目次
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CONTENTS
ゴールデンウィーク弾丸バックパッカー
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テーマ「旅で気づいた幸福論」
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ブータンで気づいた『幸せ』
光のギリシャ
幸福論(前編)
カオサン通りのB-BOYたち
旅先の変な日本語
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Brali Biz 「旅」×「ビジネス」 
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Brali Biz 「旅」×「ビジネス」 
旅で使えるスマホアプリ
旅で使えるスマホアプリ
情熱さえあれば不可能なことはない
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情熱さえあれば不可能なことはない(最終章)
Chibirockの旅はくせもの
Chibirockの旅はくせもの
HANGOVER in the WORLD
HANGOVER in the WORLD(キューバの酒)
旅人からの伝言 「特集 ヨーロッパ」
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ヨーロッパの秘境バルカン半島
プラハのサンタクロース
トホホな話
トホホな話
一本の糸で世界をつなぐチャリの旅
一本の糸で世界をつなぐチャリの旅
自炊派の手料理
自炊派の手料理「鶏肉の親子炒め」
エッセイたびたべ
エッセイたびたべ
アジア漂流日記
アジア漂流日記(創刊号の特集アジアからのスピンアウト企画)
アジア漂流日記(創刊号の特集アジアからのスピンアウト企画)
アジア漂流日記(創刊号の特集アジアからのスピンアウト企画)
世界の標識・アイコンコレクション
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作者・情報提供者一覧
作者・情報提供者一覧(Bralist)
編集後記
編集後記
次号予告
次号予告(2012年4月25日発行予定)
記事募集
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奥付
奥付

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テーマ「旅で気づいた幸福論」

ブータンで気づいた『幸せ』

■Writer&Photographer
ワールドハッカー
■Age
31歳
■Profile
元バックパッカー、現在は職業ハッカー。
ブログ『World Hacks!』にて海外旅行関連の情報を毎日発信しています。


ブータンで気づいた『幸せ』

 「幸せ」とは何か?ということを掴むために、2009年夏、ブータンに行ってきた。
 ブータンでは、2005年の国勢調査で97%の国民が「幸せ」と回答したことでも知られており、「幸せ」という抽象的な感情の実態を知るには最適な場所と考えた。

 旅の目的としては2つ。
 ブータン国民が感じる「幸せの要素」を自分なりに把握・理解すること。そして、その要素を自分自身に取り入れることにより、胸を張って「幸せだ!」と言えるようになるためのヒントを得ること。
 結果から言わせていただくと、2つの目的は達成できた。その内容について『国』『思想』『生活』という3つの観点で説明させていただく。

