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「こんばんは、お嬢ちゃん。どうかしました?」

「こばわぁ」と手をあげて、「あんなー、ヤーチャンいるー?」

 お兄さんが機械を操作して確認を取ります。

「ああ、確かにいらっしゃいますね。お子さんですか?」

 訊ねられて、あっちゃんは元気に答えました。

「マブダチです!」

「は、はぁ……」

 お兄さんがどことなく不思議そうに首を捻ります。ただ、彼も深くは突っ込まずに、

「そこの椅子に座ってお待ちください」

 と言ってくれました。言われたとおり、あっちゃんは木製の椅子に座り込み、行儀よく両膝を揃えます。レジもその上で姿勢を正していました。

 おじさんのスタジオと違い、効きすぎている暖房で空気がむんむんとしています。その厚みに、あっちゃんは自然と肩が張ってしまいました。

 お兄さんがスタジオと連絡を取っているのか、受話器へぼそぼそと話しこんでいるのが聴こえます。それが、いっそう「ここは知らないところなんだ」と感じさせました。

「レジー、ここ何や落ち着かんなぁー」

 あっちゃんが小声で話しかけると、レジがぎょろりとした目玉で見上げてきます。

「せやなー、まぁ、あいつらが使うようなとこやし、結構お高いんやないー?」

 レジの小さな手が、くるりと丸を描きます。『お金』を表しているのです。

「お前は、俗っぽくて意地汚いなぁ~」

 あっちゃんはため息をつきました。レジが居心地の悪そうに身を丸めています。

 二人がやり取りに夢中になっているところを、高そうな革靴の音が割り込んできました。ふわりと鼻をくすぐるのは、水の匂いです。

「きみたちは自分たちが特殊だって、少しは自覚したら?」

 椅子から立ち上がると、あっちゃんはその人の名前を呼びました。

「やあちゃん! おちごと終わったん?」

 やあちゃんは相変わらずの真っ黒な服装で、その場にでんと立っています。その巨体の隣には、清らかな水を織り込んだスカートを着た〝ミュウ・モン〟ウッドゥ。

 やあちゃんが青い目を泳がせました。

「いやー……それがその、ちょっとミキシングがまだでさ……」

「えー」とあっちゃんは唇を尖らせます。

 せっかく喜んだというのに、喜び損だと思ったからです。それがわかったのか、やあちゃんも申し訳なさそうに両手を合わせました。

「ごめんごめん。でも、どうしても他の人に任せられなくて。もう少しだけだから」

「もおすこし、ってどれくらいー?」

 あっちゃんが目を吊り上がらせて訊いてみれば、やあちゃんもしどろもどろ。

「そ、そうだな。三〇分……いや、一時間? ええと、もうちょい……?」

「全然『もう少し』やないよー! きょお、約束ちたやないかー。どおちて守らへんのやー」

 地団太を踏んでいると、やあちゃんが子供に言い聞かすように、

「それは悪いと思っているけど。だって、こっちだって前から『約束』していたもの」

 と言いました。あっちゃんは余計に頭がカッカとして顔も真っ赤になります。

「なんで二つも約束すゆんや。ちょっとは考えたらええやないかー」

 それを見ているウッドゥやレジがおろおろとしていました。ただ、やあちゃんだけは悲しげな顔をしながらも落ち着いています。

「『約束』って未来のことだろ。考えていても、どうしようできないときだってあるよ」

 やあちゃんの言葉に、あっちゃんはハッとしました。頑なに下へと向けていた顔を

上げると、やあちゃんの真剣なまなざしとかち合います。

「ね。とりあえず、家へ戻って先に食べときなよ」

 やあちゃんの声から棘がなくなりました。もしかすると、あっちゃんが怒りのあまりに勘違いをしていただけかもしれませんが……。その怒りの消えた今、あっちゃんも文句を言う気になれず、ただ頷いてみせるだけです。

 それを見届けると、やあちゃんはウッドゥを連れてレコーディング・ルームへ戻っていきました。レジと一緒に、ぽつねんと残されたあっちゃんはしばらく彼の去ったほうを見つめていましたけれど、やがてスタジオを後にしました。

「雪が降るらしいから、気をつけるんだよ~っ」

 お兄さんが背中越しにそう教えてくれます。しかし、あっちゃんは上の空で、聞いてから三秒後にはもう忘れてしまいました。

 

