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ここは大遊技場歌舞伎町


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著者 : 林田 貴光
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1
最終更新日 : 2012-03-22 23:43:44

 新宿歌舞伎町と聞いて何をイメージするだろうか。
 良い方のそれをあげるなら「不夜城」「日本一の歓楽街」古いところでは「映画館の街」。あまり良くない方だと「ヤクザの街」「風俗街」「不法滞在者の巣窟」といったところだろうか。
 実は歌舞伎町にはもう一つ、あまり知られていない顔がある。「ゲームセンターの街」であった、ということだ。
 インベーダーブーム以前から歌舞伎町には数多くのゲームセンターが存在した。現在日本中のゲームセンターで遊ばれている「メダルゲーム」を、ギャンブルではなく純粋に娯楽として楽しめるようにした店舗が始めに現れたのは歌舞伎町だ。これをもって歌舞伎町を「ゲームセンター発祥の地」と呼ぶ向きもある。
 この話の舞台となる1990年代前半には、わずか600m四方の歌舞伎町内に大小合わせて20件近くのゲームセンターがひしめきあっていた。現在、「オタクの街」として知られる電気街、秋葉原でもこれだけの数の店舗が存在した事は無い。
 「ここは大遊戯場歌舞伎町」というタイトルは、椎名林檎の歌「歌舞伎町の女王」の一節から拝借した。「ゲームセンターの街」であった歌舞伎町を、これほど正確に表したフレーズは他に無いと思ったからだ。
 歌舞伎町にはゲームセンターの歴史そのものが詰まっていた。いや、現在でも営業を続けている店舗がいくつかは残っているので、これは現在進行形で言うべきか。
 流れ行く時とともに1軒、また1軒とゲームセンターが減ってゆくのに伴い「大遊戯場」であった歌舞伎町を知る者もだんだんと減ってきている。その、在りし日の姿を見届けたものの一人として、何か形に残しておかねばという気持ちがこの文章になった。

 文中で現れる店名とゲームメーカー企業名はすべてイニシャル(匿名)で記してある。また、特定のゲームタイトルへの言及も基本的には行っていない。良い話ばかりを取り上げているわけではないので、一応の配慮が必要と判断したためである。
 ただでさえ悪文な上に、イニシャルばかりで可読性に劣る事は承知しているが、お読みになる方には事情を汲んでご理解いただきたい。当時の歌舞伎町を知る向きには、答え合わせを楽しんでいただければと思う。
2
最終更新日 : 2012-03-03 17:24:54

 今はもう潰れてしまっているが、俺が1990年代前半に働いていたゲームセンターは歌舞伎町コマ劇場のすぐ近くにあり、そこでは老若男女、多種多様な客が日々ゲームに興じていた。
 80年代終わりがけからブームが続いていたクレーンゲームが置いてあるエリアではコマ劇場で観劇を終えたばかりの、還暦をゆうに越えたお年寄りの姿を見ることもあったし、昼間であれば、歌舞伎町で親が働いているらしい未就学児や小学生の姿を見ることもあった。夜には酔っ払ったサラリーマンや、学生と思しき若いカップルやグループ客。それと、歌舞伎町の真の住民であるヤクザ、チンピラ、風俗嬢、不法就労している外国人、etc。

