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今日一日、何回感謝できた?

感謝できることが少ないのは、心が不健康になっているから。

客観的にというのが難しいのなら、その状態を学習するつもりで接したらどうだろうか。

問いを深く知ることが、実際に答えを出す代わりになることがある。

グループに属していると見えない事が、ひとりだと面白いように見えてくる。

「学校もある生活」楽しんでいますか?

気持ちは言葉に出してこそ活きるもの。

嬉しい、とか、ありがとう、の、気持ちはどんどん表す。出し惜しみしない。

経験の蓄えはたくさんあった方が得をする。

貪欲になんでも利用して。

試してみることをほんの少しでも、楽しんでみて。自分のアプローチしだいで、人は面白いように変わるから。

渦中にいるときの景色は、いつも同じ。一歩外から見てみない?

仲良くなるのに、時期というものはとても大切だ。

人を責める事によって、自分の立場を優位にしたいのでは?

こころに詰め込みすぎていない?

隙間を作っておかないと、入れる場所がなくなる。

余裕がないのは、欲張りすぎているから。

年をとったから出来ないのではなくて、出来ないと思うから年をとるのだ。

一番最初に思いついたことを素直に実行するのが大事。

思考は思った通りの結果を引き寄せる力がある。

その理想に対して、自分は相応しくないという思いがあるから実現できない。

自らの意志で手に入れたものなら身につくけれど、譲り受けたものは離れていきやすい。

過去に上手くいった出来事や満足感を得られた経験をひとつ思い出してみよう。

信念とはどこに意識を向けるかの道標。

指標が定まらないから、ふらふらしてしまうのだ。

方向が定まると、有益な偶然が集まってくる。

信念が思い込みに変わっていないかどうか、一歩引いて見てみるとわかる。

自分にとっては自信を持てるようなことではなくても、他人から見ると、

それはとても羨ましいことである場合が多い。

自己評価以上の、優れた人間にはなれない。

人は誰でも強い部分と弱い部分を持ってバランスを保っている。

そう感じないのは、一方にだけ焦点をあてているから。

自分の可能性を感じる瞬間は誰にでも起こっているのに、

それを持続させる意識を持てるかどうかで、人は分けることが出来る。

それは失敗ではなく、上手くいかない方法の発見にすぎない。

何かしたいと思うなら、それをただ続けるだけで良いのに、

そんな単純なことだと認識していないから、成し遂げられないのだ。

物事はふたつに分けることが出来る。すぐに解決できることと、解決するのに時間が必要なことと。

その問題はどちらに分類できることだと思う?

