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キンキュウジタイ、走る/五十嵐彪太

 発条ネコのキンキュウジタイが、走る走る。

 そんなに慌てて何処に行くのだ、発条ネコ。発条が切れてしまうぞ。

 現実はもっと厳しかった。発条が切れるどころの話じゃない。

 シッポからバネが飛び出し、バネ製のヒゲが伸び、胴体の歯車が剥き出しになった。

 もはやガラクタ、屑鉄ネコのキンキュウジタイ。

 それでも走る走る……。

消耗品/白縫いさや

「私、あなたの歌が好き

 僕は彼女の前で歌い続ける。明日か一年後か、いつかのどが潰れてしまうだろう。

 ――でも止めちゃ駄目よ。

 そんな風に言ってもらえる幸せは、きっと君にはわからないだろうな。


糸繰りの女/立花腑楽

 雨音に紛れて判然としなかったが、布団から身を起こしたら明瞭に聞こえた。

 しゃあしゃあと糸車の回る音がする。

 紺色の絣を着た女が、私の枕元で糸を紡いでいた。

 

 開け放たれた縁側から空を見上げると、雨雲がどろどろと蜷局を巻いている。

 部屋には灯りが入っていない。薄ぼんやりとした暗がりの中で、雨音と糸車の回転音だけが響いている。改めて聞くと、両者の音はまるで別物で、ちっとも曖昧なところなどなかった。

 私は布団の上で胡座をかいたまま、敷島に火を点ける。深々と吐き出した紫煙越しに、糸車が軽快に回転する様をぼんやりと眺めた。繰糸が揺れるたびに、針金のような白い光が、薄闇の中をきらきらと踊った。

 

 莨を一本吸い切ると、それを待っていたかのように、女が手を止め、こちらに顔を向けた。美人に属する造形だが、少しばかり顔が長い。おまけに、妙にぬめぬめした白肌で、まるで餅を引っ張って拵えたような面相に思えた。そんな女が、三つ指をついて、ゆっくりとこちらにお辞儀をしたものだから、何だか薄気味悪い気持ちになった。

「旦那さま、旦那さま。お目覚めでございますか」

 硝子窓を火箸で引っ掻くような声を発しながら、私の手を握ってくる。やっぱり最初の印象通り、餅みたいな触り心地のする肌だった。

「ようございますか。教えていただいたのに、ちぃとも巧く繰れません。もう一度、お手本を。ほら、ここへ」

 女の手ににぬるりと引っ張られ、糸車の前に座らせられる。そう言われても、私とて糸繰りなどしたことがない。何処の誰かとお間違えではないかと問う間もなく、私の右手は車軸の取っ手を握らさられていた。

 取っ手の表面は、埃と油の混合物に塗れていて、ざらざらべたべたと、何とも不潔な感触がした。思わず手を離したくなったが、女の手に抑えられていたので、それも叶わない。

 よく見れば、その糸車は全体的に酷く古ぼけている。先ほど、女はしゃあしゃあと音を立てて回していたが、そんな快調な運転には到底堪えられそうもないほどガタが来ている。試しにちょいと力を加えてみると、それだけでみしみしと古木の裂ける感触が伝わってきた。

「これ以上はいけないよ。壊れてしまう」

 私は、いやいやとかぶりを振りながら、女に言った。この糸車を壊してしまうことで、何だかとても困ったことになる予感がした。

「いやだ、ちょっとやそっとでは壊れませんよ。壊れませんとも」

 女はそう笑いながら、私の右手に加える力を強めてきた。

「いけない、壊れる。きっと、壊れるよ」

 私は泣きたい気持ちになってそう訴える。女は縁側を背に膝立ちになり、まるで私に覆いかぶさるような格好になっている。にたにた笑うその顔は、先程見たよりも、一層、面長になっている気がする。

 その時、彼女の背後に見える雨雲の中に、一筋の紫電が走ったのが見えた。

不用品/五十嵐彪太

 底の抜けた香水瓶、回らないろくろ、肋骨が二本折れた骨格標本、穴の空いたガスマスク、インクの出ないカラーペン、三十八年前のカレンダー、モザイクが赤く塗られたヌード写真の束。

 彼女の部屋には何に使うのか解らないものが散らかって足の踏み場もない。

 使い途がないからこそ愛しいのだ、と彼女は言う。

「効率的で有益な物ほど信用できないものはないの」

 と彼女は僕の脇腹に舌を這わせながら、きっぱりと言った。

 今、効率を求めるなら触って欲しいのはそこじゃない。全く徹底しているよね。きっと僕も取り立てて使い途がない愛しいもの、なんだろう。

 と、天井にぶら下がった夥しい数のゴワゴワに固まった筆を眺めながら、苦笑いする。


赤鉛筆の由来/五十嵐彪太

 寂しい道化師は、両手にのるくらいの木箱をもって来た。

「たからばこ」

「見てもいいの?」

 道化師は大きくうなずく。

 箱の中はすてきなものでいっぱいだった。ビー玉やビンの王冠、セミの脱け殻や新聞の切り抜き。外国の切手に、まつぼっくり、石ころ。ガラスのかけらとボタン、壊れた真空管。

 道化師はよろこぶぼくを嬉しそうに見ていた。

 その中に小指の先ほどにちびた赤鉛筆を見付けた。

「これはなに?」

 おしゃべりが苦手な道化師は身振りを交えて語る。

 まるですばらしい芝居を見ているようだった。

 それは小さくて悲しい恋物語。

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