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この物語はフィクションです。
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1
最終更新日 : 2013-11-08 15:09:51





哂う月の夜

~序章~


井上ハルヲ











堕落天使


2
最終更新日 : 2013-11-08 15:33:18

1

「マコト君はさぁ、毎日店に出てんの?」
 ベッドに腰掛けてワイシャツを羽織りつつ、男は抑揚のない声でそう問いかけた。
 窓のない十畳ほどの部屋にダブルベッドが一つ。簡易のソファセットと、備え付けになっている食器棚に冷蔵庫。そして無駄に広いバスルーム。それがこの部屋の全てだ。
 一時間四千円の安ホテルにしてはまだ設備が整っている方だと、ところどころに煙草の焼け焦げた痕があるソファに座る大崎はそんなことを思っていた。
 急いで服を着ているその男は、額に噴出してく汗をバスタオルでゴシゴシと拭いている。まったく汗かきな男だ。行為の間中も全身から滝みたいに汗を流していた。
「いえ。毎日じゃないですよ。俺、一応学生だから」
「へぇ。そうなんだ。本当に若かったんだ。えーっと、いくらだっけ?」
「二時間だから二万八千円です。それと指名料三千円」
「じゃ、これ、三万と千円ね」
「どーも」
 少しくたびれた札を受け取り、それを無造作にジーンズのポケットにねじ込む。
 男の待つホテルに行き、そこで男と寝る。アナルファック込みで二時間二万八千円。店の取り分が半額で、実質手元に残るのは一万四千円と指名料の三千円のみだ。
 二時間で二万円にもならない安い体。
それが大崎誠人という人間の値段だ。
「じゃあ、俺、帰りますから」
「うん。また指名させてもらうよ」
 よろしく、と営業スマイルで答えつつ、大崎は部屋を後にした。

***

 薄暗い廊下にずらりとドアが並んでいる。それらの一つ一つのドアの向こう側では、人間が本能をむき出しにして蠢いているのだろう。そんなことを想像するのも馬鹿らしくなってくる。
 見ず知らずの男と寝ることにももう慣れた。ホテルと店を往復し、時にホテルからホテルへと渡り歩く。平均すると一日に三人ほどの男に抱かれている計算になる。この業界に入ってそろそろ二ヶ月だから、少なくとも百人以上の男のモノを咥えているということだ。
「いい加減病気になりそうだな」
 そう口に出すと笑いがこみ上げてきた。
 いっそ死んだ方がマシだと思った時期などとうの昔に過ぎた。今は意地でも生き残ってやるという思いの方が強い。生き残る側になってやると――。
 ホテルから一歩外に出ると、そこはまだ真っ昼間の繁華街だった。部屋の中にいると時間がわからなくなるが、正午を少しすぎたくらいなのだろう。天頂から降り注ぐ太陽の光がやけに眩しく感じる。
 今日は給料前だからかどうかわからないが、さっきの客が一人目だった。授業をサボってきたからには少なくともあと二人ほどの客は取りたいところだ。
 ジーンズの尻ポケットから携帯電話を取り出した大崎は、一番頻度の激しい番号を選択した。いつもどおりコールは一回。店のマネージャーである沢木のこういうマメさには感心させられる。
「マコトです。今終わりました。店に――え?」
『あぁ、マコトか。ちょうどいい。そのままインターパシフィックホテルに向かってくれ。新規の客からの指名だ。部屋は――』
 言われて慌ててその番号を記憶する。
『たぶん上客だ。うまいこと繋げよ』
 沢木の客を嗅ぎ分ける感は鋭い。さすが長年この業界にいるだけのことはある。その沢木の言う『上客』は、遊びが綺麗で金払いのいい客をさす。そして大崎につく客は不思議なほどに『上客』が多かった。今回の新規客も沢木はおそらく『上客』だと言う。
 だが大崎にとって上客であろうがそうでなかろうが、大差はなかった。結局することは皆同じでしかない。
 客が求めるのは唯一つ。時間で切り売りされている大崎の体だけだ。