『国』
 ブータンは、中国とインドに挟まれた人口約70万人の小さな国。第4代国王が提唱した「国民総幸福量 (GNH)」という概念のもと国が統治されている。その概念は「持続可能で公平な社会経済活動」「環境保護」「文化の推進」「良き統治」という4本柱で構成されており、さらにそれらが9分野72指標により事細かく策定されているということらしい。このようなしっかりした生活の基盤が国民の「幸せ」につながっているのではという印象を受けた。
 具体的には、「教育・医療が無料」といった生活直結の事項や、「持続可能な開発」「環境保護」など国策で長期的に継続できるような国作りがされているといった事項などが挙げられる。これらのことから、ブータン国民としては、現状の生活に対する不満、また将来に対する不安感はあまり感じられないのではないか。と気づきがあった。
『思想』
 ブータンは、チベット仏教を国教としている。旅をしていて、ブータン国民の信仰心が厚いということは嫌というほどよく分かった。マニ車、ダルシンなど、徳を積むためのものが生活にとけ込んでおり、家にも一番良い場所に仏間があったりする。
 チベット仏教には様々な教えがあるのだろうが、現地でブータン人と話していて『足るを知る』という思想が浸透していることを感じた。「今を満ち足りた状態とし、現状に不満を持たない。そして、己の身の程を知り、多くを求めない」という思想。「人間の欲望は際限が無い」とよく言われる。この欲望を断ち切ること、これが重要なのではないかと気づかされた。
 チベット仏教法王のダライ・ラマ14世もこのような言葉を残している。「もしあなたが質素に暮らしていれば、きっと充足感を得られるでしょう。シンプルでいることは、幸せでいるために非常に重要なことなのです」
『生活』
 「幸福の国」と言われるものは作られたもので、実際はウソなんじゃないか? と、疑い深い私は頭のどこかでそう思っていた。そんな私が出会ったブータン人にした質問が2つ。
・あなたは幸せですか?
・ブータン人の90%以上の人が「幸せ」と言っているというが、それは本当だと思いますか?
 そしてその回答は、両方とも"YES"。話を聞いた感じでは、どうやら本心で言っているようだ。
 しかし、なぜ、彼ら彼女らはそのように感じているのか?10日程度の短期間では幸せの要素はなかなか見えてきそうにない。そんな旅も終わりに差し掛かった頃、民家にホームステイする機会があり、そこで気づきがあった。
 ホームステイ先はブータンの標準的な農家。3世代が和気あいあいとしていて非常に仲がよい。私もその家族の一人のように迎えられた。食事中にワイワイ会話をしながら、世界一辛いと言われるブータン料理のエマダツィ(唐辛子のチーズ和え)を食べている。さすがに毎日食べているとはいえ、唐辛子は辛いらしく、ヒーヒー言いながら食べている。
 この光景を見た時、小学生の頃に見た、TVドラマの「裸の大将」のワンシーンがフラッシュバックした。
 それは裸の大将がカレーを食べながら、離婚間際の夫妻とその子に対して、「カ、カレーを食べる時、こんな風にみんなでスプーンでお皿をカチャカチャ鳴らせながら、家族全員で食事をするのが、し、幸せなんだなぁ……」というシーンであった。(その後、その夫婦は離婚を思いとどまったのは言うまでもない)
 日本から遠く離れたブータンで裸の大将のワンシーンを思い出すのも変な話であるが、その家族全員で唐辛子を食べながらヒーヒー言っている姿がそのシーンにオーバーラップした。
 「幸せ」は既に目の前にあった。むしろ自分もその中にいた。それに気づくか気づかないの違いだった。

 以上、これらの気づきからブータン人の「幸せの要素」を掴むことができた。今後はこれら幸せの要素をヒントに以下のように日々を送りたいと思う。
 「安定した心の状態を維持するための安定した生活基盤を築く!その中で『足るを知る』という思想のもと、自分を取り囲むすべてに感謝しながら生活する!」

 世界一幸福と言われるブータンの公用語であるゾンカ語には「幸せ」という単語は存在しないようです。「幸せ」はブータン人にとって当たり前すぎるのでしょうか。「幸せ」とはまだまだ奥が深いようです。


光のギリシャ

■Writer&Photographer
96 Happy World Journey ゆーじ & ありさ
■Age
30歳代
■Profile
2010年3月から夫婦で世界一周へ。2011年10月帰国。ホームページでは旅の日記、写真、動画、特集ページなどを通して、地球の美しさと旅のワクワクを発信中。
96Happy World Journey 
http://96happyworldjourney.web.fc2.com/


光のギリシャ

 観光シーズン真っ盛りの8月のギリシャで、エーゲ海の島々を巡った。
 夏のギリシャは、島全体が幸せに溢れているように見えた。
 夕暮れ時に、夕陽だけを求めて人々が集まる感じ。安いワインを囲んで、近所のおじちゃんたちがいつまでもしゃべっている感じ。朝陽にキラキラと輝く海の感じ。
 そこで目の前に広がっていたものは、「幸せ」以外の何ものでもなかった。