 俺は基本的に夕方5時半からのシフトに入っていたので、出勤して朝礼を終えフロアに下りると、店で遊んでいる子供を追い出すことから仕事を始めていた。というのは、ゲームセンターは風俗営業法により、夕方6時以降16歳未満の子供を入店させてはならない決まりになっているからだ。
 清掃用の雑巾を片手にフロアを見回り、遊戯中の子供を見つけては「6時になったから、このゲームが終わったら帰ってね」と声をかける。言われる子供のほうも承知したもので、大抵はゲーム画面から目を離さずに、ただ首を縦に振って素直に応じる。
 フロアに子供しか居ないときは、声を張り上げて注意するだけの時もあった。今ではこういう粗暴な振る舞いをするゲームセンターの店員など居ないと思うが、当時の、また歌舞伎町という立地のゲームセンターではお上品な接客などは求められては居なかったのだ。
 俺がその男の子に出会ったのは、いつものように出勤し、子供を追い出しているときだった。
 その当時既に珍しくなっていたテーブル型のゲーム機に子供たちの集団が群がっている。ケーム機の中で動いているのはこの店では珍しい「ニューゲーム」だった。(当時俺が働いていた店は、本社からのゲームの割り当てが悪く、新製品が入荷することはほとんどなかった)
 ゲーム機を取り囲んでいる子供たちの中には幾人か見知った顔も見える。
 プレイしているのは、年の頃は小学3、4年生ぐらいといったところだろうか。おかっぱ風の髪型と、中性的な顔立ちが幼い印章を強めている。「一昔前のテレビドラマの主人公にあんな子がいたっけ…」と記憶をたどり、その番組が"あばれはっちゃく"というタイトルであったことを思い出した。
 覗き込む小さな頭の隙間から見えるゲーム画面は、最終面のひとつ前のエリアで、プレイヤーの少年は鮮やかな腕前でそのステージのボスを倒そうというところだった。
 少年がボスを倒したところで俺は時計を見て、6時になるまでまだ少しだけ猶予があることを確認すると「このゲームが終わるまではいいよ」と声をかけた。
 ゲーム機を取り囲んでいる子供たちは一斉に俺のほうへ振り返り、「うん」と首を縦に振ったが、プレイヤーの少年はゲーム画面から目を動かさなかった。
 俺は「ゲームに集中しているのだろう」と、自分がゲームをプレイしているときの精神状態と重ね合わせ、一服つけるためにカウンターへと戻っていった。
 しばらくしてフロアに戻ると、子供たちの姿は消えていた。ゲーム画面を見ると、ゲームクリアを示すエンディングが流れている。小さな掌のあとが一面に付いているゲーム機のガラスを拭きながら、ゲームをクリアした少年の顔を記憶にとどめておくことにした。たぶん、あの子供はまたこの店に訪れるだろう、という予感がした。
 名前のわからない客を覚えるときはいつもそうしているように、俺はその子供に仮のあだ名をつけることにして、しばらく悩んだ後でそれを"はっちゃく"に決めた。

 当時のゲームセンター店員の仕事とは、大まかに「クレーンゲームへのぬいぐるみの補充」「店内清掃」「メダルコーナーでの預かりメダルの出納」「両替金の補充と売上げの回収」の4つに分けられる。最後のひとつは社員だけが行い、バイトが行うのは残りの3つ、というのが平均的な業務形態だった。
 それと、正当な「業務」には含まれないものの、大事なものが「店内での防犯・監視」である。
 入場料金もかからずオーダーを求められることもない、出入りが自由なゲームセンターは放って置くと様々な犯罪者を呼び集める。軽いものでは店内でのナンパ、スカウトから、喧嘩や違法薬物の取引まで。
 稀にではあるが、両替・売上金を狙った強盗が発生することもある。俺が歌舞伎町のゲームセンターで働いていた当時には近所にあった同業他社の"T"社店舗で両替金強盗が発生し、襲われた従業員が死亡する事態に見舞われたため、給料に「安全手当」がいくらか上乗せされたほどだ。
 ここ歌舞伎町のゲームセンターで店員に求められるのは「気安さ」よりむしろ監視員としての態度である。
 この頃はちょうど、新宿~歌舞伎町内のゲームセンターで置き引き・スリの被害が多発していた時期でもあり、"N"社の対戦型のドライブゲーム目当てにゲームセンターを訪れる客がプレイ中ゲーム機のシートの脇に置いたカバンや財布を盗まれた、という話を聞かない日は無かった。
 幸いにして、というか、俺が働いていた店では、このようにカップル客に人気のある花形マシンが割り当てられていなかったということもあり、置き引き被害の件数は他の店に比べて少なかった。
 とはいえ、まったく対策を立てないというわけには行かない。リース先店舗のマシントラブルの修理で外出したついでに、近隣他社店舗の店員などから置き引き被害の状況や、怪しい人物の心当たりを聞いて回ることにした。


