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5.裁判-魔女アフェルタ-

女は秘かに愛する人がいた。
絶対に他人には言えない関係、秘すればもっともっと禁断の関係に酔いしれる。
愛する人は同性、彼女は軽い病気を患っていた。
この時代、薬など作れば魔女として処刑されてしまう。同性愛ならは更に罪が。
病状悪化する愛する相手のために、彼女は薬を作り、渡した。
相手は病気は治ってきたが、その関係と薬を渡した所を、悪意ある他人に見られてしまった。
この世は地獄、言えば魔女として裁判がされる時代である。
女は十字に磔にされ、火あぶりにされた。

人間の裁判と死後の裁判どちらが正しいか?
天秤はどちらを示すか。それとも人間の裁判と死後の裁判の結果は同じだろうか。
裁判を始めます。

扉を開けて驚いた。
巨大な天秤と、冷たい空気。
右手に白い扉、その前に白い本を持った女と白い翼の女、計四人。
左手に黒い本を持った黒い翼の男が計四人。天秤の上に鎌を持った男と巨大な羽をもった女。
押しつぶされそうな空間。
処刑されたはずだった。熱さに耐えて、ワイワイと騒ぐ民衆の前で燃やされたはずだった。
意識が途切れる前に見えたのは、民衆に紛れて悲しそうな顔でこちらを見ていたあの人だった。
「ではこちらから始めます」
ぺら、と黒い本のページをめぐる。
「名前はアフェルタ=ソレイユ。…殺した生物の数は三万ほど、それくらいですね」
更にぺらりとページをめくるが、特別悪いことは示されいない。
今度は白い翼の女も読みあげる。
「家族を病でなくしているようです。恋人はいましたが、死んだ理由は…」
裁判に次ぐ裁判、アフェルタは真っ青になって、天秤の前に坐した。
同性愛に、さらに薬を作って渡した、それだけで重罪だ。どんなことが起きるのか。
実際にそれで処刑されたのに、また処刑を味わうのか。
アフェルタは深くため息をついた。
「ああ、魔女裁判にかけられて処刑された模様」
一瞬場が静まり返った。
天秤の上にいる羽をもった女は、本を持った二人にいう。
「何か特別なことは?」
「…」
「…」
皆は顔を見合わせ、本をめくる。
「殺した動物も食べるため、草も薬や食べるため…ですね」
黒い翼の男は軽く石畳をける。
「普通だな」
それに合わせて、皆が頷いた。
「そうですね。普通ですね。特別目立つような良いこともなければ悪いこともない。薬を作って助けた程度ですね」
普通だと頷く彼らを見て、アフェルタは戸惑った。
魔女として裁判にかけられたにの、死後に自分の行いが普通と言われるのは。
「あの、裁判、ですよね?」
アフェルタは天秤の上の二人に問いかけた。
頷く二人に、あたふた戸惑い、自分のことを述べる。
「私が愛した人は同性、つまり女性です。さらに薬を作った…、これは立派な魔女です、裁判されておかしくないのです、私は死んで当り前では…!?」
アフェルタの言葉に、全員が顔を見合わせた。
「…人間の世界ではそうだろうが、ここでは、まあ同性愛くらいは。ただ、子供が作れない程度だろう」
黒い翼の男が軽くいう。それに続いて、白い翼の女も、本を眺めた後、アフェルタに目を向けた。
「そうですね。むしろ同性や近親相姦が当たり前な時代や国もありますし。あえて言うなら薬を作ったことは我々にとっては、草花や薬のために摘み取ったことは軽い罪ですが、他人を助けるためならば善と判断されます」
ぽかん、とアフェルタは口をあけた。
同性愛、更に薬を作って魔女として連れて行かれ、挙句の果てにひどい拷問をされて、やっと認めた火あぶりされた。
すぐに楽になる方法が素直に罪を認めるほかなかった。
 聖なる火というものに手を焼かれ、聖なるナイフによって体をさされ続け、ボロボロになってやっと罪を認めて、想像を絶する熱と共に焼かれた。
魔女裁判は民衆にとって娯楽だったから、熱狂するヤジ馬たちにみられ、もうすぐ会えなくなる恋人の姿を見て、薄れた意識。
そしてやってきた死後の裁判では、苦痛を味わい認めた罪が、それが普通だった。
「で、ですが、これは…」
アフェルタは納得がいかなかった。
拷問もされて、磔にされて、足元に薪と油をまかれて、呼吸できないほどの火に焼かれたのに、それが。
「宗教などしらねぇ。お前の生きた時代では罪だろうが、別の時代ではむしろ同性愛認められるわ、差別されてもいない。むしろ裁判した人間たちの方が罪重いはずだけど」
さらりと告げる黒い男翼の言葉に、脳天を叩かれたようにショックが響いた。
「え、えええ…」
両手を、冷たい地面についた。
「そ…んな…。何のために、私は焼かれたの…。何のために、私はあの人と別れなければならなかったの…」
アフェルタが急に泣き出した。そばにいる白い翼の女の服にしがみつく。
体重をかけて、その服に泣きついた。
「私は、罰ではないとしたら、何故…!!私はあの人と一緒にいるだけで、あの人と一緒にいたかっただけで、それが罪だって…、他にも私の様に薬を作って、貰っただけで死んだ人がいるのに!!」
広い裁判所には泣き声が響く。彼らは困り果てて、首を振った。
泣きつかれた白い翼の女は、身をかがめて、アフェルタの背をなでる。
「貴女は運が悪かったのです。人間など神話の時代から、それ以降数千年経った世界まで、それにあなたは知らないでしょうが、国が数え切れないほどあります。ここは時間軸が様々なので、それと同様に様々な人が来ます。英雄と呼ばれた人間、裏切りを重ねた人間、独裁者から善人まで。彼らを人間の罪に当てはめてしまったら、おかしくなってしまう。私たちは私たちの定義で、裁判を行っています」
優しく彼女を撫で、女が優い声で言った。
それを聞いて、泣きはらした顔で、アフェルタは女を見上げた。
「なら、あの人は、私の愛した人はここに来るということですか!」
時間貸しべくというものを知らない彼女だったが、なんとなく言いたいことはわかる。
ここが死後の世界なら、彼女はいつか死が訪れる。
「もう来ているのか?」
天秤の上の鎌を持った男が、隣の女に呼び掛ける。
「人間の数など数えればきりがないですからね。ではここで裁判を決めたいと思います。本を乗せなさい」
白い本と黒い本が、天秤に乗せられる。
ギ、キギ、と重い音を立てて、天秤は傾き始める。
羽を今度は乗せる。
あっという間に天秤は善を示した。
「では、天へ。輪廻はどうしましょう?」
「特に非もないので、輪廻がいいですね」
「だが運の悪い女だ、その時代に生まれなければすんだものを…」
運の悪い女。それを聞いて、アフェルタは首を振った。
「いえ、私はあの人と会えただけで、大事でした。その時代に彼女がいたから、私はそれを支えに出来ました。彼女に会いたい…、もう一度でいい、会いたい…、でも、それすらも分からないのですね」
アフェルタはぐずりながら、白い扉が開かれるのを見つめていた。
美しい世界、空は青く、石造りの神殿。
花が咲いていて、たまに人が通っている。
天国とは分かったが、それでも納得がいかない。
アフェルタは立ちあがろうとしないので、白い翼の女たちは、彼女を立ち上がらせる。
諦めたアフェルタは、園に行こう足を運んだ。
「では、次の裁判を行います」
その言葉と同時に、重い扉の開く音がした。
背後から光が差し込むのに気付いたアフェルタは、すぐ後ろにある裁判所の扉の方を向いた。
そこには、優しい笑みをたたえたあの人がいた。

結局彼女二人は魔女としてほぼ同時に裁判にかけられたらしい。
アフェルタが裁判された直後、相手も同様に処刑されたようだ。
アフェルタは愛する人と再会できた喜びに、泣きながら抱き合った。
二人は天国行きを言われたが、輪廻を言い渡された。
輪廻は救済処置にあたるが、同時に今まで生きてきた記憶と、罪と善行すべてを忘れる。
魂は次の時代に引き継がれ、当然愛した人も家族も忘れてしまう。
 だが罪が重ければ、輪廻すらさせてもらえず、もっと悪ければ地獄で焼かれ続ける。
彼女達はそれを聞いて、輪廻を拒否したが、白い翼の女は許さなかった。
いつか輪廻は訪れる。それもすぐ。
どの時代に生まれるかは分からない。
ただ一言だけ、彼女たちに羽をもった女は、いい渡した。
「出会いというものが真実であれば、また別の時代に生まれても、めぐり合うこともできるでしょう」
確率は非常に低い。
当然出会えずに輪廻を繰り返すこともある。
しかし、実際例がないわけではない。
 輪廻し続け、その時代で様々な形で出会う人間の魂はある。
女の言葉に、アフェルタと彼女は、にっこり笑いあって、手をつないで園へ踏み入れた。

そしてしばらく経ち、罪人がしばらく来ない裁判所、天の園から帰ってきた白い翼の女が話題を持ち出した。
「そういえば、例のアフェルタですが」
「…魔女裁判のですね」
「無事に輪廻をいたしました」
二人は同時に輪廻のに入った。
どの時代に生まれたかもわからない。
「そうですか」
天秤の上で、女は頷いた。
二人は、再びめぐり合う。
姿も性別も国も別だが、同じ時代に輪廻を果たした。

それだけの会話をすると、また次の裁判が始まった。





6.裁判-無垢な子供サニャ-

十歳にも満たない女の子は、何ももらえなかった。
貧しいわけでもない、家族がいないわけでもない。
ただ虐待という事実。
父の連れ子だった彼女は、父が再婚した母親から食事をもらうことが出来ず、やせ細っていった。
生きるために盗みもした。
見つかって通報されて、殴られ続ける。
そしてついに彼女は息たえた。