 きっと、人が幸せを感じるのは、人と人の間にほんわかと存在する愛情を感じる時や、美しいもので心が満たされた時だろう。そういう意味で、ギリシャの島は、美しいもので溢れいていて、人と人との繋がりが密で、幸せを感じやすい場所なのだ。
 エーゲ海に浮かぶ島々は、昼間、まぶしいくらい光に包まれている。島を囲むのは、宝石のように輝く碧い海。小路の角には、ピンクや白のブーゲンビリアが咲き、島をかわいらしく彩っている。
 目に入るものすべてが美しく、暑すぎない気候は心地よく、まるで光の中を歩いているような、夢のような感覚に陥る。
 どんなに多くの観光客が細い路地を行き来しようとも、島全体を包むゆったりとした空気は変わらない。
 猫が塀の上で日光浴をし、ロバがチリンチリンと心地よい鈴を鳴らして坂を登り、波一つない海上では船が白い航跡を残しながらゆっくりと進む。ギリシャの太陽が、誰をも華やいだ気持ちにさせる。気の向くままに島を歩くうちに、心がしっとりと落ち着いてくる。

 陽が傾き始めると、それまで町のいろいろな場所でそれぞれの時間を過ごしていた人たちが、当たり前のように移動して大集合し、ひとつのものをわくわくしながら待つ。人々の顔も家々の壁の色も、少しずつそれと同じ色に染まっていく。地平線上にぼんやりとオレンジ色のもやのような光を残して、それが姿を消すと、島は暗がりの中へ。

 毎日、島中の人々が決まって夕陽に魅了され、美しいもので心を満たして夜を迎える。
 次の日は、また、まぶしい光の世界。太陽が昇り、沈む限り、この美しい営みはいつまでも繰り返されるだろう。
 しばらくすると、レストランやホテルの電気が燈り始める。賑やかなディナータイムの始まり。
 食堂には、近所のおじさんたちがたむろして、松脂ワインとおつまみで、いつまでも話し込んでいる。おばさんたちは、たいてい小太りで、たくましく食堂を切り盛りしている。
 島のおばあさん達は、黒服の人が多い。ギリシャの女性は未亡人になると、亡き人を想いながら黒服で余生を過ごすそうだ。
 島々に滞在している間、何度も何度も美しさに心が満たされた。そして、何度も何度も人と人の間に存在する愛情を感じた。
 ギリシャの島々は、「幸せ」をはっきり目にすることができる不思議な場所だ。

 ギリシャの人々自身が「幸せ」を感じているかどうか調査した、面白いランキングがある。「幸福度」を測るランキングは様々あるけれど、この調査は、シンプルに「あなたは個人的に自分の人生はハッピーですか?」という質問に答えるもの。
 財政危機が叫ばれるギリシャだが、2011年8月にドイツの財団が欧州13カ国、1万5千人を対象に調査した結果、デンマークに続いてギリシャは第2位、80%もの人が「幸せ」だと答えた。一方、経済優等生のドイツは下から3番目、61%の人しか「幸せ」と回答しなかったそうだ。
 この調査結果から、国家経済と個人の感じる「幸せ」は違うんだということが分かる。ドイツ人と国民性が似ていると言われる日本では、「自分の人生が幸せである」と即答する人はどれくらいいるだろうか。

 日本に帰国して、ある時ふと夕暮れ時の空を見て、あまりの美しさにびっくりした。日本にいると、ついつい経済的生産性を優先してしまうけれど、ふと夕陽を見てみたり、しばらく会っていない友達に連絡してみたりするだけで、ちょっと幸せになれる。
 ギリシャみたいに、光いっぱいとはいかなくても、毎日の生活の中で、小さな幸せを積み重ねていきたいなと思う。


幸福度調査の出典:Foundation for Future Studies ホームページ
http://www.stiftungfuerzukunftsfragen.de/nc/en/news/news/article/daenen-sind-die-gluecklichsten-europaeer.html






幸福論(前編)

鈴木モト 
男性 静岡県出身。高校時代、陸上でインターハイ出場。ベストタイム10秒84(100M)
美容師免許、管理美容師免許取得。
MIXIコミュニティー、「鈴木の書く世界一周旅行記が好きだ」2800人突破。
現在、一眼レフカメラ片手に世界を放浪中。
ブログ「地球の迷い方。~世界放浪編~」


