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第一章 再会

 それは、アリアが十歳の時のことであった

「ねえ、お母様」
「なぁに? アリア」
 食事後のお茶を飲もうとしていた王妃ミランダは、優しい笑顔をアリアに向けた。
「あたし、今度の日曜日『お忍び』に行きたいの」
 「お忍び」とは、ここパレルナ王国の王族が、身分を隠して街に出ることを言う。王族の者は日常、あまり城の外におおっぴらに出ることはない。買い物一つ にしても従者が行って来てくれるので、普通は城の中に一日いても、何一つ不自由することはない。しかしそんなに毎日城にこもっていては、誰でもやはり気が 滅入ってしまう。そんなわけで、「お忍び」と称して、一般市民の身なりで街に出ることが時々あるのだ。
「いいわよ。行ってらっしゃい。それなら、あとで侍従長に従者の手配を頼みましょう」
「それでね、それでね、一つお願いがあるの」
「お願い?」
「うん」
「言ってごらんなさい」
 ちょっと間をおいて、アリアが口を開いた。
「あたし一人で『お忍び』に行きたいの。従者の人なしで」
「一人で?」
 ミランダの表情に戸惑いの色が浮かんだ。
「あたし、十歳になってお城に戻ってから、まだ一人で外に出たことがないの。街ではあたしと同じくらいの年の子はみんな一人で自由に外に出ているわ。なの にあたしはいつも従者がそばにいて、まるで毎日監視されてるみたい。そりゃああたしがこの国のお姫様だからって事も判るけど、たまにはあたしだってみんな と同じように一人で外に出てみたいの」
 アリアの表情は必死だった。
 この国では、王族の子は、七才から九才までの三年間は、身分を隠して街へ降り、一般の子供と同じ初等学校に通うことになっていた。もちろんアリアもお役 所の家の娘という名目で、両親役の従者と共に三年間を過ごしていた。しかし十歳からは、勉強はパレルナ王宮の中にある教室でする事になり、一般の子供達と は離ればなれになってしまったのだ。もちろん王宮で教える先生は超一流だし、一般の中等学校では習わないこともいろいろ教えてくれる。でも友達は……。
「アリアの気持ちは、よく判るわ。でも……」
「行かせてあげなさい」
 不意に奥の方から力強く優しい男の声がした。
「あなた……」
 このパレルナ王国の国王、そしてアリアの父親でもあるヨセフである。
 ヨセフはアリアとミランダのそばに寄ってきた。
「アリアが一生懸命考えた上での希望だ。言うとおりにしてやろう」
「でも私、心配ですわ」
「ここ最近は街の治安も良くなってきたし、アリアも大人への階段を踏み出しはじめたところだ。私も心配でないと言えば嘘になるが、この子の自主性は大切にせねば、な」
 ヨセフがミランダをなだめるように言った。ミランダも表情を和らげた。
「判ったわ。一人でお行きなさい」
「ほんと!」
 アリアの表情にぱっと花が咲いた。
「やったやったぁ。お父様、お母様、ありがとう!」
 ミランダに飛びつくアリア。ミランダがアリアを優しく抱擁し、その後ヨセフもアリアをしっかりと抱いた。
「じゃ、あたし部屋に戻るから!」
 アリアはそう言うと、食堂を跳ねるように飛び出していった。
 食堂にはヨセフとミランダが二人きり残った。
「あなた……」
「大丈夫さ、あの子の事だ。何かあってもうまく乗り切るさ」
「そうですね、あの子を信じましょう」
 二人は我が子の成長をうれしく思っていた。

「お待ちどうさまでした」
「ありがと!」
 アリアはひょいと馬車を飛び降りた。
「じゃあ日暮れの時にここへ迎えに来て」
「かしこまりました」
 従者は馬車に乗り、城の方へと帰って行った。
 ここは城下町パレラードの東の入口。多くの馬車が集う馬車の駅だ。パレラードはパレルナ城の城下町であると共に、交易が盛んな港町でもある。南北を森、 東方は農地、そして西はパレルナ湾に面しており、街はその湾に面してどちらかというと南北に細長く広がっている。城はパレラード北東の小高い丘にあった。
「さてと、それじゃあデイジーの家は……こっちだ!」
 デイジーは初等学校時代のアリアの大親友だった。一見細身で長い髪のおとなしそうな子だが、結構しっかり者で頭もいい。デイジーの家はパレラードの東の 馬車駅から街のはずれに歩いて十分ほどの農家だ。当時アリアは良くデイジーの家に遊びに行って、家畜と遊んだり、畑を駆け回っていたものだった。
「ごめんくださ~い」
 デイジーの家の玄関ドアをノックする。
「はぁ~い」
 どたどたという音がしてドアが開く。恰幅のいいおばさんが現れた。アリアの姿を見るなり、
「あらまぁ~! お久しぶり。アリアちゃんじゃないの」
「お久しぶりです、おばさん」
 このおばさんがアリアの母親である。
「デイジーはいますか?」
「ええ、もちろんよ。今呼んでくるわね。デイジー、デイジ~! アリアちゃんよぉ~」
 奥の方からほっそりした女の子が現れた、アリアの姿を見るなり、そばに駆け寄る。
