目次
私はひきこもりであるというアイデンティティー
ひきこもり生活をさらに快適に
ひきこもりはひとつの個性、生活スタイル
世の中に"自立"している人間なんていない~障害者自立支援法
自分は甘えているのではないかという強迫観念
お金を稼ぐという能力
日本の将来~現在すでに国の体(てい)をなしていない
政治力、権力、マスコミ、発信力、そして「民意」を「操作」すると言われる電通という会社
あえて言いたい、小出氏に対する「人気」について
自分の歳
家族
「治りたいを手放す」~あるラジオ番組への投稿より
短気は損気か?
日本というシステムの再構築~官公庁、国の中枢部などのNPO法人化、未来を見据えて
私はもちろん、大橋巨泉氏や山口瞳氏と同じく非武装中立論者です
私たちが求めているもの
自然であるということ
私が今までに観た「男はつらいよ」の最高傑作「第32作口笛を吹く寅次郎」
匿名の言論は無視しよう!
パーソナリティー障害~おもに私の幼稚さについて
二・二六事件(1936年2月26日~)
資本主義は終わった!!~内橋克人、ラトゥーシュなどに学ぶ
伝統・文化というもの、そして革命
私は愛されている~おとなになるということ
初恋
再度、竹下景子さんをマドンナ役に迎えての「男はつらいよ 知床慕情」
ひきこもりこそがサバイバル~情報を遮断することの重要性
徒労
哲学的結論
ヒヨコちゃんこと峰由樹さんの魅力(文化放送「くにまるジャパン」月曜日など)
ラジオの思い出
人の役割
格好をつけるのはやめよう~思想的流行
仏壇買わなきゃ
懲りないメディア・評論家ー「鳩山イラン事件」に思う、真の国益とは何か
資本主義の結末、それは富の偏在だったー地球は有限であることを知るという哲学
今世紀は水をめぐって戦争が起きる?
奥付
奥付

閉じる


<<最初から読む

18 / 38ページ

試し読みできます

私が今までに観た「男はつらいよ」の最高傑作「第32作口笛を吹く寅次郎」

ご存じ「男はつらいよ」シリーズ第32作『口笛を吹く寅次郎』をDVDを買ってはじめて観た。DVDの説明書きによると1983年末の公開作品らしいが、キャストが非常に私好みで大満足。注目のマドンナが失礼な言い方だが、若き日のそれは可憐な絶頂期の竹下景子さんであり、もうひとりこれもまた実に可愛らしい頃の杉田かおるさんも華を添えている。ストーリー展開も見事で、さまざまな解釈があるだろうが、私が観た限りでは寅さんは竹下景子さん演ずる、寅さんが暫し滞在した岡山の寺の娘である朋子さんに例によって一目ぼれ。無理もない。私自身も含めてその頃の竹下景子さんと言えば我々の世代の男性にとっては誰もが惚れこんでしまうほどの絶大なる人気だった。映画の内容に関係なく彼女演ずる朋子さんは見どころであろうと思う。その彼女が東京まで来ての帰りの駅での寅さんとの別れ際のシーンで見せた態度(特に彼女が男の服の袖口をさりげなくつまんで相手を見つめて甘えるような仕草などは「男殺し」の典型であろう)から察しても最後まで相思相愛だったが、結局寅さんがみずから身を引くという実に寅さんらしい見事な展開となっている。 まだ一度しか観ていないのとほかの方の解釈や感想を読んでいないので、あるいは誤解かもしれず、一応の感想としておきたいが、私自身としては今までに観た「男はつらいよ」シリーズの中でも最高傑作だと思った。


試し読みできます

匿名の言論は無視しよう!

(反対意見が多いのだろうなあ)
もうインターネットは匿名という時代は終わった
今はすべて実名が常識であるべきだし
実際にそういう傾向にある
facebookはもちろんだがtwitterにしろgoogle+にしろmixiにしろ、
匿名でやっている連中は排除されるべきだ。
匿名で何らかの言論を述べることは許されるべきではない。
匿名の言論は無視しよう!