3
最終更新日 : 2013-11-08 14:42:51

2

 出張ホストの客は、営業途中のサラリーマンや、比較的時間に余裕のある自営業者が多い。大崎の所属する店は決して安い方ではなく、客層はどちらかというと、時間的にも金銭的にも余裕のある自営業者がほとんどだった。
 二時間足らずに三万円の料金と約一万円のホテル代を払える余裕のある者。今日の二番目の客はその中でもおそらく抜きん出ている。
 インターパシフィックホテルの高層階の部屋は、少なくとも一泊数十万円は下らない。もともと繁華街から少し離れた位置にあるこのホテルは、政府高官や財界人の御用達ホテルとして名高かった。
 そこの高層階に宿泊するその客とはいったいどういう男なのだろうか。今まで客の素性など知ったことではなかったが、今日ばかりは少し興味がわいた。
 どこかの会社役員だろうか。かなりの年配の相手もしたことがある。むろん客のモノが役に立つことはなく、二時間みっちりとローターで責めぬかれた。いっそ激しく犯されたほうがマシだと思った記憶がある。
「さてと。もうひと頑張りするか……」
 照明がほどよく落とされたロビーを横切り、大崎は高層階へと向かうエレベーターへ乗り込んだ。指示された部屋は三二〇二号室。このホテルの客室の最上階だ。

***

 エレベーターを降りるとそこは広いホールになっていた。歩くたびに体が沈む絨毯を踏みしめ、指定された部屋へ向かう。明らかに他の階とは違う扉の重厚な装飾が、あからさまに格の差を見せ付けている。
 ワンフロアに部屋は四つ。一番南側にある部屋が客の待つ部屋だった。
 大崎は少しだけ居住まいを正し、ドア近くの壁にしつらえられたインターフォンを一度だけ押した。
『はい』
 インターフォン越しの声は意外に若かった。脂ぎった中年男か、枯れかけた年寄りかそのどちらかを想像していたのに、返って来た返事は意外に若く、そして耳に心地良かった。
「『カイン』のマコトです」
 インターフォンに向かってそう答えると、重厚な扉がゆっくりと開く。笑顔を作ろうとした大崎は、だが、そのまま表情を凍りつかせた。
「久しぶりやな」
 聞き覚えのある関西弁の低音に、大崎は思わず一歩あとずさる。
「おまえ……」
「やっと見つけたわ。けっこう時間かかったで」
 一瞬、頭の中が真っ白になった。
 目の前にいる男の声が遠い。海鳴りのような音が耳の奥を支配する。長身の男を見上げながら、大崎はただ呆然とした。
 平穏な生活を失った。家族を失った。自分の未来を失った。自分が何もかもを失うその原因を作った男。もう二度と会うことはないと思っていた。なのに男はどこまでも追いかけてくる。まるで影のように大崎を追いかけてくる。
 稲村組若頭、黒川征二。
 開いてはいけない扉を開いてしまったのかもしれない。男の名を思い出した大崎は、目の前が真っ暗になっていくのを感じずにはいられなかった。

***

「そんなとこに突っ立ってんと、中入れよ」
 黒川は廊下に呆然と立ち尽くす大崎を部屋に招き入れて扉を閉めた。鍵がかかる音が大崎を一気に現実へと引き戻す。
「黒川……」
 黒いスーツ姿の黒川は、二ヶ月前に見た時となんら変わりはなかった。
 近頃新宿界隈に勢力を伸ばしつつある稲村組の若頭であり、関西の山内組系幹部である稲村正久の片腕として一目置かれている人物。それが黒川征二だ。
「家にもおらん、大学は休みっぱなし。散々探した末がコレや。オマエ、こんなとこで何やってんねん?」
「それをおまえが言うのか?」
 おまえが、と大崎は繰り返した。
 他の誰に言われても、この男にだけは言われたくなかった。大崎の家族を破滅へと追いやったこの男にだけは――。
 扉の前に立ったままの大崎に向かってにやりと笑い、黒川は豪奢なソファにどっかりと腰を下ろした。
「オマエ、菊池組にまだ借金があるらしいやないか」
「ああ。おまえんとこに金を返すために父さんが借りた借金がな」
「俺は今すぐ返せて言うた覚えはないぞ。それに追い込みかけたんは俺んとことちゃうぞ。菊池やろ」
「稲村も菊池も俺の知ったことじゃない。おまえらがよってたかって親父たちを殺したんだろうが」
 家の事業がうまくいっていないことはうすうす感じていた。父親が資金繰りのために闇金に手を出したことを知った時にはすでに遅かった。
 毎日絶え間なくかかってくる電話や嫌がらせの数々。憔悴しきっていく母親。
 破滅の日は簡単に訪れた。
 工場にぶら下がる両親をみつけた時、大崎には悲しいという感情すらわかなかった。来るべき時が来た。ただそれだけだった。
 ゆらゆらと揺れる両親であったモノ。人はこんなにも簡単に死ねるのだ。
「保険金だけじゃ借金全額返済は無理だったからな。俺が稼ぐしかないだろ」
「ウリやって稼げって、菊池の入れ知恵か?」
「おまえの知ったことか」
 吐き捨てるような大崎の言葉に、「そうか」と返した黒川はソファからゆっくりと立ち上がった。
 ドアの前から動こうとしない大崎に一歩また一歩と近づいてくる。大崎も決して小柄な方ではないが、百九十センチ近い堂々たる体躯を持つ黒川の前では華奢にさえ見えた。
「いつまでドアにへばりついとんねん。オマエ、何しに来たか忘れたんか」
「……何だと」
「俺が呼んだんは『カイン』のマコトや。大崎誠人とちゃうぞ」
 大崎を壁に追い詰め、にやりと笑った黒川の唇が唇を強引に塞ぐ。歯列を割って入ってくる舌の感触に大崎は身震いがした。
 自分だけの快楽を追う他の客とは違う、黒川の口づけは、大崎を快感へと導く愛撫のような口づけだ。
 激しく口腔を犯され力が抜けそうになる。思わずスーツにすがりついた時、黒川は口づけから大崎を解放した。
「一時間一万四千円やったな」
『カイン』の料金を確認する黒川に、大崎は無言で頷く。
「一日貸し切りでなんぼや? 三十三万六千円か」
「……それと指名料が三千円だ」
「きっちりしとるのう」
 笑いながら内ポケットから財布を出した黒川は、無造作に金を取り出すと大崎にそれを差し出した。
「三十三万六千円と指名料三千円。釣りはいらん。チップや。明日まで貸し切りやって店に電話しとけよ」
 そう言った黒川の肩越しにぽっかりと海月が見えた。
窓の向こう側、真昼にうすぼんやりと海月のような月が浮かんでいる。
 まるで自分を見ているようだと、大崎はなんとなくそう思った。


