目次
はじめに
嶋戸悠祐
自己紹介 嶋戸悠祐
六つの檻 1
六つの檻 2
六つの檻 3
六つの檻 4
六つの檻 5
六つの檻 6
六つの檻 7
六つの檻 8
六つの檻 9
齊藤想(サイトー)
自己紹介 齊藤 想(サイトー)
『オオカミと少年』  イソップ寓話 『嘘を付く子供』(『オオカミ少年』) より
『アリとキリギリス』  イソップ寓話『アリとキリギリス』より
『北風と太陽』  イソップ寓話『北風と太陽』より
カミツキレイニー
自己紹介 カミツキレイニー
【赤ずきん喫茶】
【うんこの話】
【冬オズ】
いづみみなみ
自己紹介 いづみみなみ
赤ずきんちゃん 1
赤ずきんちゃん 2
赤ずきんちゃん 3
赤ずきんちゃん 4
赤ずきんちゃん 5
まるたん
自己紹介 まるたん
八川克也
自己紹介 八川克也
ダンシング・リム 1
ダンシング・リム 2
ダンシング・リム 3
ダンシング・リム 4
ダンシング・リム 5
井上裕之
自己紹介 井上裕之
R大学民俗舞踊愛好部設立前史 1
R大学民俗舞踊愛好部設立前史 2
R大学民俗舞踊愛好部設立前史 3
R大学民俗舞踊愛好部設立前史 4
R大学民俗舞踊愛好部設立前史 5
R大学民俗舞踊愛好部設立前史 6
平渡敏
自己紹介 平渡敏
『アンデルセン童話による3つの変奏』
『北風と太陽』
『本』
一田和樹
自己紹介 一田和樹
昏倒少女 1
昏倒少女 2
昏倒少女 3

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一田和樹

自己紹介 一田和樹

昨年、島田荘司選 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞し、長編ミステリ『檻の中の少女』を上梓させていただきました。

主にサイバーセキュリティミステリ小説やマンガ原作を書いております。

ネット上で短編やショートショート、ツイッター小説を公開しております。
ご興味ある方は、のぞいてみてください。

 

今回は『雪の女王』をモチーフにした作品を書いたつもりだったのですが、あまりそうは見えないですね。すみません。
楽しんでいただければ幸いです。


好評販売中!
『檻の中の少女』
『サイバーテロ 漂流少女』

 

好評連載中!
『工藤伸治のセキュリティ事件簿』
『オーブンレンジは振り向かない』(マンガ)

 

ネットで公開している作品群は こちら

 


昏倒少女 1

 一七歳の高校生である赤雪刻実(あかゆき きざみ、女、172センチ)は、カイと一緒に住むことにした。恋愛ではない。愛玩である。あきるまでカイを愛で、その口からもれる美しい物語を聞くのだ。そのためには邪魔なものがある。

 

「ひとり暮らしするから」
 刻実は朝食を食べる両親に、そう宣言した。トーストを囓っていたふたりは、一瞬手を止めて刻実を見た。刻実はいつも通りだ。ポールスチュアートの黒いスーツを着こなし、面倒くさそうにコーヒーを飲んでいる。目立った異変はない。
 刻実の顔は非の打ち所がない。美人とは少し違う。いわゆる整った顔だ。左右対称で顔のパーツの大きさが理想的。量産型の女性ロボットを作るとしたら、こんな顔ではないかというような顔だ。醜くはないが、飛び抜けた美しさもない。そして胸はない。
 刻実は立ち上がると自分の部屋に行き、すぐに戻ってきた、銀色のバットを持って。
「お前たちは出て行け」
 刻実はそう言うと、いっぺんの躊躇もなくバットを振った。安普請の壁にバットがぶつかり鈍い音を立てて穴をうがった。両親はなにが起きたかわからない様子で、刻実の顔と壁の穴を見比べている。刻実は、続いて父親の頭にバットを振り下ろした。父親は我に返りあわてて椅子から飛び退いた。バットがテーブルに激突し、皿とコーヒーカップを砕く。食べかけのトーストが飛び、コーヒーが散った。母親の悲鳴が響く。
「出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ」
 素振り二〇回で気がつくと両親はいなかった。これで我が家を愛の巣にできる。カイを迎え入れる準備はできた。刻実は学校に向かった。

