目次
CONTENTS
テーマ「GAP」
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スラムを訪れて
受ける視線、避ける視線
モテキ到来~アピールのGAP~
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旅先の変な日本語
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旅で使えるスマホアプリ
旅で使えるスマホアプリ
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情熱さえあれば不可能なことはない
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「情熱さえあれば不可能なことはない ~韓国人青年の世界旅行記~」
Chibirockの旅はくせもの
Chibirockの旅はくせもの
HANGOVER in the WORLD 
HANGOVER in the WORLD 
旅人からの伝言 「特集 アフリカ」
page 1
リビアを旅して
バオバブ in マダガスカル
ラマダンの不思議
page 5
トホホな話
トホホな話
一本の糸で世界をつなぐチャリの旅
一本の糸で世界をつなぐチャリの旅
自炊派の手料理「洋風茶碗蒸し」
自炊派の手料理
エッセイたびたべ
エッセイたびたべ
世界マイノリティ流儀
page 1
アジア漂流日記
アジア漂流日記(創刊号の特集アジアからのスピンアウト企画)
アジア漂流日記(創刊号の特集アジアからのスピンアウト企画)
アジア漂流日記(創刊号の特集アジアからのスピンアウト企画)
旅の便利グッズ
旅の便利Goods
世界のお墓
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作者・情報提供者一覧
作者・情報提供者一覧(Bralist)
編集後記
編集後記
次号予告
次号予告(2012年2月25日発行予定)
記事募集
記事と情報および写真の募集要項
奥付
奥付

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CONTENTS

■テーマ「GAP」
スラムを訪れて
受ける視線、避ける視線
モテキ到来~アピールのGAP~
■旅先の変な日本語
■旅で使えるスマホアプリ
■情熱さえあれば不可能なことはない
■Chibirockの旅はくせもの
■HANGOVER in the WORLD 
「ビールはドイツだけに語らせない」
■旅人からの伝言 「特集 アフリカ」
リビアを旅して
バオバブ in マダガスカル
ラマダンの不思議
■トホホな話
■一本の糸で世界をつなぐチャリの旅
■自炊派の手料理「洋風茶碗蒸し」
■エッセイたびたべ
■世界マイノリティ流儀
■アジア漂流日記
■旅の便利グッズ
■世界のお墓
■作者・情報提供者一覧
■編集後記
■次号予告
■記事募集


スラムを訪れて

スラムを訪れて

■Writer&Photographer
96 Happy World Journey ゆーじ&ありさ
■Age
30歳代
■Profile
571日間世界一周終了。
旅の写真・動画・特集・日記などを通して、地球の美しさと旅のわくわくを配信中。

 「スラム(slum)」と聞くと、何を想像するだろうか? 私の頭にぱっと浮かぶフレーズは、「汚い、貧しい、掘っ立て小屋、犯罪が多い、ギャングの巣窟……」単純に悪い意味の言葉しか出てこない。このイメージは、自分が過去に見てきた映画や報道によって作られたのだろうけれど、一般的に見ても、多くの人がこういうイメージを持っているのではないだろうか。

 タイのバンコク、フィリピンのマニラ、インドネシアのジャカルタなど、急成長する街には必ずと言っていいほど連立するビル群の狭間にスラム街が形成されている。しかし、これらの街を訪れても、旅行者の立場でスラムに足を踏み入れることはなかったし、そこは踏み入ることのできない場所だと思っていた。自分とスラム街に住む人々の間に見えざる壁があるような気がしていたのだ。

 世界一周旅行中、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロの宿で、何の気なしにツアー情報を見ていたら、映画『シティ・オブ・ゴッド』の舞台ともなった大規模なスラム街「ファベーラ」を訪問するツアーを発見した。観光客だけで立ち入るのは非常に危険な地域だけれど、そのツアーはファベーラで生まれ育ったガイドさんが安全に配慮しながら案内してくれるとのこと。「100%安全」のキャッチコピーにもつられて、参加してみることにした。

