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4:村長

あなたが私の前からいなくなって、もうどれくらい経つのでしょう。
あなたが最後に私の頭を撫でてくれてから、何度あなたの姿を錯覚したでしょう。
あなたは再会の約束をしたことを今でも覚えているのでしょうか。
あなたはまだ私のことを思ってくれているのでしょうか。
私は、あなたのことを忘れてはいません。
どれだけの歳月がすぎようとも、あなたの事だけは忘れる事はできません。
だからこそ、私は生きているんです。
私はあなたに会うために生き続けています。
それだけが私の生きる意味。
あなたを信じて、あなたにきっと会えると信じて私は今日まで生きてきました。
幾度も繰り返される階層再編。
私はその度に、希望と失望を味わいます。
あなたに会えるかもしれない。
でも、あなたは現れることは無かった。
だけど、次こそは会えるかもしれない。そう思って、あなたを待ち続けています。
そうそう、あなたは鉄火巻きが大好きでしたね。
だから私は鉄火巻きを作り続けています。
まだ、あなたほどうまくは作れないけれどあなたに喜んでもらえるように頑張っています。
私はあなたに会うためにこんな姿になってしまいました。
あなたがいつまで経っても現れないから、私はこんな姿に成らなければなりませんでした。
河馬です。
あなたが好きだと言っていた、壁画に書かれた動物の姿です。
たとえ人の形でなくなっても、あなたに好きでいてもらえるように。
こんな姿でも、あなたは私だと気付いてくれますか。
こんな姿でも、あなたは私を愛してくれますか。
あの頃のように私の頭を撫でてくれますか。
私は不老不死になってしまいました。
だから私はいつまでも待ち続けます。
でも、今度こそはあなたに会えるような気がしてならないのです。
だから私は今日もライノーツの船を見上げます。

エピローグ:NHK3号

草原に立つ寂れた掘建て小屋。
屋根の上に乗った風見鶏が出鱈目な方向を指したかと思えば、風も風見鶏に合わせる様に風向きを変える。
小屋の中には異様な機械が低い唸りを上げながらもノイズ混じりの声を受信している。
NHK3号から発せられた電波。
何処へ行くとも無く彷徨った電波はやがてこの受信装置へとたどり着く。
声は電波に変わり、電波は声へと戻る。
一人の少年が受信機の前に立っていた。
少年は受信機から流れてくる老いた声に耳を傾ける。
物心がついた頃に父から教えられた。
この声は祖父の声なのだと。
少年はまだ見ぬ祖父の声を聞く。
少年の祖父は少年のことを知らない。少年は祖父と会うことも、何らかの手段で交流を持つこともできなかった。
ただ、祖父の声を聞くことしかできない。
だがそれでも、祖父の声を聞き続ければいつかは気付いてもらえるような気がした。
空には何も浮かんでいない。
黒い船も、情報を喰らう羊も。
ただ、見えない声が空を飛んでいて、やがて受信機へとたどり着く。
NHK3号は誰に届くとも知れぬ電波を発し続け、そして誰かがその電波を受け取る事になるだろう。






