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卒業式

 三月。
 長いようで短かった義務教育期間がもうすぐ終わる。

 久美子はぼんやりと卒業式に参加していた。
 三年間の思い出や今日という日の感動はあるし、クラスメートと別れるのは寂しい。
 四月から始まる高校生活を思うと不安と期待で胸が高鳴るのも他の子と同じはずだ。なのに久美子はずっと、別のモノに心を囚われていた。

 

 卒業式終了後、記念写真を撮って仲の良い友達家族と食事に行った。その間も久美子のぼんやりは治らない。 卒業の余韻で仕方ないかと、友達も親たちも久美子の様子を特別不審がることはなかった。

 

 家に帰る途中、久美子はずっと心に引っかかっていた場所へ向かうことにした。
「ごめん、お母さん。わたしちょっと」
「どこ行くの?」
 急に足を止めた娘を母は驚いた顔で見る。
「うん、えっとね……」
 言い辛そうに下を向く娘に母は優しく笑いかけて手を差し伸べた。
「荷物、全部持って帰ってあげる。夕飯までには帰ってきてね。今日はお祝いのご馳走作るんだから。お父さんも早く帰ってくるし」
「お母さん、ありがとっ! ……お父さんよりは早く帰るよ」
 全部を察してくれた母の優しさに笑い返して手を振る。背中を向けて道を曲がってからは、もう歩いていられなくなった。久美子は走り出す。

 

 学校のそばに「篠神神社(しのがみじんじゃ)」という小さな神社があった。
 境内には大きなサクラの木。この町で一番古いと伝えられている。

 久美子にとって大事な場所。

 神社の入口から一気に石段を駆け上がる。登りきったら、お堂の正面。鳥居に手を付いて息を整えた。
「はぁ、はぁ……あつい」
 コートを脱いで賽銭箱の横に置く。境内はそんなに広くない、一巡りで全部が見渡せた。
「クミ」
 呼ばれて振り返ると、学ランにコートを羽織った浩志がいた。
「ヒロ、やっぱり来てたのね」
 浩志は頷いた。
「卒業したんだな、俺たち」
「おめでとうって気持ちになれないんだよね。やっぱり」
 二人は頷いた。
 そして同時にサクラの木を見あげた。
「わたしは誰にも言ってないよ」
「俺だって、言ってない」
「ヒロ」
 久美子はサクラから浩志へ視線を向けた。

「どうして、遠くへ行っちゃうの?」

 浩志は久美子の方を見ずにサクラを睨んだ。花は咲いていない。
「仕方ないだろう。父さんが転勤しちゃうから……東京の高校に行くつもりだったし丁度いいって。大学も東京だろうし、お前も来るんだろう?」
 久美子は答えない。
 三年後、自分がどこの大学に行くかなど、今日卒業式を終えた中学生に答えられることじゃなかった。
「本社勤めって凄いんだって。本当なら喜ばないといけないんだけど……俺がこんな風だから、母さんが怒って。兄ちゃんとも再来週から一緒に住めるし。うん、家族的には、良いこと尽くめ。そう、思わないといけないのはわかるけど」
 浩志は久美子を見る。二人の目が合うと久美子は下を向いた。
「ずっと、一緒にいるって言ったじゃないっ」
「うん」
「一人にしないで」
「わかっている、でも」
 家族と離れて暮らすという選択肢を浩志は持てる年齢じゃなかった。
「……しょうがないんだ」
 久美子の腕を掴む。浩志の指は、少し震えていた。
「ごめん、クミ」
「嫌だよ!」
 久美子は首を振って浩志の手を取った。

「行かないでよ!」

 そんなこと無理だと久美子は気付いている。
 でも、言わずにはいられない。
「わたし本当の独りぼっちになっちゃうよ」
 久美子の声は悲痛だった。
「クミ、俺は」
 久美子は首を横に振り続けた。浩志の言葉を全部否定するようにイヤイヤと言い続ける。
「聞きたくない、聞きたくないよっ!」
 お別れが怖かった。
「クミ……ごめんな」
 泣きそうだった。浩志は何も言えなくなる。
 これ以上、何か言ったら久美子の目から涙が零れるだろう。もう、泣かせたくない。

「ノブ……」

 浩志が助けを求めるように、サクラを見た。
 久美子もキラキラと潤んだ目をサクラに向けた。

 