 ファベーラのある丘のふもとから丘の上までメインストリートをバイクタクシーで移動する。この間は、カメラの使用を厳しく禁止されていた。このメインストリートは密売物資を運ぶルートなので、誤って関係者を写真に撮ってしまうと面倒なことになるらしい。ファベーラの中に入る段階になっても、「建物の前にたむろしている人、銃を持っている人、それらしい人は撮らないように」と忠告される。「建物の前でたむろしている人」は、密売者から雇われている見張り役だそうだ。「銃を持っている人」がいると平気で案内されるし、「それらしい人」という判断基準は難しい。本当に安全なのだろうかと不安がよぎる。
 巨大化しているファベーラは、今では人が溢れてもう土地が残っていないため、丘の上の急斜面の岩場にまでへばりつくように不安定に家が建っている。丘には無数の建物が乱立し、その中は迷路のように入り組んでいる。見上げれば、電線が網の目のように張り巡らされ、足元には何本もの水道管がむき出しに配管されている。電気、水道、インターネットは公共のものを各家が無断で引いて利用しているという。排水溝はあるのだが、どこもゴミで目詰まりしていて、雨が降ると汚水が溢れ、洪水のようになるらしい。ガイドさんによると、この地域の平均の子どもの数は1家に7人。12歳くらいで子どもを産み始め、29歳で2人の孫のおばあちゃんということもザラだという。一般的に、スラム街に暮らす人々は定職に就いていないことが多いと思われがちだが、ここでは、多くの人が街の中心部やビーチ沿いのスーパーやホテルで低賃金ながら定職を持っているそうだ。

 ファベーラを歩いていると、事前に写真を撮ってはいけないとされた「それらしい人」であろう銃を持った見張り役の青年達に出くわす。彼らの鋭い目つきと彼らが纏っている雰囲気が、すれ違うこちらを緊張させる。家々の壁をよくみてみると、銃撃戦の跡が残っているので、実際に銃が使われることもあるのだろう。
 一方、気の良さそうな人、親切そうな人にもたくさん会った。スラムで生まれ育ったガイドさんはすべての住民と顔見知りで、出会ったすべての人と明るく挨拶を交わす。地域全体が暖かいコミュニティのようにも見えた。リオにある400以上のスラムは、すべて3大マフィアに管轄され、それによって良くも悪くも治安が保たれているそうだ。銃を持つ人も確かにいるけれど、スラムの中には商店や食堂や散髪屋さんがあり、日々の生活が営まれるひとつの町という印象も受けた。ガイドさんは、地元を紹介するテレビのタレントのように嬉々として、お勧めの甘味屋さん、絵画で収入を得るための絵の学校、NGOが経営する託児所などに案内してくれた。案内してもらった場所には、明るく力強く生きる人々がいた。
 中南米の旅を終えてアフリカのケニアを旅していた時、仲良くなったスペイン人の旅人に首都ナイロビのスラム「キベラ」に行ってみないかと誘われた。このスラムはアフリカで2番目の規模だそうで、人口は60万人とも言われる。ナイロビは、世界的にみても凶悪犯罪が多発することで有名で、ガイドブックにもむやみに出歩かないようにと注意書きがされている。ここにはリオのように親切なツアーは無く、自分だけだったら行こうなんて思わなかっただろうけれど、誘ってくれた人が前にそこに行ったことがあり、昼間は全く問題なく安全で、今回は友人4人も連れて行くと言ってくれるので同行させてもらうことにした。

 ナイロビの中心地からローカルバスで数十分の距離にキベラはあり、バスを降りてスラムの中に入って行く。車1台が通れる幅の道路があり、舗装されていないドロドロの道になっている。その脇を何本もの細い小道、泥道が複雑に絡み合っている。泥道の脇にはゴミが山盛りに溜まっていて、匂いがきついところがある。雨が降ると、汚水が溜まって蚊がいっぱい発生してしまうだろうなと容易に想像がつく。
 道端には小さな商店がいくつもある。海賊版DVDを上映する映画館らしき小屋があったり、防犯用の柵でがんじがらめにされていて、ノズルだけ取れるようになっているガソリンスタンドがあったり、自宅で作った炭を道端で売っているお店があったり、豚の足先だけを焼いて売っているお店があったりと、アイデア溢れるお店を多々目にする。もちろんそのアイデアは貧しさから来るものだろう。
 このスラムの真ん中には線路が走っていて、そのすぐ脇を平屋の家やアイデア商店が隙間無く並んで建っている。この辺りを思うままに歩いていると、かなりの人が行き来する。密集した家々や人口統計の数字が物語るように、多くの人がこの一帯に暮らしているのが実感できる。線路の側でこんなに多くの人が住んで、歩いていて大丈夫なのだろうかと不安にもなる。
 ここには、いくつも幼稚園や小学校があるようで、そこの前を通ると、小さい子供たちは「はわゆーはわゆー」と大合唱して集まってきてくれる。全く屈託のない目。素朴な疑いを知らない目に出会えた。単純にスラムの中には学校なんて無いと思っていたけれど、いくつもきちんとした教育機関があることに少なからず驚かされた。

