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戒律

具足戒

 仏弟子たる修行者には、戒律が授けられる。戒律を授かったとき、その修行者は出家者として認められるのである。そして、戒律を破れば破戒僧となりサンガ(僧伽)を破門される。

 
 サンガ(僧伽)においては、より多くの、完全な戒律を授けられて修行する方が、不完全な戒律を授けされて修行するよりもすぐれていると周知されている。そのため、破戒して破門される恐れが増すにも関わらず、釈尊の時代にも多くの修行僧が完全な戒律を授けられることを望んだと言う。
 
 ところで、仏や阿羅漢は破戒の恐れがない。彼らは完全な具足戒があるので、破戒することがないのである。具足戒とは、授けられた戒律ではなく自ら備わっている完全な戒律である。
 
 たとえば、大人は子どもじみた行為をすることができない。遊びとは言え、今更かくれんぼや鬼ごっこをすることはできない。身体機能に障害があるのではない。健康体であるが、かくれんぼや鬼ごっこはできないのである。形式的にさえもできなくなる。それが大人になると言うことである。具足戒も同様である。すでに完全な解脱を果たした仏や阿羅漢は、戒律を破ろうとしても破ることができない。完全に身についていてつねにその戒は体現されている。それで”具足戒”と名づけるのである。
 
 修行者がたもつべき戒律としての具足戒を授けられそれを守ったならば、基本的には仏や阿羅漢と何ら変わらない行為を為すことになる。一般の人々(衆生)から見たとき、具足戒を授けられた修行者と、具足戒がある仏や阿羅漢との違いを見いだすことはできないだろう。それでそのような修行者は仏や阿羅漢に対して行なわれる布施・供養と同じものを人々(衆生)から受けることになる。結果、その修行者は仏や阿羅漢と同じ功徳を得ることができるのである。このことが、多くの修行者が完全な戒律を授けられることを望んだ大きな理由である。
 
 『人は行為によってバラモンともなる。』 釈尊のこの言葉は、それを完全に裏付けている。

修行者が持つべき戒律

 最低限度、修行者が持つべき戒律は次のものである。

 
 邪なことをしない。
 
 自らの悪を放置しない。
 
 自ら得たもの・与えられたもので暮らし、盗まない。
 
 自ら為すべきことを見失わない。
 
 とくに身近かな人を、悲しませない。
 
 言葉によって他の人を迷わせない。