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きつね味/五十嵐彪太

 森の中にぽつんとアイスクリームスタンドがあった。私と恋人は歩き疲れていたから、アイスクリームは魅力的だ。

「バニラアイスを下さい」と言うと、赤いキャップの若者はちょっと困った顔をして

「きつね味しかないのです」

と言った。

 きつね味? 私と恋人は顔を見合せたけれど、私たちはとても疲れていたから、どうしても甘い物が食べたかった。

「きつね味ってどんな味なのかしら」

「きつね味のアイスクリームだから、きつねの味です」

「おいしいの?」

「そりゃあ、もう、とっても!」

「それじゃ、きつね味を二つ下さい」

 赤いキャップの若者はとても嬉しそうな顔で、コーンからはみ出しそうなくらいにきつね色のアイスクリームを盛りつけた。

 

 きつね味のアイスクリームがきつねの味かどうかはよくわからない。だって、きつねを食べたことがないんだもの。

 その後も森を歩き続けたのだけれど、きつねを見掛ける度に恋人が「ちょっと味見してみる?」と言うので、段々その気になってきた。きつね味のアイスクリームは、そりゃあ、もう、とってもおいしかったから、きっと生のきつねはもっとおいしいと思うのだ。


かくも甘き/圓眞美

 類い稀なる美人だった姉やは、負った火傷で皮膚は引き攣れ髪はほうほうと抜け落ち、赤黒い顔に血膿の浮いたさまは鬼とまで蔑まれるようになった。ひと月生死をさまよった。

 家屋が焼けたのは姉やに懸想していた誰ぞの放った火が原因だったらしいと聞いた。どんな恋情を打ち明けられても、姉やはすべてを袖にした。火の手から逃げ遅れた私に気づいて引き返してきた姉やはほとんど火達磨だった。

 以来、私は毎夜姉やの部屋を訪れる。姉やは寝間着を脱いで全裸になって待っている。私は姉やの引き攣れた皮膚や爛れた乳房を丹念にねぶってゆく。滲む血膿を口いっぱいに溜めながら、甘い甘いと繰り返す。姉や姉や。美しい姉や。姉やの傷はどれほどにも甘いから、私はどんなにでもしゃぶることが出来るんだよ。心の臓が打っていなかったとしても問題ではないんだよ。

 私は、姉やから滲み出す血膿をすべて舐め取り、その下に以前と違わぬ透きとおる白い肌が現れるのを夢想する。甘い甘いと繰り返す。


深海魚/白縫いさや

 恐竜図鑑を抱えて眠る時、私は一匹の深海魚になったような心地になる。柔らかい毛布が私を包み、視界は閉ざされ、自分の心音しかせず、自分の呼気のにおいしかしない。唯一、ままに動けるのが舌である。舌である私はぬらりと口蓋を抜け出し、胸に抱いた本の背表紙に沿って泳ぎ下る。深海魚もきっと、こんな真っ暗な海を泳ぐのだろうと思いながら。

 恐竜図鑑は両手で抱える程度の大きさであるが、舌である私にとってそれは校庭くらい広く感じるものだ。どこから読み始めれば良いものか。しかし迷う間もなく紙面に触れた傍から物語は始まっているのだ。私は空気を泳ぐ透明な魚になって、隕石が降り注ぎ火山が火を吹く様を見下ろしている。恐竜どもが群れを成して逃げ惑う。やがて彼らが死に絶え化石になるまで、私は時間の海を、ゆらりゆらりと泳いでいる。


僕の彼女/圓眞美

「あなたの舌のざらざらしたのが具合がいいの」と小さな僕の彼女が言うので、僕は彼女を自分の口のなかに住まわせることにした。これも同棲というのだろうか? 彼女の冷たい裸足や柔らかな手のひらが粘膜のあちこちに触れるのは気持ちがよかったし、何より彼女が僕の舌を使って遊ぶ様子を感じ取れるのがよかった。「あ、あ、あ、」と彼女は息を漏らす。

 僕は食事のとき彼女を噛み砕いたり呑み込んだりしてしまわないよう細心の注意を払っていたし、彼女も僕の口のなかを動き回るのはお手のものだった。彼女は僕が口にしたものをひとかけらずつ千切って食事にしていた。「そんなものでおなかは満たされるの?」と僕が訊くと、「問題ないよ」と彼女は笑った。なかでもチョコレートは大好物だったので、僕は毎日彼女のためにチョコレートを食べた。僕たちはうまくやっていたと思う。

 痛みは突然やってきた。

 朝起きると左の奥歯に激痛が走り、頬に触れてみると腫れて熱を帯びていた。どうにも我慢が出来ずに、彼女には舌の下に隠れていてもらって歯医者に行くと、「見事な虫歯ですね」との診断。

「甘いものばかり食べているからよ」とチョコレートのにおいの香る口で彼女は言った。しかし実のところ僕は毎日食べているチョコレートの味を知らない。何より夜中、夢うつつのなか耳にする、歯ぎしりとは異なるしょりしょりという音の説明がどうしてもつかない。


夕べの餐に肉叉を交え/立花腑楽

「一枚は、あなたとお喋りするため。もう一枚は、あなたとこうして素敵なディナーを楽しむため――」

 極上のフィレ肉の塊を頬張りながら、陶然とした表情を浮かべる。

 白い歯の隙間から、肉の脂にまみれた薄桃色の蛭が、ぴょこぴょこぴょこぴょこと、浅ましく蠢いているのが見えた。

「あたしってマルチタスクなの」

 自称二枚舌の彼女だが、本当のところ、何枚の舌を隠し持っているのか、僕にはとんと、見当がつかない。



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