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6月8日のおはなし「3つめのリンゴはどこ?」

 世界を変えたリンゴがいくつかあるんだそうで。

 1番目は蛇に誘惑されてイヴがかじったリンゴ。2番目はニュートンの目の前だか頭の上だかに落ちてきたリンゴ。3番目はリヴァプールから出てきた4人組のバンドメンバーがつくった会社の名前。そして4番目はわずか30年ほどの間にコンピュータを世界中に広め音楽の流通からコミュニケーションのスタイルまで変えてのけた会社の名前。 

 日本人だけに通じるジョークとしては、4番目に、リヴァプールから出てきた4人組のドラマーのリンゴを挙げて全部で5つにする、というナンセンスなギャグもある。でも、今日いまから話すのは、世界を変えるほどのことはない、どこにでもあるようなありふれたリンゴの話だ。強いて言えば4番目のリンゴに関係しなくもない話だ。え? どっちの4番目かって? まあ、それは読んでのお楽しみってことにしよう。 

 リチャード・スターキー(「リンゴ」だと紛らわしいのであえて本名のリチャード・スターキーと呼ぼう)の屋敷で長らく勤めていた女性が、最近になってブログを立ち上げてそれが話題になっている。大スターの私生活を暴露しているのかって? とんでもない。有名人の身近にいた人が何かを書き出して話題になると言えば、確かに暴露本を連想してしまう。けれどもそうではない。彼女が立ち上げたのは、長年にわたる料理人としての経験の中から、「我ながら印象に残るレシピ、みんなにも食べて欲しいレシピ」を公開するブログだ。 

 もっとも最初に話題になったきっかけは、やはり有名人の名前が出て来ることだった。そういう意味では私生活の暴露と言えばまあそう言えなくもない。

 ボノの好き嫌いを直したカルパッチョ、エルトン・ジョンが涙を流して言葉を失ったミートパイ、ビリー・プレストンが人知れず何回もおかわりをしたタブーリ、ポール・マッカートニーとアラニス・モリセットが最後の一つを巡ってお宝のレコードを賭けたウナギのゼリー寄せなどなど。セレブ好きの人々が話題にしたことでブログは注目を浴びたが、その後の人気はレシピの的確さと、もちろんそのおいしさだった。 

 もう一つ大事な点は、彼女の暖かみのある文章の力だ。ブログに登場するセレブたちは、彼女がつくった料理やデザートを食べながら、愉快なジョークを飛ばし、懐かしい思い出を語り、愛に溢れた感想をもらす。数々のオーディション番組の審査員として毒舌を吐くことで知られるサイモン・コーウェルは、ある晩、本格的なインド料理を前にしてこう言った。

「無礼な真似はしたくないが、これだけは忠告しておきたいね。こんな料理を出すなんて、あの料理女はとっとと解雇すべきだ」わざと苦々しい表情で言って座を緊張させ、続けて「そうしたらぼくが雇えるからね」というオチを喋っている途中で思わずにこにこしてしまったという。あまりにおいしくて苦々しい表情を続けられなかったのだ。 

 長く続いたふたつのアップル社の裁判が決着を見る頃、イギリスを訪れたスティーブ・ジョブズもまた彼女の手料理を食べることができた一人だ。その時には禅が大好きなジョブズのために彼女は、タケノコの木の芽焼きや山菜の天ぷら、豆乳鍋という精進料理をつくった。こっそりとリンゴを食材に使った料理を入れたのは彼女なりの遊び心だったのだろう。これがジョブズをいたく感激させた。ジョブズは「オー、ワオ!」と3回繰り返したという。 

 この歴史的な和解の夜、あまりにも長く続いた裁判のため、関係者はみな疲れ果てていた。来るはずのポールは姿を見せず、結局リンゴと、イギリスのアップル社の重役2名ととジョブズというこじんまりした夕食となり、ダイニングルームはリラックスには程遠かった。笑顔も少なく、彼女の極上の料理を食べながらもなかなか会話がはずまなかった。リンゴの利休揚げを口にして嘆声を漏らしたジョブズに、ホストのリチャード・スターキーは「3つめのリンゴが幸せを運んで来た」と言い、少しだけ座がなごんだ。 ダイニングルームにはすでに2つのアップルが揃っていたが、そこに3つ目が来たという意味だった。

 さて、華やかなセレブたちの話はここまでにして、ここからが本題だ。この時、リチャード・スターキーは近くにいた孫に当たる少年にその料理を少しだけ分けてやった。少年は「おいしい!」と叫び、もっともっととせがんだが、食卓の利休揚げはもうなくなっていた。少年は部屋を飛び出すと厨房に向かって突進して行き、「3つめのリンゴはどこ? 3つめのリンゴはどこ?」と叫んだという。彼女のブログに語られているエピソードはここまでで終わりだ。けれど、その後2つのアップルは急激に歩み寄り、ついにiTunes Storeでビートルズの楽曲が購入できるようになったことはいまではもう誰でも知っている話だ。 

(「3つめのリンゴはどこ?」ordered by with-happiness-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

新作スタート。お題募集中。

2011年10月1日。
Sudden Fiction Projectの新作発表が始まりました。

1日1篇ペースをめざしていますが、これはどうなるかわかりません。
毎日、その日のお題を見て、いきなり書き始めていきなり書き終わる。
即興的に書くSudden Fictionをこれからお楽しみください。

お題募集中です。
急募!お題」のコメント欄で受け付けています。
どなたでも気軽にご注文ください。初めての人、大歓迎です。

(お題の管理上、TwitterやFacebookでは見逃しがちなので、
 どうか上記コメント欄をご利用ください)

それではこれからしばらく新作のシーズンをお楽しみください。

※発表済みの作品をご覧になりたい方は
 をご活用ください。

奥付



3つめのリンゴはどこ?


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著者 : hirotakashina
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/hirotakashina/profile


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