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地獄

地獄

 地獄について述べたい。

 地獄には光がない。地獄から這い上がる手段が基本的に存在していない。それで、一度地獄に堕ちると長い間苦しむことになる。

 さて、この世に善悪の区別が無いならば、最初から善悪を論じる必要はないであろう。しかし、衆生にとって善悪はまさしく実感されるものである。ところが、善悪は超えることができる。それが智慧の体現であり、真如である。

 善悪を認めるが、善悪に左右されない境地が真如である。これは、たとえば病気のキャリアのようなものである。世に善悪があることは知っているが、善悪そのものを超えた境地が覚り(智慧)である。これは、病気の根治(免疫)のようなものである。

 また、善悪がそもそも存在しない世界が想定され、間違いなく実在している。それが法界である。ゆえに、法界からこの世へのアクセスは法の句の形を採ることになる。

 さらに、善悪が意味を持たない世界も想定され、これも間違いなく実在している。それが地獄である。それで、一度地獄に堕ちると功徳を積むことができず、この世に戻ってくることができない。

 因果応報と言うのは、善いことをすれば善い世界に生まれ、悪いことすると悪処に堕ちるなどというような単純なものではない。因果応報の真実は、善いことを善いことだと知り、悪いことを悪いことだと知る人は、天界に生まれてついに覚るということである。

 また、因果応報の真実は、善いことを悪いことだと言い張り、悪いことを善いことだと言い張るひねくれ者は、善悪が倒錯した地獄に堕ちて長い間苦しむということである。地獄では善いことを為しても善いことだと見てくれず、悪いことを褒める世界である。誰もこんな処に居たくないであろうが、それはまさしくかつての自分が現世においてしたことである。その因縁によって地獄に堕ちるのである。

 因果応報についての第一種の理解は、真理を真理だと理解する人は天界に赴きついに覚り、真理を真理だと理解することのできない者は地獄に近づくことになるというものである。

 因果応報についての第二種の理解は、真理ならざるものを真理ならざるものだと理解して離れる人は天界に赴きついに覚り、真理ならざるものを真理だと見なして近づく者は地獄に堕ちてしまうということである。

 たとえば、薬を薬だと理解する人の病気は癒えるが、麻薬を(快楽の)妙薬だと見なす者は当初健康であっても末路は悲惨であるようなものである。あるいはまた、麻薬を危険なものだと理解する人は廃人になる怖れが無いが、薬を毒だと見なす者の病はついに癒えないようなものである。

 本来、人々に賢愚の区別はないが、それぞれの功徳の有無によって賢愚が現れる。そうして、それぞれの人はそれぞれに相応しい処に行き着くことになる。天界に行って覚るも、地獄に堕ちて苦しむも、各自のことがらである。どちらに行くにせよ、そは自分自身で選んだ道なのである。