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 毎年毎年この時期の羽田は、ゴールデンウイークの観光客でそうとう混雑をする。テロへの警戒もありここ近年空港のチェックが厳しくなっているのも原因の一つではあるが、久々の連休ということもあいまって到着ロビーは大きな荷物を持った人で溢れかえっていた。
「ったく、羨ましいかぎりだぜ」
 ガラス張りの喫煙ブースの中で、池上は続々と排出されてくる人の波をうんざりと眺めていた。
 日本各地から東京目指してやってくる観光客、ビジネスマン、外国人、その他もろもろ。その中には招かれざる客も混じってやってくる。その招かれざる客を池上はここ数日こうして喫煙ブースの中で待っているのだった。
「来るなら早くきやがれ、クソ野郎が」
 思わず舌打ちをして、短くなった煙草を灰皿にねじ込む。
 世間が休みであろうが連休であろうが、公僕しかも桜田門に身を置く池上には何の関係もない。
 上部から広域指定暴力団である関東一誠会系高正組に不穏な動きがあると連絡を受けた。ふた月ほど前に新宿で起きた山内組系組員と高正組組員の揉め事がどうやら大事になりつつあるらしい。
 繁華街での組員同士の些細な喧嘩が元だったのが、たまたま居合わせた山内組系の直系幹部滝沢が割って入り、その場はとりあえず収まった。だが、翌週白昼堂々その滝沢とボディガードが高正組のチンピラに狙撃されるという事件が起こった。
 幸いにして二人とも命は取り留めたものの、重傷者の中に山内組の幹部が含まれているところに問題がある。
幹部を攻撃されたことにより、高正組から何らかの侘びがない限り面子が立たない山内組は、その翌日にさっそく報復に出た。高正組系列の幹部森岡智明と構成員一名が赤坂にて射殺され、その三日後に同じく高正組系列の構成員二名が新宿にて射殺された。
 山内組員は無差別に高正組系列の組員に向けて鉛玉を打ち込む。高正組もまた山内系列の組員に向かって銃を向ける。
 繁華街、住宅街を問わず繰り返される発砲事件。双方の報復攻撃は止むことを知らない。この一ヶ月、東京だけで高正組に既に死者が六名出ていた。
 大規模の抗争に発展しそうな勢いの中、それに終止符を打つべく大阪から山内組系列の人間が派遣されることになった。
 なったまでは良かったのだが――。
「この人がごった返す時期に来るなよ、ったく」
 喫煙ブースから出てきた池上は、到着ロビー前のソファにいる本庄の隣にどっかりと腰を下ろした。
「うわ……池上さん、すっごい煙草くさいですよ」
 開口一番そう言った本庄は、顔をしかめて鼻と口を押さえる。
「うるせぇな。ちゃんと喫煙ブースに行って吸って来ただろうが。文句言うな」
「禁煙くらいしないと出世できませんよ、今は」
「俺ぁいいんだよ、俺は。おめぇは一生禁煙してガンガン出世しろや」
 双方ともにノンキャリアのたたき上げ捜査刑事。
 年齢も経験も違えど階級は同じだ。だが、本庄はあっという間に池上を抜き、警部補へと階級を上げていくことだろう。もう何人もそういう人間を見送ってきた池上には、出世欲もなければ嫉妬すら起こらない。
 そもそもノンキャリアの出世街道には『警部補』の向こうに道はないと思っていい。池上はノンキャリアの中ではまだ出世街道に乗ったクチで、一所轄警察署から桜田門に買われただけでも充分だと思っている。
「で、吉岡の野郎は来てるか?」
 そう問われ、さりげなくロビーを見渡した本庄の瞳がある一点を指す。
 到着ロビー出口にあるタクシー乗り場付近に、一見してそれらしい男が四人立っていた。
 一応スーツを身に着けているものの、いかにもカタギではないという雰囲気がむんむんと放出されている。
「あんなところに立たれたんじゃ、タクシーの運ちゃんも商売上がったりだな」
「みんな避けて通ってますよね、あそこ」
「あれじゃ俺だって避けたくなるわな」
 ふんと鼻を鳴らした池上は軽く肩をすくめると、ちらりと本庄に目を向けた。
「吉岡は車ン中だな」
「ええ、おそらく」
「組長御自らお出迎えとは、よほどのヤツが来るんだろうな」
「マズイことにならなきゃいいんですけどね」
 本庄の言う『マズイこと』が起きる確立は五割強。
 抗争の手打ちに来た山内組系の幹部を、高井組系列のどこかの組が今とばかりに狙わないとは限らない。どこの組織も必ずしも一枚岩とは言えないのが現実だ。
「あ、池上さん、ヤツら動きましたよ」
 タクシー乗り場への出口を陣取っていた四人組が、揃って手荷物受渡し所の前へ移動をし始めた。
 本庄をソファに残し、男たちから死角になる場所へと移動した池上は、ガラス戸の向こうをそっと伺う。
 大荷物を抱えた一般観光客に混じって、黒スーツの男を従えた若い男が自動ドアから出ようとしている。若いといっても四十を越えた池上から見て若いだけであって、三十にはとどかない程度の外見だ。
 風体の悪い男を従えているだけでも目立つというのに、その男の容姿が人並み以上にいいものだから余計に周囲からぽっかりと浮いていた。
 ヤクザと言うにはあまりにも容姿が良すぎ、カタギと言うにはあまりにも雰囲気が尋常ではない。殺気とも違う、何か近寄りがたいものがその若い男から発せられているように感じた。
 そしてその人並み以上にいい容姿と近寄りがたい雰囲気に、池上は覚えがあった。
「……あンの野郎」
 その男を前に見たのは六年前だ。
 池上がまだ所轄にいたころ、暴力団同士の発砲事件に巻き込まれ重傷を負った大学生がいた。
 結果的に死者二名、重傷者二名を出した発砲事件だったが、二名の死者はこの大学生に射殺されている。にも関わらず、大学生は無罪放免となった。
 暴力団の抗争に巻き込まれた不幸な大学生を救うべく、全国規模で展開された市民レベルによる署名運動もかなり物を言ったように思われる。
 だが、病院を出る時のその大学生の瞳を池上は忘れていない。市民運動のリーダーに謙虚に礼を言いつつも、冷酷に笑っていたあの瞳。
あれは人殺しの目だ。
 自動ドアを出た若い男に、吉岡組の男たちがいっせいに頭を下げる。だが若い男は池上のいる方向に目をやり、うっすらと唇を上げた。
 男から見てこちらは見えているはずがないと知りつつも、池上は思わず柱に身を隠す。手打ちに派遣されてきたのは、山内組系列でもかなりの力を持つ稲村組、黒川征二の片腕だった。
 山内組系稲村組若頭補佐、大崎誠人。
 六年前の大学生の成れの果てだ。
大崎は男たちに囲まれながら空港の出口へと向かっている。
「……よりにもよって、またてめぇかよ」
 池上は柱にもたれながら、『マズイこと』が起きる確立がかなり上がったことを確信した。


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