 

 教室に入ると、ぶさいくで太った女子が、刻実の机に脂肪のついた尻をのせて前後の席の男子となにか話していた。ふだんの刻実なら、豚がどくまで黙って待っているが、今日はバットがある。
「おいしいとんかつを作るには、まず肉をよく叩く」
 刻実は、とんかつの作り方を説明しながら、金属バットをスイングした。豚は、バットを避けようとして前の席の男子に覆い被さる格好になった。きわどいところで女子の肩をバットがかすめる。
 スイングはそのまま止まらず前の席の男子の隣の女子に激突した。ちょうど顔の真ん中にぶつかったため、ものすごい勢いで鼻血が噴き出した。小柄で貧相な女子は死にそうな悲鳴を上げて顔を押さえる。数名の女子が、その鼻血女子を引っ張って刻実の近くから離した。阿鼻叫喚の騒ぎになり、刻実の周囲から生徒が逃げ出した。
── みんな怖がっている。あたしを怖がっている。いい気分だ。
「豚を叩く」
 刻実は、前の席の男子にしがみついている豚に鉄槌を振り下ろした。その一撃で豚の茶色の髪から鮮血が吹き出した。ぴぎゃあと豚は叫び、両手をむちゃくちゃに振り回す。二撃目で顎がずれた。豚の声が出なくなった。苦しげな息の音が、ぶーぶーと響くだけだ。三撃目で目玉が飛び出した。細いなにかでかろうじて眼窩にぶらさがっている。豚はまるで暗闇を手探りで歩いているように両手をあらぬ方向に向けて振りだした。
「おもしれえの。これ、まだ見えてんのか?」
 刻実は、手を伸ばすと、ぶらぶら揺れている目玉をつかんだ。そして黒目を自分の方に向ける。
「あたしの顔が見えるか?」
 刻実は豚に言ったが、答えはない。ただ手を振り回してわめくだけだ。
「つまんないの」
 刻実ははき出すように言い、目玉を引っ張った。眼窩から伸びていた細いひものようなものがぶちりと切れた。
 刻実は、金属バットについた血をぬぐいながら、教室を見回した。もう誰もいない。廊下は、逃げた生徒と見物に来た生徒であふれかえっている。
 刻実は昨日までの自分は、どんな人間だったっけと思った。
── 廊下で震えてる連中と同じだったはずだ。でも、実感ないわー。今のが本当の自分って気がする。身体中に力があふれて無敵って感じ。いやほんとに無敵だろ、これは。
 刻実は愉快になったので笑った。静まりかえった教室に乾いた笑いが響く。それから隣の教室に向かった。そこにカイがいる。刻実の王子様。
 彼女が歩くと、正面の人垣が割れた。ささやきすらもれず、ただみんな恐ろしそうに刻実を見ているだけだ。教師たちもなにも言わない。

 

 隣のクラスは授業中だったが、刻実には関係ない。教室に入ると、まず教壇に立っている教師の頭をバットで殴った。コンと軽い音がして右側頭部が大きく陥没した。眼球がくるりと回って白目になり、そのまますとんと床に倒れる。少し遅れて花火のように血が飛び散った。教師は壊れたロボットのように両手両足をバタバタと動かしながら、教室に血の噴水をばらまいた。
 同時に静かだった教室は泣き声と悲鳴でにぎやかになった。教室から逃げ出す生徒たちは、もともと廊下にいた野次馬たちとぶつかって大混乱になった。
 刻実は、面倒なことになったな、と思った。急がないとカイが教室から逃げてしまうかもしれない。その時、カイの姿が見えた。
「カイ、こっち来い」
 刻実が叫ぶと、彼女とカイの間を結ぶ道が開けた。刻実は、黙ってその道とその先にいるカイを見た。雪のように白く華奢な男子。とっくりの黒いセーターにジーンズ。刻実を見る目は、まるで捨てられた子犬のようにおびえている。
 刻実は、カイの正面に立つとゆっくりと顔を近づけた。
「あんたの話が好き。毎日聞かせて」
 恥ずかしに刻実の声がかすれた。男子に好きだと言うのは初めてだ、と刻実は思った。だが、カイは青ざめて震えるだけでなにも答えない。
「嘘でしょ」
 ややあってカイはつぶやいた。
「嘘じゃない。言うことをきかないと、あんたの家族を皆殺しにして家に火をつける」
 こうして刻実はカイを手に入れた。


