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第18話 絆

 事務所の外へ出た真太郎たちに、ブラッキーが駆け寄った。
「大丈夫か、アン」
「ブラッキー、どうしてここに?」
「あの探偵のおっさんと一緒に、おまえを追いかけて来たんだ。それより、そこのおっさん大丈夫なのか? 肩から血が出てるぜ」
「父なの――」
「えっ?」
 ブラッキーは、アンと男を見た。

「そうか――。その人か。おまえの人生を変えてくれた恩人ってえのは」
 ドベールはブラッキーが言った“恩人”という言葉にはっとした。アンが自分に対してそんな言葉を使っていたとは知らなかったからだ。
「アン、おまえ――」
 アンは、首を横に振った。
「ううん。それは昔のこと。今は違うわ」
「(恩人じゃ――ない?)」
 ドベールは、アンに自分の過去を知られたことを思い出し、今まで大切に育ててきたアンとの“絆”が崩れ去ることを覚悟した。
「恩人以上の人よ。だって私の――お父さんだから」
「(アン――)」
 ドベールは胸から湧きあがる言葉にならない熱いものを感じた。そして、それは彼の傷ついた心と体を優しく癒していった。
「だれだっ!」
 突然、ブラッキーが叫んだ。倉庫前のコンテナ裏から見知らぬ男が出て来た。
 真太郎は地上げ屋の残党が襲って来たと思い身構えた。――しかし、それは違っていた。事務所からもれる灯りに照らされたその男の顔は、真太郎の見覚えのあるそれだった。
「シェパードか!」
 ドベールが叫んだ。
「ああ。大丈夫か、ドベール」

 ネクタイをだらっと緩めた男は、目の下にクマを作り、疲れきった表情で答えた。
 シェパードはドベールの手前でその足を止めた。
「さっきの音が役にたったようだな」
「おまえ、こんなところで何を――。音? そうか! さっきの壁を叩く音はおまえだったのか」
「すまん――」
「なぜ、あやまる?」
「おまえのことを疑った」
「どういうことだ?」
「おまえが俺を騙したと思った。だから、おまえがいそうな場所を探し回って、ここまでやってきた」
「俺がおまえを騙すだと――。てめえ」
 ドベールはシェパードの胸倉をつかんだ。
「父さん、やめて!」
「やめろドベール! その議員も騙されてたんだ。それに、さっき音を出してくれなかったら、俺たちは助からなかったかもしれないんだぞ」
 ドベールはハッとし、我に戻ってつかんだ手を引っ込めた。
「そうだった――。俺はおまえに感謝こそすれども、責める筋合いなんかない。それに、最初に疑ったのは俺の方だったからな。すまない――」
 ドベールは頭を下げた。
「やめろ、ドベール――」
 沈黙の時がしばらく流れた――。
 アン、ブラッキー、ドベール、シェパード――。4人を見ていた真太郎は、何故か全員が見えない何かで結ばれているような気がしてならなかった。
「地上げ屋どもが寝ている間に警察を呼ぼう。いいかい? ドベール。議員さん」
 ドベールとシェパードが顔を見合わせた。
 警察を呼ぶということは、すなわち、2人が今回の事件に関わっていたことが、白日の下にさらけ出されることを意味した。それは言い換えれば、2人が今までの人生で築き上げてきたものを、全て失うということでもあった。
 2人は沈黙した。
「かまわん」
 しばらくして、ドベールが覚悟したように力強く答えた。

