目次
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CONTENTS
ゴールデンウィーク弾丸バックパッカー
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テーマ「旅で気づいた幸福論」
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ブータンで気づいた『幸せ』
光のギリシャ
幸福論(前編)
カオサン通りのB-BOYたち
旅先の変な日本語
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Brali Biz 「旅」×「ビジネス」 
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Brali Biz 「旅」×「ビジネス」 
旅で使えるスマホアプリ
旅で使えるスマホアプリ
情熱さえあれば不可能なことはない
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情熱さえあれば不可能なことはない(最終章)
Chibirockの旅はくせもの
Chibirockの旅はくせもの
HANGOVER in the WORLD
HANGOVER in the WORLD(キューバの酒)
旅人からの伝言 「特集 ヨーロッパ」
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ヨーロッパの秘境バルカン半島
プラハのサンタクロース
トホホな話
トホホな話
一本の糸で世界をつなぐチャリの旅
一本の糸で世界をつなぐチャリの旅
自炊派の手料理
自炊派の手料理「鶏肉の親子炒め」
エッセイたびたべ
エッセイたびたべ
アジア漂流日記
アジア漂流日記(創刊号の特集アジアからのスピンアウト企画)
アジア漂流日記(創刊号の特集アジアからのスピンアウト企画)
アジア漂流日記(創刊号の特集アジアからのスピンアウト企画)
世界の標識・アイコンコレクション
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作者・情報提供者一覧
作者・情報提供者一覧(Bralist)
編集後記
編集後記
次号予告
次号予告(2012年4月25日発行予定)
記事募集
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奥付
奥付

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情熱さえあれば不可能なことはない

情熱さえあれば不可能なことはない(最終章)

【五感五色、イタリアに惚れる】
 都市全体が生きた博物館のような国。僕は世界の3大港と呼ばれるナポリを訪れた。イタリアにあまり馴染みのない人々にとってナポリは3大港という事よりも、ピザの本場であるといった事のほうが、有名であろうか。
 海の香りを全身に受けながら街を歩き、一歩路地に入ると、次は一転して香ばしいチーズの香りに包まれる。本場で食べるピザは、味もさることながら、大きなピザ1枚が3ユーロと非常に安価だった。貧乏バックパッカーの僕にとって、安くお腹を満たせる食事は、旅の疲れを一気に吹き飛ばしてくれる活力剤になった。

 ナポリのピザを堪能したらならば、次にすることはイタリアの歴史を体験することだ。イタリアには「この国は先祖のおかげで食べている国である」というジョークが存在するほど、長い歴史と同じくらい多くの文化遺産が存在する。それはさながら、都市全体が生きている博物館のようだ。
 その中でもイタリアに来たら必ず行かなければならない所が3ヶ所ある。いつ水没するか分からないベネチア、いつ倒れるか分からないピサの斜塔、そしていつ爆発するかわからないヴェスヴィオ山のポンペイ遺跡である。ナポリから電車で40分のところにあるポンペイは、ヴェスヴィオ火山の大爆発で都市全体が火山灰に覆われてしまった悲運の都市だ。
 僕はヨーロッパを旅行中、イタリアに最も長く滞在したが、上品な町とおしゃべりな人々との絶妙な調和、山と海の完璧な組み合わせ、そして舌を魅了する千の味……イタリアを一言で定義することは難しい。イタリアはロマンと趣が込められた五感五色の都市だ。3ヶ月間のヨーロッパ旅行を終え、僕は中東に向かった。