試し読みできます

パーソナリティー障害~おもに私の幼稚さについて

http://www.hosp.go.jp/~shoraiso/shinri/pd.html
改めて私の病気あるいは障害について。 ひとつには自分で勝手に診断している「病名」として上記に詳記の「パーソナリティー障害」がある。私の文章を読んでくださっている方はお分りの通り、たとえば私の言語に対する過度の厳密さがある。それはもちろん人とのコミュニケーションにも大変な不便をもたらしているわけで当人も、そして唯一の直接の会話相手である家族も困らせているわけだ。

上記サイトによると「これらパーソナリティ障害の人の心の特徴は、ある部分で「幼い」「子どもっぽい」ということができます。  子どもは成長段階により、全く性質の違う二つの対象との関わり方を示します。ひとつは、ごく幼い乳児にみられるもので、自分の欲求を満たしてくれると満足し、機嫌良くしているが、少しでもそれが損なわれるとギャーギャー泣き叫び、不満と怒りをぶちまける段階です。その場その場の欲求を満たしてくれるかどうかが「よい」「悪い」の基準で、それが同じ母親であるとは理解していません。こうした部分部分で、また、その瞬間瞬間の満足、不満足で対象と結びつく関係を「部分対象関係」と呼びます。  それに対し、離乳期頃から、子どもは母親が一人の独立した存在で、自分の欲求を常に満たしてくれるわけではないことを、少しずつ理解するようになります。さらに成長するにつれ、自分にとって都合のいい「よい母親」も、欲求を満たしてくれない「悪い母親」も、どちらも一個の同じ母親であることがわかり、どちらも受けとめることができるようになります。よい部分も悪い部分も含めた対象とのトータルな関わり方を、「全体対象関係」と呼びます。  パーソナリティ障害の人の特徴は、部分対象関係の特性と大きくオーバーラップしていて、つまりパーソナリティ障害の人は部分対象関係に陥りやすいということができます。」ということで、私はまさにこの「部分対象関係」のままこの歳(今年53歳)まで生きてきてしまったわけです。いくら病気とはいえ、ときどきというかいつも自分のあまりの幼稚さにあきれてしまうのです。。。。(苦笑)

そして自分にとって一番つらい精神症状としてパニック障害がある。つまりパニック発作に襲われるわけである。これについては手持ちの薬をコントロールすることによって何とかしのいでいる。 あとまあ簡単に言えばウツであるが、ときどき躁もあるので要するに気分障害である。気分障害と言うと何かふざけているのかと言われそうだが、これは特にレキシンという薬がよく効いているようだ。 そしてもちろん心身ともに非常に影響が大きい、まあ俗称かもしれないがいわゆる精神衰弱である。これもなんとか薬を飲んでいる。 そしてこれらすべてを総合して、私は一応統合失調症ということになっている。


試し読みできます

二・二六事件(1936年2月26日~)

2月26日と聞いてまず思い浮かぶのは二・二六事件である。 勉強不足だが、以下ウィキペディアより。
「二・二六事件(ににろくじけん)は、1936年昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、日本陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件である。事件後しばらくは「不祥事件」「帝都不祥事件」とも呼ばれていた。」
という事件だった。 平成の今、まるで関係ないことは分ってはいるものの、同じような「維新」という政党が、一部か多くか知らないが国民の間で台頭しているらしい。まあそれ以上は書くまい。それこそ妄想だと言われるだけだろう。


試し読みできます

資本主義は終わった!!~内橋克人、ラトゥーシュなどに学ぶ

元々は古い言い草だがあえて今こそ、 いまだからこそ、

資本主義を終わりにしよう!

かと言って共産主義でもなく。。。。
どうも政治家、ことのほかTPP参加派の政治家などは いまさらのように右肩上がりの経済成長の時代に見切りをつけられないようだ。 何の幻想を追い続けているのか? もちろん昔を忘れられないのは理解できる。 しかし少なくとも政治家たるものは未来を見据えなければいけない。 もうとうに経済成長や経済のグローバリゼーションの時代は終わったのである。 そんなことも認識できない人間は今すぐ政治家をやめるべきである。 たとえばの話、 人口減少や高齢化が今すぐに止められなければ、 もう経済成長など夢見るべきでない。 また、 TPPは米による事実上"古い"資本主義復権を狙ったものに過ぎない。 今や脱原発も含めて新しい「哲学の大転換」の時だ。 参考 NHK クローズアップ現代~FEC自給圏(内橋克人氏)

“自給力”

 ~食とエネルギーを自給する暮らしの可能性~

http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3108&html=2
「何か一種のノスタルジアといいますかね、郷愁、昔こうだった、自給自足の生活ということではないと思うんですね。 そうではなくて、未来を先取りした姿、日本にとってですね。 私たちの生活にとって基本的なところ、これを先取りした、始まっている未来だと、こういうふうに私はね、拝見しましたね。