では裁判を始めます。

ぺたぺたと音を立てて入ってきたのは、白人の子供。
素足にボロボロの黒がかった、元は白いワンピース。
茶色の髪の毛は短いが、不自然な切りそろえられ方をしていた。
周りを見渡すと、彼女は首をかしげた。
「ここどこ?」
目の前には巨大な天秤。
右手に白い扉、その前に白い本を持った女と白い翼の女、計四人。
左手に黒い本を持った黒い翼の男が計四人。天秤の上に鎌を持った男と巨大な羽をもった女。
「わあ、綺麗!!お姉ちゃんもお兄ちゃんも綺麗!!その羽はどうやって生えてるの?鳥さんみたいに飛べるの!?」
ぱさ、と白い翼の生えた女の羽が揺れる。
冷たい床を駆け回り、少女は両脇にいる彼らに無邪気に触れて回った。
「鳥さんみたい、綺麗!!お兄ちゃんはお化け見たい、触ってもいーい?」
「お黙り!!裁判を始めなさい」
天秤の上の羽をもった女が、少女を一喝した。
その言葉に、少女は異様なまでに反応を示し、その場にしゃがみこむ。
頭を抱えながら、何度も小さく呪文のように繰り返す。
「?…では、私から始めます」
「ごめんなさい、ぶたないで、ごめんなさい…ごめんなさい…」
静かな空間に、少女の声が木霊する。
それを遮る形で、黒い本を持った男はページをめくった。
「名前はサニャ=ブランスト。年齢は、八歳。殺した生物は三千。罪状を述べます」
黒い本をめくる。
サニャは、黒い翼の男の前でうずくまったまま。
面倒くさそうに黒い翼の男は、サニャの方腕を引っ張って、天秤の眼前まで向かわせる。
手を引っ張れば、サニャはガクガクと怯えて、引きずられていく。
「面倒癖ぇなあ…。ここで立っていろ」
サニャは、天秤の前に立たされる。
うずくまろうとしていたので、黒い翼の男はサニャの軽く背中をたたく。
その時に気付いた、ワンピースから見え隠れする、多数の傷跡に。
「ぶたないの…?ごめんなさい、サニャ、悪い子、だから、怒らないで、いい子になるから、お願い、ごめんなさい」
「何だよ、急に。大人しくそこにいりゃ、叩く必要なんてねぇから」
その言葉に、サニャはすっくと立ち上がる。
おどおどとした目をしながら、彼らの言葉を聞いていた。
 黒い本を持った男は、ページをめくる。
「死亡原因は…ああ、これはよくあるパターンです。虐待による死。殴られ、転んだ際に頭を壁にぶつけて死亡。サニャは死んだことに気づいてないでしょう」
それを聞いて、白い翼の女たちは、哀れみの視線を送る。
「可哀想…」
「虐待?確かにあの年齢であの格好にあのあざや傷跡は酷い」
その続きを述べる。
「盗みを繰り返していた模様。八歳で盗みを働くとは。盗んだものは、食糧から、金銭に至るまで。当然困ったでしょうね、盗まれた相手は」
そこに割り込んできたのは、白い本を持った女だ。
「お待ちください。それには理由があります」
白い本をめくる。
白い本には、彼女が生きてきたことが全て書かれてあった。
惨い、と一言いうと、女は顔を覆う。しかしすぐにいつものように続けた。
「家族構成がありますが、複雑です。父親とは血がつながっていますが、すぐに再婚し、家族は計五人。サニャの上に義母の連れ子の姉と兄。義母は日常的にサニャに暴力をふるっています。サニャは食糧すら貰えず、それによって盗みをしていました。いわば生きるためなのです」
ふむ、と皆が頷いた。
しかし黒い翼の男はそれに疑問を持ち、言葉にする。
「父親はなにしてたんだか」
「見て見ぬふり、のようです。また、義理の姉と兄もサニャを気にしていなかったと書いてありますが」
ため息が聞こえた。
母の名前を出すと、サニャが白い本を持った女の方を向いて、叫ぶ。
「お、お母さん悪くないの、サニャ悪いの!!サニャの目が嫌い、って、サニャいなければもっとお母さんたち幸せだって…。お母さんたち悪くないの、本当なの!!お姉ちゃんもお兄ちゃんも、忙しいだけなの!!」
「お黙り!!」
再度羽をもった女が天秤の上から叱咤する。
びく、と震えると、サニャは涙ぐんでしまった。
なるほど、虐待になれているから、怒鳴られれば過剰に反応するわけだ。
先程彼女を天秤の前まで導いた男は、地面をけってサニャの後ろまで飛んでいく。
「とにかく黙れ、あまりうるさいとまた怒られるぞ。黙っておけば、誰も殴らないから」
「本当?」
サニャはぐずりだしながら、黒い羽の生えた男を見る。
苦笑しながら、男は頷いた。
すぐにサニャは笑顔になる。
「黒い羽のお兄ちゃん、最初は怖く見えたけど、優しい」
「良いから黙っておけ」
サニャは涙を拭くと、ニコニコしながら、頷いた。
「困りましたね」
黒い本を持った男は、ページをめくって首をかしげた。
「どうした?」
天秤の上の鎌を持った男が、その男に問いかける。
「それが…、読めないのです。ご覧になりますか?」
ページには、何も書かれていないわけでも、読めない言語があるわけでない。
ただ、真っ黒に塗り潰されたかのような、絵のような、それとも何かのような。
とにかくひたすらにクレヨンのようなもので塗りつぶされていた。めくってもめくっても、そればかり。
これでは元になにが書かれていたか書かれていないかも、わからない。
黒い本は正真正銘、途中からぐしゃぐしゃに殴り書きされた状態のページが続く。
「ん、ああ。ちょっと貸せ」
本を、隣にいた男が奪い取る。
「あー…これは仕方ない。これは罪状を述べると同時に、本人の罪の意識と迷いが書かれている。それだ」
「迷い?…ここまで塗り潰された本は見たことがないが?罪状を取り消したのではないのか?」
本を持っていた男は、隣でそれを聞き、奪い取られた本を覗きこむ。
時々出てくるのは、子供が描くような人間の絵。
それがどれも上から黒いもので塗りつぶされている。
「物書きの例がありましたね、時間軸が違う彼の場合では、確か白い本が止まらないほど書きたされていった」
白い翼の女は、サニャをちらりと見た後、天秤の上の二人にいう。
物書き、リージの例である。
彼は現在輪廻を禁止された状態で、天行きを言い渡され、ひたすら話を書き続けている。
その彼は死んだ直後、遺作が世界から評価され、次々と白い本に人の人生を変えたことが書き綴られた。
 ここは時間軸が違う。くる人間は様々。
リージは死んだ後に評価されたが、人間でいえば実際は一年は経っているはず。ここに辿り着くまでに時間が掛ったか、たどり着いた後に評価されたか。
「彼の逆では?」
「なるほど。しかしこれはなんとなんて読めばいいのか…、とにかく返す」
黒い翼の男は、何度もページをめくるが、読めないことを目の当たりにし、首を軽く横に振ると、本を返した。
「!!わかりました。そちらの白い本にも何か描かれているはずです」
見え隠れする塗り潰されたページの下にある、もの。
盗みを働いた時のサニャ、笑わない家族、冷たい視線。
何度も描かれている、茶色の髪の白いボロボロのワンピースを着た少女。
それらが子供のクレヨンで描いた絵となって現れ、それをさらに上から真っ黒に塗り潰された。
サニャは先ほどから自分が悪いと主張している。
 黒い本を持った男は、一つ間をおいて、通った声で言った。
「サニャにとって、自分の存在が罪である」
白い本の女は、いくつかページをめくると、やはり何か描かれていることに気付いた。
「わかりました、絵ですね。ただこちらはたった二ページ、塗り潰されておりません」
白い本を囲むように、四人の女はそれを見た。
「描かれているもは?」
天秤の上の羽をもった女が言う。
「これは、家族の絵だと思います。横に解釈が私たちの言葉であります。サニャの、過去です」
白い本には、茶髪の男と女と手をつないで、笑っている茶髪の女の子。
その横に、説明が載っている。
「手をつないでいる金髪の女性は彼女の実母、同じく手をつなぐ茶髪の男性は過去の実父。中央に描かれているのはサニャ自身です」
次のページは、うっすらと途中から消えている。
「それから、三人で一緒になって寝ている…絵ですが、こちらは消えかけております。たったこれしか。善行についても、ほぼこれのみで答えられるほどのものがありません」
本は人の心を無意識に移す。
白い本には彼女にとって大切で楽しくて、悪くない自分。
黒い本には、変わってしまった実父と、死んだ母の代わりに来た家族。そして塗り潰されている自分自身。
 あまりにも子供すぎて、素直に心が絵となって現れてしまったようだ。
「読みあげようがないじゃないか。そろそろ天秤にかけたいのだが?」
鎌を持った男は、その二つの本を見比べながら、隣の白い翼の女に問いかける。
彼女も頷くと、天秤を指差した。
「本を天秤へ。羽より重ければ地獄へ、軽ければ天国へ」
本が天秤にかけられる。
それを聞いたサニャは、天秤を見た。
「サニャ、悪い子だから天国いけないって!!サニャ、お父さんとお母さんたち困らせる子だから!!絵本で読んだもん、いい子しか天国へいけないって」
その言葉は無視される。
後ろで黒い翼の男が、何度かサニャの頭を撫でた。
「ママが、読んでくれたもん!!天国にはいい子しか行けないの!!」
全員が振り返った。
涙交じりの声に、「お母さん」ではなく、「ママ」の単語が出てきたからだ。
「ママ?」
黒い翼の男はサニャを覗きこむ。
「大好きなママ、本当のお母さん。サニャはママのこと大好き」
どうしたものか、と皆が考え込む。
「すまないが、ちょっと俺に任せてくれないか?」
黒い翼の男は、全員に向かって申し訳なさそうに聞いた。
天秤の上の二人は、皆と目を合わせると、無言でうなずいた。
「サニャ、素直なことを言わねぇとどうしようもねぇ。そのママに会いたいか?」
「サニャ、ママ大好き。会いたい」
「他は?」
「…お父さん、帰ってこない。あっても、話してくれない。お姉ちゃんとお兄ちゃんは…怖い」
「全てを言え」
命令口調だが、声は優しかった。サニャは、彼にしがみついて、わんわん泣いた。
うるさいほどに響き渡る。
だが羽をもった女は一喝しなかった。
「サニャ、嫌い、お母さん嫌い!!でも嫌いって言っちゃだめってお父さんから言われた!!サニャはいい子って、ママがいってくれたけど、サニャ悪い子だった!!お母さんは嫌い、でもママは好き、いつも優しく隣で本読んでくれたの!!長い髪の毛が似合うって、でも」
ぐずっ、と、また声が響く。
「サニャの髪嫌い、って、お母さんが切っちゃった。お母さん、ママのことも嫌いって」
不自然に切られた髪は、義母が、サニャの髪が伸びるたびにハサミで切り続けたそうだ。
白い本を持った女は、最初のページへ戻した。
「失礼、新たに加えられています。義母に当たるサニャの母は、実母のサニャを嫌っていました。義母は、実母が死んだことを喜んで、サニャの父目当てに結婚したようです」
更にページをめくると、消えかけていた本には絵が浮かび上がる。
内容をひたすらと言葉にする。
「服を買ってくれた実母の絵、三人で談笑する家族、ベッドで一緒に本を読んで眠りにつく」
白い本はまたも止まった。
「サニャが六歳の時点で、実母の絵がないです。その先もやはり描かれていません」
それを聞くと、サニャの側にいる黒い翼の男は、サニャの頭を撫でた。
「サニャ、良いか、これは誰にでもわかることだ。お前が全て悪いと思っている?」
「ママ死んだのも、お父さんが変わったのも、サニャがいるから」
黒い本を持った男は、ため息をついた。
「やはり原因はそれか」
「このガキが自分が悪いとすべて思っているなら地獄行きだろう?」
他の理黒い翼の男が、本を持った男に向けていう。
本を持った男は頷く。
「仕方ないです。それが罪だと信じてしまっているのですから。子どもゆえにまっすぐで、純粋」
白い本の女と同時に、同じ言葉を言った。
「罪と信じ込んでいるなら罪」
「面白い例ですね。ここには子供はあまり来ないので、例がなかったのですが。その逆ならありましたが。本人が悪いと思っていなければ罪は罪と」
鎌を持った男は頷く。
「サニャ、悪くないんだ。ママに会いたいなら、悪くないってはっきり言え」
サニャは泣きはらした目で、男を見上げた。優しく笑う男を見て、安心して、サニャは彼の胸に顔を埋めて、いった。
「サニャ、悪くない!!サニャ、ママにいい子って言われた」
黒い本が一瞬にしてまっ白なページに変った。
塗りつぶされた絵のページだけが、まっ白に変わった。
「さ、て、以上だ。あとは天秤を例のように。余計なまねをしすまない」
サニャから離れると、全員に向かっていう。
元の位置に戻ると、本は天秤に掛けられた。
もう片方は羽が。
天秤が動き出し、段々と天国へ示す。
「では、天へ。輪廻についてですが…このような子供、事情が事情ですから困りますね」
「輪廻はさせるべきでしょう」
白い羽の女たちは、天秤を囲んで話し合う。
黒い翼の男は、盗みを働いたことが一番気にかかると話し出す。
「盗みは盗み、悪いものは悪い、最初は自分が悪いと言い切っていたのだから、輪廻させるべきではない」
「いいえ、輪廻はさせるべきです」
黒い翼の男と白い翼の女は、人すらそれを続ける。茫然とそれを見ていたサニャだが、指をくわえると、彼らに問う。
「りんね、って、なに?ママに会えるの?」
はっとして、先ほどサニャといた男は、サニャに告げた。
「そうだな、もしかしたら奇跡的な確率で会えるかもしれないな」
サニャの実母はすでにここに来たか、それとも輪廻をしているかもしれない。
まだしていなければ、いずれかの形で出会える。
本当に、「奇跡」的な確率だが。
奇跡的な確率という言葉がわかっていないようだが、会えると聞いた途端、サニャは満面の笑みで手を挙げた。
「サニャ、ママに会いたい!!」
子供が無邪気に裁判で、死んだことにも気付かず、輪廻すらわからず、実母に会えると喜んでいる。
全員は顔を見合わせて、ふっと息をついた。
「子供には弱いようですね」
黒い本を持っていた男は、頷いた。
「まあ、これくらいのわがまま聞いてやれ」
白い扉が開かれる

