目次
私はひきこもりであるというアイデンティティー
ひきこもり生活をさらに快適に
ひきこもりはひとつの個性、生活スタイル
世の中に"自立"している人間なんていない~障害者自立支援法
自分は甘えているのではないかという強迫観念
お金を稼ぐという能力
日本の将来~現在すでに国の体(てい)をなしていない
政治力、権力、マスコミ、発信力、そして「民意」を「操作」すると言われる電通という会社
あえて言いたい、小出氏に対する「人気」について
自分の歳
家族
「治りたいを手放す」~あるラジオ番組への投稿より
短気は損気か?
日本というシステムの再構築~官公庁、国の中枢部などのNPO法人化、未来を見据えて
私はもちろん、大橋巨泉氏や山口瞳氏と同じく非武装中立論者です
私たちが求めているもの
自然であるということ
私が今までに観た「男はつらいよ」の最高傑作「第32作口笛を吹く寅次郎」
匿名の言論は無視しよう!
パーソナリティー障害~おもに私の幼稚さについて
二・二六事件(1936年2月26日~)
資本主義は終わった!!~内橋克人、ラトゥーシュなどに学ぶ
伝統・文化というもの、そして革命
私は愛されている~おとなになるということ
初恋
再度、竹下景子さんをマドンナ役に迎えての「男はつらいよ 知床慕情」
ひきこもりこそがサバイバル~情報を遮断することの重要性
徒労
哲学的結論
ヒヨコちゃんこと峰由樹さんの魅力(文化放送「くにまるジャパン」月曜日など)
ラジオの思い出
人の役割
格好をつけるのはやめよう~思想的流行
仏壇買わなきゃ
懲りないメディア・評論家ー「鳩山イラン事件」に思う、真の国益とは何か
資本主義の結末、それは富の偏在だったー地球は有限であることを知るという哲学
今世紀は水をめぐって戦争が起きる?
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自然であるということ

自然であることは非常に難しい。たとえば私たちはこの世に生まれて来たいから生まれたのではないと思う。私たちの人生の最初の最初はきわめて自然なことだったはずだ。つまりこの世に生まれてきたことはきわめて自然なことだった。しかし成長するにつれ私たちは自我というものを獲得し、自分の意思というものを持つようになる。そもそもの始めはそこだろうと思う。これがしたい、あれはしたくない。などなど。大人になっても私たちは自分の意思で生きているようなつもりになっている場合が多い。つまり「自分はこれをするために生きたいから生きているのだ」とか、あるいは「生きづらい。死にたいから死ぬのだ」などの繰り返しでまるで自然ではない。私の心臓は動きたいから動いているわけではない。なぜか不思議なことに自然に動いているのだ。にもかかわらず私は言い続ける。「次はこれをやりたい。」「この学校に入学したい」「こういう仕事がしたい」「この人と結婚したい」。。。。。私たちは自分の意思でしたい物事を決定しそしてそれが出来るかどうかはさまざまだが、時には「運が悪かった」などと嘆いたりあるいはその反対だったり。。

 そもそも人には「すべきこと」などあるのだろうか?私はないと思う。「やりたいこと」「やりたくないこと」はあるだろうが、「すべきこと」「すべきでないこと」などないと思う。つまり、「やりたいこと」「やりたくないこと」が即ち煩悩というものではないだろうか?もし仮に「やりたいこと」「やりたくないこと」がまったくなく、自然に生きることが出来たらどんなに幸福であろうか。あらゆる物事やひとなどに好き嫌いなどもまったくなく何に対しても文句なく自然に生きられたら、それこそが真の自由ではないかと思う。


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私が今までに観た「男はつらいよ」の最高傑作「第32作口笛を吹く寅次郎」

ご存じ「男はつらいよ」シリーズ第32作『口笛を吹く寅次郎』をDVDを買ってはじめて観た。DVDの説明書きによると1983年末の公開作品らしいが、キャストが非常に私好みで大満足。注目のマドンナが失礼な言い方だが、若き日のそれは可憐な絶頂期の竹下景子さんであり、もうひとりこれもまた実に可愛らしい頃の杉田かおるさんも華を添えている。ストーリー展開も見事で、さまざまな解釈があるだろうが、私が観た限りでは寅さんは竹下景子さん演ずる、寅さんが暫し滞在した岡山の寺の娘である朋子さんに例によって一目ぼれ。無理もない。私自身も含めてその頃の竹下景子さんと言えば我々の世代の男性にとっては誰もが惚れこんでしまうほどの絶大なる人気だった。映画の内容に関係なく彼女演ずる朋子さんは見どころであろうと思う。その彼女が東京まで来ての帰りの駅での寅さんとの別れ際のシーンで見せた態度(特に彼女が男の服の袖口をさりげなくつまんで相手を見つめて甘えるような仕草などは「男殺し」の典型であろう)から察しても最後まで相思相愛だったが、結局寅さんがみずから身を引くという実に寅さんらしい見事な展開となっている。 まだ一度しか観ていないのとほかの方の解釈や感想を読んでいないので、あるいは誤解かもしれず、一応の感想としておきたいが、私自身としては今までに観た「男はつらいよ」シリーズの中でも最高傑作だと思った。