おまけ1:キース

木目調のテーブルが脂ぎった光を放っている。天井で輝く電灯はニコチンがまとわりつき本来の力は失われてしまった。
換気扇がうまく廻っていないためか店内の空気は重苦しく、視界もどこかぼやけている。
キース・ポア・ヴァンガルドはそんな寂れた店の雰囲気が好きだった。
キースは小奇麗な飲食店があまり好きではなかった。顔の見えぬ調理人。機械的な対応の受付員。
そこには客と店との距離がある。客は客でしかなく、一人の人間としてみるようなことは無いのだ。
そんな疎外感はキースの好む所ではなかった。そんな場所に比べれば、お世辞にも綺麗だとは言えないようなこんな場所の方がよっぽどましだった。確かに飲食店にとって清潔であるという事は必要なのかもしれないが、度がすぎればあまりにも無機質すぎて食欲がうせる。
そして何より、キースは飯を食いながらそれを作った人間と話をするのが好きだった。
「お待ちどうさま」
店主のアンディ・ザ・シューティングウルフが笑顔で「こってり大盛豚骨ラーメン」をキースの目の前に置く。豚骨スープの香り、そしてその中に溶け込んだ麺の放つ芳香がキースの鼻腔をくすぐった。
唾液が口の中に充満し、胃は準備万全であることを主張している。
割り箸を綺麗に割ると、それを横に置きまずはレンゲで様々なエキスの混じった大海の中からスープを掬い上げる。湯気をゆっくりと吸い込み、香りの中の味を存分に堪能すると暖かなスープを口に拭くむ。
こってりとした油の味が口の中にまとわりつく。濃厚な味の中にも、出汁の繊細で絶妙な味が失われていない。出汁はおそらく豚骨をベースに赤烏のがら、イガ茸や火野菜などを煮込んだものだろう。それらがうまく溶け込みながらもそれぞれの特徴を絶好のタイミングで舌に己を主張する。
「うまい」
自然とそんな言葉が口から漏れた。キースはそんな言葉を言おうと思ったわけでもないのに意識には反して言葉が出てしまった。改めて考えてみても、それ以外に思いつく言葉はない。
うまい。
舌に残る後味を堪能しながら、キースは心のなかで感想を述べた。
「ありがとうございます」
アンディはニコニコしながらキースの食べる様子を眺めていた。キース以外に客はいない。
飛びっきりうまいラーメンを作る店なのに、ここに来る客は案外少ない。キースにとって最高の穴場だ。
「あんたが一番、俺のラーメンをうまそうに喰ってくれる」
アンディはそんなことを言った事がある。キースにとってアンディは最高のラーメンを作る男であるように、アンディにとってキースは最高にうまそうにラーメンを食う男だった。
スープを味わった後は、麺に取り掛かる。スープが絡みつき黄金に輝く縮れ太麺はうまい具合に味を纏っている。歯ごたえ、舌触り、そして喉越しの全てが完璧といえるほどに調和している。流れるが如く口の中へと入り込み、歯に抵抗して見せたかと思えば丁度良い具合に噛み切られ、喉を通るころになってもその活力は失わずに心地良い感覚を置き土産とばかりに残してくれる。
うまい。
キースにはそれ以外の言葉を見つけることができなかった。脳は幸福で満たされ、ラーメンの中へと溶けていきたいとさえ思えた。
「やっぱり、うまいなぁ」
「誉めても何も出ませんよ」
アンディははにかんで照れを隠すように禿げ上がった頭をかく。
「早く食べないと麺が伸びちまいますよ」
確かにラーメンは早く食べなければ麺が伸びてその味を損なってしまう。しかし、キースはこのラーメンを食べ終えてしまうのが何だかもったいなかった。
最後の一杯。
そう心に決めて、キースは今日この店にやってきたのだ。
「そういや、旦那は1127階に住んでいるんでしたっけ?」
キースが住んでいるのはこの階層ではない。そして、明日十数年に一度の階層再編が起こるのだ。
「ああ、これが食いおさめだよ」
もうこのラーメンを食べにくることもできない。何せ、この階層にくる手段は明日には失われてしまうのだから。そのことを考えるとキースの表情は曇っていった。せっかく出会えた最高のラーメンがもう二度とは食えないのだ。
それはキースにとってたまらなく苦痛な事だった。
「そんな顔しないで下さいよ。せっかくのラーメンが不味くなっちまいますよ」
その通りだ。これが最後なのだ。
最後のラーメンは最高の状態で食べなければ。
「うまいよ」
ラーメンの味が口一杯に広がって行く。この味を忘れまいと、この味を失うまいと絶え間なくラーメンを口に運ぶ。
「うまい」
見る見るうちに丼の中のラーメンは減っていき、やがて最後に僅かなスープが残った。まるで厳粛な儀式が取り行われるかのようにキースは真剣なまなざしでアンディの目を見た。アンディはただ微笑んで頷くだけだった。
キースは丼を持ち挙げ、最後のスープを口の中へと流し込む。
そして、キースは躊躇することなくこう言った。
「ごちそうさま」