 シェパードは沈黙を続けていた。

 真太郎がもう一度訊いた。
「いいかい? 議員――いや、シェパードさん」
 シェパードはドベールを見つめた。ドベールは何かを伝えるような優しい眼差しで頷いた。シェパードもそれに答えるかのように、首をゆっくりと縦に振り、そして小さな声で言った。
「わかった――」
 そして、ガックリと膝を落とし、まるで皆に懺悔するかのように語り始めた。
「俺は出世したかった――。出世して“あの家”の母さんや、家族を喜ばせたかった――。“私たちの家から偉い人が生まれたんだよ”って家の皆に自慢させたかった」
 アンとブラッキーは驚愕して顔を見合わせた。まさかシェパードがあの家の出身だったとは、夢にも思ってなかったからだ。
「でも、そんな欲が、結局、皆の“家”を奪ってしまった――。“あの家”の母さん、家族、そして“あの家”から巣立った皆の故郷(ふるさと)を俺は壊してしまった。 俺は、俺は、本当に馬鹿だった――」
 シェパードの目から光るものが一つ落ちた。
 ドベールはシェパードの肩に優しく手を添えた。

「気にするな、シェパード――。それでも俺たちゃ家族だよ――」
 その言葉に、シェパードの肩は小刻み震え出し、目からいくつもの光るものが落ちていった。
 2人の会話を聞いていたアンとブラッキーは、全員が同じ“絆”で強く結ばれている事を、そして全員が“あの家”の紛れもない家族だという事を実感した。
 皆との心の距離が、急に縮まったように感じたブラッキーが口を開いた。
「おい、おっさん! クヨクヨすんなよ。俺も“あの家”の家族だけど、“家”がなくなっても、皆が元気だったら寂しかねーよ」

「(え?)」
 アンの心は震えた。あのブラッキーが始めて“あの家の家族”と言ってくれた。小さな頃から人を信じず、心を閉ざしていたあのブラッキーが、ついに心を開いてくれた。
その事が嬉しくて、アンは胸が一杯になった。
「どうした、アン?」
 アンは涙をこらえて、微笑んだ。
「ブラッキー、あなたの言うとおりよ――。私も寂しくなんかないわ」
 2人の言葉に元気づけられたシェパードは、うなだれていた頭を上げた。
 アンはドベールとシェパードに言った。
「悪いことをしたなら、それは償わなければなりません――。でも、私は、いつでもお父さんとやり直す覚悟はあるわ。もちろん、シェパードさんとも。だって私たち、皆、同じ“家”で育った、同じ故郷(ふるさと)をもつ家族だから――」
「アン!」
 ドベールはアンに駆け寄り、彼女を抱きしめた。
「お父さん!」
 抱き合うドベール親子。それを静かに見つめるブラッキー。そして、救われたような顔をしてたたずむシェパード――。真太郎は皆を見やり、そして空を仰いだ。

 空はその色を漆黒から濃い青へ変えようとしていた。
 真太郎は少し気が咎めたが、やはり罪は罪としてケジメをつけようと、警察に連絡する為に少し離れた場所へ移動しようとした。
 すると目の前に1人の男がスッと現れた。
「(だれだ?)」
 その男はどこにでもいそうな、サラリーマン風の男だった。
「ヒヒヒヒ――。偉いお方に頼まれて、ゴミ掃除にきた」
 その不気味な笑い声に気がついたブラッキーが叫んだ。
「気をつけろ! そいつ、このまえ俺を殺そうとした男だ!」
 真太郎は思い出した。
「きさま、ウルフだな」
 ウルフは無言のまま懐から銃を取り出すと、抱き合うドベール親子に向かって銃口を向けた。
「危ない!」
 シェパードがドベール親子の前へ飛び出した。
“パン! パン! パン!”

