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まえがき

 わたしは39歳で再婚のため3人の娘を連れてアメリカのど真ん中のカンザスに移住してきました。
 それから5年後、幸せに暮らしていたわたしの目に異常が現れ出し、とても珍しい遺伝性の病気で、網膜色素変性症(Bietti's Crystalline Retinopathy)という治療薬もない難病とわかり、将来は失明すると診断されました。 
 その後再婚相手が病気で亡くなり、途方に暮れているとき、和紙にいやされ、救われました。
 地球環境にもよく、人にもよい、こんなすばらしい和紙をアメリカの人にもわけてあげたいと思い、和紙や折り紙でアートクラフトの小物をつくり、売る商売を始めました。
 現在、わたしは70パーセント失明しており、見える範囲が狭まってくるなか、家族や友人にわたしの将来について心配させたくないと思い、何とか失明しても楽しく生き生きと暮らしていける術を見いだしています。
 自分の視力が落ちてくる経験を活かして、目の不自由な方でも触って楽しめるアートを紹介しています。見える方にも触っていただき、自分が今見えていることはすばらしいことなんだと気づいていただきたい、その気づきの機会をつくってさしあげることがわたしの使命だと思っています。
 美術館やイベント会場、自宅で折り紙を教えながら、日本の和の心も伝えていきたいと、着物を着けて活動を続けています。
 今回の東日本大震災の被災地の方々のことを思えば、わたしに降りかかる難事は比べものになりませんが、何とか苦難をうまく乗り越えていただき、失った大切な方のためにもより意義深く生きていただき、朝に泣き、昼は働き、また夜は泣いても、寝る前には、今日はすばらしい日であったと言っていただきたい、そう願っています。
 日本は必ずすばらしい国として立ち直ります。わたしはそう信じています。
 この本を読まれたすべての方が、苦しいことがあってもプラス思考になり、幸せな人生を送っていただけたらこの上ない喜びです。


まだ見える喜び

 わたしは毎日幸せ。
 なぜなら「愛してます」と言ってくれるあなたの声が聞こえるから。
 わたしも「愛してます」とあなたに言えるから。
 まだ両手であなたを抱きしめることができるから。
 あなたとダンスが踊れるから。
 どこも痛くなくて元気だから。
 思い切り深呼吸ができて、あなたと同じ空気を吸っていられるから。
 あなたと一緒に生きていられるから。
 まだまだたくさんできることがある。
 だから見えなくなってもこわくない。

 もしも本当に見えなくなったら、
 あなたの声を頼りに動き回れるね。
 あなたに手を引かれ歩き回れるね。
 あなたのすべての愛がわたしの目になってくれるね。
 そうしたら、今よりもっと幸せになれるような気がする。

 あー、幸せが見えてきた!


2
最終更新日 : 2011-12-16 03:01:59

見えないけど、わたしへいきだよ

 見えないけど、わたしへいきだよ。
 だってあなたの笑顔が見えるもん。
 あなたの笑い声が聞こえるもん。
 あなたに好きだよと言えるもん。

 あなたと手をつないで学校へ行けるもん。
 お母さんのつくるおいしい料理のにおいがかげるもん。
 だから、わたし見えにくくてもへいきさ。

 ときどき、みんながかくれんぼをしてあそんでくれるから。
 いつも、わたしが鬼だよ。
 でも時間はかかるけどかならず見つけているよ。
 見えにくいものにしるしをつけたり、リボンをつけたりして、さがしやすくしているからだよ。

 たまに、さがせないときに声をかけるのさ。出てこいよと。
 すると、わたしの手がさわるのよ。見ーつけたとね。
 だから、楽しいのよ。

 もし本当にみんな見えなくなってもへいきだよ。
 ぜったい、みんな助けてくれるもん。
 だって、みんなやさしいもん。
 みんないい人たちだもんね。
 みんななかよしだもんね。

 みんな、あそぼうよね!
 かくれんぼして。
 さがすの大好きになってきたよ!


3
最終更新日 : 2011-12-16 03:00:13

わたしね、最近よくころぶのよ

 わたしね、最近よくころぶのよ。
 そして、壁にぶつかるの。
 食べ物をこぼすの。
 それに、服を裏返しにして着ていたりするのよ。
 靴下もね。
 おもしろいでしょう!

 お父さんとお母さんが目のお医者さんへ連れていってくれたの。
 お医者さんは言いました。
 あなたの目の中にクリスタルが入っていますよ。
 とてもめずらしい病気ですよ。
 めったに会えない患者さんですよ。

 わたしは思いました。
 わー、わたしって、特別なんだ。
 うれしいなー。
 楽しいなー。

 お父さんとお母さんがお医者さんにまたたずねました。
 将来この子の目はどうなりますか?

