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12月9日のおはなし「オオサカ・ベイ・ラプソディ」

 印刷屋は夕方には来るということだった。我々は店の隅に陣取って待つことにした。普段ならすぐに酒を頼むところだが、さすがに今日はそういうわけにはいかない。ショットグラスしか似合わなそうな風体の3人が小指を立ててカプチーノをすすって待った。

 19時を回って、印刷屋から、今日は来られないという連絡が入った。

「ざけんなよ」エビが派手に椅子を鳴らしながら立ち上がった。「ざけんなオラ」
「どうします」おれは座ったまま姐さんに尋ねた。「ここまで引きずり倒してきましょか」
「座んな」姐さんはエビを叱りつけ、おれに向き直った。「誰が姐さんやて?」
「言ってませんけど」
「顔に書いたある」さすが姐さん、鋭い。「ええ加減やめんと、大阪湾沈めんで」
「すんません」

 それからおれたちはカプチーノを下げさせると酒に切り替えた。ショットグラスしか似合わなそうな風体の3人だが大ジョッキを頼んだ。姐さんがハイペースなのでだんだん店が回りだし、テーブルにしがみつくような姿勢になっていく。姐さんはただ黙々とジョッキを重ねて行くが、おれはとびっきりアルコール濃度の高いロンリコ151をストレートで頼み、エビは甘ったるそうなカクテルを頼んだ。そこへ印刷屋がやってきた。

 まず店の電気が一斉に落ち、真っ暗になった。客かウェイトレスか、とにかく女の叫び声が聞こえ、奥の方から誰かの罵る声が聞こえる。ガチャンとグラスが落ちてくだける音と、何かをガシャガシャンと荒っぽく置くような音がする。目が慣れてくると厨房の方だけ少し明るい。ガスの炎だけが明かりとして残っているらしい。恐らく店内の誰もがそれを目にして安心したのだろう。ほんの少し空気がゆるむ。一人の男が立ち上がり炎の方にゆっくり近づき、「ろうそくか何かないのか」と声をかけている。

 それに対する返事がないまま不意にコンロの火も消える。厨房の方で誰かが倒れる音がする。
「おいっ!」さっきろうそくの話をしていた男だろう、慌てたような声がする。それはそうだ、炎を目当てに歩いていたのに消されてしまったら、もう席に戻ることもできなくなる。「おいっ!」
 それを聞いてエビがせせら笑う声がする。次の瞬間、鋭く宙を切り裂く音がして、たったいま笑ったエビのあたりから何か胸が悪くなるようないやな音がして、続いてエビの悲鳴が短く続き、すぐに止む。

 停電からここまでほんのわずかな時間だ。ようやく思いついたようにあちこちの席でライターの火がともる。おれは煙草を吸わないので、残る2人に頼もうと思ったのだが、エビはどうやら非常事態に陥っているらしい。「姐さん! ライターを」返事がない。「姐さん? 姐さん?」

 目の前で、文字通り目のすぐ前でライターの火がつきおれの鼻先と前髪を焼く。「うわちっ!」おれは叫んで上体を後ろにそらす。ライターを持った手がおれに近づく。最大限まで大きくなった炎がおれの顔を焼こうとしている。咄嗟に見て取れたのはそれを持つ男の手だった。血管がうねうねと青黒く盛り上がり筋張った見慣れない手だ。炎の向こうにテーブルに突っ伏すエビが見えた。右目がつぶれて、つまみのトルティーヤチップスの上に流れ出していた。姐さんは、席にはいなかった。

 顔に近づくライターを振り払おうとした。右手に激痛が走る。見ると手のひらにフォークが突き立っている。手の甲にフォークの先が4つ小さく頭を出している。叫ぼうと思ったが声も出なかった。ロンリコのグラスが持ち上がりおれの顔にびしゃびしゃとかけられた。そこにライターの炎が近づき、おれの顔は青白い炎を上げて燃えはじめた。慌てて顔を拭こうとして右手に刺さったフォークの柄が顔に突き当たり、手と顔の痛みでおれはのたうち回る。ソファからずり落ちるようにして顔をソファに埋める。顔の消火が終わるか終わらないかのうちにテーブルの下に転げ落ち、そのまま動かなくなる。