 キベラは比較的平地にあり、いくつかの小高い丘があるくらいでそこまで起伏が無い。もちろん高いビル群があるわけではないので、広いアフリカの青い空が近くに見える。そのためかうっそうとした暗い場所が少なく、どこか開放的な雰囲気がある。ガイドがいないので、あまり危険そうなところに踏み込むこともできなかったし、幸運にも銃を持った若者にも出くわさなかったこともあり、リオのファベーラとは全然違う雰囲気の場所だという印象を持つことになる。

 世界的に見ても大きな2つのスラムを訪れてみて、その地域が直面する社会問題について考えさせられた。訪れる前に持っていた悪いイメージは、その通りの部分もあったし、そうでない部分もあった。人口過密による衛生状態の悪化、マフィア同士の抗争、ドメスティックバイオレンス、ドラッグ中毒、アルコール中毒など、スラムの抱える問題は様々だが、それらの問題を軽減するための地道な努力もなされている。リオのスラムでは政府が生活水準を向上する努力を始めているし、ナイロビのスラムでは一般的に思われがちなスラムの悪いイメージを変えるべくアート活動が行われている。半日歩くだけでは実際に根付く深い問題までは見えてこないけれど、リオでもナイロビでも純粋な子供たちの目を見ることができて、なんだか安心してしまった。そこに将来の救いがあるような気がした。訪れる前は、踏み込めない見えざる壁を感じていた場所。踏み込んでみると、そこには普通の人々の暮らしがあった。そしてそこは予想外に、明るさと、強さと、未来への可能性に満ちた場所だった。

受ける視線、避ける視線

受ける視線、避ける視線
■Writer&Photographer
黒田麻美子
■Age
(21)
■Profile
津田塾大学中退後、某カフェ店員に。 バックパックを背負って、海外や日本を一人旅するのが好きな旅初心者。時々ヒッチハイカー。2012年10月より、カフェや紅茶/珈琲の産地を巡る一年間の世界一周の旅へ。帰国後は、自身のカフェOPENとカフェ本の出版を予定。

 飛行機に乗って数時間、そこからバスで揺られること数時間、国境を越えて異国へとたどり着く。
同じ東南アジアと言っても、日本の見慣れた景色との大きな違いに胸を躍らせる。

 今日の寝床を求めててくてく歩いていると、英語で書かれた看板を探す目線が、大きなバックパックを背負った旅人を捉える。重い荷物を背負ってるはずなのに、軽快な足取りでだんだんと近づいてくる旅人。表情が見えるところまで距離が近づくと、お互い自然と笑みがこぼれる。そして余韻を残しながら、通り過ぎていく。

 旅をしていると、幾度となく経験する場面であり、私が旅の楽しさの一つに感じられる場面でもある。

 また、屋台で売られてる食べ物を買おうとしてるとき、前に並んでる人と目が合うと、またにこりと笑顔を向けられる。「美味しそうだね」「食べたことある? 」それが、注文を待つ間のつかの間の会話につながる。彼らの名前も、出身地も、わからない。分かるのは、同じ”バックパッカ―”だということ。それだけの共通点が、旅先ではなんだか心強く感じる。それが自然と、出会ったときの笑みにつながっているような気がする。
 少し小ぶりになったバックパックを背負って、今度は日本を旅してみる。京都や長崎といった観光客の多いところへいくと、やはりバックパックを背負った旅人を見かける。「ああ、今度は日本人だ。しかも歳も近そう」と思いながら、だんだんと距離を縮めていく。しかし、視線を捉えることもなく、通り過ぎていってしまう。「全員と目が合うわけではないんだし」と思いながら、さらに歩みを進める。幾度となく見かけるバックパッカ―。彼らと目があうことはなかった。同じ日本人で、年頃も一緒で、異国で出会う旅人より多くの共通点があるはずなのに、旅で感じた「嬉しさ」を味わえない。

 目線が交わらない。笑顔を交わせない。

 「視線」「笑顔」異国の地で、あんなに心強さを与えてくれたものに出会えない寂しさ。”バックパッカ―”ということで、なんとなく感じられる”連帯感”が日本では、とても希薄に思える。