おまけ2:田中

田中・E・ウンドゥムス ―神秘科学による世界観システム構築―

探求者 田中・蔵州守・バーナード


我が祖父、3世代前の探求者である田中・E・ウンドゥムスはその生涯に置いて膨大な数のテキスト情報を作成している。Eは探求者の一族において忌むべき神秘科学主義に傾倒した異端の存在として我が一族に名を刻んでいる。そのため、彼が残した膨大なテキスト系情報群は省みられることなく村の情報保管庫の奥で埃を被っていたのである。 異端の烙印を押された彼の著作であるが、やや突飛な論旨であるものの興味深い言及を数多く残している。そこで探求者である私は彼の残した膨大な著作を元に新たなる世界観システム系を構築したいと思う。

Eは神秘科学主義者として前世代の人間にとってはある程度名を知られているかもしれない。Eのその神秘科学主義者たる所以はその懐疑の精神から来るものである。我々探求者の間では懐疑は必要なものとされているものの、「了解と好意の原理」により行き過ぎた懐疑は禁物とされてる。しかし、Eはあえて自ら科学精神と称したその懐疑の方法論によって全てのものに対して懐疑的に分析した。彼は最終的に疑う事のできぬものなど存在せず、ひとたび疑いをかけられた物は存在を証明することはできぬという結論に達し、以降その不確かな存在を探求することについて悩まされ続けた。そのことについてはこのテキスト情報では多くは語らない。それは忌むべき懐疑精神の行き着いた果てなのだ。
さて、彼が懐疑の対象としたものには「ライノーツの船」がある。我々の階層の空に浮かび、他の階層と我々の階層を繋げているかの船であるが、彼はその存在が果たして本当にライノーツの船であるのか、そもそもあれは船であるのかというところからライノーツの船に関して分析を進めていく。そもそもライノーツの船とは誰が名づけ、いつごろからそう呼ばれているのかはっきりしない。過去の言語系情報を検索してみても下限の窓幕時代にその記述が見られたかと思えば、その後にしばらく記述が見られず、しばらくの後の代にひょっこり顔を出したりする。確かに、言語情報で検索できる限りの最初期であるミクロソフィト=マッキ時代にその記述が見られることからして、それ以前からライノーツの船が存在していた事は確かなようである。しかし、過去の時代において忌まわしい情報改変が行われていた事もあり、これらの記述を鵜呑みにすることはできない。ただ一ついえることは、我々にとって、私が物に触れたり、掴んだりするこの手こそが「手」といえるように、ライノーツの船はライノーツの船なのである。その我々にとって自明の事を、Eは疑った。
ライノーツの船という言葉は、ライノーツと船、そしてそれを接続する「の」によって構成されている。そこでEはこのライノーツと船について探求をする。まず、ライノーツとはなんなのか。ライノーツとは人の名前のようでもあるし、何かの物体の名称であるかのようにも思える。ある人物が作り上げた船なのか、それともライノーツと呼ばれる物質によって作られた船なのか。ライノーツが指す対象を知りえない限り、この問題を解く事はできない。しかし、この言葉もまた過去の情報にも見出す事のできぬ謎の言葉である。田中・DR・サナギによればライノーツはライノーツの船から分離不可能な言葉であって、ライノーツだけで意味を意味を成さないものであるとしている。これは現在では一族のものの多くに支持されている意見であり、そもそも多くの村人たちはライノーツという言葉をライノーツの船から切り離して考えたりはしない。
そこでEは「船」について探求の矛先を向ける。船とはあの砂原に浮かぶ抜け殻のことを指す。現在では砂原は紫色を呈しているが、かつては青色だったと言われている。そこで移動手段の一つとして用いられていたのが「船」であるというわけだ。現在では砂が青色を失ってしまったためか船はその機能を失い、ただの抜け殻と化している。それが我々の知る所の船である。しかし、ライノーツの船は空に浮かんでいるし、砂漠に佇む船とは全く似ていない。そもそもライノーツの船は数年ごとにその姿を変える。確かに、その形態変化の過程において数年間船に酷似した形をとることもあるであろう。しかしそれだけでは船足りえるとは言えない。それでもライノーツの船は船と呼ばれている。我々はそれを疑おうとはしなかった。ライノーツの船は船なのだ。しかし、Eにとってはライノーツの船は船ではない。いつごろからライノーツの船と呼ばれ、ライノーツの船を船として認識するようになったのか。それはライノーツの船が何かを運んでいるものだからではないかとEは考察する。船は砂原を移動する構造物であると共に人や物を運搬するものであった。ライノーツの船は何かを運んでいる。その何かとは人であるとEは述べる。ライノーツの船はこの階層から別の階層へ人を運んでいるのだ。一見するとライノーツの船は自身は移動もしていないし、確かに他の階層への入り口を構成しているもののそれは運搬とは言いがたい。しかしそれは我々の船に対する認識を誤っていたのだ。砂原に点在する船は人を乗せ、船が移動して運搬するものではないのだ。本来船はライノーツの船のように他の場所へと移動する門を持っていた。そしてそれを通って、現在我々が階層間を移動するように人や物が移動していたのだ。それが、Eの見出した答えである。少々論理の飛躍があり、後にE自身もこの説に懐疑的になり、いくつかの説を提示する。
それはライノーツの船が何らかの物を運んでいるという説である。ライノーツの船には他の民族とは交流を断絶した種族が住んでいるといわれている。彼らは自ら自身を情報へと変換し、その中で過去の世界を再現しているのだという説がある。しかしEの説はこの異説以上に突飛である。