恵まれていないと思う時期は、細かな知識を多く蓄える時間にあてるものだ。

今は自分の外を広げるのではなく、自分の内を豊かにする絶好の機会なんだ。

労を惜しまない積極性。

困難な状況の中でも、即断即決。そして迅速な行動修正。

常に振りそそぐメッセージ。どれに気づき、どれを見逃すか。

弱さの底をつきとめ、その底の上をしっかりと踏みしめる気持ちで。

続かないのは、ごくあたりまえな、楽な気持ちでやろうと思っていないから。

うっとうしいと思ったら、見ない、聞かないのが一番。

因果関係について考える。

気分を落ち着かせたり、清々しく感じる香りを見つけて利用する。

目にする言葉を鵜呑みにしない。

何でも自分の頭で噛み砕いて、考えてみること。

その考えに、自分が責任を持てるかどうか。

自分がしたいと思うから、するだけ。

相手に楽をさせるのではなく、結局は自分が得をするのに。

人間相互の衝突によって、学べることがある。

筋肉を鍛えるのと同じで、人間関係も休ませることが必要。

その避けていることこそが、成長の鍵。

あれこれ考える前の直感は、信じる価値がある。

その、ほんの些細な一言で、与える印象を変えることが出来る。

思う通りに出来ない、本当の理由は何か。

この世に無駄なことはない。無駄にするかどうかは、自分しだい。

最低でもふたつの見方ができないと、精神面で損をする。

最も弱い部分に合わせて、対策を練るのが効果的。

全体を見渡すことが出来ているのだろうか。

どこに捜し求めている答えがあるかわからないものだ。

即断即決を心がける。

様々な人との交流の中で、貪欲に学ぶ姿勢があれば、自己主張も理解する力も得ることが出来る。

バランスの取れた判断とは技術のひとつであるから、本人の努力次第で習得することが出来る。

逆境とはその人がその教訓を必要としているから訪れる。

その教訓を自分のものに出来ないうちは逆境が続く。

元気がない、気分が晴れないという状態が続くなら、何かの依存症にかかっているのかもしれない。

占いは自分にとって都合の良いことを当てるために活用すべきであって、それに振り回されてはならない。

心の中でイメージしたことを追体験するために、実際の行動をしている。

実現したいことだけを鮮明にイメージすることが出来れば、

それを現実のものにしようと心身は自発的に動き出す。

頭で分かっているだけでは何の役にも立たない。

それを体験して、分かっていたと思っていたことをあらためて意識して、自分のもとなる。

この世で一番頼りになるのは誰か。

不満があれば、自分の手で改善するのが早道。

遭遇するかどうかもわからない困難を考えて疲労してしまう労力があるなら、

願望を少しでも具体化することに労力を使うべきだ。

あなたの結果は、すべて、あなたの意識の結果。

常に答えは自分の中にあるのに、

自分以外のところに答えを求めようとするから、得ることが出来ない。

出来るはずがないという言葉を信じるかどうかで、一生は変わる。

恐れを感じるのは、それがまだ起こっていないか、そんなものは存在しないかのどちらかだからだ。

実際にそれが起こっているならば、対処に追われて恐れを感じている暇はない。

恐れの実態は、自分が作り出したものにすぎない。つまり自分次第で加工することが出来るということだ。

価値観だと思っていたことが、実は単なる嗜好だったということがある。

実行力を伴わない知識は、人間を小さくする。

言語の能力を上げることによって、対人関係を改善することが出来る。

何ごとも、循環している。

見たいものだけ見えるように出来ている。

批判にしろ悪口にしろ、貴重な時間を割いてもらっていると考えてみる。

批判という形の妬みなのかもしれない。

他者を悪く言うことが多い人は、劣等感が強い。

劣等感を軽くするために、他者を誹謗して自分と同じレベルに引き下げようとすることがある。

□□をしてから、○○をしようでは、いつまでたっても○○は出来ない。

先人達が試行錯誤の上創り出した智慧も、今ではその形しか残っていないことがある。

形ばかりだといってその行為を蔑ろにするから、心の問題が昇華されなくなってしまう。

自分を変えたいなら、自分と違う考えを持っている人と多く接触すること。

転職を成功させるには、今の仕事を懸命にやった上で気づいた、新しい興味がないと難しい。

本当に何をしたいのか、何が出来るのか、興味と能力を把握しているだろうか。

失敗だと考えず、ひとつの過程にすぎないと考える。

自己開示をすればするほど、そのつもりで相手は付き合ってくれる。だから生きやすくなる。


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マイ ベストを尽くして生きていることが大事なのであって、ザ ベストを求める必要はない。