幸福論(前編)

 「ちょっとベトナムに行ってくる! 」と言って、旅立って行った知り合いが数多くいる。

 日本から手軽に行ける国ベトナム。人気のベトナム。バイクの多いベトナム。

 俺は今から約3年前に……、南北に長いベトナムを、約一ヶ月かけ縦断した。
  

 ベトナムのラオカイ国境では、職員の女性に60ドル騙し取られ泣きそうになり、
ホーチミンでは、バイクに乗った強盗に、一眼レフカメラをひったくられ、天を仰いだ。


 だが……、日本を出たばかりの俺にとって、
ベトナム縦断の旅は、刺激に満ちた大冒険だった。
さまざまな出来事があり、数多くのドラマがあった。

 『何処の町が一番良かったか?』

 1ヶ月間をフルに使い、さまざまな町を訪れたが……、
一番良かった町は何処だったかと聞かれれば、
俺は真っ先に「サパ!!」と答えるだろう。

ある思い出深い出来事があった「1日」に的を絞って、
詳しく書いていきたいと思う。


 それでは……、その思い出深い日となった、2009年の3月13日に、
時計の針を巻き戻してみたいと思う。



 《サパでのある1日》 


※ベトナムの事を書いていますが、
ラオスやミャンマーの写真も何点か混ざってます。ご了承下さい。 


 2009年3月13日……、この日……、目を覚まし時計に目をやると、既にAM10時だった。

 ベットから起き上がり、伸びをする。

 木で作られた窓に目をやるが、ホテルが隣接されているせいで、
隣の建物の壁しか見えない。

 窓から陽射しが入ってこないので、
質素な部屋の中が、より一層寂しく見えた。

 少しだけ開いている窓から、
子供達の声や、道行く人の話し声が聞こえてきた。
 外は活気づいている様だ。


 シャワー室に入り、着古した服を脱ぐ。


 6分を過ぎると温水が出なくなる、
素晴らしいシャワーを急いで浴び、
俺はカメラ片手に、1泊5ドルのホテルを飛び出した。


 ホテルの外に出ると……、薄暗い部屋の中とはうって変わり、
強い日差しがサパの町を照り付けていた。

 空気は少し冷たいが……、思っていたよりも、陽射しが強い。

 俺はトレーナーを脱ぎ、腰に巻くと、
太陽の陽射しを正面に浴びながら、宿の前の坂道をのんびりと登った。


 さて今日は……、ちょっと遠くに存在する、
ライチャウという、少数民族が暮らす村まで、歩いて行ってみようか。


 坂道を登りきり、
人の往来が多いサパの市場に入った。市場は相変わらず活気があった。


 屋台の出店の上に積まれた、カラフルな野菜達を、
地元の主婦らしき人が、じっくりと品定めをしながら、カゴの中に入れている。

 そのすぐ横では、赤や紺色の衣装を身にまとった少数民族達が、手作りの衣装を並べ、
道行く人に声をかけていた。

 そしてそのすぐ横では、大きなカメラを持った観光客が、
少数民族達をカメラに収めている。

 カメラを向けられた少数民族達は、「アクセサリー見てってよ! 」と言う様に、
観光客に猛烈に営業をかける。


 サパでは……、地元民と少数民族と観光客が共存している所が、何とも面白い。
 
 豚の生首や、犬の姿焼きが置かれている肉屋を横目で見ながら、
細い路地裏に入る。