白い翼の女は、サニャの小さな手を握った。
ところどころにあったあざは、消えかけている。なかには火傷や切り傷もあったが、天への道標がさされた途端、綺麗に消えていった。
「ねえ、そのりんねをしたら、お父さん優しくなってくれるの?昔のお父さんに戻ってくれるの?」
拙い口調で、手を引いていく白い羽の女に問いかけた。
「ママに会えるかな?また、ママに会えるの?りんねをしたら、会えるの!?」
白い羽の女は、軽く頷いた。
それを見たサニャは、彼女の手を引っ張って、嬉しそうに園を駆け回る。
ゆっくりと白い扉が閉まる。
冷たい空気、冷たい壁、冷たい天秤。
輪廻の意味を理解していないサニャ、嬉しそうに園を駆け回るサニャ。
天秤を見上げながら、サニャと話した男は、呟いた。
「次は、家族に恵まれれば良いな」
天秤に掛けられた本は消えた。
「そればかりは確実なことが言えないので何とも言えません、が、同意です」
誰かが同意を示した。







7.裁判-電子の人間正行-

電子の波を泳いでたどり着いた。
彼は小説家になりたかった。
投稿を続け、見てもらうことを続け、見つけた先が、大型掲示板だった。
ここなら評価ももらえる、ここなら沢山の人が見てくれる、ここなら同じ思いの人がいる!
狂喜乱舞で固定のハンドルネームを作ったのは最初の一カ月。
一カ月過ぎれば実力差に気付き、自然と羨みから毎日固定ハンドルを外し、才能ある人たちを中傷した。
最近そいつら現れないなあ、もっと落ち込めばいいのに。
そんな矢先、彼は工事現場を散歩中に通りがかり、上から鉄板が落ちてきて押しつぶされ、あっという間に死んだ。

電子の波、知らない本名 、知らない相手、知らない作品、知らないこと、いなくなった相手。
では裁判を始めます。

「うっわ、さむう」
たどり着いた先は、まるで小説の世界。
ライトノベルにありそうな設定だな。
彼はそう思い、目の前の大きな金色の天秤を眺めた。
上から何か落ちてきて当たった気がする。
でもまあいい。きっと夢を見ているのだろうし、夢からさめれば毎日パソコンに張り付いて、けなし続ければいい。
ブログのあいつも嫌だな、謙遜してるくせに本当は自信あって投稿してるんだぜ。そういえばコテハンのあいつは、デビューしたんだっけ。あー、ムカつくムカつく。
後は自分を持ち上げれば、いい。
金色の天秤の前に立ってみた。
右手に白い扉、その前に白い本を持った女と白い翼の女、計四人。
左手に黒い本を持った黒い翼の男が計四人。天秤の上に鎌を持った男と巨大な羽をもった女。
「寒いなー、なんだよ、暖房もねぇの?夢なんだから仕方ないけど」

黒い本を持った男が、声をあげた。
「彼の名は、相沢正行。年齢は二十七。死亡原因は事故死」
「なんだなんだ、俺が死んだって何だよ、変な夢だな」
正行は体を震わせて、息をつく。息は白い。
「彼は死んでいることに気づいてないのでは?」
他の白い服の女が、正行を見て、言う。
「何だよ死んだなんて冗談じゃねぇよ、嫌な夢だな、早く覚めてくれよ」
「お黙り!」
突然天秤の上から、鋭い喝が入る。
「!怖!なにお前」
そういいかけたところで、天秤の上の鎌を持った男が、黒い本を持った男に指示をする。
「続けなさい」
「はい」
黒い本には色々なことが書かれているらしいことは、少し見えた。
「英語と日本語なら分かるんだけど、なに書いてあるの」
覗こうとやって来た正行を、黒い翼の隣の男は、軽く制した。
「邪魔すんじゃねぇ、お前は死んだんだ、死後の裁判だ」
しかし正行は分かっていない。
やはり死んだことにも気付かず、興味を持って本を取り上げようと手を伸ばした。
「え、そういう設定なの?何それ面白い」
「うるさいので黙らせなさい」
鎌を持った男は、呆れて彼を黙らされるように指示をする。
制した黒い翼の男は、軽く正行の口に向かって、人差し指を向けた。
それから一切声が出せない。出そうとしても、喉が焼かれるように声が出せない。暴れようにも、寒すぎて何もできない。
寒さに震え、正行は天秤の前まで連れて行かれた。
「えー…彼が殺した生物の数は四万、そのうち人間は、二人。直接的には殺してないのですが」
(殺した?)
正行には覚えがない。
両親は健在、死んだ祖父母は老衰だし、この前死んだ従兄弟だって病死。
(大体自宅警備員の俺が人を殺せるわけ…)
「大学卒済みの二十七歳、この時代ではよくいるパターンですが、よくいる仕事をしない人間です。だが夢を持っていた模様。それが小説家。この時代には、作品を発表する場がありますから、そうして夢を握る人も少なくありません。しかしそれ故に、電子の波で調子に乗りすぎた。彼は気づいていません、二人、殺したことに」
驚くほど自分のプロフィールを知られていることに、正行は焦りを感じる。
しかしやはり声が出ない。
「では、次は私が」
白い翼の女が、白い本を読みあげた。
「彼は、大変優秀な頭脳を持っています。両親に恵まれ、いい大学を卒業しました。しかし就職せず、そのまま。かといって、両親の手伝いくらいはしています。彼は、とても友達が多かった」
…多かった。
(そうだ、俺は友達が多かった。面白い奴とはいつもつるんで、遊んで…、あれ?)
そこで正行が気付いた。
全てが過去系になっていることに。
(…実際ここ一年であった奴何人?皆は?結婚、就職、夢を叶えて言った奴ら。俺、それで嫌になって、引きこもった)
いつからか、就職活動もうまくいかず、コミュニケーション不足から、友達をなくした。なくしていったのはいつか。
インターネットにはまりこんで、気にいらない人間の中傷を始めたあたりから。
俺は凄い奴だ、大学だってお前らと違う所でてるし、だから俺は絶対賞をとって、有名な小説家になるんだ。
そう言って…?
「お待ちを。こちらの本に書かれていることを」
黒い本を持った男は、ページをめくった。
「彼がもっとも罪深い所をあげます」
(なんだよ、俺は何もしてないって!)
寒いな、寒い。
下を向いたあたりで気づいた。
自分の服が、真っ赤に染まり、段々黒に変化しているのを。
散歩中に事故に遭って死んだと言っている。
散歩中、白いセーターを着ていた。明るめのジーンズ生地のズボン。こんな色になるのはあり得ないはずだ。
散歩中、突然黒い影が落ちてきたのだけは何とか覚えている。
着ている服はところどころ白が見える程度で、ほぼ黒と赤に染まるセーターに、悲鳴を上げようとして出来なかった。
自分の肩を抱いたその手も、乾ききってない血で赤く染まっている。
叫ぶことができないのは、単純に先程黒い翼の男に妙なことをされて、悲鳴が出せないだけ。
寒いのは、自分の血で濡れて、そこから風が入りこんでいるからだ。
「間接的にとはいえ、人を二人殺しているところです」
「どういうことですか」
白い翼の女は、疑問を投げかける。
それに対して、黒い本を持った男は、軽く頭を抱えた。
「…、読めますか?」
そう言って、隣の黒い翼の男に、本を見せる。
何度か見せられた相手は首をかしげて、さらに隣へ本を回す。
一体何が描かれているのか予測もつかないことと、自分の姿に、正行はパニックに陥った。
しかしそれを気にも止めず、彼らは話をつづけた。
「あ、え?ああ、これ、この時代特有のだな、固定ハンドルネームって奴だ。ほら、絵描きとか物書きが別の名前使うだろう。それに似たようなの。コテハンとかHNとか言われている」
なるほど、と、本を返してもらった黒い翼の男は、説明を聞いて頷いた。
「だから、そのマサ ◆3vCtYjWPfoって奴が、そいつの電子部分での名前。本名じゃない」
「ちょっと何言ってるかわからないです」
白い翼の女が、口をはさんだ。
「お前絶対知ってるだろ」
黒い翼の男がそのフレーズに、反応する。
白い翼の女は、くすくす笑い、頷いた。
「まあ、色んな時代の人がここに来てますから。知っておいて損なことはないです。面白い時代ですから、裁判の仕方もかなり風変りになりますね」
「電子?少し前の、テレビや電話の時代とは違いますか?」
他の女が質問をする。
「それを全て取り込んで別のものが生み出された、そんな時代です。一言では説明できません。時代の流れがあまりにも早すぎて、ついていけない部分が多いです。彼らなりの固定観念も簡単に変わってきます。それより裁判の続きをどうぞ」
確かに中世的な雰囲気には似合わないだろう。
困惑し続ける正行をそのままにして、話を続けた。
「すみません、私には読めませんので、代理で貴方に話していただきたい」
黒い本を持った男は、先ほど固定ハンドルネームに詳しい男に渡した。
どうやらわけのわからない文字と数字の羅列に、なんて発言すればいいか全くわかってないようだ。
「はいよ。正行、喋っていいぞ」
人差し指を彼の口の前で動かすと、正行は、喉を焼かれる痛みがなくなった。
が、体中真っ赤。すっかり言葉を失う彼に、皆の視線が集中した。
「この『大型掲示板の創作文芸板』って知ってるよな?お前が、マサ ◆3vCtYjWPfoって名前で、パソコンを使って出た所。見てて面白かったけど、顔の知らない奴と会話もできる、雑談もする」
その言葉に、正行が顔をあげた。
べっとりと血のりのついた手は、少し冷たい。
壊れた人形のように、首を縦にふる。
知っているもなにも、そこは自分のすみかだった。電子のなかでの、自分の家であった。
「知ってるなら話は早い。そこの、krs ◆fZAxfdd8JU、RED ◆bljf0KurQwは、お前のライバルだな」
言いづらい名前だな、と男は思いながら、読みあげる。
◆より前が彼にHN、◆移行の意味不明な文字列は、彼らがネットで本物ですというような記号と思えばいい。
「あ、最近来てない、のは知っているけど…?」
その二人は、ずっと正行が執着して、作品を発表すれば、他人を装って、評価を散々にして荒らしまわった。
羨ましかった。
他人を魅せる文章、穏やかな性格、中傷されても逃げない。
そんな本名も顔も何も知らない二人は、一カ月当たり前から、急にその電子の中で顔を出さなくなった。
「どうせ忙しくてやめたんだろ?」
クス、と、本を託された男は笑う。
だが目は笑っていなかった。
「その二人、自殺したんだよ」
にっこりと歯を見せて笑う黒い翼の男の言葉に、背筋が寒くなった。