【善良な人たちが住む国、中東】

[エジプトとの燃えるような出会い]
 エジプトといえば、思い浮かぶのはやっぱりピラミッドとスフィンクス。それは僕も例外ではなく、幼いころから本の中で見ていたピラミッドを間近で見ることが楽しみでしかたなかった。
 エジプトに来る前から、古代文明の美しさに魅かれていた僕は、カイロに到着するやいなや高鳴る鼓動を抑えることができず、三大ピラミッドのあるギザ地域で最も大きなクールワンウェイピラミッドに向かった。クールワンウェイピラミッドの前に立ったときのあの感動は今も忘れられない。その大きさときたら離れた場所で撮らないと写真に入れることも難しいほどで、ピラミッドの前に立った僕は本当に小さな「点」に過ぎなかった。ピラミッドにはじまり、エジプトはまさに常識を覆し、悪魔の誘惑のように好奇心をくすぐる魅力的な歴史の国だった。けれども、そのエジプトの旅で僕は旅行中最大の伏兵に出会った。それは殺人的な「暑さ」だ。

 滞在期間の短さに反比例するように、エジプトでは見たいものが多すぎた。僕は1日1日が惜しく、まるで戦争にでも行ったかのように蒸し暑い猛暑の中に身を投げ出してはボロボロになって帰ってくるという強行スケジュールを繰り返していた。
 そしてついに、体の異常信号が発動した。50度にも達する気温の中で頭が割れるように痛くなったのだ。次いで全身から力が抜け落ち、最後には僕は倒れ込んでしまった。結局僕は一日中ベッドで横になって弱々しく天井を見上げることしかできなかった。ベッドの上でオーストラリアからエジプトまで過去のスケジュールを振り返りながら、これまでの体の管理が疎かだったことを反省した。オーストラリアでの貧乏生活では健康に全く気を遣わず、インドとヨーロッパでは時間を節約するために、夜間列車やバスで背を丸くして寝るのが常だった。そんな生活を1年続けてきたのだから、これは当然の報いだ。僕はようやく、「健康な体」無しには、旅行の意味がないことに気づいた。

 それから僕は体を休めるため、思い切ってスケジュールを変え、エジプトの東の端、モーセの奇跡があるシナイ半島に位置するダハブへと向かった。ここならば体を休めるには最適だと思ったからだ。僕は3日間、ここで何も考えずによく食べてぐっすり眠った。平和、リラックス、自由という言葉がぴったり当てはまるところだった。この「休暇中の休暇」のおかげで、身も心もいっそう軽くなった僕は、次の目的地を目指すために地図を開いた。

 そして僕は今、中東に行く。色めがねを捨てて、中東の文化を感じる。
 「お前、頭おかしいんじゃないか?」 
 僕が中東に行くと言うと、友人たちからは口をそろえて
 「いつ再びテロが起きるか分からない危険なところに行くなんて、正気じゃない」
 と非難された。アフガニスタンで短期宣教を行ったプロテスタントたちが拉致され、多くの人々に衝撃を与えた事は、僕もよく知っている。けれども僕は、中東に関して僕達があまりにも偏った報道だけに接しているんじゃないかという気がしていた。中東には様々な国があり、複数の国を除いてはほとんどが安全な国だ。ヨーロッパとは違い、国家レベルで観光客を保護しているという点では、ある意味ヨーロッパよりも安全な場所に感じた。
 そして実際に、アフガニスタンやイラクのように旅行制限国に指定されたところ以外の国では、中東を訪れることは友人たちが言うほど危険なことではなかった。これはどこの国でも言えることだが、その国についての理解を持っていれば、他国というところはそれほど危険ではないのだ。