「アリア! お久しぶり! 元気してた?」
 満面の笑顔のデイジー。
「うん」
「来るって言うなら手紙でもくれれば良かったのにぃ」
「ごめんね、急にこっちに来られる用事が出来たから」
 初等学校を卒業するとき、アリアは隣町アリランテに引っ越すという事になっていた。
「ねぇ、デイジー。あたし久しぶりに街を回ってみたいの。一緒に行かない?」
「うん、行く行く。母さん、あたしちょっと街まで行って来るね」
「気を付けていっておいで!」
 デイジーのお母さんに見送られ、二人はスキップしながら街へと向かった。

第二章 老婆

 アリアとデイジーは、パレラードの港近くにあるパレラード公園にたどり着いた。
「ねぇ、海の見える所へ行こうよ!」
 アリアはデイジーを公園の海岸沿いの場所へと誘った。天気の良さもあって親子連れや若いカップルなど、結構人がいた。二人はつい先程家族連れが去ったばかりの空いていたベンチに腰掛けた。
 アリアはデイジーに彼女達が通う中等学校の話をあれやこれやと質問責めにした。デイジーもアリアが驚いたりうらやましがったりする様子を楽しみながら、それに付き合った。
 その時だ。
「ワッ!」
「きゃっ!」
 突然の大声に二人思わずベンチの上で身体が跳ねた。振り返ると、背後に栗毛の髪の小柄な男の子がいたずらっぽそうにニヤニヤして立っている。
「久しぶり! おてんば女」
 アリアの見覚えのある顔、いや、初等学校の頃張り合った忘れられない顔がそこにあった。
「あ~っ、カインじゃない。あなたまだ生きてたの?」
「半年ぶりに顔合わせて『生きてたの?』はないだろぉ」
「あなたにはそういう挨拶がお似合いなの」
「うん、それは確かに言えるね」
「げ、デイジー。相変わらずきっつい事いうなぁ」
「だってあなたにかしこまった挨拶なんか一番似合わないじゃない」
「ははは、ま、そりゃそうだ!」
 彼の名はカイン、初等学校でもクラスで有名なお調子者だった。今でもそれはちっとも変わっていないようだ。
 カインはアリアの隣に座った。
「どうだい、向こうは?」
「う~ん、まあなんとかやってるわ。でも、やっぱりあたしはパレラードの方が好きだわ。アリランテの学校って、何かちょっとつまんないの」
「ふ~ん」
「それにカインみたいに『構いがいのある』子がいないしね」
 話しながら笑顔がこぼれるアリア。
「だろー! 俺みたいなカッコいい男なんて、そういるもんじゃないぜ」
「勘違いもここまで来ると天才ね」
「デイジー、勘違いとは失礼な。俺はいつかパレルナ城のお姫様を嫁にして、親父とおふくろの貿易会社を世界一にしてやるんだから」
「カイン、あなたパレルナ城のお姫様って見たことあるの?」
 デイジーが興味深そうに尋ねる。
「いいや、一度もないよ、でも俺には判るんだ。とっても美しくておしとやかで、夫に忠誠を尽くす魅力的な女性。まあいくら名前が同じでも、ここにいるアリアとは正反対だね、きっと」
「ぷっ、あはははは……」
 あまりのおかしさに、笑い転げるアリア。
「無理、無理、絶対無理だわ」
「そこまで笑うかよ」
「ぜーったいお姫様はあんたみたいなお調子者のお嫁さんになんかならないわ。金貨百万枚賭けたっていいわよ!」
「そういうアリアはパレルナ城のお姫様、見たことあるの?」
 一瞬ドキッとするアリア。
 デイジーの好奇心旺盛な目がアリアをじっと見つめる。
「……あははは、ない、ない、いっぺんもない」
 しどろもどろ気味に答えるアリア。
「な~んだ、結局アリアも見たことないのか。つまんね~の」
 そんなカインの言葉に、アリアはよっぽどカチンときたが、じっと我慢する。
「ねぇ、デイジー。あたしちょっと商店街の方に行きたいんだけど、つきあってくれる?」
 何とか話題を逸らそうと、思いつきで話すアリア。
「いいわよ」
「ちょっとこっちで洋服を探しに行きたいの。アリランテにはあんまり素敵な洋服ないしさ」
 アリアとデイジーが立ち上がった。
「じゃ、俺も一緒についていこーっと!」
 カインも立ち上がる。
「げ、カインってそう言う趣味あるの」
 引きつり笑顔になるデイジー。
「ばーか、うちに帰るんだよ。おんなじ方向だし」
 確かにカインの家はここから商店街への道沿いだ。
 三人は公園を後にし、商店街へと続く大きな通りへと入った。ここはパレラードの東西に結ぶメインストリートであり、大勢の人や馬車が行き交っている。
「ねぇ、前にあるあの黒いの何かしら?」
 不意にデイジーが二人に尋ねる。
 見ると、三人の前方の歩道に何やら黒い者が横たわっていた。大人達は見て見ぬ振りをしながら、それをよけて歩いている。
「わからないわ」
 近づいてみると黒い布で覆われた何か……。さらに寄ってみる。
「人だわ! 倒れてる!」
 アリアがその黒い者に駆け寄った。どうやらひどく歳を取った老婆のようだ。
「おばあさん、どうしました? 大丈夫ですか?」