 外に出ると、あっちゃんは吐く息の白さを眺めました。ポケットに手を突っ込んで、お財布を取り出します。そのまま道路の向こうにある自販機のところへ歩き出しました。

「飲み歩きはお行儀が悪いでー」

 レジが注意してきましたが、あっちゃんはお構いなしに自販機で温かいレモンティーを買いました。ミトン越しに伝わってくる熱に冷えた心も温まります。

 あっちゃんは帰り道をとぼとぼと歩いていきました。たまにペットボトルを開けてレモンティーを飲みますが、行けば行くほどその回数も減っていきます。それに足取りも重くなっていき、そばで浮かんでいるレジも心配に覗き込んでくるのでした。

「あっちゃん、どないしたんやー? はよ帰らな寒いでー」

 レジの真っ赤な身体が視界に飛び込んできます。だけれど、その向こうにひろがるのは灰色の空。分厚い雲が太陽の光を遮り、街から色を奪っていました。

 夏のころには色づいていた並木道も、今では細い枝がむき出しになっています。その先にある清聴川も冷え切っていて、きっと人も寄りついていないのでしょう。

 あっちゃんとやあちゃんも、最近はずうっとご無沙汰です。それを思うと、あっちゃんは鼻がすんと鳴って胸も苦しくなりました。


「あっちゃん、どうして泣くんー? ええこええこー」

 レジが頭を撫でてくれますが、そんなことであっちゃんは落ち着きやしません。えっえっ、と嗚咽しはじめて、足もすっかり止まってしまっています。

「クリスマしゅやのに、みんなでお祝いできへんなんてー。どおちてなんやー。おちごとやからかー? おちごと大事かー? まぁ大事やー」

「あっちゃ~ん……」

「おちごと大事やけど、お祝いも大事やー。なのに何でやあちゃん大事にせえへんのやー」

 あっちゃんは空に向けてわんわん泣きました。たまに通り過ぎる周りの人たちが不思議そうに見てきても、一向に泣き止みません。何故なら、通り過ぎる人たちは恋人同士であったり、仲が良さそうな家族だったりしたからです。

 そんな人たちの幸せそうな雰囲気が、今のあっちゃんには辛かったのです。あっちゃんはとにかく泣いて、泣いて、泣き続けました。その泣き声は夜空に響き渡り、辺りの冷えた空気をもびんびん震わせます。すぐそばにいるレジがお耳をぱたんと二つ折りにしていました。

 そうしていると、空が奇妙な音を響かせ始めました。あっちゃんは泣いていたし、レジもお耳を塞いでいましたから、最初は全く気付きませんでした。しかし、やがて空から何かが降ってきたときには一人と一匹も動きを止めました。

「あえ」と、あっちゃんは泣き腫らして真っ赤になった目を空へ向けます。そこに舞い降りてきたのは……白くてふわふわとした、まるで〝善き音〟のような存在。

「おお、雪やー。雪……きゃーっ、水!」

 レジがあっちゃんのコートにさっと飛びつきます。あっちゃんは彼をコートの中に避難させてやると、辺りを見渡しました。

 そこでは、無数の雪がふんわり漂っていました。雨とは違い、地面を叩き付けることなく、じわりじわりと石畳の道に滲んでは溶けていくのです。

 ひっくと、しゃっくりをしてから、あっちゃんはその様子をじいっと見つめていました。耳を澄ませると雪の降る音がしゃらしゃらと聴こえてきます。その音は控えめで、とても優しげに並木道に沁み渡っていました。冷たい空気や、石畳や、裸の街路樹……。今、あっちゃんの目に映るものを透き通った音で包み込んでいきます。

 もちろん、あっちゃん自身をも――。

「レジ、おうたを唄おー」

 背中のギターを取り出し、ミトンを外してさっとチューニングすると、あっちゃんはその場で弾き語り始めました。雪の音とどうしてもセッションしてみたくなったのです。

「そおしたら、身体もぽかぽかになるかなー?」

 レジがコートの胸元からぴょこんとお顔を出しました。あっちゃんは、

「きっとそおやー」

 と何故だかわからない確信を持ちながら答えます。そしてギターをより強くつま弾き、雪がもたらす振動とつながりました。指先に伝わる冷たくも、じんじんと来る熱。

 そこから、あっちゃんの意識は雪に溶けだしていきます。灰色の空から微かに漏れる月光を反射して、街中を照らす輝き。それは、あっちゃんとレジが生み出すオレンジ色の粒粒とよく似ていました。二つは縦横無尽にひろがっていくと繋がり合い、その場で溶け合ったり、あるいは弾きあったり、また新しく〝真の音〟ととして響くこともあります。

