目次
まえがき
まえがき
1999年11月~12月
外国人労働者
1990年のイラクによるクウェート侵攻
クウェート人から見た日本
女性選挙権と離婚率
バーレーン
電話局と銀行
ラマダン
2000年1月~3月
感受性の違い
雅子様と蝶々
クウェートの年末年始と2000年問題
クウェートの暴走族
イスラム教について
一枚の写真
イラクとの小競り合い
お祈りの時間
メイドの腹切り
健康保険料
スリランカ人社会との交流
ワスタについて
職場の優秀なクウェート人
クウェートのお祭り
砂嵐
建国記念日
インシャラーの使い方
パキスタンの女性労働者
クウェートに乞食出現
ファイラカ島訪問
目を背けたくなる写真
日本の文化交流
2000年4月~6月
クウェート時間
イスラム過激派逮捕
パスポート
中東のIBM
ノンアルコールビール解禁?
クウェートで和牛
高速道を逆走する車
クウェートの結婚式
よく切れる電球
行きも帰りも交通事故
シリアのアサド大統領死去
ノンアルコールのバドワイザー
アメリカのレイオフ
クウェートでの在外選挙投票
夕暮れ時の散歩
2000年7月~9月
日本製食品の賞味期限
9か月ぶりの日本帰国
インターネットサイトへのアクセス制限
湾岸戦争の話
オランダ旅行
クウェートの8月
サウジアラビアの死刑
高圧送電線の掃除人
難しいクウェート人化政策
一族の結束
イスラム教国の休日
ムク・マク
僕らはみんな生きている
2000年10月~12月
クウェート人の勤労意欲
シドニーオリンピック
悲惨なパレスチナ紛争
もしイラクが攻めてきたら
クウェートでのパレスチナ紛争の影響
Fires of Kuwait
地雷
日本庭園開園式
多量の爆薬発見
2回目のラマダン
お祈り
雨漏り
乞食発見
ポケモンの意味
2001年1月~3月
空港のVIPラウンジ
年金支給開始年齢
クウェートの空手ナショナルチーム
悲惨なパレスチナ紛争(2)
スエズ運河を超えてきた装置
真冬のキャンプ
悲惨なパレスチナ紛争(3)
勘の良いパキスタン人
2001年4月~6月
フロントガラスの割れる季節
アラブ人の名前
クウェートの校内暴力
悲惨なパレスチナ紛争(4)
夏のクウェートの冗談
富山のコーラン破り捨て事件
海上自衛隊の演奏会
子供のしつけ
池田小学校の事件
鍵をかけられた工具整理棚
2001年7月~9月
クウェート人女性の海外出張
クウェートの夏は寒い?!
往復より片道が高い航空券
アメリカの学会風景
巨人の国
ジュネーブの情報化社会
人のふり見て
日本人の過剰反応
2001年10月~12月
日本人とクウェート人の危機意識の違い
パスポートを取り上げられる労働者
ワスタの世界
日本への帰国
帰国後の感想

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まえがき

  1999年10月から2001年10月まで、2年間、仕事で中東のクウェートに単身赴任しました。見るもの聞くものがすべて珍しく、書き残しておきたい衝動に駆られて文章にしておきました。

  あれから12年ほどが経ちました。今、読み返してみると、「そうそう、あんなことがあった。」と覚えていたこともありますが、すっかり忘れていたこともありました。アラビア語のワスタ、ムクマク、マアッサラーマは日本に帰ってから一度も使ったことがありませんでしたが、その言葉を教えてもらった時の状況と一緒に思い出しました。

  赴任中に、2000年問題、9.11、アフガニスタン空爆があったのはしっかり覚えていましたが、富山のコーラン破り捨て事件、パレスチナ紛争の緊迫化などについては忘れてしまっていました。忘れていましたが、今回読み返してみて、あの時に見た映像が脳裏によみがえってきました。

