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私に影響を与えた1冊・内藤みどり著『西突厥史の研究』

 「良いじゃないですか~、わからない方がロマンがありますよ~」
なんてタレントの言葉で「歴史の謎を探る」系の番組が締めくくられるたびに、「何だかなぁ」と思ってきた。いやいや、ロマンとはそんなもんじゃないよ、と。

 確かに、古い時代であればあるほど資料の不足からわからないことは多い。テュルク(トルコ)好きの私が最も惹かれる突厥など六~八世紀に中央アジアに存在した国だから、日本でいえば飛鳥・奈良時代、千三百年以上前の古代国家だ。しかし、それだって軽々しく「わからない方がロマンがある」だなんて言う気にはならない。

 内藤みどり著『西突厥史の研究』(早稲田大学出版部)との出会いはもうかなり昔のこと。インターネットがまだ一般的でなかった頃、パソコン通信に電子会議室というものがあり、その中に歴史好きが集まってあーだこーだと議論したり情報交換したりする歴史フォーラムという空間があった。私がパソコン初心者でごく普通の歴史好き・テュルク好きだった頃、そこをのぞいて驚いた。なんと突厥マニア(実は専門家だった!)がいるではないか。
 遊牧騎馬民族系のファンだとモンゴル・チンギス=カンが好きって人は結構いるが、突厥が好きって人とは会ったことがなかった。全国津々浦々にはそういうマイナー所のファンもいるんだ、と嬉しくなった。
「初めまして~、突厥好きな人ですが何か良い本ないですか~」
とか挨拶して、最初に奨められた本が『西突厥史の研究』だった。いま思えばいきなりそんな質問とはとんだクレクレ君だ。今なら「ググれカス(ネットスラング:グーグルで検索してみたら?の意)」とか言われても仕方ないが、当時グーグルはなかったし、マイナー分野の資料集めの苦労はみんな身に染みて知っていたからか、親切に教えてくれたのだ。

 西突厥か……。自分はどちらかというと突厥第二帝国なんだけどな……と、やや気が乗らなかったものの、とりあえず読んでみることにした。
 なんとか手に入れて読んだら、ものすごい衝撃を受けた。

 資料の不足だって?
 チベットやら東ローマやらイランやら……に資料がこんなにあるんじゃないか! 資料の不足だなんて、自分が怠けて調べてないってだけの事だった! 
 資料が信用できないって?
 騎馬民族については農耕民族が残した資料しかないから歪められてる、というのはよく言われることだし、自分もそう思っていた。でも、当時の国際情勢や書いた人の立場を踏まえれば、資料の偏向具合もまた興味深い資料。なぜそういう風に曲げなければならなかったかを考えれば、それは双方の関係を克明に映し出す鏡になる。
 幸いにして我らが突厥には自分たちの文字……突厥文字(古代トルコ=ルーン体文字ともいう)で記された碑文も残っている。相手方の国内情勢や突厥ばかりでなく他の国との関係をこれと丹念に突き合わせていくと、次第にぱちぱちっとはまっていき、一つの事件についてのプロセスやそれに関わった人たちの思いが立体的に浮かび上がってくるではないか。
 『西突厥史の研究』は、その醍醐味を「ほら、こういうことだよ」と目の前にとって見せてくれたのだ。

 それに加えて、ここに取り上げられている人々の生き様には考えさせられる所が多い。
 例えば乙毘咄陸可汗。『西突厥史の研究』の中では一番日本人に馴染みのある人物だろう。玄奘三蔵がインドへ旅した時に会った、父親を謀殺してその地位を襲ったあの西突厥の王子である、と内藤氏は考えている。この酷薄な人物は、謀略の限りを尽くして最後には戦に勝ったものの、「一千人もの人間を戦わせ、生きのこるのはただの一人にすぎぬ。われわれはもはや従うことはできない」*と部下たちから見放され、逃亡せざるを得なくなった。
 酷い人ではあるが、何か切ない……。たぶん一つの目標に向けてしゃにむにやってきたんだろう。目標を達成した、と思った瞬間にすべてが手の中から失われるってどんな気持ちだろう。当時の西突厥内の混乱ぶりを考えると、自業自得の一言で済ませるのは気の毒な気もしてくる。
*『騎馬民族史2』p.272(平凡社)

 さて、それからというものは一冊の本という形にまとまったものばかりでなく、古い資料や論文も読むようになった。それも、そこに引用されている資料や論文があれば全部たぐる勢いで。
 「知れば知るほど、未知の領域が広がる」とは我が恩師の言葉であるが、まさにその通り。マイナーな分野のはずなのに、調べても調べても調べなければならない資料が出てくる。たぶん、生きているうちにすべての資料を読み尽くすことは出来ないだろう。
 しかし、最初バラバラで無関係に見えた各方面からの断片情報がぴたりとはまっていくのは、創作でなく実際にあった出来事ならでは。この快感を知ってしまったからには、ゴールがないとわかっていても歴史好きは辞められない。

この本の内容は以上です。


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