昏倒少女 2

 刻実はカイを家に連れて帰り、寝室のベッドに寝かせた。カイはぶるぶると震えてなにも言わない。
「あんたは、ここであたしと一緒に住むんだよ」
 刻実は子供に言い聞かせるように、ゆっくりと言った。
 カイは猫のように丸まって横になったままだ。膝を抱え、両手をしっかりと組み、親指の爪を噛んでいる。なんだよ、こいつ、かわいいじゃないか、と刻実はたまらなくなった。
「カイは、あたしのペットなんだから言うこときけ。あんたは一生ここから出られない。だから利口になれ。あたしに気に入られることだけが、これからのお前の人生なんだよ」
「なんかいやだ」
「それがあたしへの口のききかたか!」
「いてててて」
 刻実はカイの頬をつねる。カイは痛がるが、その表情がかわくてやめられない。適度に困って戸惑う顔がたまらない。
「うぷぷぷぷ」
 カイの脇腹をくすぐると声を上げた。身体をくねらせて暴れる。白いカイの顔が恥ずかしさで赤くなる。それがたまらなくかわいい。
── この子はなんてかわいいんだろう。この細い身体の中に、あたしを喜ばせる特殊な成分が詰まっているに違いない。身体の中に手を突っ込んで、その成分を取りだしてみたい。
 くすぐっているうちに、カイは泣き出した。笑いながら嗚咽する。
「ちっ、今日はこれくらいにしとくけど、これからもっとかわいくするんだよ」
 舌打ちしながらも刻実は幸福を実感していた。カイがどう思っているかは知らないけど。

 

 刻実は毎日学校に通っていた。あんな騒ぎを起こしてよく学校に通えるものだと自分でも驚いたが、全く平気だった。どういう仕掛けになっているかわからないが、翌日になると豚も隣のクラスの教師も復活していた。誰かが代わりを持ってきたのだろうけど、その誰かって誰だろう? と刻実は不思議に思った。きっと『物語の神様』に違いないと思うことにした。
 同級生はもちろん学校中の生徒から無視されたが、全く気にならない。教師たちが警察に届けるんじゃないかと少しだけ心配していたが、それもなかった。職員室に呼び出されて、担任に二度とするんじゃないと自信のなさそうな声で言われただけだ。
── 放課後になれば、カイの待っている家に帰れる。
 学校にいる間は、それだけ考えていた。だったら、ずっと家にいればいいようなものだが、それではただの堕落した引きこもりだ。学校で勉強していると、きちんと社会生活を営んで、愛の巣を守っているという実感がある。
── あたしはちゃんと学校を卒業して、社会人になって働いて、カイを養うんだ。
 そんなことができるんだろうか? という気もしたが、今うまくやれているのだから将来うまくできないはずはないという根拠のない自信が湧いてきた。

 