しばらく、その場に言葉は流れなかった。
ようやく口を開いたのは、代理として黒い本を読みあげた男だった。
「お前のやらかしたこと、全て書かれてある。まあ、お前だけじゃないさ。奴らを自殺に追いやったのは。krs ◆fZAxfdd8JU、まずこっちな。ブログ持ってたよな。お前はそれを知っていた。小説を投稿して、見てもらう。確かそう言うシステム。たまに日記か。krs ◆fZAxfdd8JU。こいつの本名は、大貫玲子。女だ。詳しいことは省くが、そいつは中傷に耐えきることができなくなって、手首切って自殺した。何が正しいか、何が自分で悪いか、何をしても人間を信じられなくなった」
「…」
「この時代でありがち、顔が見えない、住所も分からない。性別だって分からない。性格だってまともに知らない。彼女は全てを小説に捧げて、低学歴なことも気にして、迷った矢先にお前と出会った。うん、そんなもんだ。仕事、家庭、何もかもうまくいかなかった時期、支えだった小説に何も希望が持てなくなって、自殺したんだと」
ふむ、と彼らは頷いた。
正行は言葉が出ない。
「ですが、中傷したのは一人ではないのでしょう。彼のせいですか?」
白い翼の女は、彼をかばうようなそぶりを見せる。
本を託された男は、何度か首を横に振った。
「書かれてるそのまま出すと、こうなる。タイミングが悪かった。が、その中の一人に、正行がいた。そんくらいかな」
「気軽に意見を聞ける反面、人間の妬み、つらみ、羨望、全てが直接やってきます。疲れている時に、自身のあった作品を貶されて、耐えきれなくなった」
本を託したほうの男は、すらすら告げる。
「だからよ、直接的に人間殺したには変わりねーんだけど、こいつらも人間的に弱すぎるよな。時代と国によって全く違うとはいえ」
話を茫然と聞いていた正行は、今度は手を眺めた。
血は乾いてきて、パラパラと粉になって落ちていく。
「そんな話、あるかよ…、死んだとか、しらねぇよ…」
羨ましいだけだった。
何もかもうまくいってるような、そんな文章に、苦しみなんて書かれているはずもない。
自分より学歴も低くて、それでもそんな文章を書いていたことすら知らない。
堂々と高学歴を自慢していた自分自身の言葉のたびに、彼女がコンプレックスをいだいていたなんて知らない。
「いや、ある…」
正行は記憶を遡る。
彼女がいなくなる直前、いつものように賞賛と中傷であふれかえるブログを見て、せせら笑った。
ほら、称賛より中傷が多い。
コメントを数えて、称賛の方が少なかったことに満足を覚えた。
名前を変えて、媒体も変えて、「つまらない、読む価値もない、二度と現れるな」と、かきつづる。
自分以外にも彼女に嫉妬した人は多い。
ブログはその直後に止まった。
コメント欄のない最後の日記らしきものには、たった一言だけ書かれていた。
『諸事情により、以降更新できません』
背景が白多めの可愛らしいそのブログに、赤いその文字は妙に頭に残った。
「…え、何それ…あれ、遺書なの?」
もう書かないんだ、そう思っていたが、何かおかしいとは感じた。
でもそれを振り払った。ただただ喜んだ。ライバルが減ったことを、ただ喜んだ。
だって、彼女のころや私生活なんて全く知らないのだから。
 自分が書いた言葉が彼女の心に刺さっていたなんて全く気付かなかった。
「あともう一人の方な、こっちはお前か原因じゃないんだけど、あいつはリージ=ミリアス、ここにかつてきた男だよ。日本語も結構出来た、お前にとって外人だ」
「ん、ああ、彼ですか」
名前を聞いて、皆が騒ぎ出す。
正行にはよくわからないといった様子で、一斉に話をしだす周りを見ていた。
「リージは確かに自殺でしたね」
「そうだな、あいつ、趣味で小説書いていたっけな。だが自殺原因は別だろう?大体未発表の作品が多かったじゃないか」
リージのことを知っていることに驚いた正行は、恐怖にかられる。
「何だ、なんであいつのこと知ってるんだ、なんなんだ、何があるんだ、俺は何をした?」
人が死んだ、軽い中傷。気晴らしに書いた悪い噂、それらが重なって、人が死んだことを知った正行にとって、二人目も同じ末路をたどったことは怖くて仕方なかった。
裁かれるからとか、そういものではない。
何となくやったことが、自殺の原因につながることが、怖くして仕方なかった。
ただ、自分も死んだ事実は、認めざるを得ない。
なぜなら、この夢が覚めることもなく、全て言われていることが事実なのだから。
明晰夢にしたって、タチが悪すぎる。
寒い、ここは寒すぎる。
「リージは借金を抱えていた。それで家族と別れた。その合間合間に、そこにきていたらしいな。日本人として過ごしていたらしいが、お前もうすうす気づいていただろう。リージが趣味で書いた小説」
正行はまたも記憶を遡る。
突然現れた、その人間。
 時々文章が日本語としておかしい時があったし、日記を見てみれば、英字で書かれていた時がある。
後で分かったが、それらはもとは英字で書かれていて、彼の友人が日本語に訳していた。
日本語が不自由だとは感じたが、彼の書く小説は幻想的で、その中に人間の本音が見え隠れしていた。
 きっとこいつ、自分を追い越す。
そう思って、彼にも。
「リージのその後を知らないとすると、やはりリージとほぼ同時期に死んだのでしょうか、彼は」
羽をもった女は、手元に置かれている紙を見ながら、白い本を持った女に話しかける。
「そのようです。リージ死亡一ヵ月後のことなので」
「貴方に、リージがどうなったか教えよう」
本を託した男は、丁寧な口調で、正行に近寄った。
「彼は、自殺して一年は経過してからここに来た。貴方がここにいるのも、死んでから随分たっただろう。彼の小説は、元妻と友人たちの手によって、書籍化され、世界中で大ヒットを生み出した。白い本が止まらないほどの賞賛だった。彼は輪廻を自分から拒んで、ここにいる。白い扉の向こう、リージはずっと書き続けている。今まで裁判してきたなかで、随分と異例な例。実際、私たちも暇なときに読んでいる」
正行は、気がつけば、地面を強く踏んでいた。
悔しい、悔しい、せっかくいなくなったのに、自分が死んだ後にヒットしたなんて。
「何だよ、死んだくせに、ずるいじゃねぇか!!自殺した弱虫のくせに!」
苦々しい言葉が、腹の底から込みあげ、言葉として出てきた。
「それが貴方の本音です」
優しい声で、男は言った。
「!!」
出る杭は打たれる、打たれて打たれてそのうちいなくなる。
そうして、何人もその狭い電子の波から消した。
狭い、ということでまた気付いた。
「…狭い」
自分がいたのは、インターネットのごく片隅。
そのごく片隅で、叩いては満足してを繰り返しただけ。
それが実際どうだろう、たった狭い所で、タイミングが悪く自殺した女もいれば、別のことが原因で死んで、その後世に出て、称賛された。
「じゃあ俺はなんなんだよ、間接とはいえ殺して、引きこもってずっと書いてきて、お前らは知っているのかよ、俺がずっと努力してたこと!」
しん、と静まり返った。皆の冷たい視線が、正行に突き刺さった。
「貴方は気づいていますね?」
「何がだよ」
いらだたしげに、肩に置かれようとした手を振り払った。
 羽の生えた男は、目を伏せ、言葉を続けた。
「先ほど述べた人たちにも人生があり、彼らもまた努力というものをしていたこと。貴方達の世界では綺麗事と言われる言葉を、貴方に贈りましょう」
正行はその場にへたり込んだ。そして血まみれの手で、自分の顔を覆って笑い出した。
さすがに、皆は戸惑った。
「っは、なんだ、なんだ、皆同じじゃねーの!!バーカ、俺馬鹿だな!あーあ、何でこんな簡単なこと、気付かなかったんだろ!!」
顔が見えない相手、本音を隠す電子の波に書かれる言葉、それでも発表し続けたライバルたち。
「あー、そうかそうか、俺は本当、馬鹿だ!!そりゃ死んで当然だ!自殺に追いやってんだからな!」
ゲラゲラと壊れた笑い声が響き渡る。
「なあ、裁判って言ったけど、これって何の裁判なんだ?その扉の向こうには何があんの?もう好きにしてくれよ、いきなり死んでいきなり、あいつらの死んだ原因とか苦労とか今更知って、馬鹿みてぇ!俺って、井の中の蛙だったんだな!!」
覆う手の隙間から、涙がこぼれた。
人を殺した、他に原因が重なったが、原因の中の一人が自分。
人が死んだ、彼は死んでから真に世界中から評価された。彼の実力は本物だった。
人を殺した、何気なく書いた、羨望と嫉妬にまみれた言葉。
「小説家目指してたのにそんなことすらわかんない、馬鹿みたいだなあ。いやー、馬鹿なんだろうなあ、俺」
笑い声は段々小さくなっていく。
それを見ながら、羽をもった天秤の上の女は、指示を出した。
「では、本を天秤へ」
天秤の上に、黒い本と白い本が置かれる。派手な音を響かせて、傾いていく。
もう片方に羽を乗せると、地獄を示した。
「と、言うと、彼は地獄ですが」
「輪廻はさせるべきでしょう」
「輪廻なあ。どうする?一応反省はしてるみたいだが?」
ぼそぼそと相談を始めるが、彼らは輪廻を選んだ。
「俺、地獄行くの?」
そこに割って入った。下を向いたまま涙を流し続けていて、力なくその場で座り込んでいる。
白い翼の女は、彼の肩をたたいた。
天秤の上から本は消えてなくなる。
「残念ながら。ですが、すぐに輪廻させられるでしょう」
「そうか、そうか、輪廻か。生まれ変わったら、もっとまともなことやってやんよ。あ、そうだ。」
立ち上がり、黒い翼の男に、黒い扉の前へと連れて行かれる。
うつむいていたが、振り返ると、正行は笑った。
「REDことリージは、そっちの白い方にいるんだろ?その先に何があるか知らないけどさ、一言頼むわ」
白い翼の女は頷いた。
「ではどうぞ」
「俺、マサは、REDを応援してるってよ」
黒い扉が開かれた。真っ赤に煮えたぎる血の海。
それを眺めて、正行は頷いた。
「うっわ、熱そう。ずっと寒かったから、俺にはぴったりだな。んじゃ」
自分からそこに飛び込む正行を見た後、黒い扉は閉じられた。