 ウルフが撃った銃の弾が、ドベール親子の盾になったシェパードの体を貫いた。
「キャアーッ!」
 アンが絶叫した。真太郎はすかさず奪い取った銃を懐から取り出し、ウルフに向かって撃った。弾はウルフが持っていた銃を弾き飛ばした。真太郎が2発目を撃とうとすると、それより早くウルフは体を横へジャンプさせ、近くのコンテナの裏へ逃げた。
 真太郎はシェパードへ駆け寄った。
「おいっ、大丈夫か! ブラッキー、救急車だ!」
「わ、わかった!」
 地面に倒れたシェパードの胸から血が流れ出ていた。ドベールがシェパードを抱き起こしながら絶叫した。
「シェパード! シェパード!」
 血の気の引いた青い顔のシェパードが、虚ろな目をしながら小さな声で言った。
「ドベール――」
「なんだっ?」
「やっぱり、“家”のお母さんが言ってたとおりだったな――」
「え?」
「悪いことすると――――バチが、あたる」
 そう言うとシェパードは静かに目を閉じた。
「な、なに言ってやがんだ、シェパード!」
 真太郎はシェパードの手首をとり、脈を診た。
「大丈夫だ。まだ死んでない。ブラッキー! 救急車が来るまでシェパードの傷口を抑えといてくれ!」
 真太郎はそう言いながら、持っていた銃を護身用にとドベールに手渡し、地面に転がっていたウルフの銃を拾いあげた。銃のグリップには血がついていた。地面を見下ろすと、ウルフが逃げ去った方向に小さな血痕が点々と続いていた。
「決着をつけてやる!」
 真太郎は血痕を頼りに、ウルフの後を追いかけて行った。


第19話 10年目の対決

 血痕を頼りにウルフの後を追い続ける真太郎は、いつのまにか倉庫街の外れにある、港の桟橋まで辿り着いていた。
 血痕は桟橋の手まで消えていた。
「どこへ行った?」
 真太郎は周りを見渡した。桟橋の横には、高さが50メートルは超えそうな、鉄骨だけでできた巨大な船舶用のクレーン塔が立っていた。
「(この景色はどこかで見たような――)」
 真太郎は軽いデジャブに襲われた。
「(そうか。10年前だ。俺が刑事だった頃、ウルフを捕らえ損なった場所とそっくりだ)」
 封印していた忌まわしい記憶が再び甦った。しかし、今となってはその記憶から逃げ出すことはできない。真太郎は、刑事という職を奪い取られた、あの屈辱の日の記憶を思い出そうと試みた。
「(ウルフは、あの日、警察の裏をかいて1番目立つ場所に隠れた――)」
 あたりは夜明けを迎えようとしていたが、まだ夜の闇があちらこちらに靄(もや)のように居座り、視界を妨げていた。
 真太郎はクレーン塔を見上げた。鉄骨だけでできた階段の1番上の踊り場に、闇に隠れた人影らしきものが見えた。目を凝らしてそれを見続けると、その人影が動いた。
「いた!」
 真太郎は鉄製の階段を、カンカンと音をたてながら駆け上がった。夜明け前の薄暗い光に浮かび上がる倉庫街が足元に広がっていく。高所恐怖症には耐えられない高さだ。遠くから救急車とパトカーのサイレンの音が近づいてくるのが聞こえた。
「ウルフ、もう逃げられんぞ!」
 ウルフがいる踊り場の下に辿り着いた真太郎が叫んだ。
「チッ!」
 ウルフは開き直ったような態度で、踊り場からゆっくりと階段を降りてきた。
 真太郎は改めてウルフの風貌を見た。よれよれの背広にネクタイ、禿げ上がったすだれ頭、悪い病でも患っているのではないかと思わせるほど、やせ細った顔に無精髭。それは誰がどう見ても、うだつがあがらない中年サラリーマンだった。しかし、そんな容姿だからこそ相手を油断させ、殺しを成功させる事ができたのだろう。
 ウルフは階段の途中で足を停めると、鮫のような感情のない目で真太郎の顔をじっと見つめた。
「おまえ、どっかで見たことがあるな――」
「覚えてないのか? 10年前に、おまえを追い詰めたコルロ署の刑事だ」
 ウルフは、しばらくポカンとしていたが、突然けたたましい声で笑い始めた。
「ヒーッヒヒヒ! 思い出した。せっかく俺を追い詰めたのに、ご丁寧に逃がしてくれた、あのマヌケな刑事だな? しかし、ずいぶんおっさんになっちまったな」
「だまれ! あの時はしくじったが、今度は逃がさない!」
「ほお、俺を捕まえるつもりか? なら、やってみな」
 そう言い終わるや否や、ウルフは目にも止まらぬ速さで懐からナイフを取り出し、真太郎の胸を狙って投げた。しかし右手を銃で怪我していたせいか、ナイフは真太郎の胸を大きく外しコートの淵を切り裂いて地上へ落ちて行った。
 真太郎は懐から銃を取り出そうとしたが、それより早く、ウルフは階段から真太郎めがけて飛び降りた。狭い踊り場で2人の男がもつれ合う。ウルフは懐から2本目のナイフを取り出し真太郎を刺そうとしたが、真太郎はそれを手で払い、ウルフの顔面に頭突きをくらわせた。ウルフはよろよろと後退して、踊り場の手すりに体をぶつけた。
 真太郎は、懐から銃を取り出しウルフを狙った。
「ここまでだ、ウルフ!」
 ウルフはぎょっとした。しかし、真太郎の銃を指差して嘲るように笑い始めた。
「ヒーッヒヒヒ! それは俺の銃だな? そんな銃が使えるものか。よく見てみろ。おまえがさっき弾き飛ばした衝撃で、安全装置がぶっ壊れてるぞ」
「なにっ?」
 真太郎は思わず銃に視線を落とした。
「マヌケっ!」