3
最終更新日 : 2012-03-03 17:26:03

「ガキ?」
 俺が聞き返した相手は、当時歌舞伎町センター通り入口で営業していたゲームセンター"S"の店長である。
 この店長は毎日のように出勤していて、休んでいるのを見た事が無かった。いつだったか「俺、去年の休み5日しか無かったよ」と冗談めかして教えてくれたことがある。多分、本当だろう。というのは、この時期は俺の休みも年に10日ほどしかなく、毎日互いの顔を見ては呆れあう間柄だったのだ。
「ガキっていうか、最近高校生ぐらいで3~4人のグループでチョロチョロしてる連中が居るんだよね。ゲームしに通ってる風じゃないしさ。見たこと無い?」
「そういうの、沢山居るしなあ」
「見た目が、よくいるヤンキーとかチンピラ風じゃないわけよ。小太りで、目つきの悪いのがリーダーっぽいんだけど、仲間と喋ったりもしないで黙って店ん中うろついて出て行くだけなんだよね。怪しいと思ってんだけど、シッポ捕まえられなくてさ」
「うーん、こっちでも一応気をつけてみますわ」
 奢ってもらった缶コーヒーの礼を述べ、ゲームセンター"S"を後にした。
 次に向かったのは、24時間営業が売り物のゲームセンター"F"だ。1985年に施行された新風営法により、ゲームセンターは警察からの営業許可証のもと夜12時で閉店しなければならないが、驚いたことにこの店は85年からずっと、営業許可を得ないまま新風営法施行前と変わらぬ営業形態を維持し続けていた。(2000年代に入り、歌舞伎町浄化作戦の一環として不法営業店の摘発が強化され、24時間営業が維持できなくなったことなどから閉店してしまった)
「怪しい連中?そんなの、怪しくない奴探したほうが早いよ」
 通りに面した入口から店内を見渡すと、初老の"F"の店長は笑いながら言った。
「大体、置き引きされるのは店内が明るくて、客が油断するようなきれいなとこだろ。ウチみたくあからさまに怪しい店じゃ客のほうも用心するから、実際のとこ置き引きとかそんなに出ないんだよ」
「ああ、そういうもんですかねえ」
「ウチで多いのは、置き引きよりも酔っ払って財布落としちゃう奴だね。あとケンカ」
「"S"の店長が、高校生ぐらいのグループが怪しいんじゃないかって言ってたけど」
「ウチじゃみないね。大体、客が入るのは夜中だからさ」
 煙草1本分の立ち話を終え"F"を去り、本来の目的地であるゲームセンター"P"へと向かった。
 ここは歌舞伎町最大規模のゲームセンターで、1階部分の一部は翌朝7時までの深夜営業を行っていた。詳しい説明は省くが、新風営法で「12時までの営業」と定められているゲームセンターには細かい規定があり、置いてあるゲームの種類、構成によっては合法的に24時間営業が可能なのだ。
 俺はこの"P"や、"S"社がリースしている歌舞伎町周辺店舗のマシンメンテナンス全般を担当していたので、他店舗の状況を広く知ることが出来た。普通のゲームセンター店員と違い、勤務中に店外をうろついていられるのもそのためである。
 "P"で呼ばれた理由はクレーンゲームの故障で、アーム部分の不良とのことだった。
 ぬいぐるみを掴むために上下左右に動くアームには十数本の電線を束ねたハーネスが取り付けられており、繰り返し動かすことでこの電線が金属疲労を起こし、内部で断線してしまうとエラーで動かなくなってしまう。クレーンゲームの故障は、ほとんどこれが原因だ。
 故障箇所のおおよその見当は、投入金額が表示されるデジタルから推測することは出来るが、実際の不良箇所を探し出すのは骨が折れる。ぬいぐるみが詰まったマシンの内部に身体をねじ込み、アームを取り外すだけでも一苦労だ。
 アーム本体を取り外し、断線していると見当をつけたハーネスを剥がすと、"P"のカウンターの隅を借りて断線箇所の探ることにした。
「ちょっとここ借りるよ。それと、余ってるコンセント無い?」
 顔なじみの"P"の若い店員に声をかける。彼はゲーム好きが高じて店員になった口で、俺がメンテナンスに訪れると興味深そうにその様子を傍で見ていることが多く、重たい機械を持ち上げるときなどはたまに手を借りることもあった。
「コンセント…。延長コードのこと?」
「そう、ハンダ付けするのに電源要るからさ」
「ちょっと待って、探してくる」
 店員君が探しに行っている間に、テスターで断線箇所を捜し始める。断線箇所が判明すればコネクタピンの根元付近でケーブルを切り、新しいケーブルに交換してコネクタピンをハンダ付けし、熱収縮チューブをライターで炙って絶縁すれば良い。
「いつも思うんだけどさ、そのハーネスっていうの?それ丸ごと交換できないの?」
 探してきた延長コードを俺に差し出しながら、店員君が聞く。
「俺だってそうしたいよ。でも、もうとっくにアセンブリの割り当ては使っちゃったし。それに、この店だけで1週間に何台壊れてると思う?」
「そっか…」
「ここだけならいいけどさ、俺の担当にゃ屋外設置のリース先もあんだよ。出来ればそっちで楽したいの。吹きっさらしの中じゃこんなこと、やりたかないね」
 冗談めかして笑いながら言うと、つられて店員君の顔にも笑みが浮かぶ。
「そうそう、最近ここで置き引きって増えてる?」
「うーん、元々ウチは多いからなあ。増えてるっていうか、相変わらず。自分で落として"盗まれた!"っていう客もいるし」
「高校生ぐらいのグループが店内うろついてるの、見たこと無い?小太りのがリーダーで」
「あー、それなら最近になってたまに見るかな。何、犯人そいつらなの?」
「いや、"S"の店長が「ゲームもやらないでいつもうろちょろしてて怪しい」って言ってるだけでさ。だけどあの人、毎日居るから怪しい客見つけるのは結構、当てになるんだよね」
「毎日いるのはそっちも同じじゃん」
「俺は同じ場所に居てずっと客を見てるわけじゃないしさ。ここ終わったら、次は区役所通り沿いのバッティングセンターだぜ」
「バッティングセンターの機械もみてるの?あのボール投げる奴」
「いや、そうじゃなくて"S"社のリースが置いてあるの。ROMの交換しにいかなきゃなんなくて」
「へえ…」
 現在ではハードディスクやDVDが記憶メディアの主流となっているが、当時のゲームのプログラムはROMと呼ばれるICチップに収められていて、バージョンアップやバグの解消はそれの交換で行われていた。
「だからお前も、簡単な故障ぐらいは直せるようになってくれよ。俺、楽できるからさ」
「でも、"S"社リースのマシンは触るなってオーナーから言われてるんだよね。そういう契約だからって」
「はあ?なんだそりゃ」
 と眉をしかめていってはみたものの、俺には思い当たる節があった。このゲームセンター"P"は"S"社の社史にも名前が出てくるほど古くからのお得意様で、リニューアルオープンの際には"S"社の役員の姿もあった。
 契約を新たにするにあたって、"S"社が"P"に対して条件面で優遇したことは想像に難くなく、今のところ俺がそのとばっちりを受けているというわけだ。
「ま、仕方ないか」
 と自分に納得させるように言った。

