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無政府状態の夜

無政府状態って思っていたより悪くない。

政府(内閣)は機能していな
くても社会は勝手に動いている。

特にラジオ局が機能していれば安
心感がある。


って、まだ一応内閣はあるつもりらしいけど、本人たちは。笑。

 
なんか国が消滅するって、


こういう風にゆる~く進んで行けば何の
問題もないようにさえ思える。


政治家も政党も国会もみんないらな
い。

あ、お笑い娯楽のためには必要か。


権力って何のためにあるのだろう?


ものは考えようでお役所だってNPO法人でいいような気もする。


この深夜ですらFaceBookとtwitterとblogでちゃんと「世論」が形成されるでないの。




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あしたはもう風は吹かない

【座右の銘】

 

 

あしたはもう風は吹かない

 

 

                     ---ギャンブル依存症患者

       


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命名、レッテルを貼るということ

クリシュナムルティも言っているように、 自我の特性のひとつに命名したがるということがある。レッテルを貼りたがるということがある。 つまり我々は何にでも名前をつけないと気が済まないのだ。

 「これは右だ」とか「左だ」とか。 それはたとえば「右」をあるいは「左」を非難あるいは正当化しているのである。 「それは差別だ」とか「不公平だ」とか。 それはつまり、「差別」あるいは「不公平」を非難しているのである。 「これは美だ」とか「それは政治的だ」とか「宗教的だ」とか。 我々は何かものをを考える時に、何かしら名付けないと収拾がつかず混乱してパニックに陥ってしまうのだ。 つまり自我が生き延びるためには命名、レッテルを貼るということが必ず必要なのだ。命名、レッテル貼りとは自我にエサを与え続けるということなのだ。

そしてわれわれは、命名することによって私は"ほんとう"を見ずに逃避しているのではないだろうか。 つまり私は眼を開かずにつぶって、あるいは"夢"を見ることによって"ほんとう"を避けている。 その方が楽だからだ。安直だからだ。 そして私の自我は生き延びる。 自我が生き延びることで私は真実を見ることを永遠に避け続ける。 その方が生ぬるくて心地良いからだ。

あるいはそれは人間の根源的な欲望かもしれない。

 しかし私が愛を知ることはない。 それゆえ私は不自由にる。

つまり命名することはすなわち自分で自分を縛るということを意味しているのだ。

 しかし順序を間違えてはいけない。 つまり「じゃあ命名するのをやめよう」「レッテルを貼るのをやめよう」と決心しても、 それは即狂気となってしまうのである。

 「春が来れば草はひとりでに生える」という有名な言葉がある。

 つまり我々は、 賢くなれば命名は、レッテル貼りはひとりでに止むのであろうと思う。


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このままでいい

自分のあるがままを受け入れることすら非常に困難なのに

ましてや他人のあるがままを受け入れて

社会の中で生きて暮らして行くことはほとんど超人的な能力だと思う。

つまりはそれが自分を赦すということであり、

他人を赦すということだろう。

特に自分のような病気の者にとっては、

何十年かかっても出来ないことだった。

それ自体を受け入れることがまた、

自分を赦すということかもしれないが。。。

しかしそんなことが出来る人がどこに居るだろう。

誰もが自分を、そして他人を赦せないままに生きている。

そのことを悟るということがつまり大悟かもしれない。

 

自分を、そして他人を赦せない自分を認める。

受け入れる。

どこまで行ってもきりがない。

すなわちこのままでいい。

このままでいい。


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月乃光司さんとしんぞうさんご夫妻の映像を拝見して

月乃光司さんのことは以前から知っていた。

 

しかし奥様で画家のしんぞうさんとのインターネットテレビの映像、

 

http://www.ustream.tv/recorded/18518348

 

を実際に拝見してその馴れ初めを聴いて、

 

そして何より以前から知ってはいたものの

 

月乃光司さんの半生を実際に彼の口で語られるのを伺って、

 

正直私は、

 

その力に圧倒された。

 

彼は何も金儲けをしようとか世の中を変えてやろうとか、

 

そんな野望は微塵も持っていない。

 

しかし私は思った。

 

せめてこの完全ひきこもりで昼間もパジャマで過ごしていた私は思った。

 

明日からはせめてこのパジャマを脱ぐところからはじめてみよう。

 

せめてそれくらいは出来るだろう。

 

そして出来れば来月からはせめて主治医ともまともに会おう。

 

 

幸いなことにまだ両親はともに健在である。

 

彼らが生きてあるうちに少しでもまともになろう。

 

せめてそれくらいは出来るだろう。

 

 

月乃光司さんとしんぞうさんご夫妻の姿は、

 

それくらいの決意を私にさせてくれた。

 

 

深謝。

 

 

 



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