 すかさずウルフが投げたナイフが、真太郎の右腕に突き刺さった。真太郎は思わず手から銃を落とした。銃は踊り場から転げ落ち、塔の鉄骨にぶつかりカンカンと音をたてながら、50メートル下の地面に向かって落ちて行った。
「ヒーッヒヒヒ! 笑っちまうな。こんな単純なウソにひっかかるとは。10年たってもマヌケはマヌケだ」
 そう言うと、ウルフは懐から3本目のナイフを取り出した。
「俺を恨むなよ。恨むんだったら、てめえのマヌケさを恨むんだな」
 真太郎の心臓を狙ってナイフを振りかざし、まさに投げようとしたその瞬間、ウルフの顔に光があたった。
「うっ?」
 ウルフはまぶしさに目を細めた。光は水平線から昇った朝日だった。
 真太郎はその一瞬のスキを見逃さずウルフに飛び掛った。勢いあまった2人は絡み合いながら踊り場の手すりにぶつかり、手すりを背中にして真太郎の下になったウルフが
ナイフを真太郎の左肩に突きたてた。
「うっ!」
 痛みに耐えかねた真太郎は、後ろへジャンプしてウルフから離れ、反対側の手すりにヨロヨロともたれかかった。大量の血が鉄板でできた踊り場にボタボタとこぼれ落ちた。
「死ね!」
 ウルフはもたれかかった手すりから体を起こし、体勢を整えると、ナイフを腰にあてて、とどめをさそうと真太郎めがけて突進した。しかし、鉄板製の踊り場にこぼれた真太郎の血に足をすべらせ、バランスを崩し、つんのめりになりながら真太郎の横の手すりにぶつかった。勢いがついていたウルフの体は、まるで鉄棒運動のように手すりを中心にしてグルリと1回転した。ウルフはナイフを捨て夢中で手すりをつかんだ。手すりから飛び出したウルフの体は、かろうじて右手一本で体を支える宙ぶらりんの状態になってしまった。
「た、助けて――」
 真太郎は横で命乞いをするウルフに目をやった。
 このまま放って置いたら、いずれ落ちて死ぬだろう。正直、心の奥でそれを望んでいる悪魔の心の自分がいた。しかし、それでは事件の真相を握る証人を失ってしまう事になる。
 真太郎は右腕からナイフを抜き、ウルフにその腕を差し出した。
「つかまれ」
 ウルフは手すりをつかんでいない左手で真太郎の手をグッとつかむと、真太郎を引きずり落とそうと下へ強く引っ張った。
「何をする!」
「ヒヒヒ。勝負は下駄をはくまで、わかんねーんだよ!」
「ぐあーっ!」
 真太郎は右腕の激痛に悲鳴をあげた。そして、思わず左手で右手をかばおうとした時、左肩から流れ出た血が、手すりを握っていたウルフの手の中にボタボタとこぼれ落ちた。
「く、くそっ。すべる――」
 ウルフは手すりをつかんでいた右手を血ですべらせて離し、真太郎の腕をつかんでいた左手一本で体をささえる、宙吊りの状態になってしまった。