自己中心的な自己開示では、逆効果になる。

その場、その時に合った自己開示をするためには、いつでもさっと出せるように準備をしておく必要がある。

役割を与えられたら、その役割の責任と権限を明確に確認しておくと、効率的に動くことが出来る。

自分ひとりの考えでは、不十分である。

模倣の対象を持っていると、いざという時に適切な態度をとることが出来る。

事実に即した考え方、現実世界に合ったものの考え方をしているだろうか。

問題意識を持っていない人は、模倣することがない。

考え方を変えるのではなく、広がる、または選択肢が増えると考えてみてはどうだろうか。

考え方にはそれぞれ、適用範囲がある。

気持ちがあっても、それを伝える技術を持っていなければ、もったいない。

指導する立場にある人は、模倣され、それが自分に返ってくることを常に心がけるべきだ。

それは、言動について誹謗しているのであって、あなた自身を非難している訳ではない。

その言動を一瞬でも相手の身になって考える事が出来れば、ストレスは減る。

ありがとうと言う回数を増やすと、今まで気がつかなかったことや無意識の行動を意識することが出来る。

願望と必要性の両方が含まれている言動は、持続する。

自分のことがわからなくなるのは、新しい自分が生まれていることに気づいたからだ。

何かにつけなぜ人の立場になって考えることを勧めるかといえば、

別の解釈を知ることによって客観的な存在をも変える事が出来るからだ。

欠点や失敗を認めることは、自分を否定することに直結しない。

その場その時に、あるがままの感情を受け入れてあげないから、後で不都合が起こるのだ。

あるがままの感情を受け入れることが大切だが、その感情に気づかない場合がある。

そんな時は観察力を高めることだ。

観察力を高める具体的な方法として、自分の行動を事細かに観察することをお勧めする。

自分の行動を事細かに観察し、どういう人間であるかを認識したら、感情を観察してみると良い。

他人との比較で得られた自信は揺らぐものだが、細分化することによって知ることが出来た自信は強い。

判断を誤ったのは、経験が足らなかったからにすぎないのだから、

自分の判断を訂正することに躊躇することはない。

また、今回のその経験によって、足らなかった部分は補われたと確信を持って良い。

共通の理解し合える価値を感じるからこそ、人はそれぞれであると受け入れることが出来る。

不安が大きくなるのは、立ち止まっている時間が長いからだ。

人間関係の質はどうだろうか。

「正しい」ということに囚われすぎてていないだろうか。

一般の価値観から自由になっていないから、葛藤を感じる。

たとえ一般の価値観の中に戻って生活することを決めても、一度自由になるための葛藤を経験したなら、

それを乗り越えるしか安らぎは得られない。

どんな心の状態でも、自我を保つことを意識しつづけると、気持ちをコントロール出来るようになる。

気持ちをコントロールするということは、客観視することが出来るということだ。

抑圧されないエネルギーであるなら、たいしたことはない。

抑圧することに使わなくなったエネルギーは、活かすために使うべきだ。

発散する前に、そのストレスを十分に堪能することを実践したい。

盲目な信仰は、自我への執着。

学校で習ったエネルギー不変の法則とエネルギー保存の法則を心の問題にあてはめてみる。

頭が疲れて良い考えが浮かばない時は、体が疲れるようなことをすると良い。

思っているだけで実行しないから、ストレスを感じるのだ。

その言葉が理解できないのは、まだ必要でないからかだ。

その言葉を実践できないのは、まだそのレベルに達していないからだ。

絶対的であるかのような発言は控え、相対的な発言を心がけよう。

二次元の円運動のような毎日から抜け出して、三次元の螺旋運動に変える。その為に何が出来ると思う?

