 魔亀がすり寄せてくる首筋を、少年は指でそっと撫でながら、青年を見やる。
「でしょう! ケロンちゃんは、とっても可愛いですよね!」
「あ、あのう……。メル。その、ケロン……ちゃんの、ケロンという名前の意味……というか、由来というのか……あーけろんというのは何なんですか?」
「ケロンちゃんの元アーケロンというのは、太古の本に出ていた絵なんですよ。でね、アーケロンは、太古のそのまた太古――昔々の大昔に、存在した生物なんだそうです」
「え? ……ええっ!?」
 少年は大声を上げる。
「太古、そのまた太古……って……」
 少年は口を大きく開いたまま、青年の顔を見つめる。そんな少年の様子などお構いなしに、青年は自分の話を続ける。
「僕はね、太古の錬金術関係の本を読むのが大好きだったんです。で、そんな古い文書を読んでいたある日、その中に『東の果てに、家の屋根も壁も道までもが黄金でできている黄金の国ジパングがある』という件を見つけましてね。黄金の国というものが気になりまして、色々と調べ始めたんです。そうしたら、『この国は、太古の錬金術がそのまま、未だに生きているところだ』ということが書かれている本がありましてね。黄金の国というのが面白いと思っていたんですけど、今度は、それ以上に、太古そのままの錬金術といわれるものに興味が生じましてねぇ! それで、僕は、黄金の国を目指して、国を出てきたのです。でねぇ……」
 青年は、少年には信じ難い話を次々としゃべり続ける。
 それでもいつしか、理解を超えた、煙に巻かれるような話に引きこまれ、少年はよく分からないまま、質問をしたり、感心したりしていた。
 こうして、弁当が空になってからも。更に、真昼時になり、峠の尾根筋に注ぐ明るい日差しが暑くなり、少年が上着を脱いで傍に下がってきている枝にかけてからも、まだ、二人は楽しく会話を続けていた。