 刻実は家に帰ると、エプロンをつけて晩ご飯を作る。料理は得意だ。毎日三品以上の料理を作り、カイに食べさせて感想を言ってもらう。カイは必ずほめる。それがうれしい。
 食事が終わると刻実は紅茶を淹れて、カイとリビングの床に並んで座る。そして、トレイの上に置いた紅茶のカップに目を落とし、少しはにかみながらカイにお願いする。
「今日のお話は?」
「うん」
 カイは、頬をかきながら話を始める。話の内容は日によって違う。よくこんなにいろいろなことを思いつくものだと、刻実はいつも感心する。でも、刻実にほめられてもカイは喜ばない。
「なんの役にもたたないから」
「そんなことないって。カイがお話ししてくれるなら、あたしカイを養ってあげる。ずっと一緒にいて、あたしのためだけに話を聞かせて」
「はあ」
「喜ばないの?」
「ええと……」
 刻実はカイに幸福を押し売りし、しあわせです、と言うまでつねったり、くすぐったりする。それからカイを抱き上げてベッドに寝かせる。もちろん刻実と一緒のベッド。でもセックスはしない。ときどき意味もなくつついたり、カイの脚を太腿ではさんだり、殺されるならどんな方法がいい? と尋ねたり、つまりは刻実なりの方法で愛情を表現する。
 カイが眠ると、刻実はベッドから抜け出して素振りにゆく。バットが彼女を呼ぶ、振れ! と。刻実はマンションの屋上に行く。昼間は洗濯物でいっぱいだが、夜はがらんとしてひとけがない。
 刻実は微笑むと、バットを構え、鋭いスイングを繰り出す。ブンと空気を切る音が響く。数回振ると、全身に血が巡って感覚がとぎすまされるような気がしてくる。一〇〇メートル先で針の落ちる音だって聞こえそうだ。そして高揚感。
── いくらでもスイングできる。スイングするほど、自分が高尚な存在に変わってゆくような気がする。このまま天使になれそうだ。
 いつの間にか、仲間ができた。刻実がスイングをはじめると、勝手に集まってきてスイングする連中だ。全員無言で刻実に合わせてスイングする。薄闇の中で、きらりとバットが輝く。
 一緒に振ると風を切る音が増幅されて楽しいことがわかった。もうブンではない。ごう、と周囲の空気全体を振動させる。
 最初は、数人だったが、じょじょに増え続け。やがて屋上いっぱいになった。二〇人以上はいるだろう。全員、少女だ。制服姿、ジーンズ、ゴスロリ、さまざまな服装の少女たちが集まってバットを振る。
 もっと来たらどうなるんだろう、と刻実は思ったが、そうはならなかった。増えなかったわけではない。他の場所で振り始めたのだ。他のマンションの屋上、公園、いたるところにバットを持った少女が出現し、スイングする。
 刻実がバットを振り始めると、街全体がごうという音に震えるようになった。そしてまるで花火のようにあちこちで銀色の光が輝く。

 

 たまに刻実は両親の住んでいるマンションを訪ねる。たいていは日曜だ。父親と母親に元気な顔を見せて金をせびる。金がないと言われたら、バットを振る。すると金は出てくる。
 こうした規則正しい生活のおかげで刻実の成績はよかった。
── ちゃんと大学行って就職して、カイを養うんだ。
 将来のことを考えると、刻実は楽しくてたまらなかった。
── 男の子を家に飼うなんて、ちょっと前までは考えつきもしなかったけど、簡単にできた。世の中はちょろい。
 刻実は日々をほくほく楽しく過ごしていた。

 だが、あふれんばかりの刻実の愛情にも関わらず、カイは幸福そうではなかった。ことあるごとに自分の家に帰りたいと言って泣いた。
「聞き分けのないことを言わないで」
 刻実がそう言うと、カイは黙ってあきらめた。
「カイは、ここにいるのが一番幸せなんだって。どうしてわからないかな」
「楽しいのは君だけ」
「だからそういうネガティブなことを言うと、それにとらわれちゃうんだ。あたしとカイの楽しい将来を想像してみて。こんな幸せな生活がずっと続くんだよ」
「……僕が話を思いつかなくなったら、どうなるの?」
 カイが物語を話さなくなるなんて、刻実は想像したこともなかった。
「物語を話さないのは、カイじゃない。カイがカイである限り、物語は話せるんだ」
「僕だってネタにつまることがあるかもしれないだろ」
「ネタ? 違う。カイは自然に物語を話せる特別な人間なんだよ。だから無理してネタなんか考える必要はないの」
「だからもし思いつかなくなったらどうなるの? 僕は、ここを追い出されるんだよね」
「そんなこと考えたこともない。だからカイも考える必要ないよ」
 刻実の言葉にカイは黙って顔を伏せた。

