閉じる


始まりの始まり

宏は面接会場で妹、絵美から教わった面接時のマナーを思いだしていた。

宏の他に数人の男女が面接に訪れている。

お世辞にも大きいとはいえない小さな会社だ。

一人、また一人と呼ばれていく。

自分の番が近づくにつれて緊張はどんどん高まっていく。

そしてついに次は宏の番だ。

宏はこの時ほど神仏に助けを求めた事はなかった。

「次の方どうぞ」

男性の低い声で呼ばれる。

宏は体をガタガタ震わせながら扉の前まで歩を進めた。

震える拳で目の前の扉を小さく2回ノックする。

目の前にある扉がとてつもなく大きく思える。

「し、し、失礼します!」

完全に声が裏返ってしまっていた。

中へ入ると中年男性3人が真剣な眼差しで宏の方を見ている。

震える足でゆっくりと椅子まで移動し、すぐに椅子に腰掛ける宏。

「あっ!!」

宏は思わず声を上げてしまった。

「兄貴!面接の時は面接官が「どうぞお座りください」って言うまで間違っても絶対に座っちゃダメだからね!」

という絵美の言葉を今思いだしたのだった。

真ん中の面接官が大きく咳払いをする。

こうして宏の面接という名の戦争が始まった。

「鈴木宏さん?」

「はい」

「中学を卒業してから今に至るまで空白になっていますがこの間なにをなさっていたのですか?」

この質問はくるとは分かっていた宏だったが、なかなか答えられずにいた。

重く、長い沈黙が場の空気を凍りつかせる。

さらに面接官は続ける。

「答えられませんか?答えられない事情でもお有りなのでしょうか?」

宏はまだ黙ったまま答えられずにいる。

面接官は追い討ちをかけるかのようにさらに続けた。

「答えていただかないと何も分かりませんよ?」

少し強い口調で面接官は言い放った。

少し間を置いた後、面接官は次の質問を投げかける。

「じゃあ当社の志望理由をお聞かせください」

またしても答えられない宏。

しばらくの沈黙の後、面接官から大きなため息がもれた。

「もう結構です。今日はお帰りください。結果は後日お知らせ致しますので」

宏は失意の中、面接会場を無言で後にした。完敗だった。

後ろの方で他の面接に訪れた者達の馬鹿にするかのような笑い声が聞こえてくるかのようだった。

家に帰ると絵美が出迎えてくれた。

「面接どうだった?」

宏は無言でそれに答える。

「ま、まぁ次また頑張ればいいよ!ね?次頑張ろ!」

その瞬間宏の目から涙が溢れ出す。そして今まで我慢してきた何かを放出させるかのように口を開いた。

「次ってなんだよ!!やっぱり今更俺には無理なんだよ!働いたこともないし、中卒だし、もう今年で35にもなった。今更もう無理なんだよ!変われっこないんだよ!!」

それを黙って聞いていた絵美は険しい顔で宏の頬を思いっきり平手打ちした。バチーン!!という音が家中に響き渡る。

「兄貴!今の言葉お母さんの前でも言えるの!?」

絵美はさらに続ける。

「言い訳ばっかりして。逃げて、引きこもって。そうやって逃げ続けた先に何があるっていうのよ!!人はいつだって変われる。人生に遅いなんてことはないんだよ兄貴!!」

「絵美・・・」

二人の間に少しの間沈黙が流れる。

宏は何か吹っ切れたかのように喋りだす。

「悪かった絵美。俺少し自分が情けなくてさ。面接官に言われっぱなしで言い返すこともできなかった。だから次こそは言い返してやるよ!」

「そうだよ!その意気だよ兄貴!一緒に頑張ろ!」

二人の絆は宏の就職活動を通じてより一層深まりつつあった。

その日からというもの宏は面接を受けに受けまくった。

下手な鉄砲も数打ちゃ当たる。

という言葉があるが、まさにそれだった。一心不乱に受けまくっていた。

その数は月日が経つにつれて増えていき、ついには100社を超えていた。

しかしなかなか内定はもらえない。やはり中卒で20年間の空白があるのが大きかった。