 老婆は微かに目を開けているように見えたが、うつろで生気がない。
 デイジーとカインも老婆のそばへ寄る。何気なくデイジーが老婆の額に手を当てると、慌ててデイジーがその手を引っ込めた。
「やだ、ものすごい熱!」
「ほんとに?」
 アリアも手を老婆の額にあてる。確かにひどく熱があるようだ。
「まずあのおばあさんを何とかしよう。ちょうど二軒先が俺の家だ。そこまであのおばあさんを運ぼう」
 三人は老婆をゆっくり起こし、アリアとデイジーが老婆の両肩を支え、カインが老婆を背負うような体勢になった。
「おばあさん、休める場所に行きますよ」
 アリアが優しく老婆に声をかける。
「……あ……りがとうよ」
 小さくか細い老婆の声を三人は聞いた。
「よし、いくぞ」
 三人は老婆を支え合って、ゆっくりとカインの家へと向かった。
「そこのベッドだ。寝かせるぞ。よいしょっと」
 老婆はカインの家のベッドの上で横になった。へたり込む三人。
 一息ついてデイジーが尋ねる。
「カイン、お父さんかお母さんは?」
「今仕事場だ。夜までは帰ってこないよ」
「そうだわ、お医者様を呼ばなくっちゃ」
 アリアが不意に立ち上がる。
「カイン、この近くのお医者様ってどこだったかしら?」
「商店街の二本先の小路を左に曲がってすぐだ」
「じゃああたし、呼びに行って来る」
「待って!」
 飛び出そうとしたアリアをデイジーが呼び止める。
「何?」
「あなた本気で呼んで来るつもり?」
「当たり前じゃない!」
「あなた、お金持ってる?」
「ええ、少しは……」
「アリア、あなたお医者様を呼ぶのにいくらかかるか知ってるの?」
「ううん、知らない」
「金貨三枚はいるわよ」
「えーっ、そんなに!」
 アリアは愕然とした。無理もない。なぜなら金貨三枚は結構な大金だったのだ。パレルナ王国での平均的な勤め人の月収は金貨十五枚前後。もちろん普通の子 供が普段それだけの大金を手にするはずはなかった。アリアは母親ミランダから「何かあったときのために」と金貨一枚をお守り代わりに持たせてもらっていた が、それが子供にとって大金であることはアリア自身も判っていた。
 アリアは今まで、医者を呼ぶのにそんなに大金がかかるなんて、ちっとも知らなかったのだ。城には専属の医者がいて、何かあればすぐ駆けつけてくれたからだ。
 しばらくアリアは考えた。そして……。
「やっぱり行くわ!」
「お金ないんだろ」
「大丈夫、あたしに任せて。何があっても絶対に呼んでくるから」
 そう言うとアリアは、勢い良くカインの家を飛び出していった。
 カイン、デイジー、そして老婆が家に残った。
「あいつ、マジで呼んでくるつもりかな?」
「たぶんね。あの子、一度決めたら突っ走るところあるから。……さてと、あたし達もそろそろ動かなくちゃね」
 不意にデイジーが立ち上がる。
「カイン、ちょっと台所を拝借していいかしら?おばあさんに温かいスープを作ってあげたいの」
「ああ、いいよ。食材もあるものは使っていいよ。俺はおばあさんの頭を濡れタオルで冷やして様子を見ておくから」
「判った、じゃ頼むわね」

第三章 命の値段

 アリアは一生懸命走った。走った。
 二本目の小路を曲がるとすぐ、医者の看板が見えた。
 勢い良く扉を開けると、そこには鼻の下にピンと跳ねたひげを生やした中年の白衣の男がいた。
「いらっしゃい」
「お願い、お医者様すぐ来て欲しいの。おばあさんが高熱で倒れているの」
 息をハアハア切らしながら、アリアは必死になって言った。
「お嬢ちゃんや、すまないが往診にはお金が必要なんだ。お金はあるのかい?」
 アリアは服のポケットにしのばせていたお守りから金貨一枚を取り出した。
「今はこれだけしかないわ。残りは後で持って来るから」
 医者は困った顔をした。
「お嬢ちゃん、済まないが往診の時は金貨三枚いるんだ。それに後払いはお断りしているんだよ。済まないが、残り金貨二枚を持って、また来てくれんかね」
「ちゃんと後で払うわ。お願いだから来て」
「いいやダメだ。出直してくれ」
「どうしてもダメ?」
「ああ、どうしてもだ。こちらも商売なんでね」
 その言葉に張りつめた思い糸が音を立てて切れた。アリアの目から涙があふれ出る。
「……そ、そんな」
 いぶかしそうな目でアリアを見つめる医者。
「泣こうが騒ごうが、できんものはできんよ」
 その冷たい言葉がアリアにとどめを刺した。ガラガラと崩れる最後の心の砦。
 ぎゅっと目をつむるアリア。全身が熱を帯びたような感覚が走った。
「……そうなの、病気で苦しんで下手をすると死んでしまうかもしれない人がいるっていうのに、そういう冷たい事言うのね」
 わなわな震えながら、アリアは服のもう一つのポケットに右手を突っ込んだ。
「……判ったわ」
 そしてその手が、固い金属製の「ある物」を握りしめた。
「じゃあ……」
 瞳をカッと見開く。
「これでも私の願いを聞かないつもり!」
 叫ぶ声と共に、その「ある物」を医者の目の前に突きだした。
「ん?」