 “P”での作業を終え、バッティングセンターでROMの交換を行いながら、先日店で見かけたゲームの上手い少年、"はっちゃく"のことを思い出していた。
 あの時、"はっちゃく"を取り囲んでプレイを見ていた他の子供たちは果たして彼の友達だったろうか。
 ぱっと見た感じそうとは思えなかった。ステージクリア後の合間にも、彼に話しかける子供はいなかった。もし、親しい間柄であれば「すげー」とか、子供らしい感想の一つも話しかけるだろう。
 ゲームセンターに遊びに来る子供には、大まかに分けてふた通りの種類がある。一つは単純にゲームを遊びに来ている子供。そしてもう一つは、家庭に自分の居場所がなく、ゲームセンターをシェルターにしている子供である。
 あの時、プレイを見守っていたグループの方は前者のタイプだ。そして恐らく、あのゲームが上手かった少年は、外見から察するに後者だと思う。
 ゲームセンターで大勢の子供たちに触れるうち、俺は自然とその見分けがつくようになっていた。家庭内に問題を抱えている子供は、着ている服や履いている靴のくたびれ具合にそれが現れる。いつも同じ服を着ていたり、サイズが合わないものを着ていたり。
 とりわけ顕著なのは虫歯の数である。乳歯の生え代わりで蓮っ葉になっているのは子供だから当然だとして、あまりに虫歯の多い子供は、それだけ親が子供に無頓着だということだ。経済的な理由があるのかもしれないが、その場合でもやはり家庭内に問題を抱えていると言っていいだろう。
 90年代ともなれば家庭用ゲーム機の普及も一回りして、「一家に一台」から「一人一台」になろうとしているときだ。そんな時代にわざわざゲームセンターにまで遊びに来る幼い子供、というのは善し悪し何れかの理由があると思っていい。とりわけ、ここ歌舞伎町では。
 バッティングセンターでの作業は滞りなく終了し、この店の担当者が戻ってきて確認のサインをもらうまでのつかの間、俺は一服着けながら客の打つ白球の行方をぼんやりと眺めていた。
4
最終更新日 : 2012-03-03 17:29:52

