閉じる


<<最初から読む

3 / 10ページ

2:ケムリ

青年は走っていた。
ずぶ濡れになりながらも竜骨でできた階段を駆け上がってゆく。
足の疲労は痛みを通り越して感覚が失われるまでに至っていた。
赤い烏が青年を嘲笑している。
嘲笑を振り払うかのように青年は走り続けた。
青年の名はケムリと言った。
ケムリは1125階層に住む5番報道者GдNAの息子である。ケムリはGдNAにとって自慢の息子であった。父の仕事を継ぐために日夜修行に励み、基礎的な技術のほとんどを習得し父が病に倒れた時などには代わりに仕事を任されるほどだった。
 全てがうまくいっていた。
 日々の仕事や生活に何の疑問も抱くことなど無いぐらい問題など起きなかった。
 しかし、恐れていた事が起きてしまった。本当は恐れてなどいなかったのかもしれない。頭の片隅にはあったもののそれが現実に目の前に現れてくるなど想像もしていなかった。
想像など、したくは無かった。
 もう一度、あんな事が起きるなんて。

 階層再編。
 そして、ケムリの属するコミュニティと手牟族との交流の断絶。
「一緒に来ないか」
 その言葉には小さな希望が込められていた。
 言葉をかけられた手牟族の少女の顔には戸惑いが浮かび、直ぐに悲しみへと変わっていった。
 小さな希望は、萎んで消えた。
 はじめから心のどこかでわかっていた。彼女がイエスと答えるはずが無いと。
「FAM」
 ケムリは彼女の名を口にした。そうでもしないと彼女の存在から己の眼前から消失してしまいそうな気がした。せめて、今は、今だけは彼女を失いたくは無かった。
 FAMは黙ったままうつむいた。これ以上ケムリの目を見ていることができなかったのだ。
 FAMの母は今ベッドの中で眠っているだろう。数年前に重病を患った母はもう立ち上がる事さえできなくなっていた。たった一人の家族である母を、病床に伏した母を置いていくことなどFAMには考えられない事だった。
 そんな彼女にケムリは言葉をかけてやることができなかった。
 さよならは言わなかった。
 何度かその言葉が喉まで上ってきたのに、それが言葉となる事はなかった。
 あの時もそうだ。
 昇降装置の中に立つ母と姉を目の前にしてケムリは別れの言葉を継げることができなかった。ただ、父と母の顔を交互に見詰めるだけだった。どうして母や姉と別れなければならないのか。それがどうしてもわからなかった。
 よくよく考えてみればその別れの後、草原でひとりで泣いていた時に一生懸命慰めてくれたのもFAMだった。丁度そのころに彼女は父親を失っていたのだが、それでも彼女自身の悲しみを押し隠してケムリを慰めようとしていたのだ。
 ケムリの思い出の中にはいつもFAMがいた。一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に……。思い出しても思い出しきれないほどの思い出が走馬灯のように浮かんでは消えてゆく。
 恋人と言う言葉は陳腐にすら聞こえる。兄妹、家族、いや、ケムリにとってFAMはそれ以上だった。
 これが彼女と会うのは最後になるというのにケムリは何もいえなかった。
 彼女の悲しみを和らげる事も、わかりきった結末を告げることもできなかった。
 彼女もまた何も言葉を発することが無いまま俯いたままだった。
 こうしていれば決定的な破局を避けられるような気がした。少なくとも先延ばしにできるような気がした。もしかしたら階層再編など起こらないかもしれない。
 そう思わずにはいられなかった。
 そんな淡い希望は結局は打ち砕かれてしまう事は、たった今学んだはずなのに。

