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── 目次 ──

注記) 記号をつけた節は試し読み可です        【2012.04.03版】

1章 問い
     素朴な問い                         952文字 
     切実な問い                         354文字 

2章 功徳
     功徳とは何か                        897文字 
     功徳の特質                       1,131文字 
     功徳と果報                       1.108文字 
     どうすれば功徳を積むことができるのか        2,623文字 
     知らぬ間に積む功徳もある               1,808文字 
     功徳の根底にあるもの                   592文字 

3章 徳行
     徳行とは何か                        501文字 
     徳行はすべて功徳になるか                914文字 
     功徳と福徳の違い                       652文字 

4章 修行
     修行とは何か                      1,858文字 
     修行が空回りすることはないのか           1,205文字 
     功徳を積んでいれば修行は不要か          1,440文字 
     為し難きことを為す人が功徳を積む            753文字 
     為し難きこととは何かを知るのに役立つ公案    1,297文字

5章 布施・供養
     布施・供養とは何か                    747文字 
     応供                             366文字 
     布施・供養の意義                   1,101文字 
     利他行                            382文字 

6章 言葉にまつわる功徳
     法の句                            407文字 
     陀羅尼                            462文字 
     真言                             576文字 

付録
     覚りの実例) 涼風尊者(経典を読んで阿羅漢果)  2,154文字
     涼風尊者の備忘録                    2,972文字 
     四つの徳目                        2,143文字 
     聖求について                       2,417文字 
     親近(しんごん)                        865文字


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[更新履歴]

 2012年01月26日  第1版完成。
 2012年01月27日  全体にわたり拡充した。
 2012年01月28日  章を追加した。 「布施・供養」
 2012年01月28日  節名を変更 「旧題」 → 「功徳と福徳の違い」
 2012年01月28日  節名を変更 「旧題」 → 「知らぬ間に積む功徳もある」
 2012年01月28日  付録に「聖求について」を追加した。
 2012年01月31日  付録-「聖求について」の内容を拡充した。
 2012年02月01日  2章-「功徳の特質」の内容を拡充した。
 2012年02月01日  2章-「功徳と果報」の内容を拡充した。
 2012年02月04日  4章に一節を追加した。 「為し難きこととは何かを知るのに役立つ公案」
 2012年02月04日  5章に一節を追加した。 「利他行」
 2012年02月10日  付録に「親近(しんごん)」を追加した。
 2012年02月22日  2章-「どうすれば功徳を積むことができるのか」を拡充した。
 2012年04月03日  6章を追加した。 「言葉にまつわる功徳」

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はじめに

 釈尊がこの世に現れて覚り、仏となって、人々に覚りの道を説いた。それによれば、人は誰でも修行によって覚ることができ得ると言う。そして、それを達成したならば、一切の苦悩を終滅した無上の楽しみに住することができるとも言う。釈尊は、その境地をニルヴァーナと呼んだ。

 しかし、実際にその目的地に到達できなければ、どんな素晴らしい境地も絵空事に過ぎない。そこで、修行の具体的な方法が問われた。ところが、釈尊は覚りの修行法などと言うべき固定的な方法は存在しておらず、ただ正しく遍歴せよと説くだけである。これでは、修行者が何をどうしてよいか分かず途方に暮れるのも無理もない。

 ただし、如来の言葉に嘘いつわりはなかった。私は、実際に覚りの道を歩んで解脱を生じ、仏となって、釈尊が説くようにこの覚りの道には固定的な修行法など何一つ存在していないことを知ったからである。仏は、あればあると説き、無ければ無いと説くのである。

 ただ、ヒントはある。観によって覚りに近づくと説かれるからである。また、功徳を積むことによって解脱が起こるとも説かれる。そして、それが本当のことであることを私は身を以て知っている。私は観を為すことよって覚りに近づき、自ら積み上げた功徳によって確かに解脱したからである。

 本書は、前著『観』に続き、『功徳』についてその真実を明かしたものである。私(=SRKWブッダ)の実体験にもとづき、また細君(涼風尊者)の身に起こった一種不可思議なる解脱のありさまにもとづき、この本を書いた。

 功徳を積んで解脱を果たしたいと願う人は、本書を読むことをお勧めする。功徳を積むことによって覚りの機縁が起こり、また解脱の因縁を生じると期待され得るからである。本書を読むことで、功徳を積む心得を体得することができるであろう。

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素朴な問い

 人は、ふと問いを発することがある。それが素朴な問いである。この素朴な問いは、余計な枠組みや概念に縛られていなければいないほど、自分自身の心の底からわき上がったものであるほど、本質的で、核心を突いたものとなる。そして、そのような問いの一つに、次の問いがある。

  『人はどうやって、苦しみの無い真の安らぎに至るのだろう?』

 この問いに対する正しい答えは、次の通りである。

  『功徳を積んだ人が、因縁を生じて円かなやすらぎ(ニルヴァーナ)に到達するのである。』

 質問者は、この答えを聞いて一応の了解を生じるだろう。しかし、答えの中に現れた聞き慣れぬ言葉の意味を知りたいと思い、またその本意を知りたいという気持ちを生じて、さらなる問いが立て続けに発せられることになるだろう。

  『功徳とは何か?』 『因縁とは?』 『ニルヴァーナとはどのような境地なのか?』 『ニルヴァーナは本当に存在するのか?』...

 ここで、第二、第三、およびそれ以降の問いは、すべて第一の問いがあって初めて成立し得る従属的なものである。すなわち、第一の問いこそが真の問いである。

 ところで、この第一の問いはまるで何もないところから発せられたように見えるかも知れない。しかしながら、この問いには確固たる出自が認められるのである。それが聖求である。

 聖求とは、次のようなものである。

 『未だニルヴァーナを知らぬ身でありながら、無上の安らぎたるニルヴァーナを求める。これが聖求である。』
 『未だ覚っていない身でありながら、目覚めた境地である覚りを求める。これが聖求である。』
 『未だ解脱していない知らぬ身でありながら、無病の解脱を求める。これが聖求である。』

 第一の問いは、質問者の心底に聖求があるゆえに起こったものである。そして、無上、目覚め、解脱を求めるこの聖求は、誰にも恥じるべきところのない求めである。したがって、第一の問いを発した質問者は世間において何も恥じる必要はない。むしろ、よくぞ問うてくれたという問いである。胸を張って、大きな声で問うてよいのである。

 ただし、問うたからと言ってそれに正しく答えることができる人があるとは限らない。上記の素朴な問いは、まさしく人類普遍の根本の問いであり、覚った人にだけ答え得る問いだからである。

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切実な問い

  『功徳を積んだ人が、因縁を生じて円かなやすらぎ(ニルヴァーナ)に到達するのである。』

 第一の問いに対する上の答えは、一通り了知されたものとしよう。すると今度は次の問いが発せられるであろう。

  『どうすれば、そのニルヴァーナに到達できるのか?』

 あるいは、

  『私も、そのニルヴァーナに到達できるのか?』

である。これらはまさしく切実な問いである。そして、これらの問いに対する答えは、はからずも同じものとなる。

  『功徳を積むならば、到達できるであろう

 ここに功徳という言葉がはっきりと現れたことになる。ここで言う功徳は、寝言ではない。この功徳は、はっきりとした現実性を持ったものである。しかしもちろん、最後の本質的な問いが出るだろう。

  『功徳とは何か?』

 本書は、この問いに答えるべく著したものである。


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