 それから幾日か経過し、俺は相変わらず日々の業務に忙殺されていたが、置き引き犯の方も熱心に「仕事」を行っていたようだった。
 その頃置き引き犯の猟場にされていた店舗は歌舞伎町一番街の入り口にある"Y"という店で、ここは当時の歌舞伎町のゲームセンターの中では珍しく小洒落た店構えをしており、カモにされやすいカップル客が多く集まることが仇となっていた。「明るく開放的な店舗」というイメージと、置き引き被害の頻度はいわばトレードオフの関係となる。
 このゲームセンターは"S"社とライバル関係にある"T"社の機械が入っており、店舗運営はビルオーナー側の雇った人間が行っていた。新宿の大ガードを越えた向こうには、同じオーナーのゲームセンター"M"があり、こちらは"N"社の機械が入っている。
 こう言っては何だが、どちらの店もこちらにとって接点の薄い店舗であるので、"Y"が被害に遭っている、ということはそれだけ自分の店での被害が減ったと安堵する以上の感想を持ちようがない。個人的に仲のよいスタッフが居ればまた事情も違うわけだが。
 "Y"で被害が頻発しているという情報は、パトロールで訪れた警官から得た。
「防犯へのご協力よろしくお願いします」
 と型どおりの挨拶を残して去った警らの一団を眺めながら「そりゃ犯人に言ってくれよ」と独りごとを呟いた。
 その間にも幾度か、自分の店で"はっちゃく"の姿を見つけることが出来た。"はっちゃく"はゲームのジャンルを問わず何でも得意だったようで、その子が生まれる以前にリリースされた年代物のゲームでも高得点を出しているのを見たこともある。
 いつにも増してフロアの客が少なかったある日、俺はビデオゲームフロアのカウンターで"P"の大型メダルゲームから取り外した操作パネルモジュールを修理していた。この修理のためにいつもより早い時間に出勤し(自宅で寝ているところを"P"からの電話で叩き起こされたのだ)、不機嫌な顔にくわえタバコで作業をしていると、"はっちゃく"が現れた。
 "はっちゃく"が迷わずに座ったゲームは初めて見たときにプレイしていたアクションゲーム。コイン投入音が静かな店内に響き渡り、それで気づいたのだが、ビデオゲームフロアに他の客の姿はなかった。
 "はっちゃく"がプレイするゲームの効果音を聞きながら手元の作業を続け、いったんバラしたパーツの組み付けに悪戦苦闘している最中、右手にはめていた時計の針が見えた。気がつけばもう18時を過ぎている。
 慌てて顔を上げフロアを見渡すと、相変わらずフロアには"はっちゃく"が一人居るだけである。手元のパーツから手を離すことが出来ないので、俺は仕方なくその場に座ったまま"はっちゃく"に向かって声を張り上げた。
「もう6時だから、そのゲーム終わったら帰ってね」
 聞こえなかったのか、無視をしたのか、"はっちゃく"からの反応はなかった。
 俺はパーツの組み付けをいったん諦め、再度退店を促しに向かった。
「6時過ぎてるから、このゲームで最後。わかった?」
 テーブル型のゲーム機を挟んで向かい側から声をかけても、相変わらず反応はない。わかってて無視をしているのかと俺は少し苛立ち、画面を覆うガラスの端を指でコツコツ、とノックしてからもう一度声をかけた。
「小学生は6時までしか遊べないって、知ってる?」
 ようやくゲーム画面から顔を上げると、無言で俺を見つめる。その表情からは反抗的な態度をくみ取れない、ということは単に気づかなかったということか。
「6時だから、このゲームで最後ね」
 今度は腕時計の針を見せながら告げると、"はっちゃく"は何も言わずに立ち上がって、途中までのゲームを残して店から出ていこう駈けだした。
「このゲームまではいいよ」と後を追いかけようとしたとき、"はっちゃく"のズボンのポケットからイヤホンのコードが延びているのが見えた。
 その時、俺がいくら声をかけても無反応だった理由をようやく理解した。"はっちゃく"は聴覚に障害があったのだ。普段はあのイヤホンに繋がっている補聴器を使っているのだろう。
 だが、電磁波のノイズが飛び交い周辺音が騒がしいゲームセンターの中では補聴器はあまり役に立たない。俺の通っていた高校の隣が聾学校だったので、近場のゲームセンターで聾学校の生徒達が同じように補聴器を外しているのを見たことがあった。
 自分の早合点で、無視されたのではと苛立った事を少し後悔しながらフロアを一通り見て回り、俺はカウンターに放り出していたパーツの修理の続きに取りかかった。