 まだ解体されたばかりなのだろうか。生臭い血の匂いが立ち込めてる。

 肉を買い漁る主婦らしき人を横目で見ながら、足早に通り過ぎた。


 市場を抜け……、ホテルやゲストハウスが並ぶゆるい下り坂を、早足で下っていく。

 今日は天気が良く、見晴らしが良い。 トレッキングには最適だ。


 サパの町をはずれ、5分程歩くと、家々が急に少なくなり出した。

 さらに10分程歩くと、美しい段々畑や、緑いっぱいの山々が姿を現した。
 
 サパは小さな町だ。町から少し歩いただけで、この様な絶景が姿を現す。

 そして、道路の真ん中を、牛や豚がのっしのっしと我が物顔で歩き、
山の斜面に作られた段々畑の中を、水牛やにわとりが自由に歩く。

 日本を出て、まだ2ヶ月目の俺にとって……、
こういった景色や動物達の存在が新鮮で、見ていて胸が躍る。


 途中、のどが渇いたので古い売店に寄り、
ペプシとポテチを買い、大きな木の下のベンチに、ドカっと座った。

 汗を拭い、ペプシを開ける。

 木の上から鳥の鳴き声が聞こえ、
遠くの小学校から、子供達の歌声が風に乗ってやってきた。

 日差しは相変わらず強いが、風も無く、気持ちがいい。
 何だか幸せな気分になりながら、ペプシで喉を潤す。

 ベンチに座って、こうしてサパの景色をのんびりと楽しんでいると……、
数ヶ月前の日本で働いていた日々と、全く違った毎日を送っているなと、
改めて感じてしまう。


 旅に出て……、時間の流れ方が随分変わったと思う。

 嫌な仕事を任された時や、つまらない授業を受けていた時は、
1時間がとても長く感じた。 そして1日が長かった。


 でも旅に出てから……、
朝目を覚ましてから、夜ベットに入るまでが、とても短く感じる様になった。
 1日1日がとても短く感じるのに、日本を出発した2ヶ月前が、
遠い過去の出来事に感じるから不思議だ。それはおそらく……、
日本を出てからの2ヶ月の間に、さまざまな出来事があったせいだと思う。
 きっと、思い出す出来事が多いから、日本を出発した日が遠い過去に感じるのだろう。


 そして……、旅に出て、最初は戸惑った。


 出発前の日本では……、仕事の他に週6でバイトをし、本当に忙しかった。
 遊びの予定も入れたいから、仕事とバイトの合間に、無理やり遊びの予定を入れていた。
 暇な時間は全く無かった。

 でも旅に出たその日から、
やらなければならない予定が無くなった。
 誰かと会う約束も無ければ、こなさなければならない仕事も無い。


 携帯電話も手放したものだから、旅に出た当初は生活の変化に戸惑った。

 だが……、何かに縛られる事が無くなったのが、本当に嬉しかった。
 それだけで、旅に出た意味があった気がした。

 ペプシを置き、ポテチの封を開ける。


 そしてここサパは、沢山の子供が、元気に走り周っている。
 子供の数が本当に多いと思う。

  

 子だくさんのサパの家族。サパでは子供でも、重要な働き手になるからだろう。

 畑仕事を手伝ったり、山に薪を拾いに行ったり、水汲みをしたり、家事を手伝ったりと……、
子供でも重要な働き手となる。
 それに……、サパの町に多くいる観光客相手に、
服やアクセサリーを売りつける事だって出来る。