  人間の記憶は不思議なものだと思います。忘れてしまっていることでも、思い出すことができる。貴重な体験を見聞録として残しておいた12年前の自分に感謝しています。

  いま読み返してみても、とても興味深く感じます。せっかくの見聞録を私のパソコンの中に埋もれさせるのはもったいないと思い、電子出版することにしました。多くの人に読んでいただき、ご参考になれば幸いです。

  最後に、アラブ世界への目を開かせてくれたクウェートの友人たちに感謝いたします。

2012年2月22日

 


外国人労働者

  クウェートは中東の石油産出国で、ペルシャ湾の一番奥に位置しています。(クウェートで買った地図にはペルシャ湾ではなく、アラビア湾Arabian Gulfと書かれています。ついでに、イスラエルの位置にはパレスチナと書かれています。)面積は四国と同程度、人口は220万人で、その65%は外国人労働者です。 私がクウェートに仕事で赴任したのは1999年10月23日ですが、10月30日から11月1日にかけて、クウェートシティで1,000人以上のエジプト人労働者が暴動を起こし、100人以上の負傷者が出ました。このような大規模な暴動はクウェートでは初めてのことだそうです。暴動のきっかけは、店で買い物をしていたエジプト人が皿を割ってしまい、その代金を払わなかったということだったそうです。当地の新聞によれば、この暴動の背景にはビザの不法売買(visa trading)による外国人の未習熟労働者(unskilled workers)や未就業労働者(unemployed workers)の増加があるそうです。

 クウェートでは法律で外国人労働者は雇用主(sponsor)がいなければビザがとれない仕組みになっています。したがって、外国人の未就業労働者はいないはずです。失業すればビザが切れて国外退去となります。しかしながら、実際にはビザの不法売買によって外国人未習熟労働者や未就業労働者が存在し、彼らが暴動を起こしたりして治安の悪化を招いているということのようです。

 ちなみに、クウェートでは全国民がID番号を持っていて、IDカードの携帯が義務づけられており、警察官に提示を求められたときに持っていない場合は国外退去となります。私は、今、レジデンスビザの取得手続き中であり、その後、IDカード取得手続きを行います。それまでは、外出する際はパスポートを常に携帯する必要があります。

レジデンスビザを取得するために血液検査(エイズ検査)やX線検査、指紋採取に行ったのですが、始業時間は過ぎているのにも関わらず、いつまでたっても係官は現れません。やっと現れると、何事もなかったかのように平然とのんびりと仕事を始めます。応対は最悪で、日本の公務員の応対がすばらしいものに思えてしまいます。男性よりも女性の公務員の方が応対は悪い傾向があります。同じ日にNational Bank of Kuwaitと血液検査のための公立病院に行ったのですが、同じクウェート人で、こうも違うのかと感銘するぐらい違っていました。前者は予約なしで押しかけたのに「ようこそお越しくださいました。担当者を呼んできますので、しばらく座ってお待ちください。お茶になさいますか、それともコーヒーになさいますか?」といった具合なのに、後者はおとぎ話に出てくる魔女のような顔をしたおばさんがガムをくちゃくちゃ噛みながら、怒鳴るような声で「そこに座って待ってな!」といった具合です。あの魔女のようなおばさんの顔は一生忘れません。指紋採取の時は、ディスダーシャ(アラブの男性が着る民族服)を着た力のありそうな係官に有無を言わせず手首を捕まれて、両手のすべての指の指紋を採られました。日本だったら「人権侵害だ!」と言う声が出てきそうです。あまりに応対が悪かったのでレバノン人の上司にそのことを話したら、「クウェート人にもいろいろいる。応対が激しいのは多くの外国人労働者が検査を受けに来ていて、彼らが言うことを聞かないせいだ」と言っていました。