多くの生き方の選択肢を持てるように援助するのが、大人の役目。

選択肢を増やすためには、多くの人と接する機会を持たせること。

執着は、本人にとっては足かせであり、傍から見ると気持ちの悪いものだ。

足かせ自体は悪いものではない。不便である反面、身が守られているという安心感を手に入れることが出来る。

それは本当に限界なのだろうか。推測ではないのだろうか。推測が誤っているということはないのだろうか。

理想通りの行動が出来ないのは、過去の経験やそこから生まれた信念に囚われているから。

理想と現実のギャップに自己嫌悪する悪循環から抜け出すには、

理想か信念か自己嫌悪、いずれかひとつを変える必要がある。

死ぬまでしか、生きることが出来ない

問題を抱えやすいのは、肯定的な自尊心が不足しているから。

変われないのは、今までと同じことをしている方がはるかに楽だからだ。

変わったフリぐらいだったら出来るのではないだろうか。

何事も、今この瞬間から始めること。

過去は踏み台にすべきものなのに、過去に囚われていると過去の踏み台にされてしまう。

当たり前だと思うことをやめ、常に行動のひとつひとつを意識して選択してみる。

行動を起こさないなら、手に入れられなくて当然だ。

悩んだり考えたりするばかりでは、その否定的な考えによって、現実はゆるやかに悪化している。

思うだけでは壁を大きくするばかり。たとえそれがほんの一跨ぎの壁だったとしても。

「こうしたい」と思ったことは本心の必要にせまられてのものなのか、

それとも「こうした方が良いから」という周囲にせまられてのものなのか。

後者では責任転嫁できるゆえに、成功することは難しい。

経験を活かすためには、失敗した人間にではなく、失敗そのものに対して価値判断をする必要がある。

考えや信念が正しいことを証明するために、失敗する方法を選択していないか。

望む行為を続けるためには、何らかの見返りが必要。

ストレスがたまるのは、他力本願になっているから。

接する世界が狭いと、執着心が深まる。

避難も解決策のひとつ。

頭の疲労と体力の疲労を同等にしてみる。

その発言を客観視すると、恥ずかしいと思うことがある。

固執しないことに固執しない。

どんなに言葉を尽くしても、わからない人がいる。

それは、諦めるというのではない。見極めるというのだ。

聞きたいことだけ聞けばいい。と、いうよりも、聞きたいことだけしか受け入れることが出来ないのだ。


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自分の体験を通さないと、どんなに素晴らしい助言も活かされない。

言われた言葉の通りに振舞ってしまうことが出来る。

愚痴には、ストレスの再認識をしてしまうことがある。

愚痴を言ったからスッキリするのではない。話を聞いてもらったという満足感がそれだ。

どこまで人の話を聴けば良いのか悩むのは、より良い状態を真剣に考えている証拠。

楽しんでる?

きっかけは、突然やってくるもの。準備が出来ているかどうかでいくらでも変わる。

やりやすい所から、少しずつ試してみる。

観察の精度によって、きっかけの数は変わる。

きっかけは相手からだったのかもしれないけれど、

それを活かしたのは、紛れもないあなた自身の力である。

早く結果を出したいのは当然だが、ペースを守らないから後でつらくなる。

無愛想なのは、慣れない環境で疲れているだけかも。

長い目で見てあげて。

今日の行動、考え方や気持ち。

忘れずに振り返ることが出来たなら、明日は変えることが出来る。

悪い部分も、ひとつの個性。

動き続ければ疲れはたまり、休み続けても体は鈍る。

視点を直し、バランスを考える。

まだ大丈夫と思える頃に、先手を打つこと。

ストレスを強く感じる状態なら、荒療治も有効だが、

そのストレスに無頓着になっているなら、休養が必要。

働きかける行為が変わると、働き返される行為が変わる。

その自己正当化は、誤っていないだろうか。

ごく日常的に行われている予言にそうように、行動する傾向がある。

沈黙さえも、ひとつのメッセージになる。

非言語的表現の感受性を高めるには、離れたところから観察する訓練をすることだ。

非言語的表現の感受性が磨かれたなら、演技として取り入れることを考えてみよう。

決めた役割は、演じる権利がある。

周囲との関係性も含めた私であることを捉え共感できる部分を見つけ出すと、私がわかってくる。

人は私を構成しているひとつの部分だからこそ共感できるし、

共感できないと認識したから、私という形が見えてくる。

人格を非難せずに特定の行為に対して抗議するには、

”あなた”という言葉を含めずに発言することだ。

犠牲になったことに責任はないかもしれないが、犠牲にならない道を選択することもできたはずだ。

原因の原因というものが存在する。

因果関係によってこれからが決まっているような気がすることもあるが、

新たに創造するという気概があれば容易いことは多い。

問題解決に懸命になりすぎると、問題を発生させることに懸命になってしまっていることがある。

問題に時間をかけることによって、別の問題が自然消滅しようとしていることがある。

人間関係の問題を解決しようと努力すればするほど、問題は悪化する。

人間関係改善策をひとつ実行したら、じゅう待つくらいの気持ちであたれ。

問題解決の一番悪い方法は、その問題について討論しようとすることであり、

必要なのは相手の役になりきって思考してみることだ。

以前と違った受け取り方が出来るのは、無意識のうちに蓄えられた情報があるから。

無意識のうちに蓄えられた情報は、日々の経験で培われたもの。

生活の中で生じる全てのことが、人生に関わっている。

練習はいつまで経っても練習にすぎない。本番とは違う。

あるがままに、ひたすら実行することが大切だ。

自由自在であることを確信し続けることだ。

自分へのご褒美は、人と分かち合える形で行うと効果が上がる。

何事も進んで取り組もうとしてる?