 その中心で、あっちゃんは雪の冷たさとオレンジ色の粒粒――〝善き音〟の結晶――を感じていました。そこで気づいたのは、どちらも身体の皮膚にびんびんと響くということです。

 どちらも、肌に触れてはじゅっと溶けて赤い痕を残します。

 レジが教えてくれました。

「雪は、天上から降る音なんや。せやから冷たさと熱さどちらも持っているんやー」

「天上って凄いんやなー」

 とあっちゃんは感心します。その瞳に雪と自分の生み出す光がきらきらと輝いていました。二つが組み合わさったり、離れたりしながら、旋律を虚空に描いていきます。

 そのとき、あっちゃんの目に見覚えのある音が舞い降りてきました。瑞々しく、二つの音の間にくっついてくる音。どきどきしながら振り返れば、そこには彼がいました。

 金の髪に、青い海の瞳を持った青年。

「やあちゃん、どちたんやー? おちごとはー?」

 とあっちゃんが訊ねると、やあちゃんは言いました。

「急いで終わらせてきた。それで、急いで帰っていたら、こんなところでギターを弾いているきみがいたから……」

 そうして、やあちゃんが咽喉を鳴らすようにしてリズムを刻みます。今まで自由気ままに漂っていた音たちが、やあちゃんが生み出す水色の光のうえで踊りだします。

「音がまとまっていくでー」

 そして空に美しい音の連なりが浮かび上がりました。規則正しいものもあれば、ごちゃごちゃしているところもあります。

「あれは、ちょっと拾いきれなかったきみの音かな」

 隣で、やあちゃんが苦笑いしました。あっちゃんはうーん、と首を傾げると、どうやったら綺麗に音が並ぶかどうか考え始めます。しかし、それを見たやあちゃんは、

「でも、そういうのも悪くないと思うよ。キラキラしたものは沢山あったほうが綺麗じゃない?」

 と言ってくれました。あっちゃんはちょっぴり反省しつつ、今は雪とやあちゃんの音と一緒にギターを奏でようと頑張ります。

「いっぱい音がチカチカしとって、きれいやなー」

 レジが真っ赤な顔をさらに真っ赤にして、嬉しそうに笑いました。

 それを胸いっぱいに感じたあっちゃんも笑顔になってしまいます。そして、ふと今夜の空はだいだい村で見上げた星空みたいだな、と思いました。

「きっと雪は……お星さんにも似ているんや。そして、この町も。何だって、一緒なんやなぁ」

 あっちゃんがそう呟くのを、やあちゃんはこっそり聞いていたのか、

「そうだね。だからこそ、繋げることができるのかもしれない。さっきの拾いきれなかった音だって、本当なら繋げることができるのかもしれない。ただ、それを見つけるのがとっても難しいだけで……」

 と目を伏せます。その表情がちょっぴり落ち込んでいるように見えたので、あっちゃんは大きな声で言いました。

「それを見つけるのは、一人じゃあかんな。難しいもんなッ! あっちゃんも、やあちゃんみたいに頑張る。ちゃんと繋ぎ合わせられるようにすゆ!」

 その言葉が、夜空で舞う音たちをいっそう上へ上へと昇らせていきます。あっちゃんたちの意識もずうっと高くへ駆け上がり、いつしか輝く音の粒だけの世界に立っていました。

 そして〝歌い手〟たちは、気が済むまでいつまでもいつまでも共に唄い続けるのです。

 

 ……おうちで待っている二名は、その間じゅう、ずっと待っていたと言います。二つの物事を同時に存在させるって難しいことですね。

 

 

   おしまい


奥付



『うたえ! アッチャン×ヤーチャン』シリーズ

白雪は銀河の星とも似ている


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著者 : むらさきあおい
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この本の内容は以上です。


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