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観とは何か(止観と定慧)

  観は、言ってみれば思索を超えた思索である。ただし、それは通常の思索ではない。観は、世間的・学究的な思索とは違うものだからである。

 たとえば、音と一口に言っても、いわゆる音と声に分けられるであろう。さらに声には情報を伝達することを目的とした言葉と、さらに情緒を伝える詩や歌がある。観もまたそのようである。通常の思索が「これは何か?」を追求する知的考研の一手段であるのに対して、観は「真実の真相は何か?」を追求する究極の思索方法なのである。

 ところで、観は本来”止観”と表記すべきものである。なんとなれば、観は単独では存在せず、観ある時には止(シャマタ)があり、止ある時には観(ヴィパサナー)があるからである。そして、観を実践する結果、最終段階では止は定に関連づけられるものとなり、観は智慧に関連づけられるものとなる。つまり、観(=止観)とは定慧を完成する道に他ならない。

 定慧を完成したとき諸仏の智慧が出現する。諸仏の智慧とは、無量の智慧がおさめられた智慧の蔵である。たとえば定慧の慧が一つの赤色だとするならば、智慧の蔵は無数の赤色全体にあたる。赤色の何たるかを知らなかった人でも、一つの赤色を知ることによってすべての赤色が認識できるようになるであろう。それと同じく、定慧によって一つの智慧を完成したとき、無量の智慧を同時に獲得することになるのである。この意味では、観は智慧の蔵に人を導く道だとも言えよう。

観の修行としての位置づけ

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観の完成およびその後のこと

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