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戦争の始まり

階段でめまいを起こして階段から落ちた母、千恵子は手足を骨折して近くの病院で入院していた。

病室のベッドの上で寝ている千恵子を宏と妹、絵美が心配そうに見つめている。

「しばらく入院しなきゃいけないみたい」

絵美が宏に真剣な眼差しを向けながら語りかける。

「しばらくってどのくらい?」

「少なくとも三ヶ月くらいの入院は必要だって」

「そっか・・・」

宏は深いため息をついた。

「でも打ち所が悪くなくて良かったね」

「そうだな」

二人が話していると母、千恵子が目を覚ました。

「ここは・・・?」

「病院だよ。母さん階段から落ちて救急車で運ばれて大変だったんだから。でも無事で良かった」

絵美が少し安堵した表情で千恵子を見つめている。

「か、母さん・・・」

宏が声を震わせながら千恵子に声をかける。

「ひ、宏!あんた部屋から出られたの!?」

「うん。母さんや絵美のおかげだよ。ありがと」

「宏・・・」

千恵子と絵美の目からは大粒の涙が次々と零れ落ちる。

絵美と宏は母、千恵子としばらく談笑した後に病室を後にした。

「ゴメン兄貴、ちょっとトイレ行ってくるから少しここで待ってて」

そう言い残すと絵美はトイレへと足早に向かった。

「あれ?そこにいるの、もしかして宏?」

おもむろに誰かに声をかけられる。

声がした方を振り向くとそこには白衣姿の医師と思しき一人の男が立っている。

「俺だよ俺!拓也。山本拓也だよ!」

それは宏にとって忘れたくても忘れられない名前だった。

宏の手が少し震えている。

「中学の時は悪かったな色々。あの頃の俺ってまだガキだったしさ」

宏はうつむいたまま何も話そうとはしない。

「そういえばさ、お前今仕事なにやってんの?」

宏にとって一番聞かれたくない事だ。

宏は自分の心臓が一瞬強く脈打ったのが分かった。

「べ、別になにも・・・」

小さな声で振り絞るように宏は喋った。

「なにもって・・・お前まさか無職なの!?その歳で無職はまずいだろ。ちゃんと働けよお前」

その時、宏の頭の中で何かが切れた。

「お前のせいだろ!!お前にイジメられてから俺の人生は狂ったんだ!全部お前のせいだ!!!」

宏は拓也の胸倉を掴んで殴りかからんばかりの勢いでまくし立てた。

そこに妹、絵美が帰ってくる。

「ちょ、ちょっと兄貴!なにしてんの!?」

絵美はとっさに宏を制止する。

「な、なんなんだいきなり!だいたいイジめられる方にも原因があるんじゃないのか?それに冗談でからかってただけなのに本気になんなよな」

そう言うと拓也は宏の方を見て鼻で笑った。

すると突然、絵美は拓也の頬を引っ叩いた。その叩いた音は病院中に響き渡った。

「冗談じゃないわよ!!兄貴が今までどんだけ辛い思いをしてきたかあんたに分かるの!?謝んなさいよ!兄貴に謝んなさいよ!!」

すると宏が絵美と拓也の間に入って絵美を制止する。

「もういい。もういいよ絵美。もう十分だ」

「兄貴・・・」

宏は拓也の方へと静かに向き直り、真っ直ぐな眼差しで拓也を見つめる。

「このままじゃ終わらせない!絶対に働いて、そして世間に俺を認めさせてやる!!」

宏は病院中に聞こえるような大声で高らかに叫んだ。

拓也は宏と絵美から逃げるようにして足早に去っていった。

絵美の目からはまた大粒の涙が零れていた。

次の日の朝、宏は父の形見のスーツを着て腕には絵美からの誕生日プレゼントの腕時計をつけていた。

「行ってくるよ。母さん」

そう言うとポケットに昔、子供の頃に母から貰ったお守りを忍ばせる。

「兄貴!朝飯できたよ」

「今行くよ」

宏は部屋のドアをゆっくりと開けて下へと降りていく。

リビングの机の上には味噌汁と白い御飯、それに卵焼きが用意されていた。

「これ全部お前が作ったのか!?」

「私だって女よ。これくらい作れるわよ」

久々の家族との朝御飯に宏と絵美はなんだか嬉しくなっていた。

「やっぱり家族っていいな」

宏は小さく呟いた。

「ん?なにか言った?」

「ううん。なんでもない」

宏と絵美の間で楽しい時間が過ぎていった。

朝御飯を食べ終わると宏はゆっくりと、しかし重い足取りで玄関へと向かった。

ドアノブを握る手にも力が入る。

「じゃあ行ってくるよ絵美」

「うん。行ってらっしゃい!」

そしてゆっくりと目の前の扉を開けた。

今まさに宏の就活という名の戦争が始まろうとしていた。


~後編へ続く~

この本の内容は以上です。


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