 二人だけの秘密。
 二人だけの、誓いのモノ。

 それがノブだった。

 

 浩志はそっと久美子の背中に手をやると、サクラの方に一緒に歩き出す。
「もう一度、ノブに手紙を読もう。そしたら、会えるかもしれない。クミを一人にしたくて俺は引っ越すわけじゃない。ノブだってそうだよ。ノブさえここに戻ってきたら、お前は一人じゃないだろう?」
 久美子は頷いた。

 そして二人はサクラの根元にしゃがみ込む。
 

 小学生最後の春休みに埋めたものを掘るために。

 


1
最終更新日 : 2012-04-03 22:24:53

出会い

 

 二人がノブと出会ったのは四歳のときだった。

 

 浩志と久美子は同じ幼稚園のクラスで出会う。入園式の日、二人はあっという間に仲良くなった。

 活発な久美子は浩志を連れ出して篠神神社に来ていた。

「ヒロ! みてみて! おっきなお花があるよ! サクラ!」
「うーおはなぁ! さくらぁ!」

 四歳で言葉を自由自在に操る久美子に比べて、浩志は少し舌足らずだった。
「ヒロ、速く!」
 そして行動も久美子の方が速かった。
「クミちゃんまってぇ」
 久美子は振り返り両手を腰に当てて怒った。
「ヒロ、あたしのコトは、クミって呼ぶのぉ」
「うークミ」
「よし! 今度ちゃんって呼んだらごっちんって怒るからね!」
「んーなんでぇ?」
 久美子は浩志に抱きついてキスをした。
「だって! ヒロとクミはけっこんするんだもん! だから! ふーふはね、よぶときにちゃんって、いわないのよ! わかった?」
 また久美子はぎゅーと浩志を抱きしめた。
 数センチ久美子の背が高いので抱っこしているように見える。
「うん、わかったよぉ」
 舌足らずで頷く浩志に久美子は満足そうに笑った。
「じゃ、けっこんゆびわをさがしましょ!」
「えー? ゆびわ?」
「そう! えっとねーなんでもいいよーわっかになっているヤツ見つけた子が勝ちねー」
 久美子はそう言って下を向いてうろうろと地面を見てまわり出す。
 浩志もそれに習って地面を見つめた。
 サクラの花びらが舞い落ちてきて、良い香りがする。
「クミちゃん、ピンクきれいだねー」
「こら! クミっていいなさいよー」
「あ! ごめん」
「いいよ! ワザとじゃないからねー」
「ねー」
 二人は笑い合ってサクラの根元に座った。
「ふわふわだねー」
 浩志が新雪のように綺麗なサクラの花びらをばっと手で払うと一面がピンク色になった。
「きゃー! すごい! ふぶきだぁーふぶきぃ!」
 二人はキャッキャとサクラの花びらをかけ合いっこしてはしゃいだ。

 

「ねぇ、見つけたよ」

 

 二人は男の子の声を聞いた。声のする方を見る。
「だれぇ?」
 浩志が声の主を見て首を傾げた。サクラの幹に片手をかけて微笑んでいる男の子。とても不思議な子だった。さっきまで誰もいなかったのに。男の子の周りにはサクラの花びらが、はらはらと舞っている。

「……サクラのようせいさん?」

 久美子が見たままを言うと、声の主はにっこりと笑った。
「クミ、ヒロ、僕はね。ノブだよ」
 ノブは二人と同じ四歳くらいに見えた。久美子より背は少しだけ高い。
「ノブ?」
「うん、そうだよ。二人のこと待っていたんだ。ずっと」
 ノブはニコニコと、二人に掌を差し出す。
「見て!」
 二人はそれを覗き込むと歓声を上げた。
「うわ!」
「ゆびわだぁ!」
 それはシロツメグサで編んだ指輪。
「王冠も作れるんだ」
 さっと、久美子に王冠かぶせると感激して飛び上がった。
 浩志が羨ましそうに言う。
「ノブ、俺のは?」
「じゃ、みんなで作ろうか?」
「「うん!」」
 三人は友達になった。

 その日、三人でシロツメグサをいっぱい摘んで、王冠を作って三人で結婚式をした。

 