「はい、マサさんですか。いましたね、懐かしいです」
リージは、花が舞い散る園にある、石で出来た机の上で、いつものように小説を書いていた。
周りに輪廻を前に駆け回る子供や、リージの小説を待つ人たちがいる。
白い翼の女は、正行の最後の言葉を、リージに告げた。
「そうですか…、応援してくれるとは嬉しいです。マサさんは怖い人だと思っていましたが、そうでもなかったんですね、本当、インターネットというのはよく分かりません!」
書きあげると、白い翼の女に紙をつきだした。
「どうぞ、新作です!生まれ変わったマサさんにも、私の遺した小説を見てもらいたいです!」





8.裁判-約束と裏ぎりの辰之助-

老人は、幸せな人生を送ってきた。
学生時代を満喫し、妻が出来て、子供が出来て、孫の顔も見ることが出来た。
先に妻が死んでしまったが、老人は彼女と来世に会う約束をした。
しかし彼には誰にも話せない過去があった。
そんな彼はそれを誰にも言えず、心に秘めたま、家族に見守られながら死んだ。

裁判を始めます。

「これは、これは…」
老人は目を細めた。随分と道や階段を歩いた気がする。
真っ暗な中目指すのは光で、扉を開けば天秤があった。
右手に白い扉、その前に白い本を持った女と白い翼の女、計四人。
左手に黒い本を持った黒い翼の男が計四人。
天秤の上に鎌を持った男と巨大な羽をもった女。
「裁判を始めます」
「…裁判、かい」
老人が、ゆっくりと頷いて、背中を曲げたまま、歩き出した。
「死後に裁判があるとは聞いていたが、このような所に本当にくることになろうとは…」
老人は何度も頷いた。
「お黙り。裁判を始めなさい」
天秤の上の女に一喝された。
黒い本を持った黒い羽の生えた若い男は、頷いて本をめくる。
「はい。名前は、如月辰之助。九十七歳」
「…」
辰之助はただ黙っていた。
「殺した生物十万を超え、殺した人数は、百七十八」
「ここは本当に裁判なのじゃなあ…」
なつかしむように目を細めた。
殺した生物は十万、人数は百七十八。
もっと、多いかと思った。
 だがもっとも罪深いのは、数ではなく。
「彼は一人、裏切っています」
「…」
黒い本を持った男がすらすらと読みあげる。
その言葉に、辰之助はまたも頷いた。
死後とはいえ、年老いた老人の身に、この寒い場所はとても辛い。
だが裁判といわれれば、それすらも受け入れたい。
辰之助はそう思った。
「…一人ですか?」
白い本を持った白い翼の女は男に問いかける。
男が答えるより先に、辰之助はゆっくりと語りだした。
老人特有のどっしりとした姿勢。
 全てを分かっているかのようなこと。
「わしは、何人も人を殺した。裏切りというのは、あの人のことだろう…」
全員が辰之助を見た。
黒い本には彼の悪事が、白い本には彼の善行が書かれている。
それはすぐに見て取れた。
「二度と後戻りはできない、裏切りだった」
何度も自分に言い聞かせるように頷いた。
「裁判を続けなさい」
鎌を持った男は、黒い本を持った男に促す。
それを聞いて、辰之助はまたも黙った。
「裏切られた人物は、柳谷伸」
「ああ、そうだ…その人だ…。とても、いい方でした」
どこか遠い昔にあることを思い出したようで、辰之助はずっと、天秤を見上げていた。
 天秤を見ているのではなく、辰之助は過去を見ていた。
「自覚はあるのですか?」
黒い本を持った男は、何度か本を見た後、問いかける。
黒い本には彼のことが九十六年分書かれている。
白い本にも同じように。
「食料が、なかった」
辰之助はポツリポツリと話しだした。
「船が、おとされて。第二次世界大戦のさなかだった。大和や蒼龍すら沈んで、残ったわしらはどうすればいいか、分からんかった」
辰之助の過去が、本に映し出された。
 黒い本のページをめくると、そこには沈んでいく船と爆撃にあい、怪我を負った何人かの人間。
そのなかに、若いころの辰之助があった。
「知らせを聞いた時は、日本は負けたと思った。真っ暗だった…、刀を手に、船と共に沈むあの人たち。涙が止まらんかった。男として泣いてはならんことだったが、彼らは立派だった」
沈没の知らせが届いたころ、ある船では食糧不足と壊れかけから、日本の近くを漂っていた。
黒い本には次々と映像が映し出されていく。
黒い本を持った男は、黙ってそれを見ていた。
「柳谷、は、犠牲になった。とても、とてもいい方でした」
救助を続ける船があるなか、彼ののった船は、少し遅れることになった。爆撃された場所が場所なだけに、食料はなく、船は海に載っていることがやっとだった。こびりついた血を落とそうにも貴重な真冬の水しかない。
「塩水で顔を拭くとね、痛むんですよ。潮風だけで、焼けただれ、痛みで死んだ人間もおるほど、酷い火傷でした」、
本に映し出される辰之助は爆撃を受けた何人かの人間と共に、今後の対策を練っていた。
しかし場所を特定されないのか、いつまでたっても、人はこない。
黒い本にはその言葉と共に、広い海を漂う船が映し出された。
 若い彼は、何度も他の船と連絡をとろうと試みるが、どうしてもつながらない。
青い海軍の服を着た彼は、一人、死にゆく人間を見ていた。
「とても、いい方でした」
なくなる食料、とれない連絡、救助のこない船。
「人を、食いました」

