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愛を逃さない

 もう見慣れて久しい鮮やかな青の扉を前にし、奥村友希は前に立つ大柄な男にちらりと目をやった。

 この部屋の主である槙島篤志が、少し小洒落たキーホブのついた鍵をちゃらちゃらといわせながら扉を開いている。

  JR目白駅近く、目白警察署のすぐ側にあるこのマンションは、俗にデザイナーズマンションといわれるものなのか、近所の民家からぽっかりと浮いた存在だ。真っ白の壁に鮮やかな青い扉。少し変わった形の窓が印象的だ。

 周囲の住宅に合わせたのか、二階建てで、敷地の広さのわり四世帯分しか部屋数が無い。そのマンションの向かって左側二階部分が槙島の部屋だった。

 

「入れよ」という声に促され、奥村は細長い階段を槙島に続いて上っていく。やがて見えた玄関と同じ真っ青な扉は、いつものごとく開きっぱなしだった。

 入り口近くに脱ぎ散らかされた靴を足で避けつつ、槙島が部屋の中に入っていく。左右が適当な方向に向いた靴を眺めていた奥村は、それらを揃えてから部屋の中に入った。

 入ってすぐ右手に対面カウンター式のキッチンがある。キッチンからダイレクトにリビングへと繋がっており、一番奥に奥村が定位置にしているゆったりとしたソファと、小さな丸いテーブルが置かれてある。

 そのテーブルの側にはシェードが円筒形をしたライトがあり、槙島がスイッチを入れると、それが部屋をぼんやりと淡いオレンジ色に照らした。

 全体的にベージュ系でまとめらたこの部屋は、住む人がリラックスできる空間に仕上がっていると奥村は思った。事実、奥村もこの部屋のソファに座ると、なんとなく気持ちがほっとする。明るすぎず、かといって暗すぎもせず、ほどよい灯りに照らされた部屋は、気持ちを安らかにする効果があるのだろう。

「いいんですか」  

 ぽつりとそう尋ねた奥村を、寝室に入ろうとしていた槙島が不思議そうに振り返った。

「いいって、何が?」

「……俺、ほとんどの週末ここに来てますけど、槙島さんはそれでいいんですか」

「ああ? それでいいのかって、どういうことだ?」

「槙島さん、ここのところずっと俺に付き合ってるでしょう。彼女とか、放っておいていいんですか」

 そんな奥村の言葉に、槙島は面食らったように目をしばたかせた。

「は? 彼女?」

「ええ。だって槙島さんは五、六人の女性と付き合ってるんでしょう。なのにずっと俺につき合わせて悪いなって……」

「五、六人の女と付き合ってるって……誰だよ、そんな事言ったやつ」

「……署内での噂ですけど」

 槙島は大の女好きで常に五、六人の女をとっかえひっかえして遊んでいる。奥村が西大久保署に配属されてからずっと聞かされている槙島伝説のひとつだ。

「槙島さんも自分で女好きだって豪語してるし、否定もしないから――」

「あのさあ、おまえ、そういうの全部信じるなよ……だいたい、女を五、六人って、それ、飲み屋の姉ちゃんたち連れてメシ食いに行っただけだから」

「でも、ここの家具類だって――」

 言いかけて奥村は思わず口ごもる。

 奥村との関係が始まってから、槙島の周囲に女の匂いがしなくなった。けれど、この部屋の家具類を見るたびに、見たことも無いかつての槙島の女に嫉妬している自分を感じずにはいられなかった。

 到底槙島の趣味とは思えない小洒落た家具や調度類。それらには、槙島以外の誰か――おそらく槙島が付き合っていただろう女の匂いがした。

「俺に遠慮とかしなくてもいいですから。彼女のところへもたまには――」

「だから、いないっつーの」

 言いかけた奥村の言葉を遮るように槙島が言った。

「女なんかいない。言っただろ。好いたの惚れたのが面倒だったって」

「でも、ここの家具とか、槙島さんの趣味じゃないですよね」

 洒落たソファにテーブル、床に置かれた円筒形のシェードがついたランプは、和風とも洋風とも取れる少しデザインが変わったものだ。さりげなく壁にかけられている写真も、置いてある食器類も、すべて槙島の趣味とは思えない。

「これって、槙島さんが付き合ってる彼女が買ったんじゃないんですか」

「全部姉貴のだよ」

「は?」

「だから、俺の姉貴。五年前までここに住んでたんだよ」

「はぁ?」

 きょとんとした奥村を見下ろし、槙島が盛大にため息をつく。

「おまえさ、もしかしてずっとそんなこと気にしてたとか?」

「気にしてたっていうか……」

「五年前、姉貴が何を思ったか四十にして突然嫁に行ったんだよ。で、この部屋もういらねぇっつーから、分譲だったし俺がそのまま譲り受けたってわけ。俺も三十五でそろそろ独身寮の主になりつつあったし、いいかげん出ないとなあとか思ってたからちょうど良かったんだ。まあ、ローンの残り払ってんのは俺だけどな」

「お姉さんの家?」

「そ。家具もそこの壁にかかってる写真も、全部姉貴のやつ。あいつ、そのまま置いていったから捨てるのもなんだし、そのまま使ってるだけ」

 軽く肩をすくめて言った槙島をまじまじと見上げ、奥村はなにやら安心したようにほっと息をついた。

「……お姉さんだったんですか」

「おまえ、もしかして嫉妬とかしてた?」

 そんなからかい交じりの槙島の言葉に、奥村は思わず眉を吊り上げる。じろりと槙島を睨み、だが、ふいと視線を逸らした。

「そっか、嫉妬してくれてたんだ」

 何やら嬉しそうにそう言うと、槙島はいきなり奥村を抱きしめた。

「な……なんですか、いきなり」

「いやー、おまえが嫉妬してくれたってのが嬉しくてさ」

「別に、嫉妬っていうか……もし槙島さんが付き合ってる女性がいるなら悪いなと思って――」

「うん。いないからそんなのぜんぜん悪いとか思わなくていいし」

 言いざま、槙島は奥村をソファに押し倒す。

「ちょ……槙島さんっ」

 驚く奥村の頬を両手で包み込んだ槙島は、ふと真顔になって言った。

「女なんかいない。今はおまえだけだ」

「槙島さん……」

「あの晩、俺にくれたんだろ。『決して裏切らないもの』」

 そう言った槙島をじっと見上げ、奥村はふと唇に笑みを浮かべた。

 確かに言った。決して裏切らないものを槙島の誕生日に贈ると。そして、槙島はそれを受け取った。頼まれても返品するものかと笑いながら。

「絶対返品しないからそのつもりでいろよ」

 笑いながら言った唇が奥村の唇に触れる。

 奥村の答えを聞くことなく、口づけは徐々に深いものに変わっていった。

 

 

 甘い喘ぎを漏らしながら、奥村は槙島の背を抱いた。

 体の奥深くに打ち込まれた楔が何度も出入りを繰り返す。そんな槙島の存在を体の中に感じながら奥村は思った。   

 裏切らないものを贈ったのは自分ではない。自分が槙島から貰ったのだ。

「槙島さん……」

 喘ぎ混じりに名を呼ぶと、槙島がゆっくりと目を開く。

「どうした」と聞いてくる声に笑みだけを浮かべ、奥村は槙島の唇に唇を寄せた。

(絶対に返品しないからそのつもりでいろよ)

 槙島の先ほどの言葉を心の中で反芻し、奥村はより強く槙島の背を抱き締める。

 与えられたこの強く優しい愛を、絶対に逃さないとばかりに――。

 

(終)

 


奥付



愛を逃さない


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著者 : オハル
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