2
最終更新日 : 2012-04-09 23:21:59

3人だけの秘密

小学校入学式の日、二人は篠神神社へやって来た。

ノブにぴかぴかのランドセルを見せるためだ。

「「ノブぅ~!」」

 久美子と浩志は満開に咲き誇るサクラを見上げた。こんなに綺麗な花は見たことがないというほどに、見上げた空いっぱいにサクラのピンクが埋め尽くしていた。
「こんにちは、クミ、ヒロ」
 サクラ吹雪の後、ノブはサクラの枝から飛び降りてきた。三人そろって笑い合う。ノブも二人と同じくらいの背丈になっていた。
「ね、見てこれ!」
 今日もらったばかりの教科書をサクラの根元に広げた。
「これで書くの」
 母が準備してくれた鉛筆や筆箱をノブに見せる。
「私のプリキュアのだよ!」
「俺はねーメジャーの!」
 ノブはニコニコと二人の話を聞いていた。
「あ、ウサギが学校にいるんだ!」
「ノブも一緒に行こう!」
「うん!」
 三人で小学校に戻った。
 ウサギ小屋の隣にもサクラの木はあるがノブがいるサクラよりはずっと見劣りする。
「ウサギは何食べるのかなぁ」
 えさをあげたくてクミはヒロに聞く。
「えー草じゃない?」
「ウサギは何でも食べるよ!」
 ノブはその辺に生えているクローバーを摘んだ。
「これも食べるよ」
 差し出した草をウサギはもぐもぐ食べた。
「いいな! わたしも!」
「俺も!」
 三人でウサギにえさをあげた。
 一生懸命ウサギにあげる草を摘んでいると、クローバーの中にシロツメグサも見つける。
「王冠つくろうよ」
 久美子が毎年やる春の遊びを思い出す。
 でも、この辺の草はほとんどウサギにあげてしまった。少ししか、シロツメグサを見つけられない。
「サクラの木に帰ろう。あそこなら、いっぱいあるから!」
 ノブの提案に二人は頷いて、篠神神社に戻った。
 そこで三人でもくもくと花を摘む。

「なんで、ノブは学校にこないの?」

 王冠を三人で編みながら、久美子は聞いた。
「だって、僕はクミとノブ以外には見えないし」
「「あ、そっか」」
 幼稚園児の時に出会ったノブは二人にしか見えないことを理解していた。
 親が迎えに来てもノブは大人に見えなかったのだ。
 三人で遊んでいて、そのことは慣れっこだった。
 でも、ノブだけがずっとこの場所にいるのは寂しい気がした。
 浩志が気付いてノブにお願いする。
「でもでも、学校に遊びに来てくれる!?」
「いいよ」
 ノブはあっさりとOKしてくれた。
「わーい!」
 二人は飛び上がって喜んだ。これで学校でもノブは一緒だ。
 ノブは笑った。
「でも、お願いがあるんだ」
「何?」
 二人は興味津々に聞いた。

「僕のこと、誰にも言わないで」

 ノブはしーぃと口元に指を立てた。
「僕のこと見えるのは二人だけだから、僕のことはクミとヒロの秘密だよ」
 三人だけの秘密に久美子と浩志はわくわくした。

「「うん! もちろんだよ!」」

 凄く楽しくなった。
 大切な友達のノブ。それはクミとヒロの一番大事な秘密だった。

 ノブは約束通り時々学校に来た。そして、姿を見せて久美子や浩志が気付くといつも「しーぃ」と笑いながら口に指を立てる。みんなには見えていないノブ。だから、ドキドキとわくわくで二人は学校が楽しくなった。

 三人だけになるとみんなが気付かないのが面白くて笑った。
 遠足も、運動会も、いつでもどこでもノブは一緒だった。三人はずっと一緒だった。

 


3
最終更新日 : 2012-04-09 23:47:02

クミとヒロのケンカ

小学四年生の春。
 久美子は泣きながらノブの所に訪れていた。
「ノブ! ノブ!」
 毎日のように三人で遊んでいる大事な場所。
 今年も美しくサクラは咲き誇っているのにノブはいくら呼んでも現れない。
「えーん、ノブ、ノブ! ヒロがねヒロがね」
 泣きじゃくりなら久美子は浩志がやった酷いことをサクラの木に話かけ続けた。