無意識の働きをどれだけ意識できるかにかかっている。

快適な生活は、変化のある生活から生み出される。

積極的に変化を取り入れ、利用することだ。

習慣に従っている限り、発展する可能性は低くなる一方だ。

より良い方法を見つける唯一の方法は、何か違うことを一つでもやってみることだ。

変化に対する他者や自分自身の抵抗に打ち勝たないから、いつまでたっても変わることが出来ないのだ。

望ましい未来を思い描くことに、どれだけエネルギーを費やせるかが鍵だ。

やってみないことには、どうなるか、何をすべきかは、わからない。

誰とどのような人間関係を築くかで、あなたは決まる。

自分ひとりの力だけでやろうとしない。

全ての物事は互いに結び合っている。それが見えないのは、視野が狭くなっているから。

続けるのは、それを選択したのが他でもない私だから。

苦痛を感じるのは、選択しなければならない時期にさしかかったから。

これで良しと思ったらなら、他人の意見は聞く必要がない。

それは壁ではなく、成長するのに必要な少し大きな扉にすぎない。

鬱陶しいと思ったら、近づかない。

やりたいではなく、やる。

それがベストなんだ。

世の中は、上手く出来ている。

聞ける準備が出来ていないのに話すから、期待する言葉が得られない。

実行できないのは、遠くばかり見ているからだ。

今日という一日の枠の中で、自己採点すると何点だった?

今日という一日の枠の中で、合格ラインを超えるには、何をしたらいい?

明日を最高の状態で迎えるには、今日出来ることは全てやることだ。

目はいつも目的に向ける。

目的のための努力を普段の生活に必要不可欠のものとする。

その仕事を通して目的に近づくことは出来ないだろか。

ありのままの感情を受け入れる練習。

これを考えることによって整理するのは後のことだ。

体を鍛え健康を保つことで活力が生まれる。

一度にひとつだけ。

あれこれ考えず簡単に終わらせることが出来ることに手をつける。

経済的に依存させているということは、活力を奪っていることに等しい。

今後どうすれば良いのかわからなくなっているのは、

今現在の状況を受け入れていない証拠。

苦しみに駆り立てられることによって、人間的な深みを得ることが出来る。

よく知った上でバランスの取れる点を探すこと。

責任転嫁という手段で、自由と独立への道を拒んでいないだろうか。

流れには逆らわない。利用することを考えるほうが賢明。

明日の苦労は、明日になってから思いわずらえうことだ。

過去に対して向けているそのエネルギーをこれからの事に向けられないだろうか。

不幸な結果を克服する第一歩は、現状を受け入れることだ。

その状態をそのまま受け入れることが出来れば、心にたまった負のエネルギーは解放される。

悩んでいることを本当に解決したいのなら、紙とペンを取ってその悩みを書き記せ。

問題をある限度以上に考えると、混乱や不安を増やすだけだ。

思案や調査をしても不安材料しか出てこない時こそ、決断を実行する時である。

その問題自体には、さほどの意味はない。

問われているのは、それをどうやって越えるかだ。

時間にゆとりがあるから、悩みが尽きないのではないか?

かけがえのない限りある時間を、その悩みに費やしていても後悔はないのだろうか。


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大半は想像の産物である。

人の意見を聞くコツは、役に立ちそうなことだけ吸収し、あとは無視することだ。

出来ることがあればやる。出来ることがなければ、別の関係ないことをやる。

意思の力でどうにかなることにだけ、悩むこと。

見切り発車でもいい。

優先順位を明確にする。

不可抗力に逆らうから徒労に終わるのだ。

あなたの判断基準はどこにある?

悩むのは、価値があると思う基準が確立されていないから。

それがいいことだと思っても、実行に移さないから成長しないのだ。

実際に起きてしまったことは変えられないが、それをどう活かすかは変えることが出来る。

ことわざをどれだけ実践で活用してる?