 桜島行きのフェリーで、またバックパックが目に留まる。小柄な女性が、重さを感じさせない足取りで、歩いてくる。

 目があうと、微笑んでくれた。

モテキ到来~アピールのGAP~

モテキ到来~アピールのGAP~
■Writer&Photographer
田中美咲
■Age
1988年8月26日生まれ。
■Profile
少しでも多くの人が心の底から幸せだと思えるよう、対話のプロになる。現在はそのため渋谷で働きつつ、全力勉強中。1988年8月26日生まれ。 
KEYWORD:バックパック旅(213日6大陸10旅24カ国59都市)/瞑想修行(Vipassana)/クリエイティブ/前世はインドの姫/ヨガ/コーチング/ゲストハウス
Twitter:@misakitanaka

 勘違いしてはいけない。勘違いしてはいけない。勘違いしてはいけない。
 旅に出ていると女性は、本当にたくさんの人からアピールされる経験を何度もするとおもう。日本でモテキが到来していない私としては、とことん勘違いしうるシチュエーションが海外での旅にはたっぷり詰め込まれている。(いいのかわるいのか……)
 南米では、毎日ボニータボニータと言われる生活を繰り返し、アジアでは街を歩けば慣れない英語で「I love you」「cute cute」と言われる。特にインドでは、ただ遠目から勝手に言っているだけならともかく、肩を組んで来たり、かなりセクハラもされる。ヨーロッパに行けば、キスされハグされ、お姫様扱いされ、熱烈な告白をされる。アフリカではいつのまにか第二夫人にされる。
 日本では、自分を含めどんなに街を歩いていて素敵な異性がいても、いきなり目の前に立って「かっこいいです!好きです!付き合ってください!」なんて言えない。というより、言っている人を街でみかけたら、ドラマの撮影か罰ゲームなんだろうと考える以外頭がその現状に追いつかないだろう。日本人の多くは周りがどう思うか、相手がどう思うか、こうしたら自分はどう見られるのかを気にして、もともとの欲望を制御することがある。コントロールしているとも言えるかもしれないが、その瞬間に感じた欲求をそのまま言動にうつすことはほとんどないだろう。
 しかし、私がこれまでいろんな国や民族、宗教の方々と話したり、その人たちから幾度となくアピールされてきたが、大半の人が日本人とは逆の言動をとっているように思う。日本が『欲求は一度温めてから言動にうつす』ならば、海外は『欲求は感じたその瞬間表現しろ』というように、目の前にタイプの人が現れれば声をかけるし、素敵な人には素敵だと伝える。なんだか一見積極的で、気持ちをストレートに伝えるなんてすばらしいことだ!と思うが、その反面、こういうアピールだからこその問題点が私が知っているだけでも2つある。
 1つ目は、既に相手がいる(婚約者・お付き合いしている人など)場合の時に起こる。既に相手がいる人でも、そういう行動をおこすため、さっきまで可愛い!好き!と言っていたと思ったら、また素敵な人が目の前に来たらそっちに行く。女性があまり積極的に交際(もしくは外出)できない国に行った時はそれが顕著で、外で私のような旅行者などに声をかけても奥さんや彼女にはわからない。極端だが、それで現地人の奥さん2人と旅行者5人をGETしたインド人の友達もいる。
 そして2つ目は、アピールされる側からすると全く興味のない(もしくはタイプではない)人からも積極的にアピールされるということだ。今までの旅でぞくっとした相手は、挙げさせてもらうと、80歳くらいの杖をついたおじいさんからウインクされて「ボニータ」と言いつつ投げキッスされたり、有名な沖縄出身の元ボクサーのGに似た高校生から「君の彼氏になってあげるよ」とドヤ顔で言われたり、マサイ族の同い年の男の子からは、「第二夫人ならいいよ」と頼んでもいないのに誘われたことがある。今思うと、全員なんて自己中心的な言動なんだ!!!
 日本のようにアピール下手で、メールやネットの中でしか発言できないのもどうかと思うが、私が出会った海外の人たちは、アピールが上手という度をこして、とにかくアピールしまくる1000本ノックタイプだ。どちらも極端すぎる。今はどちらも慣れてしまったから随時合わせたり考え方を共有して暮らせて行けているが、なんといっても旅をしていて一番笑ってしまった面白いGAPはこの『アピールの仕方』のGAPだった。



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