 血液検査(エイズ検査)の結果が出てくるまでに2週間かかったのですが、結果を受け取るまでに2回ほど無駄足を踏んでいたので、2週間目に結果を受け取れたときには思わず魔女の顔をしたおばさんに向かって「サンキュー!サンキューベリーマッチ!」と満面に微笑みを浮かべて言ってしまいました。おばさんも悪い気がしなかったらしくちょっとだけ厳しい表情をゆるめて「ユアウェルカム」と言ってくれました。指紋採取の結果も2回ほど無駄足を運んでいますが、この前行ったときには「5日後に取りにくるように」と言われました。指紋採取してから結果を受け取るまで20日もかかりそうです。

 クウェートの一般商店の販売員はクウェート人ではなく、外国人労働者で、役所とは違って応対はていねいです。クウェート人でも前出のNational Bank of Kuwaitや海外宅急便を取り扱うDHLの社員の応対は日本人以上のものがあります。海外とつながりのある企業のクウェート人は一般のクウェート人とは違うようです。

クウェートは差別社会というか区別社会です。外国人労働者(インド人、パキスタン人、スリランカ人、フィリピン人等)とクウェート人は区別されています。日本はクウェートにとって最大の輸出国であり、また最大の輸入国であるため、日本人はクウェート人に準じた扱いを受けています。

駐在ビザを取るため、現地で指紋採取や血液検査(エイズ検査)に行ったとき、たくさんの外国人労働者が列を作って順番を待っていました。私は背広姿で、一見して日本人と分かったせいでしょうか、係官から、先に受けていいよと言われ、すぐに検査を受けることができました。X線検査の時には、とても時間内に終わりそうにないぐらい外国人労働者が列をなして順番を待っていたのですが、私はレバノン人の上司が付き添っていてくれたため、彼に連れられて最初に検査してもらうことができました。白人男性も列に並ばずに検査を受けていたようです。

 私の勤務している職場で実務を指導しているのは、クウェート人、レバノン人、ドイツ人、インド人、中国系イギリス人、そして日本人でした。私の上司のレバノン人は非常に優秀な人で技術力と行動力を兼ね備えていますが、クウェート人でないため、係長クラス止まりで課長にはなれません。

 交代勤務をしながら現場で装置を動かす末端の技術者は臨時雇いのエジプト人です。クウェート人はスーパーバイザーとして彼らを指導しているだけです。これでは、クウェートにはなかなか技術が根付きません。見込みのあるクウェート人はすぐに国の奨学金で海外の大学に行き、博士号を取ってから帰国し、間も無く管理職になります。従って、汚れ仕事の実務を行う技術者がなかなか育ちません。

 クウェートはきれいな国です。ゴミがほとんど落ちていません。しかし、それはゴミを捨てる人がいないからではなく、ゴミを拾うのを仕事にしている外国人労働者がいるからです。暑さが一段落した夜には人々が街に繰り出し、ゴミをいっぱい散らかします。毎朝、外国人労働者がゴミを回収します。私の勤務する職場にも、掃除専門の若いスリランカ人労働者がいます。

 ある日の新聞に、スリランカ人のメイドが雇用主に殴られて死亡したという記事が載っていました。用意した昼食が熱すぎたということで殴られたそうです。それも、主人ではなく主婦が殴ったそうです。もちろん、雇用主は逮捕されました。

 クウェートの外国人労働者は雇用主から解雇されたら国外退去させられますから、クウェート人に対して非常に弱い立場にいます。

メイドや運転手などの外国人労働者にとって日本人はありがたいお客さんだそうです。それは、殴ったりしないからだそうです。

幸か不幸か、日本には資源がなく、一般家庭がメイドや運転手を雇ったりできるほど裕福ではありません。しかし、高齢化社会への移行による若年労働者の減少や、介護などのきつい職場が敬遠されるなどで、今後、外国人労働者が増えることも予想されます。その場合、クウェートと同じ区別社会になるかもしれません。そう言えば、150年くらい前の日本には士農工商の身分制度がありましたね。クウェートはある意味、江戸末期から明治にかけての日本の社会が現代にタイムスリップしたような国です。ただし、日本と決定的に違っているのは、石油のおかげで裕福で、国民の約2倍もの外国人労働者を雇うことができるということです。


