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毛利少輔四郎
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 前編
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 前編 1
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老人達の思い出話 小原鑑元の乱 前編 14
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 前編 15
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 前編 16
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 前編 17
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 前編 18
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 前編 19
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 前編 20
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 地理説明 その一
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 前編 21
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 前編 22
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 前編 23
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 前編 24
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 地理説明 その二
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 大分川合戦
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 1
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 2
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 3
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老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 5
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 6
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 7
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 8
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 9
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 10
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 11
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 12
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 13
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 14
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 15
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 16
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 17
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 18
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 19
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 20
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 地理説明 その三
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 21
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 22
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 23
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 24
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 25
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 26
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 地理説明 その四
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 27
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 28
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 地理説明 その五
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 地理説明 その六
老人達の思い出話 小原鑑元の乱 後編 29
天下を望まなかった男
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天下を望まなかった男 18
毛利の隠し矢
毛利の隠し矢 1
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大友家すいーつクリスマス
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老人達の思い出話 小原鑑元の乱 前編 6

 吉岡長増がここに来た理由を佐田隆居は悟る。

 大内への警戒だけでなく、大友内部で起こるであろう再度の内乱において、宇佐がどう動くのかを見極める為だと。

「何故に、そこまで事を急ぎまするか。

大内も中が荒れてい……それが理由ですな……」

 己が尋ねようとした吉岡長増への質問に、答えが含まれていた事に佐田隆居は苦笑するしかない。

 大内家が混乱している今だからこそなのだ。

 復権しつつある大神系国人衆を一掃して、大友一門支配を完成させる機会は。

 吉岡長増は佐田隆居に自嘲する。

「お屋形様は、同紋衆を信用しておらぬようだからの」

 身内骨肉の争いの中で大友家当主となった大友義鎮からすれば、同じ血を引いているだけで信用できると言い切れる訳がない。

 まだ己との利害関係に誠実な他紋衆の方がよほど分りやすいというのもあり、二階崩れで身辺を警護した佐伯惟教(さえき これのり)や、正室である奈多夫人の兄にあたる田原親賢を重用していたのもそこに起因する。

 佐田隆居は吉岡長増の自嘲に悟らざるを得ない。

これは、大友家同紋衆の総意なのだと。

「宇佐衆には動いてもらう事はない。

というか、動かぬよう頼みに来たというのが本音よ。

我らとて一万田の二の舞など味わいたくはないからの」

吉岡長増は独り言のように呟き、佐田隆居はあえて何も言わずにそれを流す事で答えた。

 吉岡長増が奈多夫人とその護衛を連れて豊後に帰ったのを見届けた佐田隆居は、宇佐に戻ると宇佐八幡大宮司である宮成公建(みやなり きみたけ)が彼の帰りを待っていた。

「寄進をしたいと言ってきた者がおる」

 祭事を司る大宮司をして、実務を担当する宇佐衆に話しておくほどの人物からの寄進というのは、例外なく裏がある事を佐田隆居は経験から知っていた。

 だから、初老に入ろうとしていた顔はわざととぼけたままで、ゆっくりと尋ねることで心を落ち着かせながら、その人物の名前を聞いた。

「それは上々な。

で、どなたですかな?」

「安芸国、毛利元就殿にて」

 

 運命なのかもしれないと、佐田隆居は後にこの時を思い出すようになる。


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老人達の思い出話 小原鑑元の乱 前編 7

永禄七年(1564) 府内 吉岡長増館

 