「おかえり」
 いつものようにGдNAは息子に目を向けることも無くそう言った。ケムリはそんな寡黙で仕事人間の父を尊敬していた。
 だから父や父から継ぐべき仕事を置いてこの階層から去るなど考えられない事だった。少なくとも、今までは。
 ケムリが夕食の支度を終えるとGдNAは一先ず仕事を切り上げてテーブルに着いた。
 家は報道装置NHK3号に隣接している。電波情報の発信装置であるNHKは全部で3つあり、それらは6つの報道者の家系によって代々守られてきている。GдNAはNHK3号を挟んで反対側に住む6番報道者の丸目と共同でNHK3号を管理している。もともとNHK3号は娯楽系電波情報を発進するものだったと言われているが現在ではその役割は失われ、他のNHKと同じ様な情報を発している。そもそもNHKとはそれら情報の報道に関与する機関に与えられた名称であったと言われており、この階層自体がその機関の一部であったとも言われている。そしてこの階層の住民たちは何らかの報道に関与するような役職を持った人々の子孫である言い伝えられているのである。
 NHKは交流の断絶した階層に情報を発信する装置である。他の階層にもそう言った放送装置を持った領域が存在するが、この階層には受信装置が無い。一方的な放送しかないのだ。各階層には様々な放送装置に対応する受信装置が置かれている場合が多いのだが、現在交流のある階層にはNHK受信装置しか配置されておらず、相互の情報交換のようなことはここ数世代行われていない。今回の階層再編においてその情報交換が復活するのではないかと言う期待を抱いているものもあり、とりわけ報道者の間では再編を待ち望む声も多い。
 ケムリが何も言わずともGдNAは食卓やってくる。ずっと二人だけで暮らしてきて出来上がった親子の阿吽の呼吸のようなものである。果たしてこの父は今回の階層再編についてどう思っているのだろうかとケムリは考える。ケムリは父の考えている事がいまだにわからなかった。
「どうだった」
 ケムリが何も言わずとも父はFAMとの事を知っているようだった。仕事以外でケムリのやる事には全く無関心そうに見えるのだが、実際はそうでもなかった。ケムリの事を気にかけ心配しているのだ。口数が少ないためにそれが伝わりにくいのだが、ケムリにはそれが十分すぎるほどに伝わってきていた。けれども、FAMのことについて父がどのように考えているのか、そこまで推し量る事はできないでいた。
「……」
 ケムリが黙っていると、GдNAは察したようでそれ以上何も聞かなかった。
 食卓ではケムリが一方的に話すことが多い。だから、ケムリが黙ってしまった夕食は静かなものだった。しかし、今日は珍しくGдNAの方から話しかけてきた。
「忘れるには時間はかかるかもしれない。だが、また新しい恋人はできるさ」
GдNAはGдNAなりに気を使っているのかもしれなかった。言葉の下手なGдNAにとってそれが精一杯の慰めの言葉だったのかもしれない。しかしケムリにとってそんな慰めは場違いなもの意外には感じられなかった。
「新しい恋人なんて・・・」
「今は、彼女だけしか見えないかもしれない。お前はまだ若いんだ。いくらでも見つけられるさ」
 GдNAはから回りしていた。GдNAはGдNAなりに息子を理解しているつもりだったのだが、結局それは父親の立場から見たそれでしかなかった。息子の視点に立って息子を理解してやるなどと言う器用な芸当はこの男にはできぬ相談だった。
「父さんはそんな風に考えるから、母さんとも別れられたの」
 ケムリは完全に父親を敵視し始めていた。
 FAMとの事を若者の恋愛ごっこだとしか見ていない。ケムリにとってはそれ以上の存在であるのに、何も知らない父親にそんなことを言われるのが心外でならなかった。
 尊敬しているはずの父親でも、何故だか憎くて仕方なかった。FAMとの別れと言う衝撃とそれに伴う動揺がケムリの歯止めを緩めてしまったのかもしれない。
 だから、父親の顔に苦痛の色が浮かび上がっている事にも気づくことができなかった。
「違う。父さんには大事な仕事が……」
「父さんはいつも仕事ばかりだよ。そんな仕事が大事だから、母さんとも別れられたんだ。母さんより、仕事が大事だったんだ」
 ケムリの母でありGдNAの妻は他階層の巫女だった。巫女はその階層に置いて村の祭祀をつかさどり村の未来を占う重要な役割を持っていた。GдNAと巫女は周囲のの反対を押し切り結婚した。大恋愛だった。
 しかし、決定的な瞬間は確実に訪れようとしていた。
 そして階層再編はやってきた。
村の階層へ通じる昇降装置に次元の歪みが生じたとき、2人の間には2人の子供がいた。ケムリとその姉である。
 予めそうなる事は予想されていたのに、2人はそれを考えようとはしていなかった。
 そして、いざその時が訪れたときには二人にはもうどうする事もできなかった。
 GдNAは妻と子を連れ出そうとしたが村人たちに四六時中見張られており、逃げ出すことなどかなわなかった。
 GдNAが村に残ると言う選択肢もあったかもしれない。
 だが、GдNAもまた代々受け継いできた報道者の仕事を己の代で終わらせるだけの勇気は無かった。
 別れ。
 ケムリは父の元へ残り、姉は母とともに去った。
 そのときを境にGдNAの生活は息子と仕事だけになった。息子を立派に育て上げ、そして己の仕事を完遂する事がせめてもの償いであるような気がした。
 それができなければ、妻と別れた意味が失われてしまう。
 GдNAの人生が無意味なものになってしまう。
「お前は、何もわかっていないんだ」
 苦し紛れの反論。反論にもなっていない。
「わかんないよ。そんなの、わかりたくもないよ」
 そういってケムリは食事も残したまま、外へと飛び出した。扉を閉める直前に見た父の姿は、とても小さかった。
 憧れていた父親の姿がどれもちっぽけなものに思えてきた。
 ケムリは将来父のようになることを考えてきたが、今ではそれがとても嫌だった。
 仕事だけの寂しい一生。
 そんな風にはなりたくない。
 俺は、父のようには成りたくない。