知識は使ってみて初めて威力を発揮する。

知識を得るだけ、持っているだけではもったいない。

じっとして嘆く時間があるなら、手を足を動かせ。

避けようと決めたら、永遠に避けること。

たとえどんなことでも、活かす。この差が人生を変える。

思い込んでいる本人にとっては、きっと現実にそうなんだろう。

意見のくい違いがあるのは、事実に対する解釈の違い。

無意識の部分を意識化することで、改善できる。

私の心構えが、私の運命を決める。

平和をもたらすのは、他ならぬ私自身。

起こることよりも、起こることの見解によって傷つくことがある。

出来る出来ないはともかく、知っているという安心感。

決心することで出来るのは、行動を変えることだ。感情を変えるのは難しい。

時間の浪費とは、嫌いな人について考えることだ。

感謝を期待するから、ストレスになる。

人に対して、どんなに些細なことであっても何か出来ることに感謝すべきだ。

備わっていることについて考えろ。

いつも欠けていることに目を向けているから、感謝できないのだ。

あらゆる出来事の良い面に目を向ける習慣は、人を幸せにする。

どんなことも永遠であったり絶対であったりはしない。

だから、いつでも変えることができる。

悪条件を背負っていることが、原動力になる。

弱点そのものが、思いがけず助けになっていることがある。

情けは人のためならず。(=情けは自分のためである。)

相手をよく観察して、必要なことを必要な分だけ。

自分自身について考える時間が少なくなるほど、手に入れられることが増える。

固執するのは、忘れたいことを忘れていられるからだ。

何について悩んでいるか正確に言葉で表現できたなら、その悩みは解決したも同然。

悩みを解消するには、まず疲れを解消する必要がある。

疲れているとろくなことを考えない。だから早め早めに休養をとるのだ。

欠点にいつまでもこだわらないこと。

誰かの行為によって得られる幸せに、慣れてしまわないように。

ただ聴いているだけで十分であり、かつ最上の対応。

悪いのは誰かを追求しても、問題は解決しない。

どうすれば良いのかの答えを持っているのは、誰だと思う?

悩みに費やした時間に比例して、苦しさは増すものだ。

時間が解決してくれるのではなく、時間の経過が状況を変化させただけ。

根本を乗り越えていないから、同じ悩みを繰り返す。

けんかをしてしまうのは、自分と相手の両方が見えなくなっているから。

依存することは、急所を握らせていることに等しい。

言葉が通じるのは、その言葉を相手も持っているから。

言葉が通じないのは、その言葉が相手は持っていないものであるか、

持っていたとしても、その言葉に対する認識の違いがあるから。

ある言葉が心に響くのは、その言葉を持っていたから。

たとえそれが意識の深層に追いやられた言葉でも、持っていることには変わりがない。

どんなことでも経験は糧になっている。

普段は忘れているようなことであっても、ちゃんと私の深い部分に格納されている。

無くなってしまったと思っていた感情でも、いざとなれば復元される。

努力することは威張れる行為ではない。

自分に必要なことを得ているに過ぎないのだから。

努力とは、それができない人間から見ると、努力に見えるだけのこと。

勉強しても頭は良くならない。頭の悪さを補うのが勉強だ。

学ぶことはまねること。

過敏に反応するのは、その言葉に自覚があり恐れているから。

残された歴史が事実であるかどうかはわからないが、それに込められた思想は読み取ることができる。

できる人間からいくら勧められても、できないと思っている人間には無理。

一方通行では、無理が生じてくる。

欠けているからこそ、補おうと活力が湧くものだ。

欠けたり、満ちたり。

わからなくて良いのに。わからないということさえわかれば。

知ると、漠然と抱えていたものたちが繋がる。

客観性のなさが不満の元。

非日常を求めても、日常の根本的な解決にはならない。

認識したからといって、影響されるとは限らない。

どんな意図でその話題を持ち出そうとしているか、口に出す前に考えてみる。

足枷だと決め付けているのは、自分だけではないだろうか。

足枷があることを理由にして、意気地のなさを誤魔化しているだけなのかも知れない。

根本として悲観的な人間であるからこそ、楽観的な見解が出来るのだろう。

楽観的な発言が多いのは、悲観的な状況から目をそむけたいからではないか?

占いというレールに乗ることを好むのは、自分で考えなくて済むからだ。

占いというレールに乗ることを好むのは、責任を転嫁することが出来るからだ。

後ろ向きな理由をつけて、活力を奪っているのは誰か?