「この前、姫様に従った大神惟教(おおが これのり)より、大神側から見たあの乱の事を聞く事ができた」

 佐田隆居は空を見上げたまま生臭い思い出話を語る。

「火種になった中村長直(なかむら ながなお)率いる水軍衆は、多くの流れ者を抱えていたらしい。

その中に毛利の間者が居たのでないかと、佐伯惟教は後に疑ったそうだ」

「あの時、毛利は交渉役として小寺元武(こでら もとたけ)や小倉元実(おぐら もとざね)が常に府内に来ていたからの。

間者が中村と接触していた可能性もあろうよ」

 同じように吉岡長増も思い出話を語り、二人して暗い顔でため息をつく。

 既に過去の事であるし、乱によって多くの死傷者が出た後でそれを特定するのは不可能に近い。

 だが、佐田隆居がそんな事を言うのも乱が過去になったからで、毛利元就の手を佐田隆居が知ったからに他ならない。

 なお、その情報源は彼が仕える珠姫であり、佐田隆居は裏取りをしただけだりするのだが。

珠姫がどうして毛利元就の謀略を事細かに知っていたのかは判っていなかった。

「尼子新宮党や、陶の江良房栄(えら ふさひで)の粛清。

毛利が大内家を滅ぼした手を知れば、大友にそれをしかけなかった方がおかしい。

間違いなく、当時の大友は大内についたでしょうから」

 それが珠姫の示唆だったが、当事者にとっては霧を晴らす一言だった。

 その示唆を元に情報を集めなおして出てきた答えは、推測の域を出なかったが真っ黒だったのである。

「君側の姦を討つ名目で実際に兵を起こした中村・賀来・本庄の兵達は、『姫様に婿を取らせる故、お屋形様に手をかける事やむなし』と命を受けていたらしい」

 佐田隆居の乾いた笑みと共に吐き出される毒に、吉岡長増も投げやり気味に言葉を吐き捨てる。

「大寧寺の変再びと言った所か」

「佐伯惟教がどうして伊予宇都宮家に逃げ込んだのかというと、それが理由だそうな。

背後に毛利が蠢いているならば、沖家水軍に逃げ込むは自ら檻に逃げ込むようなものだからな」

 小原鑑元の乱によって、一族を引き連れて豊後より逃亡しなければならなかった佐伯惟教が逃げ込める場所は、伊予宇都宮家しか無かったのだった。


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老人達の思い出話 小原鑑元の乱 前編 8

 土佐一条家と伊予河野家は、それぞれ大友家より妻をもらい大友側の家臣がおり、伊予西園寺家は、宇和海をめぐってたびたび衝突を繰り返して怨恨があったのだ。

「しかし、乱は失敗した」

「吉岡殿を始め、加判衆が賢明だった故。

毛利元就とて成功するとは思っておらぬだろうて。

ただ、大内を滅ぼす間、大友が混乱してくれればいいと」

 吉岡長増も佐田隆居も何も食べず、何も飲まずに記憶を探る。

 今、毛利元就の毒牙にかかろうとしているのが珠姫であり、あの時もっとよい手が無かったのかと考えるのは、現在の状況打破になりうる一手を考える事に繋がるだろうからだ。

 毛利元就にとって、ある意味で成功し、ある意味で失敗した小原鑑元の乱を考える事は。

 

 

弘治二年(1556)五月 府内

 

府内の町を見下ろす上原館より炎が上がり、町の外周部にて兵達が殺し合いを行い、府内は阿鼻狂乱の坩堝と化した。

「謀反じゃ!謀反じゃ!」

「中村長直が裏切ったぞ!」

賀来家も襲ってくるぞ!」

「町に火が放たれたぞ!」

「助けてくれぇ!」

 燃え盛る炎、逃げ惑う人々。

 発生する略奪に、響く剣戟の音。

 炎と血によって彩られる紅の地獄は、確実に府内の大友館を目指していた。

「本庄新左衛門尉(ほんしょう さえもんのじょう)、賀来紀伊守(かく きいのかみ)、中村長直の手勢がこちらに向かっております!

既に上原館には炎が!

お逃げを!

落ち延びて再起を図るのです!」

 府内中央に位置する大友館を守っていた兵の悲痛な叫び声を、能面のような表情で大友義鎮が眺め、その隣では同じような顔で吉岡長増が大友義鎮を見つめていた。

 

そもそもの原因は、厳島合戦にて陶晴賢が討ち取られ、動揺著しい大内家救援の為に兵を集めていた事にある。


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老人達の思い出話 小原鑑元の乱 前編 9

毛利元就討伐に出た大内軍二万は壊滅的打撃を受けたが、西国有数の大家である大内家は揺らぎこそすれ、まだ余力は残っていた。

事実、周防長門にはまだ一万近い軍勢がおり、豊前や筑前の大内勢が後詰に動けば大内の優位は動かないはずだった。

だが、その揺らいだ優位を毛利元就は慎重に、かつ容赦なく切り崩す。

長門守護代の内藤家に内部分裂をしかけ、内藤隆春(ないとう たかはる)が離反。

彼の妹は毛利隆元(もうり たかもと)の妻であり、大内義隆(おおうち よしたか)の養女として嫁入りした事で、『大内の正統は毛利側にあり』という政治的アピールに、大内家中が揺れに揺れていた証拠である。