それからずっとポツリポツリと語りだした。
「柳谷はとても、いい方でした」
それを繰り返す。
段々といらだってくる黒い翼の男は、黒い本を持った男に、話を続けるように促す。
しかし黒い本を持った男は、それを拒否した。
 黒い本にはずっと映像が映っている。まるで、砂嵐のはいったテレビのように。
「火傷が酷かった。死んだ人間は何人もいた。目の前で、体が千切れて海に沈んでいく、けれど、わしらは救助で精いっぱいだった。生きている人間を…助けるのが精いっぱいでした」
黒い本を持った男が見せる時差に気になった他の男が、本を覗きこむ。
出てくるその光景に、ぐっと息をのんだ。
 真冬、身を清めるために冷たい水をかぶって、出撃して、爆撃を受けて、人が散らばっていく。
「敵対した国を恨んでいますか?」
白い翼の女は、黒い本になにが書かれていたのかは正確には分かっていない。
しかし、彼らが息をのむと同時に、なんとなく、分かってしまった。
戦争の話であること、人を食ったこと、それらが本に映し出されている。
「いいや、恨んではおりません。わしらの方が恨まれても仕方がない、と、思います。柳谷には特に」
食料が尽きた。
明後日も明後日も出てくる食べ物はなく、ただ目の前には、火傷を負って、死にかける青年がいた。
皆と話し込む姿。
意を決して、辰之助が取った行動。
「もう少し、早ければ。近くに救助船がやってきたことは、知りませんでした」
本に映し出されたのは、息絶え絶えの青年、そしてそれらをとり囲む。
火傷で顔がただれて、彼はもう持たないと判断した。
「死後に裁判があるとは聞いてましたが…、本当にこのような形で裁判が来るとは、思いませんでした」
黒い本には映し出されていくものは、色あせていく。
日本刀、それを手にした辰之助。
 食料が尽きた皆は、ただそれを受け入れていく。
「…戦争に付き物の食糧不足、だな?」
黒い本を覗いた男は、苦い顔をしたまま、辰之助を見る。
はい、と辰之助は何度か頷いた。
「わしはこのことを誰にも言えんでした。愛する佐代子にも、娘や息子にも、このことは言えませんでした。孫に、学校の授業で使うからと戦争の体験談など聞かれた時、無邪気な孫たちに言えるわけも、ありませんでした」
次のページには、解体された人間と、泣きながらそれをむさぼり食う辰之助たちの姿。
 あまりの光景に、黒い本を好奇心で覗いた男は、顔をそむけた。
「極限でした」
食うことをためらう腹をすかせた仲間にも促す。
「今でも覚えています。生臭く、気味が悪く、仲間を食っていることの罪悪感です」
うつむいたまま喋り続ける辰之助の頭の中を覗くように、黒い本には不気味な光景が広がる。
「柳谷の息を止め、食うように促したのは、わしでした」
血で真っ赤な顔をした自分の顔を拭き、殺した仲間を見ながら、辰之助はうなだれている。
そのころにはもう空は真っ暗で、綺麗な月が浮かんでいた。
 その光景も、もうセピア色を通り越し、ノイズのはいった白黒の様な一枚の写真。
次のページをめくると、別のことが書かれていたが、映像として映し出されたのはそれだけだった。
「食うために仲間を殺したことは誰にも語れませんでした。ここで、全てを言うつもりです。柳谷の家族に言えるはずもない、柳谷は、爆撃で死んだことにしました。実に、わしは罪深いことをしました」
艦長が伝えたのは、柳谷が爆撃で死んだという、仲間をかばって死んだという偽りの言葉だったという。
 それは全て文章となって本に現れた。
「辰之助は生きるために仲間を殺しました。まだ死んでもいない仲間を殺し、それを食べました。実に罪深い人間です。辰之助はそれを自覚しているようですが、これはどうしようもない事実です」
黒い本に時々出てくるのは柳谷の文字だった。
 日本へ帰り、終戦になり、子供が生まれて、孫が生まれて、住む場所を変えて、日本は豊かになり、自然と年老いていく辰之助。
しかしその間に何度も柳谷という人物を殺したという言葉が出てくる。
「柳谷だけじゃあないですが、生きるためだけに殺したことは事実です。大砲の位置を確認して撃つ準備をするたびに、あちらの船にいる人たちにも家族がいることも知っていました。我らはお国のために戦っていると何度もいい聞かせて、人を殺しました。百七十八人、ですか。そうですか…。柳谷を含めて百七十八人…」
黒い本に書かれていることを、黒い翼の男は喋りはじめた。
「私たちも数多く見てきました。戦争、憎しみ合い、殺し合い、平和を互いに願いつつ殺し続ける、矛盾です。第二次世界大戦は私たちの記憶にも新しいですね」
黒い本を持った男は、感情を現さず、すらすらと読みあげる。
 戦争は幾度も神話の時代から見ていた。一人が生んだ欲望のために何十万人が死んだ、この裁判が出来る前から人間が繰り返していたことも、全てを話していた。
辰之助は天秤を眺めていた。
 鎌を持った男が、若干、昔殺した青年と似ていた。
辰之助は目が悪くなっていて、はっきりとは見えないが、それがどうしても柳谷と重なった。
「柳谷。すまんかったなあ…」
鎌を持った男は、自分に告げられた言葉だと気づいて、首をかしげた。
しかし思考を読みとって、軽く笑って見せた。
 柳谷に笑うとよく似ているのだろう。
軽く笑った鎌を持った男を見た辰之助は、何度も頷いて自分の中で納得しているようだった。
「待ってください、彼は、仲間を助けるためにもそうしたのです。事実、救助船が来るまでに彼がそれをとらなかったらどうなっていたのでしょう。戦争というテーマは大変難しいです」
白い本を持った女が、待ったをかける。
 白い本には、別のことが書かれていた。
白い本に映像として映ることはないが、それによって助かった命がいくつかあるということもまた事実だった。
「こういっては聞こえが悪いですが、彼が殺した青年は、救助されるまで持たなかったと思われます。彼も罪悪感がないわけではなく、他の仲間たちも、やはり同じ罪の意識を持っています」
助かった後、辰之助は当時の仲間に会うことはほぼなかった。
「はい、わしは仲間と会うことはできませんでした。部下たちが何度か手紙をくれましたが、読むことができませんでした」
辰之助は、ゆっくりと顔を覆う。
「柳谷のことが書かれていたら、わしを恨むことが書かれていたら、艦長に全てを押し付けたことを書かれていたら、そう思うと、怖くて読むことができませんでした。手紙は箪笥の奥深くに眠っています」
白い本をめくる。黒い本をめくる。
 本を持った二人は、同時に発言した。
「お聞きなさい」
その声に、我に返って辰之助は天秤を見上げた。
黒い本を持った男は本に書かれていることを告げる。
「では私から。貴方は死んですでに一年は経過しています。貴方の遺品の整理をしている貴方の家族は、封を開けていない手紙を読んで驚いています。文字が読めないと、家族は何とかして読むことにしました」
辰之助は恐怖の表情を浮かべた。
 手紙の存在を家族に知られたことに、勝手に体が震えていた。
「手紙の一部にある通り、貴方が行ったことを書いている者もいます」
辰之助は耳をふさぎたい衝動にかられたが、それを阻止したのは、羽をもった天秤の上の女だった。
羽をもった女が指を振ると、辰之助の体は動かない。震えさえ止まっているが、内心穏やかではない。
 辰之助は更なる恐怖にかられ、彼らの言葉を聞くことにした。
皆に知られてしまったのだ。
「だがあなたのことを責めるものはいません」
 今度は白い本を持った女が言う。
辰之助は、何とか顔だけ白い本を持った女に向かうことができた。
「貴方の殺した青年の家族は、もういません。また事実を知る者たちも、貴方を責めることはできませんでした」
「連帯責任という奴か?」
黒い翼の生えた男が、おちょくるように言うが、黒い本を持った男に軽く頭をはたかれる。
白い翼の生えた女たちは、苦笑して顔を見合わせるが、白い本を持った女は、躊躇なく頷いた。
「そうですね。はっきり言えば、そういうことに」
「じゃあ尚更こいつが他の奴らの人生滅茶苦茶にしたんじゃないか?」
「まあ、そういうことにはなりますが、仕方のないことです。人間は、食べなければ死に至りますから。大航海時代、彼らも人間を食べたりしました。ああ、失礼、人間自体を好んで食べる人種もおります。カニバ族ですね。他にも、カニバ族以外にも人間を好んで食べる例はあります」
ふむふむと、黒い翼の男たちは何度か頷いた。
「カニバリズムの語源になった奴らか。人間ってうまいの?」
黒い本の男は、首を振る。
「私がきいた話だと、とてもまずくて食えないと」
「あら、私がきいた話だと、とても美味しいらしいですよ」
「俺がきいた話だと、美味い奴とまずい奴がいるって」
白い翼の女の一人が話しだす。
白い翼の女と黒い翼の男は、情報を言いだしあう。
 やれまずくて食えんだの、場合と人間によって全く違う。
そのやり取りを聞いていた辰之助は、一瞬目を細め、言葉に表した。
「柳谷を食った時は、生臭く…とても苦い味でした」
「罪の意識がとても強いですね、辰之助は。…あら、これは?」
白い本をめくると、写真が現れた。
 今くらいに老いた辰之助が、しわがれた手を握って、泣いている姿だった。
「奥様ですか」
「!!」
天秤の上の女は、軽く指を逆に降ると、辰之助は体がとても自由に動いた。
 その拍子に、辰之助は重要なことを思い出す。
先に死んだ、最愛の妻、サヨとの約束だ。
「サヨ?彼女と約束をしましたね」
「はい、しました」
それだけ言うと、辰之助は黙ってしまった。
しばし沈黙が漂い、白い本を持った女が、話を切り出した。
「本に書かれていることをそのまま述べます。辰之助は人あたりのいい性格でした。特に、妻であるサヨを愛し、家族を見守る続けました」
「…愛するが故にいえませんでした。人を食うたなどと、言ったら、家族に何と思わるか。愚かでした、私はとても愚かでした。だからこうして言えたことをとても嬉しく思います」
サヨもまた、寿命だった。年上の妻、彼女は辰之助と約束を交わして死んだ。
「約束、とは」
黒い本にはなにもかかれていない。
「いつか本当のことを言えたとき、輪廻転生が出来たならば、また夫婦となる。夢見ごとの様な約束です」
辰之助は小さな声で交わした約束を言った。
「輪廻は確かに存在はするが、そう簡単にあえねぇぞ」
黒い翼の男は、壁をけりながら呟いた。
 黒い本を持った男は、それを眺めながら、頷いた。
「はい、ですから、夢見ごとの様な、約束です」
男は再び本を開く。
黒い本に書かれている人数ではどうにもわからない。
もっとも罪深いと判断された者たちは、今までに何十万という人間を手にかけてきた。
 ここで裁かれた例で言うなら、テフィルスがそれに値するだろう。
彼は英雄として先陣を切って戦い、指揮してきた。それに巻き込まれた生命も人間も、「約」という数でしかあらわせられない。
 そして辰之助は、裁かれることを望んでいるのではないか、と、男は考えた。
裁かれることを望んでいれば、彼は自分から地獄へ行くことになる。
 白い本の女は、ぺらりとページをめくる。
「こちらの本で述べますね。彼はそれを覗けば、とても評判も良く、人々に愛されました。やはりそれは今までにいくつもありますから、食人は。好き好んで殺すものは多数見ましたが、彼の場合はそうせざるを得なかった。そしてそれによって悩まされながらも、清算するように穏やかな人生を送りました。ということで、私は彼は天へ行かせるべきと思います」
 白い本の女は今までのことをまとめた。
黒い本を戻せば、涙を浮かべて歯を食いしばり、刀を抜く若いころの辰之助。
「清算なんかできるの?神様なんていないのに?そうやって殺して間接的な被害は百何十程度でじゃねぇだろ?第一殺した生物の数も多い、そりゃあ食うためもあるし、間違って踏みつぶしたもあるけど。いや、そんなことより殺された柳谷とかいう男だ。息があって、目の前で刀抜かれて殺されて食われたんだぜ」
一呼吸おいて、壁をけっていた男は、向き直った。
「上官に裏切られたも同然だからな!」
辰之助はその言葉にひどくおびえるような視線を送った。
しかしそれを無視して、黒い翼の男と白い翼の女は喧嘩をしだした。
「いいえ!!彼の決断は間違ってはいません。仕方のないことです!!それを言いましたら…」
「それも一理ありますが、生物も人数も多いですね、そして何より」
ちらりと辰之助を、黒い本を持った男は見た。
「彼自身、裁きを受けることを望んでいると思うのですが?」

しばし、四人と四人で言いあいが始まった。
天へ行かせる、生かせないのやり取りを聞いていた辰之助は、天秤に向かって大きく声をあげた。
「いつか本当のことが話せたならば、会いましょう」
鎌を持った男は、その言葉に首をかしげた。
「はい、その通りでございます。今この場で、話せたことは、とても喜ばしいこと。柳谷も辛かったでしょう。苦しかったでしょう。裏切られたと、死ぬ間際に思ったでしょう。全てが話すことができなかったら…私は愛する妻に会う資格はないのです…。私は、過去を全て話したかった。そしてサヨと会いたかった」
黒い扉の近くまで辰之助は歩いていく。少しだけ、扉の隙間から熱気と血のにおいを感じることができた。
そのにおいは昔によくかいだ匂い。
 鉄錆の様な、吐き気のするような。
それを熱した鎌に入れれば、むせかえるほどだろう。
「皆への、特に柳谷への、償いをさせてください」
鎌を持った男に話しかける。驚いたような顔をする男を見て、辰之助はやはり柳谷とダブらせる。
 柳谷はまじめな性格で、少し冗談を言えば驚いて笑って見せた。
その後の人生は本当に順調で、子供に恵まれ、住民ともうまくいって、孫たちが出来て。
けれどどうしても忘れられないのは手にかけた柳谷と、その責任を艦長に投げたことだ。
「辰之助」
黒い本を持った男は、天秤を見上げた。
「貴方が完全な悪と思い、貴方が罪と思い、貴方が全てを背負うのならば、裁きは通常よりはるかに重くなります」
「では、本を天秤へ」
白い羽をもった女は、天秤の前へ降りると、羽を乗せる。
「そうですよ。貴方はこの先になにがあるか知っていますか?白い扉には花園と白い建築物があります。嵐も雨も雪もない、穏やかな場所です。その黒い扉の向こうには…」
そういいかけて、白い羽を乗せた女が、白い本を持った女にいい放つ。
「お黙り!!それ以上言ってはなりません」
ピシャリと叱咤されて、白い本を持った女は、はっと気付いたような顔をして、すぐに謝った。
「年月がどんなに立とうと、もう一度だけサヨに出会えるなら、私は喜んでこの先に行きましょう」
血の匂い。
「ふうん、戦争に関わった人間すべてがそれを選ぶわけじゃないし、白い方にいった奴らも多いんだぜ?開き直ってもいいんじゃないの?」
また別の黒い翼の男が、辰之助を眺めながら、呟いた。
 戦争に関わった人間が全員来るわけでもないが、全く来ないわけでもない。
第一戦争の首謀者が来たことだって何度もあるが、彼らは自分の行いを善であると主張し続けた。
彼らの場合は殺害生物数が辰之助の比ではなかったので、大抵は地獄に行ったが、善行だと信じて疑わないので、少しは天秤がその感情に動かされて、罪が軽くなることだってある。
 またそれに関わった人間も、全員が地獄に落とされるかというとそうでもない。天へ向いて輪廻したものは数えきれない。
そのなかに、人を食った、仕方ないから食ったという人間も勿論いた。
が、天秤にかけようとしたところで、黒い本はとても重く感じた。
「いいんですね」
鎌を持った男は、いつもの取り澄ました顔で辰之助に問いかける。
 もう結果は、天秤が示すまでもなかった。
頷く辰之助を見て、天秤に本が載せられた。ぐらぐらと傾く。
重い音を立てて、段々と地獄へ示す。
そしてそこで止んだ。若干、地獄を示した所で止まった。
黒い本と白い本は消えてなくなり、天秤は羽をもち上げられれば、もとの姿勢に戻る。
「黒い扉を示しましたね。ですが、罪はそこまで重くはないです。罪が清算されるまでの年数は人間と時間軸が異なるので言えませんが」
「お願い、します」
辰之助は小さくつぶやいた。
「さて。輪廻は?俺は反対だ。地獄へ行ってとことん苦しんでくれれば面白い」
「まあ、面白いだなんて!!命を何だと思っているのですか、裁判所で言うことではないです!」
「地獄で苦しむ人間の管理するのは俺らだぜ。命の重さは分かってるから余計だな。だからここで裁判官なんかしてんじゃねぇか!」
壁をけっていた男と、白い本を持っていた女との言い争いが今度は勃発した。
「せめて輪廻はさせるべきです!第一、彼にはまってる人がいるのですから!」
「ダメ!」
「ダメじゃない!」
黒い本を持っていた男は、それを聞き流して、呆れた顔をしている。
 いつものことだが、輪廻云々は非常に大事なこと、今後の世界に関わること。
故にここまでもめるのは仕方がない。
が、辰之助は一つだけ先程から希望している。
「…サヨには、会いたいです」
頭を垂れる辰之助を見て、本を持っていた男はね隣で怒鳴る男をつついた。
「私は、彼女たちの意見に賛成です。その先になにがあると分かって償おうとする精神は認めるものがあります。そうでしょう?」
今度は、本を持っていた男は視線を天秤の上の鎌を持った男へ投げかけた。
「『柳谷』さん」
辰之助が、先程から鎌を持った男を見て、柳谷に見立てているのを知っていた。
 勿論彼は柳谷本人ではないが、辰之助の心を動かすには十分だった。
「柳谷、これだけは…。お前の苦しみも全て私が今度は味わう、味わわせてくれ。けれどお前が許した時、本当に許した時に…」
辰之助の足もとにぱたぱたと水滴がたれる。
涙だった。うつむいた彼から、涙が出ていた。
「新しい人生を、妻と共に歩ませてほしい」
「…そんなに似てますか。輪廻に関してですが、私は輪廻はさせて良いと考えています」
鎌を持った男は、隣の女に目くばせする。彼女も何度か頷いた。
「多数決でも明らかです。…辰之助を黒い扉へ」
白い羽をもった女が、黒い翼の男たちにいい渡す。
扉が開けられ、向こうは煮えたぎる血の海、。
 中で苦しみあえぐ人間が見えるが、それを前の辰之助は飛び降りていった