 四年生になった久美子と浩志はクラスが一緒になった。小学生になって初めてのことだ。
 嬉しくて久美子はしょっちゅう浩志の席に行こうとしたが浩志はクラスの男子たちと一緒に遊ぶことばかりを選び、今日はとうとう久美子にこう言った。
「ウザいんだよ! 女子と遊んでいるヒマないって!」
 そして浩志と男子たちはボールを持って外に行ってしまった。
 久美子はショックだった。
 浩志にウザいと言われたことも久美子を浩志が「女子」としてくくったことも。
「ノブ、なんで。なんで出てきてくれないの?」
 本当に一人ぼっちになってしまった久美子は泣きながら家に帰った。

 次の日も久美子はノブの所に来ていた。
 今日もノブに会えないかもしれないと思いながら、しょんぼりと神社の階段を登っていると声が聞こえてきた。
「ノブ! ノブ!」
 浩志の声だ。
 昨日久美子がやったようにノブを呼んでいる。久美子は浩志に見つからないようにそっと隠れて様子を伺った。満開のサクラからノブが出てきた。
「どうしたの?」
 昨日はいなかったのに。と久美子はむっとして二人を見る。
「クミが、クミが酷いんだ」
 ノブは笑った。
「どう酷いの?」
 浩志は泣きそうになりながら言った。
「小学校に入って初めて同じクラスになったんだ。でも、クラスでは男友達と遊びたいし、話したい。しかも、久美子とクラスで仲良くしてたら、いじめられるっていうか、からかわれるから」
「うん、そうかも」
「クミがいじめられたら、嫌だ」
 ノブが頷いた。
「それなのにクミは学校の外で、俺のこと無視したんだっ!」
 久美子は心当たりがあった。
 今朝、会ったとき。いつもなら一緒に学校まで楽しく行くのに、昨日言われたことが悲しくて腹立たしくて、浩志が話しかけてくるとイライラした。
「俺、ただクラスの中では仕方ないと思っただけで。クミのこと今まで通り大事なのに」
 浩志は泣き声だった。
 ノブは優しく浩志の背中を撫でる。
「クミにそのことを言えば大丈夫だよ」
 ノブの声は本当に優しい。浩志は泣いた。久美子も泣いてしまった。
 急いで二人の前に走っていく。
「ヒロ!」
 浩志は慌てて涙を拭って久美子を見た。
「クミ……」
「誰がヒロをいじめるのっ!」
 久美子は怒りの矛先が変わっていた。
「え」
「わたし、クラスでもヒロを大事にしたいのっ!」
 浩志の手を掴んで久美子は見据えた。
「無視してごめん」
「俺もごめん」
 ノブが笑った。
「クミ。落ち着けよ」
 ノブは久美子と浩志と同じ歳の外見になっていた。
「クミはクラスに女子の友達いるだろ?」
 久美子は頷いた。
「じゃ、クラスではいいじゃないか。もしかしたら二人だけ孤立しちゃうよ。クラスの子も気を使うだろう? だから、学校が終わってからいつもみたいに三人で遊ぼうよ。別のクラスの時はそうだったんだろう?」
 二人は黙る。
「クミもヒロも同じ気持ちだよ。二人とも僕と会ったときと何も変わってない」
 久美子は浩志が大事で、浩志も久美子が大事だ。
「二人は特別のままだから、他の友達と、学校に行っている間しか会えない子たちと、交流した方がいい」
 ノブは柔らかく笑った。
「僕も良く学校に見に行っているからわかるよ」
 小学一年生のときに約束した通りノブは時々学校に来ていた。浩志と久美子にしか見えない、秘密の友達。学校でノブに話しかけるのは、三人になったときだけだ。
「二人とも、今年も今まで通り上手く行くよ」
 ノブがそういうと、その通りの気がした。久美子は悩んでいたことが解決して晴れ晴れしい気持ちになった。浩志もだ。
「ヒロ、考えてくれてありがとう」
「ううん、俺こそ。きちんと理由も言わずにあんなこと言ってごめん」
 いじめられているわけじゃない。ノブが言ったとおり心配しているだけだ。
「クミが女子と話しているとちょっと寂しかったけど、クミも俺が友達と遊んでいるの見たとき同じ感じだったんだ」
「うん、でも」
 ノブの手を取った。
「二人は特別だよね」
 三人は頷いて、満足そうに笑った。今年も美しくサクラはその笑顔を見ていてくれた。