 ウルフの全体重が真太郎の右腕にかかる。真太郎は激痛に再び悲鳴をあげた。

 必死の形相のウルフは、右手で手すりをつかもうと試みたが、血ですべってうまくいかなかった。
「えっ?」
 ウルフは焦った。

 真太郎の腕をつかんでいた左手が、しだいにすべり落ち始めたからだ。それは、真太郎の腕から流れ出る血のせいだった。
「ヒッ!」
 ウルフは思わず右手で真太郎の腕をつかもうとした。しかし、すべる己の手を止めることはできなかった。
「うわあーっ!」

 真太郎の腕からヌルッと手が離れたウルフは、地上へ向かって落ちて行った。真太郎は思わず目をつぶった。

 ――にぶい音がした。
 しばらくして目を開けると、50メートル下の地面に大の字になって倒れているウルフの姿があった。
「(ウルフよ。きさまは自らが傷つけた相手の血によって、自らを罰したんだ――)」
 満身創痍の真太郎は手すりから離れ、おぼつかない足取りで階段をよろよろと降りて行った。そして、途中の踊り場でよろけて倒れた。
 コートのポケットから何かが落ちた。
 それはミミーからもらった“お守り”だった。
「おかげで助かったよ――。ありがとう、ミミー」
 水平線からまぶしい太陽が昇り、あたりを明るく照らし始めた。


第20話 家族

 コルロ総合病院の一室で、上半身を包帯だらけにし、点滴のチューブを腕に刺した真太郎がベッドに横たわっていた。
 その傍らには、見舞いに来ていた秘書のミミーが椅子に坐っていた。
「痛みます?」
「こんなの傷の内に入らないよ。ハハハ――」
 真太郎はミミーに余計な心配をかけまいと、わざと作り笑いをした。
「でも、大事に至らなくて本当によかった。あ、今、アイスコーヒー作りますね」
 ミミーは病室隅にある小さな洗面所で、アイスコーヒーを作り始めた。
 真太郎は横目でミミーを見た。ミミーは右手で涙をぬぐっていた。
「(すまん、ミミー)」

 

 真太郎はアイスコーヒーを飲みながら、朝刊の大きな見出しに目をやった。


 “コルロタウン再開発に巨悪の影! ブルドック市長に事情徴収。逮捕は時間の問題か?”


 ミミーが真太郎に話しかけた。
「父が言ってましたわ」
「え?」
「今回の事件は、市長と大手ゼネコンと組んだ裏組織が黒幕だ。でも、地上げ騒動はまだ氷山の一角。叩けば次々とボロが出てくるはずだ、って。 父は、絶対全貌を暴いて、全員に罪のつぐないをさせてやるって、張り切ってましたわ」
「なるほど。――ところで、シェパードとドベールはどうなった?」
「シェパードさんは重体でしたが、一命は取りとめたそうです。ドベールさんも思ったほど傷は深くなかったようで、今、警察の取調べを受けているそうです」
「そうか――。あと、アンとブラッキーは?」
「先日、警察で事情徴収を受けたあと、自由になったと聞いていますけど――」
 軽くドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
 ミミーが答えるとドアが開き、見舞いの花束を持ったアンとブラッキーが顔を見せた。
「やあ、アン、ブラッキー! よく来たな」
 真太郎は思わぬ訪問者に顔をほころばせた。2人は照れくさそうに部屋の中に入ると、花束を真太郎へ渡した。
「犬塚さん、花ってがらじゃないだろ? 俺は酒かタバコがいいってアンに言ったんだけどね」
 アンが申し訳なさそうな顔をして、うつむいた。
「いやいや、そんなことはないよ。きれいな花だ。ありがとう。やっと、俺のことを名前で呼んでくれたな」
「へへへ――」
 ブラッキーは照れ笑いをした。その笑顔は、暴走族で頭(あたま)をやっていた頃がウソだったかのように、明るく、さわやかだった。
「アン」