 


「おつかれさまです」
 ある夜、刻実がスイングを終えると、ひとりの少女がポカリスエットのペットボトルを持ってきた。白い体操着にぴったりしたブルマーをはいている。
 かわいい子だな、と刻実は思いながらペットボトルを受け取った。少女がじっと見ているものだから、刻実は、すぐに飲まなければいけないような気がして、ふたを開けるとラッパ飲みした。
「ありがと」
 飲んでから礼を言った。少女は顔を赤らめて微笑む。
「なんで、みんな集まってくるのかな」
 刻実は周囲でバットを握って立っている少女たちに目をやって尋ねた。
「他の人と話したことないんで」
「あ、そう。じゃあ、あんたは?」
「ネットで見て。あっ、私、湖黄泉(こよみ)って言います」
「ネット?」
「知らないんですか? 『昏倒少女』って有名です」
「『昏倒少女』? あたしのこと?」
「ええ。気に入らない相手をバットで殴って昏倒させるから」
「そんなことしないよ」
 刻実は言ってから、でも学校ではバットで殴ったな、と思い出した。
 それから湖黄泉は自分が『昏倒少女』のサイトを作り、登録会員を募ったのだと説明した。登録会員は一万人を超え、日本全国で毎晩バットを振っていると聞いて刻実は驚いた。
「なんかいろいろしてくれたんだね」
「とんでもありません。刻実様に仕えるのは、しもべとして当然のことです」
 湖黄泉は叫ぶようにそう言い、両眼から滝のように涙を流した。そして床に正座すると頭を床にすりつけた。
「刻実様に、永遠の忠誠を誓います」
 湖黄泉の甲高い叫び声が響くと、それが合図だったかのように、全員がその場に土下座し、刻実に向かって深く頭を下げた。

 

── 一万人以上も毎晩バット振ってるの? ほんとかよ。
 部屋に戻った刻実は、『昏倒少女』のサイトを見て驚いた。一万人以上の会員がいた。サイトには、刻実がバットを振るシルエットがシンボルマークとして掲げられている。
 刻実は不思議な気分だった。この中心にいるのが自分だという実感がない。自分はただバットを振っているだけなのに、なぜこんなことになっているのだろうと不思議に思うだけだ。


昏倒少女 3


 ある日、刻実はカイがなにか書いているのを見つけた。刻実はそれが許せなかった。なぜだかわからないが、ひどく腹が立った。カイを突き飛ばして床に転がした。
「思いついた物語をメモしておこうと思って」
「そんなことしちゃいけないんだよ。物語は、その時思ったことを話さないといだめ。書きためたら腐っちゃう」
「だって思いつかなくなったら……」
「どうしてわからないの? カイは特別な人間なんだ。そんな心配必要ない。あたしは、カイに一生を捧げるために生きてるんだよ」
 刻実はそう言うとボールペンを持っているカイの右手をバットで叩いた。バットは一撃でカイの右手を砕いた。カイが悲鳴を上げて逃げようとしたので、刻実はすかさず足で腕を押さえつけた。そして二度、三度と繰り返し叩く。右手は血と肉でぐちゃぐちゃになり、砕けた白い骨が飛び出した。きれいな骨だな、ピアスにしたい、と刻実は思った。
 カイは、獣のように泣き叫んだ。だが刻実は止まらない。刻実自身、なにをしているのかわからなかった。ただ、なにかに憑かれたようにカイの手を壊さなければと必死だった。
 気がつくと床は血の池みたいになっており、そこでカイがのたうちまわっていた。あー、うー、という言葉にならないうめき声を聞いた刻実は、死ぬかもしれないと思った。急に心臓がどきどきしはじめた。うまく息ができない。カイが死んじゃう。刻実は、とにかく血を止めようと思ってタオルでカイの両手を包もうとした。でも、カイの両手はぐちゃぐちゃになっていて、タオルで包もうとするとぼろぼろにくずれ、カイはまた悲鳴を上げた。
 その時、刻実の耳がおかしくなった。カイの悲鳴がこだまして耳から離れない。他の音が入ってこなくなった。足下もふらつく。まるで地面が揺れてるみたいだ。悪い夢を見ているように、どんどん現実が離れていく。
「どうしろって言うの」
 刻実は叫び、そこで湖黄泉を呼ぶことを思いついた。昏倒少女の中に親が医者の子もいるかもしれないと思ったのだ。震える手でメールを打つと、湖黄泉は中年の男性数名を連れてやってきた。てきぱきとカイをその場で手当する。
「……でいいですよね」
 湖黄泉は、何度か刻実に確認してきた。だが、刻実にはその声がよく聞こえない。訊かれるたびに、それでいいよ、と適当に答えていた。
 カイの手当が終わると、湖黄泉は数人の少女を呼び寄せ、刻実の部屋の掃除を始めた。血だらけの部屋から血を拭き取り、ソファや壁に飛び散った血もうまくきれいにした。