1990年のイラクによるクウェート侵攻

 レンタカーの運転手(スリランカ人)から聞いた話です。イラクがクウェートに侵攻した1990年8月頃、彼はオーストリア大使の運転手をつとめていたそうです。

「イラク軍は朝3時頃から侵攻してきました。最初に爆撃されたのはアーマディの近くにあった通信塔です。王族はすぐにサウジアラビアに逃げました。クウェート人の9割は車でサウジアラビアに逃げました。イラク兵はクウェート人を見つけるとすぐに銃で撃ち殺しました。イラク兵はインド人やスリランカ人などの外国人労働者に対しては危害を加えませんでした。イラク兵はクウェート人と違って我々には親切でした。レバノン人やパレスチナ人はイラクに協力的だったのでイラク軍は彼らを優遇しました。(パレスチナ人は湾岸戦争後、イラクに協力的だったとしてクウェート人から迫害され、ほとんどがクウェートから追い出されました。)シュエイクにあった監獄にとらえられていたインド人やスリランカ人、フィリピン人などの囚人は解放され、代わってクウェート人が牢屋に入れられました。私の勤めているレンタカー会社の車は全部、イラクに持って行かれました。私はオーストリア大使の運転手だったので、イラク軍は私には危害を加えませんでした。クウェートはイラクの領土だとイラクが宣言しました。そして、クウェートにあった大使館はすべてイラクの首都バグダッドに移るようにと言い渡しました。ほとんどの大使館がクウェートから出ていきました。クウェートからは飛行機が出ないので、バグダッドまで行きました。私も、バグダッドへ車で行きましたが、バグダッドはクウェートのように美しい街ではありませんでした。」

「イラク兵はクウェート人と違って親切ですが、フセイン大統領は良くないと思います。彼は反対意見を言う人をどんどん殺していきます。」

「イラクのクウェート侵攻、そして湾岸戦争の後、クウェートはずいぶん変わりました。それ以前は、クウェート人の大部分は英語を話せませんでした。1982年頃、クウェートで運転手をしていたとき、私はある夜、クウェート人の警官に車を止められてアラビア語でどこに行くんだと質問されました。私は英語が話せますが、アラビア語がうまくなかったので、警官にそのように言ったら、警察署に連れて行かれて1時間半ぐらい拘束されました。彼らは私に、アラブの国に来たらアラビア語を話せと言いました。全く無茶苦茶です。今はずいぶん変わりました。英語の学校がたくさんできました。英語も通じるようになりました。以前、男性はディスダーシャ(白布の民族服)、女性はアバヤ(黒布の民族服)を着て顔をベールで覆っていたのですが、今は民族服を着ている人はずいぶん少なくなりました。」

 私は平和な国日本に生まれて本当に良かったと思っています。日本にいると平和というものがどんなにありがたいか気づきませんが、侵略された国、虐げられた人々の話を聞いていると、平和って大切だなぁと実感します。

(写真は2000年2月アルクレインハウス。保存されているイラクによる侵略の傷跡)