 一瞬の間、医者はそれに目を凝らした。金糸が細かく織り込まれた赤いリボンを付け、中央に赤く輝く宝石を配し、緻密な飾りが彫り込まれた金色に輝くそれは、医者の記憶の中から「偉大なるものの存在」の事実を引っぱりだした。
「……ああっ、こっ! これは!」
 医者は思わず後ずさり、よろけて床にへたり込んだ。
 アリアが突きだした「ある物」とは、パレルナ王国の紋章だったのだ。そして赤いリボンは王の直系の娘を意味する。そう、この紋章を持っていることは、彼女自身がこの国の姫であるという証なのだ。
「私はパレルナ国王ヨセフ・パレルナの第一皇女、アリア・パレルナよ。病気で苦しんでいる人がたくさんいるって言うのに、こんなにも高い往診料を取って相手を選ぶなんて許せない。あたし、お父様に言いつけてあんたに罰を与えてもらうわ、覚悟しときなさい!」
 医者はパレルナの前にひれ伏した。
「大変申し訳ございませんでした。ご無礼何とぞお許しを……」
「判ったわ、じゃあ私の言うとおりにしたら、お父様に言いつけるのもやめるし、許してあげるわ」
「はっ、ははぁ」
「往診代はたった今から銀貨二枚とすること、これは薬代も含めてよ」
「そ、そんな……それでは薬の仕入れ値よりも安くなってしまいます。いくら何でも私の生活が……」
「何言ってるのよ、今まで散々儲けてきたくせに。どうせたっぷりと蓄えもあるんでしょ」
「そ、そう言われましても……」
「やかましい無礼者っ! これ以上減らず口を叩くと、承知しないわよっ」
「ははあっ!」
 医者はひれ伏したまま後ずさりした。
 アリアはほんのちょっぴり、この医者が可哀想に思えてきた。アリア自身もこんなふうに権力を振りかざす態度をとってはいけないと常々両親に言われていたので、少し気がとがめる部分もあった。
「判ったわ、後でお父様に頼んで薬の仕入れ代も安くなる方法がないか考えてもらうわ」
「ありがたきお言葉、感謝いたします」
「それともう二つ約束をしてもらうわ」
「何でしょうか、姫様」
「一つ目は今日あなたがアリア・パレルナ姫に会ったことはこれっきり忘れること、二つ目はこれから行ってもらう家の人はみんな、あたしが王族であることは 誰も知らないから、あたしが王族であることは絶対秘密にして、ごくごく普通に振る舞うこと。もし約束を破ったら、あたしの権限であなたを一生牢屋暮らしに させるからね」
「ははぁっ、承知いたしました!」
 アリアの顔にいつもの笑みが戻った。
「じゃあ、今からあたしは隣町に住むアリアって言う普通の女の子よ。金貨一枚手元にあるから、これで往診をお願いするわ。急いで支度してちょうだい。あ、お釣りはちゃんとちょうだいね」
「はい、早速!」

「どう? 様子は」
「取りあえず落ち着いているけど、まだ熱は下がってないな」
 そう言いながら、カインは老婆の頭に乗せていた濡れタオルを交換する。
「そっちは?」
「うん、ついさっきスープが出来たところ。まだ熱いから少し冷まさないとね」
 その時、バタンと勢い良くドアの開く音がした。
「おまたせぇ~」
 アリアと共に、白衣を着た医者が入ってきた。
 カインとデイジーは、まさか本当にアリア会社を連れてくるとは思っていなかったので、あっけにとられていた。
「こちらのおばあさんよ。お願いね」
「どれどれ。確かにちょっと熱が高いのぉ。ふぅむ」
 医者の言葉は落ち着いているが、どこかよそよそしさがあった。そして医者はおばあさんのそばによると、身体を丁寧に診察し始めた。三人がそれを見守る。
「アリア、良く連れてこられたな」
 カインがアリアの耳元でささやく。アリアはカインの方を向いて小声で言った。
「言ったでしょ、あたしに任せてって」
 笑みを返す。
 一方医者の方は、鞄から聴診器などいろいろ取り出し、老婆の診察を続けていたが、しばらくして医者は老婆に注射を一本打った。
「よし、これで熱も下がるだろう」
 そして医者は鞄から粉薬の包みを取り出し、アリアに渡した。
「起きたら食事した後にこれを飲ませるがいい」
「何かの病気だったのですか?」
 デイジーの質問に医者は穏やかに答えた。
「まあ病気と言えば病気、風邪だよ。ただ老いた身体には相当堪えたようだ。ほうって置いたら、もしもと言うこともあったかもしれんの。じゃあわしはこれで帰るよ」
「あの、お代の方は……」
 デイジーが不安そうに尋ねる。
「ああ、気にすることはない。もう済んでいるよ」
 医者が笑顔で応え、アリアの方をちらっと見た。
「どうもありがとうございます」
 三人は医者に頭を下げた。そして医者はそのまま何も言わずに家をあとにした。
 しばらくの沈黙。
「アリア、お代はあなたが払ったの?」
「ええ、銀貨二枚でいいって」
「残りは?」
「ないわ、銀貨二枚ポッキリよ」
「嘘だろ、あの医者絶対に値引きしないんだぜ」
「だって、ほんとだもん」
「どうやって交渉したの?」
「うっふ~ん、それは私の美貌とお色気よ」
 茶目っ気たっぷりにポーズを取るアリア。
