目次
はじめに
嶋戸悠祐
自己紹介 嶋戸悠祐
六つの檻 1
六つの檻 2
六つの檻 3
六つの檻 4
六つの檻 5
六つの檻 6
六つの檻 7
六つの檻 8
六つの檻 9
齊藤想(サイトー)
自己紹介 齊藤 想(サイトー)
『オオカミと少年』  イソップ寓話 『嘘を付く子供』(『オオカミ少年』) より
『アリとキリギリス』  イソップ寓話『アリとキリギリス』より
『北風と太陽』  イソップ寓話『北風と太陽』より
カミツキレイニー
自己紹介 カミツキレイニー
【赤ずきん喫茶】
【うんこの話】
【冬オズ】
いづみみなみ
自己紹介 いづみみなみ
赤ずきんちゃん 1
赤ずきんちゃん 2
赤ずきんちゃん 3
赤ずきんちゃん 4
赤ずきんちゃん 5
まるたん
自己紹介 まるたん
八川克也
自己紹介 八川克也
ダンシング・リム 1
ダンシング・リム 2
ダンシング・リム 3
ダンシング・リム 4
ダンシング・リム 5
井上裕之
自己紹介 井上裕之
R大学民俗舞踊愛好部設立前史 1
R大学民俗舞踊愛好部設立前史 2
R大学民俗舞踊愛好部設立前史 3
R大学民俗舞踊愛好部設立前史 4
R大学民俗舞踊愛好部設立前史 5
R大学民俗舞踊愛好部設立前史 6
平渡敏
自己紹介 平渡敏
『アンデルセン童話による3つの変奏』
『北風と太陽』
『本』
一田和樹
自己紹介 一田和樹
昏倒少女 1
昏倒少女 2
昏倒少女 3

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ダンシング・リム 3

「いや……しかし、たぶん彼女は大荒れだろうから、フォロー、頼むよ」
「……はい」
 水村も苦笑しながら答える。
 さっきのアポの電話で、すでに気が重くなっていた。八つ当たりで何かを投げつけられそうな勢いだった。
 肩をすくめて、水村は大山の席を離れた。

 

「そんなに待てるわけないじゃない!」
 水村が帰ってから、ダンススタジオで蓮華は吐き捨てた。
「みんな、また一段とうまくなってた……。私だけ一回り遅れるわけにはいかないのよ」
 しかし、水村も言っていた。必要なのは時間だと。結局のところ、データの蓄積がものを言うのだ。
「どうしよう……」
 床に座り込み、膝に顔をうずめながら蓮華は独りごちた。誰か。誰か、何か。
 ふと、入院中に来た一人の男のことを思い出した。小さな義肢のベンチャー企業をしていると言っていた。『私どもの会社は直接義肢を提供することはできませんが、メンテナンスなどの相談は個別でお受けできますよ』……。
 バッグをあさり、名刺を取り出して電話をした。男が出て、場所を告げるとすぐ来ると言って電話は切れた。
 蓮華は男が来るまで躍ることにした。
 もう夕方だ。スタジオには夕日が入り、薄暗くなり始めている。しかし蓮華は明かりをつけずに踊ることにした。そんな気持ちだったのだ。明るい中でより、暗い中で踊るほうが、今の気持ちにぴったりだと思った。
 本来はペアと踊る。しかし今日は水村が来る日だったから、ペアの男性は呼んでない。普段はドレスで隠れ、はだけても精巧な人工皮膚で覆われる義肢も、データを取るときだけは金属をむき出しにしなくてはならない。蓮華はそれが嫌で、メンテナンスの日は一人でステップの練習を繰り返していた。
 日が沈み、暗い影となってスタジオで踊っていると、不意に明かりがついた。
 入り口を見ると、男性が立っている。
「どうかされましたか。弊社でお役に立てることがあれば、なんなりとお手伝いしますよ」
 大山や水村とは違う、少し怪しい雰囲気のする笑顔を見ると、蓮華はむしろ頼りになるのではないかと感じた。

 