大内義長は大内の血を引いてはいるが元は大友の人間であり、陶晴賢の傀儡でしか無かった事から多くの家が毛利元就に靡いたのはある意味当然だった。

ならば、豊前・筑前から後詰をと大内義長は考えたが、豊前守護代だった杉重矩が陶晴賢に粛清された事によって、息子杉重輔(すぎ しげすけ)はこれを拒否。

筑前はというと、実質的な守護代として動いていた高橋鑑種が筑前に帰還したが、この状況で大内につく者は少なく、高橋鑑種を含めて多くの家が大友に靡く始末。

 かくして、大内義長は兄である大友義鎮に助けを請うしか手段は残っていなかったのである。

最初、大友義鎮は兄弟の情というよりも、大友家の利益を踏まえて出兵を意図していた。

もちろん、弟を助けたいという思いが無い訳ではない。

だが、窮乏の大内家に助ける事によって、豊前・筑前の国人衆を掌握できる利の方が大きかったのだ。

既に立花鑑載(たちばな としあき)などの大友同紋衆の家は大友義鎮に服従の証書を出し、大内家家老として高橋鑑種からの救援要請が府内に届けられ大義名分もあり、商都博多も大友側が完全に握っている状況になっていた。

ここで大内義長を見捨てるという選択肢もあったし、毛利元就から小寺元武が府内にやってきて『毛利は九州に野心は無し、豊前・筑前はお好きなように』という言質も得てはいた。

加判衆だけでなく多くの重臣を集めた評定の場で、これに異を唱えたのは吉岡長増である。

「豊前・筑前はお屋形様自らの力で奪い取ったのであり、毛利元就に与えられたものではございませぬ」

 その一言に、大友家の外交を取り仕切っていた臼杵鑑続が続く。

「毛利が大内の後継を謳っている以上、かの家が豊前・筑前に野心を出さぬという事の方が戯言でしょう。

それよりも弟義長様を助け、大内より上位に大友を据える方が肝要。

 国人衆は弟を見捨てなかった義を見て、己も助けてくれると考えるかと」


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老人達の思い出話 小原鑑元の乱 前編 10

 大友義鎮は二回崩れという内乱で父義鑑と傅役である入田親誠を討ち取って大名になり、その後叔父である菊池義武と先ごろ寵臣だった一万田鑑相を粛清した事もあり、冷酷であるという意見は常について回っていた。

 為政者にとってその冷酷さは大事な資質ではあったが、あまりに度を越えている粛清に怯えが恐怖となって暴発する事に大友義鎮はまだ気づいていない。

 それゆえ、この大内義長救援を命じれば、

「お屋形様にも人の心があったのか」

という安堵に繋がり、家中が纏まる事を吉岡長増や臼杵鑑続は狙ったのである。

 だが、この意見に異を唱える者がいた。

「義長様をお助けするのは異存が無い。

だが、馬関海峡(関門海峡)を超える事ができるのか?」

 疑念を呈したのが、水軍衆の将であった佐伯惟教。

 厳島合戦において毛利側に味方し、瀬戸内海最大最強の水軍衆である村上家を主体とする沖家水軍は、そのまま毛利家と同盟関係を続けており、四百隻を超える船団を相手にするなど大友水軍ではできる訳が無かった。

「義長様をお助けする為に死ねと命じられるのならば、この命いくらでも差し出しましょう。

ですが、我らは犬死だけは御免蒙りたい。

吉岡殿。臼杵殿。

我らが沈められし後に、周防長門に上がれる策はあるのかお尋ねしてよろしいか?」

 その質問に二人が答えようとする前に、末席から聞き捨てならない野次が佐伯惟教に浴びせられる。

「大神の佐伯殿は身内で無いから、犬死はいやだと仰る」

 その一言に、佐伯惟教は怒気を露にして野次の主である門司親胤(もじ ちかたね)を睨みつけた。

 門司家は名前の通り、馬関海峡の九州側である門司を中心に企救半島に領地を持つ家なのだが、この家れっきとした大友同紋衆である。

 とはいえ、場所が場所ゆえに近年は大内家に仕えており、厳島合戦の後で大友側に帰参したという経歴を持つ。

 なお、後に起こる大友と毛利の門司合戦は、彼が毛利側に寝返って門司城を奪われた事から始まる。

「大内の旗を背負って我らに吠えていたのに、大内の旗が折れたら今度は大友の旗を背負い、あげくに同紋衆面をなさるとは、面の皮だけは厚いようで」

 怒気を押さえてこんで放った佐伯惟教の皮肉に、野次を放った門司親胤が激昂する。



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