宏の手元にはお祈りメール。つまり不採用通知だけが届いていた。

それでも宏は諦めなかった。絵美や母、千恵子のため。そしてなによりも自分のために。

そして、その日も宏は面接会場に来ていた。宏以外には誰も面接には訪れていない。

そこは家から自転車で15分ほどの所にある小さな小さな工場だった。

最初はあれだけ緊張していた宏も面接にも慣れてだいぶ緊張しなくなっていた。

宏が工場の中へと入ると何人かの男性がボロボロの作業着で仕事をしている。

宏はその内の1人に声をかける。

「すみません。面接に来た者なんですけど」

「面接?あぁ、事務所があそこにあるからそこで聞いて」

男性が指差した先には事務所と思しき部屋が見える。

「分かりました。ありがとうございます」

男性に礼を言うと宏は足早に事務所の方へと向かった。

深呼吸をしてから事務所の扉を2回ノックする。

「開いてるよ」

中から年配の男性の声が聞こえた。

「失礼します。本日面接のお約束をしていた鈴木宏です。宜しくお願い致します」

「あぁ、もうそんな時間か。この歳になると時間が経つのが早くてね」

その年配の男性はゆっくりと宏の方へと歩み寄る。60歳は軽く超えてそうだ。

「私はこの工場で工場長を勤めている加藤幸一じゃ。まぁ立ったままもあれだから座りなされ」

「失礼します」

宏はかなりの年代物であろう皮の椅子に腰をかける。

加藤は宏の履歴書に目を通す。

「あんた中学卒業してから空白になっとるが、これはどういうことかの?」

あの質問だ。宏は深呼吸した後に質問に答える。

「私は20年間引きこもりでした。でも家族のおかげで立ち直ることができました。たしかに引きこもっていた20年間は取り返せません。しかしこれからは家族にも、そして世間にも恥じないよう生きていくつもりです」

「うむ。あんたにも色々あったんじゃな。まぁ過去の事はどうでもいい。大事なのは今じゃ」

自分から聞いといてどうでもいいとはどういうことだ。と言いそうになったが宏は堪えた。

その後いくつかの質問の後、最後に加藤はある質問をした。

「では最後に。あんたにとって働くこととはなんじゃ」

「働くこと・・・ですか?」

「そうじゃ。例えば、目の前に一生働かなくてもいいだけのお金を積まれて「この金をやるから君はもう働くな」と言われたらあんたならどうする?」

「それは・・・」

宏はなかなか答えられない。

「答えられないか。それはそうじゃ、あんたはまだ働いたことがない。故に答えられない。働くということがどういうことかまだ分かってない」

宏は言い返せず黙って聞いている。

加藤はさらに続ける。

「答えというものは与えられるものじゃなく自分で見つけ出すものだとわしは思う。だからあんたもまずは働いてみることじゃ。そしていつかその答えをわしに聞かせてくれ」

宏はその言葉の意味を一瞬分からずにいた。そしてすぐに気づく。

「そ、それはつまり・・・!」

「まぁ本当は「結果は後日に」とか言うんじゃろうが面倒くさいからこの場で結果を伝える。採用じゃ」

「あ、ありがとうございます!!!」

「声が大きい!鼓膜が破れたらどうしてくれる!」

「す、すみません・・・」

こうして宏は晴れて正社員となった。

今にも潰れそうな小さな小さな工場だが宏にとってはその工場がとてつもなく大きく思えた。

家に帰ると絵美とそして病院から退院していた母、千恵子が出迎えてくれた。

結果を伝えると2人はその場で泣き崩れた。

その日20年ぶりに3人で夕飯を食べた。

その日の御飯はなんだかいつもよりもおいしく感じた宏だった。

加藤の工場に面接に訪れた日から10年。

あの宏が今年パパになる。


~完~

この本の内容は以上です。


読者登録

赤鈴さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について