「それはないな、逆に倍額になる」
「何ですってぇ!」
「しーっ! 静かに! 二人とも静かに」
 デイジーが口元に指を立て、小声で二人を叱る。

 それから三人は、老婆のそばで三十分ほど黙って座っていた。
 窓から差し込む日差しも、既にだいぶ傾いていた。アリアは少し帰りの事が気になっていたが、今ここを離れるわけには行かないと思い、ずっと待つことにした。
「……う、うぅ」
 老婆の声に三人緊張が走る。
 そして老婆の目が静かに開いた。
 三人が老婆の顔をそーっとのぞきこむ。
「……気が付きましたか、おばあさん」
 老婆の黒い瞳が三人の顔を見回す。
「ここは……」
「俺の家です。近くでおばあさんが倒れていたんで、ここまで運んで来たんです」
「……ああ、そうか。あたしゃ街で急に具合が悪くなったんだ」
「そう、それでここに連れてきたの。それでさっきあたしがお医者様を呼んで注射を打ってもらったから、もう大丈夫だと思うわ」
「おばあさん、よろしかったら温かいスープはいかがです? お腹も空かれているでしょ」
「……ああ、頂けるかのう」
「じゃあすぐ持ってきます」
 デイジーが台所へと戻る。
「体を起こしましょうか」
「ああ、頼むよ」
 カインとアリアは老婆の身体をゆっくりと起こした。
「あまり熱いと体に悪いんで、少し冷ましてありますよ」
 そう言いながら、デイジーが椀に入ったスープを持ってきた。
 老婆は椀を手にし、静かにスープをすする。
「……ああ、美味しい。こんなに美味しいスープは久しぶりだわ」
「ほんと? よかったわ」
 老婆はゆっくりゆっくり時間をかけて、スープを飲み干した。
「ごちそうさま。ありがとうよ」
「おばあさん、お医者様からもらったお薬よ。これを飲んで。お水も持ってきたわ」
「ありがとうよ」
 老婆はアリアから薬と水を受け取った。少々心許ない手つきで薬を飲む。
 デイジーとアリアは椀とコップを台所へ片づけに行った。
「どう、少しは楽になった?」
「そうじゃの。ここにはお前さん達三人だけかい?」
「うん」
「そうか、お前さん達が頑張ってあたしのためにいろいろしてくれたんだね」
「そう。おばあさんが倒れていたとき、大人達はおばあさんに見向きもしなかったんだ。だから俺達だけでも何とかしようって思ってさ」
「そうかい」
 台所から二人が戻ってきた。
「お前さん達、本当にありがとうな。おかげでだいぶ楽になってきたよ」
「よかった」
 ほっと胸をなで下ろすデイジー。
「……じゃあ、お礼をしないといけないね」
「お礼だなんてそんな……。あたしたち、当たり前のことをしただけですから」
 アリアがそう言った。
「いいや、お前さん達のそういう気持ちは大切にしないといけないよ。最近はそんな優しい気持ちさえも忘れてしまう大人も多いからね」
 老婆はそう言うと、目をつむり両手を前に差し出した。するとどこからともなく、両手の上に古びた木の杖が現れた。驚きの表情を浮かべる三人。
「あたしの家においで。いいものをあげよう」
 そして老婆が小さく杖を振ったその瞬間、三人と老婆はカインの家から姿を消した。

第四章 小さな魔法使い

 三人は少々古ぼけた小屋の中に立って、きょとんとしていた。
 老婆は三人の目の前の椅子に座り、にこやかに微笑んでいた。手には先程の杖が握られている。
「……ここはどこ?」
 ようやくデイジーが口を開く。
「あたしの家じゃよ」
「おばあさんの家?」
「そう」
 三人は周囲を見回す。
「どうやってここへ?」
 アリアが尋ねる。
「魔法じゃよ」
「魔法?」
 三人が口をそろえて問い返した。
「ああ、そうさ。ここはお前さん達のいた街から早馬でも三日はかかる森の中さ。その距離を一瞬で飛び越えたのさ。魔法でね」
 三人は口をぽか~んと開けていた。
 アリアは、以前このパレルナ王国の中に魔法使いが住んでいるらしいと言う話を聞いたことはあった。ただそれもあくまでおとぎ話の一部であり、アリア自身でさえ実在するとは思っていなかった。もちろん「いたらどんなに素敵だろう」とは思っていたが……。
「ひょっとしてあなたが、『パレルナ王国の魔法使い』なんですか?」
「ああ、いかにも。あたしがパレルナの魔法使い、マーヤだよ」
 アリアの問いに、老婆は静かに答えた。
「夢みたい……本当に魔法使いに出会えるなんて」
「でもこれは夢じゃない。そして今日からお前さん達が魔法使いになる」
「えーっ!」
 再び三人が驚きの声を上げた。
「お礼じゃよ、私を助けてくれたな」
 マーヤが杖をくるりと回すと、マーヤが座っていた目の前のテーブルに三つの物が現れた。イヤリング、横笛、そして手袋。
「これはお前達に与える魔法の道具じゃ。一人に一つずつ渡そう。自分が受け取った道具は他の者が使うことはできん。大切に使うのじゃぞ。まずは真ん中にいる子、右手をお出し。名前は何という? フルネームで答えなさい」
「デイジー・マクミラン」
 デイジーがそう答えた瞬間、テーブルの上の横笛がデイジーの右手に収まった。