「疑問に思うんですが」
と、黒い扉が閉まるのを見届け、鎌を持った男は隣の女に話しかけた。
「輪廻をしてまたその相手に巡り合えるという幻想物語は、一体どれくらいなんだ?」
白い羽をもった女は、しばらく考えた。
そして語り出す。ここに来た数えきれない人間たちのこと。
「…過去に例がありました。何度も巡り合う、何度も何度も輪廻を繰り返して出会い、別れる二人。そこに、その人たちの周りの人間たちも何度か絡んでいるらしいのです。つまり、奇跡は存在はするらしいです」
ふむ、と鎌を持った男は頷いたが、納得がいかないようだ。
「奇跡という単語ではぐらかされてしまった」
「勿論出会える確率の方が絶望的なほどです。その間何百年何千年経っているかは分かりませんが、めぐり合う人間は、彼らにとって気の遠くなる年月をかけて何度も死んで何度も生まれて何度も巡り合っている、と」
「…まあ、そのあと出会えたかどうかは私たちの知ることではありません」
黒い本の男は、扉に背を向ける。
その場で全員が頷いた。
「ここは死後の裁判所なのですから」
黒い鎌を持った男が、最後に言った。





9.裁判-復讐者シリフ-

かの国の英雄はこの男にとっては悪魔だった。
何度も侵略され、国は弱まっていく。
男は国の見習い医師、国は何度も会議を開き、この男の師匠も呼ばれた。
時には位が高くなった男も交えて会議を開いて対抗手段をいくつも考えた。
そして男は答えを出した。
敵国が先陣を切って侵略し続ける男を、猛毒を塗り付けたナイフで殺す。
それをするのも作るのも、この男に委ねられた。
敵国に侵入し、英雄を誰にも知られず殺すことが出来たが、自国へ帰る途中に流れ矢に当たって死んだ。

では裁判を始めます。

目の前には巨大な天秤。
右手に白い扉、その前に白い本を持った女と白い翼の女、計四人。
左手に黒い本を持った黒い翼の男が計四人。天秤の上に鎌を持った男と巨大な羽をもった女。
男は、何故ここにいるのか思い出せないようで、ふらふらと天秤の前に膝をついた。
「何だここは…」
男はめまいを覚える。
重い空気が漂う。
翼の生えた男と女は、じっとこちらを見つめてきた。
天秤の前、動くことすら出来ない。手には毒をぬったナイフを握っていた。
「では始めます。名前はシリフ=アーディ。三十五歳」
本を持った男が、名をあげた。
彼はシリフという名前であり、確かに覚えているのは、森の中で、敵国の流れ矢に当たって苦しみ死んだことだった。
「医師として働いていた。死亡時、毒を塗ったナイフを所持しており、流れ矢は胸に刺さり、それによって死にました」
「そうだ、俺は国を救ったんだ!!」
黒い本を読みあげる男は悪魔か、白い本を持った女は天使か。
ならばこの先にいるのは神の国か。
「そうだ、テフィルスをついに殺した、殺したんだ!!」
「お黙り!!」
天秤の上の女が一喝する。
それに頷いて、本を持った男は続けた。
つらつらと挙げられる文章はまるでシルフの耳には入らない。ただ、達成感だけがあった。
そしてこの先には国がある。神の国があるという。何度も書物で読んだその国が。
善人だけが行けるという国。
ただそれをずっと思い描いていた。
「テフィルスを殺害しようとし…」
黒い本を読む男のその言葉に、シリフは生き生きとそちらを見た。
「テフィルスは死んだ!!俺がこのナイフで殺したんだ!!」
毒をぬったナイフは鮮やかに銀色に輝いて、汚れがまるでない。
 その先に塗った毒は、自国で作られた猛毒だった。
テフィルスが病に伏せっていると聞いて、急いで毒草を煮込んで作られた毒。
それをナイフに塗って、テフィルスがいる部屋にいって殺してこいと、上司から言われていったことを思い出す。
この毒は強力だった。様々なもので試した。
死刑囚に緊急で作ったその毒を針に塗り、ぷすりとさしただけで、あっという間に死んだ。
声もあげられず息絶えたそれを見たとき、シリフの心が躍った。
小さなナイフにそれを縫って、与えられた。その時のシリフは、大切な仕事を任された、そして国を救う英雄になるという思いでいっぱいだった。
 元々は薬物に詳しい有能な医師だ、別の国の経由で、自国にとって悪魔であり、その国にとって英雄であるテフィルス殺害のために潜り込むのは、割と簡単だった。
数えきれない軍を率いて他国を潰しにかかっていたテフィルスは怪我をして、そこから菌が入り込んだだろうと思われ、熱病に侵されていた。
テフィルスのためにと、与えられた部屋で一人そのナイフを握りしめて、気付かれないように足を刺した。
「テフィルス?思い出せそうな気がします」
黒い本を持った男の話を聞いているうちに、白い翼の女の一人は、首をかしげた。
「地獄行った英雄じゃないですか」
「ああ!!なるほど、彼ですか。確か永遠に地獄の最深部で焼かれていますね」
 天秤の上の鎌を持った男が、白い翼の女に教える。
中々使わない鎌を使ったからこそ覚えている。
 やり取りを聞いていたシリフは、それを聞いて狂ったように笑い出した。
「はは、は、俺は間違ってなどいなかった、テフィルスは地獄へ行った!!俺は国を救った英雄になったんだ!!」
ゲラゲラと笑い声が響くこの部屋、黒い本を持った男は、一瞬シリフを見た。
 ナイフを持った手を高く上げて、神に祈るように笑い続ける。
「英雄だ!!俺は国を救った!!テフィルスは地獄へ行った!!」
「…です、が。テフィルスの死因は病死です」
とたんに笑い声が止まり、シリフは驚きを隠さず、黒い本を持った男を見つめた。
「…病死?」
「そうです。所で殺害数と人数を見ている限り、だいぶのことをしましたが、医師の探究心故ですかね」
ふむ、と、黒い本を横から覗き見る他の黒い翼の男も頷いた。
「今まで殺してきた生物なんて考えたことがない。死刑囚や捕虜を使って実験はした。医師なんだから当然だろう!!」
シリフは勢いに任せて噛みつくように怒鳴りつける。
 しかし黒い本を持った男は、何の戸惑いもなく、むしろ聞いてないようなそぶりで、隣の男と相談をしあっている。
「ではこちらの本を読みあげます」
白い本を持った女は、彼らがずっと会話しているのを見た後、続けた。
「彼の国は壊滅しかけていた所に、それを救うためでした。その行動が、毒殺という手段です。それにシリフには四人の兄弟がいます。貧しい国にとって、有能なシリフは救いでしょう。救ってきた生物も人数も大層なものです。特に兄弟にとっては、シリフがいなければとっくに国を出ていくしかなかったと思われます」
大事な兄弟。家族を持ったけれど、国が貧しい、蝕についても大した金を得られない。そんな兄弟のために、せっせと貯金をしてはそれを切り崩し、薬を作り続けた。
 色んな薬を作った。
大量の人間を救った。
「そうだ、俺は国にとって英雄だ」
道の草だって手にいれては、不治の病とされる病気を治したこともある。そうして効能を発見しては薬を作って、一気に昇進した。
その中で新たに作られたものは、テフィルス殺害の計画。国の一部でしか行われず、絶対に外に情報等出せない。
 あの悪魔に、死を。あの悪魔に、地獄を。
聖剣なるものを持って戦い続け、潰された国は数知れないあの悪魔に。
そう思いながら、急いで国を介して、出身も何もかもを偽造して、優秀なテフィルス専属の医師として紛れ込んだ。
「と、失礼。こちらのことを述べます。やはり殺害生物より、人数が…特殊なことになっています」
黒い本を見ながら、男はページをめくる。何度もページをめくり、戻る。それを繰り返す手つきを見ながら、シリフはナイフを握りしめる。
「これみてっと、間接的な殺害人数が…二十万ちょいなんだよ」
本を持った隣にいる男が、首をかしげて告げた。
「二十万?間接的に?」
その場にいる誰もが、異様なまでの人数だと、述べはじめる。
シリフは混乱する。
殺害生物ではなく、人数が二十万以上。
確かに人体実験は何度も行ったが、自国の人数レベルで人を殺した覚えはない。
 と、自国の人数が二十万程度ということを知っていたシリフは、まさか、と小さく口に出した。
それを気にも留めず、黒い本を持った男は、ページをめくり続ける。
「ああ、ありました。シリフが間接的に殺したものはたしか二十万と少し、これはあまりにも多いので述べられないのですが」
「国一個壊してる」
本を持った隣の男もの言葉に、皆は首をかしげた。
だが、シリフは今度は喜んで声を上げる。
「国を一個、その国はテフィルスの国だ!!」
ついに英雄がいなくなったことで、全てが崩壊したのだと思った。
 その国にとってテフィルスがいなければ、この歴史はなかったといわれるほど、テフィルスの評価は高い。
またも高笑いが響く中、本を持った男は冷静に口にした。
「壊れたのは貴方の国です」
シリフの高笑いが止んで、動作が不振になる。
「どういうことだ!?」
確かに殺したテフィルスが病死、かけられた毛布の上から刺したはず。手に汗を握って、誰にも見られないうちに天蓋のある豪華なベッドに忍び込んで。
そして、その直後に、すぐに、テフィルスは無事だと告げて、しばらく安静にと告げて、国に帰ったはずだった。
 勿論その途中、流れ矢が当たって死んだのでここにいるのだが。
「早い話が、お前は、流れ矢が当たって死んだことと、テフィルスの毛布に穴が開いていたこと、同時に文書偽造がばれて、敵国怒らせた。あとは分かるな?」
流れ矢に当たった時に持っていたものは、テフィルス殺害した胸を上に知らせるための一枚の書類。
 もしその文書が敵国に知られたら?
「何故テフィルス専属の医師が、国の城壁の外で死んでいる?なぜ手にはナイフを持っている?」
あげられる言葉に、シリフは硬直した。
「まあそういうこと。残念だったな、何でそんな大事なもの持って出かけるんだ、医師として有能だけど大事な部分はスポンジで出来てんのか」
「スポンジ?」
シリフには知らない単語である。
「お前の時代にはないか。えーっと、そのあと国が壊滅して繰り返してな。今は割と落ち着いてる。戦争とか災害は相変わらずだが、お前らの時代よりはまだましかな。えげつない所は相変わらず人間のやることだけど。まあ、そのスポンジってのはすかすかなの。柔らかいの」
黒い本を持った男が苦笑するほどの隣の男はべらべらしゃべり続ける。
楽しそうに喋り続ける男は、息を大きく吸い込んで、固まるシリフに大声で言う。
「要は、お前はアホか」
 生きて帰る予定しかなかった。すぐに出て無事に国に帰り、国境を越えれば無事が確認される。
 当然シリフの他にも紛れ込んだものはいたが、重要な部分はシリフが管理していた。
たまたま国境を超える途中で、矢が刺さって死んだ。
書類とナイフを持って。
死んだ後のことなど考えたことがない。
長い螺旋階段を上った先がここで、ここがなんなのかもわからない。
彼らの持っている本も黒い、としかシリフには分からず、どんな繊維かもわからない。
そもそもその本が紙で出来ているかも怪しいほど、見たことがなく神々しくもあり、まがまがしくもある。
 だがそんなことはどうでもいい。
「国は消えた?潰れた!?」
「そうですね。こちらの本にも書かれていますよ」
白い本を持った女も、ページをめくった。
 だが善行しか書かれていないので、どう死んでどういう壊れ方をしたのかは分からないと、黒い本を持った男に譲る。
 そのことを組んだ黒い本を持った男は、更にページをめくった。
「詳細を。貴方が死んだすぐ後、死体は見つけられてしまいました。これがすぐ後で、敵国に見つかってしまいました。当然手にナイフや薬、そして例の書類一枚を持った、その敵国の紋章のはいったものだった。当然ながらすぐにおかしいということで、全てが暴かれてしまいました」
シリフは声が出ないほどの絶望に覆われた。
「貴方がスパイであることが気づかれてしまい、その直後、テフィルスは死亡しています」
「そ、そんなことは、おかしい、何でシリフは病死なんだ。いや、兄弟は、国は、何で…どうして!!」
シリフは何もかもが嘘であると思おうと必死だった。
それに対してとても冷静な声が響く。よくとおる男の声だ。
「はい。貴方は焦りのあまり手元が狂って、実際にはテフィルスに毒をぬったナイフなんて刺していないのです。なので、テフィルスは殺害人数に含まれていない。その代わり、流れ矢の当たった死体を見つけられたことで、敵国は貴方の国を全力で潰しにかかったんですね」
「続き知りたい?」
本を持った男の隣の男は、ニヤニヤしながらシリフを見た。
震えるシリフは、汗をだらだらと流しながら、頷いた。
壊れた人形のように。
「テフィルスがまず怪我した時点で、テフィルスは、己に代わる奴を見つけてたんだ。そいつが代わりに軍を率いてたの。テフィルスから教えられた方法でな。まあ、カリスマ性はテフィルスより劣るけど、結構な人間だ」
「…」
「それで、お前の死体がご丁寧に調べられたとき、ボロが出まくったわけだ。その時のその国らへんでその薬に使われたものが生息しているのは、お前の国内だけだった。毒だとわかっていたのは。その手掛かりはナイフから、あとは穴のあいたテフィルスの毛布も調べられて。壊れかけていた国を潰すなんて、英雄を継いだ人間にはたやすい。あっという間に大量の軍が放り込まれて、お前に関わっていた家族は、残虐な手口…まあ俺が言うのもおかしいけど、結構な苦しみを受けて死んでいった」
黒い本を持った男も頷く。
「貴方が死刑囚を殺したのと同じように、貴方の家族は残念ながら、様々な実験や民衆の娯楽、他国への見せしめとして処刑されました」
シリフの脳内では、様々なことが駆け巡る。
 小さいころから貧しいのに勉学に努めるシリフを支えた兄弟。やっと入れた小さな医院から、才能を発掘され、王宮に仕えることになった時の喜び。
そこでも実力を発揮した。
なにぶん医師でしかないので、大量の兵下への特効薬を作ることばかりに気をとられていた他の医師とは違い、毒草に着手し、自国でとれた毒草を調合した時。
 調合方法が特殊だった。
煮だしたりするだけでもなく、乾かしたり、他のものをくわえたり。とにかく、テフィルスを殺せば済むと思っていた。
 テフィルスを殺せたと思った時に、気が緩んだのは確かだった。
これで国が救える、敵国はひるむ、自分自身は正真間違いなし、家族は更に裕福になる。
実際にスパイとして潜り込んでいたのはシリフの国だけではないはずだ。
テフィルス死亡が外に広がれば、他の国だってかたきとばかりにその国に襲いかかってくる。
はずだった。
「そうですね。軍を率いていたテフィルスだけが優秀だったわけではありませんから。テフィルスの国は随分と武具に関する所が進んでいたようですね」
白い翼の女の一人が、なるほどと相槌を打って聞いていた。
「家族が見せしめ、国…」
あまりにもナイフのように鋭い言葉だった。
 応援してくれた家族や仲間たちが自分一人の死で崩壊したことなんて考えたくもない。
シリフの手から、からんとナイフが落ちた。
青銅で出来た剣。
それを見つめる。床に落ちた剣は、確かにどこも汚れていない。
つばを飲み込み、震える手で勢いをつけて刺したはずのあの時、手ごたえはあったのかと思ったが、分厚い布をかけられていて、分かるはずもない。
かといってテフィルスの衣服を脱がせてさす手間も惜しいほど、小さなタイミングだった。
 血すらついていないことに気付くべきだった、とシリフは考えた。
「そちらの本には?」
黒い本の男は、相手にいうが、白い本に続きはなかった。どれも過去のことで、黒い本を凌駕する内容は見つけられなかった。
死んだ後、彼が善行として残るほどのことがなく、むしろその国が壊滅したことが小さく書かれている。
首を振る白い翼の女に、黒い本を持った男は頷いた。
更にべらべらと喋る黒い翼の男。
「殺害された方法も書いてあるけど、聞いてみ」
言う途中、さらに隣の男に、頭を軽くはたかれる。
それを見ただけで、どれだけ辛い思いをして死んでいったのかは分かってしまった。
内容こそわからない。殺され方は分からない。
けれど、黒い翼…シリフにとって悪魔が言うのもためらうほどの方法。