その運んでいるものとはこの階層自体であるというのだ。広場の電磁計の表示からして我々の階層は階層再編においても移動していないというのが定説であるのだが、そんな自明の事までEは疑う。Eにとっては電磁計の表示はただ壊れているだけか、もしくは何の意味も成さないものである。そして、電磁計の表示が信用なら無いとなれば、この階層自体が移動しているとしてもなんら不思議ではない。それどころか、Eは放送センターの階層構造という最も自明ともいえる世界観自体を疑っているのである。
現在広く受け入れられている階層構造のモデルとしてはタナカ・鉄火・剛算の提唱した鉄火巻きモデルがある。この高層建築物世界であるされている我々の世界を鉄火巻き型の建築物としたモデルである。鉄火巻きの中心にあるマグロは我々住む1125階層だとしよう。この階層は中心であり、動く事が無い。しかし、まわりの酢飯部分は多数の米粒から構成されていてその階層郡は入れ替え可能である。その階層郡は中心であるマグロ部分とは異なり海苔巻きの内においてはランダムに移動する事が可能であり、移動したとしても鉄火巻き足る本質に影響は及ぼさないのである。そして、その階層=米粒の移動はランダムに行われ、我々にとっての階層再編がそれに当たる。そこで、鉄火は我々に似たようなマグロ部分に当たる固定階層が幾つかあるのではないかと考え、本来米粒部分の階層は固定階層と固定階層の間に存在するようなものだったのではないかと示唆している。このモデルはいくつか問題点を含み後の探求者たちによって様々な変更を加えられ、現在ではより完成度の高いモデルが作られている。鉄火巻きモデルという名がつけられているものの、後の探求者にはあまり相応しい名前とは考えられておらず、現在では「固定階層モデル」や「円筒階層」モデルなど名なの派生モデルが主流となっている。鉄火が鉄火巻きモデルと名づけたのは単に彼が鉄火巻きが好きだったためである。余談だが、彼は屈指の戦闘者や指導者として知られる一方で優秀な探求者でもあった。階層再編の際にそれを観察するためにライノーツの船に乗っていたのだが大規模な形態変異に巻き込まれ行方不明となった。ある人は死んだといっているが、またある人は他の階層へと行ってしまったのだと言う。鉄火は村長と同世代の人物であり、たとえ他の階層で生き延びたとしても現在まで生きているとは思えない。
さて、話が少し横道にそれたがEはこのような階層構造の世界観モデルをとらないことは既に述べた。では、彼はどのような世界観モデルを想像したのか。彼はこの階層自体を他の階層とは独立した世界として考えた。階層は一つの世界=高層建築物(放送センター)に包括されたものではなくそれぞれ独立した世界であるというのである。当階層と他階層はそもそも次元の異なる世界であって本来同じ世界観を共有した存在ではないとする。Eがその証拠としてあげるのはアカイシア共同体は階層再編を新たなトンネルが出来上がったと表現したし、侵略系においては侵略のために送り込まれたと思い込んでいたことである。彼らは決して階層再編が起こったとは言わなかったのである。我々はそれを表現の違い、もしくは他階層の探求者が間違った解答を見出しているのだと思い込んでいた。しかし、むしろ間違っているのは我々であって彼らの認識の方がより真実に近いのだとEは述べている。さらに、1つの階層はたった四畳半の無人の一部屋だった事もあれば、多くの種族、多くの国家、幾多の大陸と大海を含む広大なまさに世界とも呼ぶべき階層だったこともある。これらは皆階層などではなく、我々の世界とは異なる世界なのだと言うのである。しかし、多少の齟齬はあれど我々は他の階層の種族ともある程度の共通の認識を持って理解しあう事ができる。更に言えばEの挙げた例は特殊な例であり大抵の種族は階層再編の事を階層再編と言って我々と同じ様な世界観に基いて生活している。Eはそれは我々の世界は他の世界へ影響を与える力を持っているためだと説明する。我々の世界は他の世界に接触するとそこに住む人々の認識機構に何らかの影響を与え、彼らの世界に対する見方を変えてしまうというのだ。Eは我々の世界が他の世界に与える影響をストレンジアトラクタと称する。そしてそのストレンジアトラクタは他の世界をこの世界に接触させる力であり、他の世界に突然の変化を与えるのだとする。もちろんこれは侵略系が使っていた「ストレンジアトラクタ」本来の意味ではなくEの作り上げた概念である。一説によれば侵略系がかつてストレンジアトラクタシールドを張っていたという。
 Eはこの世界の上位世界は異なる世界を内包していてその数は無限であると考える。そしてその無限の世界との接触は完全にランダムに発生するのだ。しかし、ここで一つの疑問が生じる。無限に異なる世界がありランダムに接触するのならば人間とは全く異なる知的存在のようなものが存在する世界と接触してもおかしくは無いのではないだろうか。しかし、実際には人間か、人間の作った存在か、あるいは無人である階層との接触しか記録には残っていない。
 しかし、Eによればそれは我々にとっての可能世界のみと接触を持つことができるためである。ここにダイスがあるとしよう。ダイスは1~6までの目がある。数字は無限にあるがダイスがあらわすことのできるのは6つの数字に過ぎないのである。そして我々の世界は無限の目を持つダイスだが全体の無限から見れば一部でしかないのだ。つまり我々の世界はある特定の世界としか接触を持つ事しかできない。そしてそのダイス、他の世界との接触をランダムに決定する装置こそライノーツの船である。そしてライノーツの船はこの世界自体であって、多次元世界を移動する船なのである。
「おそらく古来ライノーツという言葉は「世界」という意味、もしくはこの世界に与えられた名、さらに想像が許すならばこの世界を作り上げた人物の名なのではないか」
 そう述べてEはこの世界への解釈を閉じる。