 小さなかわいい子供に、目をキラキラさせながらアクセサリーを勧められたら、
人はついつい買ってしまいたくなるものだ。


 現に俺も数日前に……、

 現に俺も数日前に……、

 5歳と11歳の民族衣装を着た、二人組のかわいらしい姉妹から、
ついついアクセサリーを買ってしまった。

 確か名前は、イェンとリンと言ったか。

 アクセサリーを買ってあげた後、5歳のイェンという小さな少女が、
ヒョコヒョコ俺の後を着いて来た。

 イェンは、歯が生え変わる時期なのだろう……。
 にこっと笑うと、前歯が無いのがチラリと見えて、何とも可愛らしかった。

 英語が出来る11歳のお姉ちゃんのリンと、つたない英語で話しながら歩き、
俺の宿の前でさらに30分ほど話した。


 印象的だったのが……、


お姉ちゃんのリンは、学校に行ってないと言っていたが、英語が話せた。

 俺なんかよりも英語が断然上手かった。
 おそらく独学で学んだんだろう。感心した。

 俺のリュックのポケットに、茶色の水性ペンが入っていたので、
紙切れにイェンの似顔を書いてやった。

 それを見ていたリンは、自分の左手を差し出して、
『私の手に何か書いて』と言ってきた。

 俺はリンの左手をつかみ、水性のサインペンで、
彼女の名前を漢字で書いてやったり、自分の名前を英語で書いてやったりした。

 リンの左手が落書きだらけになった。


 俺もリンに何か書いてもらおうと思い、リンにサインペンを渡し、
『俺にも何か書いて!』と手を出してお願いすると、
リンは困惑した表情になった。

 そしてリンは少し申し訳なさそうに、
『私……文字が書けないの……』と言った。


 俺は軽い衝撃を受けた。

 リンは、俺よりも英語が出来るのに、文字を知らない。

 自分の中で当たり前だと思っていた事が、1つ崩れていった気がした。


 その後、デジカメで日本の写真を見せてやったり、動画を撮って遊んだりした後、
また会おうと言って握手をして別れた。

 イェンとリンの姉妹は、今日も頑張ってアクセサリーを売っているのだろか?


