目次

閉じる


 ――あぁ、最悪。
「寒っ……!」
 私は思わずそう言って、ぶるりと体を震わせた。冬の夜、暗い道に人気はない。
 先程までは、駅前の商店街にいた。人混みのど真ん中からほんの十分やそこら歩いただけなのに、もう人っ子一人いない。その事が、少しだけ可笑しかった。明るい場所に集まる、人々のこんな習性は、虫が光に誘われるのと、同じようなものなのかも知れない。
 クリスマスが終わって流石に浮かれモードは過ぎ去ったかと思いきや、一息吐く暇もなく今度はセールだ、新年だと騒ぎ出す。日本とは全く、忙しない国なのだ。
 はぁっと大きく息を吐いた。吐息は一瞬で凍り付いて、白くなって、けれどまた空中に消えていく。
 夜空は雲一つなく、ぽっかりと半分の月が浮かんでいる。天気が良かろうが悪かろうが、冬が寒いのには変わりがない。そういえば、数日前のクリスマスでは、関東でもちらほらと雪が降ったらしい。
 残念ながら私は、家に引き籠もって一日ごろごろしていただけだったのだけれど。
「…………」
 嫌な事を思い出した。
 私はざかざかと、足早に歩き続けた。自分でも、不機嫌な顔をしているだろうというのが判る。きっと、今の私はとても不細工だ。
 元々、そんなに可愛い顔をしている訳じゃないけどさ。
 着ている赤色のワンピースは、裾が真っ白なフリルで縁取られている。ダッフルコートはダークグレイ、タイツの上に履いた暗い茶を基調にしたカラーボーダーのニーハイ、この紫のパンプスだって。
 全部全部、クリスマスの為に新調したものだったのに。
 クリスマスの予定が流れたから、今日会おうって、だから新しい服を、せっかく着て来たのに。
 メイクだって気合いを入れた。
 いつもは流しっ放しの髪だって、不器用ながら纏めて来た。
 一人、姿見の前で馬鹿みたいに何度も何度も前から後ろから確認して、それで。
 本当、馬鹿みたい。
 台なしだ。
 何もかも、全部。
「……何で来ないんだよ、馬鹿」
 今日は――本当は、その前のクリスマスだってそうだったのだが――、恋人とのデートの予定だった。だから約束の時間に駅前に行って、それで。
 十分過ぎても、これくらいは普通だろうと気にしなかった。
 三十分過ぎても、そんな事もあるかも知れないと思っていた。
 一時間過ぎたら、何かあったのかと心配になった。
 二時間待っても、結局恋人は姿を見せずに、連絡もないまま。 
 新しく開店して行きたいと私が騒いでいた、駅前のレストランに行こうって、予約してあるって、誘ってきたのはそちらだろうに。
 この前の埋め合わせじゃなかったのかよ。クリスマスの朝に、急遽バイトが入ったと電話してきた憎い男の顔を思い浮かべる。
 待ち合わせが地元の駅だったから良かった。もう、さっさと帰ろう。帰って、慣れない服は脱いで、お風呂に入って、日付が変わるよりも前に寝て仕舞おう。
「連絡の一つくらい、しろっつの……!」
 慣れないヒールのパンプスで、肩を怒らせながらずかずかと歩いていたのが悪いのだろうか。
 特に何に躓いた訳でもなく、曲がり角の手前で私はがくりとバランスを崩した。
「きゃっ……!」
 女みたいな――いやいや、私は女だが――悲鳴を上げて、まともに倒れ込む。油断していたからだろう、盛大に素っ転ぶ破目になった。
「いった……」
 強く打ち付けた膝が、じんじんと痛む。この分ではニーハイが無事かも判らない。もう、この暗い中で確認する元気もなかった。
 あまりに無様な自分に、笑いすら出てこない。
「ちくしょう……」
 地面に這うような体勢のまま、私は暫くぷるぷると震えていた。動くだけの気力をどうにか掻き集めようとしても、すぐに寒さの中に散って仕舞う。
 どうしよう、泣きそうだ。
 実際に視界がぼやけた気がする。
 気合いの入った格好の女が、四つん這いで固まっていたら、その光景は随分と奇異なものに見えただろう。危うく同情と嘲笑の的にされるところだった。周囲に人がいない事に、私は深く感謝した。
 けれどそんな事をしたって、状況は変わらないのだ。
「……寒い」
 ぼそり、呟く。
 寒いし。
 痛いし。
 情けないし。
 本当に。
 最悪だ。
 本当に、最悪。
「本当に……」
 本当に、心底、疑いの余地もなく、これ以上ないくらい。
「最っ悪!」
 叫びながら、私は勢いよく身を起こした。
 ――ら、子供と眼が合った。
 T字路の、道路を挟んだ向かい側。何故だか知らないが、電柱に寄り添うように、一人の子供が座り込んでいた。
 年は八歳か、九歳か。豪く薄着で、見ているこちらが寒くなりそうな格好の少年だった――とそこまで冷静に観察して、私ははっと我に返った。
 そういう私は今、どんな格好をしているのだろう。
 高校二年生で、彼みたいな年頃の子供からしてみれば大人と殆ど違いなどないだろう、自分が?
