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特別企画「同和とキリスト教」 差別者という十字架を負わされた聖職者たち

あるキリスト教徒の思い出

敬虔けいけんなクリスチャンであるその老人とは全くひょんな出会いだった。今年初め、ある同和地区の取材をしていて、地域のことについて聞こうとたまたま声をかけた人だった。本来は同和関係の話だったのが、話が脱線してしまいキリスト教の話になった。というのも私は両親がキリスト教徒で子供の頃、礼拝に同行させられたこともあって多少、知識があったからだ。もっとも聞きかじったことの受け売りばかりだったわけだが、ともかく話は進みそしてキリスト教と差別、そんな話にまで及んだ。

老人も弱者救済の観点から、そして自身も地区住民として、解放運動に関わった時期があったという。数十年前にキッパリ運動から身を引いて、現在は文献を読んだり、たまに送付される関係団体の機関誌に目を通す。そんな程度のようだ。

「戦前、キリスト教徒も戦争協力をしたという反省に立ち帰って、宗教団体としては最初に反戦への取り組みや戦前の反省をしましたよ。それに人権問題に対する取り組みも見直そうということで、その一つとして解放運動にも参加した聖職者は多かったですわ」

もともと同和とキリスト教は深いつながりがある。部落解放同盟のシンボルである荊冠旗けいかんき。このルーツをたどると1922年3月3日に開催された「全国水平社創立大会」で「荊冠」という言葉が使用されたことだ。荊冠はキリストがゴルゴダの丘で処刑される時にかぶされたもので、これが「受難」を示しているそうだ。そして赤い荊冠には血の色で解放運動への殉教じゅんきょう精神を表現し、これを旗に戦闘の意思を示す先のとがった青竹で掲げる。水平社の重鎮、西光さいこう万吉まんきちの発案によるものだったという。


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