「デイジーや、お前さんのその笛は、聞く者の心を操ることが出来るものじゃ。相手を眠らせたり記憶を消したりすることもできる。そして、聞く者の怪我や病 気を治す力もある。吹き方を変えると、時間を止めたり早めたり巻き戻すこともできる。もう一つ、望遠鏡のように穴をのぞき込めば、どんなに遠くの者や壁で 遮られたものも見通すことができる」
「これ一つでそんな事が出来ちゃうの? ……すごいわ。でもあたし、音楽の才能なくって、笛はうまく吹けないんです」
「心配はいらん。願い事を念じて吹けば、自然とおまえさんの指と口が動いて吹く事が出来るはずじゃ。試しに……これをやってみようか」
 マーヤが杖を振るとテーブルの上に陶器のカップが現れた。それをマーヤがテーブルから動かすと、カップはガチャンと床に落ちて割れる。
「さ、時間を巻き戻してこのカップを元にみなさい。時間を操るときは笛を右に構えればよい、人の心を操ったり病気や怪我を治すときは左に構えるのじゃ」
「じゃあ。今回は右に構えればいいんですね」
「そう、割れたカップの時間を巻き戻すように念じて笛を吹けばよい」
 デイジーはこわごわと笛を口にあてた。そしてカップの時間を巻き戻すように念じながら、静かに息を吹き込んだ。するとどうだろう、口と指が勝手に動い て、横笛は美しく不思議なメロディーを奏で始めた。するとガタガタと割れた陶器のかけらが動き出し、それらが全てくっついて、カップがひょいとテーブルの 上に戻ったではないか。
 思わずみんなが拍手する。
「すごいや、デイジー」
「信じられない、本当に出来ちゃったわ。デイジーすごいわ」
「……う、うん」
 デイジーはまだ戸惑いを抑えられなかったが、みんなの喜ぶ表情をみて、だんだん自分もうれしくなってきた。
「さ、つぎはそちらの男の子、名は何という?」
「カイン・ハービラント」
 その瞬間、テーブルの上の手袋がカインの両手にするりとはまった。
「カインや、お前さんはその手袋をしていれば、どんなに重い物も軽々と持ち上げることが出来る。そしてその手からは、火や水や雷や風などを自由自在に発す ることが出来る。そして万一の場合は見えない盾を作ってお前や仲間を守ってくれるじゃろう。そうそう、どんな物にも吸い付く力もあるから、壁をよじ登った りするのも簡単に出来てしまうじゃろう。身体のこなしも身軽になるはずじゃ」
「ふーん、何だかすごそう」
「じゃあ試しに……」
 マーヤが杖を振ると、高さ80センチくらいの大きな石像が三人の目の前にドンとあらわれた。
「うぉ、でっけぇ石像……って、これ、うちの会社の前に置いてあるヤツじゃん」
「ふふふ、ちょっと貸してもらったよ。さあ、こいつを持ち上げてごらん」
「でもこれ、すんごく重たいんだぜ」
 カインが石像に手をかけ、力を込めて持ち上げようとする。すると石像はあまりにも軽くひょいと持ち上がってしまった。思わず体勢を崩しかけるカイン。しかし身体の機敏さも増していて、すぐに持ち直した。
「わ、おもしれーや、まるで羽みたいに軽い」
 石像をポンポンともてあそぶカイン。
「ほら見て、片手離しても吸い付いてるよ」
 今度は石像の側面を両手で押さえ、右の手を離して見せた。まるで石像が左手に吸い付いていいるかのようにぶらぶらとぶらさがっている。今度は左手の指も一つずつ離していく。最後には小指一本で石像をぶら下げてしまった。
「こいつはいいや!」
 カインの気がゆるんだその瞬間、石像は指から離れ、どすんと床に落ち、床板をぶち抜いて下の地面にまで落ちてしまった。
「しまった!」
 顔から血の気が引くカイン。
「ほっほっほ、気をつけんといかんよ、カイン」
 マーヤは慌てもせずに笑っていた。
「デイジー、元に戻しておあげ」
「はい」
 デイジーが再び笛で時間巻き戻しのメロディーを奏でると、石像はふわりと浮き上がり、穴の空いた床も元通りに直った。
 マーヤが杖で石像を消すと、今度はアリアの方を向いた。
「さ、残ったあなた、名は何という? フルネームで言いなさい」
 アリアは少しためらった。そして……。
「アリア・メルディ」
 初等学校時代に使っていた偽名だった。しかし、テーブルの上に残ったイヤリングは、ぴくりとも動かない。
「あれ、どうしてイヤリングが動かないんだ?」
「ほんとだわ。どうして?」
 アリアは胸がどきどきした。もし自分の本名を言ってしまったら、秘密がばれてしまう事になる。
「アリア、隠し事はこの四人の中では、なしにしなされ」
 穏やかな口調でマーヤが語る。アリアは驚き、デイジーとカインはその意味を理解できずにいた。
「マーヤ、あなたひょっとして……」
「知っているわ、あなたのことも、お父様お母様のことも。さ、勇気を出して言ってご覧なさい。あなたの『本当の名前』を」
 にこやかに微笑むマーヤ。
「『本当の名前』だって?」
 驚きを隠せないカイン。アリアの顔がますます困惑の表情になる。
 しばらくの沈黙、そのときデイジーがアリアの肩に手をあてて、優しく言った。