 ペプシを飲み干し、ベンチから腰をあげる。


 景色に見とれながら進んでいくと、
木陰で、民族衣装を着た人達が、ウロウロしていた。

 とりあえず、「ライチャウ」の村はどの方角か聞いてみよう。


 声をかけようと、近づいて行くと……、
小さな子供が1人、もの凄いスピードで突進してきた。
 そして俺の足にしがみ付いて来た。


『……あれ……?!?』


 俺の足にしがみ付いてきた子供の顔を覗き込むと、
見覚えのある顔だ。


 子供は俺を見上げ、にこっと口を開けて笑った。
 前歯が数本無いのがチラリと見えた。

『おー!イェン!! 』


 思わずそう叫んでしまった。


 ふと顔をあげると、
イェンの後ろにお姉ちゃんのリンもいる。

 数日前に会ったばかりだが、懐かしく感じるから不思議だ。

 お姉ちゃんのリンの背中には、小さな赤ん坊がおんぶされていた。
 赤ん坊は、スヤスヤと涎を垂らし、気持ち良さそうに眠っている。


『リメンバーミー?(私の事覚えてる?)』


 リンはにこっと笑いながら、俺に話しかけてきた。

 俺の足にしがみ付いているイェンは、不思議そうな顔で俺を見上げている。


『覚えてるよ~!オフコース!! 』


 俺がそう言うと、リンは少し嬉しそうに笑った。

 しっかり者の11歳のリンと、やんちゃな5歳のイェン。
 かわいらしい姉妹だったので、忘れるわけが無い。


『リンは今から何処行くの??Where going?? 』

 俺がそう尋ねると、リンは山の方を指差し、『Back to home! (家にかえるよ~)』と言った。

 イェンとリンは、これから家に帰るところらしい。


 少数民族のイェンとリン。


 二人の家はどんな家なのだろうか?
 どんな暮らしをしているのだろうか?とても興味がある。


 そう思った瞬間、『うちに遊びにおいでよ!! 』と誘ってくれた。


 俺はテンションが上がり、即答でOKすると……、
イェンが、キャーキャー言いながら走り出した。

 とりあえず……ちびっ子のイェンについて行く俺。
 そして俺の後ろに、赤ん坊を背負ったリンがついて来る。


 今日は、ライチャウの村までトレッキングでもしようと思っていたが、
ライチャウの村は明日行けばいい。時間はある。



 サパの日差しに目を細めながら、ゆるい下り坂を歩いていると……、
俺の前をちょこまか走っていたイェンが、俺の元に走り寄ってきた。

 手には何か握られている。イェンからそれを受け取けとる。



『何だこれ……?? 』


 俺は振り返り、後ろを歩いているリン姉ちゃんに、
『この草、食べられるのか』と尋ねると、真剣な顔で『NO! 』と言われた。



 するとまたイェンが駆け寄ってきた。
 今度は雑草では無く、花を摘んできてくれたらしい。
 無邪気でかわいいやつだ。


 イェンは、前方を見て『キャー』と奇声を発すると、
今度は凄いスピードで走り出した。

 前方には5歳前後の子供が、こちらを見て立っている。


 イェンはその子供と、一言二言会話を交わすと、
一人でゲラゲラ笑いながら道路を転がり始めた。

 かなり激しく転がっている。

 それをみたイェンの友達も、道路を転がりだした。
 ゲラゲラ笑いながら、かなり激しく転がっている。

 全身泥だらけになる2人。何だか微笑ましい光景だ。



 15分程歩いただろうか……。

 前方を走っていたイェンは、舗装されたアスファルトの道からそれて、
土の道へと入って行った。

 この先にイェンとリンの家があるのだろうか?
 俺はワクワクしながら、山の道へ入って行った。


 足元にいた小さな野良犬をかわすと、今度は豚の子供がいた。


 そして豚の子供の群れの先には、ニワトリの群れもいた。
 何だか動物園みたいだ。笑

 ひよこ達はピヨピヨ鳴きながら、親鳥の後を必死で追いかけている。

 サパの村は、人と動物がうまく共存している気がするが、
昔の日本もこうだったのだろうか?


 土の道を少し下ると、木で出来たシンプルな作りの、掘っ立て小屋の家々が見えてきた。

 掘っ立て小屋の前には、チンチン丸出しの子供たちが、
不思議そうな顔で俺を眺めている。

 この小さな村に、日本人が来る事が珍しいのだろうか?

 とりあえず村の子供達に手を振って、イェンの後を追う。


『あれが私の家よ』


 俺の後ろを歩くリンがそう言った。

 リンが指す方向に目を向けると、一軒の小さな掘っ立て小屋が見えた。
 イェンが、その中に入って行くのが見える。


 あれが二人が生活する家か。少数民族のイェンとリンが暮らす家なのか。

 俺は……はやる気持ちを抑えきれずに、走り出した。


『……おお……』


 掘っ立て小屋に足を踏み入れると、俺は思わず声を出してしまった。



≪次回に続く≫


カオサン通りのB-BOYたち

■Writer&Photographer
田中美咲
■Age
23歳
■Profile
少しでも多くの人が幸せになるよう、人の幸せに全身で貢献したい。
対話のプロになって、そんな人を少しでも多くしたい。
渋谷で働くバックパッカー、1988年8月26日生まれ,A型。
バックパック旅(213日6大陸10旅24カ国59都市)/瞑想修行(Vipassana)/前世はインドの姫/ヨガ/コーチング/ゲストハウス