 お医者さんが答えました。
 残念ながら目が見えなくなります。

 お父さんとお母さんはとても悲しみました。
 でも、わたしは悲しくありませんでした。
 なぜなら、わたしにはやさしいお父さんとお母さんがいるもの。
 かわいい妹もいるもの。
 猫ちゃんもいるもん。
 庭には花も咲いているのよ。
 小鳥だって幸せって歌っているのよ。
 だからわたしね、幸せなのよ。 

えらぶ百合の花

 えらぶ百合の花 アメリカに咲かちやりくぬ

 南の小さな島でのわたしの幼いころの体験です。
 今から45年ほど前の夕暮れどき。
 母親と畑仕事して家に帰るとちゅう、遠くのほうに白く光っている物が見えました。周りは薄暗くなっていましたので、とても目立っていました。
 キラキラと輝く光に誘われるかのように、わたしは背中に牛の草をかついでいましたが、あまりにも美しく光っていたので、無我夢中で荷物を放り出して畑の真ん中を横切り、キラキラと光るものを目指して走り出しました。
 ところが、近いと思っていたら意外に遠く、走りながら、あれはもしかして時期はずれの美しい百合の花かもしれないと思い、早く取りたい、百合を見たい、においをかいでみたいと思って白く光るところへと近づいていきました。

 やはりわたしが思った通り、美しい白い百合です。
 ここちよい清らかな香りがします。
 あー、とため息が出ました。
 早く取りたい!

 しかし、やぶはわたしが入っていけないほど深く、とげのつるでおおわれていました。
 でも、あの美しい白百合を取りたい、そう思う気持ちがだんだんと強くなり、背伸びをしてみたり、ジャンプをしてみたり、何とか指が葉にさわるまでくり返しました。

 もう少しと思った。
 その瞬間にサッと強い風が吹き出し、百合が揺れ、わたしの手の届くところまで風が百合を押し出してくれました。
 わたしは風を読み、わたしの手に近づいたときに思い切りジャンプして、手が百合のくきに触ったとたん、ポッキンとくきを折りました。

 あー、やった、やっと取れた。
 ホッとした後、自分の手や腕、足が痛いのに気がつきました。
 何と切り傷だらけです。
 百合の花を取るのに必死で、トゲのある野バラがたくさんあることを忘れていました。
 傷の痛みより、好きな白い百合を手に入れた喜びのほうが大きく、百合の花を大事に持って走り出しました。

 急いで牛の草をかついで母親を追いかけようと思いましたが、もうすっかりあたりは暗く、母親の姿は見えませんでした。
 フクロウの鳴き声が聞こえたり、ガサガサと音がしたりと、一人だけの夜道
はとてもこわいと思いました。
 でも、取ったばかりの白い百合のすがすがしい香りのおかげでこわさを忘れ、切り傷の痛みも忘れ、何とか家までたどり着きました。

 家に着くと、母親が「遅かったわね。心配したわよ」と夕食の準備をしながら言いました。
 わたしは百合の花を取りに、畑の真ん中を横切って行ってたなんて言えませんでした。
 それは、父親も母親も畑をとても大事に耕していて、常に畑のすみを歩きなさいと言われていたからです。

 取ってきたばかりの百合の花をよく見てみたいと思い、そっと縁側においていた百合の花を取りにいき、わくわくしながら、どれだけ時期はずれの百合が美しいだろうと明るいところで見てみました。

 あっれ! どうして? まさか? えっ! と、わたしは悲鳴をあげました。
 なんと、美しいと思って取ってきた白い百合の花は枯れていました。

 その夜、わたしは眠れませんでした。
 あんなに美しく白く光っていたのに、枯れていたなんて信じられません。
 わたしは不思議でたまりませんでした。
 あんなに美しく白く光っていたのに、どうして枯れてしまったのかしら?
 どうして暗闇の中でわたしをそこまで魅了したのかしら?
 何をわたしに伝えたかったのかしら?