4
最終更新日 : 2012-03-10 20:29:53

ノブの別れ


 六年生の冬。
 学校帰りに二人はノブの所に来ていた。
 毎日のように宿題も遊びも篠神神社でしている。
「ノブぅ」
 わからない問題があって久美子はサクラを見てノブ呼ぶ。ノブはとても頭がいい。わからない問題をいつも教えてくれていた。先生よりもわかりやすい。
「今日はまだ出てきてくれないな」
 浩志も廊下に寝そべって問題を解いていた。
「ノブがいるからわたしたち塾に行かなくて済んでいるもんねー」
 親も浩志と久美子がここで一緒に勉強していることを知っている。
 二人の成績は文句を言わせないくらい優秀だ。

 神社の建物はそんなに大きくはない。そんなに古くなく立派だった。
 無人の所でたまにそれっぽい人を見かけるが四歳のときから毎日のように通っている久美子と浩志はここに居て咎められたことはなかった。雨の日もこうして屋根のある廊下で勉強したり遊んだり。三人は相変わらずいつも一緒だった。
「ノブ!」
 もう一度サクラの木に向かって久美子は呼びかける。
 茶色い枯葉を少しだけ残したサクラの木は葉っぱを風に揺らしただけだ。
「おかしいな」
 浩志も不審がって顔を上げた。
 心配になった二人は急いで宿題を終わらせるとサクラの木に触れた。
 木はとても冷たい。
「ノブ?」
 二人で木の幹に耳を当てた。

『クミ、ヒロ』

 微かに、ノブの声が聞こえた。
「ノブ!?」
「どうしたの!?」
 弱々しい声に二人は驚く。昨日まで、いつもと変わらずに一緒に遊んでいたのに。

『ごめん、ちょっと待ってね』

 しっかりと耳を幹に付けてノブの声を必死で聞き取ろうとした。

「おまたせー」
「「うわっ」」

 ノブは普通に現れた。
 ちょっと困った顔をしている。ノブも二人と同じくらいの年齢になっていた。
「ノブ! びっくりするじゃん!」
「どうした?」
 むっとしてノブを見ると、二人にニコニコと言った。
「実は、凄く言いづらいんだけどさ」
 ノブはサクラを見上げた。

「僕、これまでみたいだ」

 二人は意味がわからなかった。ノブの笑顔は複雑だった。
 久美子が首を横に振った。
「何? 何言っているの?」
「うん、あのね」
 ノブはしばらく黙って、言った。

「この木、もう咲かないんだよ。終わりなんだ」

 ノブは苦笑した。
「だから、僕は行かないといけない」
「どこへ?」
 ノブは困った顔をした。わからないと小さく呟いた。
「嫌だよ、ノブ。なんで?」
「ごめんね、でも、きっとまた会えるよ、絶対に会えるから」

 ノブの姿がどんどん薄れていった。

「行かないで! ノブ!」

 久美子は叫ぶ。ノブに触れようとしたら、すっと手がすり抜けた。

「嫌! イヤ! なんで!? どうして!? いやだよぉ!」
「ノブ」

 浩志は久美子の叫び声を聞きながら呆然と薄れていくノブを見つめた。
 ノブはふっと笑う。

『大好きだよ。クミ、ヒロ。
 僕、二人に会えてよかった。
 本当に良かった。
 二人がいなかったら、僕、待てなかったから。
 ありがとう、ありがとうね。
 二人が喧嘩したとき、実は泣きそうなくらい悲しかった。
 でも、三人、ずっと一緒にいられて、僕、すごく幸せだった。
 ……きっとまた』

 だんだん声まで聞こえなくなってくる。

『ありがとう、クミ、ヒロ』

 ごうっと風が吹き付けた。強風の後、砂埃が止み、ノブの姿はすっと消えた。
 微かに声が風に流れてきた。

『また、会おう』

 静寂の中、二人は無言で立ち尽くす。
 突然すぎる別れに、何も言えなかった。

 夕日が赤く空を染め始めた頃、久美子がサクラの木に向かって大声を上げて泣き喚いた。
 静寂は悲痛の叫びに切り裂かれ、夜が訪れる。
 二人で抱きしめたサクラの木は、すごく冷たかった。

 いつまでも、二人でサクラの木にしがみついて泣いていた。


 


5
最終更新日 : 2012-03-10 20:43:04


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