 Eの世界観モデル―多世界モデルでも名づけよう―はただの世界と階層、高層建築物と上位世界の言葉の置き換えに過ぎないのではないかとも思える。これらの言葉を置き換えてみてもそれほど大きな裂け目が生じるわけではない。更に言えば、そこでは従来の階層モデルとEの多世界モデルとの合一がなされ新たなモデルが提示される。元来、我々は階層を三次元的広がりとして捉えてきた。しかしEの提唱したモデルを取り入れることにより多次元的な広がりを考える事ができる。そしてこれを一つの箱=高層建築物に収めることによって我々にとって自明の知識を歪める必要もなくなる。我々は多次元的な広がりの中の無限の階層(それはもちろん建築物に収めるだけの無限の階層であり、我々の想像を絶するような世界は含まれない)と接触し、階層再編においては文字通り多次元での位置が入れ替わる。このようにして私は新たな世界観モデル、多次元的階層モデルを提唱する。このモデルで考えれば、Eの多世界モデルでは説明の難しい旅人と呼ばれる再編のたびに移動を繰り返すような一族の存在も従来どおり説明が可能である。
 Eの残した情報の数々はあまりにも異様なものが多く現在まで省みられる事が無かった。だが、異様に見えるそれも別の視点から見れば軽やかな跳躍であり、自明の事さえも置き去ってしまう雄大な飛行である。しかしEは高く飛びすぎた。あまりにも飛んでいた所が高すぎて我々はEの姿には気付かずに異様な影しか眼にしていなかったのだ。そして高く飛びすぎた彼は道を見失い、やがて飛翔は混沌としたものへと変わって行った。
飛翔は低ければ意味を成さないが、急激な上昇は身の破滅を招く。探求とは長い時間をかけて徐々にその高く上昇していくものだ。我々は焦らずに高みを目指していかなければならない。




