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お風呂

 「天(てん)ちゃーん、これ見てよー」
 天野光(あまのひかり)は、夕食の食材を買いに来たスーパーで、彼の同居人、松本王子(まつもとおうじ)が嬉しそうに持ってきたモノを見て大きく息を吐(つ)いた。
 「買わんぞ」
 一瞥して即答する。
 「何でよ」
 膨れっ面の王子が手に持っているのは、赤と青のクレヨンのようなモノが入った小さなパッケージ。何とかレンジャーやらの絵が入っている。明らかに子供向けの何か、だ。
 ――たく、だからこいつと出歩きたくないんだ。
 光はイライラとポケットをまさぐり、煙草を取り出した。場所柄吸うわけにはいかないが、それでも1本抜き出して銜える。すうーっと息を吸い込むと煙草の葉の香りが鼻の奥を刺激した。
 ――ふう。落ち着け。
 王子を拾ってから、煙草の量がめっきり増えた。――俺は高校生だぞ。と、自分に跳ね返ってくるだけの突っ込みも毎日のことだ。
 人懐っこくて明るくて子供のように無邪気でそれでいて強(したた)かな。光は王子に振り回されっぱなしだった。
 深呼吸してイライラを抑えると、光は王子を振り返った。
 「もう帰るぞ」
 強請(ねだ)るような瞳(め)を睨み返してレジに入る。
 王子は、光の背中に舌を突き出して、
「俺様のお小遣いで買うからいいよーん」
と、光の視界の端で別のレジに入っていった。


 「で?何余計なモノ買ったんだ?」
 夕食の後片付けを終えた光は、銜え煙草でソファに腰を下ろした。
 応接セットの隙間でラグに直接寝っ転がってテレビを見ていた王子は、どうやらそのまま眠っていたらしい。
「そうだっ」
と言って弾かれたように跳び起きると、半ばふらつきながら辺りを見渡し、自分の足下に小さな袋を見つけて嬉しそうに「あったv」と声を上げた。
 ニコニコ顔で中身を取り出す。
 「じゃーん」
 王子はそれを光の鼻先に突きつけた。
「お風呂くれよーん」
 光は黙ったままそいつを摘んでぽいーんと放り投げた。
 「あーっ、何すんだよー」
 王子は慌ててそれを拾い、そのまま風呂場へ続く廊下へ出て行った。
 その、石鹸で出来たクレヨンのパッケージを口に銜え、そこでもう服を脱いでいる。
 風呂のドアの開く音と「天ちゃんには貸してやんなーい」という王子の声が聞こえてきて、光はソファに倒れ込んだ。
 ――いらねえよ。
 と、突っ込む気力さえ削(そ)がれる王子のお子ちゃまっぷりに、光は力尽きる思いで目を閉じた。


 すぐにソファから身を起こした光は、勢いよく煙草を吹かして1本灰にすると、次の1本を口に銜えた。
 風呂場からシャワーの音が聞こえる。
 光はリモコンでテレビのチャンネルを変えながらぼんやりその音を聞いていた。
 ――うーん。
 どうもおかしい。
 さっきから水音に変化がない。
 水の無駄遣いしやがって、何をやってる。
 光は煙草に火をつけないまま立ち上がって風呂場に向かった。
 「松本、何やってる」
 ドア越しに声をかける。
 返事がない。
 「松本」
 光は遠慮も躊躇いもなく風呂のドアを開けた。


 「松本」
 王子は風呂場の床に仰向けに倒れていた。
 胸の上に抱いたシャワーヘッドからは湯が流れ続けている。
 手には例のクレヨン。
 「おいっ、松本」
 光は王子の腕を掴んで引き起こした。
 案じることはない。このお子ちゃまは、これまでにも何度かこうやって気絶するように風呂場で寝てしまった前歴があるのだ。いちいち心配していたのではキリがない。
 光は王子の髪の毛に指を通して、体にも少し触れてみた。――この野郎、まだ洗ってもいないじゃないか。
 「松本!!」
 乱暴に揺さぶってみるが、案の定、起きる気配もない。こんなふうに寝てしまって王子が起きたためしがないのだ。
 「おい、クレヨンで遊ぶんじゃなかったのか?」
 光は王子の手からクレヨンを取って腹に顔を描いてやった。それでも王子はくすぐったそうに身を捩っただけで目を覚ましはしなかった。
 「ったく…」
 このままこいつを放っておけるくらいの針金の神経が欲しい。光は、このマンションのオーナーで彼らの家主、佐々克紀の顔を思い浮かべた。――あいつくらい非道でいられたらこんなにイライラすることもないだろうに。


 それから、光は自分のお人好しを呪いながら服を脱ぎ、王子を抱き上げて浴槽に漬け、よく身体を温めてから髪を洗ってやった。そして、体中にお風呂クレヨンで落書きをし、もちろん顔にもヒゲやら渦巻き模様を書き込んだ。
「ははは、間抜け」
力なく笑って、タオルでそれを泡にし、紫色になった泡で体中を洗ってやった。
 ――あんなに楽しみにしてたのにな。
 起きたらまた騒ぐんだろうな。光はシャワーの温度を少し上げ紫の泡を丁寧に洗い流した。
 またしばらく浴槽に漬け、抱き上げてシャワーで流す。
 冷えてしまった身体に王子の体温は心地よかった。
 腕の中の軽くて華奢で暖かい身体を抱きながら、手のかかる子供ほど可愛いという世の親心を思う光だった。


お風呂 あとがき

 久々の更新、お題に挑戦です。
 と言っても、9割方はずいぶん昔に書いてたんですが。(笑)
 お題を決める前から思いついてた話で、実話が元になってます。もちろんうちのお子ちゃまですが。(笑)風呂場で落書きしながら微笑ましい気分になったものです。
 それにしても、天野もどうしようもなく保護者根性ですよねえ。さすがお茶会シリーズ一所帯臭い男。ナンバーワン主夫です。一家に一人欲しいです。うちの子の面倒も見て貰いたいです。
 ただ、「手を繋ごう」に引き続き、幸せ感が足りないような。
 やっぱ、いくら保護者でも、天野と松本じゃあ、親が子供に感じるような幸せ感はないかなあ。
 天野、ノンケだしね。(笑)
 多分、松本を風呂に入れてやった苦労話を、平気で克紀とかに話してまたヤツの不興を買うぜ。
 まあ、そこが天松のいいところ。
 本編での境遇が比較的不幸な松本なので親(作者)としても幸せにしてやりたいものですが。(笑)その分天野に多大なるとばっちりが行きそうだなあ。
 すまんな、天野。
 ぢゃ、みなさんまた会いましょう。


奥付



『小さな幸せ10のお題』「お風呂」


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著者 : 井沢さと
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