「…………!」
 本当に、最悪だ!
 私は慌てて立ち上がった。体全体をぱたぱたと手で払う。雨が降っていなくて良かった――乱れているだろう髪を何度か撫で付けて、私は再び電柱の足下を見た。
 先程と変わらず、子供はそこにいた。きょとんとした顔で、私の奇行を眺めていたらしい。恥ずかしさで一気に顔に血が集まるのを自覚しながら、何度か深呼吸を繰り返す。
 熱くなった頬を冷たい手で数回軽く叩いて、私はそろそろと少年に近寄った。
「ご、ごめん、驚かせたかな?」
 話し掛けながら、狼狽えて仕舞う。こんな年頃の子供と話した経験なんて、あまりないのだ。
 子供はゆっくりと顔を上げ、まじまじと見詰めてきた。そろそろ私が居心地悪くなってきた頃に、ようやく口を開く。
「こんばんは、お姉ちゃん」
「こんばんは」
 反射的に挨拶を返す。愛らしいが、ぽそぽそと聞き取り辛い声だった。
 更に近付いて、横に並ぶ。少年が大変そうにこちらを見上げていたので、私はすとんと腰を下ろした。
 電柱の横に二人並んでしゃがみ込みながら、内心首を傾げる。何をしているのだろう、自分は。
「嫌な事があったの?」
 問うてきた彼に、とんでもない場面を見られていた事を思い出した。今更誤魔化しても何の意味もない気がして、力なく頷く。
「うん、ちょっとね」
 いや、ちょっとじゃなくて大分なんだけど。
 ふと気付いて、私は少年の肩に自分のコートを貸してやった。当然、自分が寒い思いをする事になるが、彼の姿はあまりに寒々し過ぎる。
 少年は瞬いた。
「……ありがと」
「うん、良いよ」
 言って、一息吐く。それからぽつぽつと、私は話し出した。
「今日、誕生日なんだ」
「……お姉ちゃんが?」
「そう、お姉ちゃんが」
 こっくりと頷く。今日、十二月二十八日は私の誕生日なのだ。クリスマスとも年賀とも、一緒くたにされたりされなかったりな、何とも微妙な日。それでも一応、私にとって意味のある日である事は間違いない。
 ……本当は今頃、彼氏といる筈だったのに。
「おめでとう、お姉ちゃん」
「有り難う、優しいね」
 また泣きそうなのを堪えて、私はなんとか微笑んだ。
「実は私、彼氏がいるんだけどね」
「うん」
 気付けば、そんな風に話し出していた。少年は不審そうな顔もせずに、聞き役に回ってくれた。
「今日、待ってても来なくてさ」
「うん」
「クリスマスも、約束すっぽかされたし」
「……うん」
 ちらっと少年を見下ろして、私は少しだけ驚いた。その横顔が、酷く大人びたものだったからだ。
 それから、子供相手に愚痴ろうとしている自分の幼さにちょっと赤面した。けれどまぁ良いかと開き直る。人間、恥は掻き捨てだ。
 ぽつぽつと、私は喋り出した。
「高校に入学して、一年の時からクラスが一緒の奴でね。私は男勝りだったから、中学の時に彼氏なんて出来た事なくて、高校で新しく出来た友人達が楽しげに話している恋愛事も、どうにも現実味がなくて。今の彼氏にだって、元は興味なんて――。あぁ、そうか、文化祭だ。在り来たりだけどね、実行委員会で一緒になって、最初は役に立たないあいつを叱り飛ばしてばかりで、どちらかといえば嫌っていた――嫌っていたっていうより、軽蔑していたってのが正しいかな。軽蔑って、意味、判る? ――ま、そんなだから当然、折り合いは悪かったんだけど……途中で私が、手を怪我してね。怪我っつっても、大した傷じゃないよ? 花瓶を落として、割って仕舞って……あぁでも、けっこう血は出てたかも。だけど取り敢えず片付けなきゃって、治療より先にガラスを拾おうとして。そうしたら、物凄い勢いで怒られたんだ。女の子なのに痕が残ったらどうするんだ、治療が最優先だろって。片付けは俺がやっておくから、さっさと保健室に行けって。そりゃあ、豪い剣幕だったな。