 僕はイスラム国家を旅してイスラム国家の心得を肌で学んだ。一つ目は、最も重要で敏感な宗教的な問題については細心の注意をすること。二つ目は、特に女性は服装に気を付けること。三つ目は、これは中東でもヨーロッパでも同じことで、「自分を守るのは自分しかいない」という責任を持つことだ。そして最後に、この世界旅行をするうえでも大切な事だが、ヨーロッパではヨーロピアン、インドではヒンドゥ、中東ではイスラム教徒になるという位の柔軟な姿勢で旅することが、旅を成功させるのだと感じた。
[ガラベーヤを着て、イスラム教徒になった日]
 どの大陸に行っても、僕が是非おすすめしたいのは「その国の伝統的な衣装を着る」ということだ。インドでも、中東でも、僕はその国の伝統的な衣装を買って着ることを好んだ。ヨーロッパを除いては、インド、エジプト、中東の伝統衣装は、非常に安く購入することができるし、伝統的な衣装を着るとなぜか地元の人たちに溶け込んだ感じがして、その国の人たちとすぐに親しくなることができた。もちろん持ち帰った服を着て韓国の明洞を歩いたものなら、蜂の襲撃のような人々の視線に刺されるような衣装が多かったのだけれど……。
 インドでは、オレンジの上着と黄色のズボンを着て街を歩き回った。派手な色彩使いに最初は抵抗を感じたけれど、なんとか羞恥心を捨て去ることが出来た。ところが、エジプトに到着してみると男性がロングスカートを着て街を歩いていた。スカートなんて……我が国で男がスカートを履くなんて行為は、見世物になること間違いなしの自殺行為だ。しかし、エジプトに来たからには郷に従おう、という気持ちで、ぼくは伝統的な衣装の一つである 「ガラベーヤgalabeya」を購入することにした。
 意外にも生まれて初めて着てみるスカートは、軽くて中がゆったりして本当に楽だった。さらに、伝統的な衣装を着たことによって地元の人たちとの新密度もぐっと高くなった。全人口の90%をイスラム教徒が占めているこの国で、ガラベーヤを着て街を歩くと誰もがより親切にしてくれて、どこに行っても注目を浴びた。時には、真っ黒に日焼けしてガラベーヤを着た僕に対して、中東の人々がアラビア語で話しかけてくることもあった。「韓国人です」と言うと "Korean no black!"とハニカミながらいたずらをする人々もいた。
 こうして僕がみてくれだけでもムスリムになった後に出会った中東の人々は、まるで天使だった。少なくとも僕が会った中東の人々の中に、メディアで伝えられるようなアルカイダとウサマ・ビン・ラーデンはいなかった。
 僕がいたずらで
 「不治の病にかかり、今は生涯最後の旅の途中なんです」
 と嘘を言うと、僕が弁解するよりも早く心からの祈りと食べ物を準備して、僕から涙を盗む人々。街で道を聞けば、10人中9人は目的地まで僕を連れて行ってくれようとしたし、短い出会いの中でも別れの時には僕の旅路の幸運を祈ってくれ、韓国人の僕につたない英語で"Good! Good! "と叫んでくれた、温かく素朴な人々。彼らのおかげで、僕にとって中東は一生忘れられない思い出の地になった。
 
 ガラベーヤを着てイスラム教徒のように過ごすと、イスラム教徒のしっかりした宗教信念に驚くことが沢山あった。どこへ行ってもイスラム教の祈りの部屋があり、常に多くの人々が額を床に付けて祈っていたし、長距離バスに乗って移動する際も、一日4回の祈りの時間になるとバスを止めて降り、地面にうつぶせになって神への祈りを捧げた。
 たまに好奇心旺盛な子供たちが女性の旅行客を叩いたり、スキンシップをしている時にも、
 「ハラール!(イスラム法で禁じられている物事を差す言葉)」
 と叫ぶと、遊び盛りの子供たちでさえも瞬時に動きを止める。しつこい客引きや嘘つきな店主にも
 「アナ・ムスリム(私はイスラム教徒です)」
 と言うと、態度が180度変わる。
 先にも記述したが、中東を理解するには、彼らの宗教、イスラムを先に知るべきだと思う。イスラム教徒にとって、宗教は人生の一部ではなく全てだ。自らの人生の方式を、すべて宗教に委ねている。僕は最初はこのような生き方が息苦しくて、非効率的に感じられたし、宗教のために異文化の遺跡を壊して戦って血を流すことを理解できなかった。もちろんこれらのことは、宗教を問わず過激派と呼ばれる団体によって行われているのだけれど、これまで世界各国を旅する中で、特に僕は宗教遺跡に多く触れてきた。

