閉じる


<<最初から読む

33 / 35ページ

奥さん、ちょっと耳寄りな知らせが入ったのでお知らせしたいと思いましてね。彼は珍しく歯切れが悪い。咄嗟に、私は夫の遺体が発見されたという知らせに違いない、と覚悟した。何処の、安置所ですか?私は震える声で尋ねる。すると不思議なことに巡査さんは口許にかすかな笑みを浮かべ、私を戸惑わせた。

 

それがですね、実は身元不明の若い男性が入院しているとの知らせがあったんですよ。巡査さんの口から出たのはここから遥かに離れた大都市の病院だった。どういう意味かわからずに私が言葉を喪っていると、彼は渋い顔に戻って続けた。その人は昏睡状態らしく、それで身元が判明しないとのことだそうです。

 

昏睡状態。その言葉は私の胸で稲妻のように閃いた。あのお婆さんは彼が何かにぶつかって海へ消えたと語っていた。もしかして・・。私は逸る胸を押さえる。失望させられたくはないのだ。でも、微かな、万が一の可能性だとしても、私はそれに縋り付きたかった。もしかして、という希望の光に頼りたかった。

 

人違いの可能性は大いにありますが、と釘を刺す巡査さんに連れられて私は車でその大病院に向かった。幹線道路は瓦礫を除けてあったが両側には津波で荒廃した街並みが続いている。巡査さんが連絡を受けたところでは、その人は震災の翌日海岸に流れ着いており、ひどく頭を打ったらしく意識が無いそうだ。

 

あの辺には丸ごと流された村も数箇所あるそうで、どうやらそこの人達の戸籍を中心に姓名を割り出そうとしていたようです。なにしろ行方不明者の数が多いので、と巡査さんは言葉を濁した。確かに夫と同じような年齢の男達もたくさん行方不明になっているに違いなく、失望しないように、と私は身構える。

 

津波の悲惨な爪痕が残る街は、それでも大都市の活気のようなものを取り戻していた。車が辿り着いたのは白いコンクリート造りの立派な病院で、門の脇にはまだ多くの瓦礫が積み上げられていたが、多くの人が忙しく出入りし、笑い声さえ洩れ聞こえて来た。もしかしたら、彼がここにいるかもしれないのだ。


私は両手を組んで神に祈る。いや、胸の裡で彼に語りかけた。遼クン、待っていて。私達の赤ちゃんと一緒にやって来ました。もしあなたがここにいるのだとしたら、私はもう二度と遼クンの傍から離れない。眠り続けていようと、私が来たことがわからなくても、これからずっとずっとあなたと一緒にいます。

 

巡査さんと私は医師に案内されてその病室へ向かい、巡査さんは気を使って私に一人で病室へ入いるようにと無言で合図してくれた。私は呼吸を整えてから、病室の扉をそっと押し開ける。ふと、耳許で彼の声が木霊したような気がした。アツコ、とあの津波の日に神社で聴いた、遼クンが私を呼びかける声が。

 

(了)


奥付




http://p.booklog.jp/book/43069


著者 : 愛川耀
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/aikawaaki/profile


感想はこちらのコメントへ
http://p.booklog.jp/book/43069

ブクログのパブー本棚へ入れる
http://booklog.jp/puboo/book/43069



電子書籍プラットフォーム : ブクログのパブー(http://p.booklog.jp/
運営会社:株式会社paperboy&co.



35
最終更新日 : 2012-01-26 14:10:26

この本の内容は以上です。


読者登録

愛川耀さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について