 すでに二回、定期メンテナンスの訪問を断られていた。
「一応、体調不良ということになっているんですが」
 水村の言葉に、大山は顔をしかめた。
「代わりの日程は」
「都合の良い日を聞くのですが、どうも流されてしまう感じで」
「モニター契約でこちらの定期的なメンテナンスを受けてもらうことにはなってるからな」
「申し訳ないんですが、大山さんから一度連絡してみていただけませんか」
「わかった、今から連絡してみよう」
 大山が電話を取り上げたとき、ソリューション課の社員が小走りでやってきた。
「大山さん、あ、水村さんも、動画、見られました?」
 大山と水村は顔を見合わせる。
「何の」
「蓮華さんのです、共有動画サイトに蓮華さんのダンス動画がアップされてるんです。たぶんいつものスタジオでしょうけど、この間の大会の動きとは比べ物にならないほどうまくなってるんです」
 大山は急いでサイトにアクセスし、動画を再生させる。水村も覗き込む。
 この間の大会と同じ曲、同じペアだ。しかしあのときのような無様なステップではない。
 流れるようにたおやかな動き。計算されつくした足捌き。
 思わずほう、と声が漏れてしまうほどのダンスだ。足を失う以前の蓮華よりうまくなっているかもしれない。
「どういうことだ」
 動画の最後には、ちらりと4U社の義肢を映している。事故前の映像ではないと言うことだ。
 大山は手にしていた電話で蓮華に掛ける。コールは鳴るものの、出そうな気配はない。
「直接行こう。水村くん、大丈夫か」
「はい、メンテナンスPCだけ持ってきます」
 水村は席に向かい、大山は壁のコートを手に取る。
 面倒なことにならなければいいが。どちらもそう思った。
『契約違反――法務が出てくるほどになると面倒だな』
『あれはACAIリムの動きじゃない。何が起きたんだ』

 

 男の言葉に嘘はなかった。
 スタジオの中で、蓮華は滑らか、かつ大胆にステップを踏んだ。一連の動作が終わったタイミングで、入り口のドアが開いた。
「あら、大山さん、水村さん」


ダンシング・リム 4

「ご自宅でこちらと伺ったもので」
 蓮華の笑顔とは対照的に、大山と水村の表情はこわばっている。
「すみません、連絡もせずに。でも、どうです、きちんと踊れてますよね、私」
「その件で、お話を」
 大山はスレートPCを指し示す。蓮華の動画だ。
「この動画、なぜアップされました? 広報はわれわれの仕事です。勝手なことをされては困ります」
「でも、4U社を悪く言うようなものじゃないわ」
「何をされたんです、ACAIリムに。あれほど急激にAIの学習結果が反映されることはないはずです」
 水村も前に出る。
「それにメンテナンスを断られていたのはなぜです? ――いえ、今さら何でも良いです。とりあえず、データを取らせていただけますね」
「お断りします」
 予想しない言葉に、大山も水村も動きを止めて蓮華の顔を見た。蓮華はにこやかなまま、しかし断固と言い放った。
「今、別の業者の方にメンテナンスを依頼しています。私の足をここまで踊れるようにしていただいたのは、その業者の方です。モニター契約も、違約金を払って修正させていただきたいと思います」

 