 ローマに立ち寄った際、世界最大の地下墓地とカタコンベ遺跡を訪れた後、心が本当に重くなる経験をした。暗い土の中で音もなく迫害の刃を受けた人々の苦痛がそのまま埋まっていたからだ。トルコのカッパドキアにも、迫害を避けて逃げてきた人々が暮らしていた、何千もの奇岩の洞窟に創られた修道院が残っている。宗教的信念のために洞窟の中に隠れて住んでいた人々の姿を想像すると、とても残念な気持ちになった。

 あえて昔の歴史を持ち出さなくとも、現在もアフリカや中東の内戦の宗教が絡んだ戦争がある。イスラエルを訪れた事のある旅行者たちは、シリア、レバノンをはじめ、ほとんどの中東諸国に入国することができないことを知っているだろう。本来、宗教は人々にとって心の安息所のようなものだと思う。けれど、その心の安息所のために生活や命が脅かされている状況に胸が痛い。宗教が美しい世界のためにやらなければならないことは、本当に多い。

 いつかそう遠くない未来、キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンドゥ教、皆がお互いに理解して新しい文化を作り、文化遺跡を前に 「アッサラーム・ レイクム (平和を祈ります)」と挨拶することができたらどんなに良いだろう。そんな日が早く来ることを願って、僕は祈りを捧げた。

[先入観から自由になる]
 中東を旅した後、一番記憶に残っているのは壮大な古代遺跡でも、信念の強いイスラム教徒でもない。どこでも笑顔で迎えてくれた暖かさあふれる人々と、冷たいフルーツジュースを飲みながら吸ったシーシャ(水たばこ)が一番忘れられない。常に40度前後もある気候のせいか、フルーツジュースを売っている店を街のあちこちで簡単に見つけることができた。
 シーシャは僕たちが考えているタバコとは全く違う。水の入ったガラス瓶にホースが差しこんであり、炭で熱された煙草の葉の煙を、ガラス瓶の中の水を通し吸うので、あまり煙たくもない。味も一般的なタバコとは違って、リンゴ、イチゴ、ココナッツなどさまざまな種類があり、甘いタバコといった感じで、性別を問わず多くの旅行者が楽しむ中東文化の代表的名物だ。特にカフェでフルーツジュース一杯とシーシャをくわえるのは、地元の若者と親しくなるにはおススメで、ぼくはシーシャの魅力にすっかり取りつかれ、1日に3~4時間はカフェに座って過ごすのが日課になっていた。
 そのためだろうか? 中東を思い浮かべると、「安らぎ」という言葉が一番先に浮び上がる。危険だ危険だと言われる中東が、僕にとって最も"武装解除"できる安らぎの大陸だった。
 旅をし、肌で感じたイスラム文明には、未開と言われるようなことも、暴力的なことも何もなかった。問題は、硬く固まってしまった僕の先入観にあった。僕たちが簡単に情報を得られる映画やテレビ番組では、イスラムの人々は常にいつ爆発するか分からない時限爆弾のような描写をされる。そのため、 「中東=イスラム=テロ」というイメージが、まるで公式のように頭の中にインプットされているのだ。インドに行った時にも、 「インドは瞑想と思索に溢れた気品ある人々の国」という先入観を持っていったため、あまりにギャップのある 「本物のインド」を受け入れるのは大変なことだった。けれども、ずっと(こんなはずじゃなかった。これは僕が思い描いていたインドじゃない!!)と本物のインドを頑なに拒否して自分勝手に風景を歪曲していては、せっかくの旅が台無しになってしまう。旅に出るときに一番最初にすべきことは、「先入観から自由になること」だと思う。自分の色めがねを外せば、旅行は新しい発見の連続だ!