カオサン通りのB-BOYたち

 毎年タイに行ってはカオサン通りの安宿に泊まる。いろんな国を旅していると、なんだか一人がさみしくなる時があって、カオサンに来ればほとんどもうみんな知り合いなので日本に帰ってきたかのように安心する。その中でも朝から晩までよく一緒にいるのが、クラブの前でよく踊っているダンサーの子たちだ。
 大学生の時、バングラディッシュやミャンマー、インドあたりを旅して帰国するまで残った時間をタイのバンコクでぼーっと何にもせず過ごしていたことがある(追記:いや、今思うとアジア圏を旅する時は毎回だ。動き回る時と沈没する時をわけて旅をしているんだと思う)。
 3年位前に初めて、いわゆる「沈没」したのだが、その時に出会ったのが彼らだった。昼に起きて、10バーツラーメンを食べて、同じゲストハウスの人たちと散歩して、屋台のフルーツ食べて、カオサンにいるネパール人のお店でなぜか店番して、夜はカオサンから歩いて20分くらいにあるタイの女子大生に教えてもらったパッタイがおいしいお店に行って、お風呂入って、23時半くらいにカオサン通りの裏道に行くと、彼らがダンスの自主練をしているのに出会う。
 彼らは23時くらいからカオサンの近くの公園でダンスの練習をして、24時くらいからカオサン通りにあるクラブ・レストランの前で踊る。それも雨にもマケズ、風にもマケズ、毎日踊っていた。私は暇だったからずっと彼らのダンスを毎日見に行ったし、彼らも私がいることがあたりまえになっていた。
 時間が経つにつれて彼らは心を開いてくれたのか、私をダンスの練習や打ち上げにも連れて行ってくれたり、バスの始発がくるまでみんなで大騒ぎしたりもした。大体彼らが「女の子は払わなくていいよ」と言って、私は1銭(いや、1バーツ)も払わないで毎日をただ彼らと踊りながら暮らして、踊りながら寝る生活が続いた。そんなことをタイに行っては必ずといっていいほどやって暮らしている。(今も)
 しかし、日本に帰ってふと我に返った時、「あのダンサーたちは毎日働いていないし、チップなんて1日1人30バーツくらいだし、将来大丈夫なのかな?」と、なんだか不安というか、大丈夫なのかなと気になってきた。一緒に遊んでいる時は将来のこととか、未来のことは何一つ考えなかったけれど、私自身がもうすぐ社会人になる頃だったので無性に気になり始めたのだ。
 今は良くても、これから家族ができた時に必要なお金や、体力的にダンスが踊れなくなった時に貯金がなかったら生きていけないし、今でさえ儲かっているわけじゃないので、タイの情勢や環境が変わってダンスが出来なくなったらどうするんだろうと、ネガティブに考えれば生活するのも一苦労な状態だと思った。
 ダンサーの中には小学生くらいの子も何人かいるので、学業の面でも心配になる。最低限のことを知っていないと、何か犯罪に巻き込まれた時や、新しく仕事をしようにもタイ語を書けなかったり、間違った情報だけで過ごしていくのは怖いと感じた。

 Facebookやskypeで日本にいても連絡を毎日取っていたので、単刀直入に、
「将来の夢は?」
「これから5,10年後とか何したいの?」
「今の彼女とは結婚を考えてるの?」
「生活費ってどうしてるの?」
「働けなくなってからのお金ってどうするつもりなの?」
 など、ごりごり聞いた。通じてないなーと思ったことは、タイに行って聞いてきたりもした。すると、こんな回答が返ってきた。(※タイ語でのやり取りを、私が日本語に訳しています。)
 「僕らはダンスが好きだからこうして毎晩踊るんだ。お金なんていらない。ダンスを続けるための飲み物とカオサンまでのバス代さえあればいい。将来?そんなの考えないよ。今はダンスがしたいからダンスをする。いつか他の事をしたくなったらそっちをする。お金が欲しかったら働けばいい。でも今は、踊れなくなるまでダンスを踊り続けるよ」
 「日本人は本当幸せじゃなさそうだよねー。毎日好きなことを我慢して、わからない未来のためにお金稼ぐんでしょ?今死んだらどうすんの?後悔するでしょ?まだ僕たち若いんだからさ、20代の間は好きなこと思いっきりした方がいいんじゃない?30歳くらいからなんかあったら働いたらいいじゃん」
 納得できる部分も多い。考えさせられた。

 実際、日本で出勤ラッシュの時間に乗る東急東横線には、この子たちのように目を輝かせていたり、満面の笑顔の人はほとんど見かけない。渋谷を歩いていても、笑っている人はいても、なんだか目に芯があって、幸せを感じながら継続的に笑顔でいられるものではないような気がする。作り笑顔というのだろうか。
 日本の人たちの顔や生活や仕事を見ていると、こうしてタイで、今だけを見て生きるという幸せの創り方もあるんだなと思った。賛否両論あるとは思うが、ストレス社会で鬱になったり、自殺が多い部分の日本を見ると、彼らの生き方と幸せの感じ方は今の日本にはない大切な「幸せのあり方」なのかなとも思う。

 彼らの生活にもかなりのデメリットはあるが、いつかのお金を貯めるために自分の身を削る、そんなデメリットだけを見た時に、どちらも変わらないのであれば「今幸せであること」を考えた生き方をしてもいいんじゃないかと思う。
 いつ死ぬかわからない、予想もつかない人生なら、自分が幸せであれる状態を選択していくべきだと思った。