 大山も水村も対応に追われた。
 その間も蓮華は自らのダンス動画をアップし続け、健在をアピールした。動画では4U社に触れなくなっていた。
 メディアの取材は、蓮華側はノーコメントを通し、4U社もあいまいな受け答えでかわし続けた。
 しかし二週間が経ち、4U社の社内で対応方針が決まったころ、蓮華は突然動画のアップを中止した。
 まずは動画のアップを止めさせることを目的にした対応は出端をくじかれ、数日の猶予が設けられた。蓮華側から何らかのアクションがあるのではないかと思われたからだ。
 果たして、大山に連絡が入った。いつも通り、大山は外線の電話を取った。
「はい、4U社です」
『ご無沙汰してます、蓮華です』
「蓮華さん?」
『すみません、一度お会いしたいのですが……』
 蓮華の声は、少し前に会ったときとはまるで違い、覇気がなかった。それでいて、はっ、はっ、と息を切らしたような小さな息継ぎが聞こえる。大山はいぶかりながら承諾する。
「わかりました、ご自宅へ伺えばよろしいですか」
『いえ……済みませんが練習スタジオのほうに』
 それで電話は切れた。
 大山と水村はスタジオに向かった。社用車を運転しながら、水村は大山に尋ねる。
「息を切らしてたんですか? 踊りながら電話してきたってことですかね」
「そもそもそんなことをする意味がわからん」
「ACAIリムは有効に使ってるから契約違反じゃない、みたいなことをアピールしていたとか」
「まさか。何にしても、きちんと連絡が付いた以上、会社としては今後の契約の形態――破棄なのか変更なのか、改めて確認することになるな」
 スタジオの前では、蓮華の母親が待っていた。げっそりとしたやつれ具合に、二人ともぎょっとした。
「大山さん、ご足労ありがとうございます……」
「お世話になってます。蓮華さんは中ですか」
「ええ、はい……娘を助けてくださいぃ」
 大山は急に母親にすがりつかれ、戸惑った。
「ちょっと、どうされました」
「罰が当たったんです、でも娘はちょっと天狗になっただけなんです、どうか助けて……」
 大山は母親をなだめながらスタジオに入った。

 

 そこには踊る蓮華がいた。
 いや、どう見てもその動きは『踊らされて』いた。勢い良くステップを踏む下半身とは対照的に、上半身は脱力し、ただなすがままに振り回されていた。

 

「……大山さん、水村さん、来ていただけたんですね」
「蓮華さん……どうされました。どこか座って――」


ダンシング・リム 5

「座れないんです」
 蓮華は顔をゆがめた。
「足が止まらないんです。足が勝手にステップを踏むんです」
「――ACAIが?」
 水村はうなった。
「原理的には……神経接続してるし、フィードバック機構があるから大腿二頭筋やぎりぎり大殿筋まで逆制御できなくはないが……AIは基本チップレベルで禁止してるはず」
「蓮華はだまされたんですよぉ、だからやめておけって私は言ったのに……」
 泣き崩れる母親を見たせいか、逆に蓮華は少し落ち着いた。
「ごめんなさい、私……別の業者にメンテナンスを頼んだって言ってましたよね。その業者の人が、『そもそもAIに覚えさせればいいんですよ』って」
 言いながらも、蓮華は踊り続ける。
「『完璧なステップをAIに教え込みましょう、蓮華さんは力を抜いて足が動くように動けば大丈夫です』……あまり深く考えませんでした。その人は義肢の中をいじり、ケーブルをつないで何かやってました。『制限チップもはずしましたし、プログラムも上書きしました。後はいくつかステップのデータを取って、修正しながら書き込むだけです』」
 踊りながら一気にしゃべったせいか、蓮華は少し口を閉じた。はっ、はっ、と息継ぎと、母親のすすり泣きだけが聞こえる。
「それから、何度か曲ごとにデータを取りました。それを修正して、完璧に踊りこなして撮ったのがあの動画です」
「違法改造だ!」
 水村は声を上げた。
「何でそんなことを。データの蓄積が全てパーだ! いや、そんなことより」
「水村さん、足を止めてください……」
「逆制御をかけたってことは神経接続が……足の神経が焼き切れて……」
 水村はしぼり出すように言葉を出す。それを聞いて、蓮華は寂しそうに笑った。
「痛いんです、義肢をくっつけてるところが。だからそうかなって。ちゃんと自分で踊らなくちゃだめだったんですね。足に踊ってもらえばいいだなんて、何でそんなこと思っちゃったんだろ」
 大山が、母親の手をとって立ち上がらせた。
「お母さん、手伝ってください。蓮華さんを寝かせて、押さえましょう。水村くん、義肢の切り離しはできるか」
「できます。できますが……プログラムも書き換えられてるので神経接続が止められないかと。強制切断は……」
「お願いします、痛くても我慢しますから」
「……わかりました」
 暴れる下半身を押さえ込むのは容易ではなかったが、どうにか蓮華をうつぶせに寝かせ、水村はかかとの人工皮膚を切り裂いた。小さなスイッチボックスを開けると、ジャンパースイッチが三つ並んでいた。
「強制切断します。激痛だと思いますが……」
「わかりました」
「ジャンパーは各足ごとに三つです。それぞれ三回、我慢してください。それでは抜きます」
 プライヤでスイッチを挟み、水村は一気に引き抜いた。