気付くと、天秤には黒い本と白い本、もう片方には羽がかけられていた。
見ることをしなくても、傾いたのは罪の方だった。
がたんと勢いをかけて響いた音を聞いて、黒い扉が開かれる。
「違う、俺は英雄だ、そのはずだった、これは悪い夢なんだ!!」
シリフは両腕を、黒い翼の男二人に引っ張られた。
「俺は、俺の神の御意志の通りにやったんだ!!」
熱気がこみあげる。この最深部にテフィルスがいるという。
 書物で読んだ紙の国は花園、白い神殿と天使たちがいて、更にその上に神がいる。
それを主張したが、扉の前まで引きずられる。もうあと一歩行けば、この中に呑みこまれてしまう。
その時、鎌を持った男と、白い羽をもった女は、同時に告げた。
「神は、存在しません」
その瞬間、シリフは蹴り飛ばされた。

落としてからなんだけど、あいつ自身に悪気はないから、この際輪廻でいいんじゃねえかな」
手フィルと同じ場所へ落ちていくシリフを見送った後、その背を蹴り飛ばした、本の隣の男は天秤の上の二人に向けて言う。
扉は閉じられる。
「あら、珍しいですね、いつもは輪廻禁止なんてしつこく言うというのに」
白い翼の女が、くすくす笑いながら、頭を描く彼に向けて言った。
「うーん?うん。やっぱりなあ、そりゃ殺害数は多いし、結局自滅したことになるからどうもいえねぇけど、あいつはあいつなりに頑張ったんじゃねぇの?そっちの本に書かれてなかった?」
白い本は、天秤が傾いた時点で消えてしまった。
先程まで白い本を持っていた女は、思い出す。
シリフの苦労と、国のために行ったことは、評価をしたい。
貧しい国と貧しい家族を養うための努力は、何度も白い本に書かれていた。
 それらがあまりにもひどい結末になってしまった。
「…そうですね、テフィルスは信仰心熱く、善人そのものの故、自ら輪廻禁止を選びました。その代わり…」
女は、天秤の上の鎌を持った男を見た。
「ああ、この鎌ですか?痛みは味わわないけれど、結局ずっと同じ場所にいることになったのと、悲惨なものを見続けることは変わりないですよ」
鎌で首を切られたテフィルスは、地獄の最深部の熱さを感じないようにされた。
 テフィルスの信仰心故に引き起こした戦争によって死んだ人間は数知れず。しかし神がいない事実と、自らの行いによって、殺戮者と何ら変わりないという事実に気付いたテフィルスは、自ら、後から来る仲間の分まで苦しむことを提案した。
そして地獄の最深部で永遠に輪廻なく。
鎌で首を切ったのは、テフィルスのまっすぐな心にうたれた、天秤の上にいる彼によるものだった。
 痛みはないが、首を切られても生きてはいる。
むしろ、首と胴体が離れたことで、動けもせず、煮えたぎる血の海で罪人たちを永遠に見続けるのは、善人としての自覚のあるテフィルスには、想像を絶するほどの精神的苦痛のはずだ。
 また、その眼から流れ続ける血が、海となって更に血の海はかさをまし、熱くなる。
罪人の血によって出来上がった地獄という名の煮えたぎる血は、そこに飛び込んだ人間の血でますます増えていく。
「わざと国を潰したわけではないですからね。むしろ犠牲者を減らすために行ったことがこうなってしまったことですが」
「だからあいつは頭がスカスカなんだって」
黒い本を持っていた男も、納得している。
後の二人は、輪廻禁止を訴え、白い翼の女と相変わらず言い争いを続けているが。
鎌を持った男が、天秤の下で一瞬何かが光ったのを見て、降りる。
 それはシリフの持っていた、毒をぬったナイフだ。
青銅で出来たそれは、切れ味がとてもいいというわけではない。
軽く刃先に触れると、乾いた毒液らしいものが指についた。
「償いは長いけれど、ここは輪廻ということで落ち着きません?」
天秤の上の女は静かな声で全員に問いかけた。
一体どれくらいの時間をかけて償うのかは知らないが、相当かかるであろうことは容易に想像がつく。
「賛成します」
鎌を持った男は、ナイフを握りつぶす。
毒のついていたそれは、さらさらと土に帰り、消えていった。






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