4
最終更新日 : 2013-11-08 14:42:51

3

 連れて行かれた寝室は、室内の一番奥にあった。
 さりげなく置かれた調度品なども安ホテルとは比べ物にならない。おそらくこのベッドも信じられないような値段がついているに違いない。背中にあたるシーツですら着ていたシャツよりもずっと上物に感じる。
 大崎が知ることのない上質の世界で生きている人間たちがいる。今、目の前にも一人――。
「何ぼけっとしてるんや」
 黒川の手にいきなり中心を掴まれとっさに身を引いた。
「逃げんなや」
 捕らえた中心を包み込んだ手がゆっくりと上下する。それは大崎を追い詰め追い上げるためだけに行われる行為だった。
 自分だけの快楽を追う客たちは、大崎の快楽など二の次だ。だから黒川に与えられる愛撫は大崎を困惑させるに十分だった。
 甘い声など聞かせてたまるかと、大崎は唇を噛みしめる。だが、大崎に意思に反してあさましく勃ち上がろうとするものを黒川は容赦なく責めたてた。
「我慢すんなや。キモチええやろ?」
「あ……うッ」
「声出せよ。そのほうがキモチええぞ」
「あ……ぁ……」
 滲み出す先走りを潤滑剤代わりに、竿を激しく上下に愛撫する。痛くなる寸前の締め付けが、大崎を絶頂に向かって追い上げた。
「あ……ぁ……イく……」
だが高ぶりを全て吐き出そうとした瞬間、黒川は大崎のものから手を離した。
「え……」
 吐き出せないくすぶりが体の奥に残る。無駄に熱くなった体を持て余した大崎は、抗議の眼差しを黒川に向けた。
「どうして――」
そう問いかけようとしたところで、強引に体を反転させられた。
 うつ伏せに転がった大崎の尻を、黒川の指が探る。何かの蓋を開けるような音と同時に、そこに冷たいものが垂らされた。
 たっぷりと塗りつけられた潤滑剤の助けを借りて黒川の指が中に入り込んでくる。
 アナルセックスに慣れた大崎にとって、慣らしなどもう必要のないものだった。潤滑剤があるのなら、そのまま突っ込んでしまえばいい。にもかかわらず、黒川はゆっくりと中を探っている。
「何を」と問いかけようとした時、大崎は体を跳ね上げた。
「う……あ……あぁっ」
 萎えていたものが一気に勃ち上がるくらいの快感が走りぬける。とっさに逃げようとすると、きつく腰を捉えられた。中に入ったままの黒川の指が、ある一点をぐいっと押し上げる。
「は……あっ! ああッ!」
 悲鳴に近い嬌声をあげた大崎の様子に、黒川はなるほどと頷き指を引き抜いた。
「イイトコはそこか。ほな、本番いこか」
 潤滑剤で淫靡に光るそこに、屹立したものがあてがわれる。詰めていた息を吐いたとたん、粘液が絡まりあう音をたてて先端が中に入り込んだ。
「う……ぁっ!」  
 秘所を広げられる痛みは一瞬で去った。ずるりと中に挿入されていく黒川のもの。浅い部分で執拗に前後するそれは、大崎を再び熱くするのに充分だった。
 いつもなら客に奉仕し、イかせるだけですんでいたのに、黒川にはそれが通用しない。
「あ……うっ……は……あぁっ」
「なんや、ええ声で啼くんやないか」
 指で確認した場所を、黒川が自身のもので激しく突き上げる。それが与える快感と手で前をなぶられる快感に、大崎は足をがくがくと震わせた。
「あっ……ぅ……も……出っ……」
「ええぞ、イけよ」
 笑いを含んだ声と同時に奥深くに楔を打ち込まれる。嬌声をあげた大崎は、あっけなく黒川の手の中に精を吐き出した。