 

 動きを止めた足を取り外す。人工皮膚で覆われたそれは、まるで切断された本物の足の様でもあった。踊り続けた、足。
 蓮華が、
「なんだか足だけが独りでまた踊り出しそう……」
 とつぶやいたが、もちろんそんなことはなかった。

 

 *

 

 4U社は、次世代義肢のモニター実験について、全体的には成功だが解決すべき問題点が多いとして商品化のスケジュールを先延ばしした。蓮華の結果について、いくつかの事実は公表され、またいくつかは隠蔽された。
 蓮華は義肢の接続に関する外科手術を改めて受け、通常の自律義肢をつけることになった。もちろんダンスを踊るには機能不足だし、足の神経も回復するまで何年も要するだろう。競技ダンスは引退するしかなかった。
「でもいいの、私、ダンススクールを開くわ」
 自律義肢の調整で最後の訪問になった日、蓮華は大山と水村に話した。
「できるだけ格安で。ボランティアでもいいんだけど、他に仕事ができるかわからないもの」
 蓮華は二人を笑顔で見送り、母親はぺこぺこと頭を下げ続けた。
 帰りの社用車で、大山はずっと思っていたことを水村に話した。
「なあ水村くん、技術部長に進言してくれ、ACAIの名前を変えようって」
「何でです」
「気にならんか? ACAI――赤い、って読めるんだぞ。今回のこともあるし――」
「もしかして童話の『赤い靴』ですか? 結構ひどい話の」
「技術部はどうでもいいだろうが、営業しづらい」
「たまたまなんですけどね……」
 大山はイメージの問題を説き、水村は非科学的な上に靴じゃないことを主張し、二人は4U社へと戻っていった。


自己紹介 井上裕之

井上です。前回に引き続き参加させて頂きました。
前回はSFマガジン リーダーズ・ストーリィの選評作を中心に、既作のみで構成しました。
公開後に同アンソロジーが好評だと聞き、どうせなら新作を書き下ろすべきだったと悔やんだものでした。
第2弾となる今回は、童話を元にした物語というテーマでしたので、そんな都合の良いストックを持ち合わせていない自分は、こころおきなく新作に取りかかることができました(笑)。

 

このお話のベースは浦島太郎です。
アンソロジーの公開が2月ということで、憧れのキャンパスでの新生活に向けて頑張る受験生へ、自分なりのメッセージを込めたつもりです。
親元を離れて初めての一人暮らし、しかも数年後に帰郷することを前提とした新生活というのは、浦島太郎が竜宮城で過ごした日々と通じるものがあるような気がしてなりません。卒業し、地元へ戻ってきた際の安堵感と、同時に沸き立つ一抹の寂しさ。思い返せば夢のようだった学生生活、そして外の世界を知って初めて感じる、これまで慣れ親しんできたはずの地元と自分との間に生じたギャップ。……などというこじつけのくだりは、書き上げてからでっち上げました。すみません。

 

主にSFマガジン リーダーズ・ストーリィに投稿しています。入選15回。
昨年より一田さんの影響でTwitter小説を始めました。そのうちの1本が、学習研究社より刊行された「3.11 心に残る140字の物語」に集録されています。どこでどう繋がるか分かりません。面白いものですね。

 

ブログ Kinako-Nejiri

リンクフリーです。Twitterのフォロー共々、お気軽にどうぞ。


R大学民俗舞踊愛好部設立前史 1

 以下に記す内容は、R大学民俗舞踊愛好部の設立に関するあらましである。創設メンバーであるU氏の回想を軸に他のサークルメンバーからの証言を補足し、電子書籍として纏められた資料としては初のものとなる。なお、昨今における個人情報保護の流れに則り、一部匿名を用いていることを予めご了承願いたい。
 R大学民俗舞踊愛好部の歴史は今を遡ること30年、当時現役高校生であったU氏が同大学の門を叩いたことから始まる。

 