 それからまた数日が過ぎると、置き引き被害がいよいよ他人事でなくなってきた。歌舞伎町から靖国通りを挟んだ向こうにある"S"社運営店舗の"N"での被害が増え始めたからだ。
 これまで被害が集中していた"Y"にしても置き引き犯を黙って見逃し続ける法はない。"Y"スタッフの努力の結果、同店での犯行は減少し、次の猟場として選ばれたのが"N"というわけだ。
 "N"の地下には新宿東エリア共通の部品倉庫があり、俺もそこを利用するためにほぼ日参していた。
 同店の店長は若く意欲的であったが、同店には新卒採用後に直接店舗に配属されたものも多く、スタッフの経験不足もあって防犯対策には手を焼いているらしい。
 地下倉庫に隣接された事務所で在庫管理の帳面を付けながらタバコに火を付け、「新卒組」である"N"の副店長と置き引き犯の話をした。
「簡単な見分けかたは空のバッグを持ってるかですよ。紙袋とか、トートバックみたいな口の広い奴」
 俺が言うと、副店長は熱心にメモを取った。
「あと、獲物を見つける役と実行する奴が別の時があるんで、怪しげな奴ばかり探さないことですかねえ」
「そういうのもあるんだ」
「グループでやってるのは大抵そうですよ」
「そういうの、どこで知ったの?」
「いや、パトロールしてる警官から聞いて…」
 本当のことを言えば、学生時代から長年ゲームセンターに入り浸っていたので、その手の犯罪は一通り目撃したことがあるからだ。
「あと、お願いがあるんですけど対戦台ハーネス用に56ピンコネクタのオスが欲しいんで、シングルメダルの"お土産"から貰ってっていいすか?」
 "お土産"というのは、新品の機械について来る補修用パーツとマニュアルの入った箱のことだ。
「いいよ、好きなだけもってって」
 その後、副店長と連れ立ってメダルコーナー行き、メダルマシンからお目当てのパーツを受け取ると礼を述べて"N"を後にした。

