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先生、あのね。九

 ■先生、あのね。


 先生。

 今日はサッカー部の山根君と生徒会役員の服部君が喧嘩をしていましたので、学級委員長としてすかさず二人の仲裁に入りました。取っ組み合う二人を引きはがし、そもそも原因は何だったのかと尋ねたところ、山根君は言いました。

 「委員長、俺は毎日グランド10週走ってるし、パス回しとシュートの練習に放課後3時間を費やしてる。それに朝にはドリブルの練習をかねて町内をボールと一周するんだ。だから間違いなく、服部より俺の方が大変な思いをしているっていうのに、服部はそれを認めようとしないんだ!」

 すると、一旦は側で黙っていた生徒会役員の服部君が、顔を真っ赤にさせて言い返しました。

 「お前は馬鹿だな!俺なんか毎日、どの生徒より早く学校に登校し、校門で挨拶運動をしている!それに放課後は毎日生徒会の役員会で話し合いをしているんだ!お前みたいにちゃらちゃらボールばかり追いかけるより、遥かに有意義なことをしているんだ!」
 

 当然のことながらサッカー部と生徒会は全く別の活動をする団体ですから、二人の頑張りの度合いは、比較対象にはなりません。よく考えればすぐに分かることですし、そもそもどっちが頑張っているかなんて、幼稚園児のように中身のない議論です。


 しかし先生、分かってください。山根君も服部君も、結局のところは自分の頑張りを認めて欲しかったのです。一見愚かに思えるこの二人のやりとりを、単に”ゆとり”とか、”幼稚”とか、そんな言葉で片付けてしまうわけにはいきません。毎日頑張っているからこそ、努力を認められたいと願うのは、至極当然のことです。誰もが皆、出来ることなら、良く頑張ってるね、偉いね、凄いねって、誰かに言ってほしいのです。

 お母さんと繋がっていたお腹の中から、ある日突然外に出された、その瞬間から、自分は自分一人でしかなくなってしまったので、私たちは生まれながらに寂しさ、心細さを知っています。寂しく、心細いがために、誰に教えられるでもなく人と繋がりをもつことを覚えます。人との繋がりの中で、ほんの少しでも自分を肯定してもらうことで、私たちの寂しさ、心細さが払拭されるからです。けれども、そうして得られる安心感、連帯感は、決して永続的なものとは限らないので、私たちは人と出会い、認め合い、安心し合うということを、一生のうちに何度と無く繰り返します。


 学級とは、その延長上に存在します。
 

 他者との間でやるそれよりさらに深く認め合い、慰め合い、理解し合える相手と、私たちは学級を作ります。ただそれだけでいれば”自分”という一人の人間を、気の合う人と共に、あえて小さな学級という箱の中に収める、そうすることで私たちは、自分が一人ではない様な気持ちになれるし、雨風をしのぐ様に、寂しさや不安といった負の感情から身を守れる様な気になるからです。



 ところが先生、負の感情を払拭し、安らぎと心強さを育むはずだったこの教室の中にも、孤独はいつだってちゃんと存在していたのです。


 学級という偽薬がきちんと作用している間は、クラスメートといるのだからそんなことは起こりえないと思う。ほんの少し落ちた陰ですら、錯覚だと思い込むことが出来る。けれども、どんな箱の中にいようと、私が私一人であるという事実に変わりはなく、また、誰といようと、相手が他人だという事実に変わりはないのです。


 このクラスが出来上がったばかりの頃、私達は見たくないものの前に、力を合わせて大きな土の壁を作りました。そうして、見えなくなったことで安心し切っていたから、いつしか時間とともに土の壁が崩れてしまっていたことにすら、誰も気がつかなかったのです。


 私は学級という箱の中で、本当は随分前から孤独でした。けれどもそれと同じだけの孤独を、あの人もまた、長い間、抱えていたのだろうと思います。

 




 今朝、教室の換気をしようと窓の側に立ったとき、ベランダに一匹の大きな黄金虫を見つけました。随分弱っていた様で、私がベランダに出て、すぐ側を歩いても、黄金虫はただその場でもそもそと足を動かすばかりで、飛ぶ力もない様でした。黄金虫はしばらく、そのままベランダに留まっていましたので、可哀想に、このままここで死ぬのかな、と思いました。ところが、私が再び教室に戻り、窓を閉めたその直後に、ベランダの方からかさっ、かさっという大きな音が聞こえてきて、何事かと思わず振り返ると、先程の瀕死の黄金虫が驚く程高く飛び上がっていて、空中から何度も、何度も、窓ガラスに体当たりを繰り返していたのです。それでふと、あの黄金虫は、教室の中に入りたいのかな、と思いました。けれども、そんなことを考えているうちに、黄金虫はいつの間にか遠くの方へ、飛んで行ってしまいました。