へらへらふざけてるところしか知らなかったから、声も出ないくらい驚いたよ。クラスで作業中だったから、教室中の注目の的だったしね。後にも先にも、あんなに怒鳴り散らすあいつはあの時以外に見た事がない。――私が怪我してからは、ちょくちょく仕事を手伝ってくれるようになってね。重いものを持とうとした時とか、今まで全くやろうとしなかった事務作業も――まぁ、そっちは気休め程度だったけど。それまで女の子扱いなんて殆どされた事がなかったもんだから、随分と気恥ずかしかったな。文化祭は可もなく不可もなく、そこそこで終わったんだけど、その後も、数週間で築かれた関係は何となく続いて。少なくとも、他の男子よりも飛び抜けて親しかったのは事実だろう。色々世話になったのは事実だから、バレンタインにはチョコをやったりして。でも別に、春休みに遊びに行くとかはなくて……多分、二年でも同じクラスにならなければ、そのまま自然に関わらなくなっていただろうな。けど、何の偶然かまたクラスメイトになって、一年の頃と同じように過ごした。告白されたのは、夏休みの前だったかな……。大した切っ掛けがあった訳じゃない。本人としても、何と言うか……そう、思わずぽろっと零れたとか、そんな感じだった。夏休みは、何回か遊んだな。文化祭では、今回は特に役職にはつかなくて、体育祭も、私は運動が苦手だから……あいつは、楽しんでたみたいだけど。それで、冬休みになって……恋人になって、初めてのクリスマスなんだ。……初めての、クリスマスなんだぞ! だってのに何だ、あいつは!」
 一気に語っていたらふつふつと怒りが沸いてきて、私はぎりぎりと歯を噛み締めた。
「当日の朝になって、『ごめん』だ? 『バイトが入った』だぁ!? ――馬鹿にするのも大概にしろよ、クソッ!」
 ヒートアップする私は、横からの静かな視線にはっと我に返った。
「……わ、悪い」
「ううん、大丈夫」
 無邪気な顔で、彼は首を振った。若干、気まずい。
 近くに寄り掛かるものはない。私は後ろの髪が地面に付くかも知れないと思いながらも、後ろに重心をずらして体を傾けた。それこそ子供っぽい仕草だっただろう。
 少年は動く様子もなく、静かにそんな私を見守っている。
「……阿呆らし」
 はぁっと溜め息を吐くと、彼はにこにこと笑った。何でか嬉しそうだ。
「好きなんだね」
「は?」
「好きなんだね、彼氏さんの事。そんなに、会いたいくらい」
 幼さ故のあまりに真っ直ぐな言葉に、私はちょっと言葉を失った。念入りに整えた髪型も気にせず、ぐしゃぐしゃと髪を掻き毟る。
 今更何を取り繕っても、無駄だろう。
「……あぁ、そうだな」
 諦めて、笑う。
「好きだ。……好きだよ、馬鹿みたいに」
 今日も、この前も、きっとやんごとなき事情があったのだろう。それは、理解している。浮気を疑った事もない。私の恋人はちょっと心配になるくらいにお馬鹿さんで、だから多分、浮気なんて思い付きもしないのだ。
 本当に仕方なかったんだろうって、判ってるって。
「……それとこれとは、別なんだけどさ」
「そうなの?」
「そうなの」
 大真面目な顔で言ってやった。少年はよく判らないような顔のまま、ふうんとだけ返した。
 それから唐突に、ぱっと笑う。雲が流れて、太陽が姿を見せた時みたいだった。
「僕もね、いるよ。大好きって人」
「ほほう、生意気だな」
 そんな言葉で先を促してやると、少年は嬉しそうな顔のまま。
「お父さんと、お母さん!」
 この年頃の子供って、こんなものだろうか。私は大人の顔をして、ふむふむと頷いてやる。
「そうか、それは良いね」
 それから、ふと気付いた。既に時刻は二十一時に近い。
 全く、今更ながら。
 こんな場所で、何をやっているのだろう――この子は。一人で、こんな薄着で?