 曇り空。
 粘着質の雨が大地を濡らしていた。
 鬱々として息苦しい空気が肺の中へと入り込み、血に溶け込むまいと肺の壁にへばりつく。
 それでも青年は走り出す。
 FAM。
 今行くよ。
 ケムリはFAMと共に暮らすことを決意した。
 こんな誰に届くとも知れない電波を発し続ける機械と共に一生を終えるのは勘弁だ。
 残された時間は僅かだった。間もなく階層再編が起きる。
 急がなければ。
 ケムリは雨で柔らかくなった地面に足を取られながらも必死に走った。
 空気は重く、冷たい雨がケムリの体力を奪っていく。
 暗鬱とした空がケムリの視界を歪ませる。
 上階とを繋ぐ竜骨の階段に着いたときにはケムリは肩で息をするほどだった。だが、あまり休んでいる暇は無い。
 階段はどこまでも伸び、雲を突き抜けていた。
 いつも上っていた階段が、今日は見慣れない異様なものに思えた。もう階層再編は終わってしまってどこか異世界に通じる階段と化してしまったのではないだろうか。そんな不安がケムリの頭を過ぎる。
 それでも行くしかなかった。
 FAMと会うためにはこの階段を上るしかないのだ。
 赤い烏達が笑っている。
 疲れきったケムリをあざ笑っている。
 馬鹿なことをするもんだ。
 正気の沙汰とは思えないぜ。
「ケムリ」
 烏達の声に混じって、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「父さん?」
 竜骨の階段の一番上、地竜の口の前に人影が見えた。
 それは間違いなく、父の姿だった。
「仕事は?」
 何故だか、そんな言葉が出た。そんな事は今言うべきことではないのに。
「さぼった」
 GдNAは笑ってそう答えた。そんなGдNAの姿は最後に見た小さな父親の姿ではなかった。どこか吹っ切れたような、そしてケムリが尊敬してきた父親の姿だった。
 GдNAが仕事を休む事など滅多に無かった。たとえ高熱が出ても仕事を続けるような男だ。しかも、今日は階層再編が起こるという重要な日なのだ。にもかかわらずGдNAはケムリの目の前にいた。
「どうして、わかったの」
「わかるさ。俺の息子だからな」
 ケムリははっとした。ケムリは何も言わずに家を抜け出してきたのだ。何の別れの言葉も述べぬまま。
 それがどれだけ大変な事か、どれだけ父を悲しませる事になるか、考えもしなかった。
 己の愚かさに、ケムリは何も言う事ができなかった。
 父に会ってケムリの心に心に疑念が差し込んだ。このまま行って良いのだろうか。これまで育ててきてくれた父を裏切って、何の恩返しもできないままに。
 それが己にとって最良の選択なのだろうか?
 FAMを愛しているが、父の事もまた愛している。
 ケムリは昨夜の父親の言葉を思い出していた。まだ、自分は若いのだ。確かに、また恋人が見つかるかもしれない。けれど、父にはもう自分しかいないのだ。それを失ってしまうと言うのはどれ程悲しいことなのだろう。
 けれど、FAMを失う事も考えられなかった。一度は決意したはずの事なのに、もうそれは何かの過ちだったようにしか思えなくなっていた。
 選べない。
「行け」
 ケムリは耳を疑った。今、父はなんと言ったのだろう。果たしてそれは本当に父の言った事だったのか?
 ケムリはGдNAの顔を見上げる。
 そこにはいつもと変わらぬ父がいた。
「だが、後悔だけはするな。絶対にするな」
 ケムリはただ頷くしかなかった。GдNAの言葉を一言も聞き逃すまいと耳を傾け、GдNAの姿をしっかりと焼き付けようと目を見開いた。
「父さんも一緒に……」
「駄目だ」
 答えは最初からわかっていた。けれども、そう言わずにはいられなかった。
 GдNAは人生を後悔するわけには行かなかった。妻と別れた事を後悔するわけには行かなかった。
 妻との約束した事。
 仕事をやり遂げ、そして息子を幸せにする事。
「お前のような息子を持てて俺は幸せだよ」
「俺も……父さんが父さんで良かった」
 頬を濡らす液体が雨なのか涙なのか。
「俺、父さんの声、聞くよ」
「ああ」
 NHK三号の発する電波は、ケムリの下へ届くだろう。
 それは決して返事を出す事のできない手紙だけれど、それでもGдNAはケムリの存在を感じるだろう。
 父と息子の絆があるから。
「ありがとう。父さん」
「ああ、元気でな」
 地竜の口の中へと入っていったケムリの姿が次第に薄れていく。
 ケムリの笑顔がぼんやりとして、やがて消えていった。
 完全に上層とを結ぶ扉が消え去ってもGдNAはそれを見続けた。
 まるでそこにまだ息子がいるかのように。


