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父の病気

あとひと月で78歳になる私の父は、

 

電話機の子機で電話をかける方法が分らないらしい。

 

そこまで頭がおかしいのなら、

 

もう本当に老人ホームに入ってもらうしかないかもしれない。

 

こちらも病人なのでどうしようもないのだ。

一事が万事。父が狂うたびに私の薬の量が増えるのです。

 

もっとも父は父で「お前が入院しろ」と主張するだろうが。

 

しかも彼はまったく病識がなく、

 

いっさいの精神病あるいは認知症の治療を拒否し続けている。

 

いくら説得してもダメなのだ。

 

 


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インターネット上の「左翼ファッショ」

たまたま自分が見ているものがそうなのか?

それが私には分らないのだが、

私はインターネット上において、

たとえば直近の「民意」(北海道泊村の村長選)であるはずの原発推進賛成の意見をまったく聞かないし、

たとえば左翼は候補すら立てられなかった大阪市長選挙で当選したはずの


橋下氏に対する言論封殺としか考えようのない一方的な反橋下の意見しか聞いたことがない。


要するにインターネットなんていうものは、文句のある人間だけしか発言しないというわけだ。



インターネットの「世論」は「反民意」である。

少数派なのだ。


かく言う私も左翼である。


何ですか?この異様な「左翼ファッショ」は?


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無政府状態の夜

無政府状態って思っていたより悪くない。

政府(内閣)は機能していな
くても社会は勝手に動いている。

特にラジオ局が機能していれば安
心感がある。


って、まだ一応内閣はあるつもりらしいけど、本人たちは。笑。

 
なんか国が消滅するって、


こういう風にゆる~く進んで行けば何の
問題もないようにさえ思える。


政治家も政党も国会もみんないらな
い。

あ、お笑い娯楽のためには必要か。


権力って何のためにあるのだろう?


ものは考えようでお役所だってNPO法人でいいような気もする。


この深夜ですらFaceBookとtwitterとblogでちゃんと「世論」が形成されるでないの。




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あしたはもう風は吹かない

【座右の銘】

 

 

あしたはもう風は吹かない

 

 

                     ---ギャンブル依存症患者

       


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命名、レッテルを貼るということ

クリシュナムルティも言っているように、 自我の特性のひとつに命名したがるということがある。レッテルを貼りたがるということがある。 つまり我々は何にでも名前をつけないと気が済まないのだ。

 「これは右だ」とか「左だ」とか。 それはたとえば「右」をあるいは「左」を非難あるいは正当化しているのである。 「それは差別だ」とか「不公平だ」とか。 それはつまり、「差別」あるいは「不公平」を非難しているのである。 「これは美だ」とか「それは政治的だ」とか「宗教的だ」とか。 我々は何かものをを考える時に、何かしら名付けないと収拾がつかず混乱してパニックに陥ってしまうのだ。 つまり自我が生き延びるためには命名、レッテルを貼るということが必ず必要なのだ。命名、レッテル貼りとは自我にエサを与え続けるということなのだ。

そしてわれわれは、命名することによって私は"ほんとう"を見ずに逃避しているのではないだろうか。 つまり私は眼を開かずにつぶって、あるいは"夢"を見ることによって"ほんとう"を避けている。 その方が楽だからだ。安直だからだ。 そして私の自我は生き延びる。 自我が生き延びることで私は真実を見ることを永遠に避け続ける。 その方が生ぬるくて心地良いからだ。

あるいはそれは人間の根源的な欲望かもしれない。

 しかし私が愛を知ることはない。 それゆえ私は不自由にる。

つまり命名することはすなわち自分で自分を縛るということを意味しているのだ。

 しかし順序を間違えてはいけない。 つまり「じゃあ命名するのをやめよう」「レッテルを貼るのをやめよう」と決心しても、 それは即狂気となってしまうのである。

 「春が来れば草はひとりでに生える」という有名な言葉がある。

 つまり我々は、 賢くなれば命名は、レッテル貼りはひとりでに止むのであろうと思う。



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