 その日からわたしは白い百合の花が大好きになり、毎日百合のことばかり考えていました。
 毎年春に咲く野生の百合が待ち遠しくなり、今か今かと夢にまで見るようになりました。

 そして春になり、わたしの目は常に百合の花を追いもとめていました。
 野原や道ばたのあちらこちらに野生の白い美しい百合の花が咲き出し、わたしは毎日うれしくってたまりませんでした。
 わたしは学校へ行くときも、道ばたに咲いている百合の花をつみ、教室に飾りました。
 教室の中に百合のいい香りが広がり、一日中百合と一緒に勉強しました。
また学校から帰るときも百合の花をつみ、家に持ち帰り家中に飾りました。
 特に牛小屋などに飾るとなんとも言いようのない美しさです。
 田舎のわが家にさわやかないい香りが充満していました。
 そのころのわが家は貧しく、この百合の美しさといいにおいがわが家に幸せを満たしてくれました。

 しかし、長くは咲き続けてくれません。
 一つ一つと枯れていき、百合の花の姿が見えなくなるとさびしくなり、一日でも長く百合の花を見たいわたしの目は、百合の白しか見ていませんでした。

 毎年、百合の花の時期になるとうれしくて、毎日が幸せです。
 まるで百合の花に恋をしている感じでした。

 こうしてわたしは大きくなり、都会に出て働き出しました。
 しかし、島が恋しく、あの白い美しい百合の花が恋しくてたまりませんでした。
 だから、花屋さんで百合を見つけると、値段が高くてもすぐに買い、部屋に飾り、あのときのことを思い出していました。

 それから何年か過ぎて、結婚をして、娘たちにも恵まれましたが、なぜか結婚生活はうまくいかず苦しんでいました。
 こんな苦しい人生を送るために生まれてきたんじゃないと思い、離婚をしました。

 そして何年かたち、あるアメリカ人からプロポーズされ、娘たちと一緒にアメリカに行くことにしました。
 自由な国アメリカで自分の思う通りに一生懸命働き、また娘たちも英語を話せるようになり、アメリカに溶け込むことができました。

 しかし、日本が恋しい、島が恋しい、あの白い百合の花が恋しい。
 百合の季節になると、たくさんの百合の花を買い、部屋中に飾り、美しい島を思い出していました。

 今から約150年前(明治32年)、日本は白い百合の球根をアメリカ、イギリス、フランス、オランダなどの国々へ輸出していました。
 キリスト教の復活祭にはこの白い百合の花が飾られます。その時期にはスーパーなどの店では、どこでもたくさん鉢植えや切り花が売られています。
 島が恋しい、白い百合の花が恋しいわたしにとってみれば、こんなにうれしいことはありません
 だからこのアメリカに来てよかったと思いました。

 また、日本では神学びにまったく縁がなかったわたしです。
 神さますら信じることはありませんでした。
 わが家に起きるさまざまな苦しみ、つらいことと向き合ってきましたが、あまりにも多過ぎる苦しみにとうとう最後の神頼み。
 友人にすすめられて読んだ本に、日本の神道のことが書かれてあり、何とかしたい、何とか家族を救いたい思いで神学びをさせていただくことになり、わたし自身が強くなり、揺るぎない心でつらいことに向き合っていくことができました。

 百合の花の妖精にお会いしてから、かたときも百合の花のことは忘れたことはありませんでした。
 常にわたしを守ってくれているような気がしました。
 神さまも信じていなかったわたしが、神さまを感じることができた。
 これが百合の花がアメリカで花を咲かせる一つ意味なのかと思いました。

 そして、アメリカに渡って15年が過ぎたとき、わたしたち親子の面倒をせいいっぱい見てくれた白馬の天使は、病気で亡くなり天に帰っていきました。とても悲しみましたが、彼が今天国で病気もいやされ幸せに暮らしていると思うと、見送った家族も楽になりました。

 わたしは150年前のご先祖さまの病気をいただき、目が失明しつつあり、今70%失明していますが、日本のすばらしい和紙を折りながら、まだ少し見える喜びをかみしめながら、毎日楽しく暮らすようにしています。

 そのため、見えにくいものにはキラキラ光る物をつけたり、折り紙で小さいくす玉をつくり、それをハサミ、ペンなどにつけ、さわってすぐわかるようにしたりしました。
 光って見えることが一番見えやすく助かります。
 薄暗いところや黒色、茶色などは見えません。何だか昆虫の目のようです。

 わたしは見えない目を愛おしく思い、また以前よく見えていたことはとてもすばらしい記憶としてわたしの脳裏にいつまでも焼きつけられています。

 わたしが小さいころの夕暮れどきに、白い百合の花の妖精に誘われたときのあのキラキラ光るものが、今わたしの目のために役に立っていることを知りました。
 神さまは知っていたのですね。わたしが将来失明することを。
 だから小さいときにすばらしい体験をさせてくれたんですね。
 それを思うと神さまの慈悲深さに涙がポロポロと落ちました。

 えらぶ百合の花 アメリカに咲かちやりくぬ


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