感受性が鋭いことと、それを表現できることは別問題。

傷つけることに気をとられていると、傷つけられる隙を与えることになる。

傷つける程度の軽い気持ちが、壊してしまう危険をはらんでいる。

期待している暇があったら、自ら手に入れに行けば良いのに。


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期待しないからこそ、それが実現された時、嬉しさが増す。

欠けていない部分があるからこそ、欠点が目につく。

やりたいことしか、できない。

本当にやりたくないと思っていることは、できない。

楽しいと思うかどうかが、重要な判断基準。

「何でも話して」と言われても、話すべきではないことがある。

書かれていることとは相違する見解を心がける。

個としてマニアックであるのは武器になるが、組織の一員としてはどうだろうか。

楽をして節約された時間を、何に使うか考えるのが、人間の仕事。

一歩引いて見てみる。

結果として考えれば、良かったことの方が多いのではないだろうか。

損得に支配されているとき、迷いは深い。

順番は必ず来る。早いか遅いかの差はあるが。

充実した日々に慣れてしまうと、忙しい日々に変化してしまう。

制約があるから、研ぎ澄まされる。

良かったと思うのは、すでにその問題が過ぎ去っているからだ。

どちらを選んでも後悔はつきものだ。

色々な人からの視点での選択を、想像してみる。

誰の思考が私には好ましいと思えるか、順位をつけてみる。

すぐに終わることから片付ける。

抽象的な文章に触れたとき、読み手の心は洗い出される。

やった方が良いのはわかっているが出来ないことは、期限を決めて今日着手する。

人を見て嫌だと思う部分を感じるのは、同じような性質があなたにもあるからだ。

思っていることは、態度ににじみ出ている。

なぜそのような作法になっているのか、考えてみたことはあるだろうか。

目先の保身に惑わされて、後に控えている願望を逃していないだろうか。

できる環境を整えるには、何から手をつければ良いか?

人を動かすには、時間のゆとりを相手に与える必要がある。

目先の得に惑わされず、ゆとりある対応を。

ペース配分の相違を他人と比較するから、不快になる。

どんなに言葉を尽くしても、伝わらない時がある。

相手の立場が弱いと、言葉を重ねるほど逆効果になる時がある。

初めに自分からの行動がないと、何も変えられない。

ひとりになれる時間を、おろそかにしない。

ひとりになれる時間を上手に持つことで、人と接する時の余裕が生まれる。

私にとって、ひとりの時間を実感できるようなアイテムは何だろう。

どのような状態であるか、観察しながら会話できているだろうか。

目の前にあっても、やりたくないことはできない。

優先順位が間違っているのではないだろうか。

決めたことができなくて自己嫌悪する暇があったら、どうすれば出来るようになるか考える。

人がいてもいなくても、同じ行動が取れるかどうか。

自分が好きでやっているということを自覚しないから、不満が募る。

自分が好きでやっていると意識しようとしても、不満が募る。

やりたくないことをやらないでいることによる未来の不利益を具体化する。

物理的に距離を置くと良い。

一度離れてみて、余裕ができた時に戻る。

どうしても言い訳したいなら、時間が経ってから。

人のために行動すると見返りを求めずにはいられない。

経験が少ないと否定的な意見が出やすい。

ほんの些細な一言を聞き入れたかどうかで、道が変わる。

人間にもブレーカーが備わっている。

否定的な言葉の威力は、受け手には大きく感じる。

嫌いな人、苦手な人を見ていると、自分が見えてくる。

いい人であろうとするから、苦しくなる。

無理に正当化しなければ、心は穏やかでいられる。

他人の時間を奪っていることについて、考えてみたことはあるのだろうか。

個人の時間だけでなく、もう少し大きな範囲で考えてみる。

手段のひとつであったことが、目的にすり替わっていない?

できないのではなく、やりたくないだけだ。

理解できないこととは、その人にとって存在しない事柄であることと同義である。

一度いって駄目なら引き、考える猶予を与える。

その人の発する攻撃が、そのままその人に通用する攻撃である。

その人の嫌なところはスルー。



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