さざめ

「何だ?そのサイコロ」
ゲルモは私が手の中で転がしていた2つのダイスを不思議そうに見詰めている。ダイスは黒褐色の輝きを放ち、私の掌中で出口を探す小動物のように右往左往している。
「行き先を決めるダイスだよ」
「は?意味わからんけど」
ゲルモは笑いながら私の手の中からダイスを一つつまむ。黒アスペルギルスの骨で作られたと言われているダイスは6つの面に不思議な記号が刻まれている。遥か古代に使われていた数字だって言う奴もいるけど、私にはそれが数を表すのに相応しい形をしているとは思えない。
「このダイスと表を使って行き先を決めるの。2つのダイスを転がして、それで出たダイスの記号の組み合わせを表と照らし合わせて、再編のときに留まる階層を決めるんだってさ」
「そっか。お前旅行者の一族だもんな」
ゲルモは納得したように頷いてみせると、グラスに残った絞酒を飲み干した。
「で、何でお前がそれ持ってんの?」
私の一族・大東亜開拓会は代々階層再編のさいにダイスをふって行き先を決める。代々そうやって一族全体が旅を続けてきたのだ。そして今回はその役目が、私に与えられた。
「名誉の大役を与えられたってわけよ」
「ありえねぇ。お前が?」
「文句あんのかよ」
わざとらしく腕を振り上げると、ゲルモはおぉ怖っと小さく言い怯えるふりをした。
「そっか。じゃあ、お前ともお別れか」
ゲルモは寂しそうに杯に酒を注ぐ。
「まだ決まったわけじゃないけどね。下手したらここに残るような組み合わせになるかも」
「じゃあ、試しに振ってみようぜ」
ゲルモがダイスを一つ手に取り、もう一つは私の手の中に。
ゲルモと私は昔からの親友だった。一緒に遊ぶようになってからもう7年は経つ。
暇を見つけては一緒になって遊んだり、悪さをする。
親に話せないようなこともゲルモには話せた。
たとえ何も言わなくても、ゲルモならわかってくれるような気がした。
かけがえの無い、大親友だ。