 印刷屋は、いまはもう印刷屋とわかっている男は、そこまで見届けるとテーブルを離れおれに背を向け通路の反対の席に向き直り、言った。
「ひとりで来いと言ったはずだ」
 その席には姐さんが信じられないような大男に押さえ込まれるようにして座っていた。
「だからひとりになってもらった。これで始められる。さてビジネスの始まりです」

 おかしい。店内が静かすぎる。さっきまであちこちのテーブルでつき始めたはずのライターも消えている。何とかしろと騒ぐ客もいなければ、客に声をかける店員もいない。見るとさっき厨房に向かったろうそく男は通路で伸びている。他の席の客もみなそれぞれの席で意識を失っている。どうやったのかはわからない。見る限りいま起きているのは印刷屋と大男と姐さんだけだ。

 印刷屋はポケットから新品の紙幣を一枚取り出して姐さんの前に置いた。
「離せ、チビ」そう言われて大男は姐さんを押さえ込んでいた手を離した。「見ていただきましょう、ぞんぶんに」
 解放されると、姐さんはこれ見よがしに肩をぐりぐり動かし、大きく首を回してからやっと紙幣を手に取り、鑑定用の眼鏡をかけ、裏返し、また表を見て、鼻先で笑って言った。
「本物よ。あんたのつくったものを見たい」

「さすが。さすがお目が高い」印刷屋は悪びれる風でもなくそう言うと、もう一枚紙幣を取り出した。よれよれの使い古した紙幣だ。「ではこれは? これはいかがです」
 姐さんはさっきより少し時間をかけてじっくり見た。そして途中で一瞬息を飲み、さらに時間をかけて両面を確認し始めた。印刷屋が尋ねる。
「どうされました」
「番号が同じだ」
「すばらしい。目の付けどころがすばらしい」
「どっちかが偽札だ」
「どっちかではありません」満足そうに言うと、印刷屋はもう一枚紙幣を取り出した。「オリジナルはこれです」

 印刷屋は三枚をテーブルに並べ、明るい声で笑った。
「シャッフルされたら、わたしにもわからなくなります」
「全部番号が同じだったら意味がないわ」
「パフォーマンスですよ。これは疑り深いあなたのためのサンプル」印刷屋は両手をちょっと広げてテーブルを示した。「実際には全て番号が違う。額面で1億円分ある」
「いくら?」
「本物そっくりだから1億円」まじめな顔をして言い切ってから、にっこり微笑む。「と言いたいくらいだけど、5千万円。法外とお思いでしょうが、ここまでの技術はなかなかないんでね」

「どこにあるの?」
「チビ」印刷屋は大男に声をかける。大男がスーツの前を開けるとその裏地に札束がびっしりとはりつけられている。印刷屋は笑いを含んだ声で言った。「超高級スーツです」
 その瞬間、姐さんがおれの目をとらえる。おれはふっと息を吹く。1秒。2秒。3秒目でチビの巨体が揺らぎ、まるで足元から溶けてしまったように崩れ落ちる。

「どうした!」印刷屋の声の調子が変わる。「まさか」
 遅まきながら気づきこっちを振り向く。そこにはおれが右手から抜いたフォークを持って立ち上がろうとしている。印刷屋がおれに躍りかかろうとした瞬間、右目を垂れ流したままのエビが目にもとまらぬ早さで身体を回転させ、印刷屋の目にタバスコをぶちまけた。悲鳴を上げ始めた印刷屋に向かってもう一度おれはふっと息を吹きかけ黙らせる。これで2人とも半日は眠りこけるはずだ。

「大丈夫でしたか、姐さん」おれは右手の激痛に耐えつつ、チビのスーツを脱がせながら言う。「気がつきましたか。こいつらも吹き矢を使うみたいですよ。客も店員もみんな寝込んでます」
 傍らではエビが懸命に右目を中に入れようとしている。何しろつぶれてしまってぐにゃぐにゃしているから、うまくいかないようだ。「おおよしよし、ほら中に入ろうねー」猫なで声で言う様子はまさに、目に入れても痛くないと言う感じだが、あまりじっくり見ていたい風景ではない。
「誰が姐さんやて?」ゆっくりとおれに向き直りながら姐さんが言う。「あんたもこいつらと一緒に大阪湾沈んでくるか?」

(「印刷屋」ordered by sachiko-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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奥付



オオサカ・ベイ・ラプソディ


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著者 : hirotakashina
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