 歌舞伎町へと戻ろうとしたとき、"N"社運営のゲームセンターの前で"はっちゃく"の姿を見かけた。この日はいつものように一人きりでなく、年上の少年グループの後をついて回っているようだった。が、そのグループを見て、俺は眉をしかめた。
 背が高めでやや小太りの目つきの悪い男と、その取り巻きが"はっちゃく"を含めて4人。そのうちの一人が、黒いトートバッグを肩から下げているのだが、どうも中身が入っているようには見えない。
 常にグループ内の誰かしらが周囲を伺うようにキョロキョロとしていて、落ち着かなさげにしている。取り巻きは明らかにリーダー格の小太りの男に気を使っている風で、少しよそよそしい。
「"S"の店長が言ってたの、こいつらのことじゃないか」
 そう予感がして、いったんそのグループの後ろを通り過ぎ、角の薬局でタバコとドリンク剤を買い入れたあと、"N"に戻る素振りで彼らの行動を監視することにした。
 新宿スタジオアルタ裏手にある"N"社のゲームセンターの前は広めの遊歩道が広がっていて、条例で路上での喫煙が禁止されていなかった頃は、街路樹の植え込みの縁に腰掛けて一服するサラリーマンの姿を常に見つけることができた。
 そのサラリーマンに混じって、小太りの男とその取り巻きが座っている。その中に"はっちゃく"の姿はない。
 遊歩道から"N"へとつながる路地で目立たないよう隠れてタバコに火を付けそのまま様子を伺っていると、"N"社のゲームセンターから"はっちゃく"が出てきた。
 小太りの男に向かって"はっちゃく"が両の手で胸元を掻きむしるような仕草を見せる。それを確認するやグループは一斉に立ち上がり、新宿南口の方へと歩き出した。
 嫌な予感が的中して、形容しがたい深い落胆と共にため息を吐き出した。
 あれは、手話で「危険」を表すサインだ。
 あのグループが置き引き犯であることは間違いない。そして、"はっちゃく"がそれに荷担していることも。
「店内の様子を手話で伝えてたんだな…」
 いままで置き引き犯のシッポがつかめなかったこともこれで合点が行く。
 子供であれば警戒されないのは言うに及ばないが、手話で連絡を取り合えば騒がしいゲームセンター店内でも離れていても意志の疎通が出来る。(ゲームセンター店員もハンドシグナルでスタッフ間の連絡を取ることがあった)まだ携帯電話も普及していない時代であったが、彼らは「無線通信」が可能なのだ。
 そして、大抵の人間は手話を解することが出来ない。つまり、何をやっているのか悟られることもない。
 前にも述べたとおり、通っていた高校の隣が聾学校だったため、俺はいくつかの手話を見分けることが出来た。
「さて、どうしたものかね」
 いくら素振りが怪しいからといって、現行犯でもなければこちらから捕まえることはできない。これが自分が働いている店内であれば「何やってるの?」と声をかけることも出来ようが、路上では出来ることにも限りがある。
 後をつけようかとも考えたが、そもそも歌舞伎町を離れて"N"の倉庫までやってきたのは、"P"の機械を修理する部材を調達するためだ。これ以上先方を待たすことも出来ないので、俺はタバコを踏み消しひとまず歌舞伎町へと戻ることにした。
 "P"へと戻る道すがら、歌舞伎町センター通り前の交差点で信号待ちをしている"S"の店長にばったり出くわした。手には靖国通り沿いにあるディスカウントスーパーの袋を持っている。余談だが、このスーパーのオーナーは当時の"S"社最大顧客で、新宿を主として東京都内にいくつもの共同運営のゲームセンターを所有していた。
 俺は先ほど見かけた「怪しい集団」の話をし、それが"S"の店長が目を付けている集団だと確認をとった。
「な、絶対あいつらだって」
「現場押さえた訳じゃないけど、かなり怪しいっすね」
「でも、俺の時は小さい方の子供のほうは見なかったなあ」
「余所で目を付けられて、やり方変えたんじゃないすか?」
「あー。それ、あるかもね」
 長い信号待ちが終わると同時に"S"店長に別れを告げ、それぞれの持ち場へと戻っていった。"P"での作業はいつも憂鬱な気分にさせられるが、いま抱えているそれは何時にも増して重たいものだった。
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最終更新日 : 2012-03-03 17:30:27


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