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ジュンヤ 5

「これ、返すよ」
 言い放つ僕に、カヤの目は大きく見開かれて、それから涙が浮かび始める。
 僕の胸は高鳴っていた。
 それはカヤの想いを拒む緊張からではなくてその先のことにだった。
 動こうとしないカヤの腕を取り、無理矢理ノートをその手に握らせる。
 でも僕が手を離すとすぐに床へ落ちてしまう。
 クラスメイトがこちらを窺いながら居心地悪そうに教室を出て行っていた。
「じゃ」
 とだけ言うと教室を出て僕は玄関へと向う。
 カヤを気遣う気持ちはすっかり失せていた。
 間に合わない可能性がある。急がないといけない。
 一階に降りて靴箱の目当ての棚を覗くとあるのは外靴で一安心。
 僕は待った。
 大勢の生徒が帰って波が引いて夕日が差し込み始めて残っていた人がぽつりぽつりと帰る様子を、靴箱前の広場の椅子から眺めて待っていた。
 そのうちに、廊下の向こうから泣き声が聞こえてきた。
 この可能性を考えていなかった。僕はそれほど緊張していたのだ。
 廊下と僕のいる広場のぶつかるところを見ていると、案の定カヤが姿を現す。
 右手で眼鏡をずり上げながら顔を覆い、度々しゃくり上げている。
 そしてその左手は……しっかりと握っていた、トリくんの手を。
 ああ、やばいな、と僕は思った。
 それでも僕は躊躇わない。立ち上がると二人に近づいて前に立つ。
 トリくんのそういうところがいいのだ。そういうところがよくて、本をカヤに返し、飽きもせずこんなところで彼を待っていたのだ。
 そういう、大切な物を必ず守るというところが。
 先に立ち止まったのはトリくんだった。トリくんが腕を引っ張ってようやくカヤも足を止める。
 僕を睨むトリくんの瞳は獲物を狙う猟犬のようで僕はそれに射すくめられながら恐怖と、それとは別の何かに体を震わせた。この感覚を何と呼ぼう。
 僕が一足前に進んでもトリくんは微動だにしないがカヤはそこでようやく眼の前に立っているのが僕だということに気付いたようだった。気付いて僕へ勢いよく足を進め、トリくんに再び腕を引かれてバランスを崩す。
「トリくん」
 もう一歩前に出る。
 僕とトリくんの間は人一人も入らないほど近付いた。
 トリくんは何も応えない。
 僕はトリくんの左腕を掴み、払いのけようと腕を引くのを追いかけられず僕の右手はトリくんの腕を滑った。慌てて強く握るとようやくトリくんの腕は止まる。僕は暖かくて力強いその左手を握っていた。
「トリくんの名前を教えてよ」

この本の内容は以上です。


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