「はい?」

「だいじょうぶかい?」
 真太郎は、アンの気持ちを察して優しく声をかけた。
「はい、ありがとうございます」
 アンはにっこりと微笑んで答えた。
「今日の朝、父から電話をもらいました」
「何て言ってた?」
「俺に代わって、犬塚さんに礼を言っといてくれと。あと、しばらく家には戻れそうにもないから、俺の代わりに仕事を引き継いでくれと」
「ハハハ――。あいかわらず仕事熱心な奴だな、ドベールは」
「その仕事のことですが――。実は、今やっている仕事を全て廃業させ、資産全部を使って“希望の園”を建て直し、運営の手助けをする手続きを取ってくれと言われました」
「え?」
 予想もしないアンの報告に、真太郎とミミーは驚いて顔を見合わせた。アンは話しを続けた。
「父は言ってました――。

 新しい“希望の園”を建てることだけで、すべてを解決させようとは思ってない。
これからは、“あの家”で育ち、社会へ巣立って行った家族の故郷(ふるさと)が、もう二度となくならないように、そして“新しい家”で暮らす家族がいつも笑顔でいられるように、俺は残りの人生をすべてかけて守る。それが“あの家”で育ててもらった不良息子の、せめても“親孝行”だ、と――。
そのことをお母さんに話したら、とても喜んで下さいました」
「そうか――」
 真太郎は、二人からもらった花束を見つめながら微笑んだ。
「――と、言うことは、ドベールさんは“希望の園”のお父さんになるのかな? じゃあ、シェパードさんも、いつでも安心して“家”へ帰れますね」
 ミミーが嬉しそうな顔でアンに言った。
「はい!」
 アンは目を輝かせなから答えた。
「ブラッキー。大きなお世話かもしれないが、おまえはこれからどうするんだ?」
 真太郎が訊くと、ブラッキーは頭をかきながら照れくさそうに答えた。
「俺? 俺は“新しい家”ができたら、そこで兄貴になって、子供たちの面倒をみてあげる事にしたんだ。だから、これから資格を取る為の勉強をしようと思ってる」
 真太郎の顔が明るくなった。
「そうか、頑張れよ。でも、おまえの乱暴な運転だけは、子供たちには絶対教えるんじゃないぞ」
「えっ? そんな事しねーよ。まいったなぁ――」
 病室内に4人の明るい笑い声が響いた。


「それでは、私たち、このへんで失礼いたします。カレンさんも心配されていたので、今から報告に行きます」
「カレンに、傷が治ったらまた店に行くと言っといてくれ」
「わかりました」
 アンとブラッキーは、真太郎とミミーに向かって深々と頭を下げてお礼をし、部屋から出ようとした。
「アン! ブラッキー!」
 2人が真太郎の呼びかける声に振り返った。
「なんでしょう?」

 アンが応えた。
「なんかあったら、いつでも気軽に俺の事務所(ところ)に遊びに来てくれ。君たちの“家”は別にひとつじゃなくてもいいんだろ?」
「――!」
 真太郎の優しい言葉に胸が一杯になったアンは、溢れてくる涙を止められなかった。
 言葉が出ないアンに代わって、ブラッキーが答えた。
「ありがとう――。犬塚さん」
 2人は頭を下げ、病室を出て行った――。

 

「よかったですね」
 ミミーは真太郎の方を振り返って言った。
「ああ――」
 真太郎は窓の外を見ながら答えた。
「ミミー」
「はい?」
「新しい“希望の家”が完成したら、お祝いに行こう――」
「ええ。もちろん!」


 ミミーは真太郎が見ている窓の外を見た。
 外には青空が広がり、大きな雲の横に、小さな雲がいくつも連なっていた。

 それはまるで大空の家に住む家族のようだった――。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私立探偵 犬塚真太郎

 

 

― 終 ―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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