 U氏には悩みがあった。他ならぬ、進路にまつわるエトセトラである。
 2月、当年18の齢を重ねていたU氏は高校生活最後の春休みを迎えていた。4月には上京し、新たな大学生活を満喫する腹積もりであるU氏であったが、反面、生まれ育った故郷を離れるにあたって1つだけ心残りがあった。青春時代に愛を育み、将来を約束した女性の存在であろうか。
 おそらく否であろう。基督教の思想に教育の根底を汲み、敬虔な私立中高一貫教育の男子校で青春のすべてを過ごしてきたU氏にとって、愛を育むべき女性など望むべくもなく、男性に至ってはまかり間違っても育むことのないよう、充分に注意を払ってきたはずである。U氏は慎重かつ気の小さい男である。昨年や一昨年のこの時期、恋人間において特別な意味を持つ甘い西洋菓子が男子校内においても出没したという噂は氏の耳にも届いていた。美男ではなくとも身に危険が及ぶ可能性がないとも限らぬことを、彼は6年間の学園生活の中で学んでいたに違いない。

 

 スッポンモドキをご存知だろうか。
 ウミガメの体に豚の鼻を取り付け、スッポンの皮膚で覆ったような造形の生物である。インドネシアやオーストラリア、パプアニューギニアに生息し、甲羅の長さは最大で70センチに達する。ブタバナガメという、本人にとっては大変迷惑であろう別名が付けられており、動物界脊索動物門爬虫綱カメ目スッポンモドキ科スッポンモドキ属に分類されている。
 18歳のU氏の心を悩ませていたものが、まさしくそれだったのである。
 U氏が高校を卒業するまで暮らしていた街には1軒のペットショップがあった。U氏は物心ついた頃から、そこで動物たちを見るのが楽しみだったそうだ。店の入口に鎮座する大型水槽の中を優雅に泳ぎ回るそのカメを眺め、そして奥の犬猫コーナーへと足を運ぶ。そして帰り際にもう一度その優雅な舞を眺めるのだ。U氏にとってスッポンモドキはペットショップの看板であり主であり、大仰な言い方をするのならペットショップそのものであった。やがてU氏がスッポンモドキに魅了されていったとしても何ら不思議なことではない。
「買えないのではない、飼えないのだ。だから諦めなさい」
 U氏を敬虔な中高一貫男子校に通わせた厳格な父はそう諭した。事実、U氏の実家はペット禁止の賃貸マンションだった。大手を振って飼えたのはせいぜい金魚程度で、ハムスターあたりが黙認される限界である。それ以上の動物は犬猫と同等とみなされ、隙あらば近隣住民によって速やかに不動産屋に通報される。
「むしろ変温動物のカメのほうが、恒温動物であるハムスターより金魚に近いのではないか」
 小学生だった頃U氏はそう反論したが、当時既に甲羅の長さが30センチを優に超えていた、かのスッポンモドキにその理屈が通用するはずもなかった。
 しかしU氏は諦めなかった。暇を見つけてはペットショップに通い、夏休みの自由研究は毎年スッポンモドキの観察記録を提出した。長年に亘るつぶさな観察により、U氏はペットショップの主と化しているその個体が雌であることを突き止めていた。だから、というのを理由として挙げるわけにはゆかないだろうか(註1)。自然の摂理に反して詰め込まれた6年間の男子校生活で失われた女性との愛の代償を、スッポンモドキの雌で補おうなどという汚れた心があったわけではない。U氏は純粋に、彼女の将来を案じていたという。大学進学で地元を離れる4年の間に、愛情の欠片すら持たぬ小金持ちの慰みにされてしまうのではないか。また誰にも買われず、この狭い水槽の外の世界を知ることもなく、その命を終えてしまうのではないかと案じ、心を痛めていたというのだ。
 ペットショップに通い始めた当時まだ小学生だったU氏にとって、12万円の値札は天文学的な数字に思えたことだろう。しかしその頃の彼は上京を間近に控えた18歳。愛を育む相手のいない青春の全てを適度な勉学とアルバイトに傾けたU氏にとって、それは出せない額ではなかった。さらに3月、彼女の値札は4万円にまで下がっていた。もはやU氏が取るべき道は一つしかなかったのである。



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