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匿名の言論は無視しよう!

(反対意見が多いのだろうなあ)
もうインターネットは匿名という時代は終わった
今はすべて実名が常識であるべきだし
実際にそういう傾向にある
facebookはもちろんだがtwitterにしろgoogle+にしろmixiにしろ、
匿名でやっている連中は排除されるべきだ。
匿名で何らかの言論を述べることは許されるべきではない。
匿名の言論は無視しよう!


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パーソナリティー障害~おもに私の幼稚さについて

http://www.hosp.go.jp/~shoraiso/shinri/pd.html
改めて私の病気あるいは障害について。 ひとつには自分で勝手に診断している「病名」として上記に詳記の「パーソナリティー障害」がある。私の文章を読んでくださっている方はお分りの通り、たとえば私の言語に対する過度の厳密さがある。それはもちろん人とのコミュニケーションにも大変な不便をもたらしているわけで当人も、そして唯一の直接の会話相手である家族も困らせているわけだ。

上記サイトによると「これらパーソナリティ障害の人の心の特徴は、ある部分で「幼い」「子どもっぽい」ということができます。  子どもは成長段階により、全く性質の違う二つの対象との関わり方を示します。ひとつは、ごく幼い乳児にみられるもので、自分の欲求を満たしてくれると満足し、機嫌良くしているが、少しでもそれが損なわれるとギャーギャー泣き叫び、不満と怒りをぶちまける段階です。その場その場の欲求を満たしてくれるかどうかが「よい」「悪い」の基準で、それが同じ母親であるとは理解していません。こうした部分部分で、また、その瞬間瞬間の満足、不満足で対象と結びつく関係を「部分対象関係」と呼びます。  それに対し、離乳期頃から、子どもは母親が一人の独立した存在で、自分の欲求を常に満たしてくれるわけではないことを、少しずつ理解するようになります。さらに成長するにつれ、自分にとって都合のいい「よい母親」も、欲求を満たしてくれない「悪い母親」も、どちらも一個の同じ母親であることがわかり、どちらも受けとめることができるようになります。よい部分も悪い部分も含めた対象とのトータルな関わり方を、「全体対象関係」と呼びます。  パーソナリティ障害の人の特徴は、部分対象関係の特性と大きくオーバーラップしていて、つまりパーソナリティ障害の人は部分対象関係に陥りやすいということができます。」ということで、私はまさにこの「部分対象関係」のままこの歳(今年53歳)まで生きてきてしまったわけです。いくら病気とはいえ、ときどきというかいつも自分のあまりの幼稚さにあきれてしまうのです。。。。(苦笑)

そして自分にとって一番つらい精神症状としてパニック障害がある。つまりパニック発作に襲われるわけである。これについては手持ちの薬をコントロールすることによって何とかしのいでいる。 あとまあ簡単に言えばウツであるが、ときどき躁もあるので要するに気分障害である。気分障害と言うと何かふざけているのかと言われそうだが、これは特にレキシンという薬がよく効いているようだ。 そしてもちろん心身ともに非常に影響が大きい、まあ俗称かもしれないがいわゆる精神衰弱である。これもなんとか薬を飲んでいる。 そしてこれらすべてを総合して、私は一応統合失調症ということになっている。


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二・二六事件(1936年2月26日~)

2月26日と聞いてまず思い浮かぶのは二・二六事件である。 勉強不足だが、以下ウィキペディアより。
「二・二六事件(ににろくじけん)は、1936年昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、日本陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件である。事件後しばらくは「不祥事件」「帝都不祥事件」とも呼ばれていた。」
という事件だった。 平成の今、まるで関係ないことは分ってはいるものの、同じような「維新」という政党が、一部か多くか知らないが国民の間で台頭しているらしい。まあそれ以上は書くまい。それこそ妄想だと言われるだけだろう。



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