クウェート人から見た日本

 昨日、職場のクウェート人女性がやって来て、日本に行ったときの体験を長々としゃべって行きました。「私、国際学会で札幌に行ったことがあるけど、ひどい目にあったわ。ホテルに泊まったら、朝食は生卵と生魚がでてきて全く食べられなかったわ。まともな食事(proper meal)が食べたいって学会の事務局に頼んでホテルを変えてもらったの。そうしたら、食事はまともになったんだけど、ホテル代がすごく高くなってびっくりしたわ。クウェートもホテル代は高いけど、日本はそれ以上ね。子供のおみやげにちっちゃな人形を買ったんだけど、1個が3千円もしてびっくりしたわ。日本人の男性って、ちっとも女性の手助けをしてくれないのね。駅の階段を重いスーツケースを抱えて上がって行ったんだけど、誰も手伝ってくれなかったわ。日本人って英語がほとんどしゃべれないのね。大学生も片言しかしゃべれなかったわ。まったく、言葉が通じなくて困ってしまったわ。食堂で注文するときなんか、言葉が通じなくて結局これって指さして注文したの。駅で切符を買うときに、どうしたらいいか分からなくて、近くにいた大学生に何とか行き先を伝えて、財布を広げてお金を取ってもらって払ったわ。構内に入るとき、改札機で切符を取り忘れて、降りるときに駅員さんに止められ、切符はどうしたんだって言われたわ。取り忘れたと言ったんだけど、許してもらえなくて、すごい罰金を取られたわ。おまけに、駅からホテルに行く方法が分からなくて、夜も遅くなってきたし、涙が出てきて途方に暮れていたら、若い女子学生が親切にホテルまで案内してくれたわ。私が泣いていたら、もう大丈夫、泣かないでって彼女が、慰めてくれたわ。それじゃぁ、またね。」

 これでも、結構、はしょって書きました。クウェート人はおしゃべりが好きだと聞いていましたが、ほっといたらいつまでもしゃべっているのではないかと思うぐらい、延々としゃべっていきました。勤務時間中にです。

 しかし、外国人の目から見た日本の感想を直に聞くことができて参考になりました。特に、日本の大学生は英語が片言しかしゃべれないとか、日本人の男性は女性に対してちっとも親切ではないとか。外国人が日本人のことをそのように見ているということを日本人にも知ってもらった方が良いと考えました。クウェートの母国語はアラビア語ですが、レストランで英語が通じますし、ショッピングセンターでもアパートの管理人でも英語が通じます。公務員も英語が通じます(末端の警察官には通じないようですが)。女性が大きな荷物を抱えて困っていたら、男性は荷物を運んであげるのが普通なのだそうです。

 日本にいると外国人を見かけるのがまれで、英会話は日常、ほとんど必要ありませんし、男性が見知らぬ女性の手助けをするというのも何となく気はずかしくて、勇気がいります。しかし、外国人がどういう風に日本人を見ているのかということを頭に入れておくと、少しは行動が変わってくるのではないか思っています。


女性選挙権と離婚率

 クウェートは湾岸諸国の中で唯一、議会を持っている国です。湾岸諸国の中ではリベラルな国だと言われていますが、女性には議員を選出する選挙権がありません。(注:2005年に女性に参政権が与えられました。)クウェートの首長(クウェートは立憲君主国家)は女性に選挙権を与える法律案を議会に提出しましたが、議会の保守派がこの法案を否決しました。その理由を職場のクウェート人の上司(男性)が解説してくれました。

「保守派の意見は女性に選挙権を与えると家庭の崩壊がさらに進行するということのようです。クウェートの離婚率は50%以上ですが、これは女性が社会進出した結果だと思います。子供が家に帰っても、母親は仕事で家におらず、家事はメイドがやってしまう。これでは家庭が崩壊します。イスラム教では離婚が認められています。夫が妻に『離婚だ!』と1回言えば離婚できます。『復縁する!』と夫が言えば復縁できます。ただし、『離婚だ!』と3回言ってしまうと復縁はできなくなります。男性は女性に対して慰謝料の支払い、子供がいる場合は養育費の支払いが義務づけられていますが、女性にはそのような義務がありません。」

 日本でイスラム教のように夫が妻に『離婚だ!』と1回言えば離婚できるようにしたら、離婚率は上がってしまうでしょうか?それとも『復縁する!』と夫が言えば復縁できるようにしたら、離婚率は下がるでしょうか?妻から言っても同じ効果があるような制度にしたら、確実に離婚率が上がると思うのは私だけでしょうか?



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