 少年は、右手やや後方から魔力の揺らぎがやって来るように感じ、その方向を見やる。
 右手の斜面下に、人の等身大くらいの魔亀がいた。それは間違いなく、小さな海亀となって頭陀袋の上にいたはずのケロンである。
 驚き、思わず立ち上がった少年の視野に、木々の向こうから弓矢でケロンを狙う人々の姿が入ってきた。
 ケロンは口を大きく開き、人々へ向けて瘴気を噴き出そうとしている。
「ケロン! 駄目だ!! 人に向けて瘴気を吹きかけちゃ、駄目っ! 死んじゃう! 殺しちゃ駄目っ!!」
 少年はケロンに向かって駆け出す。それと同時に、少年は印を切り、呪文を唱えケロンの前方――木々の間から弓矢を構えている人達との間へ対物障壁を張る。
「んっ!? カーネン! ケロンちゃんがどうかしましたか?」
 緊迫した声と隣で起こった急な動きに、青年は立ち上がる。
 青年は体の向きを急いで変えようと焦ったのか、枝にかけられていた上着へと頭をつっこむ。
 体の均衡を崩した青年は頭からすっぽりと上着を被ったまま、斜面をころころ転がる。
 一斉に放たれた何十本もの矢は、総て障壁に当たり、跳ね返される。
 少年の制止の声に応じて攻撃を止め振り返ったケロンに、少年は安堵する。と共に、その理解力に感嘆する。
 だが、少年の安堵も感嘆も束の間。右横手、山側の高いところで剣呑な魔法の気が立ち昇る。
 少年が視線を振り向けた先には、ケロンへ向け炸裂閃光槍を放とうとする大叔父の姿があった。
 少年が制止の声を上げる暇もなく、大叔父は炸裂閃光槍を放ち、ケロンはそちらへ振り向きざま、大きく開口して巨大な火炎球を放つ。
 大叔父の放った炸裂閃光槍が、火炎球の中心へとくいこみ、炸裂する。
 火炎球は、炎の竜巻のようにうねり舞い、下降風のように弾ける。
 少年は息をのみ、固まってしまった。視界は、一瞬のうちに紅蓮の炎と弾け飛ぶ光の束に覆い尽くされる。
 そのまっただなか。頭に上着を巻きつけたままの青年が立ち上がり、暢気な声を上げた。
「御免なさい! カーネン。また、君の服を泥だらけにしてしまいまして……」
 その途端、周囲を覆い尽くしていた炎と光は、立ち上がった青年を渦の求心点として吸収中和されていた。
 そうしてあたりは、先程とまったく変わりない秋の山中だった。
 少年は固まったまま、目線だけで青年を見やる。
 少年のそんな様子にまったく気づいていないのか、完全無視なのか、青年は上着を左手でぶら下げ、右手でぱんぱんと叩きつつ、少年に向けて近寄ってくる。
「本当に御免なさいね。僕、生来の粗忽者でして……。申し訳ございません」
 青年のそっかには、再び小海亀と化したケロンがついてきている。
「この上着、洗濯した方がいいみたいですねぇ……。本当に、御免なさい。迷惑ばかりかけて、その上、お手数をおかけ致します」
 上着を差し出し、頭を下げる青年。少年は、差し出された上着を受け取る。
「い、いえ、それは……」
 少年はやっとそれだけいった。
「そ、その指輪!? ま、魔導師の印章……」
 少年の背後から声がした。
 少年が振り返った視線の先には、館の兵を従えた大叔父がいた。
 大叔父は、何かを見つめている。
 そこには、青年の頭陀袋から転がり出たままの雑多な物品と共に、指輪が転がっていた。
「ご、御貴殿は、魔導師であられたのか……。誠に御無礼を……」
「はあ!? メルが、魔導師……。魔導師って魔道士の中で最高階位の人で、魔道を学び始めてから最低でも、二十年から三十年は研鑽を積み重ねなければなれないんでしょう! それに、メルは、自分は錬金術師だと……」
 再びの大叔父の言葉に少年は、傍らの青年を改めて見つめる。
「あっ、いえ! 私は、錬金術師です!」
 青年はいうと、さっと足元のケロンを懐へ入れ、あたりに散乱していた荷物を掻き集める。そして、拾い上げた魔導師の印章共々、それらを無造作に頭陀袋へ詰めこみ、頭陀袋を肩へとかける。
「昨夜といい、このお弁当といい、大変御馳走になりました。ありがとうございました」
 錬金術師という言葉に唖然としている町の守護魔道士に向け、青年は深々と頭を下げた。
 青年は返答を待つことなく、直ぐ傍を流れている渓流へと下る。その水際へ屈みこむと、懐からケロンを取り出し、その顔を流れの方へ向け降ろした。
「ケロンちゃん、君は、海亀なんだから、海へ帰らなきゃいけませんよね。海亀は、海でないと、生きて行けないでしょう! 寄り道しないでちゃんと海へ帰るんですよ。間違っても、今度は、山なんかへ登ったら駄目ですからね。元気でね!」
 青年は、流れの中にケロンを押し出す。
 流れの中からケロンは、首をもたげて青年を見やった。が、次瞬、大きく体を捻って流れの中へと潜って行った。
 消えたケロンへ向け、青年は手を振り続けていた。
 しばらくして青年は、振っていた手を止め、くるくるとカールした長髪をふわりと揺らして振り向いた。
「猊下。峠越え道は、こちらでよろしかったでしょうか?」
「え? あっ! さ、然様で……」
 未だ先程来の驚愕から醒めきっていない大叔父の曖昧な返答に代わり、少年が答える。
「そこを左に真っ直ぐ行けば、レーネン峠に出ます。峠には、道標があるから、その矢印に従って行けば、迷うことはないと思いますよ」
「そうですか。ありがとうございます。さようなら! カーネン! とっても楽しかったです。お元気でね!」
 青年は歩み去りながら、大きく手を振る。
「さようなら! メル! お元気で!」
 少年も大きく手を振って応える。そして、青年の影が木々の中に消え去ってしまた後も見つめ続ける。そうしていると、無意識のうちに、ふっと呟いていた。
「魔物も、人と同じ生き物」
 それを聞き咎めたように不審の表情を向けてくる大叔父へ、少年は、何か遠いできごとでも思い出すかのような口調でいう。
「あれは、死を覚悟する程の瘴気を放っておりました。彼は、その瘴気の塊へ向け、何もせず、真っ直ぐに近づいて行きました。すると、そこには、魔亀が出現しておりました。それから、ただ手を伸ばして持ち上げたんです、それを。そして、いわれました。これだって生物の構成員。人間と同じ生き物。この世界に一緒に住んでいる仲間、と。あの魔物を、愛しむように掌へ載せて、撫でてやりながら……」
「あの、魔導師殿が……」
 二人は期せずして魔亀が消えて行った渓流を見やる。
 魔亀の消えた渓流は、澄み切った流れに色づいた山々の紅葉を映しつつ、いつもと変わりなく瀬の音を谷間に響かせながら、駆け下っていた。

文・梓寝子(あずさ・ねこ)

  小学校時代から欠席が多く、学校へ行けない日々に発生した他愛も無い妄想から生まれた「‘異世界’世界の物語」を綴っております。

絵・立神勇樹(たつかみ・いさぎ)
  くうねるあそぶ、をモットーに、読んだり書いたりしています。小説のジャンルは、ミステリ、刑事モノ、軍モノ、ファンタジー、現代もの、近未来ものなどなど。です。 
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