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命名、レッテルを貼るということ

クリシュナムルティも言っているように、 自我の特性のひとつに命名したがるということがある。レッテルを貼りたがるということがある。 つまり我々は何にでも名前をつけないと気が済まないのだ。

 「これは右だ」とか「左だ」とか。 それはたとえば「右」をあるいは「左」を非難あるいは正当化しているのである。 「それは差別だ」とか「不公平だ」とか。 それはつまり、「差別」あるいは「不公平」を非難しているのである。 「これは美だ」とか「それは政治的だ」とか「宗教的だ」とか。 我々は何かものをを考える時に、何かしら名付けないと収拾がつかず混乱してパニックに陥ってしまうのだ。 つまり自我が生き延びるためには命名、レッテルを貼るということが必ず必要なのだ。命名、レッテル貼りとは自我にエサを与え続けるということなのだ。

そしてわれわれは、命名することによって私は"ほんとう"を見ずに逃避しているのではないだろうか。 つまり私は眼を開かずにつぶって、あるいは"夢"を見ることによって"ほんとう"を避けている。 その方が楽だからだ。安直だからだ。 そして私の自我は生き延びる。 自我が生き延びることで私は真実を見ることを永遠に避け続ける。 その方が生ぬるくて心地良いからだ。

あるいはそれは人間の根源的な欲望かもしれない。

 しかし私が愛を知ることはない。 それゆえ私は不自由にる。

つまり命名することはすなわち自分で自分を縛るということを意味しているのだ。

 しかし順序を間違えてはいけない。 つまり「じゃあ命名するのをやめよう」「レッテルを貼るのをやめよう」と決心しても、 それは即狂気となってしまうのである。

 「春が来れば草はひとりでに生える」という有名な言葉がある。

 つまり我々は、 賢くなれば命名は、レッテル貼りはひとりでに止むのであろうと思う。


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このままでいい

自分のあるがままを受け入れることすら非常に困難なのに

ましてや他人のあるがままを受け入れて

社会の中で生きて暮らして行くことはほとんど超人的な能力だと思う。

つまりはそれが自分を赦すということであり、

他人を赦すということだろう。

特に自分のような病気の者にとっては、

何十年かかっても出来ないことだった。

それ自体を受け入れることがまた、

自分を赦すということかもしれないが。。。

しかしそんなことが出来る人がどこに居るだろう。

誰もが自分を、そして他人を赦せないままに生きている。

そのことを悟るということがつまり大悟かもしれない。

 

自分を、そして他人を赦せない自分を認める。

受け入れる。

どこまで行ってもきりがない。

すなわちこのままでいい。

このままでいい。


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月乃光司さんとしんぞうさんご夫妻の映像を拝見して

月乃光司さんのことは以前から知っていた。

 

しかし奥様で画家のしんぞうさんとのインターネットテレビの映像、

 

http://www.ustream.tv/recorded/18518348

 

を実際に拝見してその馴れ初めを聴いて、

 

そして何より以前から知ってはいたものの

 

月乃光司さんの半生を実際に彼の口で語られるのを伺って、

 

正直私は、

 

その力に圧倒された。

 

彼は何も金儲けをしようとか世の中を変えてやろうとか、

 

そんな野望は微塵も持っていない。

 

しかし私は思った。

 

せめてこの完全ひきこもりで昼間もパジャマで過ごしていた私は思った。

 

明日からはせめてこのパジャマを脱ぐところからはじめてみよう。

 

せめてそれくらいは出来るだろう。

 

そして出来れば来月からはせめて主治医ともまともに会おう。

 

 

幸いなことにまだ両親はともに健在である。

 

彼らが生きてあるうちに少しでもまともになろう。

 

せめてそれくらいは出来るだろう。

 

 

月乃光司さんとしんぞうさんご夫妻の姿は、

 

それくらいの決意を私にさせてくれた。

 

 

深謝。

 

 

 


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誰かの責任を追及するということ

私も原発即時停止派ですが、

しかしそれと何かを誰かのせいにすることは違うような気がします。
生きるということは、
誰だって何かに責任を負いながら何かしらをするわけですが、
もしその刃が、
つまり「お前の責任だ!」と自分に向かってきた時どんな気がするでしょうか?
哀しいですが生きるということは言うまでもなくそういうことではないかと思えて、
原発事故からまもなく1年を迎えるにあたり、
私は誰かを責めようとは思いません。
 
 

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中選挙区制の方が良かった。。。

昔のいわゆる中選挙区制を知っている世代としては、今の小選挙区制にしたのはやはり間違いだったと思います。 定数削減や一票の格差の是正は当然として、今の小選挙区制でそれらをやるのには無理があるように思います。一番大きな点はやはり中小政党が事実上排除されてしまい、結果的に民主主義の根幹であるはずの少数意見も尊重するということが無理になってしまうからです。 昔の中選挙区制の方が良かったのでは?と素朴に考えてしまいます。
‎17時~nhkラジオ第1 ご意見募集 https://cgi2.nhk.or.jp/hitokoto/bbs/form2.cgi?cid=1&pid=12124 2月1日「“格差是正”“定数削減” 選挙制度はどうあるべきか」 [新着]衆議院の選挙制度を巡って議論が続いています。
最高裁判所が前回の衆議院選挙で、1票の価値に最大で2倍を超える格差があったことを「憲法違反の状態」としていることを受けて、与野党9党は、去年秋から選挙制度について協議を続けています。
与野党協議の座長を務める民主党の樽床幹事長代行は、いわゆる1票の格差の是正、定数削減、選挙制度の抜本改革を一括して協議して、2月25日までの合意を目指す考えを示し、今後、毎週協議会を開き、議論を行っていくことになりました。
その上で、樽床氏は、小選挙区を0増5減するとともに、衆議院の比例代表の定数を80削減して100議席とするなどとした、民主党の案を示しました。これに対して、自民党は「単純に比例代表の定数を減らすのは中小政党への配慮が足りない」と述べたほか、公明党は「80削減には断固反対であり、制度の抜本改革によって、格差の是正を図るべきだ」と主張するなど、民主党が示した比例代表の定数削減案に批判が相次ぎ、議論の行く末が注目されます。
議論が紛糾している選挙制度改革について、皆さんがお聴きになりたいことは何ですか。
衆議院また参議院の選挙制度のあり方はどうあるべきだとお考えですか。 同時に議論されている国会議員の定数削減については、どのようにお考えですか。
皆さんからの一言をお待ちしています。



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