行き先は、第1121階層だった。
「え、行くの?」
妹のさきめはさも驚いたかのように大きな眼で私を見つめる。
「悪い?」
「そりゃ、姉ちゃんと分かれずにすむって言うのは嬉しいけどさ。てっきり、ゲルモと残るもんだと思ってたけどなぁ」
さきめは納得がいかない様子でわざとらしく首をかしげている。
いくらゲルモとは恋人じゃなくて友達だって言っても、周りの人間はそうは思っていないようだった。良いなぁ素敵な恋人がいて。熱いわねぇ。まだ結婚しないの?そんな的外れな冷やかしや期待が私たちの周りにはあった。
私は何で私たちをそんな目で見るのか理解できなくて不満そうな顔をするのだけど、そんなときは決まってゲルモがこう言うのだ。
「いっそ本当に付き合っちまうか」

1125階層の下への出口、天の架け橋でゲルモは待っていた。
無駄に気を使った族長の銀二が「お前は後で来い」と言って私を残して行ってしまった。
銀二はもしかしたら、ここでゲルモが私を引き止めてそのまま結婚してここに留まるだろうなんて考えているのかもしれない。
ほんと、いらない気遣いだ。
ゲルモとは親友であって、恋人なんかじゃないんだから。
恋愛って言うのはちょっとした勘違いや、思い込みから始まるんだと思う。ああ、この人のことが好きかもしれないって言うそういう勘違いが段々と大きくなって、それが好きだっていう恋愛感情になっていくんだと思う。
でも、ゲルモとはそうはならなかったし、そんな事は考えられない。
好きかもって思ったことはあるかもしれないけど、そんな小さな勘違いは直ぐに打ち消した。
有り得ないよ。親友との恋愛なんて。
そんな感じ。
そういう意味じゃ親友って言うのはかえって邪魔になるのかもしれない。今の、この最高の関係を壊したくないって思っちゃうから。
でも、別に後悔してるわけじゃない。
やっぱりゲルモは最高の友達だし、恋人になりたいなんて思わない。
それでも、もしかしたらゲルモのことを好きだって勘違いして、恋人になっていた可能性もあることは否定できないよ。この今とは違う今。さよならなんて無くて、ずっと一緒にいようって言う別の形の今。
ゲルモとは別れたくない。
それはもちろん恋愛的な好きって言うのとは違って、大切な、親友だから。
だけど、親友は別れても親友だ。
別れたら、もう直す事のできない恋人とは違う。
親友との別れは新たな旅路で、そんな親友の旅路を祝ってやるものだ。
親友との別れに涙は似合わない。
笑って分かれよう。
涙涙のお別れなんかじゃない。
急展開の愛の告白なんてものもない。
清々しい、親友との別れだ。
「またね」
さよならは言わない。
「また、か・・・そうだな」
ゲルモも笑って、答えてくれる。
「また、会おう」
私たちはずっと、ずっと友達だ。