 

 湖黄泉たちが帰った後、刻実はベッドで眠るカイの顔を見、それからその両手を見た。包帯で巻かれているが、もうそこに手がないことはわかる。手首から先がない。カイの両手は棒になった。もうどうやっても絶対に字なんか書けない。
 もうひとつカイがなくしたものがあった。湖黄泉は、カイの陰茎を切り取っていった。湖黄泉は何度も刻実に確認したと言っていた。それならそうかもしれないと刻実は思った。どうせ、自分とカイには必要のないものだ。
── あたしたちはセックスなんかしない。手をつないで物語を聞くだけでいい。これでいい。これでいいんだ。
 刻実は、カイの頭と棒の腕を撫でた。
──  カイは、もう自分で食事を取ることもできない。毎朝、あたしがご飯を食べさせてやるんだ。あーんってね。素敵だ。カイは、あたしがいなければ生きていけないんだ。
 そうだ。お風呂にも入れてあげよう。身体を洗ってやるんだ。きっと恥ずかしがるけど、それも楽しそうだ。
 でもトイレはいやだな。それくらいは、がんばってもらおう。
 なにもできないカイのことを考えると刻実は楽しくて全身が震えた。かわいいな、カイ。すごくかわいい。あたしがいないとなにもできない赤ちゃん。うふふふふ。お母さんって呼ばせてみようかな。
 カイは、自分がいなければもう生きていけない身体になった、と思うと刻実はひどくうれしくなった。

 

 だが、刻実には心配なことがひとつあった。怪我をした翌日からカイはしゃべらなくなった。うつろな目でじっと自分の手を見つめているのだ。ほっておくと、日がな一日黙ってそうしている。刻実がかいがいしく食事を食べさせたり、身体を拭いたりしても反応がない。ただされるがままになっているだけだ。
── このままカイがなにも話さなかったらどうしよう。
 刻実は少し不安になった。そうなったらカイは死んだも同然だ。

 

 刻実は、夢を見るようになった。夢の中でカイは物語を話している。刻実はそれを熱心に聞く。そしてカイにお茶を飲ませる。カップを両手で持ち、カイの唇に注意深く当てて飲ませてあげるのだ。そして人差し指と親指でクッキーをつまみ、カイに食べさせる。カイがクッキーをかじる感触が指先から伝わってきて、刻実は震えるくらいうれしくなる。
 カイにはあたしが必要で、あたしにはカイの物語が必要。理想的なふたりだ。そう思うと、どうしても頬がゆるんでしまう。そんな刻実を見てカイも微笑む。ふたりは、そうやって互いに笑みを交わす。刻実の理想とする幸福の形がそこにあった。でも、それは夢の中だけ。

 