「アリア、あなたが誰であろうと、あなたはあたしの友達よ。これからもずっとね」
「そうだよ。この中では隠し事はなしにしようぜ」
 カインの表情も穏やかだ。
「判った」
 アリアの決意が固まった。
「言うわ、本当の名前を」
 アリア、深呼吸一つ。
「アリア・パレルナ!」
 その瞬間、テーブルの上のイヤリングが一瞬きらりと光り、アリアの左耳の下に付くと、チリンチリンという小さく可愛い音を立てた。
「……アリア、お前って」
 アリアの目にうっすらと涙がにじむ。
「そう、あたしこの国の姫なの。カイン、あなたの理想とは大違いでごめんね」
「バーカ、何で泣くんだよ。すげーじゃねーか、お前。ま、前からちょっと変わっているとは思っていたけどな。でも俺達はこれからもお前とはずっと友達だ。だけど嫁さんにするのはやめとくよ。お前みたいなおてんば娘が嫁さんになったら、えらいことになるからな」
 照れてそっぽを向くカイン。
「アリア、やっぱりあなたはあたし達のアリアよ。これで全部疑問が解けたわ。もう隠しっこはなしにしようね」
「ありがとう、二人とも」
 三人は手を取り合った。マーヤがその光景を暖かく見つめていた。
「さあ、それじゃ説明するよ。いいかい、アリア」
「はい」
「おまえさんのそのイヤリングには小さな小さなベルが下がっておる。そのイヤリングを二度叩いてベルを鳴らすと魔法がかかる。良いな」
「二度叩くのね」
「そう。まずそのイヤリングは、おまえさん自身やおまえさんの望むものを自由に手元から遠くへ、遠くから手元へ一瞬に運ぶことが出来る。それから、物の形 をおまえさんの望みどおりに自由自在に変身させることも出来る。もちろんおまえさん自身も変身できるから、お忍びにはうってつけじゃな。あと、よその国の 人や動物たちとも自由に心を通わせて会話することもできるはずじゃ。魔法が上手になれば、相手の心を見透かす事も簡単に出来るようになるじゃろう」
 アリアの頭の中がいろんな事でいっぱいになる。
「そしておまえたち三人の間は、どんなに遠く離れていてもそのイヤリングを通して意思を通わすことが出来る。カインのほうからアリアに呼びかけるときは手 袋をして手を叩けばいい。デイジーから呼びかけるときは笛を一吹きするとよい。アリアには必ずそれが聞こえるはずじゃ。そしたらアリアがおまえたちの心を 結ぶのじゃ、よいな」
「なんだかあたしのが一番難しそうだわ」
 とまどうアリア。
「まあ実際やってみれば意外と簡単な事がわかるじゃろう。そうしたら練習ついでに、カインとデイジーをお城の自分の部屋に招待したらどうじゃ?」
「あ、それいいね」
「えーっ、でもお城の中ってみんなが思うほどそんなにたいしたものじゃないわよ」
「確かに興味はあるわね。でもアリアが嫌なら無理にとは言わないよ。あたしだって自分の部屋を他人に見せるの好きじゃないもの」
 しばらく考えるアリア。
「いいわ、あたし、あなたたちを招待してあげる」
「本当にいいの?」
「うん、別に見せちゃいけないものなんて無いし、それにあなたたちにもっとあたし自身の事知ってもらいたいし」
「本当に本当にいいの? 無理しなくていいのよ」
「大丈夫よ。その代わり、おもてなしは一切無しだからね」
「その方が気兼ね無しでいいや」
「じゃあ決まりね。マーヤ、行ってくるわね」
「ああ、でもその前に一言言っておくよ」
「なぁに?」
 アリアが問い掛ける。
「おまえさんたちが魔法使いになったということを、決して誰にも教えちゃいけないよ。たとえそれが自分の親や兄弟であろうとね。でないとおまえさんたちは 周りの人間に妬まれたり利用されたりして、いずれ不幸な出来事に巻き込まれてしまう。それをしっかり肝に銘じておくんだよ」
「判ったわ。でも大丈夫、多分あたしの部屋には誰もいないだろうから」
「じゃあいっといで」
「うん」
 そう言うとアリアはデイジーとカインの方を向いた。
「じゃあいい? みんないくよ!」
「いいわ」
「頼むぜ」
 アリアが指で左耳のイヤリングを二度叩く。チリンチリンという音と共に、三人はマーヤの家からふっと姿を消した。
「さあ、どうするかね、あの子達は」
 マーヤは全てをお見通しだった。

第五章 初めての事件

 一瞬にして視界が変わり、アリアにとっては見なれた光景が飛び込んできた。
「お待たせっ! ここがあたしの部屋よ」
 アリアがカインとデイジーのほうをむいて微笑む。そのとき!
「アリア! おまえいつの間にここに?」
「えっ!」
 聞き覚えのある声に振り向くアリア。
「お父様! お母様!」
 そこにはアリアの両親、国王ヨセフと王妃ミランダの姿があったのだ。
「夜になっても戻ってこなくて心配してたぞ、いったいどうやってここに帰ってきたんだ?」
 気が動転するアリア、先ほどのマーヤの言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡る。どうしよう!