4:村長

あなたが私の前からいなくなって、もうどれくらい経つのでしょう。
あなたが最後に私の頭を撫でてくれてから、何度あなたの姿を錯覚したでしょう。
あなたは再会の約束をしたことを今でも覚えているのでしょうか。
あなたはまだ私のことを思ってくれているのでしょうか。
私は、あなたのことを忘れてはいません。
どれだけの歳月がすぎようとも、あなたの事だけは忘れる事はできません。
だからこそ、私は生きているんです。
私はあなたに会うために生き続けています。
それだけが私の生きる意味。
あなたを信じて、あなたにきっと会えると信じて私は今日まで生きてきました。
幾度も繰り返される階層再編。
私はその度に、希望と失望を味わいます。
あなたに会えるかもしれない。
でも、あなたは現れることは無かった。
だけど、次こそは会えるかもしれない。そう思って、あなたを待ち続けています。
そうそう、あなたは鉄火巻きが大好きでしたね。
だから私は鉄火巻きを作り続けています。
まだ、あなたほどうまくは作れないけれどあなたに喜んでもらえるように頑張っています。
私はあなたに会うためにこんな姿になってしまいました。
あなたがいつまで経っても現れないから、私はこんな姿に成らなければなりませんでした。
河馬です。
あなたが好きだと言っていた、壁画に書かれた動物の姿です。
たとえ人の形でなくなっても、あなたに好きでいてもらえるように。
こんな姿でも、あなたは私だと気付いてくれますか。
こんな姿でも、あなたは私を愛してくれますか。
あの頃のように私の頭を撫でてくれますか。
私は不老不死になってしまいました。
だから私はいつまでも待ち続けます。
でも、今度こそはあなたに会えるような気がしてならないのです。
だから私は今日もライノーツの船を見上げます。

エピローグ:NHK3号

草原に立つ寂れた掘建て小屋。
屋根の上に乗った風見鶏が出鱈目な方向を指したかと思えば、風も風見鶏に合わせる様に風向きを変える。
小屋の中には異様な機械が低い唸りを上げながらもノイズ混じりの声を受信している。
NHK3号から発せられた電波。
何処へ行くとも無く彷徨った電波はやがてこの受信装置へとたどり着く。
声は電波に変わり、電波は声へと戻る。
一人の少年が受信機の前に立っていた。
少年は受信機から流れてくる老いた声に耳を傾ける。
物心がついた頃に父から教えられた。
この声は祖父の声なのだと。
少年はまだ見ぬ祖父の声を聞く。
少年の祖父は少年のことを知らない。少年は祖父と会うことも、何らかの手段で交流を持つこともできなかった。
ただ、祖父の声を聞くことしかできない。
だがそれでも、祖父の声を聞き続ければいつかは気付いてもらえるような気がした。
空には何も浮かんでいない。
黒い船も、情報を喰らう羊も。
ただ、見えない声が空を飛んでいて、やがて受信機へとたどり着く。
NHK3号は誰に届くとも知れぬ電波を発し続け、そして誰かがその電波を受け取る事になるだろう。






