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中選挙区制の方が良かった。。。

昔のいわゆる中選挙区制を知っている世代としては、今の小選挙区制にしたのはやはり間違いだったと思います。 定数削減や一票の格差の是正は当然として、今の小選挙区制でそれらをやるのには無理があるように思います。一番大きな点はやはり中小政党が事実上排除されてしまい、結果的に民主主義の根幹であるはずの少数意見も尊重するということが無理になってしまうからです。 昔の中選挙区制の方が良かったのでは?と素朴に考えてしまいます。
‎17時~nhkラジオ第1 ご意見募集 https://cgi2.nhk.or.jp/hitokoto/bbs/form2.cgi?cid=1&pid=12124 2月1日「“格差是正”“定数削減” 選挙制度はどうあるべきか」 [新着]衆議院の選挙制度を巡って議論が続いています。
最高裁判所が前回の衆議院選挙で、1票の価値に最大で2倍を超える格差があったことを「憲法違反の状態」としていることを受けて、与野党9党は、去年秋から選挙制度について協議を続けています。
与野党協議の座長を務める民主党の樽床幹事長代行は、いわゆる1票の格差の是正、定数削減、選挙制度の抜本改革を一括して協議して、2月25日までの合意を目指す考えを示し、今後、毎週協議会を開き、議論を行っていくことになりました。
その上で、樽床氏は、小選挙区を0増5減するとともに、衆議院の比例代表の定数を80削減して100議席とするなどとした、民主党の案を示しました。これに対して、自民党は「単純に比例代表の定数を減らすのは中小政党への配慮が足りない」と述べたほか、公明党は「80削減には断固反対であり、制度の抜本改革によって、格差の是正を図るべきだ」と主張するなど、民主党が示した比例代表の定数削減案に批判が相次ぎ、議論の行く末が注目されます。
議論が紛糾している選挙制度改革について、皆さんがお聴きになりたいことは何ですか。
衆議院また参議院の選挙制度のあり方はどうあるべきだとお考えですか。 同時に議論されている国会議員の定数削減については、どのようにお考えですか。
皆さんからの一言をお待ちしています。


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カネや欲望は良くも悪くもない。

 

それらを良いとか悪いとか言っているのは

 

あなた自身の自分勝手なマインドだ。

 

ものごとは良くも悪くもない。

 

ただそこにあるだけだ。

 

それは鏡のようなものだ。

 

黙って対象を写しているだけだ。


あなたはその鏡に向かって文句を言ったり称賛したりしているにすぎない。

 

 

 

 


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ニュートラル(中立的)であるということ~いきいきと生きる

自我(mind)はいわば振り子のようなものだ。それ自身が生きている限り、永遠に極端から極端へと動き続けていて真中にとどまることができない。つまり常に非難または正当化を繰り返していて、ニュートラル(中立的)でいることができない。それが自我というものの本質的な性質だ。これは正しいあれは間違っているとか、これは好きであれは嫌いだとか、常に極端から極端への運動を繰り返している。なぜならたとえばマグロという魚が常に泳ぎ続けていて止まったら死んでしまうように、自我とういうものは常にあらゆる局面において非難または正当化を繰り返していなければ生き延びられないからだ。osho(和尚)が「あなたが死ぬまでは」と言うのはそういう意味だ。私の自我が死ななければ私は真実を知ることができない。ハート(heart)が真にいきいきと生きることが出来ない。自我にとって常にニュートラルであり続けることは不可能なのだ。私が思考を持っている限り私は中立的なポインントに留まることはできない。つまり私は真実(truth)を知ることがないのである。マインドとハートは共存が出来ない。つまりマインド(mind)ドが生きているということはハートが死んでいるということなのだ。そしてmindは自殺することは出来ない。自然に死ぬのを待つしか手がない。人は自我が死んだ時に初めて真実を知ることが出来るだろう。ニュートラルであり続けることが出来るだろう。そうであってこそ人は真の意味でいきいきと生きることができるのであり、そしてそれがつまり至福と言うべきものだ。それがつまり悟りなのだ。


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無比較、無選択の気づき~最後の自由

私たちに残された最後の選択肢は選ばないということかもしれない。 J.クリシュナムルティの「自我の終焉(the first and last freedom)」は1980年代に読んだ本であるが、私の精神性に大きな影響を与えた。たとえば「無選択の気づき」というキーワードは非常に重要な言葉である。そしてこの本の原題である"the first and last freedom"。つまり彼は強調する。「私たちが自由になるためには、まず最初に自由でなければならない」。ものごとに優劣をつけたり好き嫌いを言うのは実に安直なことだが、真の自由とは相対的価値観からの自由であり、選り好みをせずに超然としているということだ。つまりそれこそが、「無選択の気づき」であろう。これは良いあれは悪いとか、こちらの方があちらより優れている、あるいは、われわれが正義であちらが悪だというような、比較に基づく視野の狭い価値観をたとえば私なら「相対的価値観」と呼ぶ。自我にとって、思考にとって、比較しないことは極めて難しい。と言うより比較することもまた自我の本質的な性質である。そして何でも比較してより良いものに対する欲望が生まれるというわけだ。そして無選択であることを保ち、気づきが重要であると。つまり私が作ったせりふ「選ばないという選択肢」という言葉は、もちろん言葉の矛盾わけだが、精神が自由であるためにはまず「比較せず選ばない」という実に中立的な立場が必要なのだ。そしてその比較せず選ばないということによる気づきこそが「最後の自由」であるのだと私は理解している。たとえば自由(freedom)と勝手(liberty)は違うと言うが、何が違うのか?それはおそらく勝手は自我にしがみつくことであり、自由は選ばないということではないか?たとえば政治的に言えば、右翼であってもいいし左翼であってもいいということだ。そんなものは本質的には何の違いもないからである。思考は、つまり自我は常に選びたがる。どちらかでないと嫌なのだ。自由はどっちでもいい。どちらでもかまわないのだ。つまり、自由とは選り好みをしないということだ。好き嫌いを言わないということだ。逆説的だが、よく考えるとそういうことになる。つまり、選り好みあるいは好き嫌いを言って「選んでいる」人は、自身の欲望に束縛されているということだ。「思考はわれわれの問題を解決することができるだろうか」とクリシュナムルティは洞察する。真に自由な精神は常に自由である。これは嫌だあれは嫌だとは言わない。それがつまり選ばないという選択肢であり、私たちに残された最後の自由ではないだろうか。つまりそれが気づきであり、精神が自由であるということなのだ。クリシュナムルティはそう言っているように私には読めた。そして比較することが止んだ、選ぶことが止んだ時私たちは、はじめから自由であったことに気づくのかもしれない。


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奥付

 

勝ちたい奴に用は無い


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著者 : 篠田 將巳
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