  学級委員長、家入明子。

先生、あのね。十




 家入君と私とは、結局のところ、二匹のイタチのようなものです。



お互いに、お互いのしっぽを追いかけては、円を描いてぐるぐると回り続ける二匹のイタチ。時折、どちらかがふらっとご飯を食べに出かけたり、休憩を取ったりします。すると、それに気付かないもう一匹は、今度は自分のしっぽを追いかけてぐるぐる。そこへまた、休憩を終えたもう一匹が参加して、二匹で飽きもせずに、ぐるぐる。


 或いは、二匹が同時に休憩をすることもあります。ちょっと休もう、そうしようといって休憩し、じゃあ回ろう、そうしようといって再び、二匹でぐるぐる。たまに協調しながら、たまには自分を優先させながら、ただ何だか気持ち良さそうな、ただ何だか面白そうな、目の前のしっぽを追いかけて、ぐるぐる回り続ける、二匹のイタチ。


 

 私の追いかけているイタチは予測不能な動きをしますし、日中に活動する私とは対照的に、敵は夜行性です。私はA型ですが、敵はO型です。私はひどく慎重なところがありますが、敵はやたら大胆な動作を好む野心家です。まるでタイプの違う二匹のイタチが、それぞれのしっぽを追いかけては延々と続ける、イタチごっこ。当然、もう無理だと、途中で投げ出したくもなってしまいます。足並みが揃わないことに苛立ったり、繰り返しの動作がちょっと退屈に思えたりすることもあります。



 けれども、そんな不毛で、過酷で、滑稽で、終わりの無い私達のイタチごっこによって描かれる円の中に、私達の学級、私達の世界が存在しているのです。








 「ティラリ!ティラリ!ティラリ!ティラリ!

  ティ、ティ、ティ、ティ、ティ、ティ、ティ、ティ、

  ティラリ!ティラリ!ティラリ!ティラリ!

  キンキュウ!キンキュウ!キンキュウ!キンキュウ!

  ジタイッ!ジタイッ!ジタイッ!ジタイッ!

  キンキュウ!ジタイッ!キンキュウ!ジタイッ!

  キンキュウ!ジタイッ!キンキュウ!ジタイッ!

  ティラリ!ティラリ!ティラリ!ティラリ!

  ティーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!……110番ッ、Yo!」





 先生、今日も教室には、エアDJのモー君が華麗にビートを刻む声が響いています。



 例によって仮眠をとっていた家入君は、その声に何事かと目を覚まし、モー君のいつものスキャットと知るや否や「おい、うるさいぞっ!」と一喝し、再び眠りに。

 夢見ちゃんはというと、そんな男子達の喧噪をよそに今日も今日とてプリンセス。

「あなたのそのバッグ素敵ね!今日の舞踏会のために買ったのね?!私のこのシルバーのドレスも素敵でしょ?!この前代官山で買ったのよ!」と

品川のジャスコで買ったスカートをひらり翻しながら、私にそっと教えてくれました。



 全員が全員協調性に欠けた、このめちゃくちゃな学級を、私はそれでもやはり、愛しく思わずにはいられないのです。



 仮に学級委員長として、あるべき学級、理想的な学級を思い描いたとき、その中にいる生徒は決して遅刻、欠席をしませんし、学習中にビートを刻みません。給食は全員で揃って食べ、休み時間はゲームでなく校庭で体を動かします。二日酔いで登校したり、教室で放尿したりはそもそも問題外であって、つまるところ現実にある学級と、理想として描く学級は全く異質なものなのです。そこに不満がないかと言うと、大いにあります。大事なことなので二度言います、大いにあります。けれども不思議なことに、その理想から遠く離れたこの学級について、私が辟易しているかというと現実はその真逆で、もうどうしようもなく愛おしく感じざるを得ないのです。全員が、個々に異なった性質をもっていて、大体いつもバラバラなことをしている、このちぐはぐでいびつな学級が、学級としての営みが、この世の中の何よりも美しいものに感じられて、仕方がないのです。

  



 日々、家入君と私の間で繰り返されるイタチごっこに、たとえどんなに息切れして、もうギブアップ、もう疲れたと思っても、彼と私と、そもそもちっぽけな人間二人の他愛もないお遊びが、こうも愛おしく、美しい、小さな学級という世界を象っている。その何よりの幸運を有難く享受し、学級委員長、家入明子、今後とも明るく健やかな学級構築のために、日々、邁進していく所存です。先生、より一層のご指導、ご鞭撻の程、宜しくお願い致します。







 舞踏会に遅れますので、それでは今日はこの辺で。





 学級委員長、家入明子。





(完)



この本の内容は以上です。


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