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 電話が鳴った時、そこにいたのは山上達夫だけだった。
「はい、こちら凡堂名探偵事務所ぉ」
 時刻は午後の八時をまわったところ。たいていの勤め人なら事務所にいたりはしない。もっとも、たいてい以外の勤め人というのも、けっこうたくさんいるものだ。
「ああ、よかった。助けてください」
 聞こえてきた声は、若い男性のものらしかった。
「なにか事件ですか?」
 山上は職業柄、すぐにメモの用意をする。
「そうです。殺人事件です。密室殺人なんです」
 声の主は、ちょっとあわてているようだった。
「密室殺人事件で、助けてください、ですか?」
 すぐに山上は状況を考察し始めている。
 電話の向こうにいる人物は、いったいどういう状況にあるのか。たいていの「密室殺人事件」は、死体が発見されるところから話が始まるものだ。ならば、依頼者がどんな立場であれ、それほどは切迫した状態にならないのである。
「そうです。そうなんです。ここは密室なんです」
 電話の声は、また妙なことを言う。「ここは密室」というのは、これから殺人事件が起こる、ということだろうか。としても、これから密室殺人事件が起こる、というのは、ずいぶんおかしな恐がり方ではあるまいか。
 だが、山上はメモを取りながら答えに気づいた。
「死体といっしょに、密室にいるわけですね?」
「そうなんです。このままじゃ、私が犯人にされてしまう」
 普通、密室殺人というのは、鍵のかかったドアが見つかるところから話が始まる(死体が発見されるのはその次であった)。そのドアの向こうに死体がありそうだ、ということでドアを破るのだ。すると部屋には死体だけがあって、他には誰もいない。そこで初めて事件が密室殺人だと騒がれることになる。最初から誰かいたら、普通は密室殺人といわないものだ。中にいた人物が犯人だろう、ということになる(殺人の犯人でなかったとしても鍵をかけたのはこいつだ、と誰もが考える)。さらに、死体が見つかって殺人事件が成立するとしたら、通常、密室は破れた状態になる。だから、「ここが密室」という殺人事件の状況はひとつしか考えられない。
 これだけのことを、山上は瞬時に判断したのだった。
「あなたが鍵をかけたわけではない、と?」
 山上は念のために訊ねた。
「かけてません。さっき気がついたら、私はいつの間にかこの部屋にいて、部屋の中央に叔父が倒れてて……。鍵は、元からかかってたんです。それで、へたにさわったり部屋から出ようとしたら疑われると思って……」
「現場をできるだけ保存したまま、助けを求めてきた、と」
「そうです。そうなんです。助けてください」
 これなら信用できそうだ、と思ったのか、声の調子が変わってきている。
「とにかく、状況を細かくお話いただけますか?」
 聞き取りながら、山上は話を整理していった。

 男は、街を歩いていたら、ふいに背後から襲いかかられ、たちまち意識をなくすはめにおちいった。どうやら麻酔や催眠薬のたぐいをかがされたらしい。次に目覚めたのは、もう電話の向こうの、つまり死体のある部屋だった。
 死体は男の叔父にあたる人物であり、その死亡によって彼には少なからぬ利益ももたらされる。さらに、彼は叔父から借金もしており、動機はある、と見なされるだろう。
 部屋は、そのほぼ中央に死体が倒れている。死因は、おそらく胸部に刺さったナイフによるショック。ほぼ即死状態らしく、そのまま仰向けに天井を睨んでいる。
 部屋のドアはひとつきりで、内側からロックされ、しかも留め金がかけられている。やはりひとつだけの窓もロックされていて、さらに外には鉄柵が設けられ、それを切るなりなんなりしない限りは出入りできない。
 男は、麻酔のたぐいがあまりきかない体質であり、おそらく、真犯人が予定するより早く目覚めたはずだ。だから、間もなく自分を罠に陥れる準備が整ってしまうはずだが、今のうちになんとか対抗策を練ることができれば、まだ助かるかもしれない。そのためにも、密室状況を破っておく必要がある。そこで、室内にあった本から名探偵事務所を調べて携帯電話をかけた。……と、そんなところだった。

「難しい状況ですね」
「なんとかしてください。せめて密室だけでも解けませんか?」
 相手は無理なことを要求してくる。電話相談では、もっとも難しい問題だろう。
「そう言われても、現場を見ないのではねえ」
 ドアや窓に、トリックの痕跡が残っているかもしれず、あるいはなんらかの誤認が生じているかもしれず、極端な話、死体の下に抜け穴があるかもしれないのだ。
「そこをなんとかお願いします」
「もうちょっと、周囲の状況について話してもらえませんかね」
 山上は、ややあきらめまじりに訊ねた。書いていたメモの横に、いくつかいたずら書きがくっついていた。
 電話の向こうで、どんどんいらだつ様子の男の説明が始まる。