参考情報
1)田中・E・ウンドゥムス 「ライノーツ・船・門」
2)田中・DR・サナギ 「名称情報の起源」
2)田中・E・ウンドゥムス 「階層と世界―多次元構造という世界観―」
3)タナカ・鉄火・剛算   「階層構造としての鉄火巻きモデル」
4)田中・シロア 「幽冥郷」
5)田中・E・ウンドゥムス 「侵略系にみる階層の構図」
6)田中・E・ウンドゥムス 「ダイス論的世界再編、もしくはストレンジアトラクタ」








おまけ3:鉄火

鼠色の雲が広大な空を覆いつくし天と地とを遮る。
水蒸気が凍てついた空で冷え、やわらかな雲を紡ぎだしたかと思えば大地を穿つ銃弾となって降り注いできた。
閃光が雲と大地を照らし出し、照らし出されたものは影を伴って存在を顕わにする。
湿った土の臭いが鼻腔をつく。
やがてそれは味気ない雨の匂いへと変わっていき、霧のように辺りを覆いつくし湿気の底へと沈めて行く。
暗い世界。
淀んだ世界。
そんな淀みをどこかへ洗い流してしまうかのように冷たい風がゆっくりと流れを作る。風の流れの中で木々はさわさわと雑談をはじめ、かたや鳥たちは沈黙を守る。
ざわめきと沈黙。
ノイズ混じりの静けさ。
それはこれから何が始まるのか期待する劇場に集まった観客たちの放つものなのかもしれない。
やがて劇の主役となるべき男がひとり、やって来る。雨に濡れながらも毅然とし、淀んだ気配もそよぐ風もまるで気にかけていない。
男の前方には稲光に照らし出されたもう一人の主役。それもまたその場の状況などは胸中に無い。あるのはただ、目の前にある好敵手のみ。一対の影はゆるりと距離を詰めるとやがて止まった。まるでそれが予め指定された立ち位置であるかのように微動だにせず、ただ相手を一心に見詰めるばかりである。2人の戦士は戦いの鐘が打ち鳴らされるのを待ち構えていた。そこには鐘を打つ者などいない。2人の戦いの場に入り込めるものなど誰一人としていなかった。だがやがて鐘は打ち鳴らされるのだ。2人の間に流れる均衡。それが打ち破られるとき二人の胸中には何かが到来し、鐘を打つ。
男の肩が揺れたとき、鐘が鳴った。
男は肩の傾いた方向に重心を寄せそのまま横に走り出す。もう一方の存在もまたそれに呼応するかのように反対側へと素早く移動する。2つの影は円を描くかのように動く。 男が足を地面につけるたびに水しぶきが飛び上がり音を立て、存在もまた浮遊装置の反作用によって雨や草を切り裂いてゆく。
閃光。
光が世界を包んだ瞬間、戦闘存在の触手が男の心臓めがけ打ち出される。男の眼前に迫ろうかという刹那、触手は刀に弾かれ行き先を見失う。遅れて金属音が響いたときには男は既に姿勢を屈め走り出していた。
疾風迅雷。
疾風の如き速度で距離を縮め、迅雷の如く空を裂く。存在はすぐさま二弾、三弾と続けざまに触手を発射する。男は体制を崩すことなく抜刀し弾道を逸らす。触手は方向を見失いかつて男があった場所を漂ったかと思えばすぐさま男の背後へ迫りくる。
減速の過程など無き、一瞬の静止。抜刀。
男の急激な転換によって形成された水しぶきの壁を越え弾丸の速度に達した触手が到来する。二弾目を受け止めた瞬間新たな触手が背後の存在より打ち出される。小さな舌打と壁の中の影が打ち抜かれたと思われたときには男は宙へと飛び上がっていた。
存在が再び男の存在を認識した瞬間には男は既に切っ先を存在に向け空を蹴って落下してきていた。
触手が反射的に存在を覆う。
刃は存在に達することなく一本の触手を切り裂いたのみだった。次の瞬間には触手たちが身をしならせ男を弾き飛ばす。空へと投げ出された男は体制を入れかえとんぼ返りして再び足に地面の感触を味わう。再び立ち上がろうとするも足に激痛が走り膝をついて崩れる。これを好機と見た存在は再び触手を打ち出そうとしたが指令は神経コードの末端に達し、其処で途切れた。存在はすぐさま触覚情報と光学情報を検索し触手が無残に切断され紫色の体液を垂れ流しながらだらしなく伸び上がっていることを認識する。 再構成している暇など無い。存在はすぐさま戦闘装備を切り替えると男も神経を集中し激痛を忘却の彼方へと追いやる。
男は流れるような動作で正眼に構えた。
男の背後で雷鳴が響き、閃光が2つの影を浮かび上がらせる。
存在は光電子ブレードを下段に構え、全ての感覚装置を限界まで高める。
高められた二人の感覚が極限まで達した瞬間、何もかもが静止した。
雨も風も、音も光も。
やがて
それらは
ゆっくりと
変化を取り戻し、