「……寒いね」
「うん、寒いね」
「よし、じゃあ――」
 立ち上がる。少年に微笑み掛けながら、私は言った。
「帰ろうよ。家はどこ? お姉さんが送ってあげよう」
 子供は差し出した私の手を取って立ち上がり、私達は並んで歩き出す――筈だった。
 しかし、私の思ったようにはならなかった。彼は何故か私の手を見上げたまま、ふるふると首を振ったのだ。
「ううん、駄目だよ」
「……どうして?」
「僕、ここから動けないんだ」
 何を言っているのだろう、この子は。
 小さな子供だ、無理矢理連れて行く事も出来ただろう。暫し考えて、私はそれを却下した。誘拐犯に間違われるのはごめん被るし、家を教えて貰えなければ元の場所に戻すしかない。まぁ、私の家に連れて行っても良いけどさ。
 私は、一番確実な方法を選ぶ事にした。駅前まで戻れば、交番がある。
 子供を見下ろす。この中で一人にするのは不安だったが、彼は動きそうになかった。
「……仕方ないな。そのコート、まだ貸しとくよ。ちょっと待ってて――」
「聖夜!」
 聞き慣れた声で、聞き慣れた名を呼ばれて、私は驚いて振り向いた。
 聖夜。それは私の名前だ。クリスマスも過ぎているのに外しまくった、ふざけた、けれど実は密かに気に入っている――。
 そして鼓膜を震わせた声も、私は知っていた。
「お前……」
「悪い、遅れた! 携帯も充電切れるし……今、コンビニで充電器買って来たけど」
 近付くなり平謝りに謝る彼は、間違えようのない、私の恋人である少年だった。
 驚いて、反応が遅れた。数回呼吸を繰り返して、自分を落ち着かせる。
「……いや、そうじゃなくて。――何で、ここが判ったんだ?」
 付き合って半年経つが、降りる駅の違う自分達は、実はまだお互いの家を知らない。だから今日は地元に誘って、その後でも、送らせる序でにさんざ突いてくる家族に紹介しようって、それで。
 首を傾げる私に、相手こそが不思議そうな顔をした。
「へ? 駅からの道順、教えてくれたじゃん。メールで――。漸く携帯使えるって時に、ちょうど来て」
 何ですと?
「……あっ携帯――」
 そういえば、コートのポケットに突っ込みっ放しだった、ような。
 がばっと少年を振り返ると、彼は悪戯っぽい表情で、ひらひらと携帯を振っていた。
「君……!」
「お姉さん、優しくしてくれたから。お礼」
 それ以前の問題だろう!
「……聖夜」
 子供を叱り付けようとした私はしかし、恋人に呼ばれて仕方なく彼に視線を戻した。彼氏は緊張したような面持ちで、鞄の中を探っている。
 やがてその手に握られて出てきたのは、可愛らしくラッピングされた小さな箱で。
「これ……本当は、もっと良いタイミングで渡す心算だったんだけど。遅れちまったし、今からどっか行くには微妙だし……だからせめてこれだけでも渡そうと、思って」
「……え?」
 思わず声を上げた私に、彼は真っ赤な顔で。
「誕生日、おめでとう。……クリスマスとか、今日も……その、ごめん」
「……って、まさか、私へのプレゼントを買う為に――?」
 冬休みに入ってからこちら、彼が毎日のようにバイトをしていたのを知っている。実家暮らしの身で、金のかかる遊びをする訳でもないのに、何をそんなに必死になっているのかと、呆れてさえいたのだが。
 まさか。
 そんな。
 無言で頷かれて、自分の顔も一気に赤くなるのが判った。
 どうしよう。
 恥ずかしい。
 けれど、どうしようもなく――どうしようもなく、嬉しい。
 馬鹿みたいに、二人して赤くなって、黙りこくる。それからややあって、私は口を開いた。
「……ぁ」
 色々な感情で声が震えそうになって、慌てて唇を湿らせる。
「あり、がとう……」
「……うん」
 満足げに頷かれて、私は居た堪れなくなって視線を逸らした。そういえば、と彼氏が首を傾げる。
「こんなところで、何してたの? 一人で突っ立って」
「……え? 一人って、何言って――」
 不思議な少年を紹介しようと、私は電柱の下に視線を向けた。そうして今度こそ、私は言葉を失った。
 いない。
 先程まで確かにそこにいた筈の、小さくて貧相でとても寒そうな、何故だか大人びた眼をした少年は、影も形も見当たらなくなっていた。
 ただ私の貸したコートと、少年が勝手に使ったらしい携帯だけが、地面に無造作に落ちている。
「嘘……」
「――ありがと」
 動揺する私に、どこからか子供の声が届く。
「人に優しくして貰ったの、生まれて初めてなんだ。……凄く、嬉しかった」
 それは、私の空耳であったのかも知れない。事実彼氏は何の反応もしていないから、彼には聞こえなかったのだろう。
 けれどもう、私にはどちらでも構わなかった。
 数歩戻って、そっと、携帯とコートを拾い上げる。
 コートには今の今まで誰かが着ていたみたいな、仄かな温もりが残っていた。

この本の内容は以上です。


読者登録

伽藍さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について