 一週間経って包帯がとれてもカイは口を開かなかった。
「ねえ、なんで話をしてくれないの?」
 でもカイは黙ったまま、なにも言わない。刻実は、困ったなあ、と思ったし、ひどく悲しくなった。だから泣いた。大声で泣いた。それでもカイはなにも言わなかった。いつものように棒になった自分の手を見ているだけだ。

 

 刻実は、カイは死んだのだと思うことにした。死んだ以上、埋葬しなければならない。呼吸していても物語をなくしたカイは死人だ。愛するカイの葬儀だ。盛大に送りたい。
 湖黄泉と相談して、カイの好きだったケーキ屋を葬儀場所にすることにした。深夜、刻実のマンションの前に数百人の少女がバットを片手に集合した。刻実は自分の部屋の窓から道を埋め尽くす、しもべたちをながめていた。
 刻実はベッドで寝ているカイを抱きかかえた。こうしてカイを抱いて、風呂に入れたり、テレビの前に運んだり、何度もカイをこうして抱いて移動したんだよな、と思い出した。それもこれが最期だ。そう思うと、口から雄叫びがほとぼしった。それを耳にした少女たちの目から涙がこぼれた。
 刻実は最後の望みをかけてカイの顔をのぞき込んだ。
「なにか話してよ」
 でもカイはうつろな目で自分の手を見つめるだけでなにも言わなかった。刻実は、高いため息をつくと顔をあげた。
「行くよ!」
 自分でも驚くほど強い声が出た。湖黄泉が、はい! と勢いよく返事する。刻実はカイを抱いたまま、部屋の外に出た。廊下にはすでにたくさんの少女が待っていた。刻実が歩くと、その後を黙ってついてくる。
 刻実は道を埋め尽くした少女たちの先頭に立ってケーキ屋に向かった。
 個人経営の小さなケーキ屋を昏倒少女たちが幾重にも取り囲んだ。刻実が無言で顎を軽く動かすと、湖黄泉と数人の少女がケーキ屋のショーウィンドウをたたき割った。想像したよりも大きな音がして、警報ベルが鳴り響いた。だが、少女たちは躊躇しない。次々とガラスや壁をバットで殴り、破壊した。
 刻実はケーキ屋の中に入り、店の中央にカイを下ろした。カイは自分の手を見つめたまま、なんの反応もしない。
「カイ、好きなケーキと一緒だよ。おやすみなさい」
 刻実はそうつぶやくと、唇をかみしめて店の外に出た。そして右手を挙げる。店の外の少女たちが一斉に火炎瓶を店に投げ込んだ。店は一瞬にして業火に包まれた。それと同時にサイレンの音が近づいてきた。野次馬が集まってくる。少女たちは取り囲まれた。炎の揺れる光が、昏倒少女たちをかげろうに浮かび上がらせた。全員バットを手に持ち、臨戦態勢だ。
「物語を一〇〇個集めると、神様のパズルは完成し、カイは蘇る」
 刻実の頭に突然そんなことが浮かんできた。そのまま口にすると、湖黄泉はうなずいた。
「どうすればいいんですか?」
「物語を持たないヤツを皆殺しにする。そうすれば自然と物語を持つ人間が集まってくる。見分け方はわかるね」
「わかります。見ればわかります」
 ごう、と音がしてケーキ屋の中で小さな爆発が起きた。炎が竜のように夜空に伸びる。
「日本中の昏倒少女が物語を持たない人間を狩り出しました」
 湖黄泉が携帯片手に報告した。
「あたしたちも行こう。一〇〇の物語を集めるんだ」
 刻実は、そう言うと両手でバットを握った。大股で近くの野次馬に近づき、脳天に一撃を見舞う。野次馬は声も出さずに昏倒し、血と脳漿をまき散らした。
「物語をもたない者は生きる価値はない。最初から死んでる。死人を葬れ! 物語を集めろ!」
 刻実が叫ぶと、周囲の少女たちから賛同の雄叫びがあがった。夜空を焦がす炎を背にして刻実たちは殺戮を続けた。

 

 


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