【エピローグ そうして変わったもの】
 皆さんが考える世界旅行と言えば、どんなものだろうか。一概に言えないのかもしれないが、綿密な計画とたくさんのお金がいると考える人が多いと思う。けれど、僕の世界旅行にはそれらが決して、必要というわけではなかった。僕は莫大な財産も、有り余った時間も持っていなかったのだから。
 世界を旅するうえで、自分自身を前へと進めるのは、ほんの少しのお金と、たくさんの汗。そしてその汗を流すことを厭わない情熱だ。僕の様に、財布がいっぱいになるのを待たなくたって、いくらでも旅の中で自給自足して世界に飛び出すことはできる。僕はここにそれを証明したかった。

 旅を通じ、出会った人たちの人生に触れて、僕自身の人生に対する考え方も変化し始めた。以前の僕は、「どうすれば他の人よりも成功出来るだろう?」ということばかりを考えていた気がする。けれど、他人と競い合って得る、自分一人だけの成功に、一体どれだけの意味があるのだろう。人生は誰かと共に生きた時、より美しく輝くのだ。
 そして、旅から戻った僕は、「旅の中で共に生き、そして大きすぎる愛をくれた人々に恩返しがしたい」と心から望んでいた。そしてそんな僕にチャンスが訪れた。
 僕の旅行記に興味を持った出版社から出版依頼が来たのだ。依頼が来た当初は、「果たして僕に本を書くことができるのだろうか?」という不安という名の葛藤もあった。けれど、「世界から僕が受けた愛で、今度は僕がを世界を愛したい」という願いを叶えるにはとてもいいチャンスだった。印税を全額寄付するという形だったけれど、今の僕にできる精一杯の愛しかただった。
 この世界旅行以降、僕の人生は180度変わった。旅行作家、TV、講演講師、ラジオMC、レポーター、人間国宝とアメリカでの公演など新たな分野での活動の道が僕の前に拓かれていった。
 1年365日、決して短いとは言えない時間を僕は僕のために投資した。最初に僕が80万ウォンを持って世界旅行に行くと言ったとき、親友はみな
 「何を馬鹿なことを考えているんだ」
 と、僕の浅はかさを非難した。親友たちの言葉は間違いではなかった。本来ならば、学生時代には大学進学のために、大学進学後は、就職のためにこそ、努力と情熱を注がなければならないのだ。そしてそれは至極、正しいことで、人が社会を築くために必要なことだった。けれど、それによって諦めなければならない夢を、僕は諦めきれなかったのだ。それによって僕は同年代の友達より大学への復学が遅れ、世間で重要視されている「人より良いスペック」も得る事はできなかった。けれど、僕のなかに後悔の気持ちはない。一歩ずつではあるけれど、僕は確実に夢へと近づいていっているのだ。僕の人生はこれからがスタートだ。

 13歳の頃の幼き世界旅行では、僕はただただ、世界の美しさに感慨していた。世界の圧倒的な広さと美しさに、翻弄されるように僕は旅をしていたのだ。けれども今回の世界旅行では、ただ翻弄されるだけではなかった。「世界は美しいけれど、美しくならなければならない事の方が多い」ということを知った。世界には1回の食事に数十万円を使う人たちもいたけれど、家族全員が一日中働いて稼ぐお金がわずか20円の人たちもいた。美しさとはなんだろうか。世界の求める、なろうとしている美しさとは。13歳の頃に感じた、茫漠とした世界の美しさが、今回の旅行で、少しだけ僕の中で形どられた気がした。

 世界旅行から2年、今僕は日本で新たな挑戦の途中にいる。韓国と日本は過去と未来が共存した、最も近くて遠い隣人だと思う。日本と韓国を含め、これから世界が互いに手を取り合う、地球が国境のないひとつの国となる事が僕の目指す未来だ。この未来にたどり着く過程の中で、僕は自分の役割を見つけるために努力している。
 僕は常に世の中に挑戦し、学び、そして不確実で保証はなくても、意味があると思える日には全力で進んでいきたい。そして、この時間こそが、僕の人生の方向を決めるであろうことを信じている。

 バチカン大聖堂のミケランジェロの天井画の前で誰かが僕に言った。
 「人生は速度ではなく、方向だ」
 ちょっと遅くても良さそうだ。その遅さが、僕が生きたい人生の方向を探した時間ならば、世界で何よりも大切な時間だから。

 最後まで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。
ジョンサングン - 立命館アジア太平洋大学4回生
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