 部屋は、古い洋風の作りで、形は長方形。六メートルかける八メートルといった、かなり広い部屋である。家具は、書棚がひとつ、大きめの書斎机、背の高いスタンド、革張りの椅子、セミダブルのベッド、ソファ。エアコンは設置されているが、かなり高い位置にあるため背の高い脚立でも持ち込まないかぎりは届かない。壁はグリーン系のクロス張りだが、家を建てた頃から張り替えてはいないため、全体にくすんだ印象がある。ここに抜け穴があったりしたら、おそらくかなり目立つ。フローリングの床も同様で、なにか抜け穴のたぐいがあるなら、すぐに気づいているのが普通だろう。

「まあね、すぐ抜け穴が分かったら、わざわざ密室に閉じこめる意味がないわけで」
 山上はすかさず言った。
「まあ、それはそうなんですが……」
 相手の男も、自信なさそうだ。
 山上のメモには、部屋の見取り図らしき絵が描かれている。おおよそのことしか分からないために、山上自身、正確とは思えない図である。
「なんか、トリックはありそうなんですけどね……」
「なんとかしてください」
 依頼人は悲痛そうな叫びをあげる。
 山上は、自分の描いた図を上下さかさまにしたり、裏側にして透かせてみたりした。それで、答えが見つけられそうな気はしなかった。
「なんとかはしたいんですがね」
「なんとかなりそうなんですか? まだ、ぼくがここから逃げ出すのはもちろん、どうやって入ったのかも分からない」
 いらだつのは分かるが、なんだか偉そうだ、と山上は思う。
「えーと、書棚がありましたっけ。その中に人が隠れたり、抜け穴になってて出入りできたりはしないんですかね」
「一応、調べてみましたけど……」
 結局、死体とふたりきり、ということだ。
「叔父さんの自殺って可能性は、当然ない、と」
「ない、と思います。ナイフの様子で感じた程度ですが。それに、叔父は自殺なんてするタイプじゃないんです。人を殺しても自分だけは生き延びようとするような人で……」
「じゃ、殺される動機ならあるわけですな」
「たぶん。たくさん」
「ついでにあなたを犯人にすれば都合がいい、かな」
 山上は、迷っていた。なんだか、すでに密室が破れているような気がするのだ。いたずら書きした部屋の見取り図を眺めまわし、回転させ……。そのうち、机の上に置いたボールペンが転がり落ち、カランという音をさせた。
「そうか……」
「なにか、分かったんですか?」
「いや、落ちたボールペンは、自力で机の上には戻れないんだよ」
「え?」
「たぶん、その部屋には抜け穴があるんですな。ただ、その抜け穴は、部屋から出るには使えない。なぜなら、あなたにそれを使われちゃ困るからです」
 山上の頭の中には、すでにおおよそのトリックがイメージされていた。

 おそらく、部屋の中央の天井部分に、抜け穴がある。そこから、男は部屋に吊るし入れられたのだろう。意識を失っていた彼には、その抜け穴の存在は分からない。意識を取り戻してからも、分かるはずはない。エアコンの話から推測できるように、部屋の天井はかなり高いのだ。床から確認するのは非常に難しいはずだ。
 密室殺人という言葉は、その部屋からいかにして犯人が逃げ出したかが問題であるように錯覚させる。それが、思考を一方通行にしてしまうのだ。時には、被害者をいかに部屋に入れるかを考えることで解決できる場合もある。だが、この事件の犯人は、さらに周到な方法を考えことになる。死体だけ転がしておくより、もっと効果的に罪を逃れる方法。つまり、犯人(役)も一緒に入れてしまう、という。そうすれば、密室であることの不自然さを感じるのは、最初から疑われることになる人物だけなのだ。

「なるほど!」
 説明の意味が分かったのだろう。電話の向こうで喜びの叫びがあがった。
「いや、まあ、私もこれが商売……」
 山上は、あらためて探偵の契約や報酬について話そうとした。
「ありがとうございました。では……」
 ところが、山上の言葉の途中で相手は一方的に礼を言い、電話を切ってしまった。考えてみれば、相手の名前すら聞いていない。
「トリックが解けたといっても、あんたが犯人ではないと証明してはいないんだがね」
 山上は受話器に向かって言い、
「……ま、いいか。きちんと雇われたわけでなし」
 そう、つけ加えてみるのだった。


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最終更新日 : 2012-01-03 10:44:01

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