 そのとき、アリアの背後から「ピーッ!」というホイッスルに似た音がした。直後、ヨセフとミランダ身体が石のように固くなり、まばたきさえせず、ぴくりとも動かなくなった。
 驚いて音のした方向へ振り向くアリア、デイジーが横笛を口に当てていた。
「デイジー、あなた何をしたの?」
「心配しないでアリア、今あたしたち三人以外の時間を止めたの」
「びっくりしたよ、全く。まさか鉢合わせになるとはな。しかも王様と王妃様に」
「アリア、あたし達の心とマーヤの心を繋いでちょうだい。あたし文句言ってやるわ」
 むっとしながら、デイジーが言った。
「え? 心を繋ぐって……。ごめん、あたしまだマーヤの言った説明がよくわかってないの」
 申し訳なさそうな顔をするアリア。
「そうか、確かに説明多すぎたものね。……判った、じゃあ順序を追ってやってみましょ。アリア、私への心の扉を開くように念じて、イヤリングを叩いてみて」
「うん」
 デイジーに言われるまま、アリアはイヤリングを二度叩いた。するとアリアの心の中に、何か丸い窓のようなものが開いた。
「どう?何かあなた自身に変化あった?」
「う~ん、よくわからないわ」
「そう……」
 考え込むデイジーとアリア。
「本当にどんな小さな変化もない?」
「そう言われると、心の中に何か穴みたいなものが出来たような気はするんだけど……」
「たぶんそれじゃないかしら。じゃあさ、心の中で、口に出さないで、その穴に向かって何か質問してみて」
「判った」
 アリアは少し考えて、心の中でこう尋ねた。
(私のフルネームは?)
「アリア・パレルナ」
 デイジーが即座に答えた。アリアは口を押さえてびっくりした。
「うそ~、あたし喋ってないよね」
「ええ、でも私の心の中にちゃんと『私のフルネームは?』って聞こえてきたわ」
「すごいわすごいわ、ということはデイジーの心の声も聞けるのかしら」
「やってみようか、じゃああたしがあなたの心に向かって何か言うから、それを口に出して言ってみて」
「判った」
 するとアリアが先程開いた心の窓に、デイジーの母親が畑を耕す光景が映り、声が聞こえてきた。
(私のお母さんは、毎日畑で仕事をしています)
「私のお母さんは、毎日畑で仕事をしています」
「正解!」
「ねえ、デイジー。今、あなた心の中でお母さんが畑を耕す光景を浮かべてなかった?」
「ええ」
「あたし、見えちゃった、それ」
「ってことは、声だけじゃなくって頭に思い浮かべた景色とかも通じ合えるんだわ」
「なぁ、俺も仲間に入れろよ」
「いいわよ」
 アリアがイヤリングを二度叩くと今度はカインとの心の窓も開いた。それから三人はいろいろ実験をやってみた。その結果、心の窓の開け閉めはアリアでない と出来ないこと、デイジーとカインの間は、アリアが両方の心の窓を開かないと心が通じ合えないこと、音や映像だけでなく味や臭いや触れた感覚まで通じ合え ることも判った。
「おっと、いけない。本来の目的を忘れてたわ。アリア、マーヤと心を繋いでみて」
「判ったわ」
 要領を覚えたアリアは、イヤリングを二度叩き、マーヤへの心の窓を開こうとした。しかしなぜか心の扉は開かれない。
「マーヤ、あたしの声が聞こえる?」
 何も反応がない。
「おかしいわ、心の窓自体が開いてないみたい」
「マーヤも時間が止まって固まっているからじゃないのか?」
「そうか、カインいいとこに気づいたわ」
 そう言うとデイジーが横笛をピッと短く吹いた。
「もう一度やってみて、アリア」
「うん」
 再度アリアがイヤリングを叩く。すると心の窓が簡単に開き、にこやかなマーヤの表情が見えた。デイジーとカインもアリアの心を通じてその表情を捉えていた。
「マーヤ、聞こえる?」
(おや、だいぶ要領を覚えたようだね)
「マーヤ、あなたここにアリアの両親がいたの知ってたでしょ」
 デイジーが怒った口調で言う。
「ふっふっふ、でもおかげでアリアもこれだけ心を開くのが上手になったでしょ」
「やっぱりわざとだったのね」
「それよりも、いつまでもこうして時間を止めて置くわけにもいかんじゃろ。ご両親に見つかってしまったんじゃろ。どうする? お前達」
「ねえ、お父様お母様だけ本当のことを話してもいいかしら」
 マーヤは首を横に振った。
「おやめなさい、アリア。いくらお前の実の両親だからと言っても、お前がそんな不思議な力を身につけたと知ったら、さぞお前のことを怖がってしまうじゃろ。特にお前は人の心を見抜く力もある。ならばなおのこと話すのはよした方がいい」
「じゃあ一体どうしたらいいのよ? マーヤ、あなた解決法が判っているんでしょ」
「魔法使いに大切なのは、ひらめきと想像力じゃ。方法はいくらでもある。一番簡単なのは時間を巻き戻すことじゃが、それじゃあ簡単すぎるの。ほれ」
 マーサが杖を振った。
「あっ」
 デイジーの身体を妙な感覚が走った。
「今だけ、時間巻き戻しの魔法を封印させてもらったよ」
「ええっ、そんなぁ」
 デイジーが悔しそうな表情を浮かべた。
「さあ、自分たちで考えてみる事じゃ」
「そんな無責任じゃねぇか?」
「なぁに、本当に失敗しそうになったら、あたしが助けに行くから心配なさんな。それじゃ頑張りなされ」
 そう言うとマーヤは、勝手に心の窓を閉じてしまった。
「あっ、待って。マーヤ、マーヤったら」
 アリアが何度もイヤリングを叩くが、マーヤへの心の扉はいっこうに開かない。
「ったく、あのババアめ……」
 ふてくされるカイン。

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