●自給の広がり 背景には生活の不安

(こういう人々が増えているのは)基本的には日々の生活の不安、不安社会ということだと思いますね。 一つは例えば働くっていうことに関して、どういう現状か、日本を支えてきたような多くの雇用の場が今、アジアその他海外にどんどん出ていく、そしてそれにさらに、中小企業は今、集団でアジアの諸国に出てしまうということで、雇用の空洞化ということが新しい段階に入っているわけです。 どうやって私たちは働いていくのかという。 しかも働くことと、生きがい、働きがい、それがきちんと一致して、しかも社会の役に立つという、社会的有用労働ですね、それを満たしたいという欲求、そういうものがあって、人々はここに集まっていく、もちろん、グローバル化ですよね、それによって、日本の食というものが危機に立っている、農、農業、そして食ですね。 それを安定的にみずからの力できちんと確保していくという、そういう意思の表明、極めて力強いというふうに私たちは見なければならないと思います。

●今 必要なのは“FEC自給圏”

グローバル化ということを非常に礼賛しますけれども、世界の資源とか食料の事情というのは、大変にかく乱要因、気象条件もそうですが、マネーが大量に流れ込んで、値段が上がるというふうに、非常に不安な状況になってますよね。 そういう中で、どういうふうにして、自分に必要な基礎的な生存条件というものを国内で、あるいは一定の地域内で確保するかと、こういう時代になっている。 それを私は、私なりのことばでFEC自給圏の形成ということを言ってきたんです。 FECというのは、FとEとC、Fは農業、あるいは食料ですね、食料の基本になる農業、それを含めたF。 Eはエネルギーですね、エナジー、これも地域社会の中で自給できる。 Cはケア、これは人間関係、介護その他を含む、それを一体として、一定の地域内で自給圏を形成していくことが、新たな雇用の機会、これを作るんだと、新しい基幹産業がFEC自給圏によって生まれてくるでしょうということ。

食一つ見ても、安い国から買えばいいんだ、海外から買えばいいんだと、この考え方はもう通用しません。 エネルギーについていえば、例えば太陽光発電、あるいは小水力、風力発電、その他、これすべて、ITあるいはハイテク、極めて高度の技術、これを背景にして組み合わせて、例のスマートグリッドという発想もそうですね、地域間で自給をうまくバランスを取っていくという、エネルギー、電力エネルギーですね、こういう時代に入っているわけで、今はまさに雇用を大きく作り出す、生み出す、そういう自給圏の場所なんですね。

今ですね、日本は森林大国世界第2位ですね、先進国の中で、しかしその森林がそのまま朽ちていく、なかなか手入れができない。 そこへどうするか、再生のために、というと、木材チップですね、これをその発電の燃料として利用するという、新たなバイオエナジーですね、バイオエネルギーというのも、あるいは菜の花プロジェクトもそうです。

いろんな形で、燃料とかエネルギーを供給していきましょうという、これがEですよね・・・・・・」

経済の成長は人を幸せにしない 経済哲学者・ラトゥーシュ氏に聞く

2010年7月13日14時36分 http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201007130317.html
「私が成長に反対するのは、いくら経済が成長しても人々を幸せにしないからだ。成長のための成長が目的化され、無駄な消費が強いられている。そのような成長は、それが続く限り、汚染やストレスを増やすだけだ」

 資源や環境の問題が深刻化する中で、「持続可能な成長」という考え方が国際的に広く受け入れられるようになった。だがラトゥーシュ氏は、「持続可能な成長」は語義矛盾だと指摘する。「地球が有限である以上、無限に成長を持続させることは生態学的に不可能だからだ」

 世界経済が長期不況にあえぎ、日本でも貧困問題が深刻化しはじめた。経済成長こそが貧困を解決するという経済学の「常識」が力を得ていく中、「脱成長」は旗色が良くないようにも見える。

 この点に関してはラトゥーシュ氏も、今の社会システムのままでマイナス成長に転じても事態はかえって悪化するだけだ、と認める。

 「より本質的な解決策は、グローバル経済から離脱して地域社会の自立を導くことだ。『脱成長』は、成長への信仰にとらわれている社会を根本的に変えていくための、一つのスローガンだ」

 物質的な豊かさを達成した「北」の国々だけでなく、「南」の貧しい国も成長を拒否すべきなのだろうか。

 「北の国々による従来の開発は、南の国々に低発展の状態を強いたうえ、地域の文化や生態系を破壊してきた。そのような進め方による成長ではなく、南の人々自身がオリジナルの道を作っていけるようにしなければならない」



読者登録

篠田 将巳 (shinodamasami)さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について