再び動き始める。

全てが時間を取り戻した刹那、二つな影が交錯した。


男は盛り上がった土の上に刀を突き刺し、手を合わせた。
幾度も戦った好敵手を討ったその手を合わせ男は祈った。男は何を祈っているのか良くわからなかった。死後の冥福?良い輪廻に巡り会えるように?そのような願いなど果たしてこの好敵手に必要なものなのだろうか。男の祈りは好敵手への感謝の表れだったのかもしれない。
階層再編に伴い、侵略系の軍勢は引き上げて行ったのだがこの戦闘存在だけはこの階層に残った。男と決着をつけるために。
戦闘存在に過ぎないその存在が意思など持つはず無かったのだが、戦闘において致命的なエラーが発生してしまったためかいつしか男を自らの好敵手と定め、幾度も戦いを挑んでいた。そして階層再編の情報を与えられていなかったにもかかわらず、何かを察知しこの階層へと残った。
存在は単純な戦闘だけではない、何か別の存在意義を見つけたのかもしれない。それはある種の友情に似たものだったのではないだろうか。そして男はそれに答えた。
男と戦闘存在はライバルであり、友であった。言葉は一度も交えなかったが、それでも戦いを通して分かり合えた気がした。
戦闘者でもあり、探求者でもあった男はそんなことを考えながら空を見上げる。
空は青く、晴れ渡っていた。
「師匠」
村長の娘がやってきて男の横に座る。娘は何故か許嫁である筈の男の事を師匠と呼び慕っていた。男もまた5つほど歳が離れていたせいか娘を妹のように可愛がり、時には弟子のように様々なことを教えていた。
「食うか?」
男は懐取り出した包みを開け、鉄火巻きを娘に与えた。男はおいしそうに鉄火巻きを頬張る娘の頭を撫でてやった。
「やめてくださいよぉ」
娘は子供のように扱われるのが不満なようで頬を膨らませて男の腕を振り払おうとする。
そんな二人を見守るように、空にはライノーツの船がゆったりと浮かんでいた。






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