 急速に萎えていくものに比例して、気分も萎えていく。快感は去り、後には疲労感だけが残った。
「オマエいっつもこんなセックスしてるんか?」
「……こんなことしてたら体がもつか。馬鹿」
 ベッドにぐったりと伏せた大崎は、軽蔑しきった視線を黒川に投げつけた。
 客相手にこんなにクタクタになっていては身が持たない。そうさせないために率先して客に奉仕しているのだ。
「むちゃなことをしやがって」と毒づく大崎に、黒川は突然妙な質問を投げかけた。
「そういやオマエ、菊池になんぼ借金あるんや?」
「はぁ?」
「菊池の借金や。それ払うためにウリやってるんやろ」
「……一千万ちょっとだけど、なんだよ」
「オマエの稼ぎやったら利息だけでせいいっぱいやろ」
 腹立たしいが、確かに黒川の言うとおりだった。稼いだ金は全て利息に持っていかれ、元金はいつまでたっても減らない。
「菊池の借金すのに、そいつらの息がかかってる『カイン』でウリか。オマエ、頭よさそうでほんまはアホやろ」
「な……」
「一千万とちょっとやな。用立てしたるから使えや」
「はぁっ?」
 大崎は思わず起き上がり、ベッドに転がる黒川を見下ろした。
「あんた、何言ってんだ? 頭おかしいんじゃないのか?」
「別におかしいことなんかないぞ。オマエが無駄に払ろてる金が菊池に流れる。それだけでも俺には充分な理由になるからな」
 敵対する組の資金源の一つを潰す。それだけでもメリットだと黒川は言った。
「オマエには悪いけどな、俺の客やったオマエんとこの親父に手ぇ出した菊池には面子つぶされたみたいなもんでな。稲村組として黙ってる訳にはいかんのや」
 一瞬だけ垣間見せた稲村組若頭としての鋭利な瞳が、大崎の背筋を寒くさせた。
 出来ることなら敵に回したくない男。それが黒川征二なのかもしれない。
「金は明日用意したるわ。ウチのもんを菊池に行かす。オマエは行かんでええぞ」
「あんた、なんでそんなことするんだよ。親父殺した罪滅ぼしのつもりか?」
「罪滅ぼしみたいなええもんとちゃうわな。面子つぶされた落とし前が建前やったら、本音はオマエとのセックスが案外キモチよかったからやな」
 横になっていた黒川はゆっくり起き上がると、正面に座る大崎に向かってにっと笑いかけた。
「菊池の借金がなくなったら『カイン』のバイトもせんでええやろ。俺は意外に独占欲が強いんや。オマエが他の男とこんな風にしてセックスするんかと思たらその男、ブチ殺したなる」
「……一千万の肩代わりにあんた専属になれってことか?」
「悪い話やないやろ」
 確かに――確かに悪い話ではない。
 このまま消えることがない借金を一生取り立てられて生きていくか、一千万で買い上げられ黒川のペットとして生きていくか。どちらも大差ないような気がしないでもない。
 けれど――。
「一千万か……」
 その値段が果たして高いのか安いのか、大崎には判らない。二時間で二万にもならない安い体。一千万は妥当な金額なのかもしれない。
「で、俺は今度からあんたを『ご主人様』って呼んだらいいのか?」
「そうやな。出来たら『征二さん』って呼んで欲しいけどな」
「……あんた、頭よさそうに見えるけど本当はすっごい馬鹿だろ?」
「なんや、バレたか」
 へらりと笑う黒川に、大崎も思わずぷっと噴出した。久しぶりに――そう、本当に久しぶりに笑ったような気がした。



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