おまけ1:キース

木目調のテーブルが脂ぎった光を放っている。天井で輝く電灯はニコチンがまとわりつき本来の力は失われてしまった。
換気扇がうまく廻っていないためか店内の空気は重苦しく、視界もどこかぼやけている。
キース・ポア・ヴァンガルドはそんな寂れた店の雰囲気が好きだった。
キースは小奇麗な飲食店があまり好きではなかった。顔の見えぬ調理人。機械的な対応の受付員。
そこには客と店との距離がある。客は客でしかなく、一人の人間としてみるようなことは無いのだ。
そんな疎外感はキースの好む所ではなかった。そんな場所に比べれば、お世辞にも綺麗だとは言えないようなこんな場所の方がよっぽどましだった。確かに飲食店にとって清潔であるという事は必要なのかもしれないが、度がすぎればあまりにも無機質すぎて食欲がうせる。
そして何より、キースは飯を食いながらそれを作った人間と話をするのが好きだった。
「お待ちどうさま」
店主のアンディ・ザ・シューティングウルフが笑顔で「こってり大盛豚骨ラーメン」をキースの目の前に置く。豚骨スープの香り、そしてその中に溶け込んだ麺の放つ芳香がキースの鼻腔をくすぐった。
唾液が口の中に充満し、胃は準備万全であることを主張している。
割り箸を綺麗に割ると、それを横に置きまずはレンゲで様々なエキスの混じった大海の中からスープを掬い上げる。湯気をゆっくりと吸い込み、香りの中の味を存分に堪能すると暖かなスープを口に拭くむ。
こってりとした油の味が口の中にまとわりつく。濃厚な味の中にも、出汁の繊細で絶妙な味が失われていない。出汁はおそらく豚骨をベースに赤烏のがら、イガ茸や火野菜などを煮込んだものだろう。それらがうまく溶け込みながらもそれぞれの特徴を絶好のタイミングで舌に己を主張する。
「うまい」
自然とそんな言葉が口から漏れた。キースはそんな言葉を言おうと思ったわけでもないのに意識には反して言葉が出てしまった。改めて考えてみても、それ以外に思いつく言葉はない。
うまい。
舌に残る後味を堪能しながら、キースは心のなかで感想を述べた。
「ありがとうございます」
アンディはニコニコしながらキースの食べる様子を眺めていた。キース以外に客はいない。
飛びっきりうまいラーメンを作る店なのに、ここに来る客は案外少ない。キースにとって最高の穴場だ。
「あんたが一番、俺のラーメンをうまそうに喰ってくれる」
アンディはそんなことを言った事がある。キースにとってアンディは最高のラーメンを作る男であるように、アンディにとってキースは最高にうまそうにラーメンを食う男だった。
スープを味わった後は、麺に取り掛かる。スープが絡みつき黄金に輝く縮れ太麺はうまい具合に味を纏っている。歯ごたえ、舌触り、そして喉越しの全てが完璧といえるほどに調和している。流れるが如く口の中へと入り込み、歯に抵抗して見せたかと思えば丁度良い具合に噛み切られ、喉を通るころになってもその活力は失わずに心地良い感覚を置き土産とばかりに残してくれる。
うまい。
キースにはそれ以外の言葉を見つけることができなかった。脳は幸福で満たされ、ラーメンの中へと溶けていきたいとさえ思えた。
「やっぱり、うまいなぁ」
「誉めても何も出ませんよ」
アンディははにかんで照れを隠すように禿げ上がった頭をかく。
「早く食べないと麺が伸びちまいますよ」
確かにラーメンは早く食べなければ麺が伸びてその味を損なってしまう。しかし、キースはこのラーメンを食べ終えてしまうのが何だかもったいなかった。
最後の一杯。
そう心に決めて、キースは今日この店にやってきたのだ。
「そういや、旦那は1127階に住んでいるんでしたっけ?」
キースが住んでいるのはこの階層ではない。そして、明日十数年に一度の階層再編が起こるのだ。
「ああ、これが食いおさめだよ」
もうこのラーメンを食べにくることもできない。何せ、この階層にくる手段は明日には失われてしまうのだから。そのことを考えるとキースの表情は曇っていった。せっかく出会えた最高のラーメンがもう二度とは食えないのだ。
それはキースにとってたまらなく苦痛な事だった。
「そんな顔しないで下さいよ。せっかくのラーメンが不味くなっちまいますよ」
その通りだ。これが最後なのだ。
最後のラーメンは最高の状態で食べなければ。
「うまいよ」
ラーメンの味が口一杯に広がって行く。この味を忘れまいと、この味を失うまいと絶え間なくラーメンを口に運ぶ。
「うまい」
見る見るうちに丼の中のラーメンは減っていき、やがて最後に僅かなスープが残った。まるで厳粛な儀式が取り行われるかのようにキースは真剣なまなざしでアンディの目を見た。アンディはただ微笑んで頷くだけだった。
キースは丼を持ち挙げ、最後のスープを口の中へと流し込む。
そして、キースは躊